第4話 守る人
おじいさん先生の修道院への滞在は、短くは終わらなかった。
わたしがお仕事を終えた後も、アン先生とおじいさん先生はなにか難しい話があったみたいで、連日、院長室に二人で籠もって何かを相談していたみたい。
わたしはアン先生のあとを追いかけたりはしなかったけれど、アン先生とおじいさん先生がそういうことをしていると分かったのは、この修道院の見習い修道士たちが教えてくれたからだ。
修道院の作物を魔法のちからで育ててから、見習い修道士たちの半分はなぜだかわたしのことを遠巻きに見るようになったけれど、もう半分は積極的に話しかけてくるようになって、仲良くなることができた。
とくに、わたしに助言をくれた修道女見習いの女の子とはすごく仲良くなって、二人で一緒に休憩時間にご飯を食べたり、遊んだりするようになった。
見習いの女の子は、わたしの魔法の力が不思議で、興味があるみたいで、どうやって使うのか、自分にも使えるのか色々と尋ねてきた。
わたしは女の子の質問にはみんな答えて、女の子はわたしの言ったことをやってみたみたいだけど、結局女の子は魔法を使うことは出来なかった。
女の子は、何が違うのかしら、って首を傾げていたけど、それはわたしにもわからない。
どうして勉強のできないわたしに魔法のちからが使うことが出来るのか、わたしにもわからないから、ちゃんと教えてあげることもできない。
役に立てなかったみたいで悲しかった。
でも、女の子は、そんなわたしに、べつに魔法の使い方を知りたくてお話してるわけじゃないからいいのよ、こんなの雑談よ雑談、と言って笑った。
たしかに女の子は自分に魔法が使えなくてちょっとだけ残念そうな顔をしていたけれど、だからといってわたしとの接し方がなにか変わることは無かった。
本当に、自分で言った通り、魔法が使えるようになりたいとはあんまり思ってないみたい。
わたしも、もし、立場が逆だったら同じように思うだろうなぁ、と思ったので、不思議なことじゃない。
ただ、それでもわたしは女の子になにかしてあげたくて、色々と考えてみた。
そうしたら、ふと、遠くの方から、
――リリリリ。
という高く澄んだ鈴のような音色がわたしの耳の奥に聞こえてきた。
なんだろう?
不思議に思ってわたしはその音の聞こえてくる方に向かってゆっくりと歩き出した。
突然歩き出したわたしに、修道女見習いの女の子は不思議そうな表情をしたけれど、特に文句を言うこともなく着いてきてくれた。
なにか理由があるんだと理解してくれたみたい。
実家にいるときは、わたしのやることはみんな、おかしなことで、意味がないことだって言われていたけれど、修道女見習いの女の子はそんなことを言わなかったので、ちょっと嬉しくなった。
そのまま少し歩くと、一本の小さな若木が生えているところに辿り着いた。
修道院の畑から少しだけ外れている場所で、あまり管理されていないらしく、雑草もぼうぼうに生えている。
そんな中に、やせ細った一本の若木が、それでも太陽の光を浴びようと背を伸ばして、たくましく伸びているのが見えた。
そして、どうやら、リリリリリ、という音は、その若木から聞こえてきているみたい。
なんだろう。
近づいて、音は少し大きくなったけれど、でもどうしてこんな音が聞こえてくるか分からずにその場で若木を見ていると、ふと、音の感覚が変わった。
――リ、リ……。
という小さな音に変わって、それから、驚いたことに、若木が少しずつ枯れていく。
どうして!?
わたしは突然のことに慌てて、どうにかできないかと色々と考えてみた。
けれど、どうすればいいのかわからない。
すると、後ろから覗き込むように見ていた修道女の女の子が、貴女の魔法のちからでどうにかできないかしら、と言った。
それはとてもいい提案で、というか、いまここでわたしに出来ることはそれしかないように思えて、わたしは一生懸命手を組んで、
――かみさま、かみさま、どうかこの子を助けてください。
そう、祈った。
すると、その瞬間、ふわりとした光が若木を包み込んだ。
そして、光がおさまると、そこには元気を取り戻した若木があって、どうやら、魔法のちからが効いたらしい、ということが分かった。
わたしが安心して、大丈夫だったみたい、また助けられちゃったね、と後ろにいる修道女の女の子に言うと、女の子は目を見開いて、それから右手を少しずつ震えるように上げて、わたしの後ろをゆっくりと指さした。
どうも、わたしの後ろに何かあるみたい。
そう思ってわたしが首を傾げながら振り返ると、そこには、くねくねと妙な動きをする、地面からはい出した若木の姿がそこにあった。
形は毛糸で作った手足の細い人形のような感じで、ただその質感は完全に木製のものだ。
さきほどの若木と全く同じ形をしているが、足の部分は根として地面に埋まっていた部分みたいで土の色で少し黒ずんでいる。
――これは、なんだろう?
それを見た瞬間にわたしと、修道女の女の子が同時にそう思ったのは間違いない。
実際、なんだかまるで分からずに、踊っているのか、それとも他の何かをしているのかよくわからない木製の人形らしきそれを見つめるわたしと女の子。
しばらくの時間が過ぎて、どうしたらいいのか悩み始めたそのとき、
――。
なにか、ふっとイメージのようなものがわたしの頭の中で弾けた。
それは、言葉にし難い不思議な感覚だった。
ただ、強いて言葉にするなら、こんにちは、というような感情のようなものだった気がする。
そのことを女の子に伝えようと振り向くと、女の子もわたしに何か伝えたいことがあるようで、口を開こうとしていた。
それから、お互いがお互いに先に話すようにと譲り合ってから、同時にしゃべりだす。
すると、どうやら二人とも同じような経験をしたらしい、というのがわかった。
なぜ、そんなことが起こったか。
それは、今目の前にある、奇妙な木人形の仕業としか考えられなかった。
となると、話しかければ、もしかして言葉を返してくれるんじゃないか、と思うのも当然の話だ。
わたしと女の子は、木人形に話しかける。
すると、
――。
やっぱり、また、なにか言葉のようなイメージが帰って来た。
はっきりとはしない、ぼんやりとしたイメージだ。
けれど、わたしと女の子にはその意味が分かった。
これは、お話ししたい、という意味のイメージであると。
それから、わたしと女の子はその木人形を修道院に連れ帰って、色々とお話してみることにした。
すると、木人形の伝えるイメージはどんどん明確になっていき、最終的にはほとんど普通に会話が出来るようになってしまった。
不思議なことに、木人形がお話しできるのはわたしと、修道女見習いの女の子だけのようだった。
それも、どんなに距離が離れても、問題なくお話が出来るのだ。
これは、すごいことだ。
わたしと、女の子が全然別のところでお仕事をしていても、木人形を通せばまるで目の前にいるみたいにお話が出来るのだ。
もちろん、お仕事中にそんなことをするのはいけないことだから、あくまで休憩の間だけに留めたけれど、それでもいつもなら一日ぜんぜん別のところでお仕事をしていて、一言も会話できないで終わることもあったから、それと比べれば楽しみが増えたのは間違いない。
わたしと女の子は木人形と、それから木人形を通してお互いといっぱいお話しした。
そんな日々がしばらく続いて――。
とうとう、アン先生とわたしは、アン先生の修道院に戻る日が来た。
アン先生のおじいさん先生との難しい話はもう終わったみたいで、アン先生は満足そうな顔で馬車に乗った。
それにわたしが続こうとすると、見送りに立っていた修道女見習いの女の子が名残惜しそうな表情で近づいてきて、木人形をわたしに渡そうとした。
木人形は、わたしと女の子の前以外ではぴくりとも動かない。
だから、みんな、その人形が女の子の手作りのもので、わたしに餞別として渡そうとしていると思ったみたい。
けれど、わたしは首を振った。
その木人形は、女の子に持っていてもらいたかったから。
なぜといって、木人形はわたしの近くにあっても、女の子と会話ができないからだ。
女の子の近くにあるときだけ、木人形はわたしと女の子の会話をつなげてくれるのだ。
それがどうしてそうなるのかはよくわからないけれど、わたしはこれからも、女の子とお話ししたかった。
だからずっと持っていてほしい。
そう、女の子に言うと、彼女は笑って、ずっと大切にするね、これからもいっぱいお話してよね、と言ってわたしを抱きしめてくれた。
わたしも女の子の腰に手を回して強く抱きしめた。
それからしばらくして、アン先生とおじいさん先生が、そろそろ出発ですよ、と言ったので、わたしと女の子は離れた。
馬車がゆっくりと動き出す。
少しずつ遠ざかっていく、おじいさん先生の修道院と修道女見習いの女の子。
どれだけ遠ざかっても分かるくらいに、女の子はわたしに強く手を振ってくれていて、わたしも彼女に窓から思い切り振り返し続けた。
お互いの姿が、ぜんぜん見えなくなるまで。
◆◇◆◇◆
「……ただの手作り人形と思っていましたが、これは大変なものですね……」
ベルグリット大修道院の院長室で、教会の枢機卿にして大修道院の院長であるアルトラス・ポラリスが、一人の修道女見習いの横で踊る謎の木人形を眺めながらため息とともにそう、呟いた。
「そうなのですか? もともとはライラが魔法の力で枯死から救った若木ですけど……」
答えたのは、件の木人形の横に立つ修道女見習いの娘、リンである。
その表情には修道院長を前にしていることによる緊張の色が覗いているが、踊る木人形を見つめる目にはさして不思議そうな感情は感じられない。
むしろ、ペットである犬や猫を見るような顔つきであり、実際、その木人形をそのようなものとしか思っていないことは明らかだった。
確かに、とアルトラスは思う。
確かに、修道女見習いに過ぎない娘に、ことの重大さをたちどころに感じ取れと言われても無理な話だ。
まず、こんな奇妙な踊りを続ける細い木人形のような物体ではなおの事……。
そう思いつつも、アルトラスは一応の説明はしておかなければならないと口を開く。
「リン。その子は古木霊と呼ばれる古き精霊の一つです。遥か昔はたくさんいたと言われておりますが、今ではよほど魔力の濃い森の奥深くに行かなければ見ることは出来ないものです」
「……はあ。そうなのですか……」
「あなたはその子の重大性が分かっていないようですし、それも仕方のないことなのですが……そうですね、分かりやすく言いますと、その子一体で王都の一等地に家を五軒ほど購入することが出来ます」
「ご、ごけんっ……!?」
アルトラスも精霊の価値を金銭で換算するなど不敬であり問題のあることだとはわかってはいるが、他の何よりも理解しやすい指標でもある。
実際、リンはアルトラスの言葉で、木人形を見る目が明らかに変わった。
若干、瞳がお金の形に変わった雰囲気すらするくらいである。
しかし、彼女はお金よりも大切なものを知っている得難い少女でもある。
すぐに、
「い、いえ、あの、売りませんよ? この子はライラと私の大切な絆なのですから……。そもそも、私のものではないです。ライラから預かっているだけですから」
と言える辺り、この少女はいずれ素晴らしい修道女になるだろうとアルトラスは胸が温かくなった。
「もちろん、売れと言っているわけではありませんよ。ただ、そう言う価値がある存在だということを知っておいてください。古木霊は今の時代、存在自体が珍しいですから、価値を知る者も存在を知る者も少ないですが、皆無というわけではないのです。不用意なところに連れて行ったりすれば盗まれ……誘拐される可能性もあります。よろしいですか、その子が大切なのであれば、扱いには注意してください、ということです」
アルトラスとしても、リンの手から古木霊を奪うつもりなどない。
ただ、これだけはっきりと存在している以上、長く隠すことも出来ない。
それは、古木霊に限らず、あの奇跡の娘、ライラについてもだ。
アン・レイク修道院長とはライラについて、それから教会本庁の動きについて深く話をした。
これからのライラの行く末を、色々な事情を勘案して話し合ったのだ。
ライラの存在は、今の世の中を大きく動かすことが出来る。
それはもう、あの魔法を持つことからして、明らかなのだ。
それに加えて古木霊を植物に降ろすことが出来るとくれば……。
一つ情報の扱いを間違えれば、彼女を巡って戦争すら起こりかねない。
リンにした助言は、その通りのものであると同時に、アルトラス自身に対する戒めの言葉でもあった。
扱いを間違えてはならない。
世の安寧のためには。
そしてあの娘を大切にするのであれば。
実際、アン修道院長に初めて話を聞いた時には眉唾であると思ったものだが、実際に見せられてはもはやぐうの音も出ない。
人柄も穏やかで優しく、純粋な娘だ。
少しばかり自らに自信がないところも見受けられるが、前向きで、ひたむきな良い性をしている。
彼女ならば、きっとなれることだろう。
――聖女に。
ただ、教会に利用されるだけのような存在にするわけにはいかない。
かつて、そのように扱われた者は数多い。
そして最後には、非業の死を遂げることも少なくなかった。
そんな目にあの娘をあわせることは、アルトラスの信仰からも、そしてなにより個人的な感情の問題としても認められることではないのだ。
アルトラスは心に覚悟を決めて、リンに言う。
「……リン、その古木霊を大切に扱いなさい。そして、ライラという娘も……」
リンはその言葉に頷いて、
「もちろんです。アルトラス様。あの子は、私の大切なお友達ですから」
そう言い切った。