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Hexe Complex  作者:
41/85

Order:41

 ジゼルたちと出掛けた翌日。

 月曜日を迎えた聖フィーナ学院の教室は、いつもの週明けとは少し違った雰囲気に包まれていた。

 がやがやと落ち着きのない空気がクラス全体を満たしている。そしてそれは多分、俺たちの教室だけではない。エーデルヴァイス、そして聖フィーナ学院全体も同様だった。

 というのも、秋巡りの収穫祭の本番を迎えた今週の学校は、半日授業だった。さらに聖フィーナの学園祭が催される週の後半は、実質休日扱いとなる特別な一週間だったのだ。

 年に一度のお祭り騒ぎに、普段はおしとやかにしているお嬢さんたちも高揚感を隠しきれないようだった。

 午前の授業が終わると、そんなクラスメイトたちがさらに賑やかになる。眠い午後の授業を受けずに済む開放感で、笑顔と笑い声がぱっと広がった。

 先生が退室すると、俺の所にも直ぐにジゼルやエマたちがじゃれ合いながらやって来た。

「ウィル、午後はどうするの? どっか寄って行くー?」

 俺は自席から立ち上がると、苦笑を浮かべながら首を振った。

「悪い、ジゼル。ちょっと呼び出しを受けてて」

 俺はジゼルたちに困り顔を向けながら鞄を取り上げると、そのまま廊下へ向かった。

「えー、またソフィア先生?」

 背後からジゼルが、不満の声をぶつけて来る。

 俺はそれに、ヒラヒラと手を振って応えておく。

 急ぎ足で教室棟を出た俺は、そのまま真っ直ぐ音楽棟に向かった。

 すっかり慣れてしまった音楽棟への小径は、早くも帰宅し始めているエーデルヴァイスの生徒たちで賑わっていた。

 俺は華やかな少女たちの流れを逆行して行く。中には俺に挨拶してくれる子や、そっと会釈してくれる子もいた。

 俺も失礼にならないように、笑顔を浮かべて挨拶を返す。

 そんな彼女たちの声に混じって、プーと気合いの入った金管楽器の演奏が聞こえて来た。

 俺は鞄を両手で持って歩きながら、葉を落とし始めた木々の向こうに見える音楽棟に目をやった。

 部活をしていない一般生徒とは対象的に、吹奏楽部や他の部活メンバーたちは今、追い込みの時期なのだ。

 何といっても、学園祭という大きな発表の場がすぐそこに迫っているのだから。

 エーデルヴァイスの学園祭は、一般科や他の学校などとは少し趣が異なっていた。

 俺もアオイに聞いて驚いたのだが、学園祭当日は、大多数の生徒たちは基本的に何もしないそうだ。その代わりに専門の業者が呼ばれ、この広い聖フィーナ学院エーデルヴァイスの敷地内全てがガーデンパーティーの会場にされてしまうらしいのだ。

 生徒たちはそのパーティーを楽しみながら、各界から招かれる著名人や有力者といったゲストと親交を深めるというのが、エーデルヴァイスの学園祭の目的だった。

 さすがはお嬢さま学校だ。

 俺には良くわからない世界だが、そうして社交場で自分の存在をアピールする事が、古来からの貴族令嬢たちの重要な使命だったのだ。

 もっとも、聖フィーナ全体の変化に伴い、最近はそんなエーデルヴァイスの学園祭も変化しているらしい。

 生徒たちの普段の活動の発表の場として、運動部の演舞や模擬試合、文化部の発表会が実施されるようになったのも、そうした変化の1つのようだった。

 ちなみに一般科の方では、生徒たち主体で作り上げる一般的な学園祭が実施されている。

 普段はあまり交流のないエーデルヴァイスと一般科だが、学園祭の日ばかりは気兼ねなく行き来出来るらしい。俺の周りでも、当日は一般科に行くんだと意気込んでいる子たちがいた。一般科のどこどこに格好いい男子がいるとか何とか……。

 俺にとっては、エーデルヴァイスのも一般科のも、学園祭にはあまり興味はない。

 それよりも、学校が半休になる事の方が都合がよかった。

 ……これで午後は、気兼ねなく動き回れる。

 昨日の夜。

 あのレストランでロイド刑事と話をしてみて、俺はこれから何をすべきか、何が出来るかを考えてみた。

 そして、少し動いてみようと思ったのだ。

 やはりバートレットの言っていた通り、他とのコネクションは大事だなと俺は実感していた。

 ロイド刑事にも、そのうち何かお礼をしなければいけないと思う。

 昨日は急な呼び出しで中途半端に食事会が終わってしまったから、今度は俺から食事の場をセッティングしてみようか。

 昨夜の帰り際、ロイド刑事は泣きそうな顔で俺に謝っていたっけ。

 確かに昨日の店は美味しかった。最後まで料理を堪能出来なかったのは残念な事だ。

 しかし俺がぱっと思い浮かぶ美味いものと言えば、軍警の食堂の高級スペシャルランチか、ここ聖フィーナの食堂のランチメニューくらいしかない。

 せかせかとスカートを揺らして歩きながら、俺はむうっと唸った。

 良い店がないか、今度アオイかソフィアに相談してみよう。



 今日の午後から早速独自の捜査活動を再開しようと意気込んでいた俺が、こうして音楽棟4階の音楽準備室へ向かって階段を駆け上がっているのは、ソフィアに呼び出されていたからだった。

 朝一番に俺の教室にやって来たソフィアは、怖い顔で授業が終わったら出頭するように告げて来たのだ。

 何事なのか、心当たりはなかった。

 昨日の朝会った時は、上機嫌に見えたけど……。

 俺は鞄を握り締めてパタパタと駆けると、音楽準備室の扉の前で立ち止まる。胸に手を当ててふうっと息を吐く。そして軽くノックした。

「ウィル・アーレン、参りました」

「どうぞ」

 一応廊下では、先生と生徒の振りをしておく。

「まったく、何の用だよ、ソフィ。用があるなら、電話とかメールとかで……」

 準備室に入りながらいつもの態度でぶつぶつ呟く俺は、しかし連絡をくれればいいのに、という台詞を呑み込んでしまった。

「アオイ? アオイまでどうしたんだ?」

 俺は音楽準備室の奥でソフィアと並んで座っているアオイを見て、目を丸くする。

 2人が並んでいると、艶やかな黒髪と輝く金髪のコントラストが鮮やかだった。

「アオイ? ソフィ?」

 何だか既視感を覚える。

 俺が初めてこの学院でソフィアに出会い、呼び出しを受けた時も、たしかこんな感じだったような……。

 しかしあの時とは違い、じっと俺を見つめるアオイとソフィアの眼差しには、何か妙な連帯感の様な物が感じられた。

「そこに座りなさい、ウィル」

 ソフィアが低い声で、2人の前にぽつりと置かれた椅子を指し示した。

 俺は言われた通り、おずおずとその椅子に腰掛けた。

「ウィル。さぁ、この姉に隠している事があるなら、言ってみるといい」

 腕を組み、黒いタイツに包まれたズラリと長い足を組んでいるアオイ。

 む。

「アオイには、相談するつもりだったんだ」

 俺はポツリと呟いた。

 アオイが眉をひそめる。

 ソフィアがぎょっとしたような顔をした。

 ロイド刑事のアドバイスを受け、俺なりに再開しようと考えている捜査活動。確かにアオイにまだ相談していないが、ソフィアがいる前で言ってもいいものだろうか。

「ウィル。私はウィルを信じてるわ。ウィルはあのウィルバートなんだもん。だ、大丈夫よね?」

 焦ったようにまくし立てるソフィア。

 心配してくれているのか……。

 確かに騎士団と対峙すれば、危険は避けられないが……。

「大丈夫だ、ソフィ。ちゃんとわきまえて行動するつもりだ」

 俺は力強く頷く。

 相手側にはあのエーレクライト、あの甲冑がいるのだ。俺だけが先行しても、返り討ちに会ってしまうだろう。

「ウィル。やはりウィルには、まだ男女交際というものは早いと思うのだ。それにウィルはそんなにも美人さんだ。ウィルがわきまえていても、相手がどう出るかわかったものではない」

 アオイははぁっと大袈裟に溜め息をついた。

「例えあのような頼りない刑事であってもだ」

 ……は? 

 男女……交際?

 え?

 俺はきょとんとしてアオイを見返す。

 ……刑事?

 アオイは、昨日のロイド刑事との食事会の事を言っているのか?

 アオイの隣でソフィアが重々しく頷いていた。

「でも、そもそもウィルは男なんだからね。私は何も心配していないわ」

「いや、それは違う、ソフィア先生。ウィルはウィルなのだ。好かれるのは当然なのだ。私はただ、まだ早いと……」

「何を言ってるの、エーレルトさん。ウィルは元に戻るのよ。戻って、私のところに帰ってくるの」

 む。

 むむむ……。

 顔を見合わせながら、俺の事で議論を始めるアオイとソフィア。

 俺はキョロキョロと2人を窺いながら、内心動揺していた。

 今日呼び出されたのは、再び捜査活動に動きだそうとした俺の行動を察したソフィアが、また釘を刺しに来たのかと思っていた。

 ソフィアには、そういう勘の鋭いところがある。

 しかし、何だ、この状況は……。

「私がお姉さんなの」

「いや。私がウィルの姉だ」

 最終的に良くわからない議題と化しているし……。

「わっ」

 不意にスカートのポケットに入れておいた携帯が鳴動した。

 息の詰まる状況にびくびくしていた俺は、思わず声を上げてしまった。

 俺はもぞもぞと携帯を取り出して確認する。

 メールだ。

 ロイド刑事から。

 内容を確認すると、昨日の事への謝罪と、昨日の俺の格好を誉めちぎる文面がぎっしりだった。そしてもしよかったら、また食事に付き合って欲しいと締めくくられていた。

「ウィル」

「誰からのメールなの?」

 冷え冷えとしたアオイとソフィアの声に、俺ははっと顔を上げた。

 いつの間にか、2人が俺の前に立っていた。

 さっと伸びてきたアオイの手が、俺の携帯を取り上げてしまう。

「あうっ」

 俺は思わず手を出すが、ソフィアにぱちんと弾かれてしまった。

 さっきまで言い合いをしていたのに、何だこの連携の良さは……。

「ふんっ。やはりあの男からか」

「昨日の今日で図々しいわね」

 メールに見入る2人。

 仲が良いのか悪いのか、いったいどちらなんだろう……。

「ウィル。取り敢えずではあるが、携帯はしばらく私が預かっておく。あのようなケダモノのメールなど、放置だ」

 アオイが俺の携帯を胸ポケットにしまいながら、腕組みをして俺を睨んで来る。

 ……おっかない。

「ウィル。あなたは男だけど、今は女の子なんだから。悪い男が勘違いするような事をしてはダメなのよ」

 腰に手を当てたソフィアがぐいっと俺に顔を近付けて睨んで来る。

 ……おっかない。

 何故か怒られた俺は、その理不尽さに耐えながらも、アオイたちを上目遣いに窺った。

「……しかし、アオイもソフィアも、昨日の事、詳しいな。誰かに聞いたのか?」

 消える様な俺の質問は、しかし姉たちの無言の圧力の前に呆気なく掻き消えてしまった。



 俺とアオイとソフィアは、そのまま音楽準備室で昼食を取る事になった。アオイもソフィアもお弁当を用意してくれていた様で、3人でのランチタイムとなったのだ。

 アオイは相変わらずの和食的なお弁当。

 綺麗な柄の布に包まれた黒塗りのお弁当箱は、アオイの黒髪や切れ長の目といったオリエンタルな雰囲気と良くマッチしていた。味ももちろん、申し分なく美味しい。

 ソフィアの小さなバスケットに詰め込まれたサンドイッチたちは、見た目ではアオイのお弁当には見劣りするかもしれない。しかし、マスタードやバーベキューなど各種ソースは、昔を思い出す懐かしい味がした。

 子供の頃、良くご馳走になっていたソフィアの家の手製のソースだ。

 俺の取り皿は、あっという間に料理で一杯になる。アオイとソフィアがせっせと取り分けてくれるのだ。

 昨日の食事会の事で説教を受けた後は、2人とも概ね優しかった。アオイとソフィアは、何かにつけて火花を散らしていたけれど……。

「ところでウィル」

 ソフィアが食後のお茶を淹れてあげると席を立つと、アオイが机に肘を突きながら俺を見た。

「先ほど、私に何か相談があると言っていたが?」

 む。

 そうだった。

 俺はコクリと頷くと席を立つ。そして、部屋の片隅に置いてあった鞄に駆け寄った。ハンドガントと教科書、筆入れとスタングレネードをかき分け、その中からクリアファイルを取り出した。

 俺はそれをアオイの前に差し出した。

「前にアオイに手に入れてもらった魔術師のリストだ」

 以前、自爆術式陣について調査するため、古代の禁呪について研究している魔術師をアオイのコネでベッケラード伯爵にリストアップしてもらった。それを俺が、軍警のデータベースで照合したリストだ。

 ここから、自爆術式陣を使用しようとしている者を特定するつもりだった。結果は間に合わず、エストヴァルド駅での魔術テロを防ぐ事は出来なかったのだが……。

「アオイ。俺は改めて、このリストの魔術師達を当たろうと思うんだ。テロで使用された禁呪と騎士団の結び付きを確認出来れば、軍警も動ける筈だから」

 あのテロのせいですっかり中断してしまっていたアオイとの調査。

 俺はそれを、また最初から始めようと考えていたのだ。

 アオイが目を細め、リストに視線を落とす。

 伏せられた長い睫。

 じっとアオイの反応を待つ俺を、その鋭い視線が射抜く。

「軍警は動くなと言っているのだろう。ならばウィルも、その命には従うべきではないのか?」

 俺はじっとアオイを見返した。

「ダメだ。戦いはまだ終わったわけではないんだ。俺は、今度こそ……」

 俺はぎゅっと手を握り締める。

 俺自身の事も含めて色々混乱しているのは事実だった。しかし、そんな事で立ち止まっているのは良くない。

 この俺の捜査に意味があるかはわからないし、何かを掴めるかもわからない。しかし、諦めずに動き続ける事の重要性。それを俺は、昨日のロイド刑事との会話から感じる事が出来たのだ。

 だから今は、取り敢えず動く。

 そう思っていた。

「……ウィルには危ない事はして欲しくない」

 髪を掻き上げ、頬に手を当てたアオイが息を吐いた。

 しかし俺は、ぐっとアオイに詰め寄った。

「だからこそ、アオイに相談するつもりだったんだ」

 俺は一瞬だけ目を瞑り、唇をきゅっと引き結ぶ。

「……俺じゃ、あの鎧、エーレクライトには勝てない。だから、だから、もし可能なら、アオイにまた協力して欲しいんだ」

 アオイが俺を見ている。

 俺もアオイを見返した。

「……しょうがない、か」

 アオイはぽつりとそう呟いた。

「ここで諭して折れるウィルではない事は、私が良くわかっている。騎士団がこれで沈静化するとも思えないしな」

 アオイはそこで、ニコリと微笑んだ。

「しかしそうか。ふふ、そんなにもウィルに頼られては無碍にはできないな」

 ……まぁ、アオイの力を当てにしているのは事実だ。

 俺は少し顔を赤くして小さく頷いた。

 アオイの笑顔がさらに大きくなる。

「取り敢えずは、こいつだな。オーリウェル入りが確認されているこいつから当たろうと思う」

 俺は務めて無表情を保ちながら、胸の下でぎゅっと腕を組む。そして、片足に体重を乗せた。

「でも、今は軍警のデータベースは使いにくい。自重を命じられているからな。この所在地も数週間前のものだし、確実性はないかもしれない」

 いざとなったら、バートレットに相談して最新のデータを確認するしかないか……。

「ふむ。エドガー・バルディーニか」

 アオイは、先ほど俺に向けていたのとは全く違う冷たい目でリストを見ていた。

「この者はワイツドルフのバルディーニ子爵家の末だ。なるほど。私としたことが、見落としていた。ふむ。これならば、私としても見過ごせないな」

 低く凍えるような魔女の声で呟くアオイ。

 どういう事かと聞き返そうとした時、カチャカチャとカップを揺らしながらソフィアが戻って来た。

「あ、悪いな、ソフィ」

「いいわよ。それより、2人で真剣な顔してどうしたの?」

 ソフィアは香ばしい湯気の立ち上るティーカップを俺たちの前に置いていく。そして、アオイの前のリストを覗き込んだ。

「エドガー・バルディーニ子爵? ああ、この人ね。エーレルトさんの知り合い?」

 俺は、はっとしてソフィアを見た。

「知ってるのか、ソフィ!」

 俺の語勢に少し驚いたような顔をしたソフィアが、こくこくと頷いた。

「だってこの人、学園祭の来賓者名簿で見た事あるもの」

 俺は眉をひそめた。

 ソフィアからリストに視線を落とし、再びアオイを見た。

 アオイは俺を見て、小さく頷いた。



 冷たい風が吹き抜けるビルの屋上。俺とアオイはその端、フェンスの前に立つと、じっと斜め向かいにあるホテルに目を向けていた。

 頭上には突き抜けるように澄んだ秋空が広がっている。

 俺はそっとスカートを押さえる。

 この冷たい風がなければ、日光浴でもしたくなる気持ちの良い午後だった。

「人がいるな。男が1人だ」

 俺はピンクのマフラーの下でもごもごと呟いた。

 いつもはダットサイトを愛用しているが、念のためにと持参していたライフル用の望遠スコープ。俺はそのスコープを覗き込み、レティクルの向こう、赤茶けたレンガ造りのホテルのとある部屋を、じっと見つめていた。

「バルディーニかどうか、確認してくれないか」

 俺は隣に佇むアオイを見てスコープを差し出した。

「大丈夫」

 アオイはこちらを見ず、ホテルを凝視したままだった。

「遠見の術式で見えている。あれは間違いなくエドガー・バルディーニだろう」

 む。

 便利だな、それ。

「しかし、軍警が把握している通りの所在だな」

 俺は聖フィーナの制服であるブレザーのポケットに、スコープを突っ込んだ。

「向こうとしては、マークされているという自覚はないのだろうしな」

 アオイが遠見を解除しているのか、少しの間目を瞑ってから改めて俺を見た。

 確かにアオイの言うとおり、現状バルディーニは、あの自爆術式陣を騎士団に提供したかも知れないというだけの人物だ。

 何の確証もない以上、逃げ隠れする必要など無いわけだが……。

「でも、そんな奴がなんで聖フィーナの学園祭に来るんだ?」

 俺は眉をひそめる。

「ふむ。そうだな」

 アオイがフェンスに背中を預け、横目で俺を見た。

「聖フィーナの学園祭が、貴族の子女たちの、ある種の社交場になっているのは以前説明したな」

 俺はマフラーに口をうずめたまま、コクリと頷いた。

「それは、有力な貴族と顔を繋ぎたい者にとっても同じなのだ。役人や下級の貴族など、な。彼らは毎年、コネを尽くして聖フィーナの学園祭に参加する。そして、そこで催されるパーティーで、必死に顔を売るのさ」

 アオイはふっと嘲笑めいた笑みを浮かべた。

「学生などそっちのけでな」

 ……そうなると、バルディーニに接触するには、学園祭の会場というのが無難なのかも知れない。もし奴がテロに関わっているのならば、不用意な接触は警戒されるだけだ。

 相手に警戒されることなく、自爆術式陣の禁呪に関わっているか否かを確認出来ればベストだ。それにもし、騎士団のメンバーと接触するような場面があれば……。

 その時不意に、俯き加減に考え込む俺の頬を、アオイが人差し指でぷっと押した。

「ふふ。頬を真っ赤に染めたウィル、可愛いな」

 柔らかな笑みを浮かべたアオイ。

 俺はむっとアオイを睨み付ける。

「はは、すまない」

 アオイが少しも悪びれた様子なく笑った。

「しかし、ウィル。気負ってはいけない。それでウィルが傷つけば、意味がない」

 しかし直ぐに真剣な顔をしたアオイが、真っ直ぐに俺を見た。吹き付ける風が、さらさらと流れるアオイの髪を空に舞わせる。アオイはしなやかな指でそっとその黒髪を押さえた。

 俺はどう反応していいのか分からず、眉をひそめて視線を逸らした。

「ふむ。しかし、もし学園祭でバルディーニに接触するなら、エーデルヴァイスの夜会がいいだろう」

 アオイはそんな俺に構わず、そう続けた。

「実を言うと、生徒会のエーデルヴァイス執行部からウィルに対して、夜会出席の打診はあったのだ」

 風になびく髪を押さえ片目を瞑りながら、俺は改めてアオイを見た。

「夜会っていうのは、文字通り学園祭の夜の部なのか?」

 アオイがフェンスから背中を離す。そして、屋上の中央部に向かって歩き出した。

 俺もトトトっと早足でその後に続いた。

 アオイ曰わく。

 エーデルヴァイスの夜会とは、全員参加の昼間のパーティーとは違い、生徒会や先生方、そして生徒たちから推薦を受けた一部の代表だけが出席出来る特別な場であるらしい。エーデルヴァイス、そして聖フィーナを代表し、学園祭に来ていただいた来賓たちに感謝を現す場というのが趣旨のようだ。

 アオイなんかは例年参加しているらしいが、転入して来たばかりの俺に声が掛かったのは、間違いなくあの狂化の術式を施された男を生徒たちの前で取り押さえたからだろう。

 ……ようは、目立っていたのだ。やはり。

「ウィルは私の騎士として知名度もある。容姿も申し分ない。選ばれるのは当然だ」

 俺を振り返ったアオイが、誇らしげに胸を張った。

「しかし私は、密かに断っていたのだ。ウィルは、そんな華やかな場所は好きではないと思ったから」

 俺は少しだけ目を伏せた。

 確かにその通りだが……。

 しかしその夜会への出席が、バルディーニと接触出来るチャンスなら、ワガママは言っていられない。

 俺は顔を上げ、アオイを見た。

「俺、それに出てみる」

 緊張に頬を赤く染めながら頷いた。

 アオイが微笑む。

「では直ぐに帰って準備だ」

 アオイが手招きする。転移術式で帰るから、しがみつけと言うのだ。

「準備?」

 俺はかしっとアオイの背に手を回した。

「ふふ。ドレスの準備だよ。そうだ。ダンスの練習もしておこうか」

 アオイが耳元で囁く。

 え?

 ドレス……?

 ダンス……?

 俺はすぐ近くにあるアオイの顔をばっと見た。

「流転。転化。波形たる空。あまねく歪みを越える。天への階……」

 悪戯っぽい表情を浮かべたアオイの、凛とした詠唱が響き渡る。

 にわかに胸の中に広がる困惑と共に、俺はエーレルト邸へ向けて空間を跳んだ。

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