第三章 スーマ
森と林で覆いつくされた幻精郷。その最北には俺の城がある。
断崖に建つこの城は、竜族や魔族が多く存在している。
その城の最上階の部屋から下の様子を眺めていたが、何かがおかしい。
城の周りからは刃の交わる音や、威勢の良い掛け声が続いている。
微かに城内でも、煙と血の臭いがする。
「おかしい…話し合いだけで済むと言ってた筈だが…」
腰まで伸びた金の髪は、白のローブに良く映えると周りから言われた。しかし、身体を動かす事が好きな俺には、正装のようなローブは苦手だった。
俺が考え込んでいるその時、後ろにある扉が大きな音を立てて開いた。
「…ロティルか」
長い黒髪、特殊な法衣を着ていたロティルは、幾人かの魔族を連れて、俺の部屋までやって来た。ロティルの後ろに居るのは、確か、ラグマだ。
どんな経緯かは知らないが、最近になってロティルについてる奴だ。白銀の髪に口数少ない奴としか思っていなかったな。
「神竜」
ロティルがやたら含み笑いをしている。それだけで、この異変の原因が奴の仕業だと分かった。
虫酸が走る。
俺の態度に気づいていないのか、ロティルは俺との距離を縮める。
「城に近づく全ての獣族、妖翼人を始末致しました」
始末しただと?
俺はそんな命令はしていない。
「私は殺せとは一言も言っていない」
竜族の最高位、神竜の称号はあるが、俺は争いが嫌いだった。
共存は安易な事では無かったが、争いは避けていた。
話し合いや等価交換で済ませてきたのに、この野郎は。
俺の思考を無視してロティルは言葉を続けた。
「次は貴方の番です…神竜。これからは私が次の王として全てを支配して差し上げましょう」
挑発と皮肉が混ざったロティルの言葉に、腹は立つが嘲笑で返した。
「この異変はお前の企みか。だが、そこに居る奴ら全員でも私には勝てな………」
俺は魔法でロティルの後ろに立つ奴等を消滅させようとした。
左手をかざした瞬間、俺の体内で何かが強く脈打った。
身体が熱い。
全身に熱いものが込み上げて、声が出なかった。
呼吸が乱れて、俺はその場で膝をついて倒れた。
全身が震え、骨が軋む音が聞こえる。
呼吸をするだけなのに、心臓をえぐられている感覚に陥る。
なんだ!?これは!
不様にもロティルに見下される形で、俺は睨みつけた。
何か違和感が生じた。
「…か…」
身体が縮んでいる?
俺は自分の手足を見た。手も足も子供のように小さくなっていた。
今、気づいたが声も幼くなってるじゃねぇか。
ロティルの嘲笑が気にさわる。
「先程の飲物に毒薬を入れたんですよ」
さっき、従者がここに飲み物を持ってきていたな。
あいつもロティルの味方だったか。
「…フォスとダモスはどうした!?」
酷く掠れた声で、俺の側近である双子の名前をだした。
「勿論、私の下僕ですよ」
ロティルとラグマの背後には、顔立ちの似ている二人の男性が虚ろな瞳で俺を見ていた。
俺の怒りが増長する。
しかし、声は更に掠れ意識が朦朧として身体を動かす事が出来ない。
動かなくなった俺を見て、ロティルは従者に命令した。
「神竜を特別牢に入れておけ!!」
顔は見えないが、従者と思わしき男は俺を蹴り倒し、軽々と持ち上げた。
痛みも薄れている。
最後の意識を振り絞って視界に焼きつけたのは、俺の玉座に座り声高々に笑うロティルの顔だった。
そこで俺の意識が途切れた。
暗くてじめじめしている。地下にある牢屋だった。
俺はゆっくりと目が覚めた。まだ骨が軋み身体中が痛む。
他の牢屋を見ると、腐った死体や死骸が幾つか転がっている。そして、ここは角の牢屋…そうか特別牢にいる訳だ。
意識がはっきりしてきたから、今までの事を想い出そうとしていた。
昔からロティルの思想は忌み嫌っていた。
俺は無意味に争うのが嫌いだった。
そう考えていると、階段を降りる音が聞こえたような気がする。
音は次第に俺に近づいて、目の前には人影が出来た。
俺の姿を見た相手は、大きく目を見開いて涙を流した。
「ターサか」
「はい、地司ターサでございます。神竜…このような御姿になられて…」
ターサは俺の前で一礼すると、膝をついた。
周りを気にしてるせいか、ターサの声は小さかった。
ターサの姿を確認出来ただけでも安心だ。何が起こっているか理解出来ていない。
俺は身体を起こして、ターサを見た。
「ターサ、私が居ない間に何があったか全部話せ」
ターサは巫女であったが信用していた。彼女もまた争う事を嫌っていた。
ターサは無言で頷いてから、口を開いた。
「…神竜が行方不明になった後、ロティルは有翼人を残らず抹殺し…『闇王』と名乗りました。皆、彼を恐れ…従うようになり、彼に背く者は全て殺されてしまいました」
「あれから、どのくらい経った?」
「はい…六百年が経ちました」
俺達が話していると、遠くから誰かの足音が聞こえた。音は階段の途中で止まり、声が聞こえた。
「ターサ…ターサはいるか!?」
「は…はい!」
聞き慣れない声、俺直属の部下では無いな。
ターサは階段に向かって声を返すと、我に返ったように立ち上がった。
俺に一礼して、歩き出したが踵を返して言葉を付け足した。
「報告が遅れましたが、フォス様とダモス様は開放されました。ご安心下さい」
「そうか…」
それを伝えると、急ぎ足で階段を昇って去っていった。
ターサがいなくなった後は再び静寂がやってきた。
天井のかなり高い位置に、格子付きの窓があるから空気の流れは良い。
「…俺が知らない間に、随分と時が過ぎていたんだな」
部下や他の種族が居る手前、威厳を保つのもあって一人称を私としているが、誰もいないなら普段の口調に戻しても良いだろう。
俺は牢を見回した。牢を見回すのも何度目だろう。
城の構造を知り尽くしている俺にとって、この牢獄の意図は理解している。
意思に反する者や、捕虜を鎮静させる為に作らせた場所だ。無駄な行為を避ける為に、技や魔術を無効化させる魔法陣が張り巡らされている。
ここでは力を使う事が出来ない。無論、本来の姿に戻る事も出来なかった。
「まあ、やるだけやってみるか…」
右耳についているピアスを静かに外すと、牢の中で投げた。
地面に転がったピアスは、小さな輝きを見せたがすぐに消えてしまう。
「駄目か…」
俺の魔力を封じ込めたピアスでさえ、意味を成さなかった。
俺は壁にもたれ掛かり、無意識に溜息を吐いた。
天井から落ちた雫が頬を伝う。
真っ先に浮かぶのはあいつだった。
この城と向かい合うように建つ神殿に居る大天使…。
込み上げる想いを残して、静かに目を閉じた。
―アイツハドウシテイルダロウカ?―
それから、どれだけの月日が流れたんだろう。
俺はどうなってしまうのだろう…。
牢獄では腐敗した死体が骨に変わり、俺の身体は少し痩せ細っていた。
目を閉じて城内の気配を辿っても、俺直属の部下の気配は少なくなっていた。
俺は果ててしまうのか。
その時、何かが聞こえる。
音だ!
忘れていた音が耳に入る。
足早に階段を降りる足音。
俺は身体を起こして、誰かが近づくのを待っていた。気配からして、敵では無いだろう。
足音は俺に近づき、俺の目の前に影が生まれた。
「神竜スーマ様ですね?」
俺の瞳に映ったのは、艶のある薄紅色の髪を高い位置で二つに結んだ少女だった。
フードのあるローブを纏っている少女は、俺の前で膝をついた。
「お前は…誰だ?」
「初めまして。あたくしは、大天使にお仕えするフィアと申します。大天使ユルディス様の命により、助けに参りました」
彼女、フィアの言葉を聞いた俺は、虚だった瞳に光が戻ったように問いかけた。
「ユルディス…あいつはどうしている!?」
自分の身よりもあいつの存在が気掛かりだった。
しかし、フィアは首を横に振った。
フィアの声が震える。
「大天使は…二人のお子様を人間界に預け、…闇王に、殺されました…」
ユルディスが殺された!?
俺は耳を疑った。
動揺を隠すのが精一杯だが、フィアの言葉が意識を現実に戻した。
「た、大変申し訳ありません…時間がございません!一刻も早く脱出して下さい!」
出来るなら、とうの昔に逃げている。
魔術も使えない、本来の姿にも戻れない。
俺が思い浮かぶ術は、もう無かった。
「これをお持ち下さい」
俺が無言でフィアを見ていると、フィアは、自分が身につけている青翡翠色のイヤリングを片方だけ外して、鉄格子の間から俺の前に差し出した。
「何ともないのか?」
俺は心の底から驚いた。
この牢獄全体に特殊な結界が張られて、魔法を使う事はもちろん、鉄格子にも強力は結界が張られていた。
フィアが結界を無効化したのか!?
「はい、大天使に教わりました。さあ、それをつけて下さい」
俺はフィアに言われた通り、左耳にイヤリングをつけた。
左耳にはピアスの穴があったが、もう塞がっていた。
フィアは右手を前に掲げて、地面につけた。
「時の章よ」
フィアの言葉と共に、俺の真下には紅い魔法陣が生まれた。結界は俺を包み、淡く光り始めた。
フィアの言葉が続く。
「契約の元、命じる。…その陣に立つ者を彼方へと運び、光へ導け…」
転移魔法か。
時の属性を持つ者は少ないが、まさかこんな幼い少女が習得していたとは、驚きだ。
ふと、俺の脳裏に疑問が生まれる。
「フィア、ユルディスの子の名前は解るか?」
「…はい、レイナ様とティム様でございます」
ティアは、俺の瞳を真っ直ぐ見つめて答えた。
「神竜…いつかお迎えに参ります」
「ユルディスの従者だろう?スーマで良いさ」
優しく気高いユルディスの従者なら信用できる。
フィアの瞳が物語っている。
しかし、フィアの顔はみるみる内に真っ赤になっていく。
俺は変な事を言ったのだろうか。
フィアは真っ赤になりながらも、首を横に振って微笑した。
「ご無事を祈ります」
魔法陣の光は、フィアの姿が見えなくなる程輝いて、やがて、時空が歪んでいった。
柔らかな光が暖かく感じる。
小鳥が囀る声で、俺は目が覚めた。
地面に吸い込まれるように、横たわっていた。
森の中だろうか、人工で出来た物は見当たらず、人の気配も無かった。
「ここは…どこだ…?」
幻精郷の気配で無い事は直ぐに理解出来た。
声が元に戻っている。
俺は身体を起こして、自分の身体を触った。手も足も元に戻っていた。
髪も衣服も汚れてはいたが、元のままだ。城内を歩くのも動きにくいローブだ。
俺は、汚れていたローブを脱ぎ捨てた。勿論、裸では無い。
魔法や剣術、一通りこなせるが、俺は体術が一番好きだった。いつでも稽古が出来るように、ローブの下には身軽な黒い服を着ていた。
腰に携えていた護身用のナイフを握ると、左手で髪を束ねて髪に刃をあてた。
勢い良く刃を引いて、束ねた髪を切り落とした。
太腿の位置まであった髪は、うなじの辺りまで短くなった。
首もとがスースーしてるけど、まあ良いか。
ローブの上に落ちた髪の毛は、一瞬にして炎に変わり燃え始めた。
「これで良い」
気持ちを切り替えようとした。
風が吹いて、首の後ろで髪が揺れる。
「ユルディス…」
身軽にはなったが、ユルディスの死は受け止める事が出来なかった。
身体も契約も無いのに、蘇生魔法は行えなかった。
あの場所に向かうにも、今の俺に発動呪文は知らなかった。
愛しい人を失っても、何故だか涙は流れなかった。
軽くなった髪を左右に振る。
考えても仕方無い。
ユルディスの娘の名前は、レイナとティム…二人を探すか。
不意に背後から、殺気立つ気配を感じた。
「誰だ!!」
かなり強力で冷酷な気配に咄嗟に振り向いた。
「ユ…」
言葉が出なかった。
そこには、ユルディスが俺の前に立っていた。
有翼人の中でも、一際綺麗で大きな翼を生やし、有翼人の頂点に立つ女性、それがユルディスだ。
信じられなかった。
ユルディスでいつもと変わらず、笑顔で俺を見つめている。
「ユルディス…?」
それが、俺の弱さだった。
ユルディスは醜く笑い、姿を変えていく。
「コレハ、神竜…コノヨウナ場所デドウシマシタカ?」
気づいた時には、もう遅い。黒い物体は、男の姿に変わると俺に襲いかかった。
こいつは昔、見たことがある。
闇の精霊シェイドだ!!
「貴方はココで消エルノデス」
闇が俺の視界を遮って、触手のように纏わりつく。
シェイドの言葉が、催眠術のように俺の意識を乱していく。
意識が遠退く。
ユルディスの姿を見た俺が甘かった。
「貴方ハ、我ノ手トナリ足トナルノデスヨ…」
鼓動が乱れ、心が遠く離れていくような気がする。
何か感覚が鈍くなっていく。
俺は瞳を開いて笑った。二つの声が重なる。
『ソウ、闇の精霊シェイドトシテネ…』
何も考えられない。
自我はあるが、上手く脳に伝わらない。
青翡翠のイヤリングが、妖しく光ったような気がする。




