Order:46
透き通った青空が広がる秋晴れの朝。
まるで古代神殿のように太い柱が幾本も並ぶオーリウェル中央病院の正面エントランスで、俺はその柱の一本にそっと背を預けていた。
アリシアやエマ、それにラミアを待っているのだ。
今日は、みんなで一緒にジゼルのお見舞いに行くことになっていた。
一昨日に発生した聖フィーナ学院学園祭の夜会襲撃事件。そのニュースが報道されると、俺とジゼルが夜会に参加している事を知っているアリシアたちから、直ぐに俺たちを心配する連絡が来た。
その際、ジゼルの状態については俺の方から説明しておいたのだ。
ジゼルの親友であるみんなには隠すべき事ではないし、現場にいた俺から良く説明しておいた方が良いと思ったからだ。
襲撃の翌日は市警での事情聴取や軍警への出頭などで忙しかったが、病院での検査結果からもジゼルの状態は問題ないとの知らせは来ていたので、後日みんなでお見舞いに行くことになったのだった。
秋の朝の淡い陽光が、動き出したオーリウェルの街並みにキラキラと降り注いでいる。銃声が響き渡るあんな事件が起こった事が嘘のように、いつも通りの穏やかで平和な朝だった。
そんな光景を何となしに見ながらみんなを待つ俺は、しかし先ほどから少々居心地の悪さを感じていた。
行き交う人達が、チラチラとこちらを見て来るのだ。
中には、隠そうともしない不躾な視線を向けてくる男たちもいた。
俺は今日も聖フィーナの制服姿だった。特段おかしな所はない筈なのに、なんで注目されてしまうのだろうか。
いつもと違う所と言えば、愛用のスパッツは穿いておらず、普段のアオイみたいに黒いタイツを穿いている点くらいだ。
どこからどう見ても、普通の学生姿の筈だが……。
俺は胸の下で腕を組んで、アリシアたちが早く来ないかなと辺りを見回した。
週明けの病院は混んでいる。トラムが中央病院前駅に停車する度に、沢山の人が流れを作って病院へと入って行く。市内最大の中央病院だけあって、やって来る人も多い。
そこで俺は、ふと閃いた。
そうか。
平日の朝から、こんな所に学生が突っ立っているのが奇異に映るのだ。
事件があったのは一昨日だが、今日も学校は臨時休校だった。
俺たちは休みでも、世間的には平日だ。朝から学生がうろうろしていれば、目立つのも当然だろう。
私服にしてくれば良かったかと思う。
しかし……。
俺は今朝、お屋敷を出る前の騒動を思い出してきゅっと眉をひそめた。
今朝、俺は思い切ってレーミアに今日着て行く服の相談をしてみた。
普段の俺は、特に着るものにはこだわりはなく、いつも用意してもらったものを着ていただけだった。しかし今日は、きちんと身なりを整えてみようと思い立ったのだ。
ジゼルのお見舞いと、他の用事も予定しているし……。
その、ちゃんと準備しておこうと……。
それを、アオイに見つかってしまった。
レーミアのアドバイスに従い服を選んでいるところを。
気恥ずかしさで愕然となったが、もちろんいつも冷静で落ち着いているアオイはそんな俺を冷やかしたりしない。
ただ嬉しそうに、レーミアと一緒になって俺のコーディネートを考えてくれただけだった。
……しかし。
やはり、慣れない事はすべきではない。
服とか髪型とかあれこれ考えたりいじられたりしているうちに、俺はだんだんとその恥ずかしさに耐え切れなくなってしまった。
結果、半ば拗ねるように、着慣れた聖フィーナの制服を選んでしまったのだ。
アオイは少し残念そうだったが……。
む。
むむむ……。
「ウィル、おはようございます」
「おはよ」
「おはよう、ウィルさん」
少し顔を赤くしながら回想にふけっていた俺は、不意に響いた3つの挨拶に顔を上げた。
いつの間に目の前には、アリシアにラミア、そしてエマが立っていた。
「あ。みんな、おはよう」
俺は気を取り直し柱から背中を離すと、コクリと頷いて挨拶した。
みんな、表面上はいつもと変わらないようだった。
あらかじめジゼルには大事がない事を伝えておいたからだろうか。
「大変でしたね。ウィルは大丈夫だったんですか?」
「ああ。問題ないよ」
心配そうにこちらを見てくるアリシアに、俺は微笑み返した。
「じゃ、じゃあ行きましょうか。その、早くジゼルに……」
エマがおずおずと声を上げた。
アリシアが頷き、俺も「うん」と返事する。
みんな笑顔を浮かべてはいるが、やはりどこか元気が無い様子だった。並んで歩き出しても、いつもより口数も笑顔も少ないような気もする。特にジゼルの一番の友達であるエマは、そわそわと落ち着かない様子だった。
やはりみんな、ジゼルが心配なのだ。
もしあの夜、ジゼルにもしもの事が起こっていたのなら……。
ジゼル自身だけではない。アリシアたち、いや、クラスのみんなや聖フィーナのみんなが、心に癒えない傷を負ったに違いない。
……よかった。本当に。
身近かな、大切な人を失う悲しみは、俺には痛い程良くわかる。そんな痛みなんて、もちろん知らない方が良いに決まっているのだ。
……やはり、ジーク先生には本当に感謝し切れないと思う。
俺は少し目を細め、唇をきゅっと引き結びながら、オーリウェル中央病院の正面入り口へ歩き出すみんなの背中を見つめた。
そこでふと俺は、視線を感じた。
隣を見ると、いつの間にかラミアが、いつもの無表情で俺の顔をじっと見ていた。
む?
「ラミア。みんなに置いて行かれるぞ」
俺は、尚もしげしげとこちらを見るラミアの背を押して、みんなの後を追いかけた。
オーリウェルでも随一の規模を誇るオーリウェル中央病院の内部は、むっとするほどの暖房の熱気と病院独特の薬品の匂いで満ちていた。老人たちや具合の悪そうな人たちで大混雑している外来受付を抜けて、俺たちはジゼルのもとへと向かった。
エレベーターに乗ってジゼルの病室がある6階に到着すると、そこは1階の受付とは正反対にしんと静まり返っていた。
白い天井に手摺りがついているだけの無機質な壁。行き交う看護婦さんたちの足音やカートの音だけが響いている。ときどき響く医者の先生を呼び出す館内放送に、少しびくっと驚いてしまう。
清潔な白い空間に、何故か重苦しさを感じてしまう。
俺たちは黙々、と事前に教えてもらっていたジゼルの病室番号を探した。
この病院独特の雰囲気は、最近にも感じた覚えがある。俺が今のこの姿になって初めて目が覚めたのも、この病院なのだ。
廃工場の戦いの後、俺がこの病院に運び込まれたのは、まだそれ程前の事出はない筈なのに、もう随分昔の事のように思えてしまう。
「でも本当にびっくりしました。学校であんな事があるなんて……」
「……本当、よね」
「でも学校はお休み」
アリシアの囁くような声にエマが頷き、ラミアがぼそりと応えた。
「ラミア、喜ぶところじゃないぞ」
俺は苦笑しながら、廊下の角を曲がった。
ちょうどその先に、壁面に設置された大きな鏡があった。
その鏡にふと目が留まる。
可愛らしい細工の入ったバレッタで髪をまとめ、ヒラヒラと短いスカートを揺らす女学生姿の俺。アリシアたちの中に混じっていても、何の違和感もない。突然こんな姿になってしまい、レインの持って来た女物の服に戸惑いながらこの病院を出たあの頃からすれば、想像もできない姿だ。
俺は変わってしまった。
改めてそう思う。
あれほど毛嫌いし、憎んでさえいた魔術を、学ぶべきかと悩んでいる自分がいる。
それくらい変わってしまったのだ。
そう。
魔術犯罪や理不尽な暴力から誰かを助ける事が出来るなら、魔術を学ぶ事もあり得る選択肢の1つだと俺は考えていた。
今日、ジゼルのお見舞い以外に予定しているもう一つの用事。
それは、ジーク先生と会う事だった。
あの夜提案された通り、魔術について話を聞いてみるために。
俺は髪を掻き上げて耳に掛けながら、そっと溜め息を吐いた。
ジーク先生。
魔術。
ドキリと胸が高鳴る。
……俺は、少し緊張している。
「ありました。ここですね」
ジゼルの病室に到着すると、アリシアが静かにノックした。扉を開くと、少し狭いながらも清潔な個室が広がっていた。
「あ、みんな!」
その病室に、ジゼルの明るい声がぱっと響く。
「ジゼル!」
「ジゼルさん!」
エマが一番にベッドに駆け寄り、アリシアがそれに続いた。
ジゼルは病室に似合わず元気そうだった。もはや入院着でもなく、学校の制服のシャツにスカート姿でベッドに腰掛けていた。
「もう大丈夫なのか、ジゼル」
俺もベッドサイドに歩み寄った。
「あ、ウィル。うん、大丈夫だよ。ただ検査の為に入院してただけだし、今日で退院して良いんだって」
ジゼルはぱっと明るく微笑むと、これから家の人が来て退院手続きをしてくれていると声を弾ませた。
「良かった、ジゼル。本当に」
エマの声は少し震えていた。
「お花を持って来たのですけど、退院のお祝いになってしまいましたね」
安堵の笑みを浮かべるアリシアの隣で、ラミアがコクコクと頷いていた。
「みんな……。本当にありがとね。いやぁ、びっくりしたよー」
ほんのりと頬を赤くしたジゼルが、照れ隠しをするようにはははっと大袈裟に笑った。
「聞いて、聞いて。凄かったんだよ」
少ししんみりとしてしまった空気を打ち払うように、身を乗り出したジゼルがあの夜の出来事を話し始めた。
ホールの前で、状況偵察に向かった俺と別れたジゼルたちは、アオイや大人たちの誘導でホールの中に退避する事になった。
しかしそこで、ジゼルは調理場や使用人スペースにいるみんなにも危険を知らせないといけないと思い立った。
突然の襲撃に混乱する周囲から抜け出してジゼルは調理場に向かったが、そこで侵入して来る襲撃犯たちと鉢合わせしそうになってしまったのだ
とっさに調理台の下に身を隠し、じっと息を殺していたジゼル。そこに俺の声が聞こえ、飛び出してしまったという訳だ。
「まったく、無茶をするな」
俺は苦笑いと共に大きく息を吐いた。
「それは、お互い様。ドレス姿で怖い人たちに向かっていくウィルも同じでしょ」
ジゼルが唇を尖らせると、アリシアとエマが苦笑を浮かべながら小さく頷いた。ラミアはまた、うんうんと大きく頷いている。
まぁ、それが俺の仕事でもある訳で……。
「でも、あたしを治して……ん?」
何かを言いかけたジゼルが、突然眉をひそめた。
「あれ、ウィル……」
大きな目で、じっと俺の顔を凝視する。
「ウィル、今日はもしかしてお化粧してる?」
む。
俺は、はっと身を固くした。
えっと……。
アリシアとエマも俺の顔をじっと見る。
むむっ。
ラミアだけがやはり、うんうんと大きく頷いていた。
「いつもは化粧っ気のないウィルがどうしたの?」
「やっぱりそうだ。可愛い。うん。可愛い。みんなの視線独り占め」
ジゼルが顔を輝かせ、ラミアが俺に向かって親指を立ててくる。
俺はうっと言葉に詰まって、数歩後退った。
「いや、そ、その……」
……と、特別な事なんて何もない。
今日はジゼルのお見舞いだし、それに人に会う用事だってある。
あの、ジーク先生に、だ。
服装と同様に、ただ身なりをキチンとしようと思っただけなのだ。
化粧の事は良くわからないから、やはりレーミアにそっとお願いしてみたのだ。淡い色の口紅みたいなものとかパフパフとか、軽く塗られただけなのに、そんなにわかってしまうものなのだろうか。
「ウィル、良いよー」
ニカッと笑うジゼル。
ジゼルの事から、話題はあっという間に俺の話になってしまった。
アリシアが上品に笑い、ラミアがぼそりと冗談を挟んで来る。病室の中だというのに、俺たちはあっという間にいつもの教室にいる時のような空気に包まれていた。
「そうかー。ウィルもとうとう色気付いたかぁ」
「そうなんですか?」
「ウィルのお相手はエーレルトさま」
「えっ、そうなのラミア!」
エマが期待に目を輝かせながら俺を見つめる。
俺はぶ然としながら、みんなの好奇心を何とか逸らそうと試みる。
確かに俺が化粧とか服の事をお願いしたら、レーミアも少し驚いていた。アオイは良い心掛けだと喜んでくれたが……。
病室の中に、少女たちの笑い声が賑やかに満ちる。
あの夜の襲撃の事も含め、学園際や学校の事、ファッションやテレビの話など、俺たちは取り留めのない話を繰り返した。
エマとラミアはベッドに座り込み、俺とアリシアは丸椅子に落ち着いていた。気がつくと、驚くほど時間が経過していた。
「でも、ウィルならモテそうよね。かっこいいし、可愛いし」
「彼氏なんて、まだ早いのではないですか?」
「アリシア……」
結局はこんな話題になってしまうのだが……。
そこで不意に、ノックの音が響いた。
「随分と賑やかだな」
続いて、凛とした声が涼やかに響く。
俺たちが一斉に入り口の方を向くと、腕組みをしたアオイが柔らかな微笑を浮かべてこちらを見ていた。
「エーレルトさま!」
思わずジゼルが声を上げた。
アオイは俺と同じ聖フィーナの制服姿で、白のコートを手にしていた。その手には、大きな花束も握られている。
「退院おめでとう、ジゼルさん」
アオイがカツっとローファーの踵を響かせてベッドサイドに歩み寄った。花束の甘い香りが、ふわりと漂った。
ジゼルたちみんなは、先ほどまでの和やかな空気もどこへやら、急なアオイの登場に緊張してしまった様だ。少し、表情が硬くなっていた。
俺はアオイとそっと視線を交わして、微かに頷き合う。
今朝はお屋敷を一緒に出た俺とアオイだったが、アオイには他に用事があったので、別行動を取っていたのだ。
エストヴァルト駅での魔術テロや、今回の夜会襲撃事件といった大きな事件が続発している事を受けて、アオイを含めたオーリウェル市の有力者たちの間で緊急会合があったらしい。
アオイが伯爵様だという事はわかっているが、そういう会議に出なければならない身分だということを目の当たりにすると、改めて少し驚いてしまうが……。
アオイもジゼルの見舞いがしたいと言っていたので、その会合が終わり次第こちらに合流する事になっていたのだ。
「ジゼルさん。大事がなくて何よりだ」
ふわりと微笑むアオイ。
「はい! ありがとうございます!」
畏まるジゼル。
その様子を見て、俺はふふふっと笑ってしまった。
「ところでウィル」
アオイが笑顔のまま俺を見る。
む?
「先ほど話していた彼氏とか何とかというのは、何だろうか?」
ルーベル川から吹き上げる風は、季節相応に冷たかった。しかし、昼下がりの日差しに当たっているとぽかぽかと暖かく、長い坂を登って体が温まって来たのも相まって、まさにお散歩日和といった気候に思えて来る。
ジゼルのお見舞いを終えた俺とアオイは、アリシアたちと別れると、そのままオーリウェルの街に出た。
オーリウェル中央病院のある新市街から、トラムに乗って川を渡ると旧市街へ。ルヘルム宮殿のある川岸地区を抜け、俺のアパートメントがある丘陵地前でトラムを降りた俺たちは、その丘を登る道をのんびり歩いていた。
俺の右隣を歩くアオイは、足取りも軽く上機嫌そうだ。
ジゼルの病室で、アオイは少し疲れたような顔をしていた。みんなは気が付かなかった様だが。
話を聞いてみると、どうやら午前中の会合に辟易してしまった様子だった。
しかし、俺が、お見舞いの後2人だけで昼食に行かないかと誘って見ると、一瞬驚いた顔をしたアオイは、みるみる内に笑顔になった。俺が提案した店へも、マーベリックの車ではなく、たまには徒歩とトラムでのんびり行こうと言い出すほどに、上機嫌になったのだ。
旧市街の古い建物の間。柔らかな日差しが降り注ぐ石畳の通りは、やがて川面に向かって開けた坂道となって丘を登って行く。
誰かの笑い声と微かに車の音が聞こえるだけの静かな昼下がりの下町。
この丘を越えて、そしてまた坂を登った先が俺とソフィアの家がある場所なので、俺にとってこの辺りは勝手知ったる地区だった。
しかしアオイは、キョロキョロと景色を眺めながら楽しそうに微笑んでいた。
柔らかな風が吹き抜ける。
俺は髪を押さえ、アオイは気持ちよさそうにうんっと手を伸ばした。
「しかし、ウィルからお誘いしてくれるとはな」
アオイが俺を見た。
「そんな上品な店じゃないけどな。実は、アオイに相談があって。その、話を聞いて欲しくて……」
俺はチラチラと隣のアオイを窺いながら、そう切り出してみる。
「何だ、改まって。ウィルの相談なら、いつでも聞くぞ。もっと姉を頼るといい」
ふっと微笑むアオイ。
俺は照れ笑いとも苦笑とも言えない微笑みを返しておく。
アオイに相談したい事。
それは、ジーク先生と魔術の習得の件についてだ。
今回の夜会襲撃事件で、俺はジゼルを救えず、ジーク先生の魔術によって救われた。
今回のように魔術という力によって誰かを守り、救えるなら、魔術を学ぶことも必要なことではないか。
俺には今、そう思えていた。
もちろん、俺には魔素の適性などないと思っている。ジーク先生は俺には魔術が使えるというような事を言っていたが。
俺は、魔術について知らなさすぎる。
もちろん軍警でも魔術については学んで来たが、それはあくまでも魔術師と対する為の知識だ。
だから俺は、魔術に触れる前にまず、アオイに相談しておこうと思ったのだ。
何しろアオイは、俺の身近で最も強大な魔術師にして、頼りになる姉……みたいなものなのだから。
石畳の上をゴトゴトとタイヤを鳴らして車が通過して行く。丘を登りきり、少し行った先が目的の店だ。
川へと下る斜面に立てられた小さな店は、小柄な老夫婦が経営している食堂だった。
何料理専門店でもない。ごく普通の家庭料理が出てくる食堂だが、味は良い。以前はよく休日に、自転車でここに来ていたものだ。
「いらっしゃい。あら、可愛らしい学生さんたちね」
店に入ると、小柄で品の良さそうな銀髪のお婆さんが迎えてくれる。随分とお昼を過ぎていたからだろう。店内には3人の年配客がいるだけだった。
「おばさん。久し振りです。いつものテラス席は空いてますか」
俺がペコリと頭を下げてから挨拶する。まとめた髪がふわりと揺れた。
お婆さんは俺の挨拶を聞いて、一瞬疑問符を浮かべた。しかし直ぐに笑顔で、俺たちを裏庭のオープンテラス席へと案内してくれた。
「すごいな」
裏庭に出ると、アオイがそう呟いた。
俺がこの店で気に入っているポイントは、料理だけでなくこの裏庭からの眺望もあるのだ。
幾つもの屋根がルーデル川に向けて連なる旧市街。建物の間にルヘルム宮殿の丸屋根も見える。そして輝くルーデル川の川面。その向こうの新市街と、オーリウェルの街の先に広がる幾つかの山。それに、どこまでも広がる青空と、天高く張り付く薄雲の筋。
その景色が、何者に遮られる事もなく一望出来るのだ。
素晴らしい景色だが、裏庭のテラス席にも客はいなかった。
大事な相談をする上で、今はこの方が好都合だ。
俺とアオイは席につくと、オススメのランチメニューを注文した。
いきなり本題には入らず、この店の話から、以前の俺がどんな風に休日を過ごしていたかを話していると、あっという間に料理が運ばれて来た。
木製のボール一杯のサラダ。それに手作り感溢れる黒パン。シンプルなオニオンスープからは食欲をそそる湯気が立ち上り、メインは鮮やかな焼き色の付いた川魚のムニエルだった。
俺たちは料理の味に頷き、笑い合いながら、もぐもぐと口を動かした。こんなに近くで面と向かい合い、2人だけで食事をするのは、久し振りかも知れない。
料理も随分となくなった頃。
俺は少し逡巡してから、思い切って本題を切り出す事にした。
「アオイ。あの、相談の件だが……」
恥ずかしい。
あれだけ魔術は嫌いだ。魔術師は敵だと言っていた俺が、いまさらこんな話をするなんて、きっと呆れられるに違いない。恥知らずだと思われるかもしれない。
それでも……。
俺は少し目を逸らしてから、しかし思い切って正面からアオイを見つめた。
「何だ。彼氏云々の話なら聞かないぞ」
アオイが少し首を傾げて微笑む。
「アオイ。今回の事件で思ったんだ。魔術犯罪を防ぐにも、誰かを守るにも、今の俺は力不足だ。だから……」
俺はそっと一息吐く。
「だから、俺も魔術を学ぼうと思う。新しい力を得たいと思う。アオイみたいに」
俺に魔術が使えるだろうかという問いではなく、学ぶと言ってしまった自分の言葉に、俺自身がはっと驚いてしまった。
しかし。
それが俺の、今考えている事なのだ。
「どうだろう。アオイにも、色々と、その、教えて欲しいんだ……」
最後はやや尻すぼみに、俺はそう言ってしまった。
俺はそっとアオイの顔を窺う。
アオイの顔から、笑顔が消えた。
手にしていたナイフとフォークをカチャリと置いて、アオイはナフキンで口元を拭った。
沈黙。
鋭い眼光が俺を射貫く。
それは、先ほどまで楽しそうにお喋りに興じていた姉さんの顔ではなかった。
レディ・ヘクセ。
強大な魔術師。稀代の魔女であるアオイの顔だ。
「ダメだ」
一言。
反論する余地も異論を挟む余地もなく、アオイはそう言い切った。
「しかし、アオイ……」
「ウィルが魔術に触れる事は、私が許さない」
冷え冷えとした刃の様に鋭い声。
俺は、ドキドキと胸の奥が震えているのがわかった。
「魔術テロを防ぎたい。それがウィルの望んだことならばと思い、私も協力して来た。そのためならば、銃を手にする事も目をつむろう。それがウィルの選んだ道ならば。だが……」
アオイは少しだけ目を瞑り、また俺を見る。
「魔術だけはダメだ。絶対に」
アオイの声からは、微かに怒気すら感じられた。アオイは、何かを押し堪える様に、必死に無表情を保とうとしている様だった。
その下に隠された感情は、何なのだろうか。
俺は何かを言い返そうとして、しかしアオイのその迫力に気圧され、言葉が出てこなかった。
昼下がりの静かな裏庭に、気まずい沈黙が凝る。先ほどまでの穏やかな雰囲気が嘘の様に。
アオイ……。
俺は……。
ご一読、ありがとうございました!