Order:51
重い雲が立ち込めた空の下、真冬を予感させる冷たい風が吹き抜けていく。
灰色の空に塞がれた灰色のコンクリートだけの屋上が、余計にこの寒さを強調しているかの様だった。
見渡せば、まだ朝なのに、まるで夕方のように薄暗く灰色に煙ったオーリウェルの街並みが広がっていた。
そんな陰鬱になりそうな風景を背景にして、俺とアオイは、ビルの屋上のフェンス際に立っていた。
冷風にもてあそばれる髪をそっと押さえながら、俺は斜め向かいに建つホテルの一室へと望遠スコープを向けていた。
強めの風に、制服のひらひらスカートで来ていたら大変だったなと思う。しかし今日の俺はスーツ姿で、下はタイツを穿いた上にぴったりとしたスカートを着用しているので問題ない。
「……人は、いるな」
「そうだな」
スコープを覗きながらぼそりと漏らした俺の呟きに、アオイが頷いた。
アオイはスコープも望遠鏡も持っていないが、以前の様に遠視の術式で対象の部屋を確認しているのだろう。
俺たちが2人してじっと窺っているのは、バルディーニ子爵が滞在しているホテルの部屋だった。
子爵のオーリウェル滞在の目的が聖フィーネ学院の夜会への出席ならば、夜会から既に2週間以上経過している今、既にこの場所を引き払っているという可能性もあった。
しかしアオイの、エーレルト伯爵のコネで確認したところ、バルディーニ子爵は現在も以前と同じ部屋に滞在中の様だった。
その部屋を監視し始めてから約2時間。
カーテンが半ば閉じられた部屋の中には、確かに人の動きが認められた。
どうやらバルディーニ子爵には、夜会以外にもオーリウェルに留まる目的がある様だ。
「やはり直接アプローチしてみるしかないな」
俺は望遠スコープから目を離し、隣のアオイを見た。
制服の上におなじみの黒マントを羽織ったアオイは、鋭い視線で俺を一瞥すると、再びホテルを見た。
アオイから術式陣に使用される触媒の流通について不審な動きがあると聞いたのは、昨日の夜。その翌日から、俺とアオイは早速揃って学校を休み、バルディーニ子爵の動向調査に赴いていた。
学校を欠席するに事については、ソフィアから連絡が来ていた。
昨日のメールの返信をすっかり忘れていたからか、ソフィアは何だかおっかない様子だった。しかしその口調とは裏腹に、急に欠席する事になった俺を心配してくれているのは良くわかった。
だから欠席理由をきちんと説明出来ない事については、胸がちくりとしてしまったが……。
バルディーニ子爵に接触を試みる事は、軍警にも報告していなかった。
もちろんアオイの情報については、バートレットを通して軍警にも報告してあった。
しかし意外なことに、軍警の反応は薄かった。
報告の結果は、アオイを警護しつつ行動を共にせよという従来の命令の継続と、現状のまま待機せよという返答があっただけだった。バートレットにも今動かなくていいのかと迫ってみたが、のらりくらりとかわされただけだ。
もしかしたら、軍警も独自に何らかの情報を得ているのかもしれない。
しかし俺にも出来る事がある以上、命ぜられたままただじっとしている訳にはいかなかった。
バルディーニ子爵の存在は、アオイの協力によって得られた俺とアオイ独自の情報だ。
現時点で彼が魔術テロや騎士団に繋がっているという確証は何もないが……。
これは、俺とアオイが確かめなくてはいけない事だった。
空振りならそれでも構わない。
勇み足ならそれで……。
俺が今すべき事は、新たな魔術犯罪が準備されているという可能性を、地道に1つ1つ潰して行く事なのだから。
俺はぎゅっと握った拳に力を込める。
失った多くの人の事を思うと胸の奥からこみ上げて来そうになるものを必死にこらえ、俺はキッとアオイを見た。
もう二度と、惨劇は、悲しみは繰り返したくないから。
……今度こそ。
「俺がバルディーニに接触する。悪いが、アオイには援護をお願いしたい」
取り敢えずはバルディーニに禁呪の術式陣について尋ねる。軍警と名乗れば身構えられるから、魔術を調べている学生でも装って……。
「いや、ウィル」
アオイがすっと流れるような横目でこちらを見た。
「接触は私が行う。援護はウィルの役目だ」
アオイの言葉に、俺はきゅっと眉をひそめた。
「しかし、危険が……」
「ウィルを得体のしれない魔術師の前に行かせるわけにはいかない」
冗談なのか本気なのか、薄い笑みを浮かべるアオイ。
それだったら俺も同じだ。
アオイを危険かもしれない場所に立たせる事には、抵抗がある。俺は軍警隊員で、アオイの護衛役で、アオイは、その、姉貴みたいなものだから。
「私が尋ねた方が、貴族同士話が通り易いだろう。それに……」
アオイがこちらに向き直り、正面から俺を見た。
「万が一あったとしても、私なら初撃をしのげる」
魔女の顔で不敵に微笑むアオイ。
俺はむうっと自分を抱き締めるように腕組みして、眉をひそめた。
確かに魔術攻撃を受けるというのが最悪のシナリオではある。それに銃火器による術式の迎撃は、至近距離では不利だというのもその通りなのだ……。
「ふふ。それにこんな可愛い女の子を、1人で知らない男の部屋に送り出せるものか」
俺の頬に触れようと、すっと黒マントの下からアオイの手が伸びてきた。
俺はその手に構わず、じっとアオイを見つめる。
情報を聞き出すにしても、魔術の知識や貴族の社交に慣れているアオイならば容易いだろう。
……確かにアオイの言う通りだ。
「……何かあったら直ぐに連絡してくれ」
俺は睨むようにアオイを見つめる。
アオイが微笑みながら頷いた。
その笑顔に頼もしさを感じつつも、やはり不安は拭いきれなかった。
俺は胸の中に渦巻く不穏な予感を振り払うように、さっと勢い良く踵を返し、屋上の出口へ向かって歩き出した。
バルディーニ子爵が逗留するホテルは、ジーク先生の部屋があるあのホテルに比べれば幾分グレードは下の様だった。しかしそれでも、落ち着いた深紅の壁紙と広い間隔で配置された立派なソファーセット、丁寧に磨き上げられた金銀の装飾や煌びやかで巨大なシャンデリアが、古都であるオーリウェルに相応しい重厚な雰囲気を作り上げていた。
まるで中世貴族のお屋敷のような内装だ。
そんな平日の昼間のホテルは、混雑しているという程でもなかったが、スーツ姿のビジネスマンたちで賑わっていた。
広いロビーには、きちりとした制服を着こなしたホテルマンの他、新聞を広げてくつろぐ紳士、書類を突き合わせて話をしているビジネスマン、それに出張中といった感じでキャリーバックを引く男性の姿などがあちらこちらに見て取れた。
耳を澄ませば、外国語の会話も聞こえて来る。
女子生徒ばかりの聖フィーナも俺にとっては縁遠い世界ではあったが、このビジネスの場といった空気感も、一般企業を知らない俺にとっては新鮮なものだった。
そのロビーの片隅。
中庭を臨む大きな窓の前に設えられたソファーセットの1つに、俺は陣取っていた。
目の前のテーブルには、香ばしい湯気を立てるコーヒー。
時よりそのカップに口を付けながら、俺は広げた新聞の紙面越しに、ホテル内を行き交う人々を観察していた。
バルディーニ子爵の顔は、夜会の会場で既に確認済みだ。もし仮に、今奴が目の前を通過しても、直ぐに動ける準備は出来ていた。
俺は新聞片手に、少しずり落ちて来た眼鏡を押し上げる。もちろん伊達だが、こうした方が社会人に見えるからとアオイに進められたのだ。
「おや。随分可愛らしいレディですね」
突然、知らないビジネスマン風の男が話し掛けてくる。続いてお茶に誘われるが、俺は苦笑を浮かべてお断りした。
声を掛けられたのは、この場所で待機に入ってからもう2人目の事だった。
伊達眼鏡効果もあって、今の俺は何とかこのロビーの雰囲気に紛れ込んでいると思うのだが……。
今日の俺は、タイトスカートのスーツ姿だった。
下は黒いタイツを穿き、ブラウスにはスカーフタイを締めている。髪は一つにまとめて捻って巻き、左後でバレッタで留めていた。
どこから見ても、キャリアウーマン的なものに見える筈。強いて言えば、鞄がビジネスバックではなく、いつものスポーツバックな点がおかしな所だろうか。
しかし、これはしょうがない。
このバックには、ライフルを詰め込んであるのだから。
ここで一般人に紛れて待機し、アオイの連絡を待つというのが俺の役割だった。
既にアオイは、1人でバルディーニ子爵の部屋がある12階へ向かっている。何かしらの動きがあれば、すぐに連絡が来る手筈になっていた。その場合は、すぐに俺がアオイの援護に動く事になる。
俺は新聞を広げなおし、上階へと繋がっているエレベーターを見た。ちょうど紺とグレーのスーツの男性が2名、キャリーバックを引きながらエレベーターに乗り込むところだった。
バルディーニ子爵から情報を手に入れたアオイが、何事もなくあそこから戻って来てくれれば一番良いのだが……。
その時不意に、ジャケットの内ポケットに入れた携帯が振動した。
メールだ。
携帯を見る。
アオイからだ。
これから子爵にアプローチするという連絡だった。
俺は新聞を脇に置いて大きく息を吐く。そして、了解、と短く返信しておく。
鳩尾辺りがきゅっとなった。ドキドキと激しくなり始めた鼓動を、全身で感じる。
……果たして何が出て来るだろうか。
俺はアオイから連絡の来る携帯を握り締めた。
ただじっと待っている時間というのは、辛い。
アオイならきっと大丈夫だと思っていても、やはり心配せずにはいられなかった。
……もし俺が、きちんと魔術を使いこなせていれば。
そうすれば、アオイを1人で行かせずに済んだだろうか?
俺は目を伏せ、きゅっと唇を引き結ぶ。
……やはり、早く魔術を習得しなければ。そして力を付けなければ。
いざという時に、誰かを守れるように。
アオイやジーク先生みたいに、誰かを助けられるように。
俺はそっと頭を振った。
……ダメだ。
今は目の前の状況に集中しなくては。
ふうっと大きく息を吐いて、俺はコーヒーカップに手を伸ばした。少しぬるくなってしまったコーヒーにそっと口を付けると、その苦みをじっと噛み締める。
カップをテーブルに戻そうとして、しかしその瞬間、俺はふと動きを止めた。
顔を上げ、周りを見渡す。
……今、何か振動が。
俺はカチャリとコーヒーカップを置くと、ブルパップライフルの入ったスポーツバックをそっと足元に引き寄せた。
目だけを動かして周の気配を窺う。
……何だ。
その俺の手元で、突然携帯が鳴った。
ドキリとしてしまう。
「もしもし」
俺は即座に電話に出た。
『ウィル。子爵の部屋から攻撃を受けた』
電話口から聞こえてきたのは、アオイの端的な報告。
……くっ。
俺は一瞬固まってしまった。
バルディーニ子爵は黒だった、というわけだ。
完全に……。
俺は、電話の向こうのアオイの様子を探ろうと耳を澄ませる。
「アオイ、大丈夫か」
『問題ない。これより室内を制圧する』
アオイの声は落ち着いている。
電話の向こうからは、ドンッと爆発のような音が聞こえて来た。その振動は建物全体を揺るがし、俺のいるロビーまで衝撃が伝わって来た。
ぐらぐらとシャンデリアが揺れる。周囲の人々がにわかに騒がしくなり始めた。制服姿のホテルマンたちが、慌ただしく動き出していた。
「アオイ。直ぐに援護に行く」
俺は携帯を耳に押し当てながら、スポーツバックを手に取り立ち上がった。
『……こちらは大丈夫だよ。それより今、こちらの状態を見て逃げる様に去っていった男たちがいた。ウィルはそちらを』
「バルディーニの仲間か?」
『恐らくは』
「了解。アオイ、気を付けてくれ」
『ふふ、わかっている』
不敵に微笑み、電話を切ったアオイ。それと同時に、エレベーターの1基がロビーに到着するのが見えた。
扉が開ききるのも待てないといった様子で、その中から2人の男が転がり出て来た。先ほどエレベーターに乗るのを目撃した紺とグレーのスーツの男たちだ。
「……おい、どうなってんだよ」
「うるせえ、今連絡してるんだ」
低い声で悪態をつきながら、騒然とし始めたロビーを足早に縦断して行く男たち。1人が携帯を耳に当てながら、真っ直ぐホテルの正面出口を目指している。
あれか?
俺はじっと男たちを観察する。
「しかし、何でここにいやがるんだ、あいつは!」
「黒衣の魔女め。まったく、貧乏クジもいいところだぜ」
大きくなりつつあるざわめきの向こう、男たちの台詞がしっかりと聞こえた。
こいつらだ……!
バルディーニ子爵の仲間だ。騎士団か?
俺は気配を殺し、不安の声を上げ始めているホテル客の間を縫うようにして男達に近付いた。
このロビー内では、不用意に奴らに声を掛ける訳にはいかなかった。万が一この場で、先ほどのアオイのように突然攻撃術式を受けてしまっては、周囲に多大な被害が出かねない。
タイミングは奴らがホテルを出た瞬間。
その場で取り押さえる。
ホテルの正面出口が近付く。
俺が奴らに近付こうと歩みを早めたその時。
「わっ」
横手から若いポーターがぶつかって来た。
俺は思わずよろめき、彼が運んでいた荷物が盛大に床に散らばった。
その派手な音に、周囲の視線が一斉に俺の方に集まった。
「す、すみません」
まだ少年のようなポーターは、深々と俺に頭を下げる。何度も、何度も。
……くっ。
「おいっ、ありゃ」
「あの髪の色……」
案の定、対象の男たちもこちらを振り返り、俺にじっと視線を向けて来た。
目が合う。
その瞬間、紺色のスーツが顔を歪めた。
「ありゃ、銃使いの女騎士か!」
「何だ?」
「レディ・ヘクセの騎士だぞ!」
気付かれたっ!
何であいつらが騎士の話を知っているんだ?
男達が脱兎の如く外へ向かって走り出す。
「待て!」
俺は叫ぶと、ポーターの散らかした荷物をさっと飛び越え、男たちを追って走り出した。
男たちがホテルの外へ飛び出して行く。俺もそれに続こうとして、しかしちらりと背後を見た。
何事かと不安そうな顔をした人たちが、じっとこちらを見ている。
俺は振り返ると、ロビー全体に響き渡るように声を張り上げた。
「みなさん、危険です! なるべく建物の奥へ!」
そしてさっと身をひるがえすと、自動ドアが開ききるのも待たず、俺も外へと出た。
朝よりもさらに重苦しい真っ黒の雲が立ち込め、陰鬱に薄暗くなった外界は、微かに雨の匂いがした。
ホテルの前は数台のタクシーや車が並ぶ車寄せになっていた。
男たちはその駐車中の車の間を縫って車道に飛び出すと、ホテルの前の一般の通りへと出ようとしていた。
「待て!」
俺は叫びながらその後を追う。
軍警を名乗って制止しようかと一瞬考えるが、それはマズいと判断した。
奴らは俺とアオイの関係を知っていた。
俺が軍警だと名乗れば、貴族であり魔術師であるアオイの立場を危うくしかねない。奴らの正体はわからないが、騎士団と繋がっている可能だってあるのだ。
俺は姿勢を低くして加速する。
伊達に毎日走っていない。
しかしスカートは走りにくいっ。
ホテルの敷地を出た男たちが、左に曲がって歩道を走る。俺もそれに続いた。
幅の広い歩道の脇には、路上駐車の車列があった。ビジネス街でも繁華街でもないので、人通りはまばらだった。
その数少ない通行人たちが、スーツの男たちの勢いにぎょっとして道を譲っていた。
俺がさらに距離詰める。
その瞬間。
不意に紺色のスーツの男が立ち止まり、こちらを向いた。そしてさっと俺の方へと手をかざした。
「Du fraou bbulpxii!」
男の前面に生まれる無数の赤い光点。
攻撃術式だ。
やはりこいつらも魔術師か!
男たちへ向かって走っていた俺は、急制動を掛けると咄嗟に右へ飛んだ。そのまま転がるようにして停車しているタクシーの後ろに飛び込んだ。
その瞬間、タクシーの車体が衝撃で震えた。
無数の着弾音がタクシーを打ち据える。
連続する破壊音。
俺の至近の路上にも、赤く燃えた炎が着弾し、跳ねた。
これは火炎弾の術式だ。
火球の術式の応用で、小さな火炎弾を機関銃のように連射する魔術だ。高い連射能力と広範囲を制圧可能な弾幕を形成出来るが、個々の火炎弾の威力は大して大きくはない。現に今、俺の盾になってくれているタクシーは、窓が割れ、車体がボコボコになっているが、完全に破壊されてはいなかった。
タクシーの後部バンパーに背を預け、しゃがみ込んだ俺は、揃えた膝の上、ぴんと張ったスカートの上にスポーツバックを乗せた。
その中から、有機的なラインを描く黒い塊を取り出した。5.56ミリ弾を使用するブルパップライフルだ。
膝の上にストックを立て、チャージングハンドルを引き、初弾を装填する。伊達眼鏡は取って、ポケットにしまう。ついでにライフルの予備の弾倉もポケットにねじ込んだ。
俺は唇を噛み締める。
俺の胸の中に渦巻いていたのは、怒りだ。
こんな街中で、人の往来があるところで、こんなにも簡単に攻撃魔術を使用するなんて……。
結局こうなるのか……!
火炎弾の術式が終わる。
タクシーの車体を撃ち据えていた音が静まり、代わりに悲鳴を上げて逃げていく人々の声が聞こえて来た。
……次の術式を放つ隙は与えない。
俺はタクシーの影からさっと身をひるがえすと、しゃがんだ低い姿勢のままライフルを構えた。
肩で息をしている紺スーツの男。
「大人しく……」
男に銃口を突き付け、警告を発しようとした瞬間。
再び男が手を上げようとする。
……くっ。
素早く周囲を確認する。
通行人たちは既に逃げてくれている。
俺はダットサイトの光点を男の足に合わせ、トリガーを引いた。
銃声が響き渡る。
歩道のレンガの上に転がった薬莢が、乾いた音を立て転がった。
俺の放った銃弾は、しかし紺スーツの男には達しない。
防御場だ。
もう1人のグレースーツの男が、紺スーツの少し後ろで手をかざしている。あちらが防御担当というわけだ。
……ならば。
俺は2人の男たちに向かって射撃を加えながら、前進を始める。
前へ、前へ。
連射はしない。
ただ男たちを牽制するために、断続的にトリガーを引き続ける。
男たちに焦りの表情が浮かぶのがわかった。
防御場を展開しているからといって、正面から銃撃を受け続ければ、冷静でなどいられない筈だ。
焦ったのか、少しもたつきながら、紺スーツの男が再び火炎弾の術式を放った。
俺はとっさに右へ飛び、別の車の影に隠れる。
再び車を破壊する火炎弾。
しかし俺は、その弾幕の中でも隙を見て男たちに射撃を加えた。
小さな炎の塊が俺のすぐ側を通過する。
高速で通過する高温の炎に乱された空気が風を巻き起こし、俺の髪を揺らした。
火炎弾が止む。
そのタイミングを見計らい、俺は車の影から躍り出すと、再び走り出した。
地面を舐めるように低い姿勢のまま突進。
防御担当の男を銃撃し、牽制する。
煌めくマズルフラッシュ。
その隙に唖然としている紺スーツに肉薄すると、俺はクルリと身を翻し、足払いを放った。
「ぐえっ」
紺スーツが呻きを上げ、転倒する。魔術の詠唱を防ぐ為、俺は素早くその紺スーツの首に膝を乗せ、ぴたりとライフルをもう1人の男に照準した。
「無駄な抵抗はするな。お前たちを拘束する。話を聞かせてもらおう」
俺はなるべく声を低くし、2人の男を交互に睨みつけた。
「ぐがっ」
「ま、魔女の手先が! 何で俺たちの邪魔を……」
男たちが、興奮と恐怖で上擦った声上げたその瞬間。
俺はただならぬ気配を感じて、はっと周囲を見回した。
高まるエンジン音が聞こえる。
そういえば異常を察したのか、先ほどから通りを通過する車がなくなっていた。
しかし。
エンジンを唸らせ、1台の黒いSUVが猛然とこちらに向かってくるのが見えた。
ただの一般車両の勢いではない。
黒いスモークが張られた車内は窺えないが……。
そのSUVの助手席から、黒尽くめの男が身を乗り出して来る。詠唱は聞こえないが、その男がこちらに手をかざすのが見えた。
「くっ!」
俺は思わず呻き、黒の車に銃口を向けた。その隙にグレーのスーツが車の方へ逃走する。
SUVの前に氷の矢が現れる。
その数6本。
その鋭い先が、俺に指向する。そして、一斉に放たれた。
「まだいたのか、仲間が!」
俺は叫びながら狙いをつけ、ライフルで氷の矢を撃墜する。銃声が連続し、薬莢が散らばる。
あのSUVは敵だ。スーツの男たちの仲間だ。
しかし氷の矢を全てを撃墜するには、距離が近すぎた。
3本撃ち落とした時点で、俺は横に転がって回避するしかなかった。
その結果、俺に取り押さえられていた男も、拘束を解かれ、よろよろと起き上がると、SUVの方へ逃げ始めた。
しかし俺には、それを止める余裕はなかった。
後輪をスリップさせ停車するSUV。そちらから氷の矢や火球の術式が容赦なく放たれる。
俺は路上駐車の車の影に隠れながらSUVに銃撃を加えた。
しかし銃弾が通らない。またしても防御場が展開されている。
厄介だ。
ただ攻撃魔術を乱射するだけのごろつきではないということだ。
俺はライフルの弾倉を落とし、ジャケットのポケットから予備を取り出して装填した。
火球が迫る。
俺はSUVを撃ち続けながら、別の車の後ろまで走った。
火球を受け、先ほどまで俺が隠れていた車が爆発し、吹き飛んだ。
その熱波が俺にも押し寄せて来る。
紺スーツとグレースーツが、SUVに乗り込んでしまった。俺は身を隠したセダンのトランクの上に上半身を伏せながら、SUVを銃撃し続けた。
「くっ、っあああ!」
自然と呻きともつかない声が漏れてしまう。
タイヤもエンジンもダメか……!
不意に魔術が止んだ。同時に、SUVが急発進した。
俺は、なおもその後部に向かってトリガーを引き続けた。
パリンとSUVのテールライトが弾け飛んだ。
俺の銃弾がとうとう防御場を破ったのか。それとも、もう大丈夫と踏んだ奴らが、防御場の展開を止めたのか。
どちらにせよ、もう遅かった。
猛スピードで加速して行く敵車両は、タイヤを軋ませて通りを右折すると、俺の視界から消えて行った。
ライフルを構えたまま、俺はどれほど固まってしまっていただろうか。
やがて俺は、ゆっくりと立ち上がった。
ライフルを持った腕をだらりと垂らし、空を見上げた。
くっ。
強く奥歯を噛み締める。
おのれ……。
俺の胸の中にあるのは怒りだった。
ベルディーニは黒だとわかった。そして魔術師たちと徒党を組み、何かを企んでいる事も。
しかし俺は今、そこに至る手掛かりを逃がしてしまった。
不甲斐ない。
……本当に、不甲斐ない。
きゅっと目を瞑る。
天を仰ぐ俺の頬に、ポツリポツリと雨が落ちて来た。
……いや、まだだ。
アオイが制圧してくれたバルディーニの部屋に何か手がかりがあれば……。
次々と落ちてくる雨粒が、俺を濡らす。そして戦闘の残り火に等しく降り注いでいく。
俺は大きく深呼吸すると、ホテルの方へと小走りに戻り始めた。
遠く、サイレンの音が聞こえていた。
読んでいただき、ありがとうございました!




