死を想うということ
小一時間で朱は戻ってきた。柴田にたらいを借りて、また出ていった。すぐに戻ってきた朱の抱えたたらいには、大量の肉が入っていた。若い雄の肉だと、朱は言った。十二キロほどあるだろう。解体して枝肉にしたあと、皮や骨内臓の類は既に埋設してきたという。柴田が火をおこしておいた施設の台所で肉の塊は味噌煮にした。煮ている間に柴田が気を利かせて炊いておいた米を握り飯にする。一緒に飯を握りながら柴田が、施設の発覚を恐れ極力外出を避けていたため、長年節制していたと言う。米と味噌を食うのは二年ぶりですと嬉しそうに笑った。飲み水や排水はどうなっているのか?と朱が聞くと、排下水は近くの崖に向けて陶器のチューブを流れていくように工作してあり、飲料水は湧き水を貯めるタンクが施設真上にあり、簡単なろ過器を通して水道からでてくるらしい。この状況を想定して、極力外出を避けた生活が出来るように開設にあたり設備されたようだ。
大量の握り飯と、猪汁を盛った丼が菊千代の休む部屋に運び込まれた。柴田も菊千代も旺盛な食欲を見せた。とは言え、柴田は常人でしかも壮年男性である。握り飯二つと丼いっぱいの猪汁で、すっかり満足し大きな吐息を吐いた。菊千代の食欲は驚異的であった。四合炊いたという握り飯の残り全部と、大量にあった猪汁を半分は平らげた。六キロ近い肉を腹に収めたことになる。村上水軍の末裔であると、矜持を持って育てられたらしく、決して下卑た食べ方を見せなかったが淡々とその量を平らげた。食事中に、一言だけ柴田に対して菊千代は問うた。
「柴田さん、私の身体はどういう状況になっていると考えらますか?」
菊千代の問いに、柴田は暫く唸りながら考え込む。考えている間も、菊千代は淡々と肉塊を取り込んでいく。
「そうですね。現象的に言って、朱さんと決定的に違うところは、飲食ができて排泄があることです。朱さんのような超感覚は知覚できていますか?・・・ふむ。特に感じない。では超人的な身体能力も発現していない?・・・・そうですか。それで、朱さんらと同じ部分として、不老がありますね。すでに百十年の歳月が経っているはずなのに、菊千代さんは老いてもいなければ、姿かたちを特殊細胞は保とうとしています。朱さんのような超人的な能力と、圧倒的な回復力は実現していないものの、不老と常人離れした回復力は発現している。そう考えて良いでしょう。あなたの身体がこれから変わっていく可能性もあります。緩やかに朱さんのように死ねない体になる可能性もゼロではありません。もし、あなたが望んで死を選ぶのでしたら、早いほうが良いかもしれないです。」
この数日の現実が、柴田を変えたのかもしれない。こともなげに残酷なことを菊千代に告げた。朱が口を挟んだ。
「で、ぬしはどうかんがえるんだ?菊千代。」
朱の問いに、暫く間をおいてから菊千代は話しだした。
「私の祖父母は、村上水軍の末裔として強い誇りを持っていました。小さい頃から、死ぬことよりも恥をかくことを恐れよ。と教えられて育ちました。私は祖父母のそういう考え方や物言いに不満を覚えたことはありませんでした。というより、理解が出来ていませんでした。だから、私が正気に返った先ほど、朱さんに決めろと言われて死に時は今だなと思いました。しかし、今この猪汁を食べながら、米や肉を飲み込んだときに身体が喜んでいるのを感じたのです。腹の中でこなれて力が増えていくのを、嬉しいと感じたのです。これが生きているということなのだなぁ。と思いました。そうしたら、なんだか欲が出てきました。私の生きた時代は、その場所で生まれてその場所で死ぬ。のが普通であったと思います。幼馴染と話していて、なんだか相手の考え方がしっくりこないなぁと感じることがよくあったのです。私は幼い頃より船に乗っていたからでしょうか。船に乗りながらいろいろなことを考えていました。海は全ての国と繋がっているといいます。清国や南蛮にも船があれば行ける。そして、それらの国は日の本を何度も変えてきました。火薬で鉄の玉を打ち出す。なんていう発想がなかった日の本に大砲や鉄砲をもたらしたのは外国です。食べるものや、酒や、考え方なども国によって違うのでしょう?私は船乗りとして、いろいろな国からいろいろなものを日本にもたらし、日本のいろいろなものをいろいろな国へもたらしして混ざり合っていくと、お互いのことが判るようになっていって争いごとも減っていくのではないかなぁ?なんてことを考えていました。様々な海を渡り、様々な国と混ざり合う助けになることが私の夢でした。私はさっき猪汁を頂いているときに、その夢のことを思い出したのです。私は柴田さんと朱さんの治療が始まった十日ほどの間に、ラジオの音を聞いていただけで現在の話し言葉を憶えました。しかも、その十日間の記憶は私にはほとんどなく頭に靄がかかっているかのようでしたので、学習意識もないままに聞き流していたのに憶えてしまいました。私の憶えは恐ろしく正確になっているのだと思います。柴田さんが心配されるように、これから私が死ねなくなる可能性もあります。私は現在死にたいとは微塵も思っていませんが、朱さんの事を見ていると不死性を持ってから後悔しても遅いのだ。ということはしみじみと感じます。朱さん、柴田さん、私が自分の力で諸外国を見て歩くという夢はかなり難しい夢でしょうか?私は死ぬことはそれほど恐ろしくは感じてないのですが、もし可能でしたら外を見てみたく思います。」
「柴田。どうじゃ?なにかあるか?」
そう問いかける朱。難しい顔をしていた柴田が口を開く。
「まず一番最初に思い浮かんだ問題がその髪型です。菊千代さんの髪型は江戸時代の若い衆髷です。これは沿っても同じ長さまで生えてきて整髪料に準じた脂も分泌されその形のまま落ち着きます。結うだけでその髪型を継続できます。当時でも髷を結っているのは日本のみの風俗で、現代でその髪型をしている人間は一人もいません。どこの国へ行っても奇異の目を向けられるでしょう。それと、菊千代さんの戸籍です。おそらく、当時海難事故にあったということで死亡として処理されているでしょうし、もし生きていたとばれたら、生物学者やGHQの格好の研究素材として拘束されてしまうと思います。万が一それらを避けても戸籍がない以上旅券は取れず海外へ入国するのも一苦労ですし、見つかれば密入国としてどこの国でも逮捕されるはずです」
「うーむ。健太にしても菊千代にしても、不死性に対しての恐怖感や忌々しさは、やはり理解できぬか。まぁ菊千代自体が覚悟ができとるなら、死ぬことを選ばずとも良いよの。そもそもそうならなぜわしが助けたのかという矛盾も生じるしの。では菊千代、ここでわしと約束せい。まず、一定以上人と関わるな。長年一緒に居たら、ぬしがおかしいのは誰でも判る。背格好も年も変わらぬ人間はおかしい。まぁ、わしらよりぬしの方が普通に飲み食いもするし、異形とばれにくいとは思うがの、それでも回復力などから変に想う人間が出ないとも限らん。とりあえず、わしと一緒にわしらの住処へ移り、ぬしの身体のまま生きる方法や注意を教えよう。それが済んだら好きにしろ。そして、三十年でも五十年でも良いわ。ぬしが気が済むまで見聞を広めてそれでもまだ迷いが出ないのであれば、そのときは儂らと同じ体になっても良い。もっと血を混ぜてやる。まぁこれで結論が出たの。」
朱はそこで柴田に向き直り、深々と頭を下げると、
「柴田よ。大変世話になった。おかげでわしの不始末も決着が着いた。もうこの問題はわしらの領域だ。ぬしは自由に生きれば良い。できれば、わしらのことは公言してほしくないがの。」
「あ、朱さん、とんでもない!私を救ってくださったのは朱さんです。正直、朱さんが来られる前の記憶を辿っても、なにも色がついてないんです。灰色一色の記憶しかありません。陛下のため、国民を守るためという大義をいくら言い聞かせても、やはり心の何処かで止めたいやりたくない逃げ出したいという気持ちがあったんでしょう。その灰色の人生に色をもたらしてくれたのは朱さんです。私はこのまま家に帰ってみて、家族が居て許してくれたらまた一緒に暮らしていきたい。そして、ここであったことは墓まで持っていくつもりです。思い出したくない思いでです。朱さん、あなたは私の恩人です。本当にありがとうございました」
柴田は話の内容の割りには、どこか無感動で淡々と話している。非道な生活を長期間強いられたことで、感情を殺す癖が抜けてないのだろう。それでも何度も頭を下げながら、朱の手をとり握りしめる力には生の力強さを感じさせた。
先日調子良いことかきましたが、さっそくアップ遅延しました(^_^;。当初は、治療が不完全だったせいで、凶暴な不死者が陸軍秘密施設に囚われており、決着をつけるために朱と健太が戦う。という形でした。しかしなんだか、昭和元禄世代(私の造語 昭和後期の甘々世代をこっそりそう呼んでます。)の端くれとしてハッピーエンド的な話に持っていきたい傾向が強く、かき進めているうちに今の流れになってしまい、自分の命を考えるという部分はかなり考えさせられました。私は何度か死にそうになっていて(二回刺された、脳腫瘍の誤診を受けた、バイクの事故無数)まっとうなお人よりそう言うことを考える機会には恵まれていたのが幸いです。




