第2話 魔法
修道院でのわたしの主なお仕事は、修道院で育てている作物のお世話だ。
修道院では、自分たちが食べるものは自分たちで作るのが基本だとみんなが教えてくれた。
お野菜もそうだし、牛乳もそう。
鶏やヤギも育てていて、修道院は人以外にも意外なほどに賑やかで楽しい。
家にいた時には、こんなことはなかった。
わたしは動物が好きだから、よく動物の飼育小屋に足を運んだ。
できればお世話もしてみたいなって思ったのだけれど、いきなりは大変だから、少しずつにしましょうとアン先生が言った。
動物のお世話をするには、まずは動物がどういうことを考えていて、どんなふうに動くのか。
なにを食べてさせてよくて、なにを食べさせてはいけないのか。
そういうことを知らなければいけなくて、先生も、修道女のみんなもわたしにちょっとずつ、教えてくれた。
もちろん、それだけじゃなくて、もっとちゃんと出来るお仕事も与えてくれた。
動物だと下手なことをすればけがをしたりしてしまうけれど、植物なら、少なくともそういう危険はないからと、私には植物のお世話をするようにと言われたのだ。
修道院では食べるためのお野菜の他にも、お薬をつくるためのものや、お化粧品を作るためのもの、かみさまに捧げるお花なども育てていて、人の手はいくらあっても足りないほどだった。
お野菜やお花や薬草に水をあげるためには、井戸から水をくまないといけなくて、女性しかいないこの修道院ではけっこう重労働だ。
土や肥料も運んで、ひとつひとつの植物を丁寧にお世話する。
虫もついたりして、かわいそうだけど見つけたらぷちぷちつぶしたりもした。
お料理も、わたしはほとんどできなかったけれど、修道院でお勤めをするのならばそれくらいは出来なくてはね、と、時間が空いた時に、みんなが教えてくれた。
わたしはあたまが良くないし、器用でもないから、お料理もお裁縫も出来るようになるか不安だったけれど、修道院のみんなはわたしが何度失敗しても、辛抱強く教えてくれた。
ごめんなさい、と謝ると、はじめはみんなそんなものよ、と言って。
本当なのかな、みんな、最初から上手だったんじゃないのかな。
わたしが心の中でそう思っていることを察してか、みんな、自分がずっと昔に造った失敗作を持ってきてくれたりもした。
どれもひどいもので、わたしが今作っているものと大差がなかった。
縫い目はぜんぜんそろってないし、糸の始末もこんがらがっていて、一体なにを作ろうとしていたのかすらわからないものもいっぱいあった。
それにくらべると、わたしのものは一応、ぞうきんを作っていると分かるだけ上出来なのかも。
そう言ったら、みんなその通りね、才能があるわと頷いてくれた。
頑張ろうと思った。
修道院では、たいへんなことがたくさんあった。
家では自分でやらなくても使用人がやってくれたお仕事も、すべて自分でやらなければならなかったから。
でも、たいへんだけど、つらいことはなかった。
みんな優しくて、笑顔が絶えなかった。
やっていることのすべてに意味があって、わたしのような役立たずでも、出来ることが、がんばれることがある。
胸の奥にある、かみさまが温かくなる。
――ありがとうございます、かみさま。
毎日、そう思って暮らせることはとても幸せなことで、ずっとこんな日々が続けばいいな。
わたしはそう思った。
◆◇◆◇◆
植物のお世話をしているとき、もどかしい気分になることがある。
植物はみんなかわいいし、一生懸命生きているけれど、成長がとってもゆっくりなのだ。
タネを植えても、いつ芽が出るのか待ち遠しいし、すくすくと育ってくれても、花が咲くのはいつなのか、実をつけるのがいつなのか、気になって仕方がない。
アン先生にそう言うと、先生は微笑んで、もしも植物がすぐに大きくなってしまったら寂しいじゃないと言った。
わたしはその方がたのしいと思ったんだけど、先生は、出来るだけ手をかけてあげられる時間が長く続いた方が楽しいって。
植物は人間が考えるほど弱くはなくて、大きくなったら人の手がなくてもどんどん成長していく。
そうなったら、もう人間がしてあげられることはなくて、だからちょっと寂しい気がするの、とアン先生は言った。
修道院にある作物は、そこまで大きくなることはほとんどないのだけど、アン先生は昔、枯れた大地に木を植えていたことがあって、そのときにそう思ったのだって。
わたしがお世話をしている修道院の作物は、どれもまだ小さくて、ちょっと芽を出しているくらいだけれど、これが大きくなったらわたしもそう思うのかな。
まだ、わからないけれど、早く大きくなったらうれしい。
◆◇◆◇◆
嵐が吹く夜、目が覚めてしまって、修道院の窓から外を覗くと、ぼわりと浮かぶ光が揺れているのが見えた。
一体なんだろう。
そう思って、よく目を凝らしてみると、それはアン先生だった。
小さなカンテラを持って、作物の様子を見ているみたいだった。
作物は外に植えているから、あんまりにも風が強いと倒れてしまうことがある。
そういうことを避けるために、アン先生は見回りをしているんだって、同じ部屋で寝起きしてる修道女が教えてくれた。
作物のお世話はわたしのお仕事で、アン先生がそうしているのなら、わたしもやらないといけない。
せっかく育てていたのに、枯れてしまったら悲しいし、一人でやるよりも二人でやった方がきっといいだろうと思って。
アン先生は、作物のところにきた私に驚いていたけれど、頭を撫でて、一緒に見回りをしましょうかと言ってくれた。
わたしは頷いて、それから不思議なことに気が付いた。
外は、とても強い風が吹き付けていたはずなのに、アン先生の周りにいるとぜんぜん風を感じないのだ。
どうしてだろう。
不思議に思って首を傾げていると、それに気づいた先生が教えてくれた。
これは、魔法の力。
アン先生が、風を操って、アン先生とわたしに吹き付けないようにしてくれてるって。
それなら、作物みんなに魔法をかけてあげたら嵐でも倒れないで済むんじゃないかと思って、アン先生に提案してみたら、アン先生はそれは難しいと言った。
魔法にはすごくいっぱい力が必要で、修道院の作物すべてにかけてあげることはアン先生にはできないって。
そういったアン先生の顔はとても悲しそうだった。
先生のせいじゃないのに。
こんな嵐なんて来なければいいのに。
そう言ったわたしに、先生は少し元気を取り戻した顔をして、自然は厳しいものだけど、厭うてはいけないと、すこし難しいことを教えてくれた。
◆◇◆◇◆
風がやんで、次の日。
わたしは他の修道女と作物のところにいった。
やっぱり、風のせいで、沢山の作物が倒れていたりしたけど、全滅はしていなくて、いきているものもあって安心した。
でも、わたしが任されていたちいさな作物の芽は、みんなダメになってしまっていた。
やっぱり、生まれたばっかりで、弱かったのだと思う。
仕方のないことだけど、悲しくて、涙が出た。
修道女のみんなは、そんなわたしに声をかけてくれて、こういうときは、お祈りをするといいと教えてくれた。
お祈り、胸の奥にあるかみさまに、ありがとうっていうこと。
わたしは目をつぶって、そうしてみた。
すると、なにかふわりとしたものが胸の奥に広がって、暖かくなった気がした。
これがかみさまにお祈りするということなんだ。
なにか分かった気がして、目を開いてみると、修道女のみんなが驚いた顔をしていた。
どうしたのかな。
そう思ってみんなが何に驚いているのか聞いてみると、みんなが指さしたところ、ダメになった作物の植わっていた花壇に、いっぱい花が咲いているのが見えた。
わたしもびっくりして、どうしてこんなことになっているのか、と聞いてみると、みんながいうには、わたしの体が光って、そのあとににょきにょきと植物が生えてきたのだって。
どういうことなのか分からなくて、アン先生を呼んで聞いてみると、きっとそれは魔法だと言われた。
とても珍しくて、今は使える人がいない、植物魔法、という魔法なのだと。
わたしは賢くないからそんなものは使えないと言ったら、これは心の優しい人にだけ宿る魔法だとアン先生は言った。
あなたは心が綺麗で、優しいから使えるようになったのだろうと。
そうなのかな。
そうだとうれしい。
わたしは賢くもないし、美しくもない。何の役にも立たないから、何もできないのだと思ってた。
でも、魔法が使えれば、ちょっとだけ、役に立てるのかもしれないから。
先生にそう言うと、先生は笑って、頭を撫でてくれた。
◆◇◆◇◆
「……伝染病、か」
ステイル王国、ナリューズ城の執務室で、文官から報告を受けた第一王子リーズはため息を吐いてそう言った。
「それで、状況はどうだ。このまま広がっていく目算か?」
文官の報告した内容によれば、これは十年ほど前に流行した病であり、そのときに発見された対応策があるらしく、その準備をしている途中だということだった。
「ふむ、ならば、早急に対応せよ。それで、いかなる方策があるのだ?」
リーズの質問に文官は、
「は、特効薬がございまして、これを十分な数集めれば収束させることもそれほど難しくはありません。病の進行も遅く、今から増産を命じても間に合います。特に、ルルラ修道院は最近、薬草の促成栽培技術の開発が行われたようで、それほど時間もかけず必要量が集まるかと」
リーズはそこで、聞き覚えのある修道院の名前が出てきたことに驚く。
「ルルラ修道院? あそこにそんな技術などあったか?」
「修道院は秘密主義でございますから、詳しいことは分からないのですが、あそこの院長であるアン・レイク殿は魔術師でいらっしゃいます。おそらくはその関係かと」
「……なるほど。まぁ、よい。対応が出来るのであれば構わぬ。もし何かあれば、改めて早めに報告せよ」
「はっ」
そうして文官は出ていく。
執務室に残されたリーズは顎を摩りながら、
「……ルルラと言えばライラのいるところだが……何か関係が? いや、薬草栽培など、ライラには……」
独り言をつぶやき、それから自分の仕事を思い出して改めて取り掛かった。