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 私の思い。

 私が望むもの。

 ウィル・アーレンが求めたもの。

 それは、一体何だったのだろう。

 ノートにペンを転がし机に肘を突いた私は、教壇に立つ先生の声を聞き流しながら、微かに曇った窓の外をぼんやりと見つめていた。

 重く雲が立ち込め灰色に塗りつぶされた世界には、ヒラヒラと微かに雪が舞っていた。

 今年の初雪だと思う。

 ……どうりで冷え込みが厳しい筈だ。

 ノートを取る事を放棄して、私はぼんやりと同じ事を何度も考えていた。

 記憶がなくなる以前の私の思い。

 アオイお姉さまが口にしたそれが何を意味するのか、今の私にはわからない。

 しかし魔術テロのニュースを見たあの夕方、アオイお姉さまは確かに何かを確信した様だった。

 あれ以来、アオイお姉さまは少し変わったと思う。

 じっと悲しい顔をして私を見る事はなくなったし、深刻な顔をして何かを考え込む様な事もなくなった。むしろ生き生きとしたアオイお姉さまは、日々やる気に満ちているといった様子だった。

 今までより一層忙しそうにしていて、私の相手をしてもらえる時間が減ってしまった様な気がする……。

 それは、アオイお姉さまにとっては良い変化だったのかもしれないが、私は少し寂しかった。

 むうっと頬を膨らませる。

 アオイお姉さま、最近勉強や伯爵のお仕事以外に何かを始めた様子だけど……。

「ではここまでね。来週は次のページからですので、予習を忘れない様に」

 先生の声と共にチャイムが鳴った。

 号令が掛かり、みんなで先生に挨拶する。

 先生が出ていくと、俄かに教室は賑やかになり始めた。

 今日の授業はここでおしまい。あとはホームルームが終わればもう帰るだけなので、気の早いクラスメイトは既に帰る準備をしていた。

 教室の中に賑やかな少女たちの声が満ちる。雪に気がついていなかった子たちが、窓の外を指差して大騒ぎをしていた。

 今日は私も、自習は止めて帰るつもりだった。

 アオイお姉さまと一緒帰って、お姉さまが何をしているか探るのだ。

 むん。

 私は密かに拳を握り締める。

「ウィル、今日こそ新作ケーキのチェック、付き合いなさいよ」

 不意に、後ろの席から抱きつかれる。

 ジゼルだ。

「ちょ、ちょっと、ジゼル!」

 私は髪を振って講義してみるが、じゃれつくジゼルは離れてくれない。

「そうですね。あそこのお店に行くのはウィル待ちなので、是非ご一緒しましょう」

 前の席のアリシアが振り向く。柔らかく微笑んだアリシアは、手を合わせて首を傾げた。

 お誘いは嬉しいけれど、私にはアオイお姉さまと一緒に帰るという重大な使命が……。

 その時、ブレザーの内ポケットに入れておいた携帯が振動した。

「ジゼル、ごめんなさい。今日は用事があるんです」

「えー、ブーブー。クリスマス用の新作、時期が過ぎちゃうよ」

 私は唇を尖らせるジゼルを押し返してから、携帯を確認した。

「なっ……!」

 思わず声を上げた私は、ばっと立ち上がってしまった。

「ウィル?」

 ジゼルとアリシアが、驚いた様にポカンとこちらを見上げていた。

「ちょっとすみません」

 私は腰あたりまで伸びた長い髪を翻して、慌てて教室を飛び出した。

 携帯の着信は、アオイお姉さまからのメールだった。

 内容は、急用で出掛ける事になったから、2日程帰らないというものだった。

 ……そんな、突然!

 私は早足でアオイお姉さまの教室に向かった。

 3年生の教室は私にとっては知らない先輩ばかりの未知の場所だが、今はそんな事を気にしている余裕はなかった。

 先輩のお姉さま方が、ズカズカと勢い良く歩く私に驚きの目を向けている。ドキドキとして、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかった。

「あら、ウィルちゃんじゃない」

 そんな私は、アオイお姉さまの教室に到着する直前で呼び止められてしまった。

 声を掛けてくれたのは、アオイお姉さまの親友のディードさんだった。

 ふわりと髪を揺らしながら、私はパタパタとディードさんに駆け寄った。

「ディード先輩、こんにちは」

 私はぺこりと頭を下げた。

「あの、アオイお姉さまは……」

 ディードさんは小さく首を傾げた。

「あれ、聞いてない? 今日は急用があるからって、早退したわよ」

「えっ!」

 さっきのメールにはそんな事書いていなかったけれど……。

「何の用事か言ってませんでしたか?」

 私は胸の前で手を握り締めると、ずいっとディードさんに詰め寄った。

 ディードさんは少し驚いた様顔をするが、直ぐにニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「うん、それは私も聞いてみたんだけどさ」

 ディードさんはポンっと私の肩に手を置いた。

「あれはウィルちゃん絡みだね。あのクールなアオイが、恋する乙女みたいにはにかんで笑うのは、ウィルちゃんに関する時だけだもん」

 ぼんっと顔が赤くなる。

 私の事で……。

 それが本当なら、嬉しくはあったけれど……。

「でも、大丈夫なんでしょうか。受験とか……」

 私は恥ずかしさにそっと目を伏せ、ごにょごにょと口を動かした。

 アオイお姉さまは成績も優秀だけど、大学受験前くらいは勉強に集中して欲しかった。

「ああ、それは大丈夫だよ、ウィルちゃん」

 しかしアオイお姉さまを憂う私とは対照的に、ディードさんがあっけらかんとした声を上げた。

「アオイ、首都の大学に推薦入学が決まったって言ってたわよ」

 ……えっ!

 私は思わず目を丸くする。

「結果発表は今日だったみたいね。アオイは絶対地元で進学するって言ってたのにさ。あれ、ウィルちゃん?」

 私はその場で固まってしまう。

 頭の中が真っ白になってしまう。

 私はしばらく呆然としてから、機械の様なギシギシとした動作でディード先輩に頭を下げた。そしてそのまま踵を返すと、自分の教室に向かってとぼとぼと歩き出した。

 ……ショックだった。

 目の前が真っ暗になってしまうくらい。

 アオイお姉さまの進路を知らなかった事が、ではない。

 後数ヶ月が経てばアオイお姉さまが私の側からいなくなってしまうという事。

 それが、私にとっては何よりも衝撃的だったのだ。

 私にだってわかっている。

 大学進学の為の別れなんて、一時的なものでしかない。休暇には直ぐ会えるだろうし、電話やメールだってある。

 私は、以前の記憶はなくても、お母さん離れ出来ていない小さな女の子ではないのだ。

 ……でも。

 胸がきゅっと締め付けられて、言いようのない不安が溢れて来るのがわかった。

 家族が離れ離れになる。

 家族がいなくなる。

 家族が……。

 そんな言葉が、まるで魔術の呪文の様に繰り返し繰り返し私の頭の中で響いていた。

 私は、肩を落としながらとぼとぼと教室に帰り着く。

 ……むう。

 アオイお姉さま……。

「あれ、ウィルさん」

「ケーキ行こう」

 自分の教室に戻った途端、エマとラミアが声を掛けてきた。

「無理強いはダメですよー。ウィルさんは忙しいみたいですから」

 アリシアが、困った様に笑いながらフォローしてくれた。

「……はぁ」

 私は、溜め息を吐いてさらに肩を落とした。

「……行く」

 そして、ポツリと呟いた。

「私も、行きます」

 私の言葉を聞いたアリシアが、少し驚いた顔をした。ジゼルがニコッと笑って、ぐっと親指を立てた。

 ……むん。

 どうせアオイお姉さまがいないお屋敷に帰っても、寂しくなるだけだしっ。

 私はそっと深呼吸してから、気を取り直してジゼルたちに駆け寄った。

 色々教えてくれなかった仕返しに、アオイお姉さまへのメールの返信はもう少し後にしようと私は心に決めた。



 はらりはらりと雪が舞うオーリウェルの街は、灰色に塗りつぶされていた。

 初雪のあの日以来、こんな天気がずっと続いている。ニュースでは、今年は遅い雪だと言っていたけれど。

 重く立ちこめる雲の下、マフラーとコートで防備を固めた人々が石畳の街を行き交う。

 ぐるぐる巻きにしたピンクのマフラーにくるまった私は、白く曇ったトラムの車窓からぼんやりとそんなオーリウェルの街を見つめていた。

 モノトーンに包まれた冬のオーリウェルの街並みは、じっと見つめていると少し物悲しくなってしまう様な雰囲気が漂う。

 しかし今は、クリスマス直前。

 この時だけは、街は明るい電飾に溢れ、お祭りの様なそわそわとした空気が漂っていた。クリスマス市も立って、観光客も多くやって来るのだ。

 少し混み合ったトラムの座席に座る私の膝の上には、先日ジゼルたちと訪れていたケーキ屋さんの紙箱が乗っていた。

 美味しかったので、今日改めてアオイお姉さまの分も買って来たのだ。それともちろん、ソフィアお姉さまの分もある。

 ジゼルたちとお店に行った先日とは違って、今日ならアオイ姉さんもお屋敷にいてくれるから、みんなでケーキが食べられる。

 私は紙箱を持つ手にそっと力を込めた。

 何か忙しく動き回っている件について、私はアオイお姉さまに直接尋ねてみた。

 エーレルト伯爵とし自分に出来る事、すべき事をしているだけだとお姉さまは言っていた。しかし、それ以上具体的な事については教えてくれなかった。

 私も、聞けなかったのだけれど……。

 大学の件についても聞いてみた。

 首都の大学に行くのですかと尋ねた私の顔はどうやら酷かったらしく、アオイお姉さまは無言でそっと私を抱き締めてくれた。

 アオイお姉さまの人生はアオイお姉さまのものだ。

 私がとやかく言うものではない事はわかっている。

 けれど、やっぱり寂しかった。

 ……アオイお姉さまがいなくなるという事が。

 私はそっと溜め息を吐く。

 駄目だよ、ウィル。アオイお姉さまに迷惑を掛けては……。

 私はそっと自分にそう言い聞かせていた。

 ……でも。

 トラムはルヘルム宮殿の東側を回り、一瞬だけルーベル川と併走してからヴォルフトゥーア通りに向かう。そちらからアルトエンデ通りに合流した辺りで、ソフィアお姉さまの車が待っていてくれている筈だった。

 ゆっくりのんびり走るトラムの前方に、ルーベル川が見えてきた。

 ルーベル川河畔の工場地帯は、以前の魔術テロ事件で酷く破壊され、一年が経とうとする現在も完全に復旧していなかった。

 私は横目でちらりとそちらを窺う。

 少し、ドキドキしていた。

 あそこは、私がこうなってしまった原因の場所だと聞いたから……。

 トラムの方向が変わり、ルーベル川の工事現場は直ぐに見えなくなってしまった。

 私はほっと息を吐いた。

 アオイお姉さまと一緒にニュースを見たあの日以来、再び魔術テロが全国各地で発生する様になったらしい。何でも壊滅したと思われていた騎士団とかいう組織が、息を吹き返しているらしいのだ。

 嫌な話だと思う。

 首都ではこの間も事件があったばかりだ。今アオイお姉さまが首都に行ってしまったら、私はずっと、アオイお姉さまの心配をし続けなければならなくなってしまうだろう。

 ……むむむ。

 私は目的駅でトラムを降りると、路肩で待っていたソフィアお姉さまの車に駆け寄った。

 丸っこくて可愛らしい赤い車に乗って、私はソフィアお姉さまと一緒にエーレルトのお屋敷へと向かった。

 その車内で、チラリとソフィアお姉さまがこちらを窺った。

「どうしたの、ウィル。元気ないわね」

 ソフィアお姉さまが明るい声を上げる。

 ソフィアお姉さまも、随分と今の私に慣れてくれたみたいだ。

 私が目覚めた当初は、私の顔を見るのも辛いといった様子のソフィアお姉さまだったけど、毎日学院で接しているうちに、自然と私を見てくれる様になっていた。

 それでも時々、悲しい顔をしている事はあった。それに、私の事を扱うのが時々荒っぽい事もあった。まるで、妹ではなく弟に接するみたいに。

 周囲のみんなの反応や、一人称が「俺」だったという事からも、昔の私は荒っぽく男っぽかったのかもしれない。

 ……今度、不良みたいに振る舞ってみようかな。

「ウィル?」

「あ、はい、すみません……」

 車が赤信号で減速する。

 私は顎を引きながら、チラリとソフィアお姉さまを見た。

 しばらく間を開けた後、私はアオイお姉さまの首都行きについてソフィアお姉さまに相談してみた。

 決して寂しいという表現は使わず、あくまでも記憶がないという私の現状において、家族の離散という事態に対する不安要素について……。

「なんだ、ウィル」

 説明し終えた私の頭を、ハンドルを握るソフィアお姉さまが片手でポンポンと叩いた。

「そういう所は昔と変わらないわね。昔もちょっと私の姿が見えないと、ソフィアお姉さまソフィアお姉さまと泣きながら私を探し回って……」

 ハンドルを握りながら楽しそうに笑うソフィアお姉さま。

 む。

 昔の事を覚えていなくても、それが脚色された過去である事は私にもわかった。

「ごめん」

 膨れた私を一瞥して、ソフィアお姉さまは笑いながら短く謝った。

「でもさ。エーレルトさんも頑張っているのよ、ウィルの為に」

 ソフィアお姉さまが静かにアクセルを踏んで車を加速させる。

 私たちを乗せた車は、いつの間にか人の多いオーリウェル中心部から緑が目立つ郊外に入っていた。エーレルトのお屋敷はもう直ぐだ。

 私はソフィアお姉さまの顔を見て、その次の言葉を待った。

「私には難しい魔術とか貴族の仕事の事はわからないけど、あのエーレルトさんが私にお願いしに来たのよ」

「お願い……」

「そう。しばらく忙しくなるから、ウィルについてあげて欲しいって」

 私は目を伏せる。

 アオイお姉さま……。

「あの妹にぞっこんだったエーレルトさんがそう言うんだもの。どうしたのって聞いたら、エーレルトさん、笑っていたわ」

 こちらを一瞥したソフィアお姉さまと目が合った。

「エーレルトさんにはやる事があるんだって。ウィルを元に戻すとかそういう話ではなくて、ウィルに恥ずかしくない様にするために。ウィルの望みを果たすためにって」

 私は、じっとソフィアお姉さまの顔を見てしまう。

 アオイお姉さまが私の事を思ってくれているというのはわかっていた。

 わかっていた筈なのに、改めてそう言い聞かされると、何だか私の悩みが幼稚なものに思えてしまう。

 私は小さく溜め息を吐きながら、そっと肩を落とした。

「大丈夫よ、ウィル」

 その私の頭に、再びポンポンとソフィアお姉さまが片手を乗せた。

「エーレルトさんも私も、どこにも行ったりしないわ。別々に住んでいても、あなたの家族はちゃんといるんだから」

 私は顔を上げてソフィアお姉さまを見た。

 チクリと胸を刺す喪失感。

 ……私は昔、大切な家族を失ってしまう様な経験をした事があるのだろうか。 

 しかしそんな感覚も一瞬だけで、直ぐに胸の奥は温かいものにふわりと満たされる。

 アオイお姉さまとソフィアお姉さまがいてくれる幸せを、私はそっと噛み締める。

 私は少し照れくさくなって、そっと車窓に目を送った。

 ソフィアお姉さまの車は、ポツポツと明かりが灯る小さな集落を通過していた。

 石造りの古い家と、こぢんまりとした教会。でこぼこの石畳の道。

 エーレルトのお膝元のこの村にだって、沢山の家族がいる。

 今この時も、みんな家族一緒の幸せを噛みしめているのだろうか。

 ……私みたいに。

 ならば、私はそんな家族を守りたいなと思った。

 ふと。

 突然に。

 ……あれ。

 守るってなんだろう。

 私は眉をひそめた。

 何から守る……?

 私が?

 頭の中に、あの魔術テロのニュースとルーベル川河畔の工事現場の光景が蘇る。

 ……うう。

 何を馬鹿な事を考えているのだろう。只の学生である私が、あんな怖いものをどうこう出来る筈がないのに。

 車は集落を抜けてお屋敷の門へとたどり着く。門をくぐり抜け、暗い森の中をまばらな街灯とヘッドライトの灯りを頼りに進むと、間もなくお屋敷の灯りが見えて来た。

 ほうっと安心出来る我が家の灯りだ。

「あれ、お客さんかな」

 ソフィアお姉さまが玄関に車を向けながらぽつりと呟いた。

 お屋敷の正面には3台の黒い車が並んでいて、黒いスーツを来た人たちが立っていた。



 アオイお姉さまのお客さまは、ヴァイツゼッカーさまという偉い貴族で政治家の方だった。

 アオイお姉さまからは簡単にそう聞いただけだったけれど、その政治家さんがテレビや新聞にも頻繁に載る有名人だという事は、晩餐会の席でゲオルグおじさまから教えてもらった。

 アオイお姉さまの知り合いのゲオルグおじさまとは、何度か晩餐をご一緒していた。何でも記憶が無くなる以前から、おじさまには色々とお世話になっているらしい。

 その秘書のリーザさんにも、私は色々と優しくしてもらっていた。

 クリスマス前に招いていただいた晩餐会の席で、私は政治家さんの話をおじさまに尋ねてみたのだ。大きな会社を経営されているゲオルグおじさまなら、その政治家のお客さまについてご存知かなと思ったので。

 その後も、その政治家さんの関係者と思われる人がお屋敷に来ているのは、何度か目撃した。

 アオイお姉さまは益々忙しそうに動き回っていて、学院を休んでしまう事も時々あった。

 3年生は既に通常授業が終了していたし、大学も決まっているアオイお姉さまには問題ない事かもしれないけれど、やはり私は心配だった。

 年末に向けてオーリウェルはさらに厳しい寒さに包まれていたし、もしアオイお姉さまが風邪でも引いてしまったらと思うと、私はどんよりと暗い気持ちになってしまうのだ。

 偉い政治家さんまで巻き込んでアオイお姉さまが何をしようとしているのか。それがはっきりしない事も、私を不安にさせる大きな要素だった。

 アオイお姉さまにもう一度直接尋ねてしまえばいいのかもしれないけど、それは何だか怖かった……。

 アオイお姉さまが遠くに行ってしまう未来を私自身が手繰り寄せてしまう様な気がして、大学の話やアオイお姉さまの活動についての話を切り出す事が出来なかったのだ。

 でも、どんなに忙しくても、アオイお姉さまは私の事を気に掛けてくれていた。

 私の話はきちんと聞いてくれるし、お屋敷にいる間は一緒にいてくれた。

 ある朝目が覚めると、いつの間にかアオイお姉さまに抱き締められていたという事もあった。

 その前の夜は用事で遅くなったみたいになので、帰宅したアオイお姉さまは、ブレザーとスカートだけを脱いで私のベッドに潜り込んだのだろう。

 静かに寝息を立てるアオイお姉さまは、ぽかぽかと温かかった。

 こうしていると、私がアオイお姉さまに頼っているだけじゃなくて、アオイお姉さまも私を必要としてくれているんだなという事を感じる事が出来た。

 幾分私の願望も混じっていたかもしれないけれど、それは、ついこの間目覚めてからの記憶しかない私にとっては、限りなく幸せな事だった。

 その日は、アオイお姉さまの目が覚めるまで、私はそのままじっとしていた。

 その後も、私はアオイお姉さまに何も尋ねられず、そしてアオイお姉さまは相変わらず忙しくしている日々が続いた。

 そうしている内に、雪が降り、初めて積もった。

 オーリウェルの街が純白に染め上げられる。

 石造りの建物も古い大通りも宮殿も、聖フィーナ学院もエーレルトのお屋敷も1年前の事件で出来た爆発の跡も、全てが白に隠されてしまった。

 本格的な雪の季節の始まり。

 そうなると、直ぐにクリスマスがやって来た。

 去年はどの様に過ごしたのかわからないけれど、クリスマスは家族で集まって過ごすものだ。

 お姉さまたちの予定はどうだろうと私がそわそわとお屋敷の中を歩き回っていると、アオイお姉さまがクリスマスはお屋敷で一緒に過ごそうと言ってくれた。

 照れくさかったので小さくうんっと頷いただけだったけど、内心私は、満面の笑みを浮かべてぶんぶんと首を縦に振っていた。

 それまでの賑わいや盛り上がりが嘘の様に、しんっと静まり返ったクリスマスの当日がやって来る。

 クリスマスは、ソフィアお姉さまも招いて家族みんなでゆっくりと過ごすことになっていた。

 お菓子を食べてプレゼント交換をして、エーレルトのお屋敷の居間で笑い合う。

 白く曇った窓の外は寒そうだったけど、お屋敷の中は明るく、そしてぽかぽかと暖かかった。

 肘掛け椅子に座るアオイお姉さまとソファーのソフィアお姉さまの間を、私はロングスカートを揺らしながら行ったり来たりしていた。

 笑い声が弾ける。

「もう、ウィルったら、子供みたいよ」

 ソフィアお姉さまが苦笑する。

「だって、記憶がないんですから、今回が私にとって初めてのクリスマスみたいなものなのです」

 私はアオイお姉さまからのプレゼントである巨大ネコぬいぐるみを膝の上で抱き締めながら、むうっと抗議した。

「うむ。ウィルは可愛いからそれで良いのだ」

 アオイお姉さまが肘掛けに肘を突きながら、うんうんと神妙に頷いていた。

 また笑い声が弾ける。

「そういえば……」

 私はふと、クリスマスのプレゼントを用意していて疑問に思った事を口にしてみた。私の自室には可愛くラッピングされた謎のプレゼント包があって、ずっと不思議に思っているという事を。

 しかしその話をした瞬間、何故か2人のお姉さまがすうっと不機嫌になってしまった。

 ……何故。

 でも、2人して似たような表情を浮かべる姉さんたちの姿が何だかおかしくて、私は口元に手を当てながら1人でケラケラと笑ってしまった。

 それに吊られて、またみんなが笑い出した。

 ソフィアお姉さまは、いつの間にかお酒を飲んでいたみたいだ。

 だんだんと酔いが回って来たみたいで、いきなり「ウィルバート!」とか叫びながら私に抱き付いて来た。

 ……む!

 突然の事でびっくりした私は、必死にもがもが抵抗する。

「ふふ、私もだ」

 もつれる私とソフィアお姉さまに、今度はアオイお姉さまが飛びついて来た。2人にもみくちゃにされて、私はもうされるがままになるしかなかった。

 レーミアさんが止めてくれなかったら、きっと私は酷い目にあっていたに違いない。

 最後には給仕をしてくれていたアレクスさんやレーミアさんにも加わってもらって、クリスマスの夜は賑やかに更けていった。

 アオイお姉さまが静かに笑っていて、ソフィアお姉さまが明るく声を上げて笑っていた。レーミアさんも無表情を保っていたけれど、密かに笑っていたのを私はちゃんと見ていた。

 そしてもちろん、私もずっと笑顔のままだった。

 このクリスマスの日は、昏睡状態から意識を取り戻してから私が一番笑った日だったかもしれない。

 幸せだった。

 本当に……。

 今の私は、以前のウィル・アーレンが何を思って何を望んでいたのかはわからない。でも、今のこの瞬間の幸せ以上に望むべきものなんて、きっとないのではないかと思う。

 私はみんなで笑い合いながら、そう思っていた。

 この気持ち。

 きちんと話せば、アオイお姉さまはわかってくれるだろうか……?

 時間が進むにつれて、そんな楽しく賑やかな一時にも会話が途切れてふと静かになる瞬間があった。

 温かいお茶のカップに口を付けてふと顔を上げた私は、肘掛け椅子にもたれながらこちらをじっと見ているアオイお姉さまと目があった。

 ドキリとしてしまう。

 優しく私を見るアオイお姉さまの目には、強い決意の光があった。

 揺るぎ無い、強い意志の光が。

 アオイお姉さまは、私に何かを示そうとしている。きっと私たちの将来に関する、何か重大な事柄を……。

 ふと私は、そんな予感を抱いてしまった。

 すうっとゆっくりと長く息を吐く。 

 私は、ぎゅっと猫のぬいぐるみを抱き締めた。



 クリスマスが終わると、あっという間に新年がやって来た。また新しい1年の始まりだ。

 クリスマス休みと年末年始のお休みが合わさった冬季休暇は、この前始まったと思っていたのにあっという間に終わりを迎えようとしていた。

 クリスマスは家族と過ごした私だったが、年始のお祝いはジゼルたちも招いて大勢で賑やかに過ごした。軍警のアリスさんや刑事さんであるロイドさんまで来てくれたのだ。

 アオイお姉さまやソフィアお姉さまたち家族で過ごす時間とは違う楽しさと充実感に溢れる年始めだった。

 その新年の賑わいも一段落した頃。

 新しい年が始まって1週間ほど経ったある日の夜。

 ベッドに寝転がってアリシアとメールをしていた私のもとに、不意にアオイお姉さまがやって来た。

 いつもの様に柔らかな笑みを浮かべながら、ひょっこりと現れたアオイお姉さま。

「アオイお姉さま」

「ウィル、すまないな。少し時間をもらえないか?」

 そのアオイお姉さまの顔を見た瞬間、私はわかってしまった。

 ああ、ついにその時が来たのだと。

 以前、私の姉として私の思いを携えて出来る事をすると言っていたアオイお姉さま。

 アオイお姉さまが成そうとしている事を、私に告げるその時が来たのだ。

 ドキドキと胸の鼓動が早くなる。

 それがどんなものであったとしても、私は覚悟を持って臨まなければならない。きっとそれは、どの様な方向にせよ、今の生活を一変させるものに違いないのだから。

 私は携帯を放り出してベッドの上にぺたりと座った。そして、きゅっと唇を噛み締めた。

 そんな決意を固める私を余所に、アオイお姉さまはとことこと部屋に入って来ると、壁際に聖フィーナの制服と一緒に吊られていた私のコートを手に取った。

 アオイお姉さまも、小脇にコートを抱えていた。

「ウィル。少し寒いと思うが、散歩に行こう」

 私はぽかんとしながら少しだけ首を傾げた。

 こんな夜更けに、散歩?

「さぁ」

 アオイお姉さまが手を差し伸べて来る。

 私はそっとその手を取った。

 アオイお姉さまからコートを受け取りながら私たちが向かったのは、一階のテラスだった。

 アオイお姉さまがガラス戸を押し開いて外に出る。その途端、切りつけるよう冷たい空気が吹き付けて来て、私は慌ててコートを羽織った。

「足元に気をつけて」

 こちらもコートを羽織ったアオイお姉さまが、私の手を取ってエスコートしてくれた。

 テラスから降りると、靴底からざくりと雪を踏む感触が伝わってきた。お屋敷の周りには、年明けに降り積もった雪がまだ残っていた。

 雪が積もった夜は、何だか明るく見える。普段なら夜闇に沈んでしまっている木々がぼうっと浮かび上がり、何だか不思議な光景を作り出していた。

「……凄い」

 私はほうっと白い息を吐いた。

 私が目を奪われてしまったのは、しかしそんな雪の夜の森ではなかった。

 頭上に広がる満天の星空。

 今にもこぼれてきそうな空一面の星の海に、私は心を奪われる。

「綺麗……」

 私は目を見開いて星空に見入ってしまう。ちらりとアオイお姉さまの顔を見て、また直ぐに星空を見上げた。

 明るく暗く、大きく小さく輝く無数の星たち。

 一等星が瞬く。

 赤い星が煌めく。

 星の少ないまばらな部分もあれば、星雲だろうか銀河だろうか、ぎゅっと星が密集した場所も見つける事が出来た。

 月の無い夜に見上げるその空は、まさに大気の底から見上げる宇宙そのものに感じられた。

 ……空気が澄んでいる冬の夜空が、こんなにも凄いものだなんて今まで気がつかなかった。

 しかし見上げたその美しい満天の星空が、不意にじわりと滲んでしまった。

 思わず涙が溢れてしまう。

 こぼれた一筋の涙が、頬を伝って流れ落ちた。

「あ、あれ……」

 涙が溢れてしまったのは、決して星空の美しさに感動したからだけではないと思う。

 私は以前、こんな凄い夜空を見た気がしたのだ。

 そしてその下で、大切な人と大切な話をした様な……。

 私は、思わず握り締めた拳を胸に当てた。

 トクトクと脈打つ胸の鼓動を感じる。

 私はゆっくりと深呼吸して呼吸を整えると、そっと涙を拭った。

 優しく目を細めたアオイお姉さまは、そんな私をじっと見守ってくれていた。

「……ウィル。こちらに。少し歩こう」

 アオイお姉さまは、胸の内に渦巻く複雑な思いに困惑する私の手を取り、歩き出した。

 ザクザクと残雪を踏みしめて白い息を吐きながら、私たちは裏庭の真ん中に立つ東屋へと向かった。

 綺麗な星空には圧倒されるけど、冬の夜はやっぱり寒くて、直ぐに鼻の頭や耳たぶがキンキンに冷えてしまう。

 でも、だからこそ繋いだアオイお姉さまの手の温かさを強く感じる事が出来た。

 私はそっと力を込めてアオイお姉さまの手を握る。

 東屋に到着した私たちは、ベンチに腰を下ろした。冷え切った夜の空気の匂い、そして水気を含んだ雪の匂いが漂っていた。

 私はアオイお姉さまが口を開くのをじっと待った。

 緊張と共に……。

 耳が痛くなるほどの静寂。

 世界の音は、全て雪に吸い込まれてしまったみたいだ。

 私かアオイお姉さまか、小さく息を吸い込む音が微かに聞こえた気がした。

「この前」

 不意に、ポツリとアオイお姉さまが口を開いた。

「この前、ウィルにも尋ねられたが、私は4月から首都に行く。首都の大学に行く事にした」

 ドキリと心臓が跳ねた。

 アオイお姉さまが私を見ている。

 私はお姉さまと目を合わせる事が出来ず、顔を強ばらせた。

「……その、えっと、が、頑張って、ください」

 小さく小さく掠れた声で私は何とかそれだけを呟いた。

 心の中では、アオイお姉さまに行って欲しくないと全力で叫んでいた。

 でも。

 それがアオイお姉さまの選んだ道なら、私は応援しないといけないのだ……。

「この間はきちんと話せていなかったからな。ウィルには改めて説明しておこうと思ったのだ」

 微笑むアオイお姉さま。

 私は、思わずぎゅっとお姉さまの手を握り締めてしまう。

「私は首都で大学に通いながら、知り合いの公爵様のもとで政治について学ぼうと思う」

 あのお屋敷に来ていた政治家の人のもとで……。

「……それは」

「ああ」

 アオイお姉さまはコクリと頷いた。

「伯爵さまの、先代エーレルト伯爵の跡を継ごうと思うのだ」

 アオイお姉さまの目には、強い光が宿っていた。

 自分の行く先を、進むべき先を見出した者の決意の眼差しだ。

 私はその目に気圧され、思わず息を呑む。

「それが、ウィルの意志を受け継ぐ方法だと私は考えた。だからウィルには……」

「そんなっ!」

 しかし私は、私の名前が出た瞬間、思わず声を上げてしまっていた。

「私の為と言うのなら、お姉さまは、わ、私の側、ううん、オーリウェルにいて欲しいのですっ!」

 私はアオイお姉さまの目を見つめながら、ぐいっと体を寄せて迫る。繋いでいた手を離し、アオイお姉さまの袖をぎゅっと引っ張った。

 引き結んだ唇がわなわなと震えているのが自分でもわかった。

 ……言ってしまった。

 私の身勝手な考えは、そっと封印しておこうと思っていた筈のに……。

 でも一度口にしてしまうと、私は溢れて来る思いを止める事が出来なくなってしまった。

「私の望みは、アオイお姉さまとソフィアお姉さまと、ずっと家族と一緒に暮らすことなんだと思いますっ! 以前の私も、きっとそう思っていた筈なんです! そう出来たなら、きっと他には何も……」

 再び涙が滲んでしまう。

 ……これでは、まるで駄々をこねる小さい女の子みたいだ。

 勝手な事を言っているというのは、自分でもわかっていた。

 アオイお姉さまは、しかしそんな私の言葉をじっと聞いてくれていた。

「……ウィルは、私の家族になってくれると言ってくれた。そう、こんな星空の下でな。その言葉で、私は救われた」

 アオイお姉さまは、私から視線を外して夜空を見上げた。その空と同じ色の漆黒の髪が、はらりと揺れた。

「ウィルは、しかし私や自分自身の為だけでなく、多くの家族の幸せを守る為に戦った。その身を挺して。諦めず、率先してな。家族を失う痛みを、理不尽な力に大切な人を奪われる悲しみを、ウィルは誰よりも知っていた。だから、もうこれ以上悲しむ人たちが出ない様に、必死に戦ったのだ」

 アオイお姉さまが私を見た。

 そして、ふわりと微笑んだ。

「ウィル。ウィルはそんな事が出来てしまう強い子なのだ。私は、私も、その強さを見習わなければならないと思った」

 私が、そんな……。

 早くなる鼓動が、グラグラと私の全身を揺らしている様だった。

 少し目眩がする。

 私は……。

「私も思うところがあって、密かに魔術で暴れる悪漢を懲らしめていた事があった。レディ・ヘクセとか黒衣の魔女などと称された事もあったな。しかし、それだけでは駄目なのだ。ウィルが望んだ様に、理不尽に家族が引き裂かれないよう、もう家族を失って悲しむ者がこれ以上出ない様にするためには、その場しのぎの戦いをしても駄目なのだと思った」

アオイお姉さまはそこで少し言葉を切ると、そっと目を瞑った。

「魔術テロを、争いを無くす為には、広い視野で世界を見渡し、時間を掛けて争いを生むメカニズムを変えていかなくてはならない」

 アオイお姉さまはすっと目を開けて、また私を見る。

「それを成す方法を見つける為に、私は政治を学ぼうと思う。少しずつこの国を、いや、我々の社会を変えて、ウィルが悲しまない様に、ウィルがもう戦わなくてもいいようにするために」

 真っ直ぐに私を見つめるアオイお姉さま。

 私はただじっと、目を見開きながらお姉さまの言葉を噛み締める。

 その言葉が、すうっと胸の奥に吸い込まれていく。

 ……ああ、そうか。

 それが、アオイお姉さまが見出したものなのだ。

 唐突に、ふわりと蘇って来た色々な思い出が、私を優しく包み込む。

 多くのものを失って多くの辛い経験を経た上で、アオイが得たそれが答えなのだ。

 この世の中で、これからを生きていく上で成すべき事、なのだ。

 コトンと胸に何かがはまった気がした。

 俺は、ふっと笑ってコクリと頷いた。

「わかった。それがアオイの決めた事なのなら……」

 私はふうっと長くゆっくりと息を吐き、目元に滲む涙を拭った。

 微笑む。

 微笑むことが、出来た。

 アオイお姉さまは、少し驚いた様に目を見開いて私を見ていた。

「……ウィル?」

 そしてぽつりと呟く。

「はい?」

 私は明るく返事をしながら少しだけ首を傾げた。ストロベリーブロンドの長い髪がはらりとこぼれた。

 私たちはそのままじっと見つめ合う。

 しんとした静寂が、そんな私たちを包み込む。

「ふっ」

 しばらくの間の後、アオイお姉さまが吹き出す様に微笑んだ。そして唐突に、私の頭をポンポンと撫で始めるアオイお姉さま。

 む。

「すまない、ウィル。私のワガママを許して欲しい」

 ……ううん。

 私は、微笑みながらそっと首を振った。

「転移術式を連続行使すれば、いつでも帰ってこれる。毎週末でもウィルに会いに来よう」

 アオイお姉さまは明るくそう言いながら、ゆっくりとベンチから腰を上げた。

「アオイお姉さまと会えるのは嬉しいですけど、せっかく大学に行くのですから、しっかり勉強して下さい」

 私も立ち上がりながら、少しだけ唇を尖らせた。冷えたベンチにしばらく座っていたので、お尻が強張ってしまっていた。

 気持ちの整理はついたとは言えないけれど、今は精一杯強がっておこうと思う。子供みたいに勝手な事を言い散らしてしまったので、ここはアオイお姉さまにしっかりとしたところを見せなければ。

「ふむ、それはそうだが……」

 アオイお姉さまは何か考え込む様に腕組みをした。

「ああ、そうか。ウィルの部屋に転移術式の術式陣を敷設しておけば、首都からでも一度の転移で移動出来る、か」

 アオイお姉さまは、そこでニコっと満面の笑みを浮かべた。

「よし。これなら、毎日でもウィルに会えるな。毎日一緒に寝られる」

「アオイお姉さまっ!」

 む。

 それはそれで嬉しいのだけれど……。

 悪戯っぽく私を見たアオイお姉さまは、はははっと軽い笑い声を上げると、私の方にすっと手を差し伸べた。

 私はその手を握る。

 温かい手。

 私のお姉さまの手を。

 私たちは、並んでお屋敷へ向かって歩き出した。

 今にも溢れてこぼれ落ちて来そうな満天の星空の下を。

「ウィル」

「はい?」

 夜空を見上げていた私は、アオイお姉さまの顔を見た。

「大学の前に、少し用事があってね。今週末に首都に行く。是非、その時はウィルにも一緒に来て欲しい」

 少しはにかんだ様に微笑むアオイお姉さま。

 私は、もちろん直ぐにコクリと頷いた。

「わかりました。首都ですか。何だか旅行みたいで楽しみですね」

 私はふわりと微笑んだ。

 それなら、ソフィアお姉さまも誘ってみんなで行ければ楽しいかもしれない。

 私とアオイお姉さまは、微笑みながらゆっくりとお屋敷に向かって歩いて行く。

 2人で一緒に、並んで歩く。

 私もアオイお姉さまも、そしてその他の大勢の人々も、色々な人たちが色々な思いを抱いて日々を生きていく。

 きっとその先には、別離の悲しみとか感情のぶつかり合いとか日々沢山の事があって、私たちはその度に翻弄されてしまうだろう。

 でも。

 私は、冬の夜の冷たい空気を大きく吸い込んだ。

 ……きっと大丈夫だ。

 この繋いだ手の温かさがあるのなら。

 きっと私は、この先もしっかりと歩いて行けると思う。

 星が瞬く。

 私たちを包み込む夜は、ゆっくりと更けてゆく。


 ご一読、ありがとうございました!

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