閑話 枢機卿と修道女見習い4
「うわぁ……すごい」
アーレム聖国、水晶宮の中へ入ると同時に、そのような声がリンの口から思わず漏れ出たのも当然のことだ。
水晶宮の内部は、リンが今まで見たどんな建物とも様子が違っていた。
上下左右どこを見ても、建物の建材は水晶で出来ている。
しかし、その全てが全くの同一、というわけではなく、よく見ると水晶の質が違っていたり、色合いが異なっていたりする。
それは、例えば部屋の一つ一つを区切るための壁であったり、扉であったりが、内部を外から覗けないようにあえて隠しているようだった。
確かにそうでなければ不便であろうが、どうやってこのようなものを作り出せるのか、リンには皆目見当がつかなかった。
かつて鉱物を自在に操る《魔法使い》が作り出したと言うことだが、《魔法使い》とはこのようなものをすら一人で作り出してしまうものなのか。
リンの知り合いにも、一人、《魔法使い》がいる。
彼女にもまた、このようなことが出来るのだろうか……。
「リン、見とれるのは構わないですが、いつまでもそこに突っ立っていると奇異な目で見られてしまいますよ。お上りさん扱いは嫌でしょう?」
笑いを噛み潰したような声で、アルトラスの声が水晶宮に響く。
入り口のホールは天井も高く、余計にその声はよく聞こえるような気がした。
ホール自体が広いため、他にも大勢の信徒たちがそこにはいて、リンに声をかけるアルトラスの台詞はもちろんのこと、彼らの耳にもよく聞こえたことだろう。
流石、教会本庁と言うべきか、アルトラスとリンの会話が聞こえていても、彼らは特に笑うこともなく、静かにそれぞれの向かうべき場所へと進んでいくが、そのことがリンの恥ずかしさを減じることはなかった。
むしろ、立派な信徒たちの前で田舎物らしさを出してしまったことが酷く恥ずかしく、リンは急いでアルトラスの下へと寄る。
走ることもはしたなく思い、可能な限りの早歩きだったが、アルトラスはそんなリンを見て、微笑んだ。
「リン。そんなに急がずとも……」
「……いえ、あの、恥ずかしくて……」
そう言って顔を赤くして伏せるリンに、アルトラスは首を横に振って言う。
「気にすることはありません。誰もがこの水晶宮に初めてやってきたときは、貴女のようになるものです」
「誰もが……院長様もですか?」
「私の場合はそれどころではありませんでしたからね」
「それはどういう……?」
「それこそ、恥ずかしいことですから、内緒です。それより、先に進みましょう。おそらくですが、しばらく待たされることになると思いますから、到着は早めに告げた方がいいでしょう」
そう言って慣れた様子で水晶宮の奥へと進んでいくアルトラスに、リンは慌ててついていく。
◆◇◆◇◆
「……やれやれ。やっと人心地つけましたね」
「そうですね……でも、院長様。本当にいいのですか?」
リンがそう尋ねた理由は、今、二人がいる部屋にあった。
あれから、水晶宮を奥へ進むと、事務局と思しきところに辿り着き、アルトラスがそこに自らの到着を告げると、慌てた様子の修道僧が二人をここに案内したのだ。
部屋に案内される道すがら、アルトラスと修道僧の話を聞くに、どうもリンとアルトラスは到着時刻よりもかなり早くついたらしく、出迎えをこれから出す予定だったようだ。
リンはともかく、アルトラスは枢機卿であり、教会のトップに位置する存在である。
そんな人物が、わざわざ事務局に顔を出してきたということに驚き、そして修道僧は自分たちの不備を謝罪したのだった。
もちろん、そんなことでアルトラスが怒ることなどなく、むしろあまりにも早く着きすぎたことを謝り、到着したことを教皇、そして他の枢機卿たちに伝えるように頼みに来たと言った。
修道僧はそれに深く頷き、リンとアルトラスを部屋に通すと深く頭を下げて、慌てて事務局に戻っていった。
彼はこれからアルトラスに頼まれた仕事に出来るだけ素早く取り組むのだろう。
リンはそんな修道僧の様子に少し、面食らった。
また、ここに案内される途中、出会う修道僧全てがアルトラスに気づくと道を開け、深く頭を下げていたことにも。
というのは、もちろん、アルトラスがとても偉い人である、ということは分かっていたけれど、ベルグリッド大修道院ではここまでの扱いをされていなかったからである。
それはリンたち修道女見習いや、他の修道僧たちが不敬であると言う訳ではなく、アルトラス本人があまりに仰々しい扱われ方をするのを嫌ったからであるが、本来であればこれだけの扱いを受けるべき人なのだと言うことを改めて理解したリンであった。
通された部屋を見ても、それがよくわかる。
とてつもなく広く、また置かれている家具や設備も見たことがないくらいの豪華なのだ。
その出自から金目のものには鼻が利くリンからして、仮に未だに自分がかっぱらいだったとしても、ここにある物を盗むのは色々な意味で気が引けると思ってしまうほどにだ。
まず、盗んでも高価過ぎて換金が出来ないだろう、ということ、それにここまでの品だと間違いなく追手がかかり、しかもそれは街の衛兵程度では済まないだろうということも想像がつく。
つまり、全く割に合わない。
うまく盗み、さばければそれこそ一生遊んで暮らせるだろうが、それは部の悪い賭けになるだろう。
かつての自分であれば、絶対にやらないだろうな、と思った。
「いい、とは何がですか?」
アルトラスがリンの言葉に首を傾げたので、リンは言う。
「院長様はともかく、私までこのようなお部屋に……隣の従者用を、ということでしたけど、そちらも私には分不相応なお部屋でしたし……」
ここが枢機卿用で、となりに一続きとなった部屋がもう一つあるのだが、リンはそちらを使うように、と言われた。
しかしそちらも家具の質は大して変わらないし、天蓋付きのベッドやお湯の出るお風呂まであるのだ。
貴族が泊まるような部屋としか思えない。
これにアルトラスは、
「使っていいものは何でも使っておけばいいと思いますよ、リン。減るものではない……とは言えないでしょうが、どうせ私がここに来なければ常に遊ばせている部屋なのです。むしろ、使った方が部屋も家具も喜びます」
豪胆な意見に、リンは、
「……そうでしょうか?」
「そうですよ。それより、リン。私はこれから少し、ここを出ます。会合は夜に行う予定ですから、それまでは自由に過ごして構いません。街に出ても大丈夫ですよ……おっと、少しばかりお小遣いも渡しておきますので、何か欲しいものがあったら自由に買いなさい」
アルトラスはそう言って、リンの手にちゃりん、と音のする革袋を手渡す。
「え、あの、よろしいのでしょうか……?」
「いいのです。こんなところまで付き合ってくれたお礼もありますからね。中身を見ても驚かないように。それでは」
「……?」
それから、アルトラスは部屋を出て、どこかへ行ってしまった。
置いていかれたような気分になり、なんとなく心細くなったリンである。
改めて、手渡された革袋を見、中を開いてみて、リンは絶句する。
「……金貨と銀貨でいっぱいだよ……」
アルトラスは自分の財布とリンに手渡す革袋を間違えたのではないだろうか?
いや、中身を見て驚くな、とはこのことか。
けれど、これだけ渡すと言うことは、アーレム聖国というのはそれだけ物価が高いのだろうか……?
色々と思うことはあったが、せっかくの機会である。
教会本庁のおひざ元を見ることが出来ることなどもうこれからの人生あるとは思えず、とにかく街に出たいという気持ちを抑えられず、リンは街に向かうことにしたのだった。