乗船検査
「おぉ!そう言えばご挨拶が遅れましたな。大変失礼。私はこのバラクーダ号の艦長、ピーターマクドウェルです。あなた達の船を見せていただきましょうか。」
ピーターと名乗った艦長はおどけた様子で、自分の額を叩きながらそう言った。しかし目線は朱から外さない。朱の挙動をつぶさに観察している。先ほどと同じ用件繰り返したのは、朱が堂々と振る舞っていることで、自分が抱いている疑いに若干陰りが出たからだ。マッカーサーの文書を所持した人間に無礼な振る舞いをすれば、出世に響く。ピーターは保身の為に、とぼけて乗船検査の申し出をやり直したのだ。朱にはもちろん一連のピーターの心理状態は把握できている。かなり厄介な艦長に当たってしまったのう。朱は内心そう考えることで、一層気を引き締めた。
艦長は縄梯子を鬼神丸に降ろさせると、自分から先に乗り込んだ。朱と仲間との無用な接触を避けるためだ。抜け目のない艦長は、伝統的で美しい船だなどと、おためごかしを叫びながら、勝手に船室へと降りていく。艦長は、船室ががらがらでなにもないことに強い違和感を覚えた。朱はインドまで行くと言った。こんな旧式の帆船でインドまで一万キロはある。長旅にしては、所持品が少なすぎる。艦長はマッカーサーの権威と、スパイを捕らえる手柄とを秤にかけて葛藤していた。程なくして、船室に朱達が降りてくる。並んだ四人にピーター艦長は葛藤の決着がつかぬまま、四人の反応を伺うために揺さぶりの質問を始めた。
「あなた方の持ってきた総司令官の文書を私は疑っているわけではありません。この文書にも、奪われることはない。とあります。それは、あなた方の能力をも総司令官は保証している。ということでしょう。しかし、私もバラクーダ号艦長としての職務があります。その私の立場を持って言えば、この船はあまりにもおかしい。あなた達もおかしい。なぜおかしいと私が思うのか説明します。まず菊千代さんが、由緒ある寺院の高僧である。というのは理解しました。酷く年齢がお若いですが、それは血筋ゆえ代わりの人間など考えられない。ということなのかもしれません。しかし、その従者が八歳ぐらいの女児と十二歳ぐらいの男児というのが全く理解できません。不自然です。高僧。というのであれば、大事なお人。ということですよね?私ならもっと屈強な男性にガードさせます。しかもこの船。私は日本船には詳しくありませんが、この船はとても古いタイプの船ではないんですか?そして、この部屋。ざっと見渡しても、少しばかりの食料と少しばかりの着替えぐらいしか見当たりません。少なくともインドまで一万キロ近い距離を航行する船とは思えません。」
艦長は鋭い目線を、くまなく四人の瞳や手などに走らせる。動揺を見つけるためだ。しかし、誰からも強い動揺は見つけられない。
「答えてください。なぜ従者が若い子どもたちなのですか?」
「あなたが言うように、菊千代は長い間伝えられてきた血筋で選ばれています。血筋とは、ただの血統というだけではありません。その家の役割を守っていく為に、資質ある血統のものを選び志を伝えてきたものです。血だけではなく、役割を背負っていく才覚と覚悟を受け継いでいるものです。そして、我々従者も従者の血筋の人間です。私と健太は、記憶力や観察力が抜きん出ていて、体術も巧みです。そういう血筋として伝えられてきた家の人間です。信仰を伝える血筋の人間と、その人間を守る血筋の人間です。もちろん、幼い私達より適任がいればそれらが従者としてお供していました。」
「なぜ、あなた達幼い子供を選びましたか?インドまで一万キロ以上あります、なぜこれほど備品が少ないのですか?」
ここで朱がうつむき気味のまま、ぐっと強い目線を艦長に投げかけて言った。
「選べるものならそうしてました。持てるものがあるならそうしていました。しかし、全て戦争で失いました。男も、鉄製品も、財産もです。今の私達にはこれが精一杯の人員と備品です。第二次大戦が終わって間もないというのに、また戦争が始まりました。私達は命をかけてインドまで行き平和を祈らなくてはなりません。そうやって千年以上やってきました。あなた達軍人にこの事を言うのは皮肉に取られるかもしれませんが。あなた達にはこれが仕事ですし、私達にもこれが仕事なんです。」
十才にも満たなそうな朱に睨まれながらそう言われ、言葉を失う艦長。暫く考え込んだ後、これ以上の追求に利はないと踏んだのか、少し悔しそうに口を開いた。
「わかりました。あなた達一般人にとって、戦争は辛い思いでしかないでしょう。しかし、合衆国の軍人も、日本の軍人も自分の国の一般人を守るために命がけで戦ったのです。戦争がない世界になればそれに越したことはないと、我々軍人も思っているのです。それだけは知っておいてください。そして、韓国沿岸は機雷がある可能性が残されています。後で掃海済みの海図コピーを渡します。基本的に港以外は危険だと思っておいてください。それでは、操船をされている方は、私と一緒に一度バラクーダ号に。ご協力ありがとうございました。」
艦長は船長帽を軽く上げて一礼した。どうやら、これ以上の追求を免れたようだ。嘘や隠し事はあるが、米軍に仇なす予定があるわけでもない。それが良かったのか、誰も疑われるような挙動を示さなかったのだ。艦長が掃海図を片手に、フランクに一通り説明した後、これからまずはどこへ行くのか尋ねた。フランクはとりあえず、食料と水の為に済州島へ寄港したいと申し出てみた。
「もちろんOKですが、朝鮮半島への上陸は安全の保証ができないので避けてください。」
と言って、フランクに握手を求めバラクーダ号へ戻っていった。錨を上げたバラクーダ号が高速で去っていった後、四人は東屋に車座になって集まった。
「なんとかなりましたね。」
いきなり十才は老けたようなげっそりした顔でフランクが言った。長年、密告や裏切り、ナチの追求にさらされてきたフランクには、悪夢を思い出させる状況なのであった。それを察した朱がフランクの肩を叩きながら、
「まぁ、気持ちはわかるがの、あまり深刻に考えるな。我々は誰にも仇なす気はないし、我々を仇と追うものも居ない。なにより我々は普通の民草が、暮らしやすい世界にしたいと願うだけじゃ。堂々と胸を張って進もうぞ。な。元気出せ。今からわしと健太で一潜り美味そうな魚を突いてきてやる。今日は済州島に停泊して、酒でも買って来て刺し身で一杯やれ。な。」
珍しく朱が懸命に優しい声を掛ける。フランクも弱々しく微笑み返す。横で聞いていた健太が、すぐさま着物を脱ぎ捨てると、銛を持って海中に飛び込んだ。ものの五分もせずに、四十センチほどの甘鯛を突いて戻ってきた。菊千代が、半分は塩焼きに、半分は刺し身にと言って、火を熾しに船室へ降りる。
「どうじゃ。この連携をみろ。ぬしはドイツでは辛いことがあったかもしれんがの。今は気心の知れた仲間が居るではないか。しかもわしと健太は人外の強さ持ちだ。新たな人生を得たと思って元気出せ。な。」
船に戻った健太が早速帆を張る。済州島の港へ向けて鬼神丸は進みだした。




