Order:42
午後の陽光が、光の柱となって斜めに差し込むエーレルト伯爵邸のエントランスホール。
普段はアレクスさんや通いの使用人たちしかいない静かなその空間に、しかし今日は、床を叩く靴音とリズミカルな手拍子が軽快に鳴り響いていた。
「1、2、3、1、2、3。ほら、下ばかり見てはいけないぞ、ウィル」
俺の腰に手を回したアオイが、目の前でニヤニヤと微笑んでいる。ポニーテールにまとめた長い黒髪がひろひらと揺れている。
俺はそんなアオイにしがみ付きながら、返事をする余裕などまったくなかった。ただ必死に、リズムを取ろうと足を動かすだけだ。
練習用に身に付けたフレアスカートが、くるりと回転する度にふわっと広がる。しかし次の瞬間、俺の急な足運びに、その膨らみはくしゃりと潰れてしまうのだった。
俺は今、アオイとダンスの猛特訓中だった。
アオイが男性役、俺がロングスカートの女性役。そしてメイド服のレーミアが、ひたすら手を叩いてリズムを取る役割だった。
「ほら、ウィル。顔が怖いぞ。私の顔を見て、笑顔だ」
俺は機械仕掛けの人形のように、ギリギリと顔を上げた。
にこりと微笑んでいるアオイ。
笑う……。
そう思った瞬間、懸命にステップを刻もうとしていた俺の足が、見事に絡まってしまった。
「くっ、はっ、はっ、はっ! わわ、わっぷっ!」
俺はバランスを崩し、アオイの方に倒れ込む。
アオイの胸元の柔らかな感謝に顔をうずめ、甘い良い香りに包み込まれながら、俺はパタリと転んでしまった。アオイも一緒に。
「痛い……。アオイ、悪い。大丈夫か」
俺は打ち付けてしまった膝の痛みに顔をしかめながら、アオイを見る。
尻餅をついた姿勢のまま驚いた様に目を丸くしていたアオイは、俺と目が合うと、ぷっと吹き出すように笑った。
「いや、ウィル。不器用だな。はははっ、いや、すまない、ふふふふっ」
アオイが声を上げて笑う。
初めは転かしてしまって申し訳ないという気持ちで一杯だった俺も、あまりの笑われっぷりに少し憮然としてしまう。
「アオイお嬢さま、大丈夫ですか!」
メイド服のスカートを揺らして、レーミアが駆け寄って来た。
「いや、大丈夫だよ、レーミア」
レーミアの手を取り、立ち上がるアオイ。
「しかしこれは誤算だな。軍警で鍛えたウィルならば、ダンスなど問題ないと思っていたのだがな」
アオイは、ふっと息を吐きながら俺に手を差し出した。
俺はその手をそっと払い、1人で立ち上がろうとして、しかし足に力が入らず、そのままよろめくと、足を開いてぺたりと座り込んでしまった。
「うくっ」
俺は恥ずかしさに頬を染めながら、上目遣いにアオイを見る。
「僭越ながら申し上げます。ウィルさまの場合は、身体能力に問題はないと思います。ただ、どうもリズムに乗れていないと申しますか……」
アオイの腕に手を掛けたままのレーミアが、申し訳なさそうに声を上げる。
「ふむ。そういえば、ソフィア先生も言っていたな。ウィルは音楽が苦手だと」
アオイが腰に手を当てて首を傾げる。
む。
「別に苦手じゃ……」
俺はぼそぼそと反論した。
……確かに、ジゼルたちとチームを組んでいるソフィアの音楽の授業では、みんなバイオリンとかピアノを華麗に操っているのに、俺だけヘナヘナの演奏ではあるが。
リコーダーで。
……くっ。
音楽の授業なんて、軍警の任務には関係ないのだ。
ましてやダンスなんて……。
俺はレーミアからタオルを受け取り、汗を拭っているアオイをキッと睨む。
「そもそも、夜会に潜入するだけなのに、なんでこんなダンスの訓練が必要なんだ?」
俺は苦し紛れにそんな不満を口にしてみる。
確かに聖フィーナ学院学園祭の夜の部、エーデルヴァイスの夜会に参加したいと俺はアオイに告げた。
しかしそれは、魔術テロに使用される自爆術式陣の供給元かもしれないバルディーニ子爵に接触するのに好都合だったからだ。
……間違っても着飾ってダンスする為ではない。
「いいか、ウィル」
アオイが改めて手を差し伸べて来る。
今度は素直にその手に掴まり、俺は立ち上がった。
「夜会の参加者とは、エーデルヴァイスの代表者でもあるのだ。あくまでも優雅に、エーデルヴァイスの淑女たる事を忘れずに振る舞わなければならない」
アオイが、俺の前に立ち、さぁと促す。俺が緊張しながらも小さく頷き、そっと手を差しだすと、アオイが俺の手を取ってポジションに付く。
レーミアの手拍子が始まった。
アオイがエスコートしてくれるが、俺は覚えたての足運びを実行するので精一杯だった。
「ウィルならば、壁の花も気取っていられない。ダンスのお誘いを断り続ければ、子爵や貴族派の方々に不審に思われるかもしれないぞ」
お、お、お、お、お……。
くるくると回るスカート。
……目が回りそうだ。
「……あっ」
俺はまた躓いてしまう。
その瞬間、ぐいっとアオイが俺を引き寄せた。
色白の顔と艶やかな唇が眼前に迫る。
「もっとも」
アオイが囁く。
「野暮な殿方など、ウィルには近付けないよ。大丈夫。ウィルは私の側にいるといいのだ」
そして、ふふっと声を上げて微笑む。
それはまるで、小さな女の子のように無邪気な笑顔だった。
俺はいつもと雰囲気の違うアオイに少しだけ戸惑いながらも、「よろしく頼む」とコクリと頷いていた。
午前中の授業が終わると真っ直ぐお屋敷に戻り、ばばばっと昼食を済ませた直後からずっと続いていたアオイのダンスレッスンは、日が傾き始める頃にやっと終わった。
……今日の部は、だが。
「いやぁ、ウィルお嬢さんもよく頑張りなさった」
「さぁさぁ、お茶にしましょうか」
「ファイトだぜ、お嬢!」
タオルを手にしながらはぁはぁと肩で息をする俺に、使用人たちやマーベリックが声を掛けてくれる。
広い場所が良いとエントランスホールで始めたダンスレッスンだったが、結果、マーベリックを始めとして使用人さんたちに目撃される事になってしまった。
レッスンの最後の方など、ギャラリーと化したみんなから声援を貰いながら踊っているような状況だった。
ひらひらとしたスカートで拙いステップを踏む俺は、恥ずかしさと自身に対する不甲斐なさで、顔が真っ赤になってしまっていた。
「本番はもっと大勢の前で踊るかもしれないのだ。胸を張れ。笑顔だよ、ウィル」
そう言うアオイは、しかし決して手は抜いてくれないのだが……。
レッスンが終わると、どっと疲労が押し寄せてくる。
普段使わない筋肉が悲鳴を上げている。
体もそうだが、精神的にもへとへとだった。
これならフル装備の荷物を担いでただひたすら歩くだけの行軍訓練の方が、遥かに楽だと思えた。
アオイの講評(厳しいめ)を聞きながら、レーミアが持ってきてくれたガラスコップの水に口を付けた。
「あ、おいしい」
ふわりと口の中に広がるレモンの香に、俺は思わずそう呟いてしまう。
そこにアレクスさんがやって来た。
「アオイお嬢さま。お客さまがいらっしゃいました」
「誰かな?」
さっとアレクスさんを見るアオイ。
「モンゴメリー市議会議員さまです」
「そうか。客間にお通して、少しお待ち願おう。私も着替えて来る」
頭を下げて、正面玄関から外に消えていったアレクスさんは、直ぐにスーツ姿の中年男性を伴って戻って来た。
高級そうな紺のスーツに身を包み、豊かな黒髭を蓄えたその人物は、俺たちを見て顔を綻ばせる。
「いや、実に華やかな光景ですな」
「このような出で立ちで申し訳ないありません、モンゴメリー市議殿」
アオイが一歩進み出て頭を下げた。
「いやいや。こちらこそ、アポイントメントも取らずに訪問したご無礼を容赦願いたい」
市議は声を上げて豪快に笑う。
「遅ればせながら、今日も一段とお美しいですな、伯爵」
モンゴメリー市議は方眉を上げると、姿勢を正して畏まるレーミアと、そっと深呼吸して息を整えている俺を見た。
「他のみなさんも、伯爵の周りにはお美しい方ばかりだ。美女3人の華やかさ、まさに、先代さまがご健在な頃のエーレルト家を思い出しますな」
俺は、モンゴメリー市議と目が合う。
市議は髭を歪めて、ニカッと笑った。
俺はおずおずと会釈を返す。
「市議殿。客間でお待ちいただけますでしょうか。少々お話の準備をしてまいります」
アオイがふわっと微笑むと、市議は大仰に頷いた。
「もちろんですとも!」
モンゴメリー市議がアレクスさんに案内されて客間に向かうと、すまないなと俺に声を掛けたアオイも、レーミアと一緒に自室へと上がって行った。
ポカンと取り残される俺。
俺は肘を抱く。
人気がなくなると、急に気温が下がってしまった気がした。
む。
寒い、か。
何故か胸の中にも冷たいものが吹き込んで来た気がして、俺は肩を落とす。
もやもやとした不思議な気持ちだった。
……独りきりでむくれていてもしょうがない。
俺はマットの上に座り込むと、柔軟体操を始めた。明日のレッスンも夜会の本番も怪我をしないよう、十分にクールダウンしておかなければ……。
しばらく柔軟に集中していると、レーミアがカツカツと階段を降りてきた。
「ウィルさま。アオイお嬢さまが、また風邪を引くといけないから、先にお風呂に行くようにとおっしゃっておられました」
「あ、レーミア。うん、そうするか」
確かに、夜会本番にまた風邪を引いては意味がない。
俺がスカートを揺らして立ち上がり、自室に戻ろうとすると、後ろからレーミアが付いて来た。
「レーミア、アオイの方はいいのか?」
歩きながらちらりと振り返ると、普段から無表情なレーミアがさらに眉をひそめていた。
「お嬢さまのお言いつけなのです。きっとウィルさまが寂しがっているから、付いていてあげるようにと」
俺を眉をひそめる。
努めて無表情を保ちながら、レーミアから目をそらす。
寂しい事なんかない。
俺は、誰もいない孤独には慣れているのだから……。
でも……。
「アオイお嬢さまは、少しウィルさまを甘やかしすぎな気がしますが……」
すっきりしない胸の内に俺が視線を揺らしていると、レーミアが小さい声で何かぶつぶつと呟く。
「む。何か言ったか、レーミア」
レーミアを見ると、銀髪のメイド少女は大きくため息を吐いた。
「……確かに、ウィルさまが来られてから、アオイお嬢さまは明るくなられました」
少しだけ視線を逸らしてから、レーミアは睨むように俺を見た。
「俺にはいつも冷静というか、泰然としているというか、あまり明るいという風には見えないがな」
俺は胸の中のざわざわを無視するために、レーミアの話題に乗る。
レーミアがさらに俺を睨む。
「アオイお嬢さまは、笑われるようになりました。少し前は、伯爵さまのお仕事と魔術の研究と、学業だけを淡々とこなすだけだったお嬢さまが、声を出して笑われるようになったのですから」
今日だって、ウィルさまと踊ってあんなに楽しそうにと、レーミアは悔しそうに呟く。
「だからウィルさまは、アオイお嬢さまの側にいてあげていただきたいのです」
「えっと、レーミア……」
「アオイお嬢さまのお言いつけを守って、アオイお嬢さまと、わ、私とも一緒にいていただきたいのです!」
仏頂面に少しだけ頬を赤くしたレーミアが、珍しく口数多くそうまくし立てた。
俺は思わず微笑んでしまう。
……愛されているな、アオイ。
真に自分を想ってくれる人が身近にいると言うことは、本当に尊い事なのだ。
俺はその全てを無くしてしまっているから、良くわかる。
俺はふっと微笑むと立ち止まり、レーミアの頭にぽんぽんと手を置いた。
「……レーミアは良い子だな」
一緒赤くなるレーミア。
視線を泳がし、何かに葛藤するかのような表情を浮かべるが、最後にはコクリと小さく頷いた。
「まぁ、俺もアオイに……くしゅ」
しかしそこで俺は、思わずくしゃみをしてしまう。
「ウィルさま! いけません、汗が冷えて来たのですね! お体を暖めなければ」
レーミアが慌てたように俺の手を取ると、大浴場の方へと引っ張り始めた。
「お背中をお流ししますから」
「大丈夫だよ、レーミア」
ははっと笑い、一応遠慮してみる。
しかし、毎日自分の体を見ているからだろうか、レーミアやアオイと入浴したり一緒に寝たりする事について、最近は背徳感とかドキドキを感じなくなっていた。
もちろんレーミアやアオイは、綺麗だな、可愛いなとは思うのだが……。
しかしそれでも俺の中身は男であるのだから、そんな状態に慣れきってしまうのは良くないとは思っている。
最初、アオイと一緒にお風呂をと迫られた時は、本当に何を言い出すのかと困惑したものだ。
俺も変わったな、と思う。
どうやら、アオイも変わって来ているらしい。
この姿になってしばらく経過して、色々と変わり始めているのだ。
色々な事が……。
忙しい日々はあっという間に過ぎ去ってしまう。
アオイとレーミアとダンスの特訓に励んでいる間に、いつの間にか聖フィーナ学院学園祭の当日がやって来てしまった。
学園祭、そして秋巡りの収穫祭が盛り上がりの最高潮を迎えるこの週末。その第一日目は、朝から抜けるような秋晴れに包まれていた。
空気はひんやりと冷たく、しかし太陽に当たっていると、ぽかぽかと暖かさを感じることが出来た。ガーデンパーティーにはもってこいの小春日和だ。
俺とアオイは、お昼前に学院に到着した。
学園祭当日は、午前中に登校すれば良いことになっていた。点呼もないから、実質は休んでも問題はない。
しかし貴族の子女たるもの、目の前にある社交の場をないがしろになどできない。本人の望む、望まないに関わらず、それが貴族の家に生まれた者のたしなみだと、確かアリシアが言っていた。
何よりも、生徒の誰もが、年に一度の学園祭を楽しもうとしているのだろう。恐らくは欠席する者など無く、いつも静かな学院は、凄い数の人で溢れ返っていた。アリシアやジゼルたちも、見渡す限りに広がっているこの人山のどこかにいるのだろう。
正門から続く渋滞をやっとの事で抜け出した俺たちの車は、なんとか見つけた車道脇の駐車スペースに入った。その車から降りた俺は、腰に手を当てて周りを見回すと、ふうっと息を吐いた。
見ているだけで目眩がしそうな人の数。そして、熱気。
車道には、連なる幾台もの黒塗りの高級車。そして歩道には、一般の来訪者と、無数の聖フィーナの制服。
普段は見かけない、制服の袖に白い花のエンブレムがない一般科の生徒たちの姿も多い。その中でさらに異様に浮き上がって見えるのは、女子の制服と同系のデザインのブレザーを着た男子生徒たちの姿だった。
エンブレムなしの女子と同様、一般科の男子生徒だということはわかる。
しかし俺は、なんだか俺たちの学院内に、制服を着た男子がいるという状況に激しい違和感を覚えていた。
「ウィル。どうした、神妙な顔をして」
やはり車を降りたアオイが、車の屋根越しに俺を見た。
「いや、何でもない。凄い人に、少し驚いているだけだ」
俺は、ははっと笑っておく。
「ではお嬢さま。私たちはこのまま衣装を運び込んでおきますね」
助手席からレーミアが顔を出した。
レーミアは俺たちの様に制服姿ではなかった。もちろん中等部も今日は学園祭なのだが、レーミアはお屋敷にいる時と同じメイド服姿だった。
今日の夕刻から始まるエーデルヴァイスの夜会のために、レーミアには後でドレスアップの手伝いをしてもらわないといけない。その時にメイドの格好をしていないと、力を発揮出来ないのだそうだ。
トランクに俺とアオイのドレスを満載した車が再び動き出すと、夜会の控え室に指定されている職員棟の方へと走り去った。シートベルトを締めたレーミアが、ひらひらと俺たちに手を振っていた。
夜会……。
ドレス……。
そして、ダンス……。
情報を得るためとはいえ、俺はとんでもない事をしようとしているのではないだろうか……。
「ウィル」
もしこれで収穫がなかったら……。
「ウィル、どうしたのだ」
いや、きっと大丈夫だ。ダンスなんて、パラシュート降下ほどスリリングではないし、ハイジャック犯制圧想定の突入訓練ほど切羽詰まった状況でもない。
ただ踊るだけ……。
ただ……。
いや、むしろこっそりと気配を殺していれば、踊らずに済むかもっ!
「ウィル!」
ばっと手を握られる。
俺は、はっと顔を上げた。
「大丈夫か、ウィル」
俺の手をぎゅっと握ったアオイが、こちらを覗き込んでいた。
「う、すまない、アオイ」
俺は眉をひそめる。
「ウィル。今は、学園祭を楽しめばいいのだ。緊張もわかるが、常に余裕を持って優雅に振る舞うのも、レディのたしなみだぞ」
悪戯っぽく微笑むアオイ。
……俺は別にレディではないが。
「ふむ、そうだな」
アオイがふっと息を吐き、周囲を見回した。
いつの間にか一般科の制服を着た生徒たちが、遠巻きに俺たちを見ていた。アオイの視線がそちらを向くと、微かなどよめきが起こる。
「凄いね、あそこの2人」
「ホント、綺麗っ!」
「すげー、まさにお嬢さまって感じだ!」
「おい、誰か声掛けろよ。一緒に回ろうってさ!」
「お、俺、行こうかな……」
ちらちらとこちらを窺う一般科生。
その脇を通り過ぎるエーデルヴァイスの女子達は、訳知り顔でそんな一般科生を見ていた。彼女たちはアオイと目が合うと、「おはようございます、エーレルトさま」と優雅に挨拶していた。ついでに俺にも、きらきらとした視線を向けて挨拶して来る。
「うひょ、あんな美人が手を繋いでるよ」
「まさにお嬢さまの園、だな」
「黒髪の人、綺麗だねー」
やはりアオイはどこにいても注目を集めてしまうようだ。
「俺はピンクちゃんの方が好みだなぁ。可愛いし」
「へへ、いいよなぁ」
……ピンクちゃん?
「ふむ。そうだな、ウィル。ウィルにはやらなければいけない事があるだろう」
そんな周囲にすっと冷たい視線を向けていたアオイが、俺を見る。
「そうだが……」
夜会での情報収集……。
アオイが薄く微笑む。それは、何かを企んでいる時の顔だった。
「ウィルは私の護衛なのだろう?」
俺ははっと息を呑んだ。
「……そうだ」
……そうだった。
アオイの戦闘能力がわかってからは、俺の任務だと言いながらその事についてどこか軽視している部分があった。護衛など、あくまでも名目上の事なのだと。
む。
いくらアオイと一緒にいるための建て前にすぎないとはいえ、それを失念するとは……。
目の前の夜会に、気を取られすぎているという事か。
「このような人混みの中では、魔術は使いにくい。こういう時こそ、ウィル。守って欲しいのだが」
アオイが囁く。
俺はぎゅっと拳に力を込めながら、周囲を見回した。
……この中にアオイを狙う者がいるのか。
俺はブレザーの下、ショルダーホルスターに収めたハンドガンが胸に当たるのを意識する。
「ふふ。だからウィル。私から離れてはいけないぞ。ジゼルさんやアリシアさんには悪いが、ウィルは私と一緒に学園祭を回るのだ」
アオイが真剣な表情から一転して、ふわりと微笑んだ。
俺はそんなアオイを見つめ返して頷く。
夜会への潜入も大事だが、アオイの護衛をおざなりにしてはいけないという事か。
いけない、いけない……。
しっかりとアオイに張り付かなければ。
その後俺は、校内全てがパーティー会場となったエーデルヴァイスの敷地内を、ずっとアオイと一緒に回った。
アオイは手を離してくれなかった。
……ちょっと恥ずかしかったが、アオイの傍を離れる訳にはいかなかった。
「あなたたち、姉妹仲睦まじいのは良いけれど、噂になってるわよ」
俺たちが教室棟前庭園でお茶をしていると、偶然出会ったアオイのクラスメイトのディードさんにそんな事を言われた。
「わあ、ウィル。私たちを裏切って、エーレルトさまとデートだなんてっ!」
「静かにしましょうね、ジゼル」
演劇部の舞台を見に行くと、そこで偶然ジゼルやアリシアたちとも出会った。わめくジゼルに、しようがなく俺たちは、アオイも含めてみんな一緒に劇を見る事になった。
アオイは終始上機嫌で、ぐいぐいと俺の手を引っ張っていた。
いつの間にか、俺も一緒になって笑っていた。
護衛とか夜会とか関係なく、楽しい。
そう思っている自分がいた。
「あ、あなたち! ウィル!」
「ソフィ!」
美術部の展示を見ている所で、ソフィアに出会った。ソフィアは俺を見てニコリと微笑み、隣のアオイを見て眉をひそめる。
そこからは、ソフィアも一緒に行動する事になった。
アオイがタキシードを着た来賓たちに挨拶責めにあったり、ソフィアが生徒たちに取り囲まれて一緒に学園祭を回ろうとせがまれたり。
俺は、会場の警備に来ていたのだろうか、遠くにロイド刑事を見つたので声を掛けようとした。しかし揃って怖い顔をしたアオイとソフィアに、引きずられるようにしてその場から離されてしまった。
そうやってドタバタしていると、時間はあっという間に経過していく。
「ウィル、変わったね」
アオイが後輩の生徒たちに掴まって話し込んでいる間、ソフィアがふとそんな事を言って来た。
「笑うようになったわ。もっとも、前の男の顔と今じゃ、違い過ぎてウィルバートが笑っているって感じはしないけど」
ふふっと笑うソフィア。
「もう、ウィル。早く元に戻りなさいよね。あなたには、そんな……」
ソフィアがいつもの話を始める。
変わった、か。
……レーミアも同じような事を言っていたっけ。
学園祭の賑わいは治まるところを知らない。
透き通った空高く流れる鰯雲が茜に染まり始める時間になると、その会場に夜会の参加者は控え室に集まるようにとのアナウンスが流れた。
俺はアオイと顔を見合わせる。
そしてコクリと頷きあった。
不思議と、昼間感じていたようなプレッシャーは、全くなかった。
よし……。
必ず手掛かりを掴もう。
俺はぎゅっと拳を固める。
ここからが本番だ。
読んでいただき、ありがとうございました!