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Hexe Complex  作者:
55/85

Order:55

 照明の絞られた薄暗い女子更衣室には、女性特有の柔らかな香が漂っていた。

 壁際に並ぶロッカーの数はあまり多くない。さらにその内の数個は、俺が今借りているような空きロッカーだった。

 ここは、見慣れたオーリウェル支部の更衣室でも聖フィーナ学院のそれでもない。

 軍警ルストシュタット支部の女子更衣室だ。

 オーリウェル支部より規模が小さいこの支部は、女性職員の数もオーリウェルより随分と少ないみたいだ。

 初めて訪れることになるこの場所で、俺はごそごそと私服を脱ぐと、着替えを始めた。

 シャツのボタンを外しながら、こういう女性の気配が濃密な空間にもいつの間にか慣れてしまったなと思ってしまう。普段から聖フィーナでエーデルヴァイスのみんなに混じって生活しているのだから、当然ではあるのだが……。

 私服を全て脱ぎ去ると、俺は飾り気のない白の下着姿になった。

 暖房が入っている筈なのだが、それでも冷気がチクリと肌を刺す。

 ……寒い。

 現在時刻は午前2時。

 まだ夜明けには随分早く、世界は未だ寝静まっている時刻だ。

 きっと外は、極寒だろう。

 ルストシュタットはオーリウェルよりもずっと南部にあるが、中央山脈の麓に位置し、標高の高い場所にある街だ。豊かな森林と山々の雪解け水が作り出す大小の湖が点在し、夏には避暑地として賑わう場所でもある。

 しかし冬の気候は厳しい地域だ。

 本格的な積雪はもう少し先かもしれないが、気温はオーリウェルよりもずっと低い。

 俺は脱いだ私服をロッカーの中に掛け、足元のスポーツバッグから取り出した厚手のシャツを被った。そして、ズボンにも足を通す。いずれも夜闇と同じ黒色だ。

 ベルトをぎゅっと締めて、近くにあったベンチに腰掛ける。

 ゴツゴツとしたタクティカルブーツに足を通し、靴紐を結び直すと、ブーツの中にズボンの裾も入れてサイドジッパーを引き上げた。

 立ち上がって爪先をトントンし、具合を確かめる。そして今度はダークグレーの上着に腕を通し、ジッパーを一番上まで上げた。

 その上着の襟に顎をうずめながら服の中から髪を引き出すと、ロッカーに備え付けの鏡を見ながら手早くまとめていく。

 淡いピンク色のストロベリーブロンドを手櫛で梳いて、左後頭部で纏めて捻る。そしてバレッタでパチンと留めた。

 我ながら、髪をまとめるのも手慣れたものだと思う。もう毎日の事だから、嫌でも出来るようになってしまったのだ。

 髪を整えた俺は、膝当て、肘当てなどの防具を手早く装着していく。軽量防弾プレートの入ったタクティカルベストに袖を通し、太ももにはハンドガンのホルスターを巻いた。

 ……よし。

 装備を整えた俺は、今度は服が入っていたのとは別のバッグを開き、中から艶のない真っ黒のハンドガンを取り出した。

 冷え切った強化樹脂の感覚が掌に伝わって来た。

 弾倉を少しだけ抜いて、鈍く光る9ミリ弾が装填されているのを確認する。

 弾倉を戻し、安全装置が掛かっているのを確認した俺は、太もものホルスターにハンドガンを差し込んだ。

 続いて愛用のブルパップカービンライフルを取り出す。

 軍警正式採用のアサルトカービンに比べると遥かに軽いが、それでもずっしりと重い。今は弾倉を抜いてあるから、弾を込めればもう少し重くなる。

 弾倉は予備も含めて、後で補給しなければならない。使用する5.56ミリ小銃弾は、弾丸も弾倉も他の隊員が扱うライフルと共有できるのだ。

 俺はライフルの安全装置を確認し、ダットサイトが点灯するかも確認する。銃身脇に装着したフラッシュライトも作動するかをチェックしておく。

 最後にバッグからグローブを取り出し、腰のベルトに挟んでおく。そして空になったバッグ類をロッカーにしまうと、俺は備え付けの鏡に映る鋭い目つきの少女を一瞥した。

 白い肌と鮮やかな髪とは対照的な黒い戦闘装備に包まれた少女。

 俺だ。

 微かに頬が赤くなっているのは、寒さのせいか、作戦を前にして興奮しているせいか……。

 自分でも、いかめしい装備が似合っていないなとは思う。

 俺は、ふっと笑い、ロッカーの扉をバタンと閉じた。

 ライフルのスリングを首に掛けながら、俺は更衣室の出口に向かって歩き出した。ガタンガタンとブーツの音を響かせて、軍警ルストシュタット支部の女子更衣室を出る。

 間もなく作戦が開始される。

 ルストシュタット郊外の古城に潜伏するバルティーニ子爵他、複数の貴族級魔術師を含む魔術テロリストを制圧する為の作戦だ。

 オーリウェル支部、ルストシュタット支部、ファーナウ支部の合同で実施される本作戦に参加する為、昨日から俺は、このルストシュタットに入っていた。もちろん、ミルバーグ隊長以下オーリウェル支部の仲間たちと一緒に。

 しかし今は、着替えのためにこの見知らぬ支部の中で独りなわけだが……。

 えっと、集合場所に指定されている会議室は……。

 俺は通路が左右で分かれている場所で一瞬悩んだ。

 む。

 右だろう。

 慣れない場所に独りきりは厳しい。

 男子更衣室でみんなと一緒に準備出来たなら、こんなに迷う事もなかっただろうに……。

 数時間前に到着したばかりのこの支部で、単独行動は無謀だったかもしれない。

 軍警オーリウェル支部にバルティーニ子爵に関するタレ込みがあったのは、およそ一週間前だ。

 直後に開始されたオーリウェル支部の刑事部とルストシュタット刑事部による裏付け捜査で、件の古城に魔術師が集まっている事は確認されていた。

 さらにルフトシュタット支部が追っていた騎士団の幹部がそれに合流していると判明すると、近隣のファーナウ支部にも協力要請が行われ、即座に制圧作戦が実行される事になった。

 制圧作戦発動がタイムラグなしにスムーズに行われたのは、シュリーマン中佐以下作戦部が予め諸々の準備を済ませていたからだ。

 そのせいで、ルフトシュタット支部に慣れる間もなく、作戦が発動される事となったのだが……。

 俺としては、聖フィーナの定期テストと作戦時期が重なるかもしれないと冷や冷やしていたのだが、何とかそれは免れた。

 テストが終わったのは、昨日。いや、もう一昨日の事だ。

 ジーク先生からの情報を伝えるため、軍警の幹部会議に出頭した後、制圧作戦が決定されると、俺も部隊での訓練に出なければならず、勉強をする時間はさらに削られてしまった。

 しかし、ジゼルたちの協力もあり、一応全力は尽くした。

 全力は尽くしたんだ……。

 ……ともあれ、テストは終わったのだ。

 後は、この作戦に集中するだけだ。

 俺は立ち止まり、周囲を見回した。

 ……む。

 やはり道を間違えたか。

 俺は踵を返して、人気のないルストシュタット支部の廊下を戻り始めた。

 今回の出撃について、アオイには南部の街での捜査活動で、数日外出するとだけ伝えてあった。それでもアオイは、俺が屋敷を空ける事に難色を示していたが……。

 昨日の朝、俺がエーレルト邸を出る時、アオイはまだ眠っていた。とりあえずメールと置き手紙を残して、俺はそのままそっと出掛けて来たのだ。

 聖フィーナは試験休みだったが、休日でもアオイが遅くまで寝ているなんて珍しい事だ。

 アオイもきっと、試験やその他の事で疲れているのだと思う。

 周囲の人間には、優雅に微笑む完璧お嬢さまの様に思われがちなアオイだが、それはきちんとした努力の結果にすぎない。試験勉強にしても、俺に教えながら、伯爵の仕事をしながら、毎日遅くまで頑張っていたのだ。

 ……あまりアオイに負担を掛けてはいけないと思う。

 今日の作戦にしても、シュリーマン中佐から暗に、アオイの協力は得られないかとの打診があった。

 しかし俺は、即お断りした。

 アオイに協力要請なんて、そんな事出来る訳がない。

 それは、アオイを軍警の作戦に参加させるという事だ。

 今まで沢山協力してもらっていたが、アオイを進んで戦場に連れて行くだなんて、それとはまた話が別だ。

 む……?

 考え込んでいた俺は、そこではたと気が付いた。

 俺が歩いていたルストシュタット支部の廊下は、いつの間にかベンチや自販機、そして観葉植物が並ぶ談話スペースに突き当たっていた。

 ここで行き止まり。

 俺は腕組みしてしばらく考え込む。首を傾げ、ライフルを背負い直すと、もと来た通路をおもむろに戻り始めた。

 やはり迷ったか?

 その時。

 背後でカツリと床を踏む音がした。

 振り返る。

「……ウィル!」

 そこには、聖フィーナの制服の上に黒マントを羽織ったアオイが立っていた。




 人気のない廊下で対面する俺とアオイ。

 周囲はしんと静まり返り、自販機のブーンという作動音だけが微かに鳴り響いていた。

 突然現れたアオイに、俺は目を丸くし言葉を失う。しかしそれも一瞬の事で、俺は直ぐに平静を取り戻す事が出来た。

 比較的素早くこの状況を理解できたのは、エーレルト邸を出発した時からもしかしたらこうなるのではないかという微かな予感があったからだ。

「ウィル」

 アオイがツカツカと歩み寄って来る。

「またその様な格好をして……。さぁ、ウィル。姉と一緒にお屋敷に帰るのだ。ウィルには武器なんて似合わないのだから」

 アオイが困った様に微笑んだ。妹に対するというより、聞き分けのない小さな子供に対する様な表情だった。

 俺はそっと息を吐き、小さく首を振った。

「それは出来ない、アオイ」

 俺は真っ直ぐアオイを見つめる。

 アオイは顔を曇らせた。

 アオイが突然現れたという事は、転移術式を使用し、俺のすぐ側に空間転移して来たという事なのだろう。

 しかし、このルストシュタット支部の内部をアオイが知っているとは思えない。転移術式には、目視できる場所か良く知っている場所にしか移動出来ないという制約がある筈だ。

 それでもアオイがここにやって来たのは、俺の気配を辿って転移を強行したという事なのだろうと思う。俺とアオイの間では、そういう事が出来るのだと以前アオイが言っていた。

 俺がこっそりとお屋敷を出た後、アオイからは無数のメールや電話が来ていた。それをのらりくらりとかわしていると、数時間前からバタリと静かになっていたのだ。恐らくその時間で、転移の準備をしていたのだろう。

 気配頼りの転移など、素人の俺でも危うい手段だろうと察する事が出来る。それにもし今が戦闘の最中だったならば、そのただ中に飛び込んだ事になる。いくらアオイといえども、危険過ぎる無謀な行為だ。

 やはりアオイには、キチンと話しておくべきだった。

 俺はチクリと胸を刺す後悔と共に、そっと息を吐いた。

 ……俺の尊敬する姉をこれ以上戦いに巻き込まない為にも、今からでもちゃんと話をしよう。

「やはりウィルに銃は似合わない。制服を着て、一緒に学校に行くのだ。私と一緒に」

 アオイがすっと目を細め、俺を見据える。

「ウィルが魔術を悪用する者を捨て置けないというのならば、私と共に戦おう。ウィルの事は、私が必ず守るから……」

「アオイと一緒にいて思い出した事がある」

 俺はアオイの言葉を遮って、そう口を開いた。

 胸の内の思いを口にするのは少し恥ずかしくて、俺は照れ笑いを浮かべてしまう。

「……昔、いや、ついこの前までは、俺が銃を手にしたのは、家族を奪った憎い魔術テロリストを倒すため。魔術師を殲滅するためだ。そう思っていた」

 俺は自分の言葉を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「でも、最近はこう思い始めたんだ。俺が銃を手にしたのは、大切な人たちを魔術テロや理不尽な暴力から守るためだったんじゃないかって」

 軍警を志した昔の俺が、本当にそう考えていたかどうかは、今となってはもう良くわからない。

 もしかしたら、ただ単に憎しみや復讐心だけで動いていたのかもしれない。あるいは、そう思い込もうとしていたのかもしれない。

 それが、全てを失った俺の、生きる糧だったのだと思う。

 必死だったのだ、俺も。

 しかし、変わってしまった。

 俺も、俺を取り巻く全ても。

 こんな姿になり、アオイやレーミアやジゼルたち学校のみんな、ロイド刑事や、それにジーク先生と出会って、良く知らなかった魔術師の世界にも触れて、俺はいつの間にか考えを変えてしまっていた様なのだ。

 復讐とか殲滅の為じゃない。

 もうこれ以上の悲しみを生まないために銃を手に取り、魔術も身につけて、戦うんだ。

 そして今は、そう考えた方がきっと良いのではないかと思うようにしている。

 だから……。

「今回の作戦は、魔術テロを防ぐための戦いだ。もうこれ以上、テロの犠牲者をださないようにするための戦いなんだ。大切な人たちを守るための……」

 俺は少しだけ目を瞑むり、またキッとアオイを見つめた。

「アオイ。俺は戦うんだ。ここで戦わなければ、俺が銃を手にした意味がなくなる」

 目を見開き臆する事なく、俺は真正面から真っ直ぐアオイを見つめた。

「……ウィル」

 アオイがぽつりと呟いた。

 無言のまま、俺とアオイはしばらく見つめ合う。

「ウィルの気持ちは分かった。しかし、であれば尚更、私もウィルと共に戦おう」

 今のアオイは、冷徹な魔女の顔ではない。

 憂いで顔を曇らせる、優しい姉貴の顔だ。

 もういない俺の本当の姉貴とソフィアの顔が、アオイに重なる。

 俺はアオイに微笑み返しながら、そっと首を振った。

「散々助けてもらっておいて今更だと思われるかもしれないけど、言っただろ、アオイ。俺が銃を手に取ったのは、大切な人を守る為だって」

 ……恥ずかしい。

 俺は頬が真っ赤になるのを自覚しながら、黒の上着に顎から口までをうずめた。

「その大切な人には、もちろん、その、アオイも含まれてるんだぞ。そのアオイを、戦場なんかに連れて行けるか」

 目を伏せ、もぞもぞとそう告げる俺。

 む。

 むむむ……。

 自分で口にしておいて、恥ずかしくて恥ずかしくて逃げ出したくなる。

 アオイは何も言い返して来ない。

 とうとう沈黙に耐えかねた俺が、アオイの反応を窺おうと目線を上げた瞬間。

 俺は、がばっと抱き締められた。

 アオイに。

 ふわりとアオイの甘い香が俺を包み込む。

 ゴテゴテとしたタクティカルベスト越しではアオイの感触を確かめる事は出来なかった。しかしそっと触れたアオイの頬から俺の頬へ、じわっと姉の温もりが伝わって来た。

「ここで笑顔で見送るのが、できた姉というものなのだろうが……」

 アオイが俺の耳元で囁く。

 抱すくめられた俺は動けず、俺とアオイはしばらくそのままの体勢だった。

 どれくらいの時間が経過しただろうか。やがてアオイが、そっと身を離した。

 俺は照れ隠しも含めて、ははっと笑った。

「その、今回の作戦を無事達成したら、俺は胸を張って帰れると思うんだ。その……」

 俺は至近距離からアオイ見ながら、首を少し傾げてふっと微笑んだ。

「アオイのところに帰るから。大丈夫だ。だからアオイは、どしんと構えて待っていてくれ」

 アオイは笑みを浮かべてこくりと頷いた。しょうがないというような呆れたような笑みだったけれど、柔らかな表情だった。

 アオイが再び俺を抱き締める。

「あの時、あの廃工場で、私はウィルを助けられて良かった。ウィルは私の大切な大切な妹だよ」

 アオイはふふっと笑う。

「大切な人。ふふっ。そうだ。私は、やっと大切な人を取り戻したのだな。やっと、やっと……」

 アオイがギュッと俺を抱き締める。

 ……痛い。

 俺は微かに顔をしかめ、アオイの腕の中でもぞもぞともがいた。そして姉の顔を見ようとした瞬間、アオイはばっと俺から身を離した。

「まったく、じゃじゃ馬な妹を持つと苦労するものだ」

 アオイは悪戯っぽく微笑むと、黒マントと黒髪をひるがえし、後ろを向いてしまった。マントの下でごそごそと何かをしているようだ。

「アオイ。作戦前で支部全体がピリピリしているんだ。見つかると面倒な事になるから、早く帰った方が……」

 眉をひそめてそう忠告する俺をよそに、アオイは再びツカツカ俺に歩み寄って来た。そしておもむろに、マントの下から可愛い猫さん柄の包みを取り出し、俺に差し出した。

「ウィル。早い帰りを待っている」

 俺はその包みを受け取る。

「ただし、何かあれば、周囲の全てを吹き飛ばしても、あらゆる障害を消滅させても、ウィルを助ける。それは、譲れないからな」

 笑みを消して俺を見つめるアオイ。

 魔女の顔。

 その真っ黒の瞳に、思わず吸い込まれそうになってしまう。

 俺は少しだけ目を瞑り、軽く頭を振った。

 気を取り直し、改めてアオイの視線を受け止めながら、俺は力強く頷いた。

「大丈夫だ。そうはならないさ」

 そして俺は、目の前の大切な姉に、不敵に笑って見せた。

「ここからは、軍警の、俺たちの戦いだ」




 軍警ルストシュタット支部の格納庫内は、眩い照明に照らし出されていた。

 整備中の車両やヘリが雑然と並ぶその向こう、僅かに開いた大扉の隙間の先には、そんな格納庫内部とは対照的に先の見通せない漆黒の闇が広がっていた。

 夜明け前。

 1日でもっとも闇が濃くなる時間帯。

 大扉の隙間からは、刺すような冷気が容赦なく吹き込んで来ている。しかし、この格納庫に集まった屈強な男たちはそんな寒さなど物ともせず、むしろ作戦開始を前にして独特の熱気を作り出していた。

 笑っている者。雑談している者。無表情な者。

 皆それぞれ違う表情をしていたが、ギラギラと獰猛に光る目だけは同じだった。

 それは、戦いを前にした戦士の表情だ。

 そんな軍警隊員の集まる格納庫の片隅で、整備用のタラップに腰掛けた俺は、グローブを外した両手でもぐもぐとおにぎりを食べていた。

 アオイが手渡してくれた包みには、このおにぎりが入っていた。

 きっとアオイが作ってくれたのだろう。絶妙な塩加減など、以前アオイお手製のお弁当に入っていたものと同じだ。

 ……おいしい。

 わざわざこれを持って空間転移して来たという事は、アオイも俺が素直に帰るとは思っていなかったのかも知れない。

 しかし、あれだけアオイの前で宣言してしまったのだ。

 必ずこの作戦を成功させ、俺はアオイのもとへ帰らなければならない。

 俺はおにぎりを包んでいた猫さん柄の布巾を膝の上で綺麗に折り畳むと、腰のポーチにしまった。そしてグローブを装着すると、脇に立て掛けてあったライフルを手にとって立ち上がった。

 間もなく、軍警3支部合同の魔術師制圧作戦が開始される。

 この格納庫に集まっているのは、今回の作戦の為に召集された3つの支部の作戦部要員たち、総勢87名。

 服装はみんな一様に黒だ。

 しかし、ヘルメットやタクティカルベスト、ボディアーマーや各種マガジンポーチ、それにホルスター類の装備は各自が独自にカスタマイズしているので、そのシルエットは微妙に違っていた。

 携えているライフルも、それぞれがライトや照準器、グレネードランチャーやレーザーポインターでドレスアップしていて、個人の趣味嗜好、それに部隊内でのポジションによって、その形状はバラバラだった。

 アサルトカービンだけでなく、分隊支援火器である軽機関銃や狙撃銃を携えている者たちもいた。

 彼らは、これから作戦を共にする心強い仲間たちだ。

 彼らの中に混じっていると、なんだか自分も精鋭になったような気がする。恐らくこの中で軍警勤務歴が一番短いのは、俺だと思うが……。

 その俺が、オーリウェル支部より派遣されたミルバーグ隊22名の中に選ばれ、今回の作戦に参加出来たのは、シュリーマン中佐やミルバーグ隊長の推薦があったからだ。

 その期待に沿えるように、そしてこの仲間たちの助けになれるように、気合いを入れなければならない。

 俺はブルパップライフルのスリングを首から吊り下げ、ライフルに手を掛けると、むうっと唇を引き結び、表情を引き締めて周囲を見回した。

 数人、俺と目が合った余所の支部の隊員たちが、慌てて顔を逸らした。よく見ると、こちらを窺いながらひそひそ話をしている隊員もいる。

 む?

「ウィル。集合だ」

 不意に低い声で俺の名前が呼ばれた。

 そちらを向くと、こちらも戦闘装備に身を固めたミルバーグ隊長の巨躯があった。

「あ、はい。了解です!」

 俺はコクリと頷くと、とととっと小走りにミルバーグ隊長に駆け寄った。

 他の隊員たちにも集合が掛かかり、みんな整備中のヘリの脇に置かれたホワイトボードの前に集まり始めた。

「ウィルちゃん、こっちだ」

 ロラックが手を上げて俺を呼ぶ。

 ロラックの周りには、ブフナー分隊長やオーリウェル支部からやって来たみんなも集まっていた。

 俺がロラックの隣に並ぶと、ミルバーグ隊長はそのままホワイトボード前に集まっている他の隊長クラスや作戦部幹部たちと合流した。もちろんその中には、シュリーマン中佐の姿もあった。

「総員傾注!」

 格納庫の中に大音声が響き渡る。

 それまでリラックスしていた隊員たちの雰囲気が、一斉にピシッと緊迫したものに変わった。

「これより作戦の最終確認を行う」

 格納庫全体に響き渡る声を張り上げるのは、髭を生やした顔とがっしりとした体格が印象的なルストシュタット隊の部隊長だった。

「本作戦の目標は、ルストシュタット郊外の古城に潜伏する魔術師集団の制圧である」

 髭の隊長の後にあるホワイトボードには、その古城の航空写真、それに見取り図が掲示されていた。

「当該拠点には、以前より我々ルストシュタット支部が内偵を進めていた聖アフィリア騎士団の有力幹部、ディッセルナー伯爵が率いる魔術師集団が潜伏している。さらにそれに加え、オーリウェル支部が突き止めた禁呪の研究者、バルディーニ子爵が合流したものと思われる」

 俺は上着の襟に顎をうずめて、ホワイトボードに張り出された4枚の写真を睨んだ。

 俺たちが追うバルディーニは、どうやらこのルストシュタットで騎士団の幹部と合流したらしいということを、バートレットやアリスたち捜査官が突き止めていた。

 その騎士団幹部は、軍警ルストシュタット支部が長年追い続けていた重要人物だったのだ。

「現在確認されている貴族級魔術師は4人だ。これに対し我々は、ファーナウ支部とも共同戦線を張り、対象全ての制圧を目指す」

 髭の隊長がどんっとホワイトボードを叩いた。

 ディッセルナー伯爵が手勢を集めて古城に立て籠もった。さらに、そこに禁呪の研究者が合流。

 それは、奴らが近々何かしらの行動を起こす事を示している。

 その企みは、何としても防がなくてはならない。

 制圧作戦が短い準備期間で強行されたのには、そういう理由もあった。

 今度はミルバーグ隊長が一歩前に進み出た。

「作戦概要は、事前のブリーフィングの通りだ」

 ミルバーグ隊長が指示棒を伸ばすと、古城の見取り図を指し示した。

「まず軽機動車に分乗したルストシュタット隊が、陸路で古城正面からアプローチする」

 作戦目標の古城は、中世期に作られた遺跡だ。しかし、実際の戦に備えて作られた天然の要害でもあった。

 山間に建つ城に接近出来る道は1本しかなく、その道も城からの見通しが良すぎる。早期に敵に発見される可能性は高かった。

「車両部隊には、敵の反撃が予想される。そこで車両部隊に敵の目を集め、その隙を突き、南と北東から回り込んだヘリ部隊が城内を強襲する」

 ミルバーグ隊長は弧を描くように指示棒を素早く動かした。

「ファーナウ隊は南から。部隊降下時点でルストシュタット隊が城内に侵入出来ていない場合は、これの入城支援を行う。そして北部からは我々オーリウェル隊が急襲し、直ちに城内に突入。目標の確保、無力化を行う」

 敵の渦中に飛び込む作戦だ。

 貴族級魔術師以外は、汎用術式しか行使出来ない程度のゴロツキ魔術師でしかないだろう。

 しかし数の力は脅威だ。

 効果的な奇襲で敵を分断し、各個撃破を目指すべきだろう。

「なお、兵員搬送を行ったシュバルツフォーゲルヘリの内2機は、そのまま航空支援に当たらせる。作戦目標の古城は遺跡だが、ある程度の近代改修が行われている様子がある。そして、作戦目標の1人であるバルディーニは、自爆術式陣の研究者だ。この術式陣が敷設されている可能性もある。十分に注意せよ」

 俺はきゅっと拳に力を込める。

 敵が自爆術式陣を作動させれば、部隊は甚大な損害を被るだろう。

 しかしそれを恐れて手をこまねいていては、再びその刃が一般人に向いてしまう恐れがあるのだ……。

 それだけは、絶対に防がねばならない。

 絶対に……!

 ミルバーグ隊長が指示棒を縮め、真剣な眼差しを向ける隊員たちを見回した。隊長の次の言葉を待つように、格納庫内がしんっと静まり返る。

「この自爆術式陣を用いる魔術テロとの戦いは、我がオーリウェルのΛ分隊を壊滅させたところから始まった」

 静かに語るミルバーグ隊長の言葉に、俺の胸はドキリと震えた。

 Λ分隊のみんな。

 グラム分隊長、ワルター、オルサム、ルース、みんな……。

 胸の奥から込み上げて来るものを、俺は必死にこらえた。

 微かに体が震え、視界が滲んでしまう。

 不意にぽんと、俺の肩に手が置かれた。

 振り返ると、ブフナー分隊長がそっと俺に頷き掛けてくれた。

「あの忌まわしい事件以来、この禁呪は、多くの犠牲者生んできた。軍警、民間人を問わず、多くの罪のない人々の命を一瞬で奪ってきたのだ」

 ミルバーグ隊長が、一瞬言葉を切った。

「いいか、ここでケリをつけるぞ。総員、死力を尽くして任務にあたれ。軍警の任務を果たせ」

 静かな、しかし押し隠された闘志が滲むミルバーグ隊長の声が格納庫内に響いた。

 俺は大きく頷いた。

 周りのみんなもそれぞれが静かに、しかし強い意志を滲ませた顔で、確かに頷いていた。

「車両部隊! ルストシュタット隊! 出るぞ!」

「「了解!」」

 ミルバーグ隊長とは対照的に、髭のルストシュタットの隊長が叫ぶ。そして隊員たちが声を上げてそれに応えた。

 よし……。

 行くぞ……!

 髭の隊長さんが獰猛に笑った。

「作戦開始だ。これより魔術師共を撃滅する!」

 格納庫内が俄かに動き出す。

「よし、行くぞ!」

「チェック、各員、装備を確認しろ」

「車を回せ!」

「持てるだけ弾を持つんだよ!」

「分隊集合!」

「行け、素早く動け!」

「待ってろ、魔術野郎め!」

 その中をライフルを握りしめながら、俺は静かに歩き出した。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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