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Hexe Complex  作者:
59/85

Order:59

 完全武装状態の軍警オーリウェル支部の隊員たちがずらりと居並ぶ輸送ヘリの機内は、重苦しい沈黙に満ちていた。

 ただ轟音を上げるヘリのエンジン音だけが響いている。

 オーリウェル支部が魔術師の襲撃を受けているという連絡を受けた俺たちルストシュタット派遣部隊は、現在そのオーリウェルを目指して全速力で北上中だった。

 いつもなら、どんなに厳しい作戦を目の前にしても陽気な冗談を言い合う仲間たちが、今回は皆一様に沈黙し、ただ目的地へ到着する時をじっと待っていた。

 古城での作戦からまた1日も経っていたない状態で再度作戦に従事しなければいけない事が、みんなの負担になっているのは明らかだった。

 しかしそれよりも、俺たちを暗澹たる気分にさせているのは、オーリウェル支部が、俺たちのホームが襲撃を受けているという事実だった。

 俺もみんなと同様に、再び戦闘装備に身を包み、ブルパップライフルを握り締めている。その手には、ずっと力が入りっぱなしだった。

 オーリウェル支部のみんなの安否が気がかりだった。果たしてみんな、無事だろうか。

 俺は眉をひそめ、奥歯を噛み締めながら深く息を吐く。

 そんな心配と同時に、俺の胸の中には抑えようのない怒りが満ちていた。

 もちろん、オーリウェル支部を襲った魔術師たちに対する怒りだ。

 周囲の仲間たちも、ただ沈黙している訳ではない。

 よく見るとその目をぎらつかせ、今にも爆発しそうな剣呑とした雰囲気を漂わせていた。

 ルストシュタット支部を発つ前。ミルバーグ隊長から行われた状況説明によるよ、オーリウェル支部が襲撃を受けたのは本日の20時頃の事だったそうだ。

 エーレクライトを装備した貴族級と思われる魔術師が突如として支部内に出現。破壊活動を始めた。

同時に、外部から10名程の魔術師が侵入。支部に残っていた当直の部隊と交戦に入った。

 敵の数は少数だか、どれもエーレクライトらしき甲冑を身に付けた手練だった様だ。

 結果、現在時に至るも支部の一部が敵に占拠されてしまっているという状況が続いていた。

 夜間帯という事もあり、非戦闘員である一般の職員は退庁した後だろうが、昼夜を問わず働いている職員は沢山いる。

 彼らが無事に退避できていれば良いのだが……。

 さらに隊長の状況説明を聞いて、俺には気になった事があった。

 このタイミングでの襲撃。

 恐らく魔術師たちは、俺たちオーリウェル支部の主力隊が不在なのを見計らって支部に襲撃を仕掛けて来た筈だ。

 しかし古城制圧戦の最中ではなく、作戦終了から随分と時間が経ってから襲撃が行われた。

 アオイですら作戦終了のタイミングを把握していたのだ。軍警を襲撃を仕掛けようという者達が、そのタイミングを逃すのは不自然な気がした。

 そして襲撃犯は、支部を蹂躙した後も未だ占拠を続けているという。

 時間が経てば、俺たちや他の応援が来るというリスクが高まるというのに。

 ……もしかしたら、奴らには何か別の狙いがあるのだろうか。

 俺は少しだけ目を瞑り、軽く頭を振った。髪がさらりと揺れる。

 いずれにしても、支部に居座るエーレクライトを素早く制圧し、事態を収拾しなくてはならない。

 俺は唇を噛み締め、キッとコクピットの方を睨み付けた。

 もう間もなくオーリウェルに到着する筈だ。

 支部に帰れば、俺の疑問にも答えが出るだろう。

 時刻は間もなく、日付が変わろうとする頃だった。



 窓の外には、黒々とした夜の森が広がっていた。

 ルストシュタット支部が準備してくれたCH-57輸送ヘリは、今まさに着陸態勢に入ろうとしていた。

 接地の衝撃。

 エンジンの回転数が下がり、ゆっくりと後部ハッチが開いていく。すると、外部の投光器の眩い光が、機内にも射し込んできた。

 先輩隊員たちがライフルを携え立ち上がると、順番にその光の中へ出ていった。俺もそれに続く。

 機外は、身を切るような冷たい夜気に満ちていた。夜の森の濃い緑の匂いが、その冷え切った空気に乗って漂って来る。

 白い息を立ち昇らせながら、俺はキョロキョロと周囲を見回した。

 ここは、軍警オーリウェル支部教練場最外延にある格納庫だ。支部の建物からは大きく外れた森の中にあり、森林での訓練時などに利用される場所だった。俺も訓練で何度も訪れている場所だ。

 訓練時以外は普段はあまり人気はなく、深夜ともなれば無人になる。

 しかし今は、緊迫した声が響き渡り、大勢の軍警職員が忙しなく行き交う喧騒が、その格納庫の周囲を満たしていた。

 煌々と投光器が灯され、人や車両が激しく行き来している。物資や車両が乱雑に配置され、赤十字が張られたテントも設置されていた。

 特に格納庫は人の出入りは激しい様だ。大小のアンテナも設置され、どうやらあそこが、実質的な野戦司令部になっている様だった。

 ヘリから降りた隊員たちが周囲に散り、状況を確認したり周囲を手助けし始める。

「ブフナー! 隊をまとめて待機させろ。ジェフ、アーレン、ついて来い!」

 ミルバーグ隊長がこちらを見て大きく手を振った。

 俺はライフルを押さえ、とととっとミルバーグ隊長に駆け寄った。

「……あうっ!」

 不意に足がもつれる。

「おい、大丈夫かい、ウィルちゃん」

 転びそうになったところを、太い腕に支えられた。

 俺を助けてくれたのは、古参隊員のジェフリーさんだ。

「す、すみません……」

 俺はぺこりと頭を下げた。

 ……まだ少し、本調子ではない様だ。精神的には問題ないが、体が重く、ついて来ない気がする。

 まったく、こんな時に不甲斐ない……!

 俺は全身に力を込めて、大きく深呼吸する。そして、改めてミルバーグ隊長とジェフリーさんの後を追った。

 隊長たちに従って格納庫に足を踏み入れると、内部は戦闘装備の隊員たちやスーツ姿の捜査官が入り乱れていた。殺気立った空気がじりじりと伝わって来る。

 その人山の奥に、簡易の机を並べ、モニターや野戦用の無線機が並ぶ一角があった。

 制服の幹部たちの姿が見え、その中にワインレッドのスーツに身を包んだ女性の姿があった。

 ヘルガ部長だ。

 支部長の姿は見えなかったが、政務部長や俺たちより先にオーリウェルに帰投していたシュリーマン中佐の姿もあった。

「失礼いたします」

 ミルバーグ隊長が幹部たちの前で踵を合わせた。俺とジェフリーさんも隊長の後ろに並び、それに倣った。

「良く戻った」

「お疲れ様」

 シュリーマン中佐がこちらに歩み寄って来る。ヘルガ部長もこちらを向いた。

 中佐は無表情だったが、ヘルガ部長はやや青ざめた顔をしていた。辣腕の女性幹部も、目の前で激しい戦闘が発生すれば、こたえるものがあったのだろう。

「状況は事前に通達した通りだ。現在ハーミット隊が支部内で敵魔術師の牽制に当たっている」

 シュリーマン中佐が俺たちを机の前に導いた。そこには、オーリウェル支部の見取り図が広げられていた。

「敵は現在、幹部棟を占拠している。ここだ。ハーミット隊は刑事部から食堂までの通路に防衛線を築いているが、はっきり言って劣勢だ。エーレクライトが本気で仕掛けて来れば、突破されるだろう」

 シュリーマン中佐は目だけを動かし、ミルバーグ隊長を睨むように見た。いつもの穏やかな雰囲気など微塵もない、恐ろしい顔だった。

「現在非番の隊員を招集して部隊を再編成している。ミルバーグ中尉はこれの指揮にあたれ。ハーミット隊と連携して、敵エーレクライトの殲滅するのだ」

 ミルバーグ隊長はじっと見取り図を見つめてから顔を上げ、ゆっくりと頷いた。

「敵の数は如何ですか」

 顎に手をやりながらミルバーグ隊長が尋ねる。隊長の前に、カツリとヒールを響かせてヘルガ部長が立った。

 ヘルガ部長は胸の下で腕を組んだ。

「エーレクライトが一体。後、軽装の鎧が4体確認されているわ」

 たった5人……。

 主戦力が不在だったとはいえ、それだけの数に軍警が蹂躙されているなんて……。

「大部分の魔術師は撤退したのだけれど、その5名が未だに籠城を続けている。でも、その理由がわからないわ。何か狙いがあるのかも知れないわね」

 俺は顔を上げてヘルガ部長を見た。

 部長と目が合う。

 俺もヘルガ部長と同意見だった。

「敵の主力は、以前ディンドルフ男爵戦で遭遇したものと同じエーレクライトの可能性がある」

 シュリーマン中佐が俺を一瞥した。

 俺は思わずはっと息を呑む。

 ディンドルフ男爵の屋敷。

 屋上で感じたあの焦燥感が蘇ってくる。

 吹き付ける焦げ臭い夜風と、胸の焦げるような怒り。そして強大な敵への絶望感と共に。

 圧倒的な力で俺の前に立ちはだかったあの鎧……。

 俺は思わずギリっと奥歯を噛み締めた。鳩尾辺りがキュッと縮む。

 ……やはり奴か。

 ディンドルフ男爵戦の時も、事態が悪化した原因は奴の策動があったからだ。今回も、もしかしたら奴が黒幕である可能性が高い。

 古城でバルディーニが言っていた、仲間に売られたという言葉の意味も、これで納得出来る。

 あの鷲の兜のエーレクライトは、仲間をも陽動に使い、オーリウェル支部襲撃のチャンスに利用したのだ。もしかしたらバルディーニの居場所を知らせる匿名のタレ込みすら、その計画の一端だったのかも知れない。

 ……俺を人形呼ばわりしたあの銀の甲冑。

 間違いなく、奴は俺たちの敵だ。

「ディンドルフ邸の戦いで奴に対したのはアーレンだ。事前に情報の共有を行え」

 シュリーマン中佐の言葉に、俺は大きく「はい」と返事をした。ミルバーグ隊長とも視線を交わし、頷き合う。

「……敵は強力なエーレクライトだわ。本当なら、戦力の逐次投入ではなく、他支部の応援を待って反撃したいところだけど」

 ヘルガ部長が大きく溜め息を吐いた。

「そうも言っておれんだろう」

 シュリーマン中佐が厳しい表情のまま、目を瞑り息を吐いた。

 俺は中佐を見てからヘルガ部長に目を移す。

 ヘルガ部長は俺たちを見据えて、すっと目を細めた。

「まだ公表はしていないのだけれど。明朝までに事態が改善しない場合、市長は軍に出動要請をするつもりよ」

 軍……?

 俺は一瞬、その言葉の意味が理解出来なかった。

 俺たち軍警ではなく、軍ということは……。

「既にローラーンの第2空挺団に招集がかかっているみたいだわ。この意味する所がわかるかしら?」

 ヘルガ部長は首を傾げながら少し笑った。どこか自嘲めいた笑みだった。

 俺はむっと眉をひそめる。

 空挺団……連邦陸軍か!

「対魔術師戦で主導権を失うということは、我々軍警の存在意義が問われるという事です。最悪、オーリウェル支部だけでなく、軍警そのものに問題が波及する可能性がある。……なるほど」

 ミルバーグ隊長が低い声で言うと、再び姿勢を正した。

「では、直ちに部隊の準備に入ります」

 そしてさっと敬礼した。

 軍警という組織そのもの弱体化。

 狡猾なるあのエーレクライトの狙いはそれか?

 俺とジェフリーさんも隊長に従い、敬礼する。

 ……奴の思い通りにさせてなどおくものか。どんな目的があるにせよ、俺たちの全力をもって阻止しなければならない。

「健闘を祈る、中尉」

 シュリーマン中佐が答礼しながら重々しく頷いた。腕組みをしたままのヘルガ部長も、コクリと頷いた。

 ミルバーグ隊長が踵を返して格納庫の出口に向かう。

「ウィル」

 俺とジェフリーさんもそれに続こうとした時、俺は不意に背後から呼び止められた。

 振り返ると、ヘルガ部長が俺を見ていた。

 俺は小走りにヘルガ部長の前に戻ると、再び姿勢を正した。

「一応確認なのだけれど」

 顎を引いたヘルガ部長が睨むように俺を見る。

 ……何だ?

「ウィルも反攻部隊には参加してくれるのよね」

 探るようなヘルガ部長の言葉に、俺は一瞬きょとんとしてしまう。

 部長は何を言っているのだろう。

「もちろんです」

 俺は大きく頷いた。

 そんな事、当たり前の事だ。

 陸軍が出てくるとか組織の存在意義とか、そんな複雑な事情以上に、これは俺たちのホームを取り戻すための戦いなのだ。

 未だに敵が俺たちの支部にいる。

 そして今、俺はここにいる。

 ならば、戦わない理由などない。

「わかりました。ありがとう。ちょっと確認したかっただけよ」

 ヘルガ部長は少しだけ笑って手を上げた。

 俺はヘルガ部長の態度を訝しみながらも、再び敬礼した。そして髪を振ってさっと身をひるがえすと、大股でミルバーグ隊長の後を追った。

 ……あのエーレクライトとの対決。

 恐らく激戦が予想される。

 傷つく者も犠牲になる者も出るだろう。しかし、その犠牲を減らすために、俺には出来る事がある。

 俺が見た奴の術式や戦い方をみんなに説明し、対抗策や対処法を想定しておかなければならないのだ。

 成すべき事は、山ほどある。

 俺は大きく息を吸い込んでむっと頬を膨らませると、人混みの中を縫って走り始めた。



 ルストシュタットからの帰還組に非常招集をかけた隊員や支部の残存戦力を組み込んだ部隊は、3つの隊に再編制された。

 その3隊でもってオーリウェル支部の正面、裏側、そして北側から同時に突入し、未だ支部内に止まっているハーミット隊と連携し、敵の包囲、殲滅を図るのがミルバーグ隊長たちの立てた作戦だった。

 確かにエーレクライトは強力だが、敵の数は少ない。十分に包囲殲滅が可能だと判断されたのだ。

 ヘルガ部長やシュリーマン中佐、それに非戦闘員の職員たちに見送られ、俺たちを乗せた軽機動車の車列が動き始める。

 キャビンの上に設置された重機関銃を担当する隊員が、格納庫のみんなに敬礼していた。俺も車内から敬礼を送る。

 支部棟と格納庫群は、離れているといってもそんなに距離があるわけではない。広い連絡道路はよく軽いランニングに使われていて、車ならばあっという間だ。

 しかし今は、ヘッドライトが照らし出すその道が、全く知らない場所に続いているかの様に思えてしまった。

 俺は体格のいい隊員たちの間に埋もれるように座りながら、車窓の光景を見つめていた。

 森を抜けると、間もなく軍警オーリウェル支部の建物が見えて来た。

 誰かが微かに声を漏らすのが聞こえた。

 それは、俺たちの支部が見えた安堵の声だったのか、または、いつもと違う支部の姿に対する驚きだったのだろうか。

 普段深夜でも明かりの消える事がない支部の建物が、今は真っ暗だった。

 まるで、巨大な廃墟の様だった。

 屋根の向こう、微かに明るく見える場所には、建物のシルエットと一緒に立ち上る煙も見て取ることが出来た。

 俺はライフルを抱きしめる腕に力を込めた。

 燃えているのだ。

 オーリウェル支部が……。

『各車、散開』

 無線からミルバーグ隊長の低い声が響いた。

 軽機動車の車列が解け、それぞれの配置先に向かって行く。

 俺はミルバーグ隊長と同じC分隊所属だ。

 C分隊は軽機動車2台の戦力で、支部の正面に回り込み、突入する事になっていた。鷲頭のエーレクライトが幹部棟にいるならば、他の隊よりも先に接敵する事になるだろう。

 だからこそ、奴との交戦経験がある俺が配置されたのだ。

 ……大丈夫。

 奴との戦いは、望むところだ。

 他者を利用し、傷付け、裏側で暗躍するあの鷲頭のエーレクライト。

 この事態の元凶。

 ……今ここで奴を仕留めておかなければ、次にどんな悲しみをもたらすかわからない。

 俺たちを乗せた軽機動車は支部を大きく回り込み、正面入り口脇の駐車場に侵入する。

 車が停車すると、俺たちは互いをカバーしながら素早く下車し、隊列を整えた。

 しんと静まり返った駐車場に、俺たちのブーツの音と装備の鳴る音が微かに響く。

『Cリーダーより各隊。状況送れ』

 ミルバーグ隊長が通信を行いながらハンドシグナルを送る。

 俺たちの中から2名が飛び出し、壁に張り付きながら自動ドアの向こうのエントランスホールを窺った。

『こちらDリーダー。配置完了』

『E隊、いつでも行ける』

 他の隊も配置に付いた様だ。

 俺は軽機動車の脇で膝立ち状態でライフルを構えながら、ダットサイトの向こうに集中する。

 ミルバーグ隊長の合図で部隊が移動を開始し、先行した2名に合流。支部正面扉の左右に付き、突入に備えた。

 俺はミルバーグ隊長ら他2名と一緒に、この場で突入隊を援護するため動かない。

 不気味な程静まり返った周囲。

 隊員たちの息遣いまで聞こえて来そうだった。

『全隊準備完了。A、いつでも突入可能だ』

『A隊、了解。A隊よりハーミット隊』

 A隊は今回、簡易司令部の予備戦力を指す。

 無線に、微かなノイズが走った。

『……こちらハーミット。待ちわびたぞ。ミルバーグ、頼むぜ』

 ノイズ混じりの声に、俺は聞き耳を立てる。

 通信状況が良くない様だ。

『ハーミット、良く持ちこたえた。今行くぞ』

 ミルバーグ隊長の声には微かな笑みが混じっていた。余裕を感じさせる隊長の力強い声は、自然と周囲に安心感を与えてくれるものだ。

『よし、総員準備せよ』

 無線からシュリーマン中佐の声が響いた。

『各隊、突……』

『くそっ!』

 その瞬間。

 シュリーマン中佐の号令を遮り、突如ハーミット隊長の声が響いた。

『全体へ至急! 敵が動き出した! 応戦だ! 抜かせるな!』

 無線から響いて来る激しい銃声。

 くっ、来たか……!

 俺は思わず、ミルバーグ隊長を見上げた。

「ハーミット! 応答しろ、ハーミット!」

 ミルバーグ隊長がヘッドセットを抑えた。

 その時。

 突入のタイミングを伺っていた隊員が、こちらを見てハンドシグナルを送って来る。

 敵接近。

 1名だ。

 俺は、はっとしてライフルに頬をつけると、銃口をエントランスホールの中に向けた。

 照明の落ちたエントランスホールに動く人影。

 ミルバーグ隊長が、軽機動車で50口径機銃を構える隊員に合図する。

 自動ドアの向こうに姿を現したのは、暗闇に浮かび上がるような白い仮面だった。

 目の部分だけに細いスリットが入った無機質な面だ。よく見ると、その体は胸や腕だけを覆う簡素な鎧に包まれていた。

 そしてその手が、すっと俺たちに向けてかざされた。

 仮面の手に雷光が宿る。

 それと同時に、ミルバーグ隊長が叫んだ。

「制圧射撃、撃て!」

 重機関銃が咆哮を上げる。乾いた音を立てて薬莢が飛び散った。

 オーリウェル支部の正面玄関が、無惨にも粉々に打ち砕かれて行く。

 他の隊員たちも、そして俺も、機銃掃射に合わせて一斉にエントランスホール内に向けて発砲した。

 敵魔術師が、暗闇の中に倒れるのが見えた。

「突入!」

 ミルバーグ隊長が叫んだ。

 入り口脇に控えていた隊員たちが、次々に支部内になだれ込んでいく。

『制圧!』

『まだだ、警戒しろ』

『了解!』

『左通路クリア!』

 突入した隊員たちの交信が聞こえて来た。

 先制攻撃は成功か……?

『C8、その向こうだ』

『おい、そいつ、まだ動けっ……!』

 隊員たちの声がにわかに緊迫したその瞬間。

 エントランスホール内に、眩い光が弾けた。

 一瞬の強烈な光に目が眩む。

「あ!」

 俺は思わず叫んだ。

 数名の隊員が、ガラスを突き破り、外へ吹き飛ばされて来る。

 その体は、青白く帯電していた。

 雷撃の術式だ!

「カバー!」

 ミルバーグ隊長が吼えた。

 軽機動車の周りに残っていた俺は、ブルパップライフルを構え姿勢を低く保ちながら、倒れた仲間の救護に走る。

 そこへ、猛烈な突風が吹き付けて来た。

 俺の髪が、激しく揺れる。

「piwnda yuuqi lyya!」

 俺は思わず身を屈めた。

 支部内から飛び出してくる白仮面。

 簡素な鎧姿の魔術師が、俺の頭上を飛び越えて行く。

 空中を駆け抜けて。

 大気制御系の飛行術式だ!

 白仮面がタンっと着地した。

 軽機動車の眼前だ。

 術式詠唱が響き渡る。

「piwnda yuuqi schyli vllezy!」

「迎撃を!」

 ミルバーグ隊長の声が響く。

 負傷した隊員を背にした俺は、膝立ちの姿勢で白仮面に銃口を向けた。

 しかし俺たちの誰かがトリガーを引くより早く、敵の術式が完成する。

 白仮面の手に大気が渦巻く。

 暴風が放たれる。

 それは、不可視の空気の刃となって軽機動車を切り裂いた。

 冗談のように両断される車両。

 爆発はしない。

 しかし軽機動車は一瞬で鉄塊と化し、吹き飛んだ。

 遅れて、俺たちの放った火線が仮面の魔術師に迫る。

 しかし再び風をまとった魔術師は、ひらりと上昇してしまった。

 自由に空を舞う仮面。

 俺たちは白仮面を狙い撃つが、しかし、当たらない!

 不気味な詠唱が夜空に響く。

 そして渦巻く大気の刃が、今度は俺たちを狙い撃ち始めた。

「がはあっ!」

 仲間の1人が、その刃を受けて吹き飛んだ。

 また別の隊員が吹き飛ぶ。

 空中から放たれる大気の刃。

 直撃した隊員のタクティカルベストは、無数の刃に切り刻まれた様な無残な状態になっていた。連射しているためか、軽機動車を両断した時程の威力がないのが幸いだが……。

 もう一台の軽機動車の銃手が、不可視の刃で倒される。

「隊長!」

 今度はミルバーグ隊長が吹き飛んだ。

 刃が当たる寸前、ライフルで防御しているのが見えた。

 大丈夫だとは思うが……。

 白仮面が振り返る。

 そして、さっと俺の方に手のひらを向けた。

 回避しなければ。

 俺は咄嗟に身構える。

 ……いや、ダメだ。

 俺の後ろには、傷つき、倒れた隊員がいる。

 俺が避ければ、次は彼が狙われる!

 詠唱が微かに聞こえ、風が唸り始めた。

 俺はフルオートでライフルを放ち、弾幕を形成する。

 しかし見えない空気の刃の結節点を、夜闇の中で正確に迎撃する事は不可能だった。

 弾切れだ。

 白仮面の魔術が放たれる。

 守る。

 仲間を、守らなければ!

 俺には、その力がある筈だ!

 その刹那。

 つい数時間にミルバーグ隊長やブフナー分隊長から言われた事が頭を過った。

 しかし。

 しかし、そんな事、今は関係ないっ!

 俺はライフルを離し、さっと両手を中空に向けて突き出した。

 より綿密に、術式を編み込め! 綻びなく、より強固に! 鉄壁の防御場を形成するために!

 俺の後ろには、仲間が、倒れた仲間がいるのだから!

「結節、防壁!」

 体から力が吸い出されるような感覚と共に、俺の全面に鈍く輝く光の盾が出来上がる。

 その瞬間、俺の目の前で暴風の刃が炸裂した。

 激しく吹き上がる風が、周囲の塵を舞い上げる。

 防御場が揺らぐ。

 俺はさらに力を込める。

 体の中の全てを絞り出し、魔素の力に変える!

 風が荒れ狂う。

 しかしそれは、防御場の向こうだけ。

 防御場に阻まれた大気の刃は、俺の髪を微かに揺らす事も出来なかった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 風の刃が霧散する。

 ……やった。

 俺は、思わず膝から崩れ落ちた。

 地面に手を突く。

 体中から冷や汗が吹き出す。

 視界がぐにゃりと歪み、頭の中がガンガンと鳴り始める。

 目を開けていられなかった。

 しかし、防いだ。

 守ったのだ……!

 俺はニヤリと笑おうと試みる。

 何とか顔を上げる。

 霞む視界の先、空中で動きを止める白仮面の姿が見えた。

 その表情はわからなかったが、自身の術式が防がれた事に唖然としている様子はわかった。

 そこに、銃声が響く。

 空中の白仮面が火線に貫かれ、ぐらりと体勢を崩した。

 間髪置かず、さらに銃撃が集中する。

「撃て!」

「油断するな、確実に無力化しろ!」

「隊長を救助するんだ。本部、A隊、救援を! 負傷者が出た!」

 俺が目だけで声の方を見ると、突入した隊員の内数名が、支部内からこちらに向かって戻って来るところだった。

 俺は足に力を込め、何とか立ち上がろうとする。

 ……体制を立て直し、残存する敵に対処しなければ。まだ、あのエーレクライトがいるのだ。

 俺は歯を食いしばる。

 しかし、全く足に力が入らなかった。

 それでも無理に立とうとして、次の瞬間、ぐるりと視界が回転した。

 気が付いた時、俺は路面に倒れようとして、傾いていた。

 ……あれ?

 地面にぶつかる。

 そう思った瞬間。

「ウィル!」

 俺は、柔らかな感触に受け止められた。

 俺の体全体を包み込む甘い香。

 そして夜風にひるがえった黒マントが視界に映る。

「ウィル、大丈夫か!」

 耳朶を打つ声は、悲壮感に溢れていても尚、鈴の音のように透き通っていた。

 ああ……。

 俺は片目を瞑りながら、俺を抱き留めた人物を見上げた。

「ウィル!」

 幅広の帽子の庇の下、今にも泣きそうな程顔を歪めたアオイが俺を見下ろしていた。



「もしやと思って来てみれば、何があったのだ、ウィル! 怪我は、怪我はないのか!」

 アオイが俺を抱きしめながら、ペタペタと体を触ってくる。そして最後に、俺の頬に手を当てた。

 この温もり、確かにアオイだ。

 突然現れたのにはびっくりしたが、本当にアオイなのだ。

 俺はふっと笑う。

 うちの姉さん、いつも唐突に登場するな。

「大丈夫だ、アオイ。ちょっと疲れがたまってて……」

 俺は自嘲気味にハハッと笑った。

 こんなみっともないところを見られて、何だか気恥ずかしくなってしまう。あれだけ無事にアオイの元に帰ると見栄を切ったというのに……。

 しかしアオイは、俺の言い訳など聞こえないかの様に、大きく目を見開いたまま呆然としていた。

「何だこれは……。何があったというのだ……」

「アオイ?」

 アオイがブツブツと呟いている。

「何故こんな事に……。ヘルガ部長は何も……」

 ヘルガ部長?

「アオイ、どうして、けほっ、けほっ、ここに?」

 俺は咳き込み、片目を瞑りながらアオイを見上げた。

 アオイがはっとした様に俺を見た。そしてそっと息を吐くと、やっと優しく笑ってくれた。

「ウィルが軍警支部奪還の部隊に参加すると聞いたのだ。見過ごせる訳がないだろう」

 しかしアオイは、また直ぐに笑顔を消してしまう。

 眉をひそめ、探る様に俺の目を覗き込むアオイ。

「……しかしこの状態。まさかウィル、魔術を行使したのか?」

 俺は何も言えず押し黙る。

 アオイはそれを肯定と取ったようだった。

 顔を歪め、俺を抱く腕に力を込める。

「ウィル、何故だ、ウィル!」

 低い嗚咽の様なアオイの声が、俺の打ち据えた。

「ウィルちゃん! 大丈夫か! お前、魔術師か!」

 そこへ、数名の隊員が俺たちの方に駆け寄って来た。そのライフルが、こちらに向けられる。

 いや、正確にはアオイに向けられる。

 転移術式で突然出現さたアオイは、周囲のみんなにとっては新手の魔術師でしかないだろう。

 ……説明しなければ。

「みんな、違う! この人は……けほっ、けほっ」

 しかし不甲斐ない事に、俺はそこで大きくむせてしまった。

 霞む視界に、ライフルを構えたみんなが包囲網を縮めて来る姿がスローモーションの様に映った。

 ダメだ。

 何とかしなければ……!

 そう思った次の瞬間。

 俺たちと軍警隊員の間に、銀色の鎧が現れた。

 唐突に。

 突然に。

 その存在が現れた衝撃に、微かに風が巻き起こる。

 目だけで俺は、その姿を見上げた。

 精緻な彫刻が刻まれた全身鎧。夜風に揺れる真紅のマント。磨き上げられた鏡の様な装甲。そして側頭部に羽飾りのあしらわれた鷲の様な印象を抱かせる兜。

 エーレクライト……。

 ディッセルナー伯爵のそれの様に、化け物じみた迫力はない。しかしその堂々たるその姿は、自然と人に畏敬の念を抱かせる迫力があった。

「エ、エーレクライト!」

 隊員たちが、構えたライフルの銃口をエーレクライトに変えた。

『控えろ、下郎』

 低い声が響く。

 エーレクライトの声だった。

 ……あれ?

 短い詠唱の後、俺たちを包囲していた隊員たちが、一瞬で吹き飛んだ。

『ふっ。久しいな、ウィル・アーレン』

 笑みを含んだ低い声には、優しい響きがあった。

 今まさに味方を攻撃した敵の声。

 しかし、何故だ。

 ……俺は、この声を知っている気がした。

 荒い息で大きく上下している俺の胸が、ドキリと高鳴った。

「お前は……」

 アオイが厳しい声を上げ、俺を抱きしめる。俺を包み込んでくれるアオイの温もりに、頭がぼうっとし始めた。急速に睡魔が忍び寄ってくる。

『ふん、貴様か。ウィル君を待っていたというのに、どんだ邪魔が混じっているものだ』

 俺を呼ぶその声。

 その呼び方……。

 俺は必至に集中して、落ちてくるまぶたに抵抗する。

 体に力が入らない。

 俺を襲う睡魔は、簡単に追い払えるような生易しいものではなかった。

 しかし俺は、それでも鷲のエーレクライトを見た。

 ……ダメだ。意識が朦朧とするせいで、エーレクライトの声が知っている人の声に聞こえてしまうなんて。

『ウィル・アーレンを渡してもらおう、偽りの魔女よ』

「……お前は何者だ。私のウィルに何の用だ」

 アオイの声は冷たい魔女の声だ。

 俺の好きな姉さんの声ではない。

『ふっ。ウィル・アーレンの気高い魂に相応しい力を呼び覚ましたまでの事だ』

 ガチャりと鎧が鳴る。

『貴様の様な、ただ身代わりを作り上げて人形遊びをしている者に、ウィル君と共にいる資格はない』

 俺を抱き留めるアオイの手が何かを探るように動いた。そしてグローブをした俺の手を見つけると、指を絡ませるように握り締めて来る。

 そのアオイの手にキュッと力が入る。

「何を言っている」

 アオイには珍しい、動揺したような声。

『ウィル君は見事に魔術を操って見せた。その気高い精神のもと、素晴らしい力を発揮した。それでこそ、魔術を教えた甲斐があるというものだ』

 エーレクライトが大仰に腕を開く。

 魔術を教えた……?

 あれはエーレクライトだ。

 敵だ。

 いったい、何を言っているんだ?

「……重ねて問う。お前は何者だ、魔術師」

 アオイの声が微かに震えている。

 動揺、だろうか。

『後は、ウィル君が正しく力を扱うための指針を与えなければならない。その力は、世を導くために力を使われるべきなのだ。気高い高貴なる者の責務としてな。私が導こう。さぁ、共に行こう、ウィル・アーレン。いや、ウィル・エーレルト」

 朗々と語るエーレクライト。

 もはや俺の頭の中は、真っ白だった。

 何も考えられない。

 何も考えたくない。

 ただ少女の俺が、大声で泣きわめいている。

 俺はそんなもう1人の俺を、ただ困惑して見つめる事しかできなかった。

 アオイが俺を抱き締めたまま立ち上がる。

 力の入らない俺を、マントの中に隠すようにして包めた。

「……お前は、だれ、だ」

 もはやほとんど開けていられない目で鎧を睨み、俺は小さく呟いた。

 アオイが動きを止める。

 甲冑も動きを止めた。

 静寂。

 どこか遠くで響く銃声が聞こえた。

 エーレクライトがふっと笑った。

 そしておもむろに、羽飾りの付いた兜に手を掛けた。

 カチャリと鎧が鳴る。

 その兜の下の顔を、俺はじっと凝視する。

 はぁ、はぁ、はぁ……。

 ますます動悸が乱れ、息が荒くなる。

 はぁ、はぁ、はぁ……。

 エーレクライトの中から現れたのは、精悍な若い男性の顔だった。

 切れ長の鋭い目に、短く整えられた黒い髪。自信を覗かせる余裕の笑みが浮かんだ口元。

「ジーク……先生?」

「ジークハルト・フォン・ファーレンクロイツっ!」

 俺の微かな呟きは、アオイの叫びにかき消された。

 震えるアオイの声に滲むのは、動揺ではない。

 明確な怒りだった。

 アオイの顔が怒気に歪む。

 それは今まで見た事のない、アオイの激情だった。

「またか……」

 俺をつつんでいたアオイの黒マントが激しく揺れ始める。

 アオイの全身から、青い光が飛び始めた。

 俺にもわかる。

 それはアオイの体から溢れた濃密な魔素だ。

 アオイの目が、微かに青く光り始める。

「またお前か! お前がウィルをこんなにしたのか! 私のウィルを! 私の妹を! また貴様がぁぁぁ!」

 アオイが吼えた。

 ……ダメだ、アオイ。

 何故か俺はそう思った。

 うう、くっ……。

 こんな時に……。

 歯を食いしばる。

 俺の目尻から、つっと温かい液体が零れ落ちた。

 アオイっ!

 ジーク、先生……!

 俺はっ……!

 アオイが再び何かを叫んだ瞬間。

 俺の意識は、プツリと途切れた。

 まるでスイッチを切る様に。

 呆気なく、闇に沈む。

 読んでいただき、ありがとうございました。

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