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「ジーク先生! 今すぐにこんな事は止めて投降して下さいっ!」

 無数の柱が並ぶ広大な地下空間に、俺の甲高い声が響き渡った。

 その悲痛な少女の叫びに、言葉を発した俺自身がはっと少し驚いてしまう。

 俺は改めてぎゅっと唇を噛み締めると、ライフルのホロサイトの向こうに立つ全身鎧を睨み付けた。

 鷲の意匠が施された兜を被ったジーク先生の表情は、もちろんわからない。しかし、あの氷の刃の様に鋭利な目が、真っ直ぐに俺を見据えているのはわかった。

「私は今、貴族として負うべき責任を果たしている。賢い君ならばわかるだろう。我々にとってはこの行動こそが正義の行いなのだ。退く道理などない」

 低く響く声からは、微塵の揺らぎも感じられなかった。まるでこちらが間違っているかの様な感覚に陥ってしまう程、絶対的な自信に満ちた声だった。

 以前は、この声を頼もしく感じていた。

 この声に、人を救う強さがあると感じていたのだ。

「その様な無粋な武器など捨てろ、ウィル・エーレルト。エーレルト伯爵家に連なる者であれば、魔術の力で持って私を止めてみせろ」

 そこでジーク先生はふっと笑った。

 ほんの微かに……。

「その為の術は教えただろう」

 ドキリとする。

 その声音はまさに、放課後の教室で魔術を教えてくれていたあのジーク先生そのものだったから。

 夕日に照らし出された聖フィーナの校舎。

 平和な一日が終わった後の弛緩した空気が満ちる放課後。

 遠く響く管楽器の音色と運動部の掛け声。

 暗闇に浮かび上がる淡い魔術の光。

 そして、それに照らし出されたジーク先生の顔……。

 ガチャリと鎧が鳴る。

 ジーク先生が一歩踏み出し、俺に近付いて来る。

「止まれ!」

 俺は出来る限り低い声で警告すると、ぐっと俺は歯を食いしばってライフルを突き出した。

 ジーク先生が教えてくれたあの魔術の最初歩、魔素そのものの輝きにも似た淡い光に照らされた全身鎧。

 真紅のマントを揺らし、精緻な彫刻が施されたその鎧がゆっくりと歩み寄って来る様は、まるで古の騎士物語の様な荘厳な光景だった。

 俺は、僅かに後ずさってしまう。

 必死に考える。

 ここでトリガーを引くのは簡単だ。しかし、一旦戦闘状況が始まれば、もう後戻りは出来なくなってしまう。

 いくらアオイの身体強化術式があるとはいえ、ジーク先生は容易く捕らえられる相手ではない。

 ……仕掛けるタイミングが重要だ。

 俺はじっとジーク先生を睨んだ。

 ジーク先生の行動、魔術を想定し、俺の取るべき動きを考える。周囲の状況も把握しておかなければならない。もし伏兵でもいれば、こちらが一気に不利となる。

 冷静に、落ち着いて……。

 刹那の判断がこの戦いを決する。

 俺はそっと息を吸い込み、胸を膨らませる。そしてゆっくりと吐いた。湿り気を帯びた空気の中に、水の匂いを感じた。

 俺はライフルを構えながら、目だけで周囲を確認する。

 広大な地下空間の殆どは、闇に沈んで見渡せなかった。

 足元からぼうっと立ち昇る光に照らし出された巨大なコンクリートの柱。

 古代の神殿の様に無数に並ぶその柱とこの広い空間からして、俺は水が抜かれている地下調整貯水路の1つに強制転移させられたのだろう。

 ブリーフィングで確認した調整貯水路はルーベル川に沿った細長い形をしていたが、俺が今どの辺りにいるのかは全く見当もつかなかった。

 こちらにはE分隊が向かっている筈だから、貯水路の出入り口が把握できれば合流出来る可能性もあるが……。

 状況を確認するにしても、光源は足元の光だけだ。

 床から発する淡い光が、この場所をより神秘的に照らし出していた。

 いや……。

 俺はそこで眉をひそめる。

 この場所は、本来ルーベル川の水を貯めるだけの施設だ。

 何故足元に照明が……。

 そこで俺は、はっと息を呑んだ。

 まさか……。

 俺はだんだんと目を大きく見開くと、もう一度さっと周囲を見回した。

 そんな、まさか……!

 俺はジーク先生から銃口を逸らし、ライフルの銃身に装着したライトを点灯させて周囲を照らした。

 足元から溢れる光は、埋め込まれた照明などではなかった。

 コンクリートの床面に刻まれた複雑な紋様が光を発していた。絡まる様に組み合わさった図形や見たこともない文字の様なものが、床の上にびっしりと刻まれているのだ。

 それが光っている。

 ライトの届く範囲、全てに。

「これは……」

 俺はこれを見た事がある。

 それも、数時間前に。

 あのオーリウェル国際空港脇の廃村、その材木工場の中で。

「これは、まさか、自爆術式陣……!」

 俺は驚愕に目を見開きながら、呆然とそう呟いていた。

「そう」

 ジーク先生が俺の前で立ち止まり、重厚な兜に包まれた頭を巡らして周囲を見回した。

「我々の覚悟の証だ」

 重々しく告げるジーク先生。

「なっ……」

 俺は絶句する。

 見渡す限り全てが術式陣……。

 まさかこの地下調整貯水路全てが……。

 術者の命を糧として発動する破壊の為の術式陣。

 材木工場の術式陣ですら周囲に多大な被害をもたらし、廃村から離れた場所にあった滑走路に損害をもたらす程の威力があったのだ。

 こんな、広大な地下空間すべてに広がる自爆術式陣が起動してしまったら……。

 俺はぶるりと震えた。

 オーリウェルが吹き飛ぶ……!

 くっ!

「ジーク先生、あなたを逮捕します!」

 俺はライフルを振り上げ、再びジーク先生にポイントする。

 はぁ、はぁ、はぁ……。

 呼吸が乱れる。

 全身から汗が噴き出す。

 じとりと湿った下着と聖フィーナのシャツが、肌に張り付いて不快だった。

 俺はジーク先生の動きに全神経を集中させる。

 胸の鼓動が限界まで早まっていた。頭の中が真っ白になってしまいそうだ。

 ダメだ、今こそ冷静に、冷静に……。

 ジーク先生がもしこの自爆術式陣を起動させてしまったら、全てが終わってしまうのだから。

「わかっただろう、ウィル・エーレルト。これが私の貴族としての覚悟だ」

 ジーク先生がマントを広げ、大きく両手を開いた。

「我が命を賭し、多くの犠牲を背負っても貴族としての責務を果たす覚悟が私にはある」

 ジーク先生が一歩俺に近付き、俺が一歩後退る。

 くっ……。

「どうして、どうしてこんな事、ここまで酷い事をするんですか、ジーク先生っ!」

 思わず俺は叫んでいた。

 声が微かに震えている。ライフルを握る手も震えていた。

 どうして、どうしてこんな酷い事を……。

 視界がじんわりと滲む。

 前を向き、ジーク先生を睨みつけたままの俺の頬を、つうっと温かい液体が流れ落ちた。

「ジーク先生はジゼルを助けてくれましたっ! ジーク先生は誰かを助けられる力があるんです! 助けるために行動も出来た! それを、俺は、本当に凄いなって思ったんですっ!」

 叫びながら俺はトリガーに指を掛けた。

 安全装着はとっくに解除されている。

「なのに、こんな……!」

 俺はぎゅむっと唇を噛み締めた。

 ジーク先生は俺を迎え入れる様に開いていた腕をすっと閉じると、僅かに首を傾げた。

「それは、夜会の会場での事かな」

 ジーク先生の声はあくまでも穏やかだった。声を震わせている俺が滑稽に思える程に。

「私があのメイドを癒やしたのは、彼女がウィルの友人だったからだ」

「……えっ」

 俺は一瞬、ジーク先生の言っている意味がわからなかった。

「ウィル・エーレルト。私は君の為に彼女を助けたのだ」

 当然の事だと言わんばかりにそう告げるジーク先生。

 俺の為に……?

「ウィル。人の命は平等などではない。尊重はされるべきだが、その時、場所、状況によってその重さは変わる。それを見定め、取捨選択するのが、人々を統べる立場にある者の務めだ」

 何を、言っているのだろう。

 俺は、呆然としながらジーク先生の話を聞く事しか出来なかった。

「彼女を助けた事により、君は魔術の素晴らしさに気が付いた。あのメイドを助けた価値はあったというものだ」

 これが貴族……?

 目の前の全身鎧が、俺には人ではなく何か別の者の様に見えてしまう。

 俺はギリッと奥歯を噛み締めた。

「でもっ……!」

 俺はキッとジーク先生を睨み付け、反論の言葉を絞り出した。

「こんな、魔術で人々を脅して傷つけるような事は、どんな理由があったとしても、正しい筈なんてないんです! 命を奪って家族を引き裂いて悲しみを生み出して、そんな事をする権利は誰にもない!」

「今の世を正すには、犠牲が必要だ。現行のシステムの中でいくら足掻こうが、出来るのは底の腐った船の進路を僅かに変える事だけだ。その程度では、やがて船は沈む。この国は沈む」

 ジーク先生は右腕を持ち上げ、俺に向かってぎゅっと拳を握り締めて見せた。

「ならば、新しい船に乗り換える程の革新が必要なのだ。無論それは、容易い事ではない。犠牲も出る。しかし成さねばならない事だ」

 ジーク先生は握り締めた拳をさっと払った。真紅のマントが勢い良く広がった。

「ジーク先生、あなたはっ!」

 俺は、今度はこちらから一歩踏み出した。

「あなたを逮捕します! もうこれ以上魔術で誰かを苦しめるのは止めてください!」

 俺は叫ぶ。

「出来ないと言った」

 ジーク先生が淡々と告げる。

 術式陣の淡い光の中で、俺とジーク先生は睨み合う。

 俺はジーク先生にライフルの銃口を向け、唇を噛み締めて。

 ジーク先生は俺に無機質な兜の面防を向けて。

 どれほどその対峙が続いただろうか。

 俺は一瞬だけライフルのフォアグリップを離してさっと涙を拭った。

 涙はもう溢れていなかった。

 止めなければならない。

 ジーク先生を。

 今ここで。

 どんな事をしても、だ。

 そうでなければ、沢山の人たちの犠牲が無駄になる。

 さらに沢山の犠牲者が出てしまう。

 ジーク先生を止める。

 例え力ずくになったとしても……!

 耳に痛い程の静寂が地下空間を満たす。

 躊躇いはない。

 首都でジーク先生と対峙し、ハンドガンのトリガーを引いたあの時から覚悟は出来ている。

 心の内に残っていた僅かな躊躇いも、今は無視する。

 目の前のエーレクライトは敵。

 制圧すべき敵だっ!

 俺はライフルを構えて一歩踏み出す。

 ジーク先生がさっと手をかざす。

 はっ……!

 短く息を吐く。

 そして俺は、トリガーを引いた。

 銃声が轟く。

 マズルフラッシュが広がり、反動が肩を叩いた。

 外す距離ではない。

 しかし。

 俺はギリっと歯を噛み締めた。

 銃弾は、当然の様にジーク先生によって防がれてしまう。

 俺の放った5.56ミリ弾は、ジーク先生の手のひらに接する直前で空中に停止していた。

 防御場ではない。銃弾が防御場を直撃した時特有の衝撃はなかった。それに、詠唱している様子もなかった。

 これがジーク先生の力……!

「くっ!」

 しかしそれでも、ジーク先生はこの場で押さえる!

 俺はふっとしゃがみ射点を変える。そして立て続けにトリガーを引き牽制射撃を加えた。スカートがふわりと広がり、背中で髪が跳ねた。

 銃弾は防がれる。

 ジーク先生に動じた様子はない。

 まだだっ!

 俺はライフルを構えたまま、さっと走り出す。




 連続する銃声。

 トリガーを引く。

 狙いは付けない。弾丸をばら撒いてジーク先生を牽制する。

 俺は発砲しながら低い姿勢で駆け抜けて、ジーク先生の側面に回り込む。

 ジーク先生は、しかし僅かにこちらを見てさっと手をかざすだけだった。銃撃されているにも関わらず、全く動じた様子はなかった。

 俺の放った銃弾は、やはりジーク先生に届かない。その鎧に達する直前でピタリと停止してしまう。

 まるでそこだけ時間が止まってしまった様だ。

 いや、空間を固めているのか……?

 複雑な術式と魔素が展開されているのは俺にも感じられた。しかし、難解すぎてその複雑な術式を正確に感じ取る事は出来なかった。

 俺はジーク先生の左後方に回り込むと、走りながら腰のポーチからフラググレネード取り出す。素早くピンを抜いてそれを、俺はジーク先生の足元に向かって転がした。

 同時に、腰を落としてフルオート射撃。

 グレネードが炸裂する。

 その爆炎を銃弾が撃ち貫いた。

 空になった弾倉を落とし、リロードする。

 ガチャリと足音が鳴る。

 グレネードの爆発の中から、ゆっくりと俺の方へと向き直るジーク先生の鎧が現れた。

 やはり無傷だ。

「jpuulc xceei dua lmmzxcti」

 今度は微かな術式詠唱の声が聞こえた。

 ジーク先生を中心に白い輪が出現する。

 ビシリと空気が凍る音が聞こえた。

 空気中の水分が凍結し、氷のリングが形作られているのだ。

 その氷のリングから、ギシギシと軋みを上げて氷の帯が生えてくる。それま瞬く間に成長すると、四方から俺を取り囲む様に広がった。

 まるで鞭の様にしなやかに弧を描いた氷が、俺へと迫る。

 俺はその先端に素早く狙いを付け、トリガーを引いた。

 マズルフラッシュが煌めき、氷の鞭を撃ち砕く。

 3本の氷を打ち砕くが、最後の1本の迎撃が間に合わない。

 俺は眼前に迫る鋭い氷の鞭の先端を凝視しながら、必死に身を捻った。

 ふわりと舞い上がった髪を、氷の先端が貫いてゆく。

「ううっ!」

 片目を瞑りながらギリギリの距離で回避した俺は、そのまま床を蹴って前へと踏み出した。

 離れた場所からの銃撃がダメなら、接近戦でっ!

 微かに響く術式詠唱。

 ジーク先生の鎧の周囲に滞空する氷のリングから、さらに空間を凍結させながら氷の鞭が生えて来た。

 俺は床を舐める様に低い姿勢で突撃する。

 進路に立ちふさがる氷をライフルで打ち砕き、強化された身体能力で何とか回避する。

 ジーク先生のエーレクライトが目の前に迫る。

 俺はさっと銃口を向けた。

「ふっ」

 その刹那。

 ジーク先生が笑った様な気がした。

 鎧が動く。

 今まで手をかざす程度しか動いていなかったジーク先生が、唐突に俺に向かって踏み込んで来た。

 ガチャリと鳴る鎧。

 俺は咄嗟にトリガーを引いた。

 しかし一瞬早くライフルの銃口よりも内側に踏み込んで来るジーク先生。

「うっ!」

 俺の眼前に迫る鷲の兜。

「敵わないとわかっていても、それでも踏み込んで来るその勇気」

 ジーク先生が俺の目の前で囁いた。

 面防のスリットの向こうにある光を放つ鋭い目が、俺を見据えてた。

「己が信念を貫かんとするその姿勢は、賞賛に値する。しかし、言った筈だ。この様な玩具では私は倒せない」

 ジーク先生ががしりとライフルの銃身を握った。

 俺はとっさに腰の後ろからハンドガンを抜き放つ。そしてさっとジーク先生に銃口を向けるが、そちらの手もハンドガンのグリップごとジーク先生に握られてしまった。

「くっ!」

 俺とジーク先生の動きが止まる。両手で組み合った姿勢のまま俺たちは拮抗する。

 歯を食いしばりながら、俺はジーク先生を押し返そうと精一杯力を込めた。しかしライフルとハンドガンを捕らえたジーク先生の腕は、ぴくりともしなかった。引いてみるが、それもダメだった。

 凄い力だ。

 俺には今、身体強化術式が施されているというのに。

 俺は歯を食いしばって力を振り絞る。

 うう、うううっ!

「些か不器用ではあったが、君は良い生徒だった。どれだけ上達したか見てあげよう。魔術の力を示してみろ」

 俺は至近距離からジーク先生を睨みつけた。

 俺には攻撃術式など使えない。ここで銃を離してしまえば、武器を失ってしまう。魔術を打ち破れる銃を失うのは致命的だ。

 しかしこのまま押し合っていてもどうしようもない。

 ……考えろ。

 何か手はある筈だ。

 しかし、眉をひそめて鎧を睨み続ける俺が次の行動に移るよりも先に、ジーク先生が何かを呟いた。

 術式詠唱……?

 そう思った瞬間。

 俺の腰に何かがするりと巻き付いた。

「ひゃっ!」

 びくりと身を竦めてしまった俺は、目だけで下を確認する。

 俺の腰に巻き付いていたのは、先ほどジーク先生が放った氷の鞭だった。

 はっとする。

 ジーク先生の周りの氷のリングは健在だ。今は俺が接近しているため、俺とジーク先生を取り囲む様に展開している。

 そのリングから、氷の鞭が伸びているのだ。

 唐突に、ジーク先生が銃から手を離した。

 その瞬間俺は、腰の氷にガクッと後方に引っ張られる。

 体勢を崩したところへさらに四方から軋みを上げて氷が迫って来る。

 ライフルを持った右手にするりと巻き付く氷の鞭。

 同様に右足も拘束されてしまう。

 さらに、左手にも氷が迫る。

 俺は咄嗟に左手に握ったハンドガンのトリガーを引いた。

 乾いた銃声が響き渡り、至近距離から9ミリ弾を受けた氷の鞭が砕け散った。

 その冷たい破片が俺の顔に降り注いだ。

 すぐさま俺は、右手、そして右足の氷も撃ち砕く。身をよじって背後から腰に組み付いていた氷の鞭もハンドガンで粉砕した。

 俺はそのままバックステップを三回繰り返し、ジーク先生から大きく距離を取った。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 乱れた息を何とか整えようと試みる。

 ハンドガンは一旦ホルスターに仕舞い、俺は改めてライフルを構え直した。

 その間も、視線はジーク先生から決して離さない。

 俺はすっと目を細めた。

 ……さすがに手強い。

「大人しくしていろ。君を傷つけたくはない」

 ジーク先生がガチャリと鎧を鳴らして腕を差し出した。

 その口調は、まるで聞き分けのない子供を諭す様だった。僅かに笑みすら含まれている。

 まるでこの状況を、戦闘を楽しんでいるかの様だった。

 ……やはり俺ではジーク先生との戦力差は大きすぎるという事か。

 俺はぎゅむっと唇を噛み締める。

 ジーク先生は、再びゆっくりと俺に近付いて来た。

『ジークハルトさま。その娘、私が捕らえましょう』

 その時不意に、背後から女の声が聞こえた。

 俺は髪を振ってばっと振り返った。

 ジーク先生を警戒しながら、声の方へとライフルを向ける。

 巨大自爆術式陣を構成する紋様が淡い光を放つ中、調整貯水路の闇の中に何か巨大なものが蠢いていた。

 がしゃりと金属が鳴る。

 俺は、そちらに向けてライフルに装着したライトを点灯させた。

「なっ……」

 そこで俺は、絶句する。

 闇の中からゆっくりと歩み出て来るのは、金属で構成された巨大な獣だった。

「……ローザリン。手出しは無用だ」

 ジーク先生が低い声を発した。その声は、楽しげでさえあった先ほどとは打って変わって氷の刃の様に冷ややかだった。

『……申し訳ありません。しかし、効かぬとわかっていても、ジークハルトさまが銃弾などにその身を晒される事に耐えられなかったのです』

 金属で出来た異形は、そう告げながら重々しい足音を立て俺と対峙した。

「エーレクライト、なのか……」

 俺はライフルを向けながら、ぽつりとそう呟いていた。

 俺の前に現れたのは、クチバシの様に突き出た兜が印象的な、曲線的なラインが女性を思わせる細身の全身鎧だった。

 ただし、それは上半身だけの事。

 目を引くのはその下半身だ。

 軽機動車ほどもあるだろうか。巨大な胴体に鉤爪の生えた太い四肢が付いている。さらには金属製の尻尾まで生えており、その姿はまさに金属の獣だった。やや丸みを帯びたシルエットが、ネコ科の肉食獣を思わせる。

 人型の上半身に獣の下半身。

 そのバランスは異様で、巨大な獣の部分に小柄な人型部分が埋まっている様に見えた。

 異形の半獣のエーレクライトが、俺を見据える。

『下賤の娘。恐れ多くもジークハルト・フォン・ファーレンクロイツさまの御前である。跪け』

 そのエーレクライトから、若い女の声が響いた。

「くっ……」

 俺は半獣のエーレクライトに銃口を向け、ジーク先生の方に気を配りながら思わず呻いてしまった。

 背筋をつうっと冷たい汗が流れ落ちる。

 ……ジーク先生だけでも手一杯だというのに。

 俺は顔をしかめながら2体のエーレクライトを交互に睨み付けた。その度にリボンで結った髪がパタパタと揺れる。

 ジーク先生と半獣のエーレクライトと対峙しながら、足元の巨大な自爆術式陣が起動するのも防がなければならない。

 緊張で手が震えてしまう。

 思わず後退りしてしまいそうになる。

 ……しかし。

 俺は意識して足に力を込め、その場に踏み止まった。

 どんな厳しい状況でも、諦める事は出来ない。

 投げ出す事は出来ない。

 逃げる事も、もちろん降伏する事も出来ない。

 時間を稼げば、きっと味方が援護に来てくれる筈だ。そうすれば、この状況を覆せる筈なのだ。

 それまで目の前の敵は、俺が押さえなければならない。

 そして、もし助けが来なかった時の事も考えて動かなければならない。

 もうジーク先生を逃す訳にはいかないのだから……!

「くくくっ」

 決意を固め、俺が動き出そうとした瞬間、不意に低い笑い声が響いた。

 ジーク先生だ。

 俺は眉をひそめてジーク先生のエーレクライトを睨み付けた。

「ウィル・アーレン。その瞳の輝きは、まだ心折れていないという事だな」

 俺はすっと目を細めてむうっと膨れた。

「当たり前です! ジーク先生、この場所は既に軍警に知られています。もう逃げる事なんか……」

『黙れ、小娘! ジークハルトさまにその様な口を!』

 俺の言葉を遮り、ヒステリックに叫ぶ半獣のエーレクライト。

 俺はいつでも動ける様にすっと腰を落とした。

「構わない、ローザリン」

 ジーク先生が女のエーレクライトにすっと手を向けた。

「ウィル・アーレン。やはり私の見込んだ通りだ」

 ふっと笑うジーク先生。

「窮地にあっても諦めない心。そして顔も知らない人々を守る為に命を懸けて戦えるその高潔な精神。やはり君は、貴族として人々を率いるべき人間だ。だからこそウィル・エーレルト」

 ジーク先生が鎧を鳴らして俺に向かってその腕を差し出した。

「私と共に来い。エーレルトを継ぐ者として私と共にこの国を導くのだ」

 俺はジーク先生を睨む。

 ライフルのサイト越しに。

「行けません」

 そして俺は、きっぱりとそう言い放った。

「今まさに人々を傷付けているのはジーク先生です。それなのに人を導くとか、国を救うとか、そんな!」

「物事は大局的に見るべきだ」

 ジーク先生が鎧を鳴らしてゆっくりと俺に歩み寄って来る。

「目の前の少数を救うだけが良策ではない。国家という総体を救う為に、私たちは戦っている」

 ……結局それか。

 俺はギリっと奥歯を噛み締めた。

「ウィル・エーレルト。以前の様に私が君を指導しよう。貴族の姫として相応しい魔術の力と、人を統べる者としての矜持を教えよう。さぁ、私と共に来なさい、ウィル」

 俺に魔術を教えてくれたジーク先生。

 あの魔術講義でジーク先生が俺に魔術を教えてくれたのは、こんな事の為だったのか。

 怒りは湧いて来なかった。

 嫌悪や恐れもなかった。

 ただ、少し悲しかった。

 短い間だったけれど、俺はジーク先生の事を何もわかっていなかったんだなと思う。

 ジゼルを助けてくれたジーク先生を、ただ一方的に尊敬していただけ……。

 悲しかった。

 拭った筈の涙が再びじんわりと溢れて来て、唇がふるふると震える。

 うう。

 アオイ……。

 お姉ちゃん……。

「ウィル」

 その時。

 不意に背後で声がした気がした。

 優しい声。

 温かい声。

 アオイの声だ!

 俺は目を見開いてはっとする。そしていつの間にか俯いていた顔を上げた。

 カツンとコンクリートの床を踏む足音が響く。

「ジークハルト・フォン・ファーレンクロイツ。貴様はそうしてエオリアもたぶらかしたのか」

 続いて響いて来た声は、先ほど俺の名を呼んだ声とは別人の様だった。ひやりとしてしまう、研ぎ澄まされた刃の様な声だ。

「来たか」

 ジーク先生が吐き捨てる様に短くそう言うと、立ち止まる。そしてマントを揺らし、僅かに足を開いた。

 俺と対峙した時には見せなかった警戒態勢を取るジーク先生。半獣のエーレクライトも、巨大な獣の四肢を開き、戦闘態勢を取った。

 俺は思わず振り向きそうになる。

 振り向きたくてたまらない。

 しかし今、2体のエーレクライトと対峙ている状況ではそれは出来なかった。

 それでも、声だけでも、俺は胸の中のもやもやとした感情や心細さが、急速に萎んでいくのがわかった。

 その代わりに力が湧いて来る。

 1人なら出来ない事も、2人なら大丈夫な気がして来る。

 そう。

 アオイと一瞬なら。

 黒マントを翻し、長い黒髪を揺らしたアオイが、カツンっと足音を響かせて俺の隣に並んだ。

 隣を一瞥した俺は、一瞬アオイと視線を絡めた。

 アオイがふっと微笑んだ。

 それは、優しい笑顔だった。俺の姉の笑顔だ。

 思わず俺も微笑んでしまう。

 俺たちはそっと頷き合う。

 しかし直ぐに表情を引き締めて前方を見た。

 俺は一歩踏み出し、改めてライフルを構える手に力を込めた。



「早かったな。ウィル・エーレルトの転移先を良く見破れたものだ」

 ジーク先生が顎を上げてアオイの方を見た。低いその声は平板で、感情を読み取る事は出来なかった。

『ジークハルトさま。申し訳ありません。転移への干渉は機能していた筈ですが……』

 半獣のエーレクライトが申し訳なさそうに声をひそめた。

 あのエーレクライトはジーク先生の護衛なのだろうか。

 凶悪な見た目から攻撃力が高そうなに見えるが、もしかしたら防御特化型なのかもしれない。

 アオイはその半獣のエーレクライトを一瞥すると、ジーク先生を睨み付けた。

「遅くなってすまない、ウィル」

 前を見たままアオイが囁いた。

「うん。大丈夫」

 俺も小さな声でそう返しながら、そっと頭を振った。

「Ω分隊のみんなは?」

「中央制御室でエーレクライトと交戦中だ。一体は私が消滅させておいたから問題はないだろう」

 消滅……。

「私としては軍警の援護などよりも一刻も早くウィルに合流したかったのだが、この場所は何らかの術式で外部と遮断されてしまっていた。そのために、ウィルの居場所を特定するのに時間が掛かってしまったのだ」

 すまないと再び謝るアオイ。

 俺の体にはアオイの魔素が流れている。アオイからすれば、その俺の転移先を把握するのは造作もない事の筈だ。

 そのアオイの感知能力を妨害していたのはあの半獣のエーレクライトの様だが、ただの護衛ではなく、やはりあの鎧にも何かしらの能力があるということなのだろうか。

「後はこの姉にまかせるといい」

 ぽつりと呟くアオイ。

「栄えよ、蒼天、萌芽、我が意の式、光陰転ず」

 そして不意に、アオイは術式詠唱を始めた。

 アオイの周囲に無数の青い球体が出現する。

 問答無用の先制攻撃。

 青の球体はまるで銃弾の様な勢いでジーク先生の周囲へと飛ぶ。

 ジーク先生が短く詠唱を行い、手をかざした。

 中空に現れる氷の刃。

 それは一見汎用術式の攻撃魔術にも見えるが、その刃の1つ1つは見たこともないほど大きく、鋭かった。そしての刃が、無尽蔵かと思えるほどに大量に生み出されていく。

「……Sxyu azyacct!」

 ジーク先生の詠唱の完成と共に、氷の刃が打ち出される。

 青の球と氷の刃が激突し、次々と相殺されてしまう。

 しかしその氷の弾幕をすり抜ける事の出来た幾つかの青い球体が、ジーク先生の周囲に展開した。

『ジークハルトさま!』

 半獣のエーレクライトが叫び、巨大が跳ねる。

 アオイの邪魔はさせない!

 俺は半獣のエーレクライトの上半身、人型部分に狙いを定めてトリガーを引いた。

『ぐうっ!』

 半獣のエーレクライトが慌てて防御場を展開する。

 それと同時に、アオイがジーク先生に差し向けた手を上に向け、ぎゅっと握り締めた。

「滅べ、元凶め」

 アオイの冷徹な宣告。

 それと共に、ジーク先生を取り囲んだ青の球体から、一斉に青い光線が放たれた。

 薄暗い地下調整貯水路が、一瞬青の光で溢れる。

 アオイの放った光線は、しかしジーク先生に直撃する直前で停止した。

 俺の銃弾が防がれたのと同様に、そこだけ時間が止まったかの様に空間そのものが凍りついている。

「くっ」

 しかし、微かに呻きを上げたのはジーク先生の方だった。

 アオイがさらに目つきを鋭くしてジーク先生を睨む。

「賢しらに、愚かに、無為に……!」

 アオイの術式成句と共に青の光がその光量を増した。

 そして一瞬の拮抗の後、ガラスが回れる様な音が地下空間に響き渡った。

 アオイの光線が、ジーク先生の守りを打ち破った。

「slullg wgeg twerr!」

 ジーク先生がさらに防御場を展開した。

 魔素と魔素がぶつかり合う激しい光が瞬く。

 ジーク先生はその防御場で作った一瞬の隙に大きく後方に跳躍した。真紅のマントが激しくはためいていた。

 そして、一瞬前までジーク先生がいたその場所を、青の光が貫いた。

 容易く床を貫き、破壊する青の光。

 その光は、床に刻まれた自爆術式陣の一部をも破壊する。

 あれで術式陣の機能が阻害出来ればいいが、この巨大さからしてそれはあまり期待出来ないだろう。

「集え、破天、防壁!」」

 不意にアオイが両手を前方にかざした。

「えっ」

 半獣のエーレクライトを牽制していた俺は目を丸くする。

 不意に俺たちの目の前の床から、巨大な氷柱が現れた。その鋭利に尖った恐ろしい先端をアオイに向けて。

 氷柱がアオイの防御場にぶつかる。

 甲高い音を立てて氷が砕けた。

「……愚かな女だ」

 青の光線が作り出した土煙が消えると、その向こうでジーク先生がこちらに向かって手をかざしていた。

 アオイの術式を回避しながらも反撃をしていたのか……。

 力と技と先読みの戦い。

 俺は息を呑む。

 これが力ある魔術師同士の戦いなのだ。

「貴様はどこまでエオリアを踏みにじれば気が済むのだ。黒衣の魔女」

 不快そうにそう言い放ったジーク先生の声は、冷ややかだった。

「……テロリストが何を言う。エオリアを死に追いやり、さらには多くの者の命を奪ったその罪、ここで償え」

 対するアオイの声もまるで刃の様だった。

 2人の間には、触れれば切れてしまいそうな程緊迫した鋭い空気が漂っていた。とても余人の介入を許す様な雰囲気ではなかった。

 さっと黒マントを払うアオイ。

 しかしエオリアという名を聞いた瞬間、アオイの顔が微かに歪むのを俺は見逃さなかった。

「狭小なものの見方だな、黒衣の魔女。この戦いは、エオリアの望みでもあるのだ。私の目的は、エオリアの遺志を貫く事でもある」

 俺は目だけでジーク先生とアオイを交互に見た。

 魔術によるテロをエオリアが、アオイの妹が望んでいた……?

「正統な貴族の血脈による正しい統治。それこそがエオリアの望んでいたものだ」

 大きく腕を開くジーク先生。真紅のマントを開き、さっとこちらに腕をかざす。

 微かな術式詠唱と共に、柱の様に巨大な氷柱が現れる。

 その数は3本。

 まるで弾丸の様に、いや、ミサイルの様に高速で飛来する氷の塊。

「アオイ!」

 俺は叫びながら、その氷柱の一本を狙い、フルオートでライフルを斉射した。

 弾がなくなる。

 素早く弾倉を交換。

 再度射撃する。

 ライフル弾によってボロボロに砕かれた氷柱が空中で砕け散った。

 続けて次の氷柱を迎撃しようとした瞬間、俺は別方向から迫る火球に気が付いた。

「くっ!」

 ライフルの照準を切り換えて火球を迎撃する。

『ジークハルトさまの邪魔はさせない!』

 半獣のエーレクライトが叫ぶ。

 氷が砕ける音が響く。

 残った2本の氷柱は、アオイの眼前で防御場によって防がれた。

「エオリアを騎士団の闘争に巻き込んだのは、貴様だろうに!」

 アオイが叫びながら手をかざした。その感情の昂りと共に、青い光がアオイの周囲で弾けていた。

「罪科は糧、空虚、驟雨の如く!」

 くるくると円を描いてアオイの前に集結する青の球。そのそれぞれの球体から放たれた青光の光線が1つの束となり、太い光線を形作る。

 青の光の奔流がジーク先生の鎧に迫る。

 しかし、その前に立ちはだかる氷の壁。

 青の光は容易くその氷壁を粉砕する。しかし、その先にはさらにジーク先生の防御場が待ち受けていた。

 一瞬、抵抗を受けた青の光が拡散する。

 しかし次の瞬間には、ジーク先生の防御場は貫かれていた。

 正し、その時には既にそこにジーク先生の姿はなかった。

 青の光線が貯水路の壁面を直撃した。

 地下空間全体が軋みを上げた。天井からパラパラとコンクリートの破片が落ちてくる。

 アオイは無表情に光線を回避したジーク先生を見据えていた。

「……この戦いはエオリアの遺志でもある。騎士団と共にあり、その理念の元に戦う事を選んだのは、エオリア自身だ」

 ジーク先生の声に微かな苛立ちが感じられた。もしかしたらそれは、怒りだったのかもしれない。

「しかしあえて言えば、そうなる様にエオリアを追いやったのはお前だ、黒衣の魔女」

 俺はドキリとしてしまう。

 体全体がビクリと震えてしまいそうになる程に。

 ジーク先生の言葉は、俺に向けたものではなかった筈なのに。

「……エオリアは一生懸命だった。私が感化される程にな」

 ジーク先生は一瞬、何かを思い出す様に間を置いてから口を開いた。

「10年前、何があったんですか、ジーク先生」

 俺は銃口を少し下げ、思わずジーク先生とアオイの会話に割り込んでしまっていた。

 ジーク先生がこちらを一瞥する。

「10年前。私はエオリアに魔術を教えていた。ウィル・アーレン。君にそうした様にな」

 ジーク先生は記憶を辿る様にゆっくりと口を開いた。その低い声が地下空間に響き渡る。

「エオリアに魔術の才はなかったが、彼女は諦めなかった。あのショッピングモールにも、私の手伝いをしたいとついて来たのだ」

 10年前。

 ショッピングモールでの魔術テロ。

 俺の家族を奪ったあの事件……。

「当時騎士団の一員になるために躍起になっていた彼女は、まだ制御の確率していなかった術式陣に手を出し、そして命を失った。術式陣の暴走、暴発によってな」

 俺はぎゅっとライフルのグリップを握り締める。

 その暴発という言葉には、多くの人々の犠牲が伴っているのだ。

 多くの人の……。

「エオリアを逸らせたのは何だ? エオリアを死に急がせたのは何が原因だっ?」

 ジーク先生が声を荒げた。それは、今まで見たこともないジーク先生の感情の爆発だった。

「それは貴様の存在だ、黒衣の魔女。元凶というならば、それはお前の存在こそそうだろう!」

 顎を上げ、そう言い放ったジーク先生。

 俺の隣でカツリと音がした。

 アオイが一歩だけ後退ったのだ。

 アオイは無表情を装っていたが、その眉間にはきゅとシワが刻まれていた。

 エーレルトの家を壊してしまったと言っていたアオイ。

 その罪の意識は、十年前からアオイを蝕んでいた。

 でもそれは、決してアオイのせいなんかではない。

 俺はライフルの銃口を下げた。

 そして半獣のエーレクライトなど気にせずにそのままツカツカとアオイに歩み寄ると、ガシッとその手を握った。

 温かいアオイの手を握り締めながら、俺はアオイの目を覗き込む。

 真正面から。

 真っ直ぐに。

 アオイは、はっとした様に俺を見た。

「大丈夫」

 俺はそっと囁く。

「大丈夫。アオイには俺がついている」

 そして俺は、ふわりと微笑んだ。

 俺はスカートを広げてくるりと踵を返すと、ジーク先生の方へと向き直った。

「ジーク先生」

 俺は片手でアオイの手を握りながら、もう片手でライフルを構えた。

 もちろん、こんな姿勢では満足な射撃は出来ないだろう。

 しかしライフルを構えるのは、俺の意志の表明のつもりだった。

「アオイとエオリアの事。エオリアとジーク先生の事。悲しい事があったのはわかっているつもりです」

 俺はジーク先生の兜を真っ直ぐに見た。面防の向こうにある筈の目を見る様に。

「だけど、その過去に引きずられて今を生きる人たちを苦しめてはいけないんです。エオリアとの事も、一般人と魔術師の歴史も含めて、過去を言い訳にしてはダメなんだ」

 はっとした様にアオイが俺を見た。

 俺もその過去に捕らわれて復讐だけを糧に生きていた時もあったのだ。

 しかし今は、それは違うと思う事が出来る。

「ウィル・アーレン。お前は、その魔女の過去への妄執が作り出した人形だろう。それでも、過去を捨てろというのか。エオリアを否定するのか」

 俺に向けられたジーク先生の言葉には、今までにない冷たい響きがあった。

 しかし気圧される事なく、俺はコクリと頷いた。

「俺は、この姿に、ウィルになった事に後悔なんてしていません。ウィルになって俺は変わる事が出来た。だからアオイには感謝しているんです」

「ウィル……」

 隣でアオイが小さく呟いた。

 俺はアオイと繋いだ手に力を込めた。

「ジーク先生。ジーク先生は俺とアオイが止めます。それがエオリアの姉になったアオイの務めであり、アオイの妹になった俺の責務なんです」

 俺の声が地下空間に高く響き渡った。

 アオイがジーク先生に向かって手をかざした。

 ちらりと窺うと、隣に立ったアオイは、俺に向かってコクリと頷いていた。その目には、力強い光が宿っていた。

 俺たちは並んでジーク先生と対峙する。

 2人一緒に。

「……ならばやむを得ない。ウィル・アーレン。エオリアを継がぬお前など、意味がない存在だ。黒衣の魔女と共に散れ」

 ジーク先生がマントを翻して身構えた。

 大丈夫。

 アオイと一緒なら、きっと大丈夫だ。

 俺は小さく頷いた。

 そしてゆっくりと息を吐いた。

 ……さぁ、決着の時だ!

 読んでいただき、ありがとうございました!

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