ブーム誕生
朱の掛け声とともにホセが満身の力を込める。しかし馬頭の腕は微動だにしない。やがてホセの額に玉の汗が浮き出てきた。何も纏っていない上半身も、汗で薄っすらと艶光りしてきた。ホセの腕力は馬頭にとって、全く驚異にはならなかった。しかし、馬頭は余裕を見せる仕草や表情は一切取らない。両足を開いてどっしりと地に立ち、自分とホセの握られた手をジッと見つめて集中している。ホセは全力を搾り尽くし、殆ど握力もなくなってきてしまった。滲む手汗で馬頭のグローブのような、でかい手を握っていることもままならない。勝負の行方が明らかではあったが、島の連中は大興奮でホセに声援やヤジを送る。ホセは軽い目眩を覚えて、貯めていた息を吐きながら地面にへたり込んだ。馬頭はホセの右手を掴んでヒョイとホセを持ち上げると、腰の辺りに左手を回し、グイッとホセの身体を抱き寄せる。そのまま掴んだホセの腕を高く上げて、
「俺の国でもホセほど全力を出した男は居なかった。ホセは勇敢な男だ。なぁ!兄弟!」
と、叫ぶ。カルディンは馬頭の言葉をホセに伝える。ホセは照れくさそうに笑顔を浮かべている。一部始終を見守っていた島の男たちから歓声が上がる。暴力の世界に身を置いていただけあって、馬頭の男を立てる術は一級品だ。ホセと馬頭の勝負を見ていた島民たちが、空いたドラム缶を取り合い始めた。争奪戦に勝ち残った二人が組み合って、他の男が行司に収まる。
「あっけおーい、のった!」
見様見真似で再現した掛け声を聞いて、朱もおぉと感嘆の叫びをあげた。
「なんだか、だんだん楽しくなってきた。」
朱はそう呟くと、木の枝を拾って地面に円と二本の線を引いた。そしてカルディンに通訳を頼もうと声をかける。
「あぁ!朱さんすみません、これから学校賛成派として会議にでるんですよ!モルティガ!朱さんの言葉を島の言葉にしてやってくれ!じゃ、朱さん失礼します!」
カルディンの声を聞いてクルリと振り向いた少年が駆けてきた。ノラと同じぐらいの年齢だろうか。
「これから新しい勝負の方法を教える!相撲と言う!ドラム缶でやった勝負は腕相撲だ!うでは腕の意味!こっちは全身を使う。足の裏以外が、地面に先についたら負け。あと、先にこの円から出たら負け。」
朱は叫びながら、自分と背格好が同じぐらいの男児の肩を叩くと、地面に書いた土俵へ手を引いて連れてくる。自分が皆の注目を集める予感に、男児は満面の笑みを浮かべている。
「こうやって。そうそう。見合って見合って~。そうそう。で、はっけよーい!そうそう、で、ぐぐぐぅっと体重を前に乗せる。そうそう。それで、のこった!と言われたら、どーん!とやる。判る?それで、手、尻、肩、膝、頭、顔、足の裏以外が地面についたほうが負け。先にこの円から出ても負け。掌で張るのは良い。拳は駄目。頭突きも駄目。わかった?ルールは簡単だ。行くぞ。モルティガ!おまえが行司やってくれ。ぎょうじ。審判だな。お前が言うの。はっけよーいと。それで、二人の息が合ったなぁと思った時にのこった!と言う。わかった?あぁ?最初、うんうん、みあってみあってな。」
「みあてみあてー」
モルティガのたどたどしい行司言葉に、顔がほころぶ朱。聞き慣れないモルティガの言葉に、ぴょんぴょん飛び跳ねながらお腹を抱える子供たち。大人たちは、まだ腕相撲に熱中している。ほとんどの子供たちは土俵の周りに集まって来た。朱の姿勢を真似て相対した男児は低く身構える。朱としては一連の勝負の流れを示したかっただけだったので、気を抜いてしまっていた。しかし、モルティガも男の子も、完全に集中していた。モルティガののこった!の叫び声に、男の子は朱に飛びかかる。柔らかく両手で受け止めようとしたが一瞬間に合わず、男児は朱に全力でぶつかった。男児固く大きな岩にぶつかったような感覚を感じた。朱が右足を引いていたので、男児の身体は左側に流れる。のこったと叫んだモルティガは男児と一緒に地面を転がってしまう。男児は島の言葉でヒニャァーンと叫んだ。それを見ていた島の子供たちは耐えきれず、腹を抱えて地面を転げ回る。やがて笑いから回復した子供が、地面に土俵を書くと、他の子供も見習って土俵を書き、あちこちで男児女児入り乱れての取り組みが始まった。モルティガの様子をしっかり見ていた子供が、仕切り初めて、相撲のルールを他の子供に伝える。十五分もすると統一の取れた相撲遊びを、子供たちは全体で共有していた。島の男たちは、腕相撲の順位を決めていた。とは言え筆記用具もないので、適当に総当たり戦を行い、強い順から横並びに並ぶことで記録としていた。勝負が決まるたびに、見物している島の女たちから黄色い歓声が飛ぶ。女の声援を浴びて誇らしげな表情で並ぶ男、恋人や奥さんから軽蔑の視線を浴びて神妙な面持ちで立っている男。悲喜こもごもで男たちが横並びしているのを見て、健太も菊千代もおかしくてたまらないらしい。そして到底上位には食い込めないと諦めた大人たちが、子供たちのやっていることに興味を示しだした。仕切っていた男児が得意げに、男たちにルールを教える。腕相撲は馬頭がダントツの優勝を飾り終了したようで、男たちはゾロゾロと移動してきた。見物していた女達もそれに続く。男たちも相撲のルールを飲み込み、あちこちで取り組みが始まった。馬頭の太い腕にはうっとりとした表情のクラウディアが絡みついている。それを見て嫉妬の炎に身を焦がした島の男たちが何人か馬頭に勝負を申し出る。しかしやはり巨体の馬頭には、誰が向かっていっても善戦にもならない。やがて島の男達 対 馬頭という図式で勝負が行われだした。圧倒的な強さを見せつける馬頭に、欲情した視線を投げるクラウディア。馬頭は巨岩の様に、仕切り線から微動だにしていない。男たちは島の威信をかけて、馬頭に向かって一列に並ぶ有様だ。とうとう島で一番の力自慢が馬頭と相対した。大きな歓声が上がる。既に他のことをしている人間はおらず、馬頭の勝負を子供たちに至るまで、固唾を飲んで見守っている。この大一番にはわしが。とでも思ったのか、朱がニヤリと笑いながら行司役を押しのけて、勝負を仕切り始めた。神の使いの登場に一層エキサイトする島民たち。やがて勝負の火蓋は切られ、力自慢が馬頭に突進する。ゴキンという骨がぶつかる大きな音が立ち、歓声が一層大きくなる。が、しかし馬頭はビクともしていない。敷いて言えば男を受け止めた両腕の筋肉が何時もより盛り上がっていることぐらいだ。やがて馬頭は男の肩に自分のでかい顔を突き出した。たったそれだけで男は動けなくなる。男はなんとかしようと両足に力を込める。男の上体が高く伸び上がった。そのタイミングで馬頭は右手のひらを男の左腰辺りに優しくあてると、一気に力を開放する。男はあっという間に大きく回転して宙を舞い、地を二回転がり停止した。豪快な上手投げであった。あちこちの島民から落胆のため息が流れる。次の番の男が一歩前に進んだところを、朱が押し留め、ニヤリと笑い仕切り板に立つ。耳鳴りがするほどの、今日一番の大歓声が沸き起こった。これを仕切るのは我の役目とばかりに、自慢げな表情のモルティガが二人の横に立つ。馬頭と朱のあんまりにもな体格差を間近で見て、モルティガは緊張のあまり、ゴクリとつばを飲み込んだ。そしてのこったの掛け声とともに淡々と前に進む朱。馬頭もその場で仁王立ちに朱を待ち受ける。朱の小さな両手が馬頭の腰に届いた。朱は大きな空の箱を押したような弛緩した態度で前に進む。途端に馬頭は仰天した表情でグッと腰を落とす。が、朱の進みは止まらない。馬頭の両足は土にめり込む。馬頭は素早く両足を後方に投げ出して超前傾の姿勢に切り替える。しかし止まらない。馬頭の身体のあちこちにボコボコと力こぶが生まれる。馬頭の両足は深く深く地面に二本の筋を彫り描く。真っ赤な額に幾筋もの血管を浮かべて堪えたが、とうとう馬頭は土俵を割った。スローモーション映像の様に淡々と生まれた電車道であった。




