Order:57
太い石の柱が規則的に並ぶ広い空間は、時の流れと共に色褪せ風化し、朽ちようとしていた。
しかしかつては、荘厳で華々しい光景を作り上げていたに違いない。
何故ならこの場所は、古の王が座した場所。民を魔術で支配する魔術師の王が君臨していた場所なのだから。
しかし今、この場所を制圧しているのは、銃を手にした俺たち軍警だった。
「う、撃つなぁ!」
その謁見の間に甲高い男の声が響き渡る。
部屋の中心に青白く浮かび上がる術式陣の上で、ひょろりと背の高い男が両手を上げながら後ずさった。
年齢は40代半ば。痩身で、明るい茶色の長髪を全て後ろに撫でつけていた。仕立ての良さそうなスーツが、この戦場には何だか場違いな感じだった。
この男がバルディーニ子爵。
聖フィーナの夜会でも間近で顔を確認していたがら、間違いない。
禁呪の研究者にして、自爆術式陣を騎士団に提供したと目されている人物だ。
俺はカツリとブーツを鳴らし、術式陣の上に足を進めた。もちろんライフルの銃口は、ぴたりとバルディーニに固定しながら。
後ろから仲間たちが続く足音が聞こえた。
俺は振り向かず、手だけで止まるように合図する。この術式陣が自爆用ならば、万が一陣が起動された場合、固まっていては全滅してしまう。
有無を言わさず無力化する方が安全なのかもしれないが、バルディーニには色々と聞かなければならない事が沢山あった。
できれば無傷で拘束したい。
俺はライフルを構えたまま、素早く陣の上を横断した。
「おかしな真似をするなよ。少しでも動けば、即発砲する!」
俺を援護する位置についたブフナー分隊長が叫んだ。他の仲間たちも、バルディーニを取り囲むように陣の外側に展開する。
「やめろ! う、撃つな! この術式陣は未完成だ! 作動はしないんだ! だから頼む、撃たないでくれ!」
手を上げて叫ぶバルディーニの声は少し震えていた。足も震えている。
俺は自分でも、すっと表情が消えるのがわかった。
……この術式陣を用いたテロで命を失った人たちは、そんな恐怖を感じる暇すらなかったのだ。
一瞬にして奪われた。
全てを。
そして残された人たちの絶望と苦痛は、今も、この先も決して癒えることはないのだ。
ライフルやハンドガンを構え、じりじりと包囲を完成させる仲間たちを視界に収めながら、俺は素早く手を挙げるバルディーニの背後に回り込んだ。そしてその足を蹴り跪かせると、腕を捻り上げ、腰から手錠を取り出した。
「痛いっ! て、抵抗しないから、もっと丁寧に……」
バルディーニがわめくが、俺は黙々と手錠をはめる。
「く、ううう……」
バルディーニが振り返り、恨みがましく俺を睨む。
「うう、この女……。お、お前は確か……銃使いの女騎士か!」
少しでも詠唱の素振りを見せれば撃たれるにもかかわらず、バルディーニは饒舌だった。
俺は腰のポーチから布を取り出した。猿ぐつわをして、術式の詠唱とこの無駄口を防ぐのだ。
「そうか!」
バルディーニが目を見開いた。その顔が一瞬にして真っ赤に染まる。
「やはり私たちは売られたのだ! く、くっ、何たる事だ! 貴族の風上にも置けぬ輩だ!」
細長い体を振るわせるバルディーニ。
俺は眉をひそめた。
売る?
奴らを裏切った者がいるという事か……。
そう言えば、バルティーニの居場所が判明した情報も、匿名のタレ込みだった。
さらに、俺を指す女騎士という言葉も気になる。そこから連想されるのは、エーレルト伯爵。アオイの事だ。
アオイは、貴族級魔術師にも関わらず、俺やヘルガ部長と関係を持っているのだから。
「う、裏切り者め! 奴には必ず制裁が……」
「裏切り者とは誰の事だ」
俺はバルディーニの言葉を遮り、低い声でそう問い掛けた。
もしアオイが騎士団から裏切り者と認識されているならば、以前のようにまた狙われるかもしれない。
……それは、絶対に防がなくてはならない。アオイは、もう俺の姉貴も同然なのだから。
「うう……」
バルディーニが顔をしかめ、背後から押さえつける俺を睨み上げた。
「き、決まっているだろう! ディッセルナー伯爵だって、感づいているはずだ! 私を利用するだけ利用して、研究成果だけを持ち去ったのだ! 何が騎士団だ! 盗人の所行ではないか!」
俺は脈絡のないバルディーニの叫びに顔をしかめた。
「だから……」
再度詰問しようと口を開こうとしたその瞬間。
微かに床が震えた。
俺ははっとして周囲を見回した。自爆術式陣が作動したのかとドキリとしてしまう。
しかしこの振動は、城全体が揺れている様だ。
天井からパラパラと石材の欠片が降ってくる。
……地震か?
身構え、姿勢を低くしながら様子を窺っていると、振動は直ぐに止んだ。
「ロート12、早くしろ! 荷物を搬出する」
こちらに銃口を向けたままのブフナー分隊長が声を上げた。
「あ? 何だ、私は何もしていないぞ。おい女、乱暴な事はしないでくれっ! た、頼……」
……何か嫌な予感がする。
俺は無造作にバルディーニに猿ぐつわを噛ませると、そのスーツの胸ぐらを掴んで立たせた。そしてそのまま術式陣の外へと引っ張り始めた。
バルディーニがまだ何かもごもごと言っているが、今は無視だ。自爆術式陣や裏切り者の話については、後程軍警の取り調べで明らかになるだろう。
再び振動。
短い揺れだが、先程のものより強かった気がする。
……何だろう。
何かが起こっているのだろうか。
俺はバルディーニを術式陣から引きずり出し、ふっと息を吐いた。
「こちらロート21、ロート1応答願う。ロート1、応答を」
ヘッドセットを押さえながら、ブフナー分隊長が駆け足でやって来た。他の隊員たちも、俺とバルディーニのもとに集まって来た。
「ロート21よりCP。ロート21より、司令部……」
俯き加減にヘッドセットを押さえ、通信を試みていたブフナー隊長が、短く溜め息を吐き、顔を上げた。
「……良くやった、12」
ブフナー分隊長が俺を見る。
俺はこくりと頷き返した。
「通信状態が悪いため本隊の状況はわからないが、このままこの場に留まる事は出来ない。我々は作戦どおり、予定のポイントまで荷物を運び出す」
ブフナー分隊長が俺たちみんなをゆっくりっと見回した。
「ロート12と9が前衛に立て。24と25は荷物の搬送。4と俺は殿に付く。突入したルートを逆行するだけだ。迅速に行動するぞ」
俺たちは声を出さず、ブフナー分隊長の目を見て頷いた。
荷物とはもちろんバルディーニの事だ。その身柄を無事に回収できれば、有益な情報が得られるだろう。
「弾薬チェック」
ブフナー隊長の号令で、みんなが素早くライフルを確かめる。俺は念のために弾倉を交換しておく事にした。
「よし、行くぞ。荷物には傷1つ付けるな」
俺はライフルを構えながら、ロート9とアイコンタクトを交す。そして、慎重に謁見の間の大扉に手を掛けた。
「クリア」
俺が警戒する曲がり角を、ロート9が素早く通過し、さらに前方を警戒する。その後ろから両脇を抱えられたバルディーニが引きずられるように歩かされ、最後尾をブフナー分隊長達が警戒する。
石造りの廊下に、俺たちの足音が響く。
早く安全圏まで逃れたいと気持ちは急くばかりだが、文字通りお荷物となっているバルディーニのおかげで、俺たちは往路ほどのスピードを出すことが出来なかった。
「ロート9!」
俺はロート9とさっと視線を交わした。
「了解だ!」
薄暗い回廊の先、敵魔術師と遭遇してしまう。
俺はロート9と協力しながら、牽制射撃で敵の注意をこちらに引きつける。高速で迫る炎弾の術式を横路に隠れてやり過ごし、必要最低限の応射で敵を沈黙させる。
『……ガッ……イ、……意を! ……くっ、迎げ……ガッ』
戦闘中も無線から聞こえて来るのはノイズばかりだ。外の戦況がどうなっているのかはわからない。
全体の状況がわからないという事は不安を掻きたてる。さらに、いつどこから襲われるかわからないという緊張のせいで、俺は指先がジンと痺れるような緊張感に襲われていた。
……ふうっ。
俺はこっそりと長く深呼吸して、ライフルのグリップを握り直した。
細い通路を右へ。左右に扉がある廊下を足早に駆け抜ける。さらに今度は、先ほど通ったのと同じ様な別れ道を左へ。
そうして俺たちは、何とか地下通路の入り口まで辿り着いた。しかしそこで、先行していた俺とロート9は唖然としながら顔を見合わせてしまった。
地下通路に続く階段が、周囲の壁の崩落で埋まってしまっていたのだ。
先ほどの揺れの影響だろうか。
今もどこからか、銃声や魔術の着弾音、それに爆発といった戦闘音が響いて来ている。もしかしたら戦闘の影響が、古城全体に出てきているのかもしれない。
ブフナー分隊長以下俺たちは再び集合し、地図を覗き込んで経路を確認した。何とか裏庭にいるミルバーグ隊長たちか、他の部隊と合流したいところなのだが……。
「こちらから、このホールを抜けて裏庭方面に出る」
ブフナー分隊長が地図を指し示しながらみんなを見た。
「敵の集団と遭遇する可能性は高まるが、最短ルートだ。外が近づけば、通信も回復するかもしれない」
俺たちは無言で頷き合った。
早く移動しなければならない。廊下の真ん中で立ち尽くしているこの状況が、一番危険なのだ。
俺たちは再びフォーメーションを組み、素早く移動を再開した。
石造りの迷路のような城内を通り抜け、裏庭に繋がるホールを目指す。
やがてそれまでより広い廊下に出た。右側に太い柱が並ぶ天井の高い廊下だ。その先に、さらに開けた空間が見えて来る。
あそこを抜ければきっと外だ。
そう思うと、自然と歩みが速くなってしまった。
ロート9がハンドシグナルを送って来る。
俺は頷き返す。
ロート9と左右に別れ、ホール内を警戒しようと配置に付こうとしたその時。
「なっ!」
俺は思わず息を呑む。
「グラーフさん!」
とっさに俺は、ロート9の名を叫んでしまった。
俺の高い声が廊下に反響する。
こちらを振り向いたロート9が、何かを察した様に前方へ転がった。
先ほどまでロート9がいた傍の石壁。
その煤けた石壁が、赤熱化し、膨張し始めた。
そして次の瞬間。
壁が吹き飛んだ。
「くっ!」
俺はライフルを構えながら後退する。
思わず片目を瞑る。
熱波が押し寄せ、俺の髪を激しく揺らした。
壁は、ただ突き崩されたのではない。高熱でドロドロに融解してしまっていた。
穴の縁は石材が溶け落ち、まるで流れ出る溶岩の様だった。
何が起こっているのか。
いや、間違いない。
俺は歯を食いしばる。
……敵だ。
ざくりと瓦礫を踏む音がする。穴の向こう側から。
俺はライフルを構え、その壁の穴へと銃口を向けた。
そして、それが現れた。
溶解した石壁の穴をさらに押し崩し、ぬっと現れたのは銀の巨体。
鎧というには最早人外の形状をしたそれは、体躯に比して異様に小さい頭部をぐるりとこちらに向けた。
「見ツケタ。見ツケタッ、軍警メ」
歪んだ声が響きわたる。
そこで初めて、俺はそれが人なんだと言うことに気が付いた。
「エーレクライト……」
俺は思わずそう呟いていた。
胸部と肩部が不格好に肥大化し、腕は丸太のように太く、長い。頭部は小さく、口と牙のような意匠はあるが、目にあたる部分にはスリットも何もなかった。
さらに異様なのは、太く長い主腕の付け根から、枝分かれする様にもう一対の腕が飛び出している事だった。
立ち上がれば、俺3人分の身長よりも大きいだろう。
それが四つん這いの姿勢で壁の大穴から這い出して来る姿は、もはや現実とは思えない悪夢の様な光景だった。
俺は思わず後退りそうになるのを、歯を食いしばって必死にこらえた。
それでもその異形がエーレクライトだと思ったのは、その巨躯のあちこちに施された装飾彫刻と、貴族の家格を表す紋章が見えたからだ。
エーレクライト。貴族級の魔術師だ。
化け物ではなく、俺たちが対すべき敵だ。
異形のエーレクライトが一歩俺に近付いて来る。
「と、止まれ!」
俺はライフルを向けて警告を発するが、その声はやや上擦ってしまった。
眼前の巨大な鎧が、ニヤリと笑ったような気がした。
『ロート12!』
その時、俺の後ろ、廊下の奥から、バルディーニを連れたブフナー分隊長たちが現れた。
マズいと思った瞬間。
『バルディーニ! 捕ラエラレタナ!』
異形の大音声が響き渡る。
そしてそのエーレクライトは、四肢をバタつかせる様に動きながら、やがて立ち上がり、猛然とバルディーニに向かって走り出した。
その衝撃で床が揺れる。
俺はトリガーを引こうとして、しかしその巨体に跳ね飛ばされそうになり、慌てて右へ飛んで回避した。
「撃て! 止めろ!」
ブフナー分隊長が叫ぶのが聞こえた。
分隊長以下4人の隊員が、バルディーニの前に並んで一斉に射撃を開始した。
廊下にに激しい銃声が響き渡る。
俺はみんなの射線に入らないように、柱の後ろに身を滑り込ませた。
跳弾が壁や柱を削る音が聞こえる。さらに甲高い金属音は、エーレクライトの装甲に銃弾が直撃している音だろうか。
俺は眉をひそめる。
……直撃という事は、防御場を展開していないのか?
俺は柱の陰からそっと顔を出し、様子を窺った。
思わず息を呑んでしまう。
巨大なエーレクライトは、苛烈な銃撃などもろともせずに突撃する。そして屈強な軍警隊員たちの列に突っ込むと、その剛腕を一閃。隊員たちを弾き飛ばしてしまった。
「隊長!」
俺の叫びは、仲間たちが吹き飛ぶ音にかき消されてしまった。
異形のエーレクライトが悠々とバルディーニを掴み上げる。
高初速で貫通力の高い5.56ミリ弾が全く効いていない。防御場のような力場で防いでいるのではなく、純粋に装甲の硬さで銃弾を弾いている様に見えた。
これがコイツの能力だろうか。
エーレクライトはその副腕で器用にバルティーニの猿ぐつわと拘束を解いた。そしてそのまま、のそりと方向転換すると、ホールへ向かって進み始めた。
俺は再び柱の陰に身を隠した。
「助かったぞ、ディッセルナー伯爵!」
バルディーニの声が響く。
ディッセルナー伯爵……。
ということは、あのエーレクライトがルストシュタット支部が追っていた騎士団の有力幹部か。さらには、恐らくこの城に立てこもる魔術師集団の頭目。本作戦の第一制圧目標だ。
重い足音を立てながら、俺の隠れる柱の直ぐ側をエーレクライトが通過して行く。
ブフナー分隊長たちの内無事な数名が銃撃を続けているが、異形のエーレクライトは全く気にした様子もなかった。
『子爵殿。禁呪ノ準備ハイカガカ』
「いや、そ、それはまだだっ。途中で邪魔者が入ったのだ。全く、奴らときたら、何たる屈辱……」
『ナラバ禁呪ノ術式陣ヲ完成サセヨ。然ル二……』
そこで突如、今度はホールの方から銃声が響いた。
ロート9だ。
バルディーニがヒッと悲鳴を上げ、エーレクライトが今度はロート9に向かって猛然と走り出した。
巨駆が駆ける地響きがギシギシと床を揺らす。もしくは廊下全体を。
エーレクライトが巨大な腕を振り上げた。
「ダメだ!」
俺は思わず柱の陰から飛び出した。
ライフルを振り上げ、エーレクライトの背中にフルオート射撃を加える。
マズルフラッシュが激しく弾け、銃身が跳ね上がる。
しかし銀の巨人は止まらない。
ロート9がホール内に身を隠すが、その隠れた壁ごと剛腕で薙ぎ払ったエーレクライトは、そのままホールに突っ込んだ。
盛大な破壊音と共に、古城全体が揺れた気がした。
突き崩された壁が、もうもうと土煙を上げる。
俺のところからは、ロート9やエーレクライトがどうなったのか見えなかった。
くっ……。
俺は空になった弾倉を交換しながら、エーレクライトを追ってホールの中へ向かった。
土煙を突っ切ると、目の前に仁王立ちする異形の巨人の後ろ姿があった。
俺はライフルを両手で構え、その脇を姿勢を低くして通り抜ける。
防御とパワー、突進力はあっても、図体のとおり敏捷性は低い様だ。
ロート9は……いた!
ホールの中央辺りに倒れていた。かなりの距離を吹き飛ばされたみたいだ。
こちらを向こうとするエーレクライトを無視し、真っ直ぐにロート9に駆け寄ろうとした瞬間。背筋がぞくりとする感覚に、俺は身を震わせた。
『hkktua lIhii utprptt angrtag app』
背後から聞こえる不穏な詠唱。
エーレクライトが倒れているロート9に向かって、片腕を突き出した。
マズい!
俺はとっさにエーレクライトの射線に自分の体を滑り込ませる。
「結節、防壁!」
もう一度!
ブフナー分隊長を守れた時みたいに、また防御場の術式でっ!
突き出した俺の腕の先、体の前面に、防御場が展開される。
同時にエーレクライトから真っ赤な熱線が放たれた。
一瞬周囲が閃光に包まれたかと思うと、猛烈な熱と衝撃が襲い来る。
その熱線に俺の防御場が耐えられたのは、ほんの一瞬だった。
呆気なく突き破られた防御場が霧散する。
「うくっ」
その衝撃で俺も吹き飛ばされてしまう。
しかしそれでも、僅かに熱線の狙いを逸らす事には成功した。
倒れ伏すロート9の脇を、灼熱の火線が通過する。
その照射を受けた床が真っ赤に赤熱化し、次の瞬間には溶岩の様に吹き上がった。
『軍警ガ魔術ヲ使ウカ』
エーレクライトが首を傾げる。その歪んだ声には、面白がる様な響きがあった。
「ディッセルナー伯! 私を酷い目に遭わせたのはあの女だっ! こ、殺してくれ!」
ディッセルナーのエーレクライトに掴まれたままのバルディーニが、ヒステリックな叫び声を上げた。
俺は立ち上がりライフルを構えながら、目の無いエーレクライトの頭部を睨みつけた。
ロート9の容体は分からないが、ここで俺が退けば、この化け物の餌食になってしまうのは明白だ。
「ディッセルナー伯爵。この城は完全に包囲されている。大人しく投降するんだ」
俺は目の前の異形が放つ威圧感に震えてしまいそうになる声を必死に抑えた。
さらには、ここでバルディーニを見逃す訳にはいかないのだ。
俺は全身に力を込めて、俺を見下ろすエーレクライトの前に立ちはだかった。
『カカカ! 結構! 最早コウナレバ、貴様タチ全テヲ巻キ添エニシテ、華々シク散ルトシヨウ』
ディッセルナー伯爵が笑う。
その台詞にギョッとしたのは、俺ではなくバルディーニだった。
「何を言っているのだ、伯爵! 我々は売られたのだぞ! この場は引いて再起を……」
『ココデ奴ラヲ殲滅スレバ、ソレモマタ、我々ノ“力”ヲ示シタトイウ証ニナル』
ディッセルナー伯爵は片手に抱えていたバルディーニを副腕へと持ち替えると、両手を俺に向かってかざした。
「……どうしてそこまでして他者を虐げようとするんだ」
俺はライフルを支える腕に力を込めながら、ぼそりとそう呟いていた。
魔術師を集め、バルディーニを招いて戦力を整えていたディッセルナー伯爵。その目的が騎士団の力を示す為というものなら、決して許される事ではない。
軍警の仲間が傷ついている。魔術師も多くが倒れた。さらに多くの罪のない人々を危険にさらす行為の目的がそれならば……。
今俺の内側から湧き上がっているのは、怒りだった。
目の前の強大な敵に対する恐怖よりも、その怒りの方が勝っていた。
俺はキッとディッセルナー伯爵を睨み上げる。
『フム。引カヌカ』
歪な声で伯爵が笑う。
『我々ニハ民ヲ導ク責務ガアル。コノ素晴ラシキ魔ノ力ノ担イ手トシテ、ナ』
ディッセルナー伯爵は巨腕を下げ、俺に語りかけて来た。
『シカシ現在ハドウダ。衆愚政治ガ横行シ、国ハ乱レテイル。政治モ腐敗シテイルガ、民衆モ享楽ニ耽リ、腐ッテイル。ナラバ今一度、コノ世ハ我々真ノ統治者二ヨッテ導カレナケレバナラナイノダ。ソノタメ二、“力”ヲ示スノダ。圧倒的ナ“力”ヲ』
貴族派の掲げる貴族主義。そしてその中でも最も過激である騎士団の行動を規定する指針。
これが、俺たちと敵対する者の主張だ。
魔術という力。
それに基づく貴族という地位。
それを守るため、魔術師どもは魔術で他者を虐げる。貴き者の責務とうそぶいて。
だから俺は、魔術を、貴族を憎んだ。
しかし、それも違ったのだ。
魔術は人を救う力にもなり得る。
アオイと一緒に過ごし、ジーク先生と出会って、俺はそれに気が付く事が出来たのだ。
「お、下ろしてくれ! 私はまだ死にたくない!」
バルディーニがわめく。
『貴族ノ責務ヲ果タセ、子爵』
「ち、違う! 私は子爵ではない! 爵位を金で買ったんだ! 魔術の研究をするために!」
バタバタと身を振るわせるバルディーニを、エーレクライトの無機質な兜がギロリと睨んだ。
その瞬間。
「撃ち方、始め!」
大音声が響き渡った。
続いて聞き慣れたアサルトカービンの銃声が響き渡る。凄まじい銃撃がエーレクライトの背後を襲う。
はっとした俺がエーレクライトの背後を見ると、吹き抜けになった二階の廊下に銃を構えた黒尽くめの軍警隊員たちが、ずらりと並んでいた。
『ブラウ1よりそこの、邪魔だ、退避しろ』
無線から響く大声は、ルストシュタット隊の隊長だ。
俺はとっさに姿勢を低くしてエーレクライトの前から離脱する。そしてロート9に駆け寄った。
ぐったりして動かないその体を、なるべくエーレクライトから、銃撃の中心から引き離そうと引っ張る。
くっ、自分の腕力のなさが恨めしい。
『虫ケラガ』
銃声と着弾音の中で、銀の巨人が笑った。
再び響く先程の詠唱。
「みんな、退避をっ!」
『死ネ』
俺が無線に向かって叫ぶのと、エーレクライトの両腕から真っ赤な熱線が放たれるのは同時だった。
壁が、二階の通路が、階段が、熱線にふっとなぞられただけであっさりと溶断される。そして一瞬の間の後、赤熱化した石材が爆裂した。
『がああっ!』
『ううっ』
『く、くそ』
『ぐうっ……』
『魔術師めっ!』
ブラウ隊の銃撃が弱まり、無線に悲鳴が広がった。
その間にも、熱線を放つ両腕を縦横無尽に振り回すエーレクライトが、周囲を地獄絵図に変えて行く。
『怯むな、撃て! 撃ちまくれ! 今日こそディッセルナーを仕留めるぞ!』
それでもなお、ブラウ隊は退かない。
エーレクライトの足元にグレネードが転がる。
爆発が起こり、エーレクライトがよろめいた。
『グウッ』
そこに鋭い発射音と共に対戦車ロケット弾が打ち込まれた。
俺は咄嗟にロート9に覆い被さる。
轟音。
城全体が揺さぶられる。
床面が吹き飛び、とうとうエーレクライトの巨体が吹き飛んだ。
黒煙を上げながら転がるエーレクライト。先ほどまでわめいていたバルディーニも、ぐったりとして動かない。
くっ……。
俺は唇を噛み締める。
ブラウ隊は優先目標はディッセルナー伯爵だ。バルディーニなど構っていない。
しかしここで、奴の情報を失うのはまずい。
対戦車ロケットが炸裂したにもかかわらず、ディッセルナー伯爵のエーレクライトはのそりと立ち上がろうとしていた。
俺は大きく深呼吸する。
そっと詠唱し、自分の周りに防御場を展開する。
行く……!
そして俺は、エーレクライトに向かって全力で走り始めた。
ライフルをかしっと保持し、髪を振り乱して必死に走る。
至近距離を流れ弾が飛ぶ。
しかし大丈夫だ。
直撃弾は、防御場が弾いてくれる。
再び熱線を放つエーレクライト。
ロケット弾が直撃した左半身はへこみ、黒こげになっていた。さらに機能不全を起こしているのか、今までライフル弾を寄せ付けなかった装甲が、アサルトカービンの射撃で傷つき始めていた。
はっ、はっ、はっ。
俺はその巨体の背後に回り込む。
そして助走の勢いを殺さずに、半ば体当たりするようにエーレクライトの背中に飛びついた。
銀の鎧の突起に捕まり、その背中をよじ登る。ディッセルナー伯爵は体重の軽い俺に気が付いていないのか、無視しているのか、こちらに反応を示さない。
副腕に保持されたバルディーニは、目立った外傷は見受けられないが、ぐったりとして動かなかった。
俺はブラウ隊に魔術を放ち続けるエーレクライトの肩までよじ登ると、バルディーニを保持する副腕にライフルを向けた。
これならどうだ……!
俺は副腕の関節部らしき場所にコトリと銃口をはめ込んだ。そして、フルオートで弾丸を撃ち込む。
不安定な姿勢からの射撃で、銃が跳ねる。しかし極至近距離からの斉射だ、外す訳がない。
『グヌ、ナント……!』
エーレクライトがよろめいた。
銃撃を加えた間接部から副腕がミシリと折れると、バルディーニごと吹き飛んだ。
ボロ布のように床を転がるバルディーニ。
「よしっ」
思わず俺は声を上げた。
『グガアアアアアアッ!』
満身創痍のエーレクライトが絶叫した。
俺は思わず顔をしかめる。
銀の巨体が跳躍する。この大きさにして、あり得ないジャンプ力だった。
エーレクライトの背中から離脱しようとしていた俺は、タイミングを失ってしまう。
ディッセルナー伯爵はそのまま階段に飛び乗るとさらに跳躍。二階の通路に飛び乗った。
慌てて退避するブラウ隊の生き残りの隊員たち。
ディッセルナー伯爵が壁に両手を当てると、周囲の石壁が赤熱し、吹き飛んだ。
俺は必至にエーレクライトに掴まり、その爆発の衝撃をやり過ごす。
ドロドロと溶けた石が滴る穴の向こうには、外の風景が覗いていた。
ディッセルナー伯爵は、背に掴まる俺ごとその穴に身を躍らせると、外の世界へと飛び出した。
そこは、朽ち果てた遺構が数多く散在する広い場所だった。灰色に枯れ果てた草がその石造りの残骸を呑み込む様に広がり、物悲しく寂しい景観を作り出していた。
最初に俺たちが降下した裏庭に雰囲気が似ていた。ここもかつては、城の庭園だったのかもしれない。
その枯れた庭園に、エーレクライトが着地した。
膝を突いて着地した銀の巨人は、しかしその衝撃に耐えきれずガクリと崩れ落ちると、ゴロゴロと地面を転がった。
エーレクライトの背にしがみついていた俺も投げ出され、枯れ草の上を転がる。そして背中から巨石に激突し、止まった。
「かはっ」
激突の衝撃で肺から空気が押し出される。
全身がズキズキと痛み、どこを負傷したのかわからなかった。
しかし寝ている訳にはいかない。直ぐ側にエーレクライトがいるのだ。
俺は何とか体を起こす。
はあっ、はあっ、はあっ……。
頬に張り付いた髪を、俺は乱暴に掻き上げた。
立ち上がった俺の目の前には、峻険な山々を背景に佇む古城の、全景が見渡せる景色が広がっていた。
どうやらこの庭園は城より低い位置にあるらしく、2階から飛び出した筈が、相当な高さから落下したような状況になってしまっていた。
ガチャリと音がする。
俺はさっとそちらにライフルを向けた。
脇腹がズキリと痛んだ。
スリングのおかげでライフルは無くさずに済んだ。先ほど全弾撃ち尽くしたのを思い出し、俺は慌てて弾倉を交換する。最後の一本だった。
俺の銃口の先で、エーレクライトが起き上がろうとしていた。
しかし脚部に何か問題があるのか、完全に立ち上がる事は出来ないみたいだ。さらに俺の攻撃で片方の副腕を失い、半身がズタズタになったその姿は、まさに満身創痍といった状態だ。
『カカカっ……』
ディッセルナー伯爵が笑う。その声はどこか苦しそうだった。
『勇敢ナ少女ヨ。バルディーニナドヨリオ前ノ方ガ遙カニ、貴族ニ相応シイナ』
俺は銃口を向けながらディッセルナー伯爵を睨む。今の状態ならば、5.56ミリ弾でも通るか。
ディッセルナー伯爵の声は弱々しい。
外側の鎧以上に、内部にダメージがあるのかもしれない。つまり、ディッセルナー伯爵の生身の体に。
『フッ、最期ニ貴様ノヨウナ若イ魔術師ニ出会エタノハ、僥倖カ』
俺はドキリとしてしまう。
魔術師と呼ばれた事に対して。
……俺が、魔術師?
いや、魔術師は俺が長年憎んできた存在で、俺の家族の仇で、しかし、アオイやアリシアたちも魔術師で、確かに俺は魔術を使ったのだから、そう評されてもおかしはなく……。
『可憐ナ容姿ニ似合ワヌ行動力。カカカ……、我ラノ仲間ニナレバ、良キ姫ニナレタデアロウニ』
俺はさっと頭を振る。
魔術や魔術師が悪ではないのだ。
しかし、騎士団は敵だ。
「……自分たちを、自分たちの力を特別だというのなら、何故その力を、弱い者を助ける為に使わなかったんだ」
俺はディッセルナー伯爵を睨み、搾り出す様にそう言っていた。
「力があれば、いや、力があるからこそ、優しさとか寛容さとかを示さなければダメなんだ」
例えばジーク先生みたいに。
そして、アオイ姉さんみたいに。
「どうして……」
俺は唇を噛み締める。
一瞬の間。
山間を冬の風が吹き抜ける。
冷たい風は、戦闘で火照った俺の頬をそっと冷やしてくれた。
「……カカカ」
静かにエーレクライトが笑い出した。
「姫ハ、ロマンチストダ」
無機質な頭部が傾いた。
「力デ従ワセル。ソレガ正シク無駄ノナイ秩序ダ。姫ガ思ウ程、人ハ、社会ハ、国ハ、世界ハ、優シクモ寛容デモナイ」
身を奮わせて笑うエーレクライト。
その迫力に、思わず俺は後ずさりそうになる。
しかし……。
「フッ、考エテミルトイイ。魔術ヲ使ウ姫ノ存在ヲ、果タシテ軍警ノ仲間タチハ認メテクレテイルノカナ? 本当ニ、軍警ニ姫ノ居場所ハアルノカナ?」
俺は思わず銃口を下ろし、ディッセルナー伯爵を凝視した。
一瞬頭が真っ白になる。
それは怒りからだったのか、それとも動揺からだったのか。
「……そんなことっ!」
俺が反論しようと口を開いた瞬間。
『ロート12、退避しろ』
無線からミルバーグ隊長の声が聞こえて来た。
はっとした俺はとっさに身をかがめ、近くの巨石に向かって走った。
『距離520メートル。風速確認。スタンバイ』
平板な声がヘッドセットから響いてくる。
『ロート30、完了』
『ロート10、OK』
『配置完了。隊長』
『了解した。対象確認』
ミルバーグ隊長が一拍の間を置いた。
『オープンファイア』
異変を察したエーレクライトが動こうとした瞬間。
甲高い金属音が爆ぜた。
火花が飛び散り、衝撃でエーレクライトの巨体が持ち上がった。
僅かにずれて響く太い銃声。
狙撃だ。
さらに弾丸が打ち込まれる。
エーレクライトの銀の装甲がベコリとへこみ、変形する。
着弾の衝撃で吹き飛ぶエーレクライトは、次々撃ち込まれる弾丸に為すすべもなく撃ち貫かれて行く。
この威力。
50口径の対物狙撃ライフルか。
不意に、銃声が止んだ。
後には、鋼の塊と化したエーレクライトが横たわっているだけだった。
『ロート12。対象の状況はどうか』
ミルバーグ隊長の声に確認しますと返しながら、俺はディッセルナー伯爵に近付いた。
「……ロート12よりロート1へ。エーレクライトは完全に沈黙しました」
俺はヘッドセットを押さえてそう報告すると、ライフルを握る手をそっと緩めた。
『ロート1了解。ロート1よりCP。対象を制圧した。繰り返す。対象の制圧完了』
遠く、ヘリの音が近付いて来るのが聞こえた。
……終わったのか?
俺は天高く薄い雲が流れる空を見上げる。
『確認した。作戦司令部より全部隊へ。対象全ての制圧を確認した。作戦終了。全隊、帰投せよ。ご苦労だった』
無線の向こうで歓声が巻き起こるのが聞こえた。
目を凝らせば、裏庭の方向、城壁の上に、こちらに手を振る人影が見えた。
ミルバーグ隊長たちだろうか。
……終わったのだ。
足から力が抜けて、俺はその場でペタリと座り込んでしまう。ライフルから手を離し、肩を落とした俺は、俯きながらきゅと目を瞑り、大きく息を吐いた。
『ロート12。良くやった。迎えを向かわせる』
『……ロート12、無事か?』
『やったぜ、ウィルちゃん!』
『よーし、帰ろうぜ!』
ミルバーグ隊長に続き、ブフナー分隊長の声も聞こえて来た。それに、隊のみんなの声も。
どうやらブフナー分隊長は無事みたいだ。
帰ろう。
仲間の、みんなのところへ。
軍警に、アオイのところに。
「俺の居場所に帰るんだ」
俺はディッセルナー伯爵を一瞥すると、声に出してそう呟いた。そしてライフルを持ってのそりと立ち上がと、ゆっくりと歩き出した。
これで俺は、魔術テロ未然に防ぐことが出来ただろうか。
誰かを守る事が、出来ただろうか。
何故か俺は、無性にアオイに会いたくなった。
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