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Hexe Complex  作者:
84/85

Final Order

Epilogueと同時掲載です。

 首都オーヴァルの街並みは、慣れ親しんオーリウェルよりも新しくて大きな建物が多かった。

 見上げる様な高層建築と、整理されはた広い通りに走る無数の車。道行く大勢の人々と、カラフルな彩りの沢山のお店。

 まさに国の中心といった賑やかな雰囲気が、色濃く漂っていた。

 スーツ姿のビジネスマンに混じって観光客らしき人たちの姿も多くて、空港や繁華街、私たちが宿泊するホテルはもちろんの事、どこもかしこも人で溢れ返っていた。

 オーリウェルの中心部に住んでいたならまだしも、郊外の森の牧歌的な空気漂うエーレルトのお屋敷で生活している私にとっては、少し疲れてしまう環境だ。

 この分ではきっと、この街で大学生活を始める事になっているアオイお姉さまも、直ぐにエーレルトのお屋敷が恋しくなるに違いない。そして、私のもとに帰って来てくれるに違いないと思う。

 アオイお姉さまが用意してくれたホテルの高層階の部屋から首都の街並みを見下ろしながら、私は1人そんな事を考えて、うむうむと頷いていた。

 私とアオイお姉さま。そしてソフィアお姉さまの3人は、2日前から首都オーヴァルにやって来ていた。

 私は、アオイお姉さまの用事に同行する為に。

 ソフィアお姉さまは、そのアオイお姉さまと私に頼まれて、私の保護者役としてこのホテルに滞在してくれていた。

 首都に到着した直後から、アオイお姉さまは例の大物政治家さんたちと一緒に忙しく動き回っていた。一緒にいられる時間は殆どなくて、私とソフィアお姉さまはほぼほったらかし状態だった。

 このホテルの立派な部屋も豪勢な食事も、アオイお姉さまと一緒ならばさらに楽しめた筈のに……。

 そう思わずにはいられなかったけど、今回の首都訪問に関して私とソフィアお姉さまはあくまでもアオイお姉さまの付き添いなのだ。

 アオイお姉さまの邪魔にならない様にしていなければならない。

 アオイお姉さまが議会の政治家さんや国の偉い人たち、他の貴族の人たちに挨拶回りをしている間、私とソフィアお姉さまは首都観光をさせてもらっていた。

 アレクスさんやレーミアさん、それにジゼルたちにもお土産を買わなくてはいけなかったし。

 最近良く連絡をくれるロイドさんにもお土産は買っておいた。

 猫型の陶製の置物だ。片手をあげた変わったポーズをしているが、どうやら東洋の魔除けの御守りらしく、元気だけど薄幸そうなロイドさんにはちょうどいいと思ったのだ。

 この華やかな首都は、私も関係しているという一年前の魔術テロで大きな損害を被ったらしい。

 しかし少なくとも、私みたいな余所者が訪れる範囲では、その傷跡は既にわからなくなっていた。

「ウィル、準備出来た?」

 ベッドルームの方からソフィアお姉さまがひょっこりと顔を出した。

「はーい」

 私は振り返って返事をする。

 ソフィアお姉さまは、何故か頑なに私と一緒に着替えをしてくれない。

 女の子どうしなのに……。

 それに、私と同じ部屋で眠るのにもやたらと緊張して拒むのだ。アオイお姉さまと同じ調子で一緒のベッドで寝ようとしたら、顔を真っ赤にしてびっくりされてしまった。

 ちょっと寂しかった……。

 そのソフィアお姉さまは今、いつものラフな格好とは違うパリっとしたタイトスカートのスーツ姿だった。

 スレンダーなスタイルのソフィアお姉さまには、体にフィットしたフォーマルスーツが良く似合う。シュシュで髪をポニーテールにまとめながら、テキパキと出掛ける準備をしているソフィアお姉さまは、やり手の働く女性といった雰囲気だった。

 対する私の方も既に準備万端だ。

 私は、学生の正装である聖フィーナの学生服に身を包んでいた。

 上は、裾に黒いラインの入った白のブレザー。袖にはエーデルヴァイス所属である事を示す白い花の紋章が入っている。下は綺麗に折り目の入った黒のスカートに、濃紺のニーソックス。胸元には赤のネクタイをきっちり締め、髪はお気に入りの花柄が入った白いリボンでサイドテールにまとめていた。

 うむ。

 これでどこに出ても恥ずかしくない筈、だ。

 私はむんっと1人で胸を張ってみるが、しかし内心では少しドキドキしていた。

 その原因は、私たちがこれから向かう場所にあった。

 私とソフィアお姉さまが向かう先。現在先行しているアオイお姉さまが待ってくれている筈のその場所は、首都の中心にある議事堂だ。

 まさに、この国の政治の中心だ。

 以前の魔術テロ事件で破壊されてしまったという議事堂は、ついこの前に再建されたばかりだそうだ。先週から始まっている議会から使用が開始されているという、まだ真新しい建物だった。

 私とソフィアお姉さまは、その議会の傍聴席に招かれていた。

 今日。

 貴族院の議場で、アオイお姉さまがスピーチする事になっていた。

 そのアオイお姉さまのスピーチに私が立ち会う事。

 それが、アオイお姉さまが私を首都に連れて来た最大の目的だった。

 アオイお姉さまには、ヴァイツゼッカーさんという大物政治家さんの計らいで、国政の議事堂という大舞台でスピーチする大役が任されていた。

 このスピーチは、現在議会で議論が進められている一年前の同時多発魔術テロに端を発した貴族制度や魔術に関する法整備作業の中で、一般人や有識者から広く意見を募る場の一環として行われるものだそうだ。

 伯爵位を持つ現役貴族であり、同時に若年の学生でもありながら、非公式に一年前の同時多発魔術テロの解決に尽力したアオイお姉さまに、そんな場でスピーチする機会が与えられたのだ。

 昨年末からアオイお姉さまが忙しく動き回っていたのは、このスピーチに向けての準備をしていたためだった様だ。

 今回のお話を聞いた時、私は何でアオイお姉さまがそんな大変な事を、と思ってしまった。

 でも、ゆくゆくは政治の道を目指すと心に決めているアオイお姉さまだからこそ、こういう場での経験は貴重なものなのかもしれない。

 むむむ……。

 胸がドキドキしてくる。

 私が話をする訳ではないのに、私が緊張で胸が張り裂けそうだった。

 きっとアオイお姉さまも緊張しているに違いない。

 私をそのスピーチの立ち会い人として招いてくれたのも、きっとその緊張の現れなのだろうと思う。

 アオイお姉さまも、きっと心細いのだ。

 そうだ。

 だからこそ私が、しっかりとアオイお姉さまを応援してあげなくては。

 む。

 私はぎゅっと握り締めた拳をそっと胸に当てた。

「ウィル、もう迎えが来るわよ」

 ソフィアお姉さまが私を見る。

「は、はい!」

 私はふわりとスカートを広げて踵を返した。



 ふかふかの赤い絨毯が敷き詰められた議事堂の廊下を、私とソフィアお姉さまは係員の方に案内されて粛々と進んで行く。

 聖フィーナ学院に通っていると、クラシカルで豪奢な建物には慣れてしまったと思っていた。

 しかしこの議事堂内部には、そうした見た目の豪華さだけでなく、どことなく学院にはない重苦しい空気が漂っている様な気がした。

 まだ建てられて間もない筈なのに、ルヘルム宮殿やオーリウェルにある古い建築物がまとっている様な独特の空気の重さみたいなものを感じてしまうのは、ここがやはりこの国の行く末を決めるための重要な場所だからなのだろうか。

 天井や柱には緻密な彫刻が施され、金縁の重厚そうな扉がずらりと並ぶ。壁には国出身の有名な画家たちの絵が立派な額縁に入って幾枚も並び、その間に、煌びやかな制服に身を包んだ衛視さんたちが等間隔で並んでいた。

 微かに良い匂いもする。

 あちこちに活けられた花の匂いだろうか。

 キョロキョロしてはいけないとわかっていても、私はソフィアお姉さまの後ろでそわそわと辺りを見回してしまっていた。

 広い廊下を進んで議事堂の2階に通された私たちは、両開きの大きな扉の前で立ち止まった。

「こちらです」

 係員さんが重々しく軋みを上げる扉を押し開くと、そこにはテレビで見た事のある貴族院本会議場が広がっていた。

 中央の一段高い場所に配置された議長席を中心に、放射状に黒くずっしりとした机が並んでいた。聖フィーナの教室と同じように、後ろの席に行くほど段々と高くなる様な構造になっている。

 私とソフィアお姉さまが通された傍聴席は、そんな議場を右側から見下ろす2階の席だった。

 傍聴席の椅子も立派な革張りで、クラシカルな中世風の内装も相まって、まるで古いお城の広間に入り込んだ様な感じがしてしまう。

 私とソフィアお姉さまは、その傍聴席の大きな椅子にそっと静かに腰掛けた。

 議場内では、既に沢山の貫禄のあるおじさんたちが何事かを議論していた。

 代表者が演壇に登り、低い声で何かを発表し、それについて短いやり取りが行われる。その議論は予想していたよりもずっと淡々としていて、静かだった。テレビで目にする様な怒号が飛び交う様なものではなかった。

 私はそっと周囲を窺う。

 傍聴席には、私とソフィアお姉さま以外の姿はなかった。

 しかし、私たちから少し離れた場所に、数台の大きなテレビカメラが並んでいた。

 テレビ中継、されているのだ。

 そう思うと、にわかに胸のドキドキが激しくなってしまう。

 むむむ……。

 こんな場所でスピーチするなんて、私だったら無理だ。どんな理由があっても、無理に違いない。

 私は背筋を伸ばし、ぐっと握った手を膝の上に置いて、唇を噛み締めながらじっとアオイお姉さまの出番を待った。

 それからしばらくして、とうとうその時がやってきた。

「それでは、本日の特別参考人として、エーレルト伯爵をお招きしている。伯爵より、貴族制と魔術師に対するご意見を頂く。ご静聴をお願いしたい」

 議長さんの重々しい宣言の後、オーリウェルからやって来たアオイ・フォン・エーレルト伯爵の名前が高らかに告げられた。

 その瞬間、私の胸のドキドキは最高潮を迎える。

 緊張で、全身がぐらぐらと揺れている様だ。

 胸の鼓動は、心臓が破れそうな程の勢いだった。

 アオイお姉さまが入場してきた。

 真っ直ぐに伸ばされた背中に揺れる長い黒髪。白いブレザーの聖フィーナの制服と黒髪の対比が鮮やかで綺麗だ。スカートから伸びた足はスラリと長く、羨ましくなる様な優美なラインを描いていた。

 そして、凛々しく前方を見据える鋭い目。

 こんな気後れしてしまいそうな凄い場所でも、アオイお姉さまはやっぱり私の知っている格好良くて頼りになるアオイお姉さまなのだ。

 ……アオイお姉さま、頑張って!

 私は心の中で必至にエールを送りながら、決してアオイお姉さまから目を離すまいとじっと議場中心の演壇を凝視した。

 議場全体に一礼して演壇に進むアオイお姉さまに、私は思わずパチパチと拍手を送っていた。

 その音は意外に大きく議場内に響き渡り、何人かの議員さんが訝しげにこちらに視線を送ってきた。

 ……む。

 私は慌てて拍手をやめて小さくなる。

 でもその拍手で、アオイお姉さまも私に気がついてくれたみたいだ。

 距離は離れていたが、アオイお姉さまとしっかりと目が合った。

 アオイお姉さまが僅かに微笑んだ様な気がした。

 議員さんたちの前方の演壇に上がったアオイお姉さまは、すっと顔を上げて前方を見つめる。そして、ふわりと髪を揺らして優雅に一礼した。

 スピーチの原稿が入っているのだろう青色の書類挟みを開いたお姉さまは、すっと背筋を伸ばして胸を張った。


「壇上より、失礼致します、皆さま。私は、オーリウェルから参りましたアオイ・フォン・エーレルトと申します」


 しんと静まり返った議場内に、アオイお姉さまの凛とした声が響き渡った。


「まずは、この様な場をご用意して下さったヴァイツゼッカー議長さまを始め、今日この場のためにご尽力下さった多くの関係者の方々に感謝申し上げます。そして、議員の皆さまにも感謝申し上げます。ご政務の間の貴重な時間をいただき、ありがとうございます。私はこの場をお借りし、私が経験して来た魔術テロとその悲惨さ、そしてそれに対して立ち向かった勇敢なる者のお話させていただきたいと思います。私のこのお話が、皆さまの議論の一助になれば幸いです」


 少しも早口になる事もなく、ゆったりと落ち着いたアオイお姉さまの澄んだ声が、すうっと議場内に広がっていった。

 その堂々とした様子に、この場にいる誰もがアオイお姉さまに注目しているのがわかった。


「一年前。私は、この首都を襲った魔術テロ、そしてその後オーリウェルを襲った魔術テロについても、その現場を眼前で目撃する立場にありました。多くの関係者の方々が事態を終息させようと懸命に働き、しかし無法なるテロリストの暴挙によって被害は拡大してしまうという悲しい現場を、私は目の当たりにしました。

 聖アフィリア騎士団を名乗る魔術師集団は、この議事堂を始め首都やオーリウェルの街に多大な損害をもたらしました。そしてその魔手は、建物だけでなく多くの罪のない人々をも襲ったのです」


 アオイお姉さまは少し言葉を切り、軽く目を瞑った。

 その事件の現場を思い出しているのだろうか。

 目を開いたアオイお姉さまは、再び前方を見た。

 その悲惨な現場に、私もいたのだ……。

 私はじっとアオイお姉さまを見つめる。

 いつの間にか緊張感はすっかりと消えていた。

 その代り、胸の奥がざわざわとする。

 ……何だろう、この気持ち。

 

「傷つき倒れた人。家屋から吹き上がる炎。破壊された私たちの街。それは、信じられない光景でした。家族を失い、泣いている人もいました。不安と恐怖に震えている人もいました。変えるべき家を失い、パジャマ姿で逃げ出す子供もいたのです。彼らがそのような仕打ちを受けるいわれなど、あろう筈がありません。その様に惨たらしい惨状をもたらした魔術テロは、絶対に認める事の出来ない犯罪なのです。例えどのような考えがそこあろうとも、この様な犯罪行為が許される筈がありません」


 徐々に大きくなるアオイお姉さまの力のこもった声に、大きく頷く議員さんたちの姿が見えた。


「卑怯にも力で他人を虐げる方法を選んだ彼らは、誇りある我々貴族の一員ではありません。忌むべき犯罪者なのです。私は議員の皆さまにお願い申し上げます。あの悲惨なテロの現場を目の当たりにした1人として、あの様な出来事が二度と起こらない様に皆さまのお力を貸していただきたいのです」


 ……アオイお姉さまは凄い。

 こんなに大勢の議員さんたちを相手に堂々と話が出来るアオイお姉さまは、純粋に格好良く思えた。

 しかし不意に、聴衆たちが話に引き込まれて来たこのタイミングで、アオイお姉さまは原稿の入っている書類挟みをパタンと閉じてしまった。

「あれ……」

 私の隣に座るソフィアお姉さまも不審に思ったか、小さく声を上げた。

 アオイお姉さま……?

 どうしたのだろうか。

 何かあったのだろうか。

 思わず眉をひそめて、私はアオイを姉さまを見守る。


「……現在議論されている魔術を用いた破壊行為の厳罰化。その他魔術テロ行為を規制する沢山の法律の制定。私は、それだけでは、魔術テロを抑止するには不十分ではないかと考えています。テロを引き起こした騎士団の魔術師たちは、紛れもなく犯罪者であり、罰せられるべき者たちです。しかし彼らを犯罪者と切って捨て、憎悪と怒りをぶつける対象とするだけでは、遥か昔から連綿と続いて来たこの暴力の連鎖を止める事はきっと出来ないのだと思うのです」


 議場内がざわめいた。

 ひそひそと隣と話す議員さんたちの姿が見える。アオイお姉さまの後方に位置する議長さんも、渋い顔をしていた。

 現在この場で行われている法整備を否定しているかの様に捉えられかねないアオイお姉さまの今の言葉は、もしかしたら原稿になかったものなのかもしれない。

 しかし周囲の反応以上に、私の胸の中もざわざわと揺れ始めていた。

 憎しみをぶつける相手……。

 暴力の連鎖……。

 その言葉が、ちくりと胸の内側に突き刺さる。そして何度も何度も繰り返し頭の中に響いている。

 やはりまだ緊張しているのだろうか?

 アオイお姉さまを心配して、不安を感じているのだろうか?

 ……違う。

 なんだろう、この感覚……。

 アオイお姉さまの言葉から伝わってくるこの感覚……。

 もどかしさ。

 やるせなさ?

 私はこんな感情を、どこかで抱いた事があるのだろうか。

 アオイお姉さまは、そんな周囲の動揺などお構いなしに話を続けた。


「私には家族がいます。家族となった大切な少女がいます。それは、やはり魔術テロの悲惨な現場での出会いでした。その巡り合わせは偶然。しかしその彼女と出会えた事が、私を大きく変えてくれました。彼女と一緒に過ごした大切な時間。私はそこから、多くの事を学ぶ事が出来たのです」

 

 アオイお姉さまがちらりと2階席を一瞥した。

 つまり、私の方を……。


「彼女の生は、常に魔術と魔術テロに弄ばれ続けて来たものでした。10年前のオーリウェルの大規模魔術テロ。皆さまは覚えておいででしょうか。彼女はその魔術テロにより理不尽にも大切な家族を失いました。その事が、彼女を魔術師との戦いへと向かわせたのです。しかしそれは、当然の事でありましょう。大切な人を、家族を奪われれば、復讐したいと思うのが人間です。ましてや失った人が大切な者であればあるほど、その悲しみを、怒りを犯人たちにぶつけたいと思うのは、人として当たり前の感情なのです」


 自身の言葉が引き起こす影響を確認する様に、ゆっくりと議場内を見回すアオイお姉さま。

 私は目を見開き固まったまま、演壇上のそのお姉さまをじっと見つめる。

 胸がきゅっと締め付けられる。

 私は、アオイお姉さまから視線を外せなくなってしまっていた。

 あれは、私のこと……。

 そう思うと同時に体の奥底が震え、自然と熱いものが込み上げてきた。

 浅い息を繰り返す。

 私には10年前の記憶などない。

 しかし家族を失う痛みというのは、確かに私の胸に刻みつけられている様な気がした。

 呆然と固まる私の手に、そっとソフィアお姉さまの手が重ねられた。


「しかし彼女は、私と、魔術師と共に暮らす様になり、魔術師の世界を知る事により、変わりました。その身の内にある怒りを抑え、曇りのない澄んだ眼差しでしっかりと前を見据えた事により、気が付いたのです。

 魔術や魔術師をただ一方的に憎むのは誤りだと。真なる敵は、魔術をもって他人を虐げるその心にあるのだと。

 私は、ここにいらっしゃる皆さま方に、そしてこの国の全ての人々に知っていただきたい。気が付いていただきたい。魔術を特別な力であると盲信し、自身を特別な存在であると過信し、その力でもって多くの罪もない人々を悲しませるその思考こそが、憎むべき悪であり、根絶しなければならない多くの悲劇の元凶なのです。そして同時に、魔術や貴族を特別なものと畏怖し、魔術師による犯罪行為を当たり前のものとして受け入れてしまう風土も、また変革せねばならないものだと我々は知らなければなりません」


 アオイお姉さまは前方差し伸べた両手を大きく開きながら、朗々と語り続ける。

 その一言一言が、まるで魔術を構成する術式成句の様に力ある言葉となって私の胸に染み込んでくる。

 ……ああ。

 アオイお姉さまは今、きっとウィル・アーレンの思いを言葉にしているのだ。

 何の根拠もなかったけれど、不意に私はそう思ってしまった。

 胸の奥が震える。

 私の思い。

 ウィルの思い。

 アオイお姉さまが代弁してくれている……。

 嬉しかった。

 これが私の思いであるという驚きと同時に、私は喜びも感じていた。

 本当に……。


「私は、この国の生まれではありません。しかし現在は、この国の一員です。私は、私の大切な家族と暮らすこの国を、オーリウェルの街を、少しでも良くしたい。その為に、皆さんの力を結集させていただきたいのです。長い間培われて来た因習や慣例を変革させるのは簡単な事ではありません。特に魔術師と貴族、そして現在の社会の在り方は、複雑に絡み合った歴史の上に成り立つものです。それを変えていくには、相当の労力と時間、そして勇気が必要な事でしょう。しかし我々は、その一歩を踏み出さなければならないのです。魔術を憎んでいた彼女が、魔術を学んでまで人々を救おうとした勇気を、私たちも持たなければならないのです」


 トクンと胸が高鳴った。

 魔術を学んだ……。

 ……私が?


「今まで積み上げられて来たこの国の文化を否定するつもりはありません。しかし私たちは、過去に囚われているだけではいけないのです。過去を美化し、過去だけを求める者たちの成れの果てこそが、皆さまもご存知の通り、あの魔術テロを引き起こした騎士団の者たちなのです。

 私たちは、前を向かなければなりません。そして今ここにある、私たちの傍らにある大切なものを見落としてはいけないのです」


 少し辛そうな顔をするアオイお姉さま。

 テロを引き起こした魔術師の事を話している筈なのに、まるで自分自身の事を語っている様だった。

 ……そう、なんだ。

 このお話は、ウィル・アーレンの思いをアオイお姉さまが代弁しているだけではない。

 アオイお姉さまは、自分の事も重ね合わせて語っているのだ。

 私は、ふとそう思ってしまった。

 僅かに目を伏せていたアオイお姉さまは、しかし直ぐにキッと顔を上げた。


「魔術を扱う者と扱わない者。貴族と一般の人々。私たちは理解しなければなりません。互いが互いを良く理解し合う事こそが、最も重要なのです。そして、既存の価値観や偏見に捕らわれず、互いに歩みより手を携えなければならないのです。従来は家伝の秘奥とされて来た魔術についても多くの人に広く知ってもらい、私たち魔術師の力が破壊と抑圧のためだけのものではない事を、多くの人々に理解してもらわなければなりません。

 魔素適性が市井にも拡散しつつある今、義務教育課程で魔術について触れるのも良いかもしれません。魔術の力を持つ者とそうでない者の軋轢は、この先貴族とそれ以外の者という枠組みを超えて広がって行くことでしょう。

 だからこそ今、歩み寄り、お互いを知り、理解する。そこから初めて、魔術と貴族とこの国の人々を取り巻く状況は変化して行くのではないでしょうか」


 隣の席でソフィアお姉さまが大きく頷いているのがわかった。

 そう。

 アオイお姉さまのお話は、聖フィーナに通っていると良くわかる。

 私は魔術が使えないけれど、アリシアやその他のクラスメイトたち魔術が使える子たちと隔たりを感じたりはしていない。

 魔素適性の有無など、些細な違いでしかないのだ。

 そして、魔術の力を示威や権力の為ではなく、社会に役立てるために正しく扱えれば、現代の魔術師のあり方も変わってくるのだろう。

 ……そうか。

 だから以前の私は、魔術を学ぼうとしたのかもしれない。

 家族を、大切な人たちを守る為の力として……。

 少し言葉を切り、短く息を吐くアオイお姉さま。

 議場はシンと静まって、アオイお姉さまの次の言葉を待っていた。


「強い力は、人の心を変えてしまいます。それは、良い方向にも、悪い方向にも、です。魔術であれ銃であれ権力であれ、力に呑まれてはならないのです。また、力に蹂躙される事を是としてはならないのです」

 

 アオイお姉さまは大きく腕を広げた。


「あなたの傍らを見て下さい。そして、そこにいるあなた家族の温かさを確かめて下さい。私たちは、その温かさを守る為に戦わなくてはならないのです。大切な人達が少しでも安心して暮らせるように、この争いに満ちた今を変革しなければならないのです」


 アオイお姉さまの声が響く。

 お姉さまの声が凛と空気を震わせ、私の心を震わせる。

 怒りや憎しみの為ではなく、誰かを守るために戦った。

 そうだ。

 そう、なのだ……。

 私はゆっくりと深く、息を吐く。


「多くの悲しみを背負った少女は、多くのものを失いながら、それでも多くのものを守り、戦い抜きました。彼女は、多くのものを、本当に多くのものを失った……。でも。彼女の残したその思いはここにあります。確かに今、ここにある」


 アオイお姉さまは、そっと自分の胸に手を当てた。


「彼女が守ろうとしたもの。彼女が願った事を、今度は私が果たそうと思います。だからみなさん。そのお力を私に貸していただきたいのです。もう誰かが、悲しみの中で戦わなくてもよい世の中を作るために。全ての家族が、安心して暮らせる世のために」


 つっと一筋の涙が私の頬を流れ落ちた。

 アオイお姉さまの声の余韻が静かに議場内に染み込んでいく。

 一拍の間の後、小さく拍手の音が響いた。

 最初はまばらだった拍手は、やがてに議場全体へと広がっていった。

 万雷の拍手が轟く。

 私の隣では、ソフィアお姉さまが大きく頷きながら拍手をしていた。渋い顔をしていたヴァイツゼッカー議長さんも拍手をしていた。立ち上がり、拍手を送っている議員さんもいた。議場を撮影していたカメラマンも、アオイお姉さまに大きな拍手を送っていた。

 議場を揺るがす拍手は止まらない。

 その拍手の音の洪水に包まれながら、私はアオイお姉さまの言葉を噛み締めていた。

 これがアオイお姉さまが抱く思い。

 そして、私の……。

 私は今までこんな事を思って戦ってきたのだ。

 そう思った瞬間。

 唐突に、ふと目の前が真っ暗闇に閉ざされてしまった。

 はっとする。

 何?

 何が起こって……。

 私は慌てて周囲を見回す。

 そこは、何もない暗い空間だった。

 全身がふわふわとした浮遊感に包まれている。まるで、水の中に浮いている様な感覚だった。

 ……ここは。

 この暗い場所には、しかし見覚えがあった。

 そう。

 もう1人の私が、ストロベリーブロンドの少女が沈んでいったあの暗い深みだ。

 その暗い水底から、不意に無数の気泡が浮かび上がってくる。

 沈んでしまった彼女は見えない。

 しかし彼女が沈んで行った深みから、幾つもの気泡が湧き上がり、次々と現れては私を包み込んでいく。

 暗闇の中に微かな光を見た気がした。

 その光は、様々な人を、光景を映し出していた。

 ウィルバート・アーレン。

 彼の家族。

 10年前の魔術テロ。

 軍警。

 グラム分隊長とΛ分隊のみんな。

 銃声。

 訓練。

 ミルバーグ隊長たち軍警の仲間たち。

 シュリーマン中佐にヘルガ部長、バートレット、アリス。

 くしゃりと笑うロイド刑事に、賑やかで楽しいジゼルたち聖フィーナの友達。

 数々の異形のエーレクライト。

 そして、あの鋭い眼差しでこちらを見つめるジーク先生……。

 その傍らに立つ、私そっくりの少女。

 ……そうだ。

 その全てが、私に、俺に、ウィル・アーレンに繋がっている。

 これが、私の記憶……。

 これが、ウィル・アーレンが今まで体験してきたもの。

 私の周囲を漂う、思い出たちを内包した泡。

 それが次々に私の体の中に消えていく。

 私は目を見開く。

 涙が溢れる。

 小さい頃から一緒だったソフィア。

 アオイとの出会い。

 アオイと一緒に駆け抜けた戦場。

 そして、あの星空の夜。

 ああ、そうだった……。


 そして、私たちは家族になった。


 私は、ぎゅっと目を瞑った。

 そして次に目を開いた瞬間、目の前に広がっていたのは万雷の拍手に揺れる貴族院の議場だった。

 私はそっと涙を拭った。そして、すっと立ち上がる。

 未だに拍手を続けている議員たちに対し深々と頭を下げているアオイお姉さま。

 しばらくしてゆっくりと顔を上げたアオイお姉さまと、2階から見下ろす私の視線が絡まった。

 私は、ふわりと微笑んだ。

 アオイお姉さまも、微笑みながらコクリと頷いた。

「ウィル?」

 私を見上げたソフィアお姉さまが呟いた。

 私はアオイお姉さまを見つめたまま、胸の奥から溢れてくる熱い気持ちを言葉にする。

「ソフィ。アオイは、私のお姉さまは、本当に立派な人です。私はアオイお姉さまの妹である事を誇りに思います」

 私は、ソフィアお姉さまの方を見てふわりと微笑んだ。

「ソフィって、ウィル……まさか!」

 ソフィアお姉さまが目を見開く。

 私は、小さく頷いた。



「……記憶が戻ったの?」

 ソフィアお姉さまが目を見開いて呟いた。

「はい。思い出しました」

 私は微笑みながら、正面からソフィアお姉さまを見る。

「ウィル……ウィルバート、なのね」

 ソフィアお姉さまが声を震わせ、目を潤ませる。

 しかし私は、そっと小さく首を振った。

 これまでは昔の事を思い出そうとすると霞が掛かった様に頭の中がもやもやするだけだったが、今はクリアに色々な事が思い出せる。

 もちろん、ウィルバートの事も。

 しかし。

 私にはまだ、その記憶全てが自分のものであると実感する事が出来なかった。

 ウィルバートの事も、銃弾や魔術が飛び交う激しい戦場の光景も、まるで映画や本で見た物語の様にただの知識の様に思えてしまうのだ。

 私は微笑む。

 でもきっと、私は泣いているのか笑っているのか分からない顔をしていただろう。

「私は、彼の記憶を受け継ぎました。でも、私は彼ではないと思うんです。彼は、ウィルバートは……」

 私は声を詰まらせてそっと中空を見上げた。

 彼は行ってしまったのだ。

 深く暗い水底に。

 ウィルという存在に記憶を残して。

 私に、この思いを託して。

「……私は彼ではありません。でも、何も思い出せなかったただのウィルでもないんです」

 私は決して泣くまいと涙を堪えながら、ソフィアお姉さまを見た。

「……どういう事よ、ウィル……。記憶が戻ったの? ウィルバートはどうなったのよ!」

 ソフィアお姉さまは掠れた声を上げながら私の袖を掴んだ。その瞳は、微かに潤んでいた。

 私はすっと目を細める。そして、ソフィアお姉さまの手をそっと握った。

「大丈夫です」

 私はソフィアお姉さまの目を見ながら、そっと胸に手を当てる。

「ウィルバートはここに居ますから。大丈夫、ソフィ」

 そして私は微笑んだ。

 精一杯、微笑んだ。

 ソフィアお姉さまも、私の大事な家族なのだ。10年前の魔術テロで全てを失った私を支えてくれた、大切なお姉さまなのだ。

 ……む。

 そこで私は、少しだけ眉をひそめる。

「あの、すみません、私、ソフィって……」

 ついソフィアお姉さまをそう呼んでしまう。そう呼ぶのが正しい事のように思えたのだ。

 目を潤ませながらじっと私を見つめたソフィアお姉さまは、やがてふっと息を吐いた。

「……ソフィでいいわよ」

 少し拗ねたように呟くソフィアお姉さま。

 私は微笑む。

 ソフィアお姉さまには、もっと私の事を良く知ってもらわなくてはならないと思う。

 そして、アオイお姉さまにも……。

 私は議長や他の議員さんたちと挨拶を交わしている演壇上のアオイお姉さまを一瞥した。

 今ならはっきりとわかる。

 やはり私の、ウィルの思いは、アオイお姉さまがしっかりと受け止めてくれたのだ。

 アオイお姉さまは、私の思いを継いで新しい一歩を踏み出した。

 嬉しかった。

 それは、本当に……。

 記憶を取り戻す事が出来たおかげで、私はその嬉しさを本当に噛み締める事が出来る。

 ……今すぐアオイお姉さまに会いたかった。

 会って、アオイお姉さまをぎゅっと抱き締めたかった。

 そして、お礼を言いたかった。この気持ちを伝えたかった。

「行きましょう、ソフィ。アオイお姉さまが待ってます」

 私はコクリとソフィアお姉さまに頷き掛けた。

 私はソフィアお姉さまの手を引いて、傍聴席を出た。スカートをひるがえし、長い髪を揺らして、足早に廊下を進む。

「ちょ、ちょっと、ウィル! 危ないわよ、転ぶわよ!」

 私に手を引かれたソフィアお姉さまが声を上げた。

 衛視の人たちが何事かとこちらを向くが、私はそんな事は気にせずにずいずいと進む。

 思い出す事が出来た私の記憶。

 それは、激しい戦いと悲しい出来事が沢山詰まった記憶だった。

 それでもそれは、間違いなく私が歩んで来た道なのだ。

 選んだ結果の道なのだ。

 ソフィアお姉さまには隠していたけれど、気を抜けば泣いてしまいそうだった。

 私はきゅと唇を噛み締めて階段を駆け下りる。

 どんなに辛い思い出があったとしても、記憶を取り戻せた事は嬉しかった。

 思い出したのは辛い事ばかりではない。

 私を受け止めてくれ新しい家族の思い出だって沢山あったから。

 アオイお姉さまとの思い出が……。

 私は幸せだったのだ。

 それを、知ることが出来た。

 だったら、これからだって歩いて行ける。

 アオイお姉さまと一緒に。

 ソフィアお姉さまやみんなと一緒に、どこまでも。

 1階に下りた私は、貴族院の議場の裏側へ回り込む方向へ歩みを進める。議事堂の詳しい構造なんて知らないので完全に当てずっぽうだったけれど、アオイお姉さまがいるのはそちらで間違いないという予感があった。

 左に曲がった廊下の先に人の気配がする。

 私はそちらに向かって足早に進んだ。

 角を曲がると、丁度前方の扉が開き、誰かが出てくるところだった。

 ふわりと艶やかな黒髪が翻る。

「……もう」

 ソフィアお姉さまが、私の手をそっと解いた。

 振り返ると、ソフィアお姉さまはふっと息を吐いて微笑んでいた。そして、微かに頷いてくれた。

 私も頷く。

 そして私は、タッと駆け出した。

 前方からやって来る黒髪の少女に向かって。

「アオイお姉さま!」

「ウィル!」

 アオイお姉さまは、私の姿を見てふわりと微笑んだ。

 そのまま私は、アオイお姉さまの胸に飛び込んだ。

 私はアオイお姉さまをぎゅっと抱きしめる。

 アオイお姉さまも、私をぎゅっと、しっかりと抱き締めてくれた。

「ありがとう、ございました! 私、その、私っ!」

 涙が溢れる。

 言葉に詰まる私に、アオイお姉さまは優しく微笑み掛けてくれる。

「ウィル……ああ。そうか、うん」

 私を見て、何かを悟った様に頷くアオイお姉さま。

 私とアオイお姉さまがは互いをきつく抱き締めながら、そっと笑い合った。

 季節が巡れば、変化は訪れる。

 魔術師を巡る社会情勢も貴族制度も、騎士団という魔術テロ組織もきっといつかは、そのあり方が変わる筈だ。

 そして私とアオイお姉さまの関係も、もこの先どうなっていくかはわからない。

 でも。

 それでも。

 きっといつまでも、私たちは共に歩んで行くのだろう。

 一緒に目指していくのだ。

 より良い明日への強い思いを胸に抱いて。

 真っ直ぐに、前を見据えて。


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