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Hexe Complex  作者:
43/85

Order:43

「はい、出来上がりです」

 レーミアが静かにそう告げた声を聞き、俺はそっと目を開けた。

 ……む。

 そのまましばらく、俺はドレッサーの鏡に映る少女の顔を見つめて、ぽかんと固まってしまった。

 同時に、鏡の中の桜色の髪の少女も、大きな目をさらに丸くしてこちらを見ていた。

 エーデルヴァイスの夜会。

 その参加者たちのための控え室で、俺とアオイはレーミアに手伝ってもらいながら、夜会参加の為の準備を行っていた。

 じっくり時間を掛けて準備した、その結果の自分の姿を見て、俺は困惑していた。

 鏡を見れば、ストロベリーブロンドの少女の顔があるという状況にはもう十分に慣れたと思う。むしろ、昔の顔が詳しく思い出せない程度には、俺は今の姿形に馴染んでいた。

 しかし今。

 髪を丁寧に結い上げた俺は、キラキラと輝く金細工の髪飾りを付けて、薄くではあるけれどきっちりとお化粧までしていた。さらにアオイが準備してくれた衣装は、胸元がざっくりと開いた鮮やかな赤のドレス。肩も露わになっていて、スカートの方は色相の違う赤の布が何枚も重なり、複雑なラインを生み出していた。

 ……普段の俺ならば、絶対にありえない格好だ。

 そんな衣装も相まって、俺は鏡の中の自分が本当に俺自身なのだろうかという激しい違和感を覚えていたのだ。

 ドレスを着たのは初めての事ではないけれど、前回はこうしてまじまじと自分を観察する余裕などなかった。

 しかしこうして見てみると……。

 きちんと手間暇をかけて準備すれば、女性というのはこうも変われるのだということに、俺は本当に驚いていた。

 ……綺麗だなと思ってしまう。

 いや、じ、自分の事じゃなくて、服とか装飾品とか、色々と、色々とだが!

「レーミア……」

 俺は妙に落ち着かなくて、メイク道具を片付けているレーミアに声を掛けてみた。

 鏡の中の自分の、淡いルージュを引いた唇が小さく動く。

「はい、なんでしょうか、ウィルさま」

「う、あの、俺……」

 声を掛けたものの、俺は何を言って良いのかわからずもじもじとするしかなかった。

「ふふっ、準備は出来たかな、ウィル」

 そこへ、カツッとヒールを響かせてアオイがやって来た。

 アオイも艶やかな黒髪を見事に結い上げていた。透き通る様な首筋が惜しげもなく晒されている。

 アオイは髪の色と同じような漆黒のロングドレス姿だった。

「どうだ、ウィルは綺麗だろう?」

 しかしアオイは、自分の事ではなく鏡の中の俺を見て、悪戯っぽく微笑み掛けて来た。

「あ、う、うん……」

 俺は思わず頷く。

 ニコッと笑みを大きくするアオイ。

 む……。

 俺は、はっとする。

「いや、ち、違う!」

 俺はばっと振り返ると、アオイに向かってぶんぶんと手を振った。

 一瞬にしてカッと顔が熱くなるのがわかった。

「ち、違う、き、綺麗とかそんな事、思ってたわけじゃ……」

 つ、つい、場の雰囲気で頷いてしまっただけなんだ。

 しかしアオイは、俺の釈明など聞こえないように、ただ微笑を浮かべて俺を見ているだけだった。とても嬉しそうな眼差しで。

 ふふっと笑い声が聞こえた。

 振り返ると、レーミアが口元に手を当てて笑っていた。その上アオイまで、こらえきれなくなったように声を出して笑い始めた。

「うう……」

 俺はもう、息を吐いてがくりと肩を落とすしかなかった。

 うぐぐぐ……。

 その時、この惨状に救いの手を差し伸べるようなノックの音が響いた。

「失礼しまーす!」

 元気の良い声と共に、ひょこりと顔を覗かせたのはジゼルだった。

 ジゼルはいつもの制服姿ではない。レーミアと同じメイドさんの格好だった。

 つい忘れそうになるが、ジゼルとエマは貴族の娘ではない。貴族のお屋敷に勤める本職のメイドさんなのだ。エーデルヴァイスの夜会には、そんなレーミアやジゼルなど、本職のメイドさんたちが運営協力という形で参加している。

「エーレルトさま、ウィル、そろそろ会場にって、うわっ!」

 こちらを見てぱっと顔を輝かせたジゼルが、ぴょんぴょんと跳ねるようにして俺に駆け寄って来た。

「凄い! ウィル、凄いよ! 凄い美人だよ!」

 白黒のエプロンドレスを揺らして色んな角度から俺を眺め回すジゼル。

 ……うぐ。

 恥ずかしい。

 久々に、もの凄く恥ずかしい……。

 俺は助けて欲しいの視線をアオイに送るが、アオイはニコニコとしながら頷いているだけだった。

 俺は肘を抱き寄せながら、身を縮める。

 ちらりと見た鏡には、頬をほんのりと上気させ、気まずそうに眉をひそめる少女が写っていた。



 アオイと一緒に学園祭を回ってすっかり落ち着くことが出来たと思っていた俺は、しかし夜会の会場に足を踏み入れた瞬間、思わず緊張で震えてしまった。

 エーデルヴァイスの夜会は、学院内の旧講堂で執り行われる。

 講堂といっても、広いホールが併設された大きなお屋敷のようなものだ。その昔、聖フィーナの学園を統べていた貴族の邸宅だった場所だ。

 今では入学式と卒業式、そして学園祭の夜、夜会でしか使われないとソフィアが言っていた。正式な入学式を経ていない俺にとっては、初めて足を踏み入れる場所だった。

 さすが貴族級魔術師たち、つまり古の貴族たちが全盛を誇っていた時代の建築物だけある。その絢爛豪華な内装に、目がチカチカして頭が痛くなってしまいそうだった。

 ロープ降下訓練が出来そうなほど高い天井。その全面に描かれた色鮮やかな絵画が、威圧感ともいえる様な神々しさをもってこちらを見下ろしていた。

 柔らかな光で会場を包み込むシャンデリアは、まるでガラス細工の城だ。

 ホール最奥には楽団がずらりと並んでいる。主にリコーダー担当の俺には曲名まではわからないが、厚みのある音圧で、明るいメロディの曲を奏でていた。

 色とりどりの煌びやかなドレスで着飾った女性たち。主にエーデルヴァイスの生徒達の筈なのに、制服姿の時の雰囲気など微塵もなく、みんな綺麗で大人っぽかった。

 逆に来賓の方々や先生たちで構成されている殿方は、白いシャツと黒い燕尾服というシックな出で立ちだ。

 既にグラスを片手に談笑している者たち。手を取り合い、音楽に合わせてくるくると踊っている者たち。

 曇り1つなく磨き上げられたホールの中で、テレビや映画でしか見たことのない華やかな光景が今まさに俺の目の前で繰り広げられていた。

 俺は思わず後退ってしまう。

 やはり、世界が違いすぎる。

 土と汗と、銃声とガンパウダーの中で過ごして来た俺にとっては、とても似合いそうにない場所だ。確かに化粧をして着飾った俺は、き……変わったと思うけれど、とてもこの中で通用するとは思えなかった。

「何をしている、ウィル。さぁ行くぞ」

 そんな俺の手を、アオイがぎゅっと握ってくれた。

 微笑むアオイの顔を見る。

 俺はふっと息を吐いた。

 ……そうだ、アオイがいるのだ。

 そう思うと、少しだけ緊張が解れる気がした。

「さぁ、ウィル」

 アオイが俺の手を引き、いよいよホールの中へと歩み出した。

 俺はその手を握り返す。

「ようこそ、エーレルトさま」

 俺たちを見つけた青のドレスの少女が、優雅にお辞儀をする。

 彼女の顔は見たことがある。確か生徒会長さんだ。

「エーレルト伯爵さまか。ますます美しくなられたな」

「本当に」

「あの隣のお嬢さまは? 伯爵さまに負けず劣らずの美しさだ」

「あのお方は、伯爵の騎士殿だそうだよ」

「ほう、あの様に可憐な少女が」

 エーレルトの名が響くと、周囲がざわつき始めた。周りの視線が、一斉にこちらに向いた気がした。

 胸がドクンと高鳴る。

 俺はアオイと繋いでいない方の手を握り締めると、そっと胸に当てた。

 うううう……。

「緊張してる、ウィル?」

 そんな俺とは対照的に、明るい声が響く。

 片手にグラスの乗ったプレートを持ったジゼルが、メイド服のスカートを揺らし、さっと俺の肩にタッチしながら通り過ぎて行った。

 一瞬目が合うと、ジゼルはニカッと笑っていた。

「背筋を伸ばし、毅然として下さい。ウィルさま」

 別の方から声がする。

 今度は両手に持ったお盆にシャンパンのグラスを乗せたレーミアが、粛々と落ち着いた足取りで通り過ぎていった。

 あくまでも、ツンっと澄ました顔で。

 ……みんな凄い。

 まだ年若い少女なのに、全然物怖じする気配がない。むしろ場慣れしているベテランの気配すら感じる。

 ……彼女たちが落ち着いているのに、俺がおどおどしているなんて。

 むしろ、そちらの方が恥ずかしい事なのかもしれない。

 俺はゆっくりと息を吐く。

 そうだ。

 これは任務なのだ。

 バルディーニ子爵と接触し、自爆術式陣の情報を得る。

 ここは、その作戦目標をクリアにするためのフィールドに過ぎないのだ。ライフルを持って走り回る、いつもの戦場と変わらない。

 任務、任務、任務……。

 俺はゆっくりと深呼吸を繰り返す。

「ウィル。始まるぞ」

 アオイが振り返るのと同時に、ホール中央に設置されたマイクスタンドに向かって燕尾服の老紳士が進み出た。

 学院長先生だ。

「お集まりの紳士、淑女の皆様。そしてエーデルヴァイスの生徒諸君」

 音楽が弱まり、会場の皆が学院長に注目するのがわかった。

 静かな口調で、学院長先生の挨拶が始まる。聖フィーナの現状についての説明や、来賓の方々に向けた長い謝意などの後、学院長先生は一旦言葉を切った。

「それでは、改めまして。今年もこの季節を迎える事が出来ました。これより、聖フィーナ学院、エーデルヴァイスの夜会を始めたいと思います。皆様方がどうか今宵、素敵な夜を過ごされますように」

 楽団の音楽がにわかに大きくなり、ホール全体を包み込むような大きな拍手が巻き起こった。

 よし……。

 始まった。

 作戦開始だ。

 まずは素早くバルディーニ子爵の居場所を確認しなければ。

 子爵の顔は、事前調査で把握済みだ。後はバルディーニ子爵からつかず離れずの距離を保ち、タイミングを見極めて接触を試みる。そして、何とか禁呪関連の話に持ち込めば……。

 しかしそんな俺の思惑とは裏腹に、夜会の開始と同時に大勢の参加者が俺とアオイを取り囲んでしまった。

 正装した紳士たちが、繰り返しアオイに挨拶する。それは女子学生に対する態度ではなく、伯爵位を持つ貴族へのそれだった。

 同時に、華やかに着飾った生徒たちも集まり出す。その視線は、アオイだけでなくその隣に棒立ちする俺にも注がれ始めた。

「こんばんは、お嬢さん」

 俺たちを取り囲む人だかりの中から、知らない男性が俺に話し掛けてくる。俺はただ、ぎこちない笑みを返すことしか出来ない。

「伯爵の騎士さん。今日は随分と可愛らしい格好をしているわね」

 恐らく先輩と想われるドレスの女性からも声をかけられた。

 ……くっ。

 これでは捜査どころか、身動きすら取れないではないか。

「赤いドレスがお似合いのお嬢さん。是非私と一曲踊っていただけないか?」

 必死で笑顔を浮かべていた俺は、ぐっと顔を近付けて来た見知らぬ男に思わず後退してしまう。

 何と断ったものかと考えていると、アオイが俺の手をぐいっと引いた。

「申し訳ないが、ウィルとまず踊るのは私だよ」

 アオイがニコリと微笑み、しかしぞっとするような威圧感を醸し出してその男をシャットアウトしてしまう。

 えっ?

 踊る?

 アオイはそのまま、唖然としている俺の手を引いてホール中央に進み出た。

 周囲の生徒たちから、黄色い歓声が上がる。

「アオイっ!」

 俺は内心焦りながら、抗議の声を上げた。

「ウィル、笑顔のままで」

 しかしアオイはすっと目を細めて俺に顔を近付けた。

「バルディーニは今、楽団の方向、学院長先生の集団にいる」

 俺ははっとして、アオイの肩口の向こう、学院長先生を中心に出来上がっている集団に目を向けた。

「踊りながら接近するぞ」

 アオイが囁く。

 そういう作戦か……。

 ならば。

 俺はキッとアオイを見つめ返し、コクリと頷いた。

 さすがはアオイだ。

「さぁ、特訓の成果を皆に見せてやろう」

 しかし次の瞬間には、アオイはまたふふっと柔らかく笑っていた。とても活き活きと。

 ダンス……。

 これが任務だとは分かっていても、それでも緊張でうっすらと頬を染めながら、俺はまたコクリと小さく頷いた。




 ダンスをしながら、至近距離からバルディーニ子爵を確認することが出来た。しかし一曲終わって壁際に退くと、俺たちは瞬く間に色々な人に取り囲まれてしまい、なかなか子爵に接近する事が出来なかった。

 やはり目立つアオイと一緒にいるのが良くないのだと思う。

 ここは別行動で……。

 少し慣れて来たとはいえ、この夜会の会場でアオイと別れる事にはもの凄く不安があったけれど、作戦目標を達成するには必要な事なのだ。

「アオイ」

「ウィル」

 さらにホールの片隅に後退し、ちょうど俺たちの周りから人がいなくなったタイミングで、俺はアオイを見た。それと同時に、アオイも俺を見る。

 先に、と促すと、アオイは腰に片手を当てた。

「疲れただろう。何か飲み物をとって来てあげよう。何が良いだろう?」 

「あ、うん。ありがとう。何でもいいよ」

「ウィル、ここでじっとしているんだぞ」

 アオイはニコリとして頷くと、スカートをひるがえし、ヒールを響かせて俺から離れて行った。

 一抹の心細さを覚える。

 しかし、これはチャンスだ。

 今のうちにこっそりとバルティーニ子爵に接近できれば……。

 俺は意を決してバルティーニ子爵がいる集団へ向け、歩き出した。

「アーレン嬢。こんばんは」

 しかしその俺の前に、知らない男が立ち塞がった。流れる様な流暢さで、色々と話し掛けて来る。

 俺は困惑の笑顔を浮かべながらも、何とかその男を回避して前進しようと試みる。

「アーレンさん。ご活躍だそうだね。是非武勇伝をお聞きしたいな」

 しかしすぐさま別の男が、俺の前に立った。

 うぐぐ……。

 これでは、バルディーニ子爵に接敵出来ない。

 そうしてまごついている間にも俺は、あれよあれよという間に燕尾服の集団に取り囲まれてしまった。

「お嬢さん。今度は私と一曲いかがかな?」

 口髭を蓄えた紳士が、俺に手を差し伸べて来る。

 俺はじりっと一歩後退りした。

 この状況をどう突破したものか……。

「申し訳ないが」

 その時。

 俺と口髭の間に割り込む様に、スラリとした大きな背中が現れた。

「ウィル・アーレンは私と先約があってな。申し訳ないが遠慮して欲しい」

 低い声が響く。

 その声の主はこちらを振り返ると、ふっと涼やかな笑みを浮かべた。そしておもむろに俺の手を取ると、周囲の抗議の声や好奇の視線などお構いなしに、そのままぐいぐいと俺を引っ張って歩き出した。

「ジ、ジーク先生!」

 俺は思わず声を上げる。

 丁寧に撫で付けた黒髪に涼やかな表情。そして今は燕尾服を身に付けたがっしりとした体格。

 間違いなくそれは、俺が風邪を引いていた時に助けてくれたあの先生。そして思い出したくもない辱めを俺に与えた、あのジーク先生だった。

「せ、先生……!」

 俺の声を無視して、ジーク先生はホールを出てしまう。そして厚い絨毯が敷かれた廊下の奥へ奥へと進んで行った。

 その廊下の先、ホールから少し離れた部屋に、ジーク先生は俺を押し込んだ。

 昔の貴族の屋敷を使用しているため、この旧講堂にはホール以外にも大小様々な部屋があった。今日の夜会では、そんな部屋も休憩室として解放されているが、ここもその1つのようだった。

 そんなに広くはないが、小さな暖炉とソファーセットが置かれた居心地の良さそうな部屋だった。

 その部屋に入って初めてジーク先生は俺の手を離すと、どかりとソファーに腰掛けた。

「場慣れしていないようだな、ウィル君」

 ジーク先生がドアの前で立ったままの俺を見る。

「……助けていただいて、ありがとうございます」

 俺はジーク先生の大きな手に握られていた自分の手を、そっとさする。ごつごつしていて、アオイの手とは大違いだった。

 しかし、方法はいささか強引ではあったけれど、窮地を救ってくれた事に違いはない。

 ……恥ずかしかったのだけれど。

「いや。君は、このような場は好まないのだと思っていたのだが……」

 ジーク先生は腕組みをして息を吐くと、横目で俺を見た。

「あの女に連れ出されたのかな?」

 あの女?

 ……もしかしてアオイの事だろうか。

 ジーク先生は薄く笑みを浮かべていたが、鋭い眼光をたたえる目だけは笑っていないように思えた。

「いえ……」

 俺は先生から目を逸らす。

 早くバルディーニ子爵に接触しなければいけないのだが……。

 俺はちらりとドアを一瞥した。

「ふむ。何か気になる事があるのか」

「いえ、その……」

 ……目ざといな。

 俺は体の前で手を組んだ。

「先生。この前はありがとうございました。あの、自分、ちょっとお会いしたい人がいて、失礼させていただきます」

 俺はそっと頭を下げた。

「誰だ? 大抵の者ならば紹介してあげられるが」

 ジーク先生は俺の退室を認めないかのように、さらに問い掛けて来た。

 俺はじっと押し黙る。

 先生の目がすっと細まる。悪寒を覚えるような威圧感に、俺は鼓動が早くなってしまうのがわかった。

 しかしこれは、もしかしてチャンスか。

 ジーク先生に紹介してもらえれば、バルディーニに自然とコンタクト出来るのではないだろうか。

 数瞬の逡巡の後、俺は意を決して切り出して見ることにした。

「あの、バルディーニ子爵さまという方に……」

「ほう」

 ジーク先生の目がさらにギラリと光った気がした。

 ゾクリと冷たいものが背筋を駆け抜ける。

「何故、彼に?」

「あの、その、魔術に興味があって、お話したいなって……」

 俺はとっさに思い付いた適当な言い訳を口にした。

 ジーク先生が微笑む。

「ウィル君は魔術に興味があるのか。君はエーレルトの魔術が使えるのか?」

「えっと、いいえ、魔術は使えません……」

 ジーク先生が立ち上がる。

 口元だけの微笑みを浮かべ、つかつかと俺に歩み寄って来た。

 近い。

 ……うぐ、近い。

「やはり君には魔素の力が良く似合う。私が、正しい魔術を教えてあげよう」

 俺が魔術を……?

 いや、それは、ない。

 そんな力を、俺は必要としていない。

 俺は、そんな理不尽な力が生み出す悲劇を無くすために戦うと決めたのだから。

 こちらを見下ろすジーク先生を、俺はきっと睨み返した。

「……俺にはそんな力、使えないんです」

「適性はあるさ。君ならば」

 しかしそんな俺の反論は、すぐさまジーク先生によって打ち消されてしまった。

 ジーク先生が手を差し伸べて来る。

 俺は思わず後退る。

 コツッと背中が扉にぶつかった。

 ジーク先生の大きな手が俺の頬に触れた。

「清廉な魔素を感じる。やはりウィル君。君は……」

 俺は歯を食いしばり、まさにジーク先生を突き飛ばそうとしたその瞬間。

 どんっと建物全体が揺れるような衝撃が駆け抜けた。

 ジーク先生が顔を上げた。

 俺もはっとして周囲を見る。

 耳を澄ませ、気配を窺う。

 再びの衝撃。

 俺たちは息をひそめ、身を硬くする。

 続いて断続的な破裂音。

 微かに、だが。

 これは……。

 この聞き慣れた音は、銃声?

 警備員か、警備の市警が発砲したのか。

 何に?

 ……襲撃、か?

 いずれにせよ、ただ事ではない。

 何かが、起こっている。

 俺はドレスの裾をさっと翻し、背後の扉を開けた。

「状況を確認して来ます!」

 俺はジーク先生にそれだけを短く告げると、廊下へ飛び出した。

 何にせよ、まずは状況を把握しなければならない。

「やはり行くか」

 背後から、微かにそう呟いたジーク先生の声が聞こえた気がした。

 俺は振り返らず、ドレスのスカートを持ち上げて廊下を走る。

 くっ。

 スカートもヒールのある靴も邪魔だ。

 走りにくい事この上ない!

 銃声と思しき音は、旧講堂の正面入り口の方から聞こえた。

 ……嫌な予感。

 襲撃……。

 銃を使っているということは、魔術師である可能性は低い。それにこの会場に集まっているのは、魔術師、貴族派の者たちが大半なのだ。

 ならば、何だ……。

 俺はキッと前方を睨み付けた。

 ……また、何かが起ころうとしているのだろうか?

 廊下にいた夜会の参加者たちは、呆然と音の方を見ている。ホールの前まで戻って来ると、何事だと多くの人たちが廊下に溢れ出て、騒然としていた。

 その内の幾人かが、勢い良く走って来る俺を見てぎょっとしている。

 その人だかりの中に、俺はレーミアとジゼル、それにアオイの姿を見つけた。

「レーミア、ジゼル! みんなをホールの中へ! アオイ、少し確認して来る!」

 俺はそう指示を飛ばす。何があったか分からない以上、下手に動いてパニックになるのは危険だ。

「ウィル!」

「アーレンさん!」

 誰かの声が聞こえたが、俺はそのまま参加者たちの集団の脇を走り抜けた。

 ここには、魔術師だけではない。ジゼルたちのような一般人も沢山いる。

 状況は不明だが、彼女たちを危険には晒したくはない!

 角を曲がり、エントランスホールが見えてくると、そちらから白煙が広がり始めた。

 先の見通せない煙が……。

 その煙の中で、銃声が爆ぜた。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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