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Hexe Complex  作者:
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 いつも通りの平穏な聖フィーナのお昼休み。ジゼルやアリシアたちみんなと手早くお昼ご飯を終えた俺は、すれ違うクラスメイトたちに手を振りながら教室を出た。

 ちなみに今日のお昼は、みんなと教室で机を合わせてのお弁当だった。アレクスさんが作ってくれたお弁当はとても美味しくて、おすそ分けしたみんなにも好評だった。

 お昼休みの弛緩した空気の中、俺はとととっと小走りに、スカートを揺らしながらアオイの教室に向かっていた。

 清掃の行き届いた綺麗な廊下。お昼の陽光が眩く降り注ぐ大きな窓。そんな廊下のあちこちでお喋りに興じる少女たちの軽やかな笑い声が、教室棟を彩っていた。

 その中を進んでいると、俺は自分のクラスメイトだけでなく、別のクラスの子や上級生からも挨拶されてしまう。

 その都度にこやかに微笑みながら挨拶を返すのは大変ではあったけれど、悪目立ちしてしまっている自分が悪いのだと、俺はそっと諦めの苦笑を浮かべていた。

 もはや自分の教室と同じぐらい通い慣れたアオイの教室に到着すると、俺は後ろのドアからそっと中を覗き込む。

「失礼します」

「あっ、アーレンさん」

 タイミング良くこちらに向かって来るところだったディードさんに気がついてもらえた。アオイのクラスメイトであり、親友でもある人だ。

「アオイ。アーレンさんが来てるわ」

 ディードさんが振り返り、アオイに声を掛けてくれた。

 通い慣れてはいても、他の教室というのはどうも入りにくい。いつも入り口付近でもぞもぞしている俺に声を掛けてくれるディードさんには、本当にお世話になっていた。

 窓際の自席で文庫本に目を落としていたアオイが、癖1つない黒髪をサラリと揺らして顔を上げ、こちらを見る。

 俺は微笑みながらちょこっと手を上げ、廊下に下がった。

 直ぐにアオイが教室から出て来た。

「待たせたな、ウィル。どうした?」

 柔らかな表情のアオイ。

「うん。その、アオイの様子を確認しに……。定時連絡だ」

 俺がこくりと頷いてそう答えると、アオイはにこっと微笑んだ。そして足取り軽く廊下を歩きだす。素直に俺も、その後について歩き出した。

 廊下を歩いていると、すれ違う生徒達から注目される。アオイがいると、注がれる視線も倍増だ。

 あのルヘルム宮殿の夜以来少し様子のおかしかったアオイだったが、今はすっかりいつもの調子を取り戻していた。

 放課後のお出かけに誘ってみたり、積極的に勉強を教えて欲しいと頼んだり、俺なりに気を使ってはみたつもりだったが、聡いアオイだ。それは、見透かされていた感があった。それよりも、あの夜の会談について、アオイの中で何かしらの考えがきっちりとまとめられた結果なのだろうと思う。

 さすがしっかり者の姉さん、だ。

 俺の少し前を歩いていたそのアオイが、不意にスピードを落とすと俺に並んだ。そして無造作に、ガシッと俺の手を握った。

「さぁ、ウィル。ひなたぼっこには良い日和だ。早くしないと、昼休みが終わってしまうぞ」

 ニヤリと微笑むアオイ。

「わっ」

 そして、ぐいぐいと俺の手を引っ張り出した。

 ……元通りというか、俺の拘束具合は以前より酷くなっている気がする。

 まぁ、上機嫌なのは良い事だが。

 しかし、周囲の視線が痛い。

 俺は恥ずかしさで赤くなる顔を誤魔化そうと、むっと眉をひそめた。

 放課後、ジゼルたちと一緒にケーキを食べに行った時もそうだった。

 あの時、俺たちに合流したアオイは、突然俺を抱き締めて来たのだ。

 エマとイングリッドさんは悲鳴とも歓声ともつかない声を上げ、ジゼルとラミアには散々冷やかされた。アリシアなんて顔を赤くして硬直していたし……。

「アオイ、速い。転ぶから」

 俺は溜め息混じりに抗議する。

「あの、えっと、放課後の予定を伝えに来ただけだからっ」

 アオイは微笑みながら俺を見る。

「今日は一緒に帰るんだろうな」

 ……何か笑顔が怖い。

「……いや、実は今日も任務で」

 今日も俺には、ジーク先生の魔術講義がある。

 魔術を習い始めてもう既に2週間程が経つが、最近は朧気にも魔素を把握出来るようになっていた。

 始めた頃に比べれば、大進歩だ。

「またか」

 アオイが大げさにため息を吐いた。

 スカートを揺らしながら、俺たちは並んで階段を下り始めた。

「最近忙しそうだ、ウィル。もし捜査ならば、私と一緒に……」

 アオイがそっと俺に顔を近付け、そう囁き掛けて来た瞬間。

「アーレンさん! エーレルトさん!」

 階段の下から鋭い声が飛んで来た。

 俺たちの進行方向、階段の踊り場にいつの間にか立っていたソフィアが、スーツの腰に手を当て、きっと鋭い目つきでこちらを睨み上げていた。

 む。

 マズい……。

「ウィル! 手! 手なんか繋いで!」

 焦ったように俺の事をウィルと呼んだソフィアは、一瞬にして教師モードが剥がれ落ちていた。

 ツカツカと勢い良く階段を駆け上がってくるソフィア。

 それを見下ろし、悠然と待ち構えるアオイ。こちらは何故か勝ち誇ったような顔をしていた。

 俺は大きく溜め息を吐いた。

 こうなっては、もう俺に状況をどうにかできる力は残っていないのだ……。



 深い深い呼吸を繰り返しながら、俺は自分の内側にある温かなものをそっと確かめる。

 目を瞑り、外界の全てを遮断して、その温かいものしっかりと掴み取るイメージを思い描く。

 やがてその微かな感触は、静かに、しかし確かに、俺の体の隅から隅まで流れ巡っているものだということがわかるようになって来る。

 指先から、頭の先も、胸もお腹も足の先に至るまで。

 ほんのりと温かい力の流れを感じる。

 それはまるで、血液の様に。

 いや、骨や筋肉や皮膚、その全てと同じ。

 俺を構成しているものの1つなのだという事を、唐突に理解する。

 これが魔素。

 俺の体の中にある魔素だ。

 体を満たす温かさ。

 その温かさに包み込まれ、まるでお湯のなかにプカプカ浮いているような気分になってくる。

 俺は、いつもこんなにも温かいものに包み込まれていたのだ。

 その時。

 何故か不意に、俺は微笑むアオイの顔を思い浮かべてしまった。

 魔素を感じるという事は、まるで繋いだアオイの手の温かさを感じているかのようだ。

 ……よし。

 次だ。

 俺は、魔素の感触を光のイメージに上書きしていく。

「光」

 唇を意識して動かし、そっと呟いてみる。

 術式成句というには短い、たった一言。

 しかしそれは、俺の内側に流れる魔素という力を、外界へ向けて解き放つための言葉だった。紛れもない、魔素を操る為の言葉だ。

「光……」

 この温もりは光。

 柔らかく、全てを照らし出す光……。

 俺はゆっくりと目を開く。

 照明を落とし、遮光カーテンを引いた会議室内は、目を閉じていた時と同じくらい真っ暗だった。

 しかし……。

「あっ」

 思わず俺は、小さく叫んでしまう。

 リンゴを包み込む程度に丸く開いた俺の両手の中に、小さな小さな灯火があった。

 それは、今にも消えそうな淡い光。

 豆電球よりも弱く、不安定に揺らめいている。

 灯火というにはあまりにも頼りない光。

 ジーク先生が見せてくれた魔術の光とは、雲泥の差だった。

 しかしこれは、紛う事なき俺自身の魔素の光だ。

 俺が作り出した……。

 俺は何も言えず、ただ目を大きくして、じっとその弱々しい光を見つめる。

 じわっと胸の奥からこみ上げて来るものがあった。

 ……出来た。

 とうとう俺は出来たのだ。魔術を操る為の第一歩を踏み出す事が出来たのだ。

 自然と手が震える。

 やった……。

 じんわりと視界が滲んでしまう。

「ジーク先生!」

 暗闇の中、俺はジーク先生がいる方向をばっと見た。そして、直ぐに自分の手元に視線を戻した。

「あ……」

 すっと胸の奥を喪失感が駆け抜ける。

 思わずふっと肩から力が抜けてしまった。

 俺の光は、すでに消えてしまっていた。

 ……くっ。

 もう一度だ!

 俺は再び目を瞑り、魔素の感触に集中する。しかし先ほどと同じ要領で意識を研ぎ澄ませても、再び光が灯る事はなかった。

 胸を満たしていた達成感が、急激にしぼんでいく。代わりに膨れ上がって行くのは、お尻がむずむずしてしまう様な焦燥感ばかりだった。

 俺は何度も何度も光の術式を試みるが、そのような精神状態では成功する筈もなかった。

 やがて俺は、ふうっと大きく溜め息を吐いた。

 それを合図にしたかのように、ガタリとジーク先生が立ち上がる音が響いた。カツカツという足音がした後、さっと重苦しい遮光カーテンが開かれた。

 夕暮れ時の茜色の光が、会議室の中に戻って来る。

 高級そうな絨毯と大きな黒の机。そしてふかふかクッションの立派な椅子が並ぶ小会議室の真ん中で、俺は大きな溜め息を吐いて項垂れた。

 腰掛けた椅子の大きな背もたれにもたれかかり、今度は肩を落としながら額に手を当てる。

 ここは聖フィーネ学院の教員棟最上階にある小会議室。俺は放課後、ここでジーク先生の魔術講義を受けていた。

 学院にいる間はこの場所で魔術を教えてもらう事になっていたが、ここしばらくはジーク先生も多忙らしく、魔術鍛錬も自主練になることが多かった。

 今日は久々にジーク先生に鍛錬を見てもらえると張り切って、やっと成功出来たのは良かったけれど……。

 しかしこんな小さな光では……。

 それにこれでは、ただのまぐれと言われてもしょうがない。

「おめでとう、ウィル君」

 しかし意気消沈する俺とは対照的に、ジーク先生は満足そうに頷いてこちらを見た。

「一度でも魔素を外部に発現させる事が出来たということは、魔素を術式に流し込むパスが開けたという事だ。道が開ければ、今までよりも遥かに簡単に術式を発動出来るようになるだろう」

 ジーク先生が柔らかな笑顔を浮かべ、腰の後ろで手を組みながらゆっくりと俺に近付いて来る。

「後は外部に開かれたそのパスに効率よく魔素を流し込む事。そして、術式を良く理解し、発現させたい魔術に従って魔素を編み上げる事が、これからの課題だな」

 ジーク先生が俺を見下ろしながら、大きく頷いてくれた。

「ふっ、頑張ったな、ウィル君。これで君は、我々魔術師に一歩近付いた訳だ」

 ジーク先生は嬉しそうに笑った。

 いつもの様なシニカルな笑みではない。心底俺の成功を喜んでくれているような、爽やかな笑顔だった。

 一度あんな豆電球みたいな光が出せたからといって、この先の魔術習得が順調に行くなんて事は、俺にはとても実感出来なかった。

 しかし、ジーク先生がそう言ってくれるのなら、きっとその通りなのだろう。

 上機嫌のジーク先生を見ていると、何だか俺もほっと安心する事ができた。だんだんとこれで良かったのだと思えてくる。

 そうすると、今日の成功が、素直に嬉しく思えた。

 魔素の感触とは違う胸を満たす温かさが、じわっと体の奥で広がって行く気がした。

 あの光。

 確かに小さな前進でしかないのかも知れないが、きっと意味のある前進なのだ。

「ジーク先生」

 俺は髪を揺らし、少しだけ首を傾げてふわりと微笑んだ。

「その、こんなに付き合ってもらってありがとうございます。えっと、頑張りますので、これからもよろしくお願いします」

 俺は出来る限りの感謝を込めてそう伝えると、ぺこりと頭を下げた。

 ジーク先生の事だから、ああ、とか、うん、とかいう短い返事が返って来るのだろうと思っていたが、先生は返事をしてくれなかった。

 ただ目を細め、柔らかな表情でじっと俺の顔を見詰めて来る。

 ……む。

 ただじっと、見詰めて来る。

 何だか気恥ずかしくなり、俺は意味もなく辺りに視線を泳がせた。

 むむ……。

 妙な居心地の悪さに、俺は窺うように上目遣いでジーク先生を見上げた。

「先生?」

 どこか遠くを見るようなジーク先生の目。

「やはり君には、笑顔と魔術が良く似合う」

 ジーク先生の小さく囁くような言葉が聞こえた。

 ……これは、褒められたという事なのだろうか。

 いずれにせよ、防御魔術や治癒魔術を習得出来る可能性が具体的に見えて来たのだ。

 もっともっと、頑張らなくては……。

 何かが起こる前に。

 何かが起きた時に、全力を尽くせるように。

 俺は密かに拳を握り締める。



 ジーク先生の魔術講義を終えた俺は、お屋敷に戻ってからランニングに出かけた。

 毎日時間を見つけては走るのが日課だったし、先に帰宅したアオイも出かけていたので、今のうちに走っておこうと思ったのだ。

 トレーニングウェアに着替え、きゅっと髪をポニーテールにまとめた俺は、広大な敷地を有するエーレルト伯爵邸の最外延の遊歩道を走り始めた。

 周囲はもう暗かったけれど、等間隔に並んだ街灯が足元を照らし出してくれていた。

 アレクスさんや使用人のおじさんたちが一生懸命掃除をしてくれているのだろうが、今の季節は尽きる事なく降り注ぐ落ち葉が、雑木林の中を行く小径に降り積もっていた。

 乾いた落ち葉を踏み締める音と、土の匂い、それにシンと冷え始めた夜の空気を感じながら、俺は走る。

「はっ、はっ、はっ」

 走りながら、今日の事を思い出す。

 完璧とは言い難いものの、成果を出せれば嬉しいし、その事で誉められればなお嬉しい。

 この俺が魔術を使えたなんて未だに信じられないが、しかし時間が経過すると、じわじわとその嬉しさを噛みしめている自分がいた。

 魔術を使えたというよりも、鍛錬の結果が出た、という嬉しさだけれど。

 白く息を吐きながら、思わず俺はふっと微笑んでしまう。そして、体を弾ませて加速する。

「はっ、はっ、はっと。ふうっ」

 お屋敷の敷地を軽く一周して正面玄関まで戻って来ると、俺は髪をかき上げ呼吸を整える。そして、ストレッチを始めた。

 アキレス腱を、よ、よ、よ、とリズミカルに伸ばしながら、明日の事を考える。

 英語の小テストがある。頑張らねば。お昼はみんなで食堂だ。明日はサラダバイキングの日だし。そして放課後は、またジーク先生と魔術講義だ。

 ……よし。

 明日は今日の成果をもとに、さらに前進出来るように全力を尽くそう。

 でも、今日は良かった……。

 右腕で左の肘を抱えながら大きく体を捻る。次は腕を逆にしながら、俺はやはり自然と微笑んでしまった。

「ふふんっ」

「ご機嫌がよろしい様ですね、ウィルお嬢さま」

 不意に背後から低い声が響いた。

 はっとして振り返ると、野菜で山盛りの籠を持ったアレクスさんがにこやかな表情で立っていた。

 ……ぐ。

 見られた。1人で笑っているところを……。

 俺は慌てて表情を取り繕いながら、お疲れ様ですと挨拶する。アレクスさんは丁寧に腰を折り、挨拶を返してくれた。

「ところでウィルお嬢さま。先ほどアオイお嬢さまよりご連絡がありまして、お帰りが少し遅れるとの事でした。先にお風呂とお食事を済ませておくようにとの仰せです」

「あ、了解です」

 俺はこくりと頷いた。

 アオイは今日、オーリウェルの商工会の会合に出席している筈だ。

 名目上とはいえ護衛役である俺も随行しようかと尋ねたが、月例の集まりでそんなに時間もかからないとの事だったので、俺はジーク先生の魔術講義に出たのだが……。

 ストレッチを終えてお屋敷に戻った俺は、アオイに状況確認のメールを送った。

 返信が直ぐにあって、会合の後に知り合いに捉まって話が長引いているらしい。少し遅れるだけだから、心配しないで欲しいとの事だった。

 どうやら問題はなさそうだ。

 少し汗をかいたので、俺は先にお風呂に入る事にした。

 エーレルト伯爵邸の湯船は大きい。

 ふいっと息を吐きながら鼻までしっかりとお湯につかった俺は、手足をうんっと伸ばした。

 体の芯からぽかぽかと温かくなってくる。俺の白い肌の上を、つっと水滴が流れ落ちて行く。

 俺は目を瞑りながら、今日成功した光の術式を思い出した。

 復習の意味も込めてそっと意識を集中してみるが、体全体がふわふわと温かく、気持ちよくて、魔素を感じる事は出来なかった。

 ……また明日頑張ろう。

 明日またジーク先生にきっちり見てもらえば、きっと良い成果が得られる筈だ。

 俺は湯気の立ち上る水面を揺らし、うんっと1人頷いた。

 今日は俺にとって、一歩前進出来た日ではあるけれと、少し疲れてしまった様だ。気を抜くと、お湯の気持ちよさに、このまま湯船の中で居眠りしてしまいそうだった。

 もちろんそれは、今の俺にとっては心地よい疲労ではあったけれど。

 お風呂から上がった俺は、レーミアが用意してくれたパジャマを着て自室に戻った。淡いピンクにイルカのワンポイントが付いているパジャマだ。

 ちょこっと椅子に腰掛けて、わしわしと髪を乾かし始める。

 いつもなら、このタイミングでアオイがやって来て髪を乾かすのを手伝ってくれる。しかし今日は、まだアオイは帰って来ていないみたいだった。

 ふかふかのタオルに顔を埋めていると、俺の携帯がメールの着信を告げた。

 アオイか。

 さっと確認すると、ソフィアからのメールだった。

 む?

 本文は、ばしっと埋まった長文。

 どうも、アオイや聖フィーナの少女達に接するにあたり、俺の自覚が足りないという事らしい。

 アオイと手を繋いでいる所を見られたのがいけなかったみたいだ。

 ……おっかないので、取り敢えずメールを閉じる。ソフィアには後で電話しておこう。

 俺は携帯を持って、ふらふらとベッドに向かった。

 ぽすっとベッドに腰掛け、髪を乾かすのを再開しようとした瞬間、再び携帯が鳴った。

 今度はアオイか?

 しかし新着メールは、ロイド刑事からだった。

 こちらも長文だ。

 夜会襲撃事件以降の俺の調子を心配してくれているみたいだ。メールは、また食事でもどうかと締めくくられていた。

 俺は携帯を見たまま仰向けに寝転がると、大きく息を吐いた。

 わざわざ俺なんかを心配してくれるとは、やはりロイド刑事は良い人だ。食事に行くのは構わないが、そのロイド刑事がアオイに良く思われていないのは少し悲しい。

 そうだ。

 ロイド刑事をエーレルト邸の晩餐に招くというのはどうだろう。食事しながらじっくり話せば、アオイとロイド刑事もきっと仲良く出来るのでは……。

 ……よし。

 我ながら良いアイデアだ。

 俺は笑みを浮かべながら、ロイド刑事にうちに来て食事しませんかと返信しておく。

 アオイが帰ってきたら、説得しなくては。

 アオイ、まだ帰ってこないのかな。

 俺は携帯を脇に放り出した。

 ああ、自分でも上機嫌だというのは分かっているが……。

 柔らかなベッドの感触と気だるい疲労感が、俺を包み込んでいる。自然と瞼が重くなって来るのに、俺は耐えられなかった。

 目を瞑る。

 すっと意識が遠のく。

 アオイが帰って来ていないのに、このまま眠ってはダメだと一瞬思ったが、押し寄せる睡魔に抗うことは出来なかった。

 闇に落ちる前、携帯の着信音が聞こえた気がした。

 ロイド刑事だろうか。

 それともアオイ……?



「……ィル」

 まどろみの淵から、ゆっくりと浮上していく。

 俺を引き上げてくれるのは、聞き慣れた優しい声。そして優しく俺の体を揺する心地よい振動。

「ウィル。きちんと布団に入らないと、風邪をひくぞ」

 姉貴。

 姉さん……?

 俺はすうっと息を吐きながら、ゆっくりと目を開いた。

 目の前に、柔らかな微笑みを浮かべたアオイの顔があった。

 ぷすぷすと頬をつつかれる感触。

 ……む?

「ウィル。食事もまだだそうではないか。居眠りしていては、風邪を引く」

「……ん? ああ。アオイを待ってようと思って」

 俺は頬をつんつんしているアオイの手をそっと払い、目を擦りながら体を起こした。

 んっと伸びをしながら、ちらりと壁掛け時計を見る。

 小1時間ほど寝てしまったみたいだ。

 しかし、どしりと体が重い。

 寝たりないのか?

 ……それともまた風邪か?

 ベッドに膝を突いて俺を覗き込んでいたアオイが、改めて俺の隣に座り直した。

 アオイはまだ制服姿のままだった。

「会合、長かったんだな」

 俺はグリグリと目を擦り、深呼吸してから隣のアオイを見た。

「ああ。座っているだけの無駄な時間だよ。それが仕事でもあるのだけれど、な」

 仕事か……。

 ニヤリと笑ったアオイは、しかし直ぐに笑みを消した。そして真っ直ぐに俺の目を見つめる。

「しかし、会合の席で1つ、不穏な話を聞いた」

 アオイの真剣な声に、俺は表情を固める。

 何かぞくりと重苦しいものが、胸の奥で蠢いた気がした。

 ……嫌な予感がする。

「以前話した事のある、術式陣を構成する為の触媒。最近それを買い集めている動きがあるらしい」

 俺は目を見開く。

 眠気など、一瞬で吹き飛んでしまった。

 術式陣。

 そう聞いて思い浮かぶのは、術者の命と引き換えに発動される、事前検知不能の自爆術式陣だ。俺の仲間たちを、エストヴァルト駅では多くの人たちの命を奪ったあの……!

「アオイ、それは……」

 思わずアオイの方に身を乗り出し、何とかそう絞り出した俺の声は、少し掠れてしまっていた。

「落ち着くといい、ウィル」

 しかしアオイは、ふっと微笑みを浮かべる。

「そういう動きがあるというのは、魔術関連の品物を扱っている商人から聞いたのだ。会合の後捉まってしまってな。そもそもこれはオーリウェルでの事ではない。さらに買い集めているというのも、特定の人物や法人ではないそうだ。しかし……」

 アオイの懸念は良くわかった。

 その商人が言っているのは、魔術関連の市場全体を見た時に見えてくる動きという程度のものだろう。もちろんそれは、自爆術式陣や魔術テロとは関係ないものなのかもしれない。

 しかしもしも、もしも何者かが暗躍していたのなら……。

 アオイもあのエストヴァルト駅の惨劇の場にいたのだ。あんな事はもう起こしたくない。出来るなら防ぎたいという思いは俺と一緒の筈……。

 俺はアオイの目を見て、こくりと頷いた。

「軍警には報告しておく」

 しかし、それだけでいいのか?

 いや、ダメだ。

 俺も、俺たちも動かなくては……。

 禁呪。

 術式陣。

 ……そうだ。

「アオイ。俺たちはバルディーニ子爵に会いに行こう。もしかしたら何か情報が掴めるかもしれない」

 バルディーニ子爵へのアプローチは、色々な出来事があって後回しになってしまっていた。本来なら、夜会を利用して接触するつもりだったのだが……。

 不用意な接触は敵を刺激するだけだし、そもそもバルディーニが騎士団や魔術テロ、自爆術式陣に関わっているかも定かではないのだ。

 しかし、再び何かしらのテロ計画が動いているならば、そこに至る可能性のある道は、全て確かめておかなければならない。

「また協力して欲しい、アオイ」

 俺の言葉に、アオイは真っ直ぐな目でこちらを見返し、しっかりと頷いてくれた。

「すまない、ウィル。本来ならウィルに、こんな事は教えたくなかったのだが……」

 しかし直ぐに俺から目を逸らし、苦しげな表情を浮かべるアオイ。

 ……わかっている。

 聖フィーナでジゼルたちみんなと過ごしている時のように、アオイは俺に普通の少女で、妹でいて欲しいと思っているのだ。ヴァイツゼッカー公爵の言葉に思う所があったのも、そのためだろう。

 しかしそれでも情報をくれたのは、魔術犯罪や理不尽な暴力と戦う事こそが俺の望みだと理解してくれているから。そしてアオイも、そうしたものと戦う意志を持っている人間だからだ。

 だからこそ俺は、アオイを頼りに出来る。

 俺はこの頼もしい姉に、ふっと微笑み掛けた。

「ありがとう、アオイ」

 アオイがじっと俺を見る。そして……。

「ウィル……!」

「わっ!」

 小さく呟いたアオイが、突然俺に抱き付いて来た。

 俺たちは絡まりあい、そのままベッドに倒れ込んでしまった。

 アオイの良い香と柔らかな感触が、俺の上にのしかかってくる。

「ア、アオイ。苦し……」

「ウィル。ウィルは必ず私が守る。守ってあげる」

 俺はアオイの胸の中でもぞもぞともがく。

 守るって、それでは立場が逆転だ。

 ……アオイの方が強いのはわかっているけど。

「アオイ、取り敢えず離して……」

「ウィルは守る。……今度こそ」

 ふざけている様子はない。

 今度こそ?

 アオイの真剣な声。

「アオイ?」

 俺の問い掛けに応えるように、アオイはさらにぎゅっと俺を抱く腕に力を込めた。

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