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朱血姫  作者: ガチ無知
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昭和天皇

施設を後にして朱は東京を目指した。朱には日本の元首である天皇がどこにいるのか、よく判らなかった。ひょっとすると戦後処理により、アメリカに処刑されてしまっているかもしれない。フランクが地図をあちこち指さしながら説明する中で、元首である天皇が住んでいるのはこの皇居だと言った場所へ向かってみることにした。夜の街を移動するに当たり、持っていたワンピースを着てみた。上流家庭の娘には警察官も声をかけづらい事を狙ったのだ。そして曲がりなりにも、一国の元首の寝込みを襲うのだ。念の為万全の体力で臨もうと、中野の路地でインクの匂いが染み付いた汚い男の人血を啜り、ついでに天皇の所在を聞いてみる。男もはっきりとは知らなかったが、多分皇居にというので朱は皇居に向かって跳んだ。市街地に入っても屋根伝いに走ればほとんど闇に紛れて行動できた。日本にはまだ、街中を照らすほどの余力はなかったのだ。





立っている周りが薄っすらと、かろうじて見渡せるほどの照明。暑くもなく寒くもない快適な室温と湿度。全く雑音が聞こえない静謐な空間。第三者が全力を尽くして作られた最高の環境。ベッドに寝そべったまま、部屋の主は声を上げた。


「あなたは、誰ですか?」


部屋の主は使い慣れていない、一般的な日本人が使う口調を使っている。まずは隣に寝ている人の安全を図りたい。そう思い、日本語として伝わりやすい言葉で、努めて平静な声を上げたのだ。ゆっくりと上体を起こす。照明の加減で薄いオレンジ色に見えるパジャマが、絹独特のさらりとした衣擦れの音を立てた。隣で休んでいた皇后も目を覚まして、


「一体何事ですか?」


と、ゆっくりとした言葉を紡いだ。部屋主が声をかけた先には、漆黒のおかっぱ頭に、陶器のように滑らかな肌、見かけよりも遥かに老成した意志を称える強い瞳、そして姿は五、六歳の幼女にしか見えない。朱が立っていた。問いかけには答えず、ふむ。と一人うなずく。


「ぬしが、天皇と呼ばれるものか?」

「はい。そのとおりです。」


得体の知れない幼女に、厳重な警備をかいくぐり寝室に忍ばれて驚かぬ王は居まい。しかし目の前の男からは、逸る動悸の音も、にじむ冷や汗の匂いも感じない。すっと真っ直ぐにベッドで、上体だけ起こしてこちらを見ている。朱は趺喬との日々をかすかに思い出しながら、さすが一国の元首ともなると泰然としたものよのう。と、感心した。と、同時に正直に事情を話すべきだと直感した。


「わしはただの炭焼きを生業にしている家の娘じゃ。と言うても、この体になったのは平氏が滅びる少し前だ。だから、このままの姿で七百年以上生きておる。主らの言葉で言うたら、物の怪になるのかもしれんの。ぬしらはアメリカ相手に戦争をふっかけ負けたのよの?でだ。ぬしは知っておるのか知っとらんのかは知らんがの。ぬしらの作った軍隊が、ドイツの研究を引き継いで強化兵を作ろうとしておった。強化兵とは、怪力であったり、不死であったり、超感覚を持っていたりという荒唐無稽な発想での兵士だ。極秘での。で、敗戦直前に組織の長が関係者を残らず殺して、証拠書類もすべて燃やし、自決した。それにより、未だにその研究施設はアメリカ軍にも知られずに存続しておった。関係者の中でただ一人、組織の長の遺志を継いで研究を続けておる男がいる。その男に唯一残された研究素材が、菊千代という少年だ。瀕死だった菊千代を、わしがついついわしの血を混ぜて助けてやった。ところがわしの知識が足りなかったせいもあって、菊千代は完全な不死を得ていなかったのだ。ただただ囚われたまま、その組織に好き勝手に弄くり回されて生きている菊千代が不憫での。わしは菊千代と話をして、菊千代が望むなら殺してやるか、わしと同じ身体にしてやるかと思って、その施設を訪ねたのだ。ところが、その男はの、沢山の犠牲を払って行っていた研究なのに、残された関係者は自分一人という状態で決着の落とし所が見つけられずにいるのだ。自分と菊千代の存在が大日本帝国を再び蘇らせる最後の切り札であると思っておる。正直な話、わしが、わしの血を分けた人間を作って行動すれば、大抵の国は落とせると思う。しかし、その男と菊千代だけで何が出来るか。何も出来やせん。傍目から見たら滑稽なだけの悲劇でしかないわ。での。物は相談なのだが、ぬしはどうだ?日本を再び興そうと思うか?何百万の犠牲が出たのじゃろ?愚かだったとは思わんか?その男の研究で強化兵の遊撃部隊を作りたいか?それとも、一人でも犠牲を減らすためにその研究自体を止めにする。という考えはできんか?」

「過去を振り返れば、あそこで私がああしたら、ああ言えたら。なぞと思う時点は数々ありました。失ってしまった国民の命は既に取り戻せないものであります。私に今できるのは、未来に向けて新たな過ちを増やさない選択だと思っています。あなたの来訪はとても驚く出来事ではありましたが、私にとって幸せな選択の機会がもたらされたと思います。」


一国の元首は幼女の長い話を聞いた上で、そう答えた。朱はかすかに微笑むと、では一筆書いてもらおう。と、男に要求した。男はベッドから降りて立ち上がった。隣の女に「大事はないです。あなたはここに居なさい。」と声を掛けると、執務用の小部屋に移動する。警備の責任者が寝室から出てきた男に驚いて駆け寄る。そして薄暗闇から浮かび上がった横にいた幼女にもっと驚いて腰を抜かした。


「この方は平安の時代より生きながらえている、神にも等しい存在であります。今私の寝室に見えられて、とても喜ばしい神託をいただきました。そんな存在のお方であります故、あなた方の警備に落ち度があったと考えてはいけませんよ。くれぐれもそこはよろしくお願いします。」


警備の者たちへの配慮の言葉を掛けながら執務室へ入ると、墨を磨り始めた。十分はゆうに時間を掛け丁寧に磨った墨で、あなたの働きと気持ちをとても嬉しく思う。しかしながら、国民全体の幸せを考えて、アメリカに従い生きていく道を私は選びました。今は反抗すべきではないと私は考えます。必ず日本国民を幸せに導くよう私は努力します。あなたは自分の役目から自分を解いて、新たな生き方を探すことを望みます。と記し署名捺印を施した。研究施設のあの男にとって、天皇は神にも等しい存在。その天皇からの直筆署名入りの手紙を渡したら、どんな顔をするのだろう。そう思うと顔がほころぶのを止められない。昭和天皇よりの一筆を受け取った朱は笑顔を浮かべたまま、鍋割山に向けて跳びつづけた。

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