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Hexe Complex  作者:
67/85

Order:67

 冬の晴れ渡った空の下、オーリウェルの街は眩い朝日に照らし出されていた。

 連なる赤屋根がキラキラと輝き、遠く教会の鐘が鳴り響いている。

 普段は広場に溜まっている鳩たちが編隊を組んで飛び回り、石畳の街路には、これから会社や学校に向かう人たちが溢れていた。

 穏やかな一日の始まり。

 いつもと何も変わらない、平和な朝の風景だ。

 俺は信号で停車したエーレルト家の自家用車の後部座席から、そんな街の風景をぼんやりと見つめていた。

 晴れてはいても、今日も寒い。

 行き交う人々もみんな厚手のコート姿で、オーリウェルの街並みもすっかり冬本番の様相だった。

 黒いブレザーに黒いスカートという聖フィーナの制服を着て、膝の上には学生鞄を乗せている俺も、今日はコートを着ている。聖フィーナの校章の付いた白いコートだ。さらにスカートの下には、太ももまである長い靴下を穿いていた。

 短いスカートに素足を晒すのが凄く寒そうで嫌だったので、スカートの下に体操着のズボンを穿いてみたら、アオイとレーミアにエレガントではないと猛反対されてしまった。それならばと出来る限りスカートを長くしようとしたら、今度は可愛くないと怒られてしまった。

 そうして結局、今のこの姿に落ち着いたのだ。

 信号が変わり、車がゆっくりと動き出す。

 助手席のレーミアが振り返り、俺の隣に座るアオイに話し掛け、アオイがそれに答えながら柔らかく微笑んでいる。

 今日から俺は、久々に聖フィーナ学院に登校する事になっていた。今はマーベリックの運転する車で、アオイやレーミアと一緒に登校する最中だった。

 朝から明るいアオイたちとは対象的に、俺は先程からじっと車窓を眺めていた。

 窓ガラスには、微かに俺の顔が映り込んでいる。

 左の前髪を持ち上げてヘアピンで留め、後ろに送った髪を後頭部で結び、残りは背中に流すという複雑な髪型は、今日も上機嫌なアオイがまとめてくれたものだった。

 今日も可愛いとアオイが太鼓判を押してくれた俺の表情は、しかし明るいとは言えなかった。

「ウィル」

「むぅ……」

 突如アオイが俺の頬を突っついた。

 俺はギロリとアオイを睨む。

「今日の放課後は予定があるのか? 良ければ私が勉強を見てあげようか」

 にこにこと笑うアオイ。

 さらに頬をツンツンして来るその指を押し返しながら、俺はふっと息を吐いて苦笑いを浮かべた。

「今日も昨日と同じ、軍警の調べがあるんだ。学校が終わったら支部に行かなくちゃ」

 そうか、とアオイは、残念そうに眉をひそめた。

 昨日。

 軍警に出頭し、バートレットたちの取り調べを受けた俺は、ヘルガ部長の命令により身柄を拘束されることなく解放された。遅くはなってしまったが、無事にお屋敷に帰る事ができたのだ。

 しかしそれで取り調べ自体が終わったという訳ではなかった。

 これからしばらくは継続して話を聞くために、毎日バートレットの所へ出頭するようにと言われていたのだ。

 取り調べを受ける事自体は苦ではなかった。むしろ事件解決の為ならば望む所だ。

 しかしそれとは別に俺が気になっているのは、ヘルガ部長から言い渡された新たな任務の内容だった。

 俺にアオイの枷となれと言い放ったヘルガ部長は、眉をひそめながらその言葉の続きをじっと待つ俺などお構いなしに、窓の外へと視線を向けた。

「見なさい」

 そう告げたヘルガ部長の声は、冷たく平板だった。

 俺もヘルガ部長の視線を追って外を見る。

 軍警オーリウェル支部一般棟5階から見渡す事の出来る風景は、夜の闇の中に広がる破壊の跡だった。

 俺は思わず息を呑む。

 いくつもの投光器の光が、夜通し続く支部棟の復旧現場を照らし出している。

 半ば瓦礫に埋もれた支部の跡地は、上から見るとクレーター状になっているのが良くわかった。

 そして、そのクレーターは1つではない。

 幾つものクレーターが重なるように広がり、建物を、駐車場を、道路を無残にも押し潰していた。

 まるで絨毯爆撃を受けた跡のようなその惨状は、暗くて良く見えないが、そのまま投光器が照らし出す範囲外、支部の外に広がる森にまで続いているようだった。

 あまりにも圧倒的な破壊……。

 確かに俺は、ニュース番組でこの光景は知っている筈だったが、やはり実際の現場を目の前にすると、この破壊を引き起こした力の強大さに戦慄せずにはいられなかった。

「わかっているとは思うけど、これをたった2人の魔術師が行ったのよ」

 ヘルガ部長がギロリと俺を見た。

「支部を占拠した魔術師達のリーダーと目されるエーレクライトと、あなたを助ける為にやって来たエーレルト伯爵。その2人がぶつかった跡がこれよ」

 俺が意識を失う寸前、普段の様子からは想像出来ないほど激高していたアオイを思い出す。

 エオリアを騎士団に導き、そして今また俺を騎士団へと連れ去ろうとしたジーク先生に対して怒りを抑えられなかったのだろうが……。

「……残念ながら現在の軍警の戦力では、これほどの破壊をもたらす魔術師に対抗する事はできないわ。さらに、これほどの破壊力のある兵器も保持していない」

 ヘルガ部長が腕を組ながら俺を見据える。

「しかし私たちは、こんな力を秘めている魔術師と戦わなくてはならないの」

 それはわかる。

 それが軍警の役割なのだ。

 しかし少し気になったのは、ジーク先生と、騎士団と戦ってくれたアオイまで、制圧対象である魔術師と一まとめにするかのようなヘルガ部長の言い方だった。

 ヘルガ部長が俺から僅かに視線を逸らし、目を細めた。

「……今回は、エーレルト伯爵は味方だった。でも、彼女も貴族だわ。もし、騎士団と一緒になって私たちに敵対すれば、現在の軍警では抑え……」

「そんな事はっ……!」

「可能性の話よ」

 思わず俺はヘルガ部長を睨む。

 部長はそれを受け止めながら、まっすぐ俺を睨み返してきた。

 アオイが騎士団と合流するなど、そんな事は有り得ない……!

「圧倒的な力は、遅かれ早かれその持ち主をも滅ぼすわ」

 ふと、ヘルガ部長が俺から視線を逸らし、再び外を見た。

「絶大な力を持っていた貴族たちの世の中は、市民革命で滅んだ。それに、軍警も例外ではないわ。武闘派路線を捨てなければならないという話は、以前したわね」

 俺は眉をひそめながら、夜のルヘルム宮殿で行われた会談を思い出しす。

 ヘルガ部長が目指すのは、執行制圧部隊ではなく、貴族派の一部と協調態勢をとる捜査機関としての軍警の確立だ。

「市民の平穏な生活を脅かす軍警の武力の拡大は、やがて周囲の反発を招き、軍警自体の致命傷になる」

 俺は投光器の光に照らされたヘルガ部長の横顔をじっと見た。

 それがアオイの話にどう繋がるのだろうか。

「……この現場を、本気を出したエーレルト伯爵の力を見て思ったわ。彼女の力は大きすぎる。私たちと、他と違い過ぎるの。その圧倒的力は、やがて彼女個人を変質させるわ」

 ヘルガ部長が俺を一瞥した。

「これだけの力を持っていれば、伯爵が望む、望まないにかかわらず、他者との違いは浮き彫りになって行く。そしてそれは周囲の反発を招き、異物である彼女を排斥しようとするわ。年若い彼女がもしその違いを自覚し、我々の側にいる事を諦めた時、その圧倒的な力は、私たちに、一般人に向けられるかもしれない」

 無表情を保っているヘルガ部長の横顔。

 俺はその表情を見て納得する事ができた。

 ヘルガ部長は、アオイを恐れているのだ。

 強大な力を見せられ、手を組めると思っていた少女を畏怖してしまったのだ。

 俺はそっと目を閉じる。

 俺は、信じている。

 アオイはそんな、道を踏み外すような姉ではない。

 負わなくてもいい責任を背負い込み、それをずっと思い続ける事の出来る責任感の強い生真面目な姉なのだ。

 俺は、そんなアオイの家族になりたいと思った。アオイと一緒にいたいと思った。

 貴族とか魔術師の力なんて、関係ないのだ。

 俺は、むんとヘルガ部長を睨み付けた。

 家族であるアオイが危うい人物みたいに思われるのは、嫌だ。

「だからウィルに命じるわ。あなたが、エーレルト伯爵を私たちのもとにつなぎ止める枷になりなさい」

 ヘルガ部長は、しかし俺の無言の抗議などお構いなしに命令を続ける。

「難しい事ではない筈よ。何故か伯爵はあなたにご執心だわ。だから、そのまま気に入られ続けなさい。軍警隊員であかるあなたが、エーレルト伯爵の側にいて、彼女を軍警側に引き止めるのよ」

 ヘルガ部長は俺を見て微かに笑った。

 それは、まるで小さな子供を言いくるめる大人の笑顔の様だった。

 ……言われなくても、俺はアオイの側にいるつもりだ。

 ヘルガ部長が言わんとする事は何となくしかわからないし、部長が抱いているような危惧は杞憂でしかないとは思う。

 しかし、引き続き公然とアオイの側にいられるという事は、俺にとって有り難かった。

 俺は短く了解しましたと告げ、ヘルガ部長に敬礼した。

 そうして解放された俺はお屋敷に帰り、またアオイと一緒に眠ったのだが、何故かずっと心の中がもわもわとしたままだった。

 ヘルガ部長の話は、アオイを間違わせないようにするというよりも、軍警の味方に留めておくという事を主眼にしている様に思えた。

 それは何だか、軍警側の事情をアオイに押し付けている様で、嫌だった。

 俺は隣の座席に座るアオイをちらりと盗み見た。

 艶やかな黒髪を背中に流し、聖フィーナの制服に身を包んでいるアオイ。すっと背筋を伸ばし、学院に登校して行く生徒たちを見つめている。

 俺たちの車は、いつの間にかもう聖フィーナの直ぐ傍まで来ていた。

 こんなにも穏やかな表情をしているアオイは、とても強大な力を秘めた魔女には見えなかった。

 俺たちとは違う……。

 果たしてそうなのだろうか。

 アオイも、それを苦に思ったりしているのだろうか。

「ん?」

 む。

 見つかった。

「どうした、ウィル」

 アオイがこちらを向く。

 俺はとっさにヒラヒラと両手を振った。

「何でもない。ごめん」

 アオイがニヤリと笑った。そしてドンっと勢い良く俺に肩をぶつけて来た。

「隠し事か? いけないな。この姉に言いなさい」

 明るい笑顔を浮かべるアオイ。

 俺は両手でアオイを押し返す。

「何でもないって」

 さらにアオイが、楽しそうに笑った。

 仏頂面を維持しようと試みたが、俺も思わずそれにつられて笑ってしまう。

 ……少なくとも、こんな輝くような笑顔を浮かべている間は、アオイはアオイのままのだと思う。優しく生真面目な姉のままなのだ。

「お嬢たち、もう直ぐ着くぞ」

 運転席のマーベリックがちらりとこちらを見た。

「じー」

 さらにもう1人。

 レーミアが少しだけこちらを振り返り、半眼で押し合う俺たちを睨み付けていた。

 何だか妙に恥ずかしくなって、俺は視線を泳がせると眉をひそめて車窓に目を移した。



 アオイにはヘルガ部長の任務の内容について、またアオイと行動を共にするよう命じられたとだけ伝えてあった。枷云々については、俺自身が良くわかっておらず、上手く説明できる自信がなかったので、話していない。

 俺の話を聞いたアオイは、満足そうに頷いて微笑んだ。

 これでまた、一緒に学校へ行けるな、と。

 こうして俺は、今日から久し振りに聖フィーナ学院に登校する事になったのだ。

「おはよう」

 アオイと一旦別れた俺は、挨拶しながら久し振りに自分の教室に入った。

 既に登校していたクラスメイトたちが、俺の方へと一斉に注目する。

「ウィル!」

「アーレンさん」

「もう具合はよろしいんですか?」

「久し振りっ!」

 以前から良く話をしていた子たちが数人、さっと駆け寄って来る。

 俺は体の前で鞄を両手持ちしながら、ははっと苦笑を浮かべた。

 軍警の作戦や例のゴタゴタで登校していなかった間は、一応病欠という事になっているのだ。

「うん、大丈夫だ。ありがとう」

 俺はクラスメイトたちに笑い掛けながら、コクリと頷いた。

 軍警作戦部のチームの中で屈強な隊員たちに取り囲まれていると、何だか圧迫感を覚えてしまう事がある。しかしこうして俺と同じ制服姿のクラスメイトたちと一緒にいると、ほっとする事が出来た。

 柔らかな鈴の音の様な声とか、ふわりと漂う良い香とか、何だか安心してしまう。

 色々と話し掛けてくれるみんなに応えながら、俺はそのまま自分の席に向かった。

 隣の席のアリシアはまだ来ていなかった。アリシアは朝が苦手らしい。

 俺が机に鞄を置き、コートを脱いでいると、早速いつものメンバーが集まって来た。

「ウィル、久し振り! もう大丈夫なの?」

 ぱっと俺の前の席に陣取るジゼル。

「うん。メール、悪かったな、ジゼル」

 俺は少し困ったように笑った。

 一応昨日の夜の内にジゼルたちのお見舞いメールには返信しておいたが、随分と遅い返信になったのは否めない。

「そうだよ、心配したんだからね」

 そう言いながら、わざとらしく頬を膨らませるジゼル。

「おはよ」

「おはようございます」

 ラミアやエマとも挨拶を交わす。

 俺は自分の席に座り、鞄の中からノートや教科書を取り出しながら、ジゼルたちと互いの近況を報告し合った。

「でもさー、ウィルって体弱いのかな。この前も風邪引いてたし」

 ジゼルがそう言いながら、ニシシと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

 む。

 俺は眉をひそめる。

 確かに欠席の表向きの理由は病欠なのだが、そう思われるのは何だか心外だった。

「病弱美少女」

 ラミアがぼそりと呟く。

「ふふん、それでエーレルトさまの騎士が務まるのかな〜」

 俺を覗き込んでくるジゼル。

「大丈夫だよ!」

 しかし俺が何か反論する前に声を上げたのは、エマだった。

 丸い顔を微かに上気させ、爛々と輝く目で俺を見てくるエマ。

「ウィルさんはきっと、極秘任務を遂行していたのよ」

 俺は思わずドキリとしてエマを見てしまう。

「きっとエーレルトさまの騎士として、表沙汰には出来ない秘密任務があるに違いないわ。悪漢からお姉さまを守るために、戦いの日々なんだわ。そうですよね?」

 何故か俺に同意を求めてくるエマ。

「はははっ、もうエマったら。小説の読みすぎじゃない?」

 ジゼルが声を上げて笑い、俺も少し困った様に笑う。

 一瞬軍警の任務の事を言われたのかとヒヤリとしてしまった。

「おはようございます、みなさん」

 そこへ、登校して来たアリシアがひょっこりと現れた。

「まぁまぁ、ウィル! もうお体は良いのですか!」

 俺の顔を見るなりアリシアがぱっと顔を輝かせた。

「悪いな、アリシアも。心配かけた」

 俺はやはり苦笑を浮かべた。

 ジゼルたちにアリシアを加えて、俺たちのお喋りがさらに盛り上がっていくと、時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 結構早めに登校した筈だったのだが、気付けば予鈴が鳴り響き、朝のホームルームが始まろとしていた。

 ジゼルたちが俺とアリシアに手を振って、慌てて自分の席へと戻って行った。

 授業が始まると、勉強の事についてはアリシアが色々と教えてくれた。俺が休んでいた間のノートを見せてもらい、ポイントについて教えてくれる。

 先生のチョークの音が響き渡る中、俺は隣のアリシアに悪いなと小声で伝える。アリシアは小さく首を振って、そっと微笑み掛けてくれた。

 俺たちは先生にバレないよう小さく笑い合う。

 髪を耳に掛けながら、俺は頑張って勉強しようとノートにペンを走らせた。

 アリシアの気遣いを無駄にしたくなかったし、普通の学生生活はアオイの望むところでもあるのだ。

 今はその望みに背きたくなかった。

 しっかり勉強しなければ。

 俺がじっと黒板を凝視していると、アリシアがそっと小さく折り畳まれた紙を差し出してきた。

 開いて見ると、綺麗な文字とハートマーク、それに猫のイラストが踊る手紙だった。

 ジゼルからだ。

 今日の放課後はみんなで遊ぼうというお誘いだった。

 ……む。

 残念だが、学校の後は軍警だ。

 俺は用事がある旨の返事を書き、その紙を折り畳むと、アリシアに手渡した。俺の返事の手紙は、アリシアからクラスメイトたちの手へと渡り、俺の4列前に座るジゼルのもとへ辿り着いた。

 手紙を読んだジゼルが、チラリとこちらを振り返る。そして唇を尖らせると、不満そうな顔をした。

 俺は少しだけ首を傾げ、苦笑いを返した。

 俺とジゼルだけでなく、授業中のこんな秘密のやり取りは良くあることだ。しかし聖フィーナの授業時間は基本的に静かで、いつも落ち着いた雰囲気に包まれていた。 

 冬晴れの眩い陽光が、俺たちの教室に降り注いでいる。

 丁寧に磨き上げられた板張りの壁と、やはり木製の床や机が、その陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

 教室内には、教師のゆったりとした説明の声と黒板を叩くチョークの音、生徒たちのノートを取るペンの音がそっと響き渡っている。

 遠く耳を澄ませれば、音楽の授業中なのだろう楽器の音や、体育を行っているクラスの明るい声が聞こえて来た。

 そんな教室で皆一様に黒い制服姿に身を包み、背筋を伸ばして真面目に黒板に向かうクラスメイトたち。

 しかしみんなも、やはり女の子だ。

 手間を掛けているのであろう綺麗な髪と様々な髪型。決して華美ではないけれど、きちんと自己主張しているシュシュやバレッタなどの小物類。それらが、女の子らしい華やかさを表していた。

 静かで知的で、可憐で明るいこの空気を感じていると、聖フィーナに戻って来たなと思う事が出来た。

 穏やかな時間が流れていく。

 軍警や騎士団や魔術テロなんて、まるで別の世界の出来事の様だ。

 俺はペンを止めて、そっと息を吐いた。

 授業が終わり、教室が少女たちの賑やかな声に包まれると、直ぐにジゼルが俺の席へと駆け寄って来た。

「ぬぬ、何で遊びに行けないのよ、ウィル」

 不機嫌そうに眉をひそめるジゼル。

「悪いな。重要な用事があって……」

 俺はノートをしまいながらジゼルを見上げた。

「はっ! きっと伯爵さまの秘密任務ですね!」

 いつの間にか後ろに立っていたエマが、また目を輝かせる。

「まぁ、秘密任務って何でしょう」

 隣のアリシアが、手を合わせて楽しそうに笑いながら、こくりと首を傾けた。

 ラミアも話に入って来て、俺たちの会話は様々な方向へと広がってしまう。

 そうしてみんなで笑いながら話し込んでいると、あっという間に次の時間の予鈴が鳴ってしまった。



 俺にとって久々の聖フィーナで過ごす時間は、瞬く間に過ぎていった。

 いつの間にか午前の授業は終わり、既にもうお昼休みの時間だった。

 俺はジゼルやアリシアたちと合流して、食堂でお昼にしようかと相談する。

 お昼休みになって直ぐに食堂に行くと、混んでいる場合が多い。少し時間を外して行けば案外空いている事もあるので、出足はゆっくりなのだ。

 俺が休みの間のクラスについてジゼルがあれこれ教えてくれるのを聞きながら、俺たちはそろそろ食堂へ行こうかと席を立った。

「……ウィル、あれ」

 その時不意に、ラミアが俺の肩を突っつき、廊下の方を指差した。

「何だ、ラミ……」

 俺はそちらに顔を向けた瞬間、びくっと体を震わせた。

 俺たちの教室入り口から、ソフィアがこちらを覗いていた。

 顔半分だけ出して教室内を覗いているが、金色の髪がよく目立っている。

「……悪い、みんな。お昼、先に行っててくれ」

 俺は溜め息を吐いてからそう断ると、席を立ってソフィアの方へ駆け寄った。背後からブーブー文句を言うジゼルをアリシアがなだめてくれるのが聞こえた。

 ソフィアには、きちんと謝らなければならなかった。

 すっかり心配を掛けてしまったし、昨日一応連絡をしてみたが、メールも電話も結局中途半端になってしまったのだ。

 俺が疲れて寝てしまって……。

「ソフィ」

 俺はソフィアの前に立つ。

 金髪をポニーテールにしたソフィアは、ギロリと俺を睨んだ。

「ウィル。何か久しぶりよね」

「……うん。悪い、色々忙しくて」

 本当は登校してから直ぐにソフィアに会いに行くつもりだったのだが、ジゼルたちと話し込んでしまって機会を逃してしまったのだ……。

 ソフィアが目を細めて俺を凝視する。

「……怪我とかしてないでしょうね」

 俺は、ははっと笑って腕を広げて見せた。

「うん、大丈夫だ」

 ルストシュタットの古城攻略戦も軍警オーリウェル支部襲撃事件も一般に報道されているから、ソフィアは学校を休んでいる俺がそれに関係していると察しているのだ。

 俺は何も問題ない事をアピールする為に精一杯微笑んで、コクリと首を傾げた。

 しかし何故かソフィアは、ますます渋い顔をする。

「……可愛い。ウィル、何でそんなに可愛らしくしているのよ」

 ソフィアがぼそりと呟いた。

「え?」

 俺はきょとんとしてしまう。

「少し話をしましょう。来なさい、アーレンさん」

「ソフィ、だから大丈夫だって……」

「そっちの話じゃないわ。その髪型とか、そっちの話です」

 ソフィアは教師モードでそう言い放つと、ガシッと俺の手を取った。そしてグイグイと俺を引っ張って歩き出した。

「ソフィ!」

 少し驚いた俺は、いつもの調子でソフィアの名前を呼んでしまう。

 廊下にいた他の生徒たちがこちらを見ていた。

 俺は階段の方へ連れて行かれる。きっと音楽準備室に行くつもりなのだろう。

「ウィル!」

 その時不意に、階段の上から声が降ってきた。

 俺とソフィアが立ち止まり、見上げると、スカートを揺らしたアオイがこちらを見下ろしていた。

 一瞬眉をひそめてソフィアを見たアオイが、俺の方へと駆け寄ってくる。

 その後ろにはアオイの親友のディードさんがいた。

「ウィル! お昼を一緒にと誘いに行くところだったんだ!」

 アオイがぱっと顔を輝かせて微笑む。

 ディードさんがそそっと俺に近付いて来てボソッと教えてくれた。

「アオイ、休み時間にウィルちゃんが来てくれないって嘆いていたのよ。それでとうとう我慢出来なくなって……。付き合ってあげて」

 思わずアオイの顔を見る。

 アオイは、少しはにかんだ様に笑っていた。それは、今までのアオイにはあまり見ることの出来なかった柔らかな笑みだった。

「エーレルトさん。悪いけどウィルには少し話があるの」

 しかしそこに、ソフィアが割って入った。

「先生。ウィルが嫌がっています」

 アオイが笑顔のままソフィアを見据える。

 穏やかな笑顔のまま対峙する2人。

 ……何だかおっかない。

 ディードさんは笑顔で去って行く。

 俺は何故か、そのままアオイとソフィアに挟まれながら教室棟の出口へと向かった。音楽準備室も食堂も、教室棟を出るまでは方向が同じなのだ。

 その間も周囲からジロジロと注目されてしまうし、少し恥ずかしかった。

 教室棟を出る。

 吹き付けてくる風はやはりピリピリと冷たかったが、じっとしていると照りつける日差しがポカポカと心地よい陽気だった。

「妹さん」

 静かな応酬を繰り返すソフィアとアオイから目を逸らし、空を見上げていた俺の後ろから、不意に声がした。

 振り返ると、短い金髪に黒いパンツスーツ姿のすらりとした長身の女性が、じっとこちらを見つめていた。目の下にある傷が印象的だった。

「リーザさん!」

 思わず俺は、声を上げてしまう。

 そこに立っていたのは、犯罪組織グリンデマン・ゲゼルシャフトのボス、ゲオルグの直属の部下であるリーザさんだった。

 恐らくリーザさんを案内して来たのだろう、年配の警備員さんが一礼して去っていく。

 リーザさんはそちらに短くお礼を言うと、改めて俺に向き直った。

「リーザさん、どうしてここに」

「これを持って来たの」

 驚きながら問い掛ける俺に、リーザさんは手にした紙袋を掲げて見せた。

 受け取ると、中にはこの前ゲオルグに会いに行った際に身に着けていた俺の服が入っていた。あの時はドレスに着替えさせられてそのままになっていたが、わざわざ返しに来てくれたのか。

「屋敷に行ったら学校だと言われたので」

 リーザさんはそう言うと、ふっと微笑んだ。

「制服姿も良く似合ってるわ。妹さん」

 身を屈めたり後ろに回り込んだり、嬉しそうに色々な角度から俺を見るリーザさん。

 ……む。

 俺は少し恥ずかしくなってしまう。

 しかし屋敷に行ってくれたなら、わざわざ聖フィーナまで来なくてもアレクスさんあたりに荷物を預けてくれれば良かったのに……。

 俺はふと気になって、再び紙袋の中をチェックした。

 ……ロイド刑事から借りていたコートがない。

「ウィル、その人は……」

「ふむ、知っている顔だな」

 ソフィアとアオイが、同時にリーザさんを見た。

 ソフィアを無表情で見たリーザさんは、しかしアオイを見て露骨に眉をひそめた。

 一瞬で空気が凍り付き、ふっと殺気が漂う。

 ソフィアは気付かずに怪訝な顔をしているが、アオイは薄い笑みをたたえてリーザさんを見据えていた。

 この2人、何かあったのだろうか。

「妹さん」

 リーザさんはアオイから視線を逸らして俺を見る。

「ボスが一緒に食事したいと言っていたわ。それと、私も妹さんと食事したい」

 ……む?

「携帯の連絡先教えて、妹さん」

 ソフィアがギロリと俺を見た。

「ウィル、この人はどういう関係の人なの?」

 何故か怒り出すソフィア。

 アオイが俺とリーザさんの間に割って入ってきた。

「不躾だな。無礼だろう」

 冷たいアオイの声。

 何だか空気が重くなって行く気がする。

 俺は険悪な雰囲気を漂わせるアオイたちを余所に、もぞもぞとブレザーの内ポケットから携帯を取り出した。

「いいよ、リーザさん。これが俺の番号で……」

 俺はアオイの後ろからひょこりと顔を出す。

 ロイド刑事のコートを探してもらうのに、リーザさんの連絡先は知っていて損はないだろう。俺の服はともかく、コートはロイド刑事に返さなければならないので、無くすのは不味いのだ。

「ふふ」

 リーザさんが嬉しそうに笑った。

「いい子ね、妹さん。お姉さん嬉しい」

 ポツリと呟いたそのリーザさんの台詞に、ソフィアが顔を曇らせた。

「また増えた……」

 アオイがすっと無表情になり、目を細めてリーザさんを睨み付けた。

「……この実の姉を前にして、断りもなくよく言う」

「実って何よ、エーレルトさん!」

 今度はアオイの台詞に、ソフィアが顔をしかめた。

 ……えーと。

 俺を蚊帳の外に置いて睨み合う3人。

 ……むむ。

 余計な口は挟めそうにないので、俺は少し離れて3人を見守る事にする。

 何故こうなった……。

 俺はチラリと携帯を見た。

 いつの間にか、お昼休みが半分過ぎ去ろうとしていた。

 お昼、食べられるかな……。



 俺は両手で鞄とコートを持ち、聖フィーナの制服のスカートを揺らしながら、慌ただしく動き回る軍警職員の間を縫うように歩いていた。

 学校が終わり、軍警オーリウェル支部に出頭した俺は、バートレットのデスクを目指していた。

 今日も騎士団やジーク先生の事について取り調べを受けなければならないのだ。

 相変わらず騒然としている廊下を進みながら、捜査協力のために今日も頑張ろうと俺は気合を入れる。

 しかし今日は何だか少し落ち着かなかった。

 先ほどから、周囲からジロジロ見られている気がしているのだ。

 聖フィーナの冬服は黒が基調だから、そんなに目立たないと思うのだが……。

 俺は少し足早に刑事が間借りしている会議室を目指した。

 不意に、制服の内ポケットに入れた携帯が鳴る。

 確認すると、今日のお昼にアドレス交換したばかりのリーザさんからのメールだった。

 リーザさんからのメール、何かいっぱい来る。

 ほとんどは俺の好きな食べ物とか趣味を尋ねるような内容で、リーザさんが言っていたゲオルグとの食事会の話題は出てこない。わざわざ聖フィーナに来てまで伝えに来たのに……。

 とりあえず返信は後回しにしよう。もう目的地に到着してしまったから。

 昨日と同じパーテーションコーナーに入った俺は、バートレットとアリスに対して、昨日と同じジーク先生との出会いから話をする。

 途中何度も質問が入り、俺は記憶を確かめながら精一杯答えた。

 特にジーク先生の所在に関す質問が多かった。

 俺の話をもとにジーク先生の部屋があったホテルにも踏み込んでみた様だが、結局空振りだったらしい。宿泊履歴や、俺の携帯にあったジーク先生の連絡先なども現在解析中らしいが、成果はまだ出ていない様だった。

 やがてアリスが書類をまとめ、バートレットが背もたれに体を預けて首をグリグリと回し、今日の取り調べの終了を告げる。

 俺はそっと深呼吸した。

 ジーク先生、いや、騎士団を追い詰めるために必要な取り調べとはいえ、連日はやはり疲れてしまう。

 ジーク先生……。

 どうすれば素早く、ジーク先生に追い付く事が出来るのだろうか。

「……あのう、バートレット。質問してもいいですか」

 俺は片付けを始めたバートレットに、思い切って声を掛けてみた。

 こちらを見たバートレットは、んっと顎を出し、先を促す。

「その、支部襲撃犯の追跡ってどうなっているんでしょうか。何か進展はあるのかなと思って」

 俺の質問を聞いたバートレットは、片目をつむり、無精ひげの生えた顎をさすった。

「まぁ、あんまり進んではいないな。支部がこの有様じゃ、なかなか思うようにはいかないさ」

 俺はきゅっと眉をひそめた。

「他支部の応援も難しいみたいだしね」

 やはり取り調べの片付けをするアリスが、俺に苦笑を向けた。

「他の支部も、今は騎士団に備えて警戒態勢中だからね」

 それは、俺も作戦部のみんなから少し聞いていた。

 壊滅寸前の被害を受けた軍警オーリウェル支部襲撃事件を受けて、各地の軍警支部は最上位の警戒態勢に入っているそうだ。

 軍警の上層部は、さらなる騎士団の襲撃を想定しているのだろう。

 しかしそちらに集中し、捜査活動が思うように進展していないというのが現状の様だった。

「魔術師共は今、勢いづいている。こういう時は、最悪の状況を想定しておくもんさ」

 バートレットの表情は渋いままだった。

 最悪の状況……。

 さらなる戦闘状況の発生、か。

 今度は軍警隊員だけじゃない、他の一般人にも被害が出る可能性もあるのだ。

 まだ終わっていない。

 そんな言葉が自然と思い浮かぶ。

 俺はスカートの上に乗せた手をぎゅっと握り締めた。

 俺に出来る事……。

 取り調べだけじゃなく、俺にも出来る事があれば……。

 お屋敷に帰ったら、アオイに相談してみようと思う。

 早くジーク先生に辿り着かなければ、さらに何かが起こる様な予感があった。そしてその予感は、きっと俺だけではなく、この場にいる軍警の誰もが感じているものだろうと思う。

 何かが起ころうとしている。

 そんな気がした。

 俺の前に広がる状況は、未だ茫洋として先が見えない。

 その不安が、俺の心をぎゅっと締め付けていた。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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