Epilogue
Final orderと同時掲載です。
爽やかな風が吹き抜ける。
ざわざわと街路樹の生い茂った緑を揺らした春風は、私のスカートもそっと揺らしてオーリウェルの街を駆け抜けていった。
私はそっとストロベリーブロンドの髪を押さえる。
気持ちの良い風とぽかぽかの暖かい日差し。
お出かけするにはちょうど良い休日の昼下がり。
私は体の前で持ったトートバックを揺らして、うんっと微かに伸びをした。
今日の私は、オーリウェル新市街のノイバーン駅前広場の片隅で待ち合わせ中だった。
お相手のロイドさんはまだ来ていない。もう待ち合わせの時間は10分ほど過ぎてしまっているけれど……。
ロイドさんはお仕事がある身なのだ。多少の遅れはやむを得ないだろう。
それに、こんなにも気持ちの良い陽気だと、外にいるだけで心がふわりと軽くなるみたいだ。こうして街路樹の下でぼうっとしているのも悪くない。待つのも全然苦ではないのだ。
旧市街とは対照的に近代的なビルが立ち並ぶオーリウェルの新市街は、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。その下を行き交う人たちも鮮やかな色使いの服を身にまとい、足取りも軽やかに春の街を行き来していた。
一昨日からもう5月に入った。
春もそろそろ終わり。
すぐそこまで初夏が迫っている。
改めてそう思うと、日差しの中に微かにジリと滲む暑さを感じてしまう気がした。
私は、さわさわと揺れる背後の街路樹の葉を見上げ、そっと目を細めた。
アオイお姉さまが首都の大学に通うためにオーリウェルを発ってから、もう1ヶ月が過ぎようとしていた。
アオイお姉さまがお屋敷からいなくなった最初の頃は、寂しくて寂しくて塞ぎ込んでしまう日もあった。お風呂の間や就寝前など、独りで静かな場所にいると、涙がこぼれてしまう事もあった。
しかし私も聖フィーナの3年生に進級して日々色々と忙しくしている内に、そんな寂しさも生活の一部になってしまった。
そして、気が付いたらもう1ヶ月が経過していたのだ。
寂しくはあったけど、アオイお姉さまは事前の宣言通り転移術式で毎週末には必ず帰宅してくれていたし、平日でもひょっこりと戻って来てくれる事もあったので、何とかやってこれた。
やはり事前に敷設しておいた術式陣を使っても超長距離の転移は魔素の消耗が激しいらしく、毎日帰ってきてくれる訳ではなかったけれど……。
取り戻した記憶によると、以前の私はよくアオイお姉さまと転移術式で移動していたみたいだ。
しかし今は、それも無理になってしまった。
魔素を使い果たし消滅しようとした私をこちら側に繋ぎ止めるために、ジーク先生が注いでくれた魔素。
それが、アオイお姉さまの干渉を妨げてしまっているのだ。
首都の議場で、アオイお姉さまのスピーチのおかげで記憶を取り戻した私は、オーリウェルで起こったあの魔術テロについて色々と調べていた。あの最後の戦いについて、そしてジーク先生の行方について。
アオイお姉さまはもちろん、軍警のミルバーグ隊長さんやバートレットおじさんに尋ねてみたが、結局ジーク先生の遺体は見つからなかったそうだ。
私が展開した防御場は、自爆術式陣の威力を減衰させたものの、完全に防ぐ事は出来なかった。
あの地下施設はその大半が破壊され、ルーベル川から大量の水が流れ込む事になってしまったそうだ。現場は、そのため現在も水没したままになっていた。
あの時。
アオイお姉さまと私は、駆けつけてくれたブフナーさんたち軍警の部隊に救助されて、何とか脱出する事が出来たそうだ。
しかし、押し迫る水の中、ジーク先生がどうなってしまったのかはわからないのだ。
私の記憶では、ジーク先生の傷は致命傷に思えた。あの状況では、やはりジーク先生は……。
私は少しだけ目を瞑ってふっと息を吐いた。
私はアオイお姉さまがお屋敷を出てから、ジーク先生の事だけでなくウィルバートの事、以前の軍警隊員だったウィルの事など、色々と確かめて回っていた。
多くの事を思い出せたけれど、やはり自分の記憶だと実感出来ない部分も沢山あったから。
そしてその戦いの日々を、ただの過去として忘れたくはなかったから……。
しかしそうして忙しくしているうちに、ロイドさんに会うのをすっかり忘れてしまっていたのだ。
記憶を取り戻して初めて、私の部屋に置かれていたプレゼント包の正体が分かった。
あれは、ロイドさんへのプレゼントだった。
以前の私が用意した、ロイドさんへ送るコートだったのだ。
私は今日、そのコートを持参して来ていた。
ちらりと両手に持ったトートバックの中のプレゼント包装を一瞥する。
やっとこれを、ロイドさんへ渡す事が出来る。
今日の待ち合わせは、そのためのものだった。
これから暑い季節がやって来るというのに、コートをプレゼントするというのもおかしいかもしれないけど……。
……でもこれは、どうしても渡しておきたかったから。
この際、細かい事は気にしない様にしよう。
私はうんっと小さく頷く。
ロイドさんを待つ私は、少しだけドキドキしていた。
だって、借りておいて無くしてしまったコートのお返しといえども、男性にプレゼントを渡すなんて何だか恥ずかしいし……。
む。
変に意識すると、また顔が赤くなってしまう。
むむむ……。
以前はウィルバートだった筈の私が、そんな風に動揺するなんておかしな事かもしれないけど……。
私が昔ウィルバートだったという事は、私が軍警隊員だったという事より信じられなかった。もちろん、実感なんて出来なかった。私が彼であるなんて……。
目を伏せる。
それについては悩んだ時期もあった。アオイお姉さまやソフィアお姉さまに相談もしてみた。
しかし結局は、私がそれをどう受け止めるか次第なのだ。
どんな過去があったとしても私は私。
取りあえず今は、そう思う事にしていた。
「ウィルちゃん!」
不意に、駅前広場に私の名前を呼ぶ声が響き渡る。
思わずビクっと身をすくませて顔を上げた私は、スーツの上着を脇に抱えながら走って来るロイドさんの姿を見つけた。
こちらにブンブンと手を振りながら満面の笑みで走って来るロイドさん。まるで今日の日差しの様に爽やかな笑顔だ。
あの顔を見ると、うじうじと悩んでいる自分が馬鹿らしく思えてしまうから不思議なのだ。
全力で走って来たのか、ロイドさんは汗だく状態だった。緩められたネクタイがひらひら揺れていた。
思わず笑ってしまう。
そんなに一生懸命にならなくてもいいのに……。
私はトートバックをぎゅっと握り直してから、ふわりと微笑んで小さく片手を上げた。
「ウィルを待たせるとは、不届き千万だな」
「そうね。あんな男、やっぱりウィルに近付かせるべきじゃないわ」
その私の左右から、ぞくりとする程冷ややかな声が響いた。
私の右手には聖フィーナから直接駆け付けて来たソフィアお姉さま。
そして左手には、私がロイドさんと出掛けると知った途端首都から転移して戻って来たアオイお姉さまが控えていた。
「はぁはぁはぁ……、やぁ、ごめんね! す、少し遅れてしまって!」
私の前で苦笑を浮かべながら、何とか息を整えようとするロイドさん。
凄い汗だ。
「いいえ、大丈夫です」
私は僅かに首を傾げて微笑んだ。
「こちらこそすみません。お忙しいのにお呼び立てしてしまって……」
「いやいや、ウィルちゃんから誘ってくれるなんて、光栄だよ!」
ロイドさんは満面の笑みを浮かべて頷いた。
「それで、今日は……」
ロイドさんは少し困った様な表情をしながら、私の左右のお姉さまたちを見た。
アオイお姉さまもソフィアお姉さまも表情が怖い。
ソフィアお姉さまは腕組みで仁王立ち。
アオイお姉さまは胸の下で腕を組みながら、横目でロイドさんを睨みつけていた。
むむ。
何だか険悪な雰囲気だ。
……みんな、仲良くすればいいのに。
「せっかくの良いお天気だったので、お姉さまたちも一緒にって……。ご迷惑だったですか?」
私は少し困った様に笑いながら、ロイドさんを見上げた。
本当はお姉さまたちが無理やり同行してて来たのだが、私も断らなかったのだ。
ロイドさんはブンブンと首を横に振った。
「いや、とんでもない! 大歓迎だよ!」
私はそれを聞いてぱっと微笑む。
よかった!
「やっぱり、家族は一緒にいるのが一番ですから。ねっ」
私がにこっと微笑み掛けると、ロイドさんは真っ赤になって停止してしまった。
む?
「そうね」
ソフィアお姉さまが微笑み、頷いた。
「うむ。ウィルの言うとおりだ」
アオイお姉さまがコクコクと頷くと、優しく目を細めて柔らかく微笑んだ。
「では、行こうか、ウィル。ふふ、久し振りのウィルとのお出かけだ」
吹き抜ける風に黒髪を揺らしながら、アオイお姉さまが私の手を取って歩き出す。ソフィアお姉さまも金色の鮮やかな髪を押さえながら、私の隣に並んだ。
む。
あれれ?
「ウ、ウィルちゃん?」
呆然と固まっていたロイドさんは、慌ててそんな私たちを追い掛けて来た。
私は振り返り、そんなロイドさんを見て笑ってしまう。
笑顔が溢れる穏やかな日々。
……これからも、こんな時間が続いたらと思う。
記憶を取り戻した今、このひと時がいかに尊いものなのか、私にはよくわかる。
アオイお姉さまが貴族院で行ったあの演説。
それを契機にして、魔術師や魔術犯罪に対して罰則強化や規制路線以外の様々なアプローチ方法について議論が交わされる様になった。
しかし、それでも直ぐに社会が変わる訳ではない。
魔術を使用したテロ事件は、今も色々な場所で続いている。
その犠牲者なっている人々は、確かに存在する。
でも。
それでもいつか、私たちは変われる筈だ。
必ず。
そんな未来を目指して、アオイお姉さまは首都で頑張っている。
だから、私も頑張ろうと思う。
過去の私がそうした様に、軍警へ入る。
そんな方法もあると、最近は考えていた。
最初から勉強し直して、ゆったりとでも変革して行くであろうこの社会を守るのだ。
少しでも悲しむ人を、引き裂かれる家族を無くすために。
でもそれは、もう少し先の事になるかもしれない。
今はしっかりと聖フィーナで勉強して、私の過去と私の進むべき道を見定めようと思う。
アオイお姉さまと、この胸に宿る思いに恥じない様に。
目の前に広がる未来は、広大で果てしない。
「さぁ、ウィル!」
微笑むアオイお姉さま。
「はいっ!」
私も微笑みながら頷いた。
でも私は、きっと迷わずに進んでいけるだろう。
この繋いだ手の、温かさがあるならば。
そう、きっと。
ここまでお付き合いいただいた方に感謝を!
ありがとうございました!




