恵み豊かな島の心
少女に手を引かれ健太は海に入った。健太は器用に潜っていく少女のあとに続く。三メートルほど潜った辺りで、少女は方向を変え真っ直ぐ潜り進む。深さ六メートルほどの海底から、少女は何かを拾い上げると、健太の方に向き直り右手に持ったものを、左手で指差しニカっと笑った。南の海は薄いエメラルド色で透明度が高い。日差しもよく通るので、海底でも少女の歯が眩しく見える健太だった。少女の右手には巻き貝があった。表面には茶色や黒や黄色が細かく配置されたモザイク模様がある綺麗な貝殻だ。日本で巻き貝というと、サザエやつぶ貝を思い浮かべるが、それよりも丸みを帯びていて表面は艶光りしている。サザエのようなトゲもない。少女に健太は頷くと、海底を見渡す。少女の持つ貝と同じものがいくつか見えた。健太は潜っていくと、目についた貝を順々に拾っていく。海面に漂う少女横に浮上した健太は六つの貝を持っていた。それを見てパアッと笑顔を咲かせた少女は、健太に抱きついてきた。少女のいきなりの行動に健太は慌てた。海水を飲んでしまい、咳き込んでしまう。少女は健太の頭をポンポンと叩くとまた海中に潜っていった。自分の顔の紅潮を自覚している健太は、海水にむせたから赤くなったと彼女は思ってくれただろうか?と無用な心配を胸に、少女の後を追う。三十分で五十個ほどの貝が、少女の腰に下げた網袋の中に溜まったので陸に上がる。皆のもとに向かいながら、少女は健太に何やら話しかけるが、何を言っているのか健太にはさっぱりわからない。どうやら健太の貝を取る能力を褒めているようだ。大変な喜びようである。戻ると菊千代とフランクが気を利かせて、蒸留釜の竈の脇に、小さな竈を作り火を熾してくれていた。竈に載せた平たい石が焼けていたので、その石の上に貝を並べて焼く。朱と健太がグラグラと煮えた貝のつぼ焼きを手に取り、醤油を垂らす。少女は驚いたが、二人が熱そうにしないので、自分も恐る恐る貝を手に取る。途端に貝を放り出して、
「マコクサァ!」
と、叫びながら砂浜に大の字になってゲラゲラと笑い出した。気が済むまで笑うと、腹筋の力だけで上体を起こし、朱と健太を不思議そうに見る。なぜこの二人は、こんなに熱い貝を持っても平気なんだろう?村で一番潜りが得意なカルディンだって一度に獲って三つなのに、なぜこの男の子は一度にあんなに貝が獲れるんだろう。少女はヒリヒリする右手の指先のことはすっかり忘れて、そう考えていた。「人間ではないのかもしれない。」原始信仰が色濃く残り、自然との境目が曖昧な生活を送っている少女にとっては、その思考に行き着くのにそれほど時間は掛からなかった。そこに、いい頃合いに冷めた、巻き貝の壺焼きを健太が差し出してきた。プンと焦げた醤油の香ばしい香りが少女の思考を奪う。おっかなびっくり貝の縁に唇をつけると、醤油の溶け込んだ貝のエキスを啜る。
「マピピヤァ!ピーヤァ!」
あまりの旨さに少女は腹の底から大笑いをしてしまい、それまで考えていたことはどうでも良くなっていた。少女は初めての体験である、醤油のつぼ焼きした貝を二十個ほど堪能すると、健太にひまわりのような笑顔を残し、跳ねるように茂みに向かって帰っていった。
次の日の朝。大勢の足音が茂みから聞こえてきた。朱と健太は、起き出して甲板まで上がってくると、鬼神丸の船尾に立ち様子を窺っていた。茂みから姿を表したのは、ひまわりの様な笑顔はそのままにブンブンと手を振る、昨日の少女だった。足取りもおぼつかない二、三歳ほどの女児の手を引いている。一番年嵩だろうか、十五、六歳の少年が、少女の横についている。そして四歳から六歳ぐらいの元気な盛りの子どもたちが四人、無駄に少女や少年の周りをぐるぐると駆け回りながら、こちらに向かってくる。朱と健太は鬼神丸から飛び降りて、砂浜で子どもたちを迎えた。年嵩の少年が口を開く。
「私はカルディン。ノラと同じ村の男だ。あなたが貝採りの名人か?私はあなたと勝負がしたい。」
少年はRを捲くり舌で発音する、癖のある英語を話した。健太は、
「へ?勝負?俺?なんの?」
と、頓狂な叫びをあげる。
「男の価値は、食い物をどれだけ穫って来れるかで決まる。サンタ・ルチアの村で潜りは俺が一番だった。俺より凄い男がいたら勝負したくなる。当然のことだ。」
健太はちらっと朱の方を見た。朱は健太にしか聞きとれないぐらいの音量で、勝負してやれと言った。健太も覚悟を決めた表情でカルディンに握手を求めた。ひまわり少女をカルディンはノラと呼んでいた。ノラから網袋を手渡された二人は貝採りの勝負を始めた。勝負は圧倒的だった。カルディンが限界まで潜りやっと五つの貝を持って海面に出たが、健太はまだ海底を這い回り貝を集めていた。健太は腰の網袋に十五個の貝を集めて水面に上がってきた。圧倒的な差にカルディンは清々しさを感じたのか、笑顔で健太に握手を求めてきた。
「お前は海の神の使いか?」
「いいや、そんなんではないよ。俺は日本から来た。若狭の浜と言うところの漁師のせがれだ。子供の頃から潜って貝を獲っていたからな。」
健太も笑顔で握手を返す。ノラは茂みから何かを掴んで駆けてくる。大きなヤシガニだった。海水を沸かしてヤシガニを茹でた。健太はヤシガニの硬い甲羅を、苦もなくバキバキと割りながら肉を獲ってバナナの葉に並べていく。それを見てノラはケラケラと笑い、カルディンは驚きの表情で言う。
「お前の指はヤシガニより強いぞ。本当に普通の人間か?」
「うーん、ちょっとだけ、普通じゃないかもしれないな。」
健太は笑顔で答える。日本でだったら、ありえないことだと健太も思う。少しでも他人と違うところを見せればいじめや差別に繋がった。健太や朱の場合、小さい子供にも恐れられることがあるかもしれない。この南の島は情報が殆ど入ってこないからか、目の前の事象が異常かどうかを判断するだけの情報がないのかもしれない。目の前にあることが真実で、それ以上でもそれ以下でもない。海から吹く風を顔に受けながら、朱も健太もその事に心地よさを感じているのだった。




