Order:76
窓の外では、まばらな雪が舞っていた。
灰色に曇った空は、厚く重くオーリウェルの街を覆い尽くしていた。
首都から帰還してみると、オーリウェルでも雪が降っていた。しかし首都よりも南にあるオーリウェルでは、降っても積もる事なく、ひらひらと花びらの様な欠片が舞い散るだけの淡い雪空が続いていた。
白く曇った窓の向こう、そんな外の景色から目を戻した俺は、じっとテレビを見る。
寒そうな外とは対照的に、暖房の効いたエーレルト邸内はポカポカと暖かかった。
俺はイルカのワンポイントが入ったパジャマ姿のまま、自室のベッドの上で身を起こしていた。
ストロベリーブロンドの髪も、結わずに背中に流したままだった。
膝を立て、ホットミルクの入ったカップを両手で持ちながら、俺はじっとニュース番組を見つめていた。
あの首都オーヴァルでの戦いから3日。
世間は、あの衝撃的な事件から段々と落ち着きを取り戻そうとしている様だった。
テレビでは未だ報道特別番組が組まれ、崩壊した議事堂や惨憺たる有り様の中央官庁街の様子が繰り返し流されているが、事件発生直後の狂乱じみた様子からは徐々に立ち直りつつあった。
しかし、もちろんまだ3日しか経過していなのだ。
被害実態の把握や事件の検証は未だ続いているし、逮捕した魔術師たちの取り調べもこれからなのだ。事件の全容解明はいつになるのやらと、この前会った時バートレットが嘆いていた。
テレビのニュースが一般のものに切り替わる。オーリウェルのローカルニュースだ。
事件発生現場からは遠いここオーヴァルでは、首都の惨事に対して、それ程悲壮な雰囲気は漂っていなかった。
恐らくそれは、他の地方都市でも同様なのだろう。
また魔術テロが起こった。今度は首都で、少し大規模だったらしい。
多くの人にとっては、今回の事件もそんな認識なのかも知れない。
それ程、この国の人々にとって魔術テロは、珍しい事ではないのだ。
しかし、そんな状態をそのままにしておいてはいけないと思う。
魔術テロをこれ以上起こしてはならない。
その為には、魔術師や貴族の事を理解して、今の社会の何かを変えて行かなければ……。
あの首都で、ヴェーランド侯爵……獅子のエーレクライトが、何故あそこまでして戦ったのか。
俺たちは知らなければいけないのだと思う。
俺はそっとホットミルクに口を付けた。
それに、騎士団の攻勢はまだ終わっていない。
俺はカップを持った手を立てた膝に乗せて目を細めた。
首都攻防戦の最後に出会ったジーク先生の言葉を思い出す。
今度は自らの行動でその信念を示すと言ったジーク先生。
その行動とは、さらなる騎士団の魔術テロを意味しているのだ。
ヴェーランド侯爵の様に、ジーク先生自らが動くテロ……。
もちろんこの事は、ミルバーグ隊長やバートレットに伝えてある。それに、ヘルガ部長にも直接伝えた。
アオイが手に入れた貴族仲間からの情報としてだが……。
そのジーク先生や騎士団への対応については、アリスからメールが来ていた。
もちろん各地の軍警は引き続き厳重な警戒態勢を維持しているし、騎士団に対する全容把握も進められている。しかし、軍警上層部も含めた内務省、そして政府は、今回の首都の事件で騎士団はその戦力の大部分を失った考えているらしい。
首都攻撃は騎士団の総力戦で、残存する敵戦力は最早殆ど残っていない。万が一二次攻撃があったとしても、軍警による鎮圧が十分に可能な範囲のものだろうというのが、軍警の考えの様だった。
……果たしてそうだろうか。
俺はカップを持つ両手に力を込め、眉をひそめた。
ジーク先生の鋭い眼光を思い出す。
ジーク先生なら、意味のない特攻紛いの行動など起こさないと思う。
それに、首都攻撃ではジーク先生のエーレクライトは目撃されていないらしい。
唯一出会ったのは、俺とアオイだけ。
今回の魔術テロにジーク先生が参加していないなら、きっと何か別の計画があるのだと思う。
ジーク先生なら、練りに練った綿密な計画を立て、機会を窺っている筈だ。
果たして軍警は、俺たちは、そのジーク先生の計画に対応する事が出来るだろうか。
俺はミルクの残ったカップをベッドサイドに置き、ぎゅっと自分の膝を抱き寄せて顔を埋めた。
……また、戦闘が起こる。
それも恐らく、そう遠くない時期に。
その時、控え目なノックの音が響いた。
俺が顔を上げ、どうぞと返事すると、ひょこりとアオイが顔を出した。
「もう起きていて大丈夫なのか、ウィル」
そっと部屋に入って来るアオイ。
アオイは長い黒髪をうなじでまとめ、暖かそうな白のニットにジーンズというラフな格好をしていた。
「アオイこそ、体調は良いのか?」
俺の問いに笑みを返しながら、アオイが俺のベッドまでやって来る。そして、俺の隣にぽすっと腰掛けた。
「なに、私の方はただ疲れただけさ。栄養を取り、ゆっくり眠れば問題ない。後はウィル成分を補給すれば、なお良い」
アオイはニコっと微笑みながら、身を乗り出して俺の頬を突こうとする。
俺はその指を払いながらため息を吐いた。
「あれだけ大きな魔術を連発したんだ。無理はしない方がいい」
アオイはすっと立ち上がると、ドレッサーに向かった。
「私の方よりウィルの方が問題だ。ウィルはあれほど魔術を使ってはならないと言ったのに、な」
アオイは櫛を手に取ると俺のもとに戻って来た。
俺はむむっと押し黙る。
確かにアオイの様な生来の魔術師は、通常体内で魔素が生成され続けている。例え一時的に枯渇しても、命を失わない限りはやがて元に戻る。
しかし俺は、俺の体を構成するアオイの術式の魔素を消費するだけだ。
アオイに補給してもらわないと消費した魔素は戻らないし、過度の消費は命に関わる事になる。
それに、魔素を補給する作業は、ちょっとだけ恥ずかしいのだ。
……ちょっとだけだけど。
魔素の供給には、アオイとぎゅっと抱き合いながらしばらくじっとしていなければならない。
普段から一緒にお風呂に入ったり寝たりしているので何を今更だが、やはりじっと抱き合っているだけというのは、恥ずかしい。
……アオイは、俺がウィルバートだという事を覚えているのだろうか。
最近は、俺も忘れてる事が多いけど……。
む。
む……。
そんな事を口にしたら、ソフィアに怒られてしまうな。
「でも俺、近頃は戦闘の度にベッド送りになってる気がするな」
俺は、はははと苦笑を浮かべた。
今も俺は、アオイに補給してもらった魔素が体に定着するまで、安静にしている様にと言われているのだ。
「おいで、ウィル。髪を梳いてあげよう」
アオイが再び俺のベッドに座る。
俺はもぞもぞと動いてアオイに背を向けて座り直した。
優しい手つきで、アオイが俺の髪を梳かしてくれる。櫛が通る程良い刺激が心地よかった。
「……ウィル。怒らせてしまうのを承知で言うが」
俺の髪をとかしながら、アオイがそっと口を開いた。
「ウィルには、戦いは似合わないと思うのだ」
俺は思わず振り返ろうとするが、アオイにぐっと頭を固定されてしまう。
「む、アオイ、何を言って……」
「あの男の件、もうこれ以上追わなくても良いのではないか?」
アオイが低い声で呟いた。
俺は眉をひそめる。
「アオイ……?」
「私は、これ以上ウィルが危険な目に遭うのが怖い。……今の私は、エオリアの事よりも、今ウィルが側にいてくれる事の方が重要だと感じている」
ゆっくりと噛み締める様なアオイの言葉。
俺は、思わずドキリとしてしまう。
そう言ってもらえるのは、素直に嬉しい。
同時に気恥ずかしさも溢れて来るが、胸の内側がぽわっと温かいもので満たされていくのが良くわかった。
「あの破廉恥な男を捕らえるべきだというのはわかる。当然だ。しかし、あの男に関われば。ウィルを失うのではないかと考えてしまうのだ。それが、私は怖い」
「アオイ……」
いつの間にかアオイは、櫛ではなく手で俺の頭を撫でていた。
俺はそっと振り返ってアオイを見た。
「大丈夫。大丈夫だよ、アオイ」
俺はふわりと微笑む。
「俺も、今の生活を大事に思っている。最初はただの任務の一環程度にしか思ってなかったけど……」
俺は少し後ろめたくてアオイから視線を外した。しかし直ぐに、真っ直ぐにその黒い瞳を見た。
「でも、騎士団や魔術テロをそのままには出来ない。してはいけないと思う。そこから目を逸らしたら、きっと俺は自分を認められなくなる」
ミルバーグ隊長にも言われたか。
軍警隊員としてではなく、只の女子学生として生きる道もあるのだと。
今は、それも悪くはないかなと思う。
アオイという家族と一緒に過ごせるなら、それも……。
しかし。
「魔術テロが起こって、でもそれが当たり前にされる世の中は違うと思うんだ」
俺は頭の中の考えを何とか形にしようと言葉を紡いだ。
「魔術師と普通の人。そのお互いがお互いを良く知り合って、理解出来れば、うーん、なんといか、俺とアオイみたいに仲良く出来る様になれればいいなと思うんだ。そうすれば、無駄な争いも起きないし、悲しい事も減るんだと思う」
その為には、魔術師も一般の人々も、互いに歩み寄る必要がある。
俺は、ウィルバートからウィルになる事でそれが出来たのだ。
「……だから、先ずはジーク先生を止めなくてはいけないと思うんだ」
魔術テロで家族を奪われ、傷付き、倒れた人にとっては、魔術や魔術師は憎悪の対象でしかなくなるから。
それでは、お互いの理解なんて出来る筈がないから。
俺は俯き、眉をひそめてぎゅっと拳を握り締めた。
ジーク先生……。
俺はふっと息を吐いて髪を掻き上げた。
そして、少し自嘲気味に笑う。
勢い込んで熱く語ってしまったが、俺はただの軍警隊員。又はただの女子学生だ。
出来る事など、限られている。
「はは、ごめん、アオイ」
俺は少し照れくさくなって、笑いながら顔を上げた。
む。
アオイは、じっとこちらを見ていた。
真っ直ぐに。
……む。
顔がカッと熱くなってしまう。
「ア、アオイ……?」
アオイはふわりと微笑んだ。
「ウィルは良い妹だ。さすがは私の妹だ」
「わわ!」
そして突然、がばっと俺に抱き付いて来るアオイ。
俺はそのまま、ベッドに押し倒されてしまった。
「ふふふっ」
コロリと転がり、俺の直ぐ横に寝転がったアオイは、俺の顔の近くで柔らかく微笑んだ。
「あの男を捕らえれば、大きく騎士団の力を削ぐ事が出来るだろう」
笑みを消したアオイが、至近距離から俺を見つめる。
「ウィルの事は私が守ろう。だから、ウィルはウィルのすべきと思った事を成すと良い」
俺は、アオイを見つめ返しながらコクリと頷いた。
しかし、なんだか立場が逆になってしまったなと思う。
この屋敷に来た当初は、俺がアオイの護衛役だった筈なのに。
「……では、招待の通り、3日後の祭典には出席という事にしよう」
アオイは上半身を起こしながら、つけっぱなしのテレビの方を見た。
テレビからは、未だニュース番組が流れ続けている。
「実はその事を相談しようと思って来たのだ」
アオイは睨むような鋭い目でテレビを見ていた。
ニュース番組が報じているのは、3日後に迫った統一国政選挙の告示セレモニーについてだった。
現政府と首相は、首都を襲った魔術テロの復興が終わらない状況においても、当初の予定通り選挙を実施すると発表していた。
騎士団がこのタイミングで蜂起したのも、この選挙を見据えての事だろうが、政府は予定通り選挙を実施し、この国は不当な魔術テロにも少しも揺らいでいないという事を内外に示すつもりなのだ。
その国政選挙の告示セレモニーは、今回、オーリウェルで行われる。
アオイは、地元オーリウェルの名士として、セレモニーに招待されているのだ。
このタイミングで政府の要人が一同に会する告示セレモニーは、騎士団、そして虎視眈々と行動の機会を窺っているであろうジーク先生にとって恰好の的だろう。
だから、行かなくては。
「アオイ。俺も行く」
「ああ。一緒に行こう」
俺はアオイを見る。
そして俺を見たアオイは、ふっと微笑みながら頷いた。
不安は消えない。
恐らくセレモニー会場で何かが起こる。
もちろん軍警も全力で警備に当たるだろうが、俺もアオイの同伴者としてその会場に潜り込み、緊急事態に備えようと思う。
俺は、選挙の勝敗を予測するニュース番組をじっと睨み付けるように見た。
今度こそ、ジーク先生と対する事になる。
そんな予感が、確かにあった。
下院の選挙が行われる場合、全下院議員に対して大統領から選挙実施の告示が行われる。政府首班である首相が大統領の名を受け、全国民と全議員に向けて選挙の実施を宣言するのだ。
これは、この国が議会民主制になってからの伝統行事だった。
通常そのセレモニーは首都の議事堂で行われるが、議事堂は現在、騎士団の魔術攻撃、ヴェーランド侯爵のエーレクライトにより完全に破壊されてしまっていた。
そこで今回の選挙告示は、かつての首都であり、旧議事堂が存在するオーリウェルで実施される事となったのだ。
恐らく選挙後も、首都の復興が完了するまでは、オーリウェルで議会が開かれる事になるだろうとニュースでは報じられていた。
わざわざその様な事をしなくても、今回は簡略化したセレモニーで良いではないかという意見はもちろんあった様だが、結局オーリウェルでの開催が強行された様だ。
首都に対する魔術攻撃、議事堂崩壊という惨事があった今こそ、伝統と格式に乗っ取った正当なセレモニーを盛大に執り行い、国内外にこの国の政治体制に動揺がない事を示す。
選挙を強行したのと同様に、そんな国の体面というものがあるのだろうとアオイは言っていた。
それを受けて、急遽首都の地位が戻って来た形となったオーリウェルは、にわかにお祭り騒ぎの様な状況になっていた。
首都の魔術テロから一週間たらず。
政府要人を迎え、大々的なセレモニーを執り行うには準備期間が無さ過ぎるのは明白だった。
しかし、準備に時間を掛ければ、騎士団にも再起する時間を与えてしまうかもしれない。ならば、このタイミングで強行した方が良いと判断があったのだろうとミルバーグ隊長は言っていた。
ミルバーグ隊長たち軍警オーリウェル支部の部隊は、首都から帰還して休む暇もなく警備に駆り出されていた。
今回はオーリウェル支部が中心となって警備が行われる。
作戦部の部隊はもちろんの事、刑事部の捜査官たちも警備に動員されていた。近隣支部からの応援部隊についても続々と到着し、市内に展開しつつあった。市警や民間の警備会社まで協力し、オーリウェルの警備体制は急ピッチで整えられつつあった。
俺も、忙しそうなミルバーグ隊長やバートレットと連絡を取り合いながら、アオイと一緒にセレモニーに参加する準備を整えていた。
そして、統一国政選挙告示セレモニーの当日。
オーリウェルは、ここ数日と同様に厚い雲に覆われていた。朝から断続的に雪が舞っていたが、やはり積もる程ではなかった。
しかし厳しい寒さには違いはなく、足元から這い上がって来る冷気に、しばらく外にいれば体の芯まで冷え切ってしまいそうだった。
寒々とした石造りの街を行く人々も、普段ならばコートの襟を立てて足早に目的地を目指すような冷え込みだった。しかし、告示セレモニー開催を間近に控えた市内には、そんな寒さなど物ともせず、興奮に顔を紅潮させた人々が溢れていた。
告知セレモニーは、ルヘルム宮殿や旧議事堂周辺の旧市街中心部で行われる。
そちらへ向かう歩道は、既に人で一杯だった。
前方、宮殿の方角からは、ポンポンと花火の音が響いていた。
現在時刻は午前10時。
宮殿前広場では、各党の演説会が始まっている頃だろう。
そんな街の様子を眺めていた俺は、エーレルト家の黒塗りのセダンにもたれ掛かりながらほっと白い息を吐いた。
ぐぐっとピンクのマフラーを引き上げる。
歩道も人で一杯だが、車道でも大渋滞が起こっていた。
赤くテールランプを輝かせる車の列が、先ほどからぴくりとも動かない。曇天の薄暗い中、渋滞がずっと続いている光景は、まるで夕暮れ時のラッシュ時の様だった。
俺たちの車も、その中に捕らわれてしまっている。
セレモニー会場へ続く全ての通りは、交通規制と検問が行われている筈だ。この渋滞はそのためだろう。
恐らく相当厳重な検問の筈だ。1台1台時間を掛けて念入りに調べているだろうから、時間も掛かる。多分この騒ぎが終わるまで、渋滞が解消される事はないと思う。
運転手のマーベリックが渋滞の先を見て来ると言って歩いていったが……。
車外でマーベリックを待つ俺の背後で、車の窓が開いた。
「ウィル。寒いから中にいた方がいい」
車内からアオイが俺を見上げた。
「うん……」
俺は微笑みながら、曖昧に頷いた。
この人でごった返す状況の中へ、いつどうやってジーク先生が襲来するかわからない。
俺は、とても車内でじっとしている事なんて出来なかった。
もしこの場に大規模攻撃魔術が打ち込まれたら……。
胸の真ん中がすっと冷たくなる。
……いや。
俺はそっと深呼吸した。
ジーク先生たち騎士団は、己の主張を通す為に魔術テロを起こしているのだ。己が意志を示さないままに無差別な虐殺などはしない筈だ。
自分に言い聞かせるようにそう考えてから、俺は眉をひそめた。
それも、俺の希望的観測に過ぎないということはわかっているけれど……。
俺は頭に浮かんだ嫌な考えを振り払う為に、そっと頭を振った。
白いリボンで一つにまとめた髪が、ふらふらと揺れる。
「ウィル、中に。お腹が冷えるぞ」
アオイがくいくいと俺のコートの袖を引いた。
アオイは聖フィーナの制服姿だった。もちろん俺も同じ服装だ。
縁に黒のラインが入った白のブレザーに、下は黒のプリーツスカート。二の腕の部分に入った黒地に白い花の紋章は、聖フィーナ学院エーデルヴァイスの証しだ。
車の後部座席に座るアオイは、青いタイを締め、スカートからすらりと伸びた、黒タイツに包まれた長い足を優雅に組んでいた。
車外に立つ俺は、タイツではなく膝上まである長い靴下を穿いていた。聖フィーナ1年を表す赤いタイを締め、ブレザーの上から学院指定の白いコートを羽織っていた。
ブレザーの内側には、もちろんハンドガンを装備している。
リーザさんに用意してもらったライフルは、首都での戦いで失ってしまった。しかしこうも人目があっては、大きな銃を持ってうろうろすることなど出来なかっただろう。
……もしジーク先生と争う事になったら、ハンドガンだけでは些か心許ない。
一応手配はしてあるが……。
アオイは、正確には選挙告示セレモニーそのものではなく、その後に開かれる政府主催の懇親会に招待されていた。
俺は、その同伴者。
俺とアオイは、その懇親会に参加するべく会場に向かっているところだったが、やはり車は少しも動きそうになかった。
「お嬢さん方っ!」
停車する車の間を縫うように、マーベリックが戻って来た。
「ダメですな。この先ルヘルム宮殿まで、全く動く気配はありません」
やっぱり。
「ふむ。歩くしかないか」
アオイがコートを手に取りながら車を降りた。
マーベリックに車の事をお願いして、俺とアオイは並んで車道を歩き始めた。
あちこちでクラクションが鳴り響いている。俺たちみたいに諦めて車を降りる人の姿もあった。
「もう少し早く会場入り出来ればな」
俺はコートの裾をひるがえして人を避けながら呟いた。
「しかし私が招待されているのは懇親会の方だけだからな。あまり早く乗り込む訳にもいかないだろう」
アオイは特に気にした様子もなく淡々としていたが、招かれたのが懇親会だけというのも俺が気に入らないポイントだった。
選挙告示セレモニーに潜り込んでジーク先生の襲来に備えるということを伝えた時、バートレットに聞いたのだ。
政府は、魔術テロを引き起こした騎士団、貴族級魔術師との対決姿勢を示す為に、貴族たちと距離を取る姿勢を示している。左派寄りである現首相は、これを機に保守派の大派閥である貴族派を封じ込めるつもりなのだろう、と。
しかし、騎士団に参加していない貴族とは完全に手を切ろうというのではない。むしろ、交友を維持しようとしている様だ。例えば、アオイを懇親会には招いた様に。
つまりは、表向きは貴族派を牽制しながらも、実際は社会に厳然たる影響力を持つ貴族を利用しようとしているのだ。
バートレットは、まぁ政治なんてそんなもんだと言っていたし、アオイも貴族がパーティーに呼ばれるのはその程度の理由だ、と言っていた。
しかしそれでは、貴族や貴族級魔術師が存在する社会の形が今までと同じだ。
いつまで経っても変わらない。
変えていかなければならないのに……。
両側に重苦しい建物が並ぶ狭い通りを抜けて、俺たちはルヘルム宮殿からルーベル川に向かって開けた場所に出た。視界が一気に開けるが、立ち込めた重苦しい雲のせいで開放感はなかった。
宮殿前の広場には、至る所で演壇が組まれ、各党の演説会が行われている様だった。各政党の正式な演説は市民代表や有力者を集めて旧議事堂内で行われているから、こちらは立候補者達が自主的に行っている演説だ。
スピーカーを通して大音声が響き渡っていた。しかし様々な声が入り混じって、遠くにいると何を言っているのかわからなかった。
広場は、演説を聞き来ている一般の人々で溢れていた。政治への興味よりも、お祭り騒ぎに参加したい野次馬の様な人も多そうだ。他には中継車を並べる報道関係者や、市警に軍警などの警備の姿も沢山見える。
俺はチラチラと周囲を見回した。
今のところ、ジーク先生の巨大な魔素は感じられない。
もっとも軍警も魔素観測ネットを展開させているだろうから、大きな魔素反応を出せば既に軍警が急行している筈だが。
灰色の空には、ヘリのローター音が響いていた。見上げると、複数のヘリが飛び回っていた。
ルヘルム宮殿の敷地へ入る前では、大規模な検問が行われていた。市警と軍警が入り混じり、セレモニー会場へ入る者の検査を行っている様だった。
俺とアオイは、歩行者用のゲートに並んだ。こちらにも長蛇の列が出来ていた。
しばらくして俺たちの順番がやって来る。
市警の制服を着た検査官が、鋭い目で俺たちを見る。その背後には、フル装備の軍警隊員たちが立っているのが見えた。
「君たち学生か。身分証を提示してくれ。それと、魔素検査を行うからな」
ゲートの係官の対応はなんだか横柄だった。朝からずっと同じチェックを繰り返し、辟易している様子だ。
「何だ、この魔素量は……!」
アオイに魔素感知器を向けた検査官が顔をしかめる。
魔素感知と言っていも機械的な測定だけなので、おおざっぱな反応しかわからない筈だ。しかしそれでも、アオイの魔素量は一目で分かるほど異常だったらしい。
係官の顔が青ざめる。
それを見たアオイが、小さくため息を吐いた。そして、懐からすっと懇親会の招待状を取り出し、係官に差し出した。
「な、何だこれは。エ、エーレルト……は、伯爵閣下さまで?」
検査官が目を見開く。
何事かと完全武装の軍警隊員たちが近付いてくる。
「みんな!」
俺はその隊員に声を掛け、ヒラヒラと手を振った。
「おお、ウィルちゃん!」
こちらに気がついた隊員たちが俺の周りに集まって来た。
「お疲れ様です」
「お疲れ。ウィルちゃん、首都から戻ってから支部に来ないから、心配してたんだよ」
顔馴染みの隊員がニヤリと笑った。
俺は、色々あってと微笑んでおく。寝込んでいましたとは言わないでおこう。
「こ、こっちの子は軍警と知り合い? ど、どういうんだ?」
やはり若い検査官は目を白黒させていた。
「あの、ミルバーグ隊長はどちらに?」
俺がむっと首を傾げる。はらりと髪が揺れる。
この隊の指揮を執っているのだろう年配隊員が、照れた様にニコリと笑った。
「ああ、あっちの指揮車両にいるよ」
他の隊員たちもにやにやしながら俺を見る。いいよなぁ、とか和むなぁと笑い合いながら。
む。
油断していい状況ではないのに、この和やかな空気は何だろう。
「隊長には連絡しておこう」
「ありがとうございます」
俺は真面目な表情を崩さないようにペコリと頭を下げた。リボンで結んだ髪がはらりと落ちてくる。
おじさん隊員が無線連絡を入れてくれるのを確認してから、俺とアオイは一緒に指揮車両の方へと向かった。
ミルバーグ隊長と、一応最終打ち合わせをしておかなければならない。
その時。
「ウィルちゃん!」
演説会場に流れて行く人混みの向こうから、不意に俺を呼ぶ声が聞こえた。
キョロキョロと周囲を見回すと、市警のパトカーが止まる一角から大きく手を振りながら走って来る人物が見えた。
「ウィルちゃーんっ!」
大声で俺の名を呼ぶのは……ロイド刑事だ。
少年の様に輝く笑顔を振り撒いて一心にこちらに駆けて来るロイド刑事。
ロイド刑事の所属する警察署も、会場の警備に動員されている様だ。
しかし、この人混みの中で良く俺を見つけられたものだ。
俺が小さく手を振ったてロイド刑事に応えようとした瞬間、俺の前にすっとアオイが立ちはだかった。
「あの刑事、また……」
アオイが忌々しげに呟いた。
む。
何だかアオイが恐い顔をしてる。
それでも真っ直ぐに走り来るロイド刑事。
あ。
眼鏡の先輩刑事が現れた。
あ、捕まった。
そのまま持ち場に連れ戻されて行くロイド刑事。
やっぱり忙しそうだ。
今はこちらから声を掛ければ、仕事の邪魔になるだろう。
俺はヒラヒラと手を振ってロイド刑事を見送った。そしてコートを翻すと踵を返し、再び指揮車に向かった。
このセレモニーを無事終えて落ち着けば、ロイド刑事とはまた食事する事になっている。新しいコートを手渡さなければならないのだ。
話はまた、その時にでも出来るだろう。
今は、警備について、そしてもしジーク先生が現れた場合の対処について、ミルバーグ隊長と話し合っておかなければ。
俺はスカートを揺らしながら、足早に指揮車へと向かった。
旧議事堂での選挙告示セレモニーが終了すると、引き続いてルヘルム宮殿内の大広間で政府と各党主催の懇親会が開かれる。
本来ならば告示セレモニーと各党の演説会に招かれた人たちが参加するものだそうだが、今回はそれに加えてアオイの様に懇親会のみ招待されているメンバーもいた。
彼らは、オーリウェル近郊の有力貴族たちだ。
しかし貴族たちと他の参加者の間には、やはり見えない壁が存在している様だった。
貴族級魔術師がテロを起こしてまだ1週間が経っていないのだ。無理もないと思う。
しかし、この場にいる貴族たちが悪いのではないのだが……。
そんな微妙な空気を別にすれば、会場内はルヘルム宮殿の華やかな内装も手伝って、煌びやかで豪奢な雰囲気に包まれていた。
参加者の出で立ちこそスーツ姿ばかりだったが、楽団が奏でる音楽は重厚で、テーブルに並んだ料理は豪華だった。まるで本物の宮廷舞踏会に参加しているかの様だ。
参加者の顔ぶれも豪華だ。
テレビで見慣れた大手政党の幹部たちは大体が揃っていた。遠くには、大統領の姿も見える。
大統領は、下院の中から選ばれるこの国の代表だ。つまりは国のトップだが、しかしその地位は形式的なものに過ぎず、政治的な権限は首相にある。
どちらにせよ俺には、遠目に見るだけで畏れ多い存在ではあったが。
しかし会場に、首相の姿はなかった。
アオイに確認してみると、首相は早速自らの党の立候補者の応援演説をすべく地方に向かったらしい。さすが首相ともなると忙しい様だ。
俺は参加者達が談笑する会場の片隅で、オレンジジュースの入ったグラスを手にしながら壁にもたれ掛かっていた。
少し離れた場所では、アオイが年配の男性と話し込んでいた。その男性が誰なのかはわからないが、スーツの胸に議員バッチが見える。きっと偉い人なのだろう。
……凄いな、アオイ。
俺はそんなアオイを視界に収めつつ、会場内を見回した。
今の所、特に異常はなかった。
ミルバーグ隊長から借り受けたヘッドセットから、ザザっとノイズが聞こえた。俺はそっと髪を掻き上げてヘッドセットを抑えた。
『宮殿北側異常なし』
『西側、問題なし』
『東、大丈夫だ』
『南も異常なし』
『宮殿前、問題はない』
『宮殿内も異常なし』
各所の警備についている軍警隊員たちの定時連絡だ。
『会場内も異常なし』
俺はスーツ姿で会場内の警備につく隊員の方を見た。視線を交わした俺とその隊員は、そっと頷き合う。
首都での作戦と同様に、俺が軍警の警備に協力するのは非公式なものだった。現場指揮官のミルバーグ隊長の判断だ。
支部上層部のシュリーマン中佐やヘルガ部長は知らない事だが、現場の隊員たちは受け入れてくれている。
このまま何も起こらなければ、俺はただのアオイの同伴者としてそっとこの会場を去るだけだ。
しかし。
……恐らくそうはならないと思う。
俺は目を伏せ、そっとオレンジジュースに口を付けた。
「すまない、ウィル。待たせたな」
そこに、一旦話を終えたアオイが戻って来た。
「大変だな、挨拶」
「ふっ、挨拶回りは社交の基本だからな」
スカートを揺らしてくるりと回転したアオイが、俺の隣の壁にもたれ掛かった。
アオイが隣に来ると、周囲の視線が俺たちに集まって来る様な気がする。
俺1人でいる時もチラチラとこちらを窺う視線は感じていた。軽薄そうな若い男が声を掛けてくる事もあったが、アオイと一緒だと、さらにそれが顕著だった。
やはりこんな場に学生服姿は目立つのだろう。
「与党、革新系の立候補者は、存外苦戦している様だな」
アオイが俺と同じオレンジジュースのグラスに口を付けた。
さすがアオイ。
周囲の視線などまるで気にしていない様子だ。
場慣れしているといった感じだった。
凄いなと思う。
「先のテロで、保守系は惨敗かと思われたが、そうでもないらしい。潜在的には、騎士団の主張に同調する者が多かったという事なのかもしれないが……ん?」
アオイが俺を見る。
「どうした、ウィル。そんなキラキラした目で見て」
「む、いや……」
俺は少し気恥ずかしくなって、そっと目を逸らした。
「ふふ、どうしたんだ、ウィル。何だ、愛らしいな。ぎゅっとしてやろう」
アオイが微笑みながら肩を寄せて来る。
ふと顔を上げると、周囲の参加者達が微笑ましそうにこちらを見ていた。私服の軍警隊員までもが、微笑みながら俺たちを見ている。
うむむ……。
懇親会は、そうして何事も無く予定を消化して行った。
そして最後に、大統領の挨拶となる。
白髪とやはり白くなった口髭を蓄えた大統領が演壇に上がったその瞬間。
会場に、グラスの割れる甲高い音が響き渡った。
アオイに頭を撫でられていた俺は、さっと前に出るとブレザーの内側に手を入れた。
ショルダーホルスターに差したハンドガンのグリップを握りながら、会場内を素早く窺う。
……来た。
参加者達がざわざわと騒ぎ始めた。そして、一か所を注目している。
俺もそちらを見た。
さっと周囲から人が消えたその場には、黒服に蝶ネクタイを絞めた給仕が立ち尽くしていた。
目は虚ろで、どこを見ているのか焦点があっていない。
全身をわなわなと震わせたその給仕は、まるで糸に繋がれた操り人形の様なぎこちない動きで広間の中心に向かって歩き出した。
その姿が揺らぐ。
初めは、俺の目が霞んでいるのかと思った。
しかし。
給仕の姿は、まるで上から塗りつぶされる様に、変貌し始めた。
その姿が揺らぐ。ぶれる。
まるでそれは、画質の悪い映像がぼうと浮かび上がる様だった。
それでも、はっきりと分かった。
広がる深紅のマント。全身を覆う板金鎧。
そして頭部を覆う兜には、鷲の意匠。
出現したのは、エーレクライトだった。
ジーク先生のエーレクライトだ……!
「みんな、伏せろ!」
俺は、ブレザー懐からさっとハンドガンを抜きはなった。
甲高い悲鳴が上がる。
参加者たちは転がる様にしてその給仕だった者の側から逃げ出した。我先にと広間のホールへと殺到して行く。しかし大人数が一斉に出るには広間の扉は狭く、結局広間の壁際で身動きが取れなくなってしまう。
大統領は、SPに囲まれて広間を出た様だ。
他の党幹部はまだ残っているものもいる様だ。
銃を手にした俺は、周囲を確認しながら、逃げる人の流れに逆行するように前に出た。他の警備たちも俺に続く。
『緊急事態発生!』
『宮殿内の警備は至急広間へ! エーレクライトが出た!』
『馬鹿なっ! 一体どこから侵入したっ!』
無線からミルバーグ隊長たちの怒鳴り声が聞こえて来る。
「止まれっ!」
俺は給仕だったそれに、ハンドガンを向けながら鋭く叫んだ。
しかし目の前のエーレクライトに、俺は違和感を感じていた。
見た目は間違いなくジーク先生のエーレクライトだが、ジーク先生の魔素を感じない。
「撃ってはいけない」
その俺の隣に並んだアオイが、すっと俺の腕を押さえた。
俺はチラリとアオイを一瞥した。
「あれは、操られた幻影だ。あの給仕を操り、鎧の画像を上書きしているに過ぎない。害はない」
俺はすっと銃を下ろした。周囲の隊員たちもアオイの言葉に従う。
ジーク先生の幻影は、広間の中央に進み出た。
そして、ばっと腕を広げた。
『ガガガググガガ……オオ集まリノ諸君』
まるでラジオがチューニングされるように、その低い声が鮮明に聞こえてくる。
この声……。
ジーク先生の声だ!
この幻影がジーク先生の操り人形ならば、どこかに操っている本人がいる筈。
俺はハンドガンを両手で握り締めながら窓際に駆け寄り、周囲を窺った。
「ミルバーグ隊長。こちらウィルです。会場のエーレクライトはただの幻です。本体が近くにいる筈です。魔素反応はいかがですか?」
『いや、感知出来ない。CPより全隊。周辺警戒だ。騎士団が来るぞ』
俺たちが周囲を窺う間にも、ジーク先生の操り人形は朗々と語り始めた。
『我々は聖アフェリア騎士団。まずはこの様な形で皆様の前に立つ無礼をお許し願いたい』
会場をぐるりと見渡すジーク先生の影。
時よりその姿がブレる。
『我々は、先の場でも述べた通り、この国の現状を憂う者だ。我らは貴族の責務として、父なる国の歪みを正すためにこの場に立っている。諸君らにも幾何か同じ志があるのならば、私の話を聞いていただこう』
低く響く声は、ジーク先生のものでありながらまるで別人の様に聞こえた。
冷たく、恐ろしいほど感情の感じられない声だった。
鳩尾がキュッとする。
俺はアオイの隣に戻ると、並んでそのジーク先生の幻を睨み付けた。
『我々は世の歪みを正す為に身命を賭す覚悟がある。それは、先日の首都での出来事を見ていただければご理解いただけるだろう。我々の決起は、あれで終わりではない。この父祖が築いた国を正すまで、我々は戦い続ける。その覚悟を、まずは諸君にみていただきたい』
鷲のエーレクライトが腕を持ち上げ、パチンと指を鳴らした。
その瞬間。
微かな振動がルヘルム宮殿を揺らした。
窓ガラスが震えている。
何だ……。
得体の知れない不安に、胸の鼓動が激しくなる。
「ウィル……」
呆然と呟くアオイ。
アオイが俺の手を握り締めて来た。
その目線は、窓の外、ルーベル川の方角を見ていた。
『CPより全隊へっ!』
その時、無線からオペレーターの悲鳴の様な声が聞こえて来た。
俺は思わずヘッドセットを押さえる。
『ルーベル川河畔の工場地帯で大規模な爆発が発生!』
『事前の魔素反応は検知出来なかった! インパクトの瞬間のみ、膨大な魔素反応検知!』
『近くの隊を急行させろ。魔術師がいる可能性がある!』
『ミルバーグより、全隊。その場で待機だ。警戒しつつ待機しろ』
にわかに激しくなる無線交信。
「ミルバーグ隊長、アオイ!」
俺は無線と、そして隣で無表情に立ち尽くすアオイを見た。
事前感知の出来ない大規模な魔術による爆発……。
俺は全身がカタカタと震え始めるのがわかった。
これは……。
間違いない。
「自爆術式陣……!」
俺はぎりっと奥歯を噛み締め、ジーク先生の幻影を睨み付けた。
始まった。
ついに動き出したのだ。
ジーク先生……!
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