青海原
打ち寄せる波の音が静かに漂い流れていく。浜が朝を迎えようとしていた。東屋の屋根に寝転がり、健太は見慣れた浜の景色を眺めていた。鈍色の水面に少しずつ藍色が混ざってゆく。そして東から青色が流れ込んだと思ったら、さぁっと白が交じる。東の空からとぼけたように朝がやってきた。菊千代とフランクは船室で寝ている。東屋の柱に背中を預けていた朱が、
「なんじゃ。寂しさを覚えているのか?」
と、唐突に声を発した。いや、そんなことあらへんよ。とささやくように健太が答える。波の音がしていても、健太の小声はちゃんと朱に届いている。健太の言葉に無言のままでいる朱に答えるように健太は話し出す。
「こんな話するの初めてなんやけど。わしはこうなったこと、後悔してへんよ。朱が言う死ねないことの寂しさや怒りというのはまだわしが若いからわからんだけかもしれへんけど・・・・わし、相当強いやろ?おそらく地球上の生き物には負けへんと思うんや。それでな、そうなって初めてわかったんやけど、人を見る余裕ができたちゅうのかなぁ。人の気持ちを考える余裕ができたちゅうのんかなぁ。もちろん、超感覚が使えるようになったことで、わしが相手の気持ちを深く判るようになった言うのもあると思うんやけどな。わしがこうなる前にな、教室に暴れ者の金次言うやつがおったんやけどな、嫌なヤツでなぁ。学年で一番強いもんやから、男子は捕まえちゃぁ小突き回すわ、女子には意地悪するわ、誰からも嫌われとったわ。こうなってからはもちろん誰にも会ってへんのやけどな。わしに突っかかってきた時の金次を思い浮かべると、向こうも少し怯えてたと思うんや。まぁ全部想像なんやけどなぁ。強なって気持ちに余裕ができたのと、超感覚が相手の状態を深くまで伝えてくれるのと両方合わさってな、相手の気持もよく分かるようになったんや。あの頃はただ憎らしゅう思うてただけの金次にも優しく出来るというかな。わしも朱が思う通り、人間同士が殺し合う世の中は間違うとると思うんやけどな、そういう世の中を菊千代の言う通り変えていきたいと、言うのんはわしも賛成や。でな。そういう行動を取るのだったら、相手の気持をよく知れる今の身体は役に立つと思うんや。それだけでも、わしがこうなった意味もあるし、わしの親やご先祖様も喜んでくれるような気もするわ。だから、わしは今の所、全く後悔してへんのや。この旅に出るのもとても楽しみやし。いくらわしや両親が泣いて頼んだ言うたかて、わしをこうしてしまったことで、今でも朱は自分を責めてるやろ?それは全くいらん考えやと、わしは心の底から思うわ。」
「健太は優しいよの。」
呟いた朱の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。健太の丁寧な話しぶりが、健太の優しい気遣いが朱の心に染み入ってきて、何百年ぶりかで朱に涙を流させた。どうもこの所、感情が揺らいでるのう。と独り言を呟いて朱は空を見上げた。
「あぁ!よかった。まだいらっしゃったぞぉ!」
朱は先程の姿勢のまま、判っていたように来んでいいとゆうたろうがと声の主に叫ぶと、むくれた顔で立ち上がりその場から飛んだ。朱は測ったかのように声の主の横に降り立つ。声の主は長であった。
「そうは申されましても、わしらが神様のために作った御神船に乗って海上様が旅立たれる。それは、わしら血契三家の誉れですわ!そんな一大事に寝てなんぞいられまへんわ!わは!わはははは!」
浜には続々と血契三家の男衆が集まってきていた。女たちは幼い子を抱え、または子供の手を引いて、皆笑顔で男衆の作業を見守っている。血契三家には〈海神参りに参加出来るのは三つの家の直系の人間のみとすること。〉という厳しい掟があったが、長い間三家のみで婚姻を繰り返すのが習慣になってしまっていて、この掟だけは実質上形骸化されていたのだった。そのせいであろうか。一族全員がこうして集まると、皆どこか朱の面影を持っているように見えた。朱のDNAが少量ではあるが、一族に受け継がれているようだった。その証拠に、一族はみな怪我の治りが早く、病気はほとんどしないという傾向があるのだった。程なくして、男衆の張りのある掛け声に導かれて御神船は海原に浮かんだ。男衆の肌の水滴が朝日に照らされキラキラと輝いている。子供を抱いている女たちは深く礼をし、子どもたちも含めた三家の人間はみな御神船に向かって手を合わせている。船尾に移った朱と健太は右手を掲げて皆に応え、起きてきたフランクと菊千代も皆に手を振り応えた。三家の人間は皆が海神に対しての信仰心をもっていた。そして、五百年近い長きに渡り海神に仕え庇護を受けてきたという誇りを持っていた。昨晩、大人たちが集まって、海神の旅立ちについて話し合いが行われた。年配の人間は朱の旅立ちに不安を唱えるものも居たが、何百年もの間わしらを守ってくれた海上様の旅立ちを笑って見送られんでどうするという長の一言で空気は逆転した。何より平穏を好む傾向にある女たちから、大きな怪我さえしなければ、病気もほとんどせんし皆丈夫だ。それもこれも皆海上様の恩恵だ。日々子どもたちに注意を促して、少しは自立した生き方をと言ったことが決定的になり、年寄り連中も押し黙った。多くの大人たちが晴れ晴れとした表情をしていたのは、朱からの自立を決意した事によるのかもしれない。
三家との別れを終えた四人は銘々が、予め打ち合わせしておいた持ち場に着いた。フランクは船室に降りて火を焚き食事の準備を始めた。菊千代は長から教わった若狭湾の特徴と、外海の潮の流れを考えながら進む航路を決めて帆を操った。朱と健太は、水深が浅いうちにと湾内で貝や蟹を摂り、魚も獲ってフランクに渡す。後は急場の加速や進路変更の必要が出たら、菊千代の要請で、朱と健太が巨大な櫂を操った。出航の日は絶好の航海日和であった。晩秋の空は日本晴れで、外海に出てもうねりは穏やかだった。フランクと菊千代は、若狭湾で取れた小蟹をぶつ切りにし、わかめも入れた豪勢な味噌汁に、握り飯を食べた。食事の片付けを終えたフランクは菊千代に付いて航海術を教わる。出来ることを学んでお互いをカバーするためだ。外海で特に操船の必要が減ったら、朱と健太が見張りに立ち、フランクが菊千代に調理を教える予定になっている。四人が暮らし始めてまだ日は浅いが、かなり上手く行っていると朱は思っている。こんな戦争ばかり起こる世の中を変えたい。と四人が気持ちを同じにしているのが大きな要素になっているのだろう。フランクがあっと気づいて振り向きながら朱に叫ぶ。
「朱さーん。天気の良い日に日持ちする干物を作っておきたいので、何尾か魚獲ってくれませんか?」
「おぅ解った。わしも健太も暇ゆえ、すぐに獲ってこよう。」
目配せした朱は着物を脱ぎ捨てるとそのまま海に飛び込む。目配せを受けた健太も、一足遅れて飛び込んだ。いくら江戸初期の遅い帆船であれ、速力は時速七キロほどは出ている。二人はこともなげにその船と並走しているのだ。両手は少し広げた形で左右のローリングを抑えるバランサーとして使い、推進力はバタ足のみという泳法だ。ペンギンの泳法に近い。朱と健太はスッと海中に潜ったと思ったら、イルカのように海上に飛び上がり手にした魚を船に投げ入れる。東屋の脇に置いた直径一メートルほどのたらいに正確に投げ込まれる。もちろん何尾かはたらいから飛び出し跳ねているが、驚異的な正確さをもっている。熱心に菊千代の説明に聞き入っていたフランクが振り返ると、たらいは鯵やサヨリがかなりの量になっていた。フランクは慌てて声を掛ける。
「朱さん、健太さーん、もう充分です。食べきれないですよー!」
その叫びを水中からも聞き取った二人は少し大きく潜ると浮力とバタ足の推進力を使って、海上に数メートル飛び上がる。そのまま船体強化に渡されている梁を蹴り船内に着地した。フランクは菊千代に礼を言うと、朱と二人で魚をさばき塩を振り、東屋に乗った健太に投げ渡して、健太が並べて干す。四人が手分けして行っているこの営みを皆が楽しんでいるようで、四人の表情には微笑みが浮かんでいた
私にとってこの作品はまだ二作目です。考えてみたら、状況描写や心情描写ばかりで、情景描写をほとんど書いてないことに気づきました。記述の作法とかもよく知らないし、色々アレですが本人は楽しんで書いています。どうぞよろしくお願いします。




