表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Hexe Complex  作者:
66/85

Order:66

 満天の星の下、夜遅くまで話し込んでしまった俺とアオイは、その後一緒にお風呂に入り、そのまま一緒にベッドに入って、直ぐに眠りに落ちてしまった。

 夢を見る事もなく、途中で起きる事もなく熟睡してしまった俺がやっと目を覚ましたのは、陽も高く昇り切ったお昼になってからの事だった。

 むくりとベッドから起き上がった俺は、目を擦りながら軽く伸びをする。

 そして未だぼんやりとしたまま、周囲を見回した。

 アオイがいない。

 カーテンの隙間からは、眩い陽光が射し込んでいた。枕もとに置いた時計は、11時を示している。

 髪を掻き上げて欠伸をかみ殺してから、俺は再びぽすっとベッドに横になった。

 クッションに顔を埋めながら、俺は昨夜のアオイの話を思い返す。

 ……衝撃的だった。

 アオイとエオリアの事。

 ジーク先生とエオリアの事。

 そしてジーク先生と、10年前の魔術テロの事……。

 ジーク先生は、あの事件に対して具体的にどのように関わっていたのだろうか。

 そもそもショッピングモールで引き起こされたあの魔術テロについては、実行犯とされた数名が逮捕されただけで、事件の全容が解明されたとは言い難い状況だった。

 ……ジーク先生

 俺は心の中で小さく呟き、ぎゅっと目を瞑った。

 ジーク先生は騎士団なのだ。

 軍警オーリウェル支部襲撃事件の件もある。もし次にジーク先生に会ったら、俺は先生を……。

 ……そうだ!

 俺は再びガバッと身を起こした。

 急に起き上がったために、少し目眩がした。

 むむ……。

 情けない事だが、やはりまだ本調子ではないようだ。

 ルストシュタットから帰還して以来色々な事があり過ぎてそれどころではなかったのだが、気が付いてみると魔術使用の反動による俺のダメージは、なかなか深刻な様だった。

 眉をひそめ、俺はしばらくじっとこめかみを押さえる。

 ふっと息を吐いた俺は、改めて部屋の中を見回した。

 アオイから俺の携帯電話を返してもらわなければならないのだ。そして、軍警に、バートレットに連絡しなければならない。

 お屋敷を逃げ出したあの時、バートレットとアリスが話していた事を思い出す。

 俺は軍警襲撃犯であるジーク先生との関係を疑われている。さらには、騎士団との関連も……。

 あの時は、他にも色々な事が重なって、俺はあまりのショックにその場から逃げ出してしまった。

 しかし、それではダメだ。

 やはりバートレットたちには、いや、軍警には、俺の立場や状況をキチンと説明しておかなければならないと思う。

 俺にとって軍警は大切な場所には違いないし、大切な仲間たちも沢山いるのだ。疑われたからといってこのまま背を向ける事はできない。

 それに昨夜アオイと決めたとおり、これからジーク先生を追って行く上では、軍警の力は必要不可欠だと思うのだ。

 ……よし。

 俺はベッドの上でぎゅっと手を握り締めた。

 厳しい扱いを受けるかもしれないという不安はあるが、午後一番で軍警に出頭しようと思う。

 まずはアオイを探さなければ。

 そう思い、俺がベッドから足を下ろした瞬間、控え目なノックが響いた。

 静かに開いた扉からそっと顔を出したのは、アオイだった。

「ウィル、目が覚めたな」

 俺と目が合うと、アオイはニコッと微笑んだ。そして、軽やかに俺のもとへ歩み寄って来る。

 今日のアオイは、グレーのニットに白いズボンという私服姿だった。長い黒髪は、うなじの辺りでひとまとめにしている。

「あ、おはよう」

「ふふ、おはよう、ウィル」

 俺が挨拶すると、アオイはさらに満面の笑顔になって俺の隣に腰掛けた。

 何だか上機嫌だ。

「ウィル、体は問題ないか? 体調が良ければ、ご飯にしないか?」

 昨日の深刻な話など嘘のように、アオイは明るい口調で尋ねてくる。

 俺はアオイの態度を訝しみながら眉をひそめるが、しかしタイミング良くお腹がきゅうっと鳴ってしまった。

 む。

 そういえば昨日は、ロイド刑事の家で朝ご飯を食べて以来、何も口にしていない。ゲオルグの所での晩餐会も、色々あって流れてしまったし……。

「うん、そうだな……」

 しかしご飯ご飯言うのも恥ずかしかったので、俺はアオイから目を逸らして言葉を濁してみる。

 するとアオイは、ふっと笑うとゆっくりと大きく頷いた。

「レーミアにお願いしてこよう」

 皆まで言わずともわかっているというアオイの態度に、俺はやや憮然としてしまう。

 それを見てまた微笑んだアオイが、すくっと立ち上がった

「ところでアオイ。学校はいいのか。今日は平日だろう」

 俺は体の両脇に手を突き、ベッドから下ろした足を揺らしながら、上目遣いにアオイを見上げた。

 恥ずかしさ紛れに、何とか話題を逸らそうと試みる。

「ふっ、私も寝坊してしまってな」

 アオイの目が優しく細まる。

「今日はウィルと一緒にサボるのも悪くないと思った」

 アオイは悪戯っぽく言うと、軽やかな足取りで扉に向かった。レーミアに朝食、いや、昼食のお願いをしに行ってくれるのだろうが、やはりかなり上機嫌の様だ。

 今なら、大丈夫か。

「アオイ、あの、頼みがあるんだが……」

 俺はアオイの背中に、おずおずと声を掛けた。

 アオイが黒髪を翻して振り返った。

「何かな」

 俺は僅かにアオイから目を逸らす。

 軍警と連絡を取ると言って、もし以前の様にダメだと言われてしまったら……。

 そんな不安が、脳裏を過ったのだ。

 ……でも、また逃げ出す事など出来ない。

「……アオイ。その、俺の携帯を返してくれないか。軍警に連絡しなくてはいけないんだ」

 俺はキッとアオイを見据えた。

「ああ、そうだな。私が預かっていたのだ。持って来よう」

 アオイはコクリと頷いた。

「えっ」

 俺は一瞬、きょとんとしてしまう。

 あまりにあっさりと、アオイが頷いてくれた事に驚いて……。

「他に欲しいものはあるか、ウィル」

「えっと、だいじょうぶ……」

 俺は驚いた顔のまま、じっとアオイの顔を見てしまう。

「……アオイ。何だか変わったか」

 俺は、思わずぽつりとそう呟いてしまった。

 少しだけ間を空けて、アオイは少しはにかんだように笑った。

「ふふ、そうだな。きっと、そうなのだろう。何せ私には、家族が出来たのだからな」

 右手で左の肘を抱き寄せながら、柔らかな笑顔を俺に向けるアオイ。

「ウィルが家族になろうと言ってくれたのだ。その言葉に、ウィルに、私は変えられてしまったのだろう」

 うんっと弾けるような笑顔で俺に頷き掛けたアオイは、さっと手を振ると軽やかに部屋を出て行った。

 うぐ……。

 昨夜の事を思い返す。

 満天の星空の下、俺と家族になろうと力説した事を……。

 顔がカッと熱くなった。

 何故か体が、プルプル震え始める。

 む。

 むう……。

 もしかして俺は、とんでもなく恥ずかしい事を叫んでいたのだろうか。

 俺はただ、アオイとそうなれたらいいなと思っただけだ。

 その、本当の姉と妹みたいに……。

 そして、アオイが捕らわれている過去を知って、さらに強くそう思ったのだ。

 決して軽く言った訳では……。

 俺は口元を押さえて眉をひそめた。

 ……しかしそうなると、俺は正式なアオイの妹。

 つまりは、ウィルバートとしての自分ではなく、ウィルという自分を受け入れたという事になる。

 ふっと息を吐く。

 ……まぁ、今はそれでもいいだろう。

 これからは、アオイにとっても俺にとっても大事な時期になる。

 過去に正面から向かい合い、過去にきっちりとケリをつけるのだ。

 そのために、その鍵を握るジーク先生にたどり着かなければならない。

 そして、同時にそれは、きっと俺の戦いにも繋がっている筈なのだ。

 ジーク先生は騎士団だ。

 その目的を暴くことは、騎士団の企みを潰す切っ掛けになるかもしれない。騎士団がこれから起こそうとする魔術テロを防ぐ手掛かりに……。

 俺は大きく息を吸い込むと、跳ねるように勢い良く立ち上がった。そして手櫛で髪を整えながらドレッサーに向かう。

 これから成すべき事は沢山ある。

 今は一々恥ずかしがったり落ち込んでいる場合ではないのだ。

 ……頑張らなくては。

 鏡の中からこちらを睨む少女を見ながら、俺はぐっと握り締めた拳に力を込めた。

 その瞬間、微かにキュっとお腹が鳴った。

 む……。

 鏡の中の少女が、さっと頬を赤くした。

 誰もいない部屋なのに、思わず俺はキョロキョロと周囲を見てしまう。

 ……オーリウェル支部に行く前に、まずはご飯にしなければ。



 手元に返って来た携帯をチェックした俺は、凄い数の留守番電話とメールが届いている事に驚いた。

 ジゼルやアリシアからは学校を休んでいる俺を心配するメールが来ていた。これには後できちんと返信しておかなければならない。

 さらには、ロイド刑事からのメールもあった。

 家に泊めてもらった翌朝、別れてからの送信日時になっていたから、あの後もきっと俺の事を心配してくれていたのだろう。

 やはり今度、きちんとお礼をしなければならないと思う。

 それに、ロイド刑事に借りたコートを探さなければ。ゲオルグの所で着替えさせられてから、行方不明なのだ。

 そして最大の着信数を記録しているのがソフィアだった。

 ソフィアにはいつも心配を掛けてばかりだ。今回もきっと凄く怒られるだろうが、悪いのは俺なのでしょうがない。

 ソフィアには今すぐにでも返信したいが、俺はこれから軍警に出頭しなくてはならない。会話が長引いて中途半端になるのは嫌なので、ソフィアへの連絡も後にせざるを得ない。

 俺の携帯には、その他にも軍警オーリウェル支部からやバートレット、アリス、それにミルバーグ隊長からも連絡が来ていた。

 バートレットとミルバーグ隊長には先ほど連絡した。

 バートレットは今すぐ俺を迎えに来ると言っていたが、俺はこちらから行くからと断った。不審がるバートレットに、アオイの了解は得ているから大丈夫と納得して貰った。

 バートレットも隊長も、少なくとも電話越しの声は普通だった。いきなり拘束されるような事は無さそうだが、それでもやはり緊張はしてしまう。

 食事を終え、軍警に出頭する準備のためにドレッサーの前に座った俺は、色々と頭を過る悪い想像に、そっと溜め息をついた。

 俺は今、軍警の制服に身を包んでいた。

 下はサイドに青のラインが入った黒のズボン。上はチャコールのワイシャツで、その胸の膨らみの上にライトグレーのネクタイを垂らしている。

 上着はまだ着ていないが、何だか俺はこの制服を着るのが随分久し振りの様な気がしていた。

 つい先日、ルストシュタットへ出撃する際に着たのだけれど……。

 鏡の中の制服姿の少女は、少し顔を曇らせていた。

 古巣である軍警から疑いの目を向けられているという事は、やはり俺の心をドシンと重くしていた。

「大丈夫か、ウィル」

 そんな俺の様子を見逃さす、即座に背後からアオイが声を掛けてくれる。

 アオイは今、俺の髪を結ってくれていた。いつもならレーミアが髪を整えてくれるのだが、今日はアオイが結おうと申し出てくれたのだ。

「……うん。問題ない」

 俺は軽く微笑んで鏡越しにアオイを見た。

「何かあったら、言うんだぞ」

「うん。ありがとう」

 アオイはそれ以上何も言わなかった。

「さぁ、出来上がりだ」

 アオイがぱっと明るい声を上げた。

「ふふ、可愛いな、ウィル」

 満足そうに頷くアオイ。

 そんな笑顔を見ていると、何だか1人で気負わなくてもいいのかなと思えてしまう。

 もちろん軍警への対応は俺の問題なのだから、アオイの手を借りる事なんて考えてはいない。

 でも、ただ、何だか心強いなと思えたのだ。

 俺はパタパタと頭を振ってみた。

 後頭部で緩いポニーテールにまとめられた桜色の髪と、ネクタイと同色のリボンがふわりと揺れる。

 よし。

 俺はコクリと頷いてドレッサーの前から立ち上がった。

「マーベリックの車はいつでも出られる」

 アオイが櫛を片付けながら教えてくれる。

「うん。帰りは遅いと思うから、先に寝ててくれ」

 俺は机に駆け寄ると、こちらもアオイから返してもらったハンドガンを手に取った。軽量化されたポリマーフレームの銃は、しかしズシリと重たかった。

 俺は弾倉を抜いて弾丸が入っている事を確認し、キチンと安全装置が掛かっていることも確かめる。

「ウィル」

「ん?」

 俺はアオイの呼び掛けに振り返りながら、ハンドガンを腰のホルスターに差した。

「なるべく早く帰って来て欲しい」

 アオイがじっとこちらを見ている。

 俺はふっと笑った。

「俺も早く帰りたいけどな」

 俺は椅子の背もたれに掛けておいた制服の上着を手に取った。

「早く帰って来て、明日からまた一緒に学校へ行こう。一緒に、だ」

 アオイの声は真剣だった。

 ……そうだな。

 それが、俺とアオイの日常なんだと思う。

 軍警隊員としてではなく、レディ・ヘクセと呼ばれる魔女としてでもない、ウィルとアオイの日常なのだ。

「そうだな。うん。そうしよう」

 まだ軍警内での俺の扱いがどうなるかはわからない。もしかしたら拘束されるかもしれない。

 しかし俺はそう返事をして微笑み、頷いた。

 制服の上着にさっと袖を通す。そしてレーミアが用意してくれたベージュのコートも手に取ると、俺はアオイに頷き掛ける。

「じゃあ、行ってくる」

 アオイはそっと目を細め、気をつけてと言ってくれた。



 軍警オーリウェル支部に近づくと、正面ゲートに辿り着く随分手前に規制線が張られていた。その前には、ライフルを装備した隊員が警備に立っていた。

 ぎっしりという訳ではないが、そこそこの数の報道関係者の姿もあった。中には三脚に乗ってカメラを構える者や、近付いて来る黒塗りの高級車、つまり俺が乗っているエーレルト伯爵家の車にカメラを向ける者もいた。

 車が規制線に作られた簡易ゲートに近付くと、すぐさま警備が運転席に駆け寄って来た。

「どういうご用件です」

 警備の隊員の言葉は丁寧だったが、口調は厳しかった。鋭い目でこちらを睨みつけてくる。

 装備も通常の警備隊員のものではなく、作戦部と同様の完全武装だった。

 厳戒態勢だ。

「あ、お疲れ様です。作戦部のウィル・アーレンです。刑事のバートレット捜査官のところに出頭します」

 助手席に座っていた俺は、運転手のマーベリックの隣から顔を出して身分証を差し出した。

「ああ、何だ、ウィルちゃんか。少し待って、確認する」

 警備の隊員は俺の事を知っている様だった。そういえば、俺もなんだか見覚えがある。確か作戦部の隊員の筈だ。

 支部の警備は、普段は政務部の警備隊が行っている。作戦部隊員が駆り出されているという事は、やはり大規模な警備体制が敷かれている様だ。

「……正面ゲート了解。ウィルちゃん、確認した。一般棟に行ってくれ」

「了解です」

 簡易ゲートが開かれ、車が軍警の敷地に進入する。

 徐行しながら進む俺たちの前にまず見えてきたのは、本来の正面ゲートと警備詰め所だった。

 しかしそれは、半分以上が吹き飛び、もはや使用できる状態ではなかった。

 そういえば、オーリウェル支部が襲撃を受けてからその状況を直に確認するのは初めてだ。支部襲撃犯撃退作戦は夜だったし、その後見たのはニュース番組の空撮画像だけだった。

 破壊されたゲートを通過し、支部棟群に近付く。

「ひでぇな」

 ハンドルを握るマーベリックがポツリと呟いた。

 だんだんと見えて来たオーリウェル支部の建物は、無惨にも破壊され、廃墟と化していた。

 地面にはあちこち大穴が開いてしまっている。正面入り口近くの第一駐車場は跡形もなく、そこに一番近い作戦部、刑事部の入っていた棟は7割ほど瓦礫の山と化していた。

 辛うじて立っている建物の残存部分からは、まるで生き物の骨の様に鉄筋が突き出ていた。焼け焦げた跡も見える。さらには、何か鋭利なものでスッパリと切断された様な跡もあった。

 その向こうにある幹部棟も、同様にダメージが酷い。さらにそこから渡り廊下で繋がっている一般棟は、比較的被害は少ない様だ。

 俺たち元Λ分隊の待機室は……完全に崩れてしまっている。

 何だか胸の奥が、キュッとなってしまった。

 俺は一般棟近くの第2駐車場で車を降りた。

 マーベリックにはお礼を言い、先に帰ってもらう。

 車が帰って行くのを見送ってから、俺は一般棟へと歩き始めた。

 眉をひそめて被害箇所を見ていると、瓦礫の中を隊員たちが忙しなく動き回っているのが見えた。酷い状況だが、復興作業は既に始まっているようだった。

 一般棟に足を踏み入れると、内部は雑然としていた。

 戦闘装備の隊員やワイシャツ姿の一般職員が忙しなく動き回り、廊下には様々な物資が所狭しと並べられていた。

 もともと一般棟は、政務部が入り、食堂や購買部、医務室などがある場所だったが、今はまるで野戦司令部の様な有り様だった。

 俺は廊下の隅に寄って他の邪魔にならない様に気を付けながら、周囲を見回した。時々ぴょんと爪先立ちなどしながら遠くも見てみる。

 刑事部があの有り様なので、バートレットたちもこの一般棟にいるのだろうが、どこに行けばいいのだろう。先ほどの警備から、連絡は行っている筈なのだが。

 俺は緊張を誤魔化すために、落ち着きなく周囲を窺った。

 胸がドキドキしている。

 これから取り調べを受けると思うと、この支部にいる人たち全てが俺を睨み付けて来るような錯覚に襲われる。

 ……大丈夫。

 俺はそっと胸に手を当てて深呼吸した。

「ウィル。こっちよ」

 不意に、周囲のざわめきの中から知っている声が聞こえた。

 キョロキョロすると、アリス捜査官がこちらに向かって手を振っていた。

 うむ。

 俺は一瞬身を固くする。

 そしておずおずとアリスのもとに向かった。

 緊張のためか、廊下を横断するだけだったのに3度も人とぶつかってしまった。

 俺はぶつけてしまった鼻を押さえる。

「……大丈夫?」

「……大丈夫」

 俺はアリスを見ながらコクリと頷いた。

 アリスの俺に対する態度は、特に今までと違う様には思えなかった。

 俺はアリスに案内されて、一般棟の3階に上がる。

 こちらも、廊下に雑然と物が積み上げられていた。

「刑事部が壊れちゃったから、無事だった資料なんかを運び出しているのよ」

 アリスが荷物や人をよけながら、説明してくれた。

 俺はそのまま、第3会議室とプレートの付けられた部屋に通された。

 室内にはスーツ姿の捜査官が忙しなく行き来していた。長机が沢山並べられ、仮設の書庫やパソコンなどがあちこちに設置されている。やはり急場感のある台に設置された電話器が、激しく鳴っていた。

 おそらくここが、仮の刑事部の執務室なのだろう。

 俺はその会議室の隅のパーテーションで区切られた場所に案内された。

 パーテーションの中にはやはり簡易机が並べられ、パイプ椅子が4つ置かれていた。

 まさに簡易の取調室だ。

「そこに座ってて」

 俺はコートを脱いでから、アリスに指定された椅子に腰掛けた。

 アリスがパーテーションの向こうに消える。バートレットを呼びに行ったのだろう。

 当たり前だがここはパーテーションで区切られているだけな空間なので、周囲のざわめきは伝わって来る。しかし1人だけ隔離されたこの場所にじっとしていると、何だか自分がいてはいけない場所にいる様な気がして、どうも落ち着かなかった。

 俺は膝の上に乗せたコートをぎゅっと握り締めていた。

 これから取り調べを受けると思うと、自然と緊張が高まってくる。

「待たせたな」

 不意にパーテーションが開き、ワイシャツに緩めたネクタイ姿のバートレットが入って来た。その後にはアリスが続く。

「お疲れ様です」

 俺は勢いよく立ち上がり、腰を折って敬礼した。

 バートレットはああと答えながら俺に座るように合図する。そして机の上に、抱えて来たラップトップパソコンや書類を広げ始めた。

 さらにゴトリと灰皿を置いたバートレットは、ワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出した。

 アリスが露骨に嫌そうな顔をしている。

「さてウィルちゃん。久し振りだな。体調はもういいのか?」

 バートレットの口調はいつも通りだが、その鋭い目はじっと俺を捉えたままだった。

 俺は身を固くしながら椅子の上で体を動かし、お尻の位置を変える。

「あの、ご迷惑をおかけしました」

 俺は何とかバートレットを見返しながら、そう答えた。

 バートレットがタバコをくわえる。

「その様子じゃ、俺たちがウィルちゃんに会いに行っていた事、聞いているよな」

 俺はコクリと頷いた。

「ふむ。なら話が早い。伯爵さまから聞いているかもしれないが、率直に言うと、ウィルちゃんには敵と共謀しているのではないかという疑いが掛かっている。それを踏まえて、支部を襲った魔術師やエーレクライトについて話を聞きだい」

 バートレットはもぞもぞとポケットを探りながら顔をしかめた。ライターが見つからない様だ。

 挨拶もほどほどに、本題に切り込んでくるバートレット。

 俺の近況報告については事前に電話連絡した時に済ませてあるとはいえ、何だか緊迫したものを感じてしまう。

「見ての通り軍警は大混乱中だ。しかし軍警を襲った連中は早急に捕まえなきゃならん。わかるな」

 俺は、はいと短く答えた。

「ウィルちゃんが敵魔術師と会話しているのも、魔術を使用しているのも複数の隊員によって目撃されている。では、これについて説明してくれ」

 バートレットは火を付けるのを諦めたのか、タバコをくわえたままパソコンを叩き始めた。

「一応言っておくが、これは聴聞会でも正式な取り調べでもない。しかし証言内容は記録されるから、そのつもりでな」

 バートレットがギロリと俺を見た。

 俺は静かに深呼吸する。

 ……俺には何も恥じることはないのだ。

 魔術を行使した事についても、後悔はしていない。

 俺はキッとバートレットを見た。

「俺が初めてジーク先生と会ったのは、聖フィーナ学院の中でした」

 俺はジーク先生との出会いから、記憶を確かめるようにゆっくりと話し始めた。



「ファーレンクロイツか。厄介だな」

 俺がジーク先生と出会った経緯や魔術を習い始めた動機、そしてアオイから知らされたジーク先生の正体までを語り終えると、バートレットは顔をしかめてパイプ椅子にもたれ掛かった。

 しかし意外だったのは、バートレットもアリスも俺の話にそれほど驚いていないという事だった。

 むしろ俺の話で何かを確かめているという風だ。

 ジーク先生の名前にしても驚いてはいたが、やはりそうかという類の反応だった。

 俺が意識を失ったりアオイの所から逃げ出している間に、軍警刑事部も独自の捜査を進めていたという事だろうか。

 俺は額にじんわりと滲んだ汗を拭った。

 緊張と良く効いた暖房のせいか、何だか体全体が熱くなっている気がした。

「ウィル。ジークハルト・ファーレンクロイツと会った日時、場所、会話の内容を詳しく教えてくれる?」

 今度はこちらもパソコンに向かっていたアリスが質問してくる。

「はい……」

 俺は小さく頷くと、眉をひそめながら必死に記憶を辿った。

 覚えている限りのジーク先生との思い出を話す。

 それは何だか胸の奥がズキズキとして、思った以上に辛い作業だった。

 話の途中でバートレットやアリスに突っ込まれ、同じ事を何度も何度も繰り返さなければいけない事がさらに胸を苦しくさせる。

 話しながら俺は、ジーク先生がどういうつもりで俺に魔術を教えたのだろうと考えてしまった。

 そして、ジゼルを救ってくれたあの先生が、どうして魔術テロを起こす騎士団なのだと思わずにはいられなかった。

 一通り話を終えた時には、俺は全身に汗を掻いてしまっていた。制服のシャツが肌に張り付き、少し不快だった。

「事情は大体わかったが、ウィルちゃんの行動は、やはり軽率としか言えんな」

 指の間でタバコを動かしていたバートレットが、そのまま無精髭の濃くなった顎を撫でた。鋭い視線が、ギロリと俺を射抜く。

「俺たちは魔術師と戦うプロであらねばならん。聖フィーナなんて魔術師の巣窟にいるなら、なおさら気を引き締めておかなければな。ファーレンクロイツが、何時ウィルちゃんが軍警だと知ったのかはわからんが、目を付けられていたのは確かなようだからな」

 バートレットはいつものにやつき笑いもなく、真っ直ぐに俺を睨み付けてくる。

 俺はそれを正面から受けながら、掠れた声ではいと頷いた。

 頷いてはいたが、内心俺は少し眉をひそめていた。

 魔術師が全て敵だというようなバートレットの言い方には、納得できない部分がある。少なくとも聖フィーナの大多数の皆は、騎士団などにかかわりがないのだ。

 俺は膝の上に置いた手を、痛いほど握り込んだ。

「……イーサン、少し休憩にしましょうか」

 アリスが気遣わしげに俺を見て、そう言ってくれた。

「ん、ああ、そうするか」

 バートレットが頷いて立ち上がった。

 タバコをくわえたまま、ぼりぼりと頭を掻いたバートレットがパーテーションの外へと出て行った。

 俺は、ほっと長く息を吐く。

 アリスのお陰で、俺はカチコチにになった体から幾らか力を抜く事ができた。

「ウィル、暑かったら上着脱いで。ネクタイもとっちゃっていいよ」

 アリスが俺を見て優しく微笑んでくれた。

 俺も笑みを返すが、何だかその笑顔が強張ってしまったのは、自分でもわかってしまった。

 俺はアリスの言葉通り制服の上着を脱ぐと、隣の椅子に置いた。続いてネクタイもするすると解くと、シャツのボタンを外して胸元を開いた。

「ふうっ……」

 俺は目を瞑り、ゆっくりと息を吐きながら、シャツの胸元をパタパタさせて風を送る。

「失礼しますっ!」

「おお……!」

「わあっ」

「ウィルちゃんだっ」

「おい、押すなよ!」

 そこへ、不意にざわざわと複数の賑やかな声が響いた。

 すっかり脱力して気を抜いてしまっていた俺は、思わずビクっとしてしまう。

 顔を上げると、数人の隊員たちがパーテーションから顔を出し、こちらを覗いていた。

 防弾帽を被っている者もいる。

 俺の知っている顔もあった。

 彼らは、刑事部員ではなく作戦部の隊員たちだ。

「何ですか? ここは今使用中ですよ」

 アリスが鋭い声を上げた。

「どうしたんだ、みんな」

 俺は立ち上がって作戦部の仲間たちを見た。

「だってさ、ウィルちゃんが来てるって聞いたから」

「あの日から会ってないからな」

「隊長は何も教えてくれないし」

「ウィルちゃん、大丈夫かい?」

「取り調べ受けてるって本当か?」

 再び同時に声を上げる隊員たち。

 えっと……。

 俺はどう応えていいのかわからず、アリスを一瞥した。

 アリスはひょいと肩をすくめる。

「ああっと、その、俺は大丈夫だ」

 俺は取りあえずみんなの前でそう言うと、ははっと微笑んだ。

 それを見て、何人かが照れた様にニヤニヤと笑い返してくれる。

「なら、よかった」

「ホッとしたよ」

「困ったら言え、ウィルちゃん」

「酷い扱いを受けたら、直ぐに救出作戦を実行するからな」

 何人かが声を上げる。

「あの」

 その中から、他の隊員たちを押しのけて、若い隊員が顔を出した。

「ウィルさん、その、俺、ウィルさんに一言お礼を言いたいんだ」

 若い隊員は、緊張に顔を強張らせていた。

「この前、支部襲撃犯と戦った時、俺、ウィルさんの魔術で助けられたんです」

 む。

 オーリウェル支部襲撃犯の魔術師と対峙したあの時、俺は咄嗟に防御術式で倒れた隊員を守った。あの時は誰を守ったのかわからなかったが、それが彼という事なのだろうか。

「ウィルさんが魔術を使ったって批判する奴はいるけど、俺は感謝してるんだ。ウィルさんに守ってもらえなかったら、多分俺は今ここにいなかっただろうから」

 真っ直ぐな視線で俺を見詰める彼の視線に、俺はぽっと胸の奥が温かくなるような気がした。

 そしてその温かさは、じんわりと体全体に広がって行く。

 感謝されたいから守ろうとしたのではない。

 でも、こうして俺が誰かを守れたという事を実感出来るのは、素直に嬉しい事だった。

 魔術を習って良かったなと思える。

 間違ってはいなかったと思える。

 魔術が無ければ、俺はあの時、彼を救えなかったかもしれないのだ。

 やはり魔術は、誰かを守れる力になり得る。

 ジーク先生が示してくれた様に……。

 俺は目を細めて、少しはにかみながらふわりと微笑んだ。

「うん。良かった、無事で」

 良かったのだ、これで……。

 その瞬間、若い隊員は恥ずかしそうに顔を赤くした。

「何だ、トール、抜け駆けか!」

「おら、この野郎!」

「引っ込め!」

「ぶーぶー!」

 途端に周囲からもみくちゃにされた隊員が、後方に弾き飛ばされて行く。

 大丈夫だろうか……。

「何なの、この騒ぎは」

 そこに、賑やかに騒ぐ隊員たちの背後から、不意にぞくりとする様な冷たい声が響いた。

 先ほどまでパーテーションを押し倒さんばかりに押し掛けていた作戦部の皆も何かを感じたのか、さっと素早く道を開けた。

 その先に立っていたのは、ゴージャスな金髪に無表情を張り付かせたヘルガ刑事部長だった。

 ワインレッドのスーツの胸の下で腕を組み、指先でコツコツと肘を叩いている。

「あなたたち、さっさと持ち場に戻りなさい。全く、この忙しいのに、作戦部は暇なのかしら」

 ヘルガ部長の低い声は良く通った。

 まるで大声で怒鳴られた時のようにさっと踵を合わせて敬礼した作戦部の皆は、慌ただしく散開して行く。去り際に、何人かはこっそりとこちらに手を振っていが。

 俺は、後で作戦部にも挨拶しに行こうと思った。

「部長。お疲れ様です」

 アリスが立ち上がり、俺の隣に並んだ。

 ヘルガ部長が、頷きながらこちらに近付いて来た。

「アリス。ウィル・アーレンの聴取はここまででいいわ。バートレットにはそう伝えてちょうだい」

 はいっとアリスが頷いた。

「ウィル。来なさい。少し話をしましょう」

 俺に流し目を送ったヘルガ部長は、そのままヒールを響かせて歩き始めた。

 ……何だ。

 大股でさっさと歩き出すヘルガ部長。

 パーテーションから出た俺は、小走りにその後をついて行った。

 すれ違う刑事部員たちが、さっと部長に敬礼を送る。

 チラリと時計を見ると、いつの間にか時刻は20時になろうとしていた。

 ヘルガ部長は廊下に出ると、エレベーターホールに向かった。そしてそのまま、エレベーターで5階に上がる。

 5階は一般棟の最上階で、大会議室や資料室があるたけだった。やはり所狭しと物資や機材が置かれていたが、人の姿はなかった。

 廊下の蛍光灯は消され、薄暗い。

 ヘルガ部長は5階のどの部屋にも入らず、少し歩いてから廊下の窓際に立つと俺を見た。周囲にはやはり人影はなく、俺とヘルガ部長しかいなかった。

「事情は聞いているわ。体は大丈夫なの?」

「あ、はい。もう大丈夫です」

 腕を組むヘルガ部長の前で、俺は直立不動の姿勢を取る。

「ならいいわ」

 ヘルガ部長はすっと目を細めた。

「本来ならば、騎士団と通じた疑いのあるあなたは、このまま拘束して徹底的に取り調べを受けてもらう事になるわ。そして最後には、幹部による聴聞会に掛けられる事になるのよ」

 ヘルガ部長は事務的にすらすらとそう告げた。

 俺は手を握り締め、全身を強ばらせる。

 目を伏せ、きゅっと唇を噛み締める。

 そうなれば、もうエーレルトのお屋敷には戻れないだろう。アオイとも会えなくなる。

 やはり何度でも繰り返し説明し、疑われる様な事はないとわかってもらうしか……。

「でも今はそういう時期ではないわ」

 俺ははっとして顔を上げた。

 ヘルガ部長の目がギラリと光った気がした。

「あなたに新たな任務を与えます」

 ヘルガ部長が一拍の間を置いた。

「ウィル・アーレン。あなたは引き続きエーレルト伯爵に張り付きなさい。そして、伯爵を監視するのです」

 アオイを……?

 俺は眉をひそめた。

 ヘルガ部長が構わず無表情に続ける。

「あなたは枷になるのよ。エーレルト伯を、あの魔女をこちら側に引き止めておく為の枷、にね」

 ご一読、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ