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朱血姫  作者: ガチ無知
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死を持つ人の逞しさ

夜が明ける前に秘密施設に朱は到着することが出来た。岩肌に取り付けられた鉄扉を引くとバチバチと音がした。鍵の閉まらなくなった鉄扉を男が針金で縛っていたのだ。バチバチという音は、朱が鉄扉を引いたときに引きちぎれた針金の音であった。もう、ほとんど資材も残っていないのであろう。針金が彼の精一杯の処置だったのだ。朱は明かりが漏れる奥の部屋まで歩くと扉を開けた。鍵は閉まっておらず、ベッドには革ベルトで拘束された菊千代が、傍らに木の椅子に掛けた男がいた。菊千代には点滴針も刺さっておらず、男はただ椅子に座っているだけであった。男はゆっくりと顔を上げて朱を見る。たった一日で目は酷く落ち窪んで、肌の色は藁半紙のように生気が抜け落ち、顔には深いシワが刻まれていた。昨晩の朱の訪問で張り詰めていた精神が寸断されてしまったのだ。既に男には、なんの行動も起こす気力は残っていなかった。


「ほれ、一筆書いてもらってきたぞ。泰然とした振る舞いには、さすが一国の元首だと思わされたわい。」

「ほ、本当に陛下に会われたのですか?そして一筆書いていただいたと?信じがたい。警備のものは何をしていたのか。」

「わしが常人に気づかれず忍び込めぬ場所はないわ。何しろこれを読んでみろ。そして菊千代を開放しろ。」


朱に差し出された一枚の紙を押し頂くと、三度礼をして男は読んだ。崇拝していた陛下の言葉に、男は生気を取り戻していた。顔を上げて朱を見るその瞳には、ギラギラとした輝きが戻っていた。


「私はまだ開放することは出来ない!あなたを見て、私は自分の研究が稚拙で不完全なものであることを痛感しました。陛下からこの様なありがたいお言葉をいただき、志半ばで命を落とした仲間や、研究で無駄になってしまった尊い命には申し訳ないですが、私の行動が陛下のお邪魔になってしまうとなれば、これ以上研究を続けることは諦めます。しかし!陛下をお守りすることだけは日本国民の使命であります!現在進駐軍が日本全土にはびこり支配を始めた。それについては断腸の思いではありますが、陛下のお考えに従い生きていきましょう。しかし!現在戦犯として沢山の軍人や軍協力者が囚えられているはずです。陛下も裁判に掛けられる可能性があるでしょう。そうなったら、死刑という判決が出てもおかしくありません。米駐留軍の最高責任者から、陛下の安全保障の約束を取り付けてきてもらえないでしょうか?」


これには流石に朱も頭にきたらしく、男のおでこを軽く小突いた。男は椅子から転げ落ちると背後の引き出しに後頭部をしたたかにぶつけた。


「ははは!あきれたわ。ぬしは厚かましいにも程が有るぞ。しかしその抜け目なさ、小気味よいわ。まぁぬしがの、わしがその最高責任者から言質をとってきたことで陛下の命が救われたとなれば、ぬしの人生も少しは意味がある人生だったと思えるのじゃろ?そう思えてつまらぬ自死や自戒の念にとらわれず、健やかに余生を過ごす。そう約束できるのであれば、よかろうその最高責任者を探して会って言質を取ってきてやる。」


なぜ限りある命を粗末にするのか。朱には理解できないことであったが、有限の命であるゆえに意味のある人生を命をかけてでも実現しようとするのかもしれぬなぁ。と男を見て考えた。命に限りがある分、此奴等人間はしたたかよの。朱は少し人間に新しい感覚の好意を感じ始めた。


「あ!ありがとうございます!あなたは警備に気づかれず、人に会うことが出来るのですか?」

「まぁそれくらいのことはわけないよの。」

「わかりました。私はラジオが唯一の情報源です。これで降伏や終戦などを知りました。最高司令官はマッカーサーというらしいです。アメリカ大使公邸を住まいにしているとラジオで言っていました。駐留軍の最高司令官ですから、警備は厳重だと思います。もし、あなたがマッカーサーに会えたら、このメモを渡してください。」


男はそう言うと、引き出しの上で紙片にちびた鉛筆を走らせた。


「このメモは

私は全てのことを行うことが出来る。

あなたが聡明であることを願う。

私は話だけをしにきました。

と、英語で書かれています。私の英語力は貧弱ですが、おそらく通じるはずです。そしてマッカーサーに陛下の命を奪わないことを約束させてください。どうかよろしくお願いします。」


床に額をこすりつけて懇願する男。朱は実際会った昭和天皇の言動を見て、彼が悪政を行っていたとは思えなかった。しかし、秘密保持のために平気で仲間を殺し自死を選び、目的のためなら沢山の人間を実験の犠牲にする。そんな国民が大勢日本には居て戦争を行っていたのだと考えると、背筋が寒くなった。また、この男を哀れにも思えた。男には何も声をかけず、朱は部屋を後にした。



既に周りは明るくなっていたので、山を抜けてから朱は普通に歩くことにした。少し考えたかったのだ。今まではただ疑問に思い憤っていた、人々が殺し合いをするという事実。この数年で何人かの人間に会い話を聞いた。フランクは最愛の妹を守りたい一心で悪魔に魂を売り沢山の同胞や捕虜を実験に使い命を奪った。研究施設の男は、昭和天皇に狂信的な崇拝を寄せて日本のためを大義に、沢山の捕虜の命を奪った、そして何年も粗末な食料で命をつなぎ孤独にも耐え、ほとんど休まず菊千代に実験を続けてきた。彼の所属長は、施設の秘密保持のため関係者を殺し、自死を選んで占領軍の追求調査から秘密施設を守り抜いた。この様な狂った行動を人に取らせてしまう戦争というのはなんとも恐ろしく切ないものだ。朱はそう思った。そして、その様な戦争の本質を知りながら、昨日泰然とわしに相対したあの元首が開戦の道を選んだということが信じがたく、かつ選んだということは、様々な人々の欲や苦悩が絡み合って一人の言葉では堰き止められないような力に巻き込まれたのかもよなぁ。と結論した。横浜に入ると、町らしくなってきた。日もくれかけてきて、薄闇に並んだ家々からは電球の光が漏れている。すっかり日本は(少なくとも人々の気力だけは)復興していて人々は笑顔を取り戻していた。バラックのような小屋で肩寄せあって子供と父母が慎ましい食事を囲んでいた。自分の都合のために人の命を実験に使ってしまう。そんな残虐性を持ち合わせた人間が、こんなにも暖かい笑顔を家族には向けられる。朱は複雑な思いで道を歩いた。宵の口に川崎に入った。朱は溝の口の闇市で飲んだくれの男に声を掛けた。


「少し聞きたいのだがの。」


見かけに似合わない生意気な言葉を掛けてきた幼女に、足元のおぼつかない男は


「なんやー?おいちゃん今日は仕事がうまく行ったさかいな。機嫌がええのや。何でも答えたるで。なんや?」

「ぬしはマッカーサーという男がどこにいるかわかるかの?」


見かけ六歳ほどの幼女が一番聞きそうもない質問をしたことに男はぎょっとした。が、次の瞬間花が開くように笑みが満面に広がった。


「知っとるも知っとらんもないがなぁ~。おいちゃんな、関西から商談に来てん。でな。冬コート用布地二千着分受注やぁ!」


男は周りを見渡し、朱の耳元に口を近づけると声を潜めて続けた。


「進駐軍さまさまやがなぁ~。そこの大将さんやからの。会ったことはないけどの。港区赤坂の米国公使館やぁ。近くで聞いたらすぐに判ると思うで。」

「ありがとうの。」


ニヤニヤ笑いの止まらぬ男を後に朱は歩き出す。歩きながら映像記憶を開いてみると、東京の中心に港区という表記が見つかった。そこに向かえばいいだろう。お互いが憎しみ合い何百万という人間が死んでいった戦争から、たった五年。フランクの話では、大空襲があって東京は一面焼け野原になったという。それがすでに仇である米軍相手に商売して大喜びをする人間もいる。人間というのはたくましいのう。とほとほと感心してしまった。深夜にはまだ時間がある。朱は笑みの混じった呆れ顔を浮かべてのんびりと港区方面へ歩き出した。

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