第五章 ティム=ドルティーネ
その日は狩りの練習をするために鉱山の近くまで出かけていた。
人に害のない動物は、会話が出来るくらい意思疎通ができるけど、縄張りを争う動物や危害を与える動物は、弓矢で威嚇している。襲われることもあるけど、なんとか追い返すことでここにいる動物たちの縄張りを守れていると思っている。
練習をしていると、昼頃に姉さんが迎えに来てくれたから手を繋いで帰った。
家に帰ると姉さんが作った干し葡萄のパンがあって思わず頬張る。あたしが作っても同じ味にならないし、今度、教えてもらおうかな。
姉さんは父さんに頼まれて鉱山に出かけた。鉱山に残っているものを取りに行くならあたし一人でも行けるのに。
姉さんの作る料理はどれも美味しくて、あたしがパンを食べていると、階段を上ってきた父さんが私に声をかけた。
何か雲行きが怪しいからレイナを迎えに行ってこい、って。
窓を見ると、さっきまで晴れていたのに空は雲が広がり始めていた。
あたしは、急いで鉱山に向かった。
その時、森の様子がおかしかったから、いつもの道とは違う道を歩いて鉱山を目指していた。
動物達も何かに察して大人しく森の奥に逃げていったけど、今は姉さんを迎えに行くほうが先だ。
鉱山に着いた時には姉さんはいなかった。もしかしたら、すれ違ったのかもしれない。
あたしは、駆け足で林を抜けた。
その時……。
アタシノ視界ガ紅ク染マッタ。
村は炎に包まれ、村を囲んでいる木々は燃え上がり、次々に音を立てて倒れている。建物は地震と炎で形を失って瓦礫の塊になっていた。
鉱山に行っている間に、何が起きたか理解出来なかった。
熱い…!
突然の出来事に驚いて立ち尽くしていたけど、早く家に帰らないと。父さんが心配だし、姉さんが先に帰っているかもしれない。
あたしが家と家の間を走っていると、突然、家が崩れてあたしの身体にのしかかった。あたしは逃げきれずに、瓦礫の下敷きになってしまった。
「痛………!!」
ブーツを穿いていたからそれほど足に痛みは無かったけど、動きやすい服だから全身を打ったのかもしれない。あちこち痛むし怪我したのかもしれない。必死になって動いてみたけど、背中に重くのしかかる瓦礫はびくともしなかった。
「どうしよう…」
水属性の魔法は少しは出来るけど、この炎を消すくらいの魔法は使えないし、この状態じゃ魔法も唱える事が出来なかった。
こんな時に、姉さんにもっと魔法を教えてもらうんだったと後悔する。
「父さん…姉さん……」
あたしは自分自身が情けなくて、泣きそうになった。
あたしが下を向いていると、近くで足音が聞こえた。
誰かが近くに居る!
足音は段々、あたしに近づいている。
あたしが大声を出そうとした時、足音は止まった。
何か呟いている。
建物が崩れる音が響いてるのに、それは何故だかはっきりと聞こえた。
「炎焔は嘆き…導かれし風は神々の怒りに消える……デスフレア!」
何かの詠唱が聞こえた時には、あたしの真下に魔法陣が現れて、地面から幾つもの火柱が渦を巻いた。
あたしはその火柱に巻き込まれて、叫び声を上げる間も無く、あたしの上に積まれた瓦礫は粉々に砕かれていた。
全身が熱くて、痛みで起き上がる事が出来なかった。
足音は再び近づいて、あたしの目の前で止まった。
その姿を見て、あたしは言葉を失った。
黒い煙と爆発の光の中で見たのは、姉さんだった。
「…ねえ、さん?」
信じられなかった。
あたし達が普段から着ているお揃いワンピースを着て笑っていた。
「姉さ…ん?どうし…て…」
あたしの声が震えている。
姉さんは何もしないで、あたしを見下している。
何がどうなっているか解らない。
「答えて…!!」
あたしは泣き叫んだ。いつも一緒にいる姉さんが別人に見えて怖くなった。
けど、姉さんは踵を返してあたしの視界から消えていってしまう。
考える間もなく、地面が揺れて、別の崩れかけた建物が焼け落ちて動けないあたしの上に落下してきた。
「がっ……!!」
押し潰されたあたしは、ただ、涙を浮かべながら地面を見ることしか出来なかった。
このまま死んじゃうのかな。
「嫌だ…父さん、姉さん…」
姉さんはどうして、あたしに魔法を使ったのだろう。
「この村が嫌いになって…燃やしたの?…嫌、信じたくな…い」
色々な事が急に襲いかかってあたしは混乱していた。
目を開けているのが辛くなった。
あたしが静かに目を閉じた時、知らない声が聞こえた。
「フリーズウェイブッ!!」
その声が聞こえた時には、あたしの周りの空気が一気に冷えて、どこから現れた氷の波は炎を包んでいっせいに消えていってしまう。
再び、あたしの前に二つの足音が近づいた。一つは、あたしの上に伸しかかっていた瓦礫を軽々と蹴りあげてしまう。
誰だろう?
あたしは身体中の痛みに耐えて、目を開けた。
そこには村で見たことのない誰かが、あたしを見ながら何か話している。
「この娘ですか?レイナ=ドルティーネは?」
「いや、その娘は双子の妹であるティム=ドルティーネであろう…。まずは成功らしい…」
炎と影で全部は見えなかったけど、一人は黒い翼を生やした少年、もう一人は宝石のように輝く銀の髪の男の人だった。
あまりにもその銀の髪が綺麗で、あたしは魅入ってしまった。
「貴方た、ち…誰…?」
あたしは更に顔を上げて二人を見つめようとしたけど、火傷と傷の痛みで意識が薄れていた。
二人の声が遠くなる…。
「気絶したか」
「都合が良い。…マリス、戻るぞ」
意識が薄れていく中で、あたしの身体が宙に浮いたような気がする。
身体に力が入らずに、あたしは意識を失った。
それから、どのくらい経ったのか。
意識を戻したあたしは、ゆっくりと瞳を開いた。
天井を見ても、自分の家では無い。くすんだ白い壁と天井が見えた。
あたしは思い出した。
確か、村が焼けて姉さんが別人のように変わっていたんだ。
「あ…」
あたしは自分の身体を見た。怪我をしていた箇所が包帯で巻かれている。
ベッドの中で自分の身体を確認してから、上半身を起こした。
「やっと起きたわね」
「え…?」
あたしが記憶を辿りながら考えていると、すぐ隣で声が聞こえた。
ベッドの横には椅子があって、その椅子には知らない女性が足を組んで座っていた。
赤に近い茶色のゆるい髪、赤い目は何故か艶っぽく見えた。何と言うか、大人の女性っていう感じがする。
「ここは、私達が住む闇王の城よ」
あたしは上半身を女性に向けたが、身体の痛みに変な声を上げてしまった。
「痛たたた…や、闇王の城…?」
「そう、魔族や竜族の頂点に立つ、闇王ロティル様の城よ」
魔族?竜族?
家にある歴史書や魔導書で名前は知っていたけど、本当に存在していたんだ。
女性はあたしの反応を気にせず、後ろを振り返って誰かに声をかけた。
「セルナ!ラグマ様を呼んできて」
女性の視線の先には部屋の入口があって、扉の横には女性とそっくりな髪が短い少年が壁にもたれかかっていた。
「はいはい」
セルナと呼ばれた少年は、扉を開けて左右を見回すと誰かに話しかけているみたいだった。
セルナと一人の男性が部屋に入って来た。
あの人は…。
長い白銀の髪に黄金色の瞳を持つ男性は、村で見た人とそっくりだった。
「目覚めたか?」
男性は鋭い目つきで、あたしを見た。
睨まれてるような感覚だったけど、不思議と怖くなかった。
あたしが色々と考えてる間に、会話は進んでいる。
「はい、ラグマ様。…貴方、名前は?」
女性は椅子から立ち上がって、男性に答えている。
すると、女性はあたしの顔を見て小声で問いかけた。
「あ、ティム…ティム=ドルティーネです…」
あたしはある疑問が浮かんだ。傷は誰が手当をしたのか。
知らない男の人に手当てをされたのなら、ちょっと恥ずかしい。
「あの、あたしの手当ては…?」
「それは、私がしたから大丈夫よ」
「アルナ、娘の容態は?」
「はい。傷が深く、もう数日、安静にした方が良いかと思います」
この人は、アルナっていうんだ。
「こちらは冥刻使ラグマ様。ロティル様の右腕とも言われるお方よ」
冥刻使ラグマ。
その言葉を聞いて、あたしは彼に軽く頭を下げた。
炎の中、あたしを助けてくれた人なんだろうか?
俯いたままのあたしに向かって、ラグマさんは言葉を続けた。
「娘、お前を連れてきたが、無理に出て行けとは言わない。好きにしろ」
まだはっきり動かない身体を無理に動かして、あたしはベッドから起き上がった。
何がどうなっているかは解らなかったけど、あたしを助けてくれて手当てまでしてくれたのは事実だ。
あたしはおぼつかない足取りでラグマさんの前まで歩いて、もう一度頭を下げた。
「…助けてくれて、ありがとうございます…」
普段から、知らない人や目上の人には敬語を使うようには教わってるけど、村で暮らしていると皆が家族ぐるみで接しているから、敬語を使う事がほとんど無かった。
あたしが話している言葉は、間違っているのかもしれない。
頭を下げたまま、あたしは視線だけでラグマさんを見ていた。
ラグマさんはあたしと同じ目線まで座り込んで、あたしを支えるように両腕を掴んだ。
肌が触れているのに、ラグマさんの両手は氷のように冷たかった。
「…ティムと言ったな。何故、敵か味方か分からない者に頭を下げる?」
村以外で男の人と会う事が無かったから、腕を掴まれただけで頬が赤くなっていた。
「分かりません。でも、傷の手当てをしてくれたのは事実です…」
頬が赤いのを隠しながら、あたしはラグマさんを見た。
「まあ良い…また明日にでも様子を見に来る」
ラグマさんはあたしの腕を放して立ち上がり、部屋から出ていってしまう。
扉が閉まると緊張も解けたのか、あたしは力が抜けて膝をついて倒れてしまった。
それを横で見ていたアルナさんが、あたしの肩を抱いたままベッドに戻してくれた。
「全く無茶をして…とにかく、安静にしていなさい」
「はい…」
あたしをベッドに戻したアルナさんは、ずっと部屋の壁にもたれかかっていたセルナさんと一緒に部屋を出ていった。
一人きりになると、急に静かになった。あたしは言われた通り寝ようと、頭からシーツを被ってベッドにもぐり込んだ。
「村の人達はどうなったんだろう…?父さん…姉さん……皆、死んじゃったのかな……」
結局、父さんを見つけることができなかった。
突然襲われた孤独に悲しくなって、あたしは大粒の涙を流しながら声を抑えて泣いた。
泣くのが疲れた頃には、あたしは深い眠りについていた。
それから二日が過ぎた。
あたしの怪我の手当てをしてくれるアルナさんから、この城について色々話をしてくれた。
目上の人には様をつけて呼ぶ。
あたしは、アルナ様と呼んだけど、アルナさんは私に様は要らないと言われてしまった。
怪我の傷は少しずつ回復して、部屋で歩く練習をしていると、ラグマさんが部屋を訪れた。
あ、ラグマ、様…だっけ。
ラグマ様は、ロティル様に会わせると告げて部屋を出た。
あたしは、ラグマ様に連れていかれて長い廊下を歩いていた。
廊下の窓から外を見ると、外はほとんどが森で覆われていた。
あたしがきょろきょろ見回してると、いつの間にかラグマ様は、大きな扉の前に立って扉についていた赤い宝石に話しかけていた。
「ラグマです」
声に反応して、扉が開いた。これも魔法みたいなものなのかもしれない。
あたしが反応していると、ラグマ様は部屋の中に入っていってしまった。その後を追うように、あたしも中に入っていく。
部屋は広くて直線状に敷かれた赤い絨毯が凄く綺麗だった。その先の大きな玉座には誰かが足を組んで座っていた。
漆黒の長い髪、どっちか解らなかったけど男の人みたい。
ラグマ様が男性の前に跪く。
ラグマ様が跪くという事はそれほど偉い人なんだ。
あたしは、まだ完治していなかったが、同じように膝をついた。
「その娘か?」
「はい、ティム=ドルティーネです。人間のようですが、彼女次第で私の元で仕えさせようかと考えております」
私を仕えさせる?
よく分からないけど、まだこの城にいても良いみたい。
あたしは気づかれないように、横目でラグマ様を見た。ラグマ様はロティル様を見ているけど、ロティル様はあたしを見ていた。
理由は分かっている。
この城にいる時から、ここの衣服を借りているけど、問題は服、簡素な前開きのワンピースの丈が短くて、しゃがんだら下着が見えそうだった。
「…随分と可愛がられているな」
あたしが俯いてると、ロティル様がじろじろ見ながら苦笑した。
「えっ?」
「ティムと言ったな?今宵、またこの部屋に来てもらおうか」
「??」
長い前髪で瞳はよく見えないけど、ロティル様は笑っている。
その笑顔に、悪寒と不安を感じた。
あたしは怖くなって、ラグマ様を見た。ラグマ様は苦い顔のまま、俯いている。
「聞こえないのか?ラグマ!?」
「ロティル様…この者は、今もまだ体調が優れておりません。…そのような状態で行かせる訳にはいきません。また後日、行かせましょう」
「私は今宵と言っているんだ」
その時は、ラグマ様が言葉を選んでいるように聞こえた。
けど、話が見えてこない。
話に割り込んではいけないけど、あたしは質問した。
「あの、一体何をするんですか…?」
「まだ説明してないのか?この城にいる者は階級をつけている…まあ、簡単なテストだ」
「階級?テスト?」
「階級は、この城にいる者が身につけるものによって決まっている」
あたしが疑問を投げかけると、ラグマ様は自分の右手を見せた。
ラグマ様の右手首には、黒い腕輪がついていた。
ロティル様が言葉を繋げて、説明を続ける。
「ランクは上から十五階級、身につける箇所は首、右手首、左手首、右手親指…と下がる。後はラグマに聞くが良い」
一度聞いただけでは、全部解らないけど、階級によって上下関係があるみたい。
よく見ると、ロティル様の首には黒い飾りがついている。ということは、ロティル様が一番なのかな。
「ティム、今宵またここに来い…良いな?」
ロティル様はあたしを見ているが、何故かまた不安になった。
「ラグマ、私の言いたい事は理解してるな?」
ロティル様は、ラグマ様の方を向いて問いかけてる。
違う、圧力をかけて命令してるんだ。
「行くぞ」
ラグマ様は立ち上がると、あたしに何も言わずにあたしを抱きかかえた。
あたしは驚いて、変な声を出してしまった。
前は氷のように感じた冷たい手が、今は何も感じない。
「ラ、ラ…ラグマ、様?」
あたしを抱きかかえたラグマ様は、そのまま踵を返してしまう。
「大変申し訳ありません…失礼します」
それだけ言うと、あたしの目の前が歪んだように見えた。
これが瞬間移動の魔法なんだと後で気づいた。
ラグマ様に連れられて城内を歩いていた。
階級を決めるテストがなんなのか、さっぱり解らない。
傷はほとんど良くなっていたけど、まだ体調は良くなかった。あたしは俯いたまま、ずっと考えていた。
「お前は身体を治す事だけを考えていろ」
ラグマ様の言葉を聞いて、あたしは顔を上げたけど、ラグマ様はあたしの顔は見ていなかった。
「はい……」
三日後。
日も沈みかけた時に、ラグマ様が部屋にやってきた。
城に住む以上、テストは受けてもらう。
そう告げられたから、あたしはよく分からないまま一人でロティル様が居る場所に向かう事になった。
城内は誰もいないように静かで、廊下に飾られている明かりが不気味に思えた。
ロティル様がいる場所の前まで来ると、扉の前には狼のような耳と尻尾が生えた人が立っていた。
それは人と呼べるのか…?
目をこらしてよく見ると、それはアルナさんだった。
「アルナさん!?どうしたの、それ!」
アルナさんは、あたしを見つけると同情するように苦笑した。
「私は人獣っていう種族で、夜になるとこういう風になるのよ」
「へぇ…」
狼人間って伝承話だけだと思った。
「いい?テストは簡単じゃないわ、ちゃんとやりなさい」
「ちょっと待って!テストっていっても、何をするか分からないし…それに装飾品をもらえるだけじゃないの?」
話を聞いてると、とてつもなく大事のように聞こえた。
アルナさんは右手を上げて、あたしの目線まで見せてくれた。右手の中指には黒い指輪がはめられている。
「私の称号は狼螺よ」
称号?ろうら?
「称号は、それぞれが持っている技や能力を表した呼び名よ。私は人獣の力を買われてこの名を戴いたの」
アルナさんはあたしが分かりやすいように説明してくれた。
「じゃあ…ラグマ様の冥刻使っていうのは、時間を操るっていうこと?」
「よく分かったわね。称号は、戴いた時から城にいる全ての者に伝わるわ。名乗るも名乗らないも自由よ」
アルナさんは少し驚いていたけど、そのまま扉を開けた。そして、前にラグマ様が使った瞬間移動の魔法で消えてしまう。
「ち、ちょっと、アルナさん!」
アルナさんがいなくなって、また静かになる。
あたしは大きく深呼吸をしてから、中に入った。中に入ると扉は勝手に閉まり、部屋全体がいっせいに明るくなる。
部屋全体には黒い膜みたいなのが覆っている。
「これからテストを行う」
この前と同じで、ロティル様は足を組んで玉座に座っている。
そして、ロティル様の前には三匹の獣が人間のように立っていた。
アルナさんの姿を見ても怖くないのに、目の前に居る獣はすごく大きくて怖いと感じる。
「まずは、この兵の動きを封じる事。剣や魔法…どんな物を使っても構わない。とにかく、動きを止める事だ」
テストというのは、どうやらこの獣の動きを止めることみたい。
けど、私は武器になる物は持っていないし、魔法も簡単なものしか覚えていなかった。
その魔法だけじゃ戦う事はできない。
「ロティル様、あたしは武器を持っていません」
「それもそうだな。…なら、これを使え」
ロティル様が指を鳴らすと、あたしの頭上から光り輝く宝玉が現れた。落としたら壊れそうなくらい綺麗で、あたしは手の平でそっと受け止めた。
「その宝玉は、自分の思った物を具現するものだ。形は自由自在に変わる」
言われた通りにあたしは宝玉を手で包んで、目を閉じた。
村で毎日ように触っていた弓と矢を思い浮かべた。すると、手の中にある宝玉は徐々に姿を変えて、あたしが思い浮かべた弓と矢になっていた。
凄い。魔法みたい!
「ほう…それを具現化させるとは、多少なりの魔力はあるようだな。…では、始め!!」
ロティル様の合図で獣は襲いかかってきた。あたしはそれより早く弓と矢を構えた。
矢を引いて放つと、矢は一体の獣の足元に刺さった。
獣は立ち止まらずに、突進しながら口から光線のようなものを吐き出した。
「何!?」
あたしは今まで見た事の無いものに驚きを隠せなかった。
光線はあたしに向かっている。
間一髪でかわすと、光線は部屋を覆っていた黒い膜に反射して、獣の身体を貫いた。獣はその場に血を流して倒れて動かなくなってしまった。
残りの二体は、口を大きく開けると、あたしに向かって炎の球を吐き出した。
炎。
それを見たあたしは、急に鼓動が速くなって身体中が震え出した。
村で起きた火事、あたしに火を放った姉さん。
思い出すと怖くて避けることが出来ない。
やっとの思いで足が動いた時にはもう遅く、あたしは炎を浴びてしまった。
熱い!衣服は焦げて、塞いでた傷が広がり包帯が赤く染まる。
あたしは倒れてしまい、視界には黒い膜に覆われている天井が見える。
身体を動かすのも辛くて天井を見つめていたが、二体の獣があたしの視界に入り、牙を剥いていた。
殺される。
そう思ったらもっと怖くなった。
声が震える。
「…こ、来ないで。……来ないでってばー!!」
怖くて力いっぱい叫んだ。
すると、どうしてか獣の動きがぴたりと止まった。
あたしの言う事を聞いた?
獣達と視線を合わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「そ…その場に座って!!」
あたしがそう言うと、立っていた獣達が音を立てて、その場にあぐらをかいて座ったのだった。
あたし自身も驚いていたけど、ロティル様を見るとロティル様も驚いていた。
「第一のテストは終了だ」
ロティル様は玉座から立ち上がり、あたしに声をかけた。
第一という事は、まだ終わりでは無いだろう。
ロティル様は玉座の後ろに回り、壁に手をついた。
「ついて来い」
壁を押すように触れると、ロティル様の手は壁をすり抜けて中へと入っていった。
あたしも痛む身体を押さえながら、玉座まで歩いた。
「思った通りに形が変わるんだよね…」
あたしは壁に触れる前に、弓と矢を手の平に乗せて想像した。
弓と矢は首飾りに変わり始める。
首飾りを身につけると、ロティル様と同じように壁を押して中へ進んでいく。
壁の向こうは、大人が一人通れる位の道が伸びていた。その先には小さな部屋があった。
部屋の真ん中には大きな黒い玉が宙に浮いていて、その横にいるロティル様が口を開く。
「この黒い球の中に入れば…テストは終了だ」
ロティル様は何故か笑っていたけど、特に気にしなかった。
ゆっくり黒い球に近づいて、恐る恐る中に入っていく。黒い球はあたしを包み込み体内に消えていった。
特に何か感じることも無かった。
ふと、何か光るものを見つけて右手を見た。
あたしの右手の小指には、黒い指輪がはめられている。
「お前の称号は獣王だ」
ビーストマスター、よく分からないけど何か不思議な気持ちだった。
今はとにかく身体を休めたい。
「…はい」
あたしは一礼をして、部屋まで戻ろうと後ろを振り返った。
しかし、いつの間にかロティル様はあたしの前に立っていた。
これも瞬間移動だと思ったけど、急に怖くなって一歩一歩と後ろへ下がっていく。
ロティル様は笑いながら歩み寄ってくる。
やがて、あたしが壁に追いやられるように逃げ場を失ってしまった。
呆然としていると、突然、ロティル様が左手であたしの首を掴んだ。
「ロティル様!?」
喉元に強い痛みが走る。それと同時に、全身に鳥肌が立っていた。
ロティル様の右手があたしの足から太腿を撫でて、腰へ手を伸ばしていく。
怖い。どうして急にあたしの身体を触るのか。
ただ、触られて気持ちが悪かった。
「嫌…。……さま………ラグマ様ぁっっ!」
逃げられない状況で怖くて涙が溢れて、咄嗟に大声でラグマ様の名前を叫んだ。
けど、ロティル様はあたしの首筋に触れて耳元で囁いた。
「無駄だ。あいつは来ない…」
ロティル様の手が衣服の下に入っていく。
怖くなって、あたしは必死に抵抗した。けど、大人の男の人の力は、あたしじゃ振り切れない。
「あれに触れると、身体が痺れるようになっているはずだが…不思議だ」
身体が痺れるようになっているはず?
ロティル様が何を言っているのか、解らない。
あたしはとにかく叫んで助けを求めた。
「ラグマ様!ラグマ様ぁーっっ!!!」
「私の前で他の男の名を呼ぶとは…勇気のある娘だ」
あたしは、そこで初めてロティル様の目を見た。
赤イ目ガ笑ッテイル。
突然、激しい痛みと睡魔に襲われて意識が朦朧とする。
ロティル様が何か言っている。
それも聞き取る事が出来なくて、あたしは意識を失った。
最後に、衣服の擦れる音が聞こえた。
「まさか…娘まで…」
「………ん…」
目を開けると、部屋の天井が見える。そっか、あたしの部屋だ。
ゆっくりと上半身を起こして、ベッドから離れようとしたが何かが明らかに違っていたことに気づく。
地で滲んだ包帯はそのままだったけど、着ている服は乱れていた。
あたしは記憶を辿った。
それを思い出すだけで、怖くなって全身に鳥肌が立つ。
その時、ドアを叩く音が聞こえ、あたしは慌てて椅子の上に畳んである上着を掴んで素早く羽織った。
「…私だ」
しばらくすると、部屋に入ってきたのはラグマ様だった。
あたしはラグマ様を見るのも辛くて、顔を背けながら問いかけた。
「な、何か用ですか?」
「報告だ。お前の姉が生きている事が分かった」
急な言葉に思わずラグマ様の顔を見たが、怖くなってまた顔を背けてしまう。
「帰りたいか?」
「………分かりません」
ラグマ様が部屋に来た時から、何か印象が違う。
「私は無理強いをしているわけでは無いぞ?」
分かった。
いつも、厳しい印象のラグマ様の表情が、今は哀れむように見えた。
村がどうなったかは分からないけど、あの火事では全壊しているだろう。
もう、帰る場所が無かった。
「帰りません!…帰りません…けど…」
ロティル様が。
そう言いかけた時には、大粒の涙を流していた。
悔しさと悲しみがごちゃまぜになった感情が溢れて、涙が頬を伝い手に零れ落ちる。
ラグマ様の言葉が、慎重かつ的確にあたしの胸を突いたような気がした。
「…ロティル様の事か?」
ラグマ様の言葉で我慢が出来ず、ベッドに腰かけたラグマ様に抱きついた。
気持ち悪かった。
怖かった。
「テストはいつも別室で見ている。…あのお方は好色好きなのだ…」
普段は厳しく感じるラグマ様の声が、優しく聞こえる。
あたしは、しゃくり上げながら泣くだけ泣いた。
「幼いお前には辛い事だったな。…もう泣くな」
やっと言葉を出す事が出来た。
「…ごめんなさい…」
ラグマ様はあたしの頭を撫でてくれている。
あたしは村と家族、居場所を失った。
この城で過ごしていくには、彼には逆らえない。
でも、あたしはこの方の側にいたいと思った。
厳しくて冷たい印象だけど、優しいラグマ様。
あたしは、この方の為に強くなるんだ…!




