Order:44
煌びやかな装飾と華やかな空気に包まれた聖フィーナ学院旧講堂に、その雰囲気には似つかわない匂いと不穏な煙が満ち始める。
スモークグレネード。それに、硝煙の臭いだ。
それは、髪を結い上げたうなじがピリピリとするような殺気の臭いでもあった。
俺は、踝まで沈んでしまいそうな絨毯の上に真紅のドレスのスカートを広げながら姿勢を低くする。そして目と耳に意識を集中して、周囲を窺った。
前方から、何者かが争う音が響いてくる。
続いて、銃声。
この音は恐らくは9ミリ弾。ハンドガンだ。
連続する射撃音。
こちらは、アサルトライフルか……?
一瞬、軍警の部隊が突入して来たのかと考えてしまう。
「うおらぁぁ!」
「と、止まれ……!」
怒声が響く。
近い。
警備と襲撃犯の声か。
しかし、軍警や正規の部隊ではなさそうだ。
訓練を積んだ部隊は、機械のように自動的に対象を制圧する。無駄な叫び声を上げて相手を威嚇するような事はしない。
襲撃者は銃器で武装しているようだ。
何者だ?
目的は何だ?
俺は眉を潜めて前方の白煙を注視する。
貴族や学院生徒が集まる夜会への襲撃。魔術師もいるが、一般人だって沢山いる。これは、どういう状況なんだろうか。
いや……。
俺は一瞬だけキュッと目を瞑り、軽く首を振った。まとめた髪がはらりと揺れる。
思考を切り替える。
今は、余計な事を考えている場合ではない。近接戦闘は積み重ねた訓練と経験による反射行動だ。雑念は命取りになる。集中して状況に対処しなければならない。魔術師たちはまだしも、ジゼルやレーミア、学院の皆を危険にさらしたくない。
取り敢えず一端戻り、アオイたちと合流するか。銃器で武装した者たちによる襲撃だという事を、皆に伝えなければ。
そう思った瞬間、どたんっと重々しい音が俺のすぐ近くで響いた。
突発の事態に備え、俺は全身をたわませる。
その俺の眼前に、白煙を突っ切って男が倒れ込んで来た。
濃紺の制服。
市警じゃない。
会場の警備員だ。
腕か脇腹か、その制服は、溢れる血でどす黒く変色していた。
警備員は動かない。
くっ……。
その場から離れようとした刹那。
「おおらぁぁぁ!」
スモークグレネードの白煙の向こうから、男が踊り出して来た。
カーキの上着にチェストリグ。骸骨がプリントされた覆面。そしてその手には、アサルトライフルが握られている。茶色のハンドガードと大きなバナナ型弾倉。まるでPMCの様な出で立ちだ。
男は倒れた警備員に向かって、そのアサルトライフルのストックを振り上げる。しかし同時に、その傍らにうずくまる俺を見てぎょっとした顔をした。
一瞬、目が合う。
俺はキッと男を睨み付ける。
足のバネを使って跳ね上がるように踏み込んだ俺は、一気に男の懐に飛び込んだ。
「女ぁ?」
素っ頓狂な声を上げているだけの男の腕とアサルトライフルを掴むと、俺の側に引き付ける。突然の事にバランスを崩した男の足にヒールを叩き付け、そのままくるりと打ち倒す。そして、その手からライフルをもぎ取った。
素早くコッキングレバーを引いて一発排莢し、新しい弾を装填する。奪ったそのライフルの銃口を、俺はぴしゃりと男の眉間に突きつけた。
ドレスから剥き出しの俺の肩に当たるライフルのストックは、ざらざらとしていて、ひんやりと冷たかった。
「何者だ」
俺はなるべく低く、ドスを利かせて詰問する。
しかし、打ち倒された男はへへっと軽く笑っていた。
「お嬢ちゃん、強いな。そのドレス、ここの参加者だろ。やっぱり今のも魔術か?」
む。
俺は憮然として眉をひそめた。
何だ、こいつは。
声は若い感じだが、素人か?
「マイク、ジジイは仕留めたのか!」
煙の中から別の男の声がした。
「魔術師だ! 女魔術師がいるぞ!」
それに応えるように、俺の足元に倒れた男が叫んだ。
やはりこいつら……。
俺は足元の男は無視し、スカートを膨らませて飛び退いた。そして倒れた警備員からハンドガンを回収すると、男に銃口を向けて警戒しながら撤退する。
それと同時に、フルオートで放たれるアサルトライフルの発砲音が聞こえた。
……やはり。
奴ら、撃って来た。
俺の傍らの壁に弾痕が走り、壁材が飛び散った。
俺は姿勢を低くして走る。
仲間の存在などお構いなしの射撃だ。味方誤射もいとわないような。
装備は立派だが、動きや言動がどうも素人な感じだ。
……素人集団なのか、それとも味方の命などお構いなしの決死隊なのか。
いずれにせよ、この旧講堂が、銃器で武装した集団に襲撃を受けているのは事実なのだ。
ここは軍警と連絡を取り、応援を呼ばなければ……。
あるいは市警か。
そういえば、昼間ロイド刑事を見た事を思い出す。
胸の奥から溢れてくる重苦しいものに、自然と俺は唇を噛み締めていた。
エストヴァルト駅での魔術テロの現場や、ディンドルフ男爵邸での悲惨な戦闘現場が脳裏を過った。
……あんな悲しい事には、ならないといいが。
ドクドクと早鳴る胸の鼓動を感じながら、俺はライフルを握る手に力を込めた。
夜会の主会場であるホール前の人だかりは、アオイたちが誘導してくれたのだろうか、既になくなっていた。恐らくホール内に退避してくれたのだろう。
敵の規模がわからない内は、無秩序に逃げるのは危険だ。犠牲を増やすだけだ。もっとも、夜会の参加者の大半は魔術師だ。武装しているとはいえ、先ほど遭遇した練度の低そうな襲撃犯ならば、遅れを取るとは思えないが……。
レーミアやジゼルの顔が脳裏をよぎる。
無事だといいが……。
アオイも……。
俺はいつでも銃口を振り上げられるようにライフルを片手で保持しながら、もう片手でゆっくりとホールの扉を開いた。
少し隙間を開けた瞬間、大音響が溢れ出す。
防音処理されたホールの中を満たしていたのは、優雅なダンスの曲などではなかった。
激しい銃撃音と怒声だ。
「死ねっ、魔術師ども!」
「このテロリストがっ!」
「エストヴァルト駅の恨み、仇をとってやる!」
ドキリとした。
これは襲撃犯か?
俺は銃把を握りしめながら眉をひそめる。
……奴らの目的は報復か。エストヴァルト駅を襲った魔術テロへの。
憎しみの連鎖。
そんな言葉が自然と思い浮かぶ。
眩暈がするような気がした。目を瞑ると、世界がぐるぐると回っていて、立っていられなくなるような……。
俺は、はっと短く息を吐いて、少しだけ開けた隙間からそっとホールの中をのぞき込んだ。
調理場へ繋がる使用人用の通路の前に、テーブルやカートを積み上げた即席のバリケードが作り上げられていた。そのバリケードに身を隠しながら、襲撃犯たちが猛烈な射撃を行っている。
見たところ、10人近くはいるかも知れない。
対して夜会の参加者達は、ホールの奥の角、楽団の席の近くに固まっていた。何人かの若い参加者が前に出て、協力して防御場の魔術を展開しているようだった。
個人の携行火力では突破の難しい防御場。それも貴族級魔術師が複数で展開している。
防御の心配はなさそうだ。
「死ねっ、魔術師ども!」
「お前らみんな、ぶち殺してやる!」
一方的に、襲撃犯たちの声だけが響いて来る。
その声には、かたき討ちをしているような鎮痛な響きや悲壮感はなかった。それよりも、一方的に暴力を振りかざす者たち特有の愉悦のような物が滲んでいた。
……違う。
俺は、胸の底から浮かび上がってくる静かな怒りを感じていた。
テロへの報復。
理不尽な力への反抗。
それは理解できる。もしかしたら、昔の俺ならば、奴らの行動に理解できる部分を見い出せたかもしれない。
しかし貴族級魔術がテロリストとイコールではないし、ここには魔術師でない人間も沢山いる。魔術テロへの報復だからと、無関係な人たちを巻き込んで良いなんてことがあろう筈がない。
魔術師と魔術を即座に悪と断じる事は、安易で軽率な考えだ。
真に断罪されるべきは、別にいる。
あのディンドルフ男爵邸の屋上に立つ甲冑の姿……。
襲撃犯たちが行っている事は、あの甲冑と同じ様に、ただの犯罪行為だ。
俺にはそれを、許しておくことなど出来ない。
しかし。
俺は、目を細めながら襲撃犯たちを窺う。
襲撃開始から短時間で、これだけの数に浸透されてしまっている。夜会には土地の有力者や政界関係者も参加している。警備体制はそれなりのものだった筈だが……。
あるいは関係者の中に内通者がいたのかもしれない。
いずれにせよ、軍警とコンタクトを取りたいが……。
俺は自分の格好を見た。
サラサラした生地の真っ赤なドレス。
もちろんポケットなんかもなくて、俺の携帯電話は控え室に置きっぱなしだった。
うう。
警備員から回収したハンドガンも腰の飾り布の部分に無理やり引っ掛けているが、銃自体の重みで落ちてしまいそうだった。
俺は、もぞもぞとそれを直す。
それに疑問なのは、アオイも含めた魔術師たちの側だ。
先ほどから防御場を張るだけで、反撃していない。
アオイが以前使用していたような眠りの術式ならば、瞬時に襲撃犯を無力化出来るだろうに……。それに、アオイの他にも手練れの魔術師はいる筈なのだが。
ホールに突入してアオイたちを援護するか。まずは外部へ連絡を取りに行くか。
俺が微かに逡巡した瞬間。
襲撃犯たちの陣営が、にわかにざわついた。
射撃をしていた数人が後退し、変わりに別の男が使用人通路の奥から現れた。
俺は息を呑む。
その男の肩に担がれていたのは、ペンを巨大化したようなシンプルで無骨な兵器。
「RPG!」
対戦車ロケット弾だ!
まずい。
銃撃という点の攻撃に対しては強い防御場の術式だが、榴弾での攻撃には弱い場合がある。結節点もろとも、面で薙払らわれてしまうからだ。軍警の対魔術マニュアルにも、防御場対策として、グレネードの使用が推奨されている。
くっ……。
撃たせるわけにはいかない!
俺は体当たりするかのように扉を押し開くと、ホールの内部に突入する。
襲撃犯と参加者たちの一部が、ぎょっとしたようにこちらを向くのがわかった。
俺はスカートを広げて片膝立ちの姿勢をとると、奪ったアサルトライフルの銃口をRPGを構える男に向けた。
使い慣れない長大なライフルは、随分と重く感じてしまう。
狙う。
照準器の向こう……!
トリガーを引く。
2連射。
7.62ミリ弾の普段よりも重い反動が、俺の体を突き抜ける。
ぱっと赤が散る。
RPGを構えた男が倒れた。
しかしその向こう、別の男がさらにRPGを構えているのが見えた。
まだ……!
そちらも狙う。
しかし、そう何度も簡単に狙撃させてはもらえない。
襲撃犯たちの銃口が一斉にこちらを向き、俺へと銃撃を浴びせて来た。
地を這うような低い姿勢で、スカートをひるがえし、俺は走る。
襲い来る銃弾の駆け抜けながら、反撃を加える。
煌めくマズルフラッシュ。
2発ずつ連射し、襲撃犯を狙い撃つ。
「アオイ!」
叫びながら、再びRPG持ちに照準する。
トリガー……!
反動が大きい。
当たらない!
俺が放ったライフル弾が、ターゲットの近くに着弾する。
「くっ!」
まだ!
さらにトリガーを引く。
その時、盛大なバックブラストと発射煙を吹き上げて、ロケット弾が放たれた。
しかし頭でっかちな弾頭のロケット弾は、防御場を張る魔術師たちに向かって直進しなかった。
間一髪俺の銃弾が、射手の体勢を崩していたようだ。
噴煙を巻き上げたロケット弾は、そのまま天井の隅に突き刺さる。
建物全体が震える。
華美な装飾が無残にも破壊され、破片が雨のようにばらばらと散らばった。
照明が明滅し、シャンデリアが軋みながら激しく揺れていた。
だが、敵の攻撃はまだ終わらない。
俺が最初に倒した男のRPGを、別の男が取り上げて構えようとしていた。
俺は手早くそいつを撃ち倒し、牽制の銃撃を加えながら参加者たちの集団に向かって走った。
敵の猛烈な銃撃が襲い来る。
精度は悪くても、数の多さは如何ともしがたい。
膨らんだドレスのスカートが、銃弾に切り裂かれた。
くっ……。
太ももに焼けるような痛みが走った。
かすった……!
「ウィル!」
その時、前方の参加者たちの集団から声が響いた。
敵に向けて応射しながら、俺はそちらを一瞥する。
押し止めようする周囲の手を振り払って、夜会参加者たちの中から黒いドレスのアオイが飛び出して来るところだった。
アオイが、尚も押し止めようとして来る他の参加者たちの腕を打ち払う。
そして黒髪をひるがえし、カツンとヒールを響かせて立つと、細くしなやかなその腕を襲撃犯たちに向かってかざした。
「眠れ。深淵、久遠。暗転。正鵠の光」
アオイの詠唱に合わせて、ビシリと空間が歪んだ。
銃撃が止んだ。
「な、何だ、これ!」
「わ、うわぁぁ!」
「う、撃てっ!」
襲撃犯たちは、透明の檻に捕らわれてしまったかの様だった。何もない空間に銃弾が弾かれている。そこにまるで、見えない壁があるかのように。
襲撃犯たちが壁を叩いたり、ライフルのストックを叩きつけたりする。こちら見れば、まるでパントマイムをしているかのようだった。
先ほどまで勇ましい雄叫びを上げていた襲撃犯たちの声が、だんだんと悲鳴に変わって行く。
透明の檻が徐々に縮まっている様だった。
だんだんと奴らの声が聞こえなくなる。
襲撃犯たちが周囲に向けて無差別に発砲する。その銃声も聞こえない。しかも、区切られた狭い空間内で放たれた銃弾は、跳弾し、襲撃犯たち自身に突き刺さる。
血の赤を広げながら勝手に自滅していく襲撃犯たち。
誰かが「ひっ」と短く悲鳴を上げるのが聞こえた。
俺はこの隙に、防御場の展開されている内部に転がり込んだ。
「ウィルさま!」
「アーレンさん!」
すぐさまメイド服姿のレーミアと、ドレス姿の生徒たちが数人、駆け寄って来てくれた。中には、涙目になっている子もいた。
レーミアが俺の傷の具合を診てくれようとするが、俺はそれを押し止め、アオイに駆け寄った。
傷は大丈夫。
かすり傷だ。
それより……。
襲撃犯を取り囲む檻は、ますます小さくなっていた。
襲撃犯たちはボールのように丸く一塊にされ、既に動く事も出来なくなっていた。
「アオイ、無力化出来ればそれでいい」
俺はそっとアオイと肩に触れる。
まるで物でも見るかの様に冷たい目で襲撃犯たちを睨んでいたアオイが、俺を見た。
俺を捉えた目が大きくなる。一瞬にしてアオイの顔は安堵にほころぶと、頬にはさっと朱が差した。
「エーレルト伯。もう止めなさい」
背後から重々しい声がする。
振り返ると、白髪に曲がった腰の燕尾服姿の老人が、鋭い目でこちらを見ていた。どこかの重鎮なのだろうか、学院長先生に付き添われていた。
アオイがそちらを一瞥し、一瞬厳しい顔をする。しかし一瞬の間の後、ふっと息を吐くと、かかげていた腕を一振りして術式を解除した。
襲撃犯が解放される。
どたりと重い音をたてて、襲撃犯たちが床に落ちた。自らの銃撃の跳弾と見えない檻の圧力で、襲撃たちのほとんどが行動不能になっていた。
「ぐっ、ま、魔術師め……」
「ひ、ひひ……」
「逃げろ、逃げるんだ」
しかし3人ほどまだ動けた様だ。足を引きずりながら鈍い動作で、使用人通路の奥へと逃げようとしていた。
「ウィル。大丈夫か!」
アオイがぱっと俺を抱き締める。
甘い香りと温かで柔らかな感触に包まれて、俺は戦闘で高ぶった心がそっと落ち着いて行くような気がした。
「すまない。援護が遅くなってしまって……」
沈痛な響きのアオイの声。
「大丈夫」
俺はゆっくりとアオイの抱擁を解いた。
「それよりも俺は、逃げた奴らを制圧する。アオイはみんなを頼む。旧講堂全体が襲撃されている様なんだ。別動隊がまた仕掛けて来るかも知れないから」
「ウィル……」
アオイが眉をひそめて俺を見た。
ホールへの襲撃は撃退出来ても、学園祭を行っている聖フィーナには他にも生徒たちや一般参加者たちが沢山いる。彼らに危険が及ばないようにしなければ……。
警察が、味方部隊が到着するまでは、俺が何とかしなければならない。
「もし通報がまだだったら、頼む。軍警なら俺の名前をだしてくれ」
俺はアオイに顔を近付けて呟いた。
それから手元のライフルを見る。
ボルトが中途半端な位置で止まり、弾丸がおかしな位置で詰まっていた。粗悪品なのか、整備がきちんとされていないのか。弾倉を外して確認してみると、弾はもう残っていなかった。
俺はコッキングレバーをガチャガチャ操作してジャムった弾丸を取り除くと、薬室内に弾が無いのを確認する。そしてライフルを床に置き、代わりにハンドガンを抜いた。
先ほどの激しい動きにも、落とさずに済んだ様だ。
弾を確認する。
少し心許ないが……。
俺が弾倉を戻し、ハンドガンを構えた瞬間。
「待ちなさい」
重々しい声が再び響いた。
振り返ると、先ほどアオイを制止した燕尾服姿の老人が、杖を突きながら俺たちに近付いて来るところだった。
「ヴァイツゼッカー公爵さま」
アオイが呟き、小さく頭を下げる。
俺もアオイに倣う。
ヴァイツゼッカー公爵……。
どこかで聞いたような……。
「エーレルト伯。そしてそこの娘。これ以上の反抗は控えよ」
重々しい声が響く。衰えた感じはしない。むしろ、聞く者を無条件で従わせるような力強さのある声だった。
「公の場で、我ら尊き血脈の者がこれ以上力を振るうのは好ましくない」
老人の発言に、俺は眉をひそめた。
尊き血脈とはアオイたち貴族級魔術師の事だろうが、先ほどのアオイの攻撃は、俺を、みんなを守るためのものだ。
やり過ぎ感はあったが、非難されるべきものではないと思う。
それに、このまま襲撃犯を放置することは出来ない。
「襲撃犯は制圧いたします。みなさんはどうか、ここで待機を……」
「動くな、と言った」
俺の言葉を、公爵は冷たく遮った。
「あれは、左翼の過激派だ。我らの力を行使するまでもない下賤の者だ。気安く相手をすべきではない」
俺を射竦めるようなギラリと光る公爵の眼光。
俺はお腹に力を込めて何とか睨み返すが、内心ではなるほどと納得していた。
……そうか。
奴らのあの武装。
極左の過激派組織か。
旧貴族たちの身分や、そもそも人を平等に規定出来ない魔術という力そのものを完全に否定する輩だ。魔術師だけでなく現状の国家システムも否定し、武力闘争を行っている。そうなると、エストヴァルト駅での魔術テロへの報復というのも、奴らにとっては貴族勢力排斥の口実に過ぎないのだろう。
……くっ。
俺はきゅっと拳を握り締め、ヴァイツゼッカー公爵を睨みつけた。
心がざわつく。
やり場のない怒りがふつふつと湧いてきた。
……どいつもこいつも。
公爵とその後ろに連なる貴族たちが、同じ様な冷たい目で俺とアオイを見ていた。
確かに襲撃犯が、貴族への攻撃を目的とするならば、貴族たちにとってここで真正面から奴らと交戦する意味はない。
しかし……。
居並ぶ貴族たちの威圧感に、俺は屈しないようにあえて一歩を踏み出した。
「貴族派とか、左翼とか、そんな立場なんて関係ない」
俺は静かに告げる。
「目の前に理不尽な暴力がある。だったら、立ち向かわない訳にはいかない。俺たちには、それが出来る力があるんだから」
俺はハンドガンを握る手に力を込めた。
その為に俺は、今まで鍛えて来たのだから。
俺の言葉に、公爵が眉をひそめた。
……そうだ。
立場とか主義主張のために人を犠牲にする。その犠牲を利用する。その事が、俺には許せなかった。
俺はただ、理不尽な力に悲しむ人を、これ以上増やしたくないだけなんだ。
魔術も、銃も、関係ない。
「……ふむ。力ある者の高貴な義務か。なるほどな」
ヴァイツゼッカー公爵がぶつぶつと何かを呟く。
俺は、はっとした。
気が付くと、公爵を初めとして周囲の人々が、じっと俺を見つめていた。
む。
むむむ……。
じわじわと顔が赤くなるのがわかった。
怒りで熱くなっていた頭が、しゅんと冷えていく。そわそわと俺は、手の中のハンドガンを握り直した。
……もしかして俺、かっとなって、何か変な事を言ってしまったのか。
周囲の視線に耐えきれなくなり、俺はばっと勢い良く踵を返す。そしてアオイの方へと向き直った。
「アオイ」
俺は務めて無表情を維持しながら、アオイを見た。
「アオイ。みんなをよろしく頼む」
そう言うと俺は、さっさと走り出した。
今度は俺を止める声はなかった。
アオイの魔力で無力化した襲撃犯たちは放置して、俺は逃走した数名を追った
奴らの侵入経路と思われるホールと調理場を繋ぐ狭い通路に飛び込むと、ハンドガンを目線に合わせて構えながら、慎重に奥へ奥へと進んでいく。
角では細心の注意を払い、丁寧にクリアにしていく。
しかし、この騒ぎのおかげで、バルディーニ子爵にコンタクトを取るタイミングを逸してしまったと思う。先ほど俺を注目していた夜会参加者たちの集団の中には、子爵の顔はなかったが……。
まさか、騒ぎに乗じて逃げたのか……?
そういえばジゼルの姿もなかったが、大丈夫だろうか。
俺は通路の奥、調理場へ続く両開きの扉を慎重に押し開いた。
調理場はしんと静まり返っていた。
照明が明滅していた。一部蛍光灯が割れてしまっているようだ。床にボールやバット、皿などが散乱していて、ここでも激しい争いがあった事を示していた。
俺はハンドガンを構えながら、磨かれたシンクの間を進む。
倒れている人が見えた。
白い調理服を来た男性だ。その服が赤く染まっている。
俺は唇を噛み締める。
カタリと物音がする。
俺はとっさにそちらに銃口を向けた。
大きな冷蔵庫の後ろから踊り出す影。
「動くな!」
3人。
1名は負傷している。
奴らだ。
しかし俺の警告などお構いなしに、襲撃犯の残党は調理場の勝手口から外へ飛び出して行った。
俺もスカートをひるがえし、後を追った。
調理場を出る。
晩秋の夜の冷たい空気が、むき出しの俺の肩をさっと撫でた。しんと冷えた夜の匂いが鼻に付く。
しかしその夜闇の静寂を切り裂いて発砲音が響き渡る。襲撃犯たちが、こちらに銃撃を加えて来たのだ。
俺が身を低くした瞬間。
「ウィル、いるの?」
背後で、微かに少女の声がした。
不安そうに揺れるその声は、俺の良く知っている子だ。
俺の友人の……。
「ジゼル!」
何故ジゼルがここに!
もしかして、調理場のどこかに身を隠していたのか?
「ダメだ、ジゼル! 出てくるな!」
俺は叫びながら襲撃犯に向かって牽制射撃を行う。そして背後を一瞥した。
勝手口から溢れる明滅する光の中、メイド服姿のジゼルが立っていた。
俺はジゼルのもとへと駆け戻る。
その瞬間、再びアサルトライフルの銃声が響き渡った。
俺じゃない。
その銃弾は、ジゼルを狙っている様だった。
「ジゼル!」
俺が叫ぶ。
「え?」
ジゼルが小さく呟いた。
少し間が開いてしまいました。
読んでいただき、ありがとうございました!