Order:40
晴天に恵まれた休日の早朝。
俺は久々の自宅に戻っていた。
オーリウェル旧市街。ソフィアのお母さんに借りているアパートメントの部屋だ。最近はずっとエーレルト伯爵邸で生活していたので、ここに戻ってくるのも久し振りの事だった。
開け放った窓から、朝の冷たい空気が吹き込んで来る。人々が石畳の上を行き交う足音が聞こえてくる。それらと一緒に、今日という日がゆっくり動き出す気配が伝わって来るようだった。
俺は腰に手を当てて、胸一杯にそんな朝の空気を吸い込んだ。
学校を休んでまでゆっくりと休養したおかげで、俺の風邪はすっかり完治していた。
病気が治って登校し、しかしまたこうして直ぐに休日になってしまうのには、後ろめたさを感じないでもない。しかし、騎士団に対する捜査では未だ動くことは出来ず、エオリアの件についても正面からアオイに尋ねる勇気が出なかった。
……ならば、気分転換に休暇も良いかもしれない。
取り敢えず今は、そう考える事にしておいた。
アオイには、たまにはゆっくりと出掛けてくるといいと許可を貰ったし、軍警からも休暇は許可されていた。
今日の俺は、この後ジゼルやアリシアたちと出掛ける事になっていた。
いつぞや話があった休日のお出掛けについて、ジゼルたちはいつの間にか俺を連れ出す許可を、アオイに取っていたのだ。
恐らく俺の見舞いに来た時、その相談をしていたのだろう。
アオイも何だか乗り気で、俺が友人と親交を深める事は良いことだと笑顔で見送ってくれた。
休暇といっても、大概走るか銃の整備をするか寝るしかない俺には、特に他の予定はなかったので問題はないけれども。
ジゼルたちとはオーリウェル中心部の宮殿前広場で待ち合わせをしていた。集合はお昼前だったけれど、どうせオーリウェル市街にやってくるならばと、俺は早起きして自宅にも寄ってみたのだ。
少し掃除でもしておこうかと思ったが、室内は案外綺麗だ。
おばさんか、もしくはソフィアが掃除してくれているのかもしれない。
こうなると時間が余ってしまったなと室内をうろうろしていると、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
「ウィル、来てるの?」
セーターにジーンズというラフな格好をしたソフィアが姿を見せた。
「おはよう、ソフィ」
俺はにこりと微笑み、ソフィアに挨拶する。
今日部屋に立ち寄る事は、あらかじめソフィアには伝えてあった。
「おはよう、ウィルって、何よ、今日もやっぱり可愛いわね……」
尻すぼみに声を小さくするソフィア。
少し顔を赤くして、俺から目を逸らす。
「そんなおめかしして、どうしたのよ」
そして改めて鋭い目つきできっと俺を睨んで来た。
おうっ……。
俺、なんか悪いことしたのか?
「ジゼルたちと出掛けるんだ。お祭りの会場、マルクトプラッツ辺りに行こうかって」
「ふーん」
じろじろと俺の全身を見るソフィア。
……何か変だろうか。
俺も自分の服装を確認してみる。
ベージュのジャケットに赤のチェックのスカート。厚手のタイツで防寒はバッチリ。足元は編み上げブーツだ。
「ウィル、大丈夫? ウィルって自覚、本当にある?」
ソフィアが肩を落としてため息を吐いた。
「もちろんだ」
俺はきょとんとしたまま、コクリと頷いた。
「俺は軍警隊員だからな。もしもの時はちゃんとジゼルたちを守るよ」
俺はジャケットのボタンを外して前をはだける。そして、インナーのニットの上に装着したホルスターとハンドガンをちらりとソフィアに見せた。
「女子高生なのか軍警なのか、どっちなのよ」
脱力した様に額に手を当てたソフィアが、手近にあった椅子にどかりと腰掛けた。
「ウィルが美人さんなのは良くわかってるけど、ウィル、あなた元に戻れるんでしょうね」
睨むようにソフィアが俺を見上げた。
「う……。アオイは俺を変えたのと同じ術式を使うのに、10年は掛かるって……」
眉をひそめて顔をしかめる俺に、ソフィアは目を細めてじっと俺を睨むだけだった。
「まぁ、俺としてはアオイに感謝してるんだ。アオイのこの術式がなければ、こんな姿でもここにはいられなかったんだから」
だからアオイの事は信用したいと思っているんだ。
例え魔術師であっても、何かを俺に隠していたとしても……。
「……まぁ、私は待っててあげるけどね」
小さな声で何かを呟いたソフィアが、唇を尖らせて顔を背けた。
しかし直ぐに、ソフィアは何かを思い付いたようにばっと俺を見た。
「でも、そしたらウィルも魔術の研究してみたらいいんじゃない? エーレルトさんの所にいるんだし、頑張って魔術を使えるようになって、自分で自分の姿を取り戻したら?」
良いことを思い付いたという風に目を輝かせるソフィア。
俺はむっと押し黙る。眉をひそめて、目を逸らした。
……俺が魔術を?
馬鹿な……。
確かに俺自身の事でアオイに迷惑を掛けるのは心苦しいが、しかし俺が魔術など使える筈がない。
……使えないし、使いたくもない。
「今度エーレルトさんに相談してみたら?」
すっかり機嫌が良くなったソフィアは、くしゃっと無邪気な笑みを浮かべて俺を見てくる。
……まったく、そう簡単ではないというのに。
それから俺と上機嫌になったソフィアは、いろんな話をした。
学校では毎日のように会っているが、周りの目もあるのであまり話しは出来なかった。こうして何でもない話をグダグダと続けるのは、久し振りの事だった。
「あ、時間だ」
しばらく話し込んでから、俺は手首の内側にした腕時計を一瞥する。
「俺、そろそろ行くよ、ソフィア」
俺は腰掛けていたベッドから立ち上がり、スカートを叩いた。
「掃除とか、いつもすまないな、ソフィア」
「感謝してるなら、たまにはこちらにも帰って来なさいよ」
ソフィアも立ち上がった。
「そうだ。今思い付いたんだけど……」
玄関に向かって歩きながら、ソフィアがこちらを窺うようにして見る。
「久々にこっちに来たんだから、晩ご飯はうちで食べて行きなさいよ。お母さんが喜ぶし。お母さんがね」
いやしかし、おばさんは俺がウィルバートだとは知らない筈だが……。
俺はソフィアに苦笑を返した。
「悪い。今晩は予定があるんだ」
「そ、そう。ジゼルさんたちとお食事? あんまり遅くなってはダメよ」
顔を曇らせたソフィアが、先生らしい口調で注意を口にする。
しかし、夜の予定はジゼルたちとではないのだ。
「ジゼルたちとは別に、食事に誘われてる」
俺とソフィアは揃って部屋を出た。取り出した鍵で、カチャリと施錠する。
「誘われてるって、誰によ」
「ロイドっていう市警の刑事さん。まぁ、少しだけ世話になっている人だ」
「……ウィル、それ」
ソフィアが俺の前に立ちふさがり、睨むように俺を見た。
む?
「じゃ、じゃあ行ってくるよ、ソフィア」
何か不穏な空気を感じたので、俺はさっと手を上げるとスカートをひるがえし、踵を返した。
「ちょっと、ウィル!」
背後でソフィアが声を上げるが、取り敢えず笑顔で手を振っておくことにした。
ジゼルたちと出掛けるのとロイド刑事からの食事のお誘いが重なっていた事に気が付いたのは、昨夜の事だった。
……というか、ロイド刑事と約束していた事なんてすっかりと忘れていたのだ。申し訳ないが……。
じっくりと思い出してみると、そう言えば軍警に出頭した夜、警備に就いていたロイド刑事と色々お話をしている内に、そんな約束をしたような気がした。
昨夜、その件についてロイド刑事からメールが来て初めて、俺はその事を思い出したのだった。
そういえば、何となく了承したんだっけ、俺……。
ロイド刑事との約束は夜からで、幸いにもジゼルたちとは被っていなかった。片方だけ断るのも悪いので、俺はロイド刑事の方の約束も果たすことにした。
まぁ、職場は違うが、隊の飲み会みたいなものだろう。
アオイにも、出発の直前にロイド刑事と食事して来る旨は伝えてあった。
それまでは俺がお友達とお出掛けすると上機嫌なアオイだったが、その事を伝えた途端、ぞっとするような剣呑な雰囲気に変わってしまった。
どうもアオイは、ロイド刑事が嫌いらしい。
少し頼りないが、良い人だと思うのだが……。
こうして急遽俺は、昼間はジゼルたちと、夜はロイド刑事と出掛けるという休日を過ごす事になったのだ。
私服姿のジゼルやアリシアたちと合流すると、俺たちは秋巡りの収穫祭のメイン会場であるマルクトプラッツに向かった。
お祭のメイン会場でもあるマルクトプラッツは、宮殿前の広場にその華やかな姿を出現させていた。
普段は石畳の厳かな広場が、今はカラフルに染め上げられた無数の天幕で覆い尽くされていた。
もともとこの天幕群は、秋の収穫を感謝し、来年の豊穣を神に祈るために捧げる供物を、より豪華に整えるための市場だったと言われている。
それが現代では、可愛らしい雑貨に甘いお菓子や軽食を売る屋台。サーカスや移動遊園地も入り乱れた祭の中心地と化していた。
周囲からは絶えず子供たちの賑やかな歓声が響きわたっていた。大人たちも子供たちに負けず目を輝かせ、ビールの杯を空けながら大きな声で笑い合っていた。
どちらを見ても、人々で溢れかえっていた。
盛大な賑わいを見せるお祭会場だったが、本番はまだ来週末だ。1ヶ月に及ぶ祭の最終週には、山車のパレードや花火大会、それにオーリウェル市内の学校の学園祭など、市内は更なる盛り上がりを見せることになる。
俺たちはそんなマルクトプラッツをのんびりと散策した。
フリーマーケットで可愛らしい服を物色し、小さな子供たちに混じって回転木馬に跨るジゼルとラミアに他人の振りをする。移動クレープ屋さんに羨望の眼差しを向けるアリシアにベリーのクレープをプレゼントした俺は、エマに私もとせがまれ、ジゼルに冷やかされるはめになった。
ぬいぐるみばかりを扱う雑貨屋の軒先で白クマのぬいぐるみを見つめていると、アリシアやジゼルたちに「ウィルって意外に可愛いもの好きなんだ」と生暖かい目で見られてしまった。
人混みで少しの間離れてしまったアリシアとラミアがチャラチャラした男たちに絡まれるというハプニングもあったけれど、それは俺がさっと撃退しておいた。
ジゼルの冗談にみんなが笑い、俺やエマがさっと突っ込んでみたりする。
何でもない事を長々と話し、何気ない事で笑い合う。
はっと気がつけば、時間はあっと言う間に過ぎていた。
みんなに出会った最初の頃。
実年齢がかけ離れた少女たちの間で、果たして俺なんかがやっていけるのかと思っていた。
しかし。
しばらく彼女たちと一緒に過ごす間に、びっくりするほど馴染んでいる自分がいた。
彼女たちと一緒に聖フィーナへ通うことを当たり前だと感じている自分がいて、むしろそれ以外の生活に違和感を覚える事が、最近は時々あるのだ。
そう。
男だったウィルバートの顔が思い出せないのとは逆に、少女としての自分が本当になっているかのような瞬間があるのだ。
アオイならば、それも喜んでくれるのだろう。
最近のアオイは、常日頃から学生らしく、女の子らしく、妹らしくしなさいと俺に注意して来るのだ。
しかし当の俺は、この変化にどう対応して良いのかがわからなかった。
秋の日は短く、あっという間に夕暮れが迫って来る。
薄暗くなり始めたマルクトプラッツには、煌びやかな電飾が灯り始めていた。
そんな広場の片隅、石畳の上に臨時に展開されたオープンカフェに腰を落ち着けた俺たちは、ふうっと一息吐いていた。
「あの服、可愛かったね、エマ」
「うん、うん」
「ホントですね」
「何よ、アリシア。お嬢さまなんだから、いつももっと良いもの着てるでしょ」
「ジゼル。何度も言いますけど、うちは貴族と言っても……」
疲れ知らずに話し続けるジゼルたち。
俺はさすがに気疲れしてしまって、両手で握り締めた手元のカップをぼんやり見つめていた。
クマさんのラテアート……。
こんなに秋巡りの収穫祭を楽しんだのはいつ以来だろう。
お祭りは、毎年ある。
しかし最近は祭の事なんて気にした事などなかった。
……祭どころではなかったのだ。
訓練を積み、魔術犯罪者を倒す事だけを考えていた。
しかし、休暇をもらい、こうして友人たちと祭を訪れるようになって、今になってやっと、魔術師は敵だという単純な構図など虚構にすぎないということに気が付いたのだ。
俺はそっとため息を吐いた。
「ウィルってば!」
不意にジゼルが俺の顔をのぞき込んでくる。
「な、何だっ」
俺は思わず身を離す。クマさんが崩れないようにカップも退避させながら。
「どうしたの、ぼうっとして」
ジゼルもアリシアも、みんなが怪訝な表情で俺を見ている。
……そうだ。
少なくとも、俺のささやかな感傷で、みんなのお祭に水を差してはいけない。
「大丈夫。ちょっと考え事だ」
俺は苦笑を浮かべた。
「もう。それでね、もし良かったらみんなで晩御飯にしようかって言ってたの」
ジゼルがみんなを見回した後に俺をじっと見た。
「どう?」
うむ……。
「すまない。予定があるんだ、今晩は」
俺が困り顔でそう返事をすると、ジゼルとラミアがぶーぶーと文句を言い出した。
「何よ、またエーレルトさまと? それともソフィア先生?」
残念ながら。
しかしアオイはともかく、なんでソフィアの名前を口にする。
俺はそっと首を振った。
夜はロイド刑事との約束があるのだ。
「彼氏?」
ラミアがぼそりと呟いた。
一瞬の間の後。
周囲がどっと黄色い声に包まれた。
「知り合いだよ、知り合い」
何を馬鹿な。
詳しく説明するのも面倒なので、俺は苦笑いで適当にその場を誤魔化しておく。しかし、俄然目を輝かし始めたアリシアとジゼルたちの質問責めは、そこからが本場だった。
夕闇に包まれたオーリウェルの街中を、俺はトラムを乗り継いでロイド刑事との約束の場所へと向かっていた。
吊革に掴まり、トラムの車窓から混雑する車道を眺めて俺はふっと息を吐く。
ジゼルたちとわいわい楽しく過ごしている時はあまり意識しなかったけれど、独りになるとやはり色々な気持ちが湧き出して来て、心がずしりと重くなった。
進展しない騎士団への捜査。
謎のエオリアという人物。
そして何らかの変化が起こっているのかもしれない自分への戸惑。
いろんなものがもやもやと胸の奥に渦巻いていた。
不意に携帯が鳴った。
アオイからのメールだ。
文頭は、しかし夜更かしはいけないと思うのだ、姉としては、という書き出しで始まっていた。
要するに心配だからロイド刑事との食事はキャンセルして早く帰って来なさいという内容だった。
今日何度目かの同じ内容のメールだった。
俺は大丈夫と返信しておく。実はソフィアからも同様のメールが沢山来ていた。
いくらこんな姿になってしまったと言っても、夜道にびくつくほど俺はか弱くはない。
ソフィアもアオイも、まるで俺を小さな女の子扱いだ。
ロイド刑事との待ち合わせの場所は、地区教会を中心に広がる小さな商店街だった。
オーリウェルの下町。俺もあまり来たことのない地区だ。
石畳の狭い通りが別れる三叉路で、俺はトラムを降りた。
ほうっと白い息を吐く。
暖房の効いたトラムの中は心地よかったが、さすがに外は寒かった。
時計を見る。
待ち合わせには少し早かったかもしれない。
「ウィルちゃん!」
しかし、ロイド刑事は直ぐにやって来た。
ばっちりと髪を固め、パリッとした仕立ての良いスーツを身に付けている。その胸元からは赤いネクタイが覗いていた。
ロイド刑事は、何だかカチコチと緊張しているようだった。走って来たのか、顔も真っ赤になっていた。
「ごめん、待たせて!」
「いえ。お……私も、今来たところですから」
取り敢えず俺は、微笑み返しておくことにした。
さっと周囲を窺うが、あのメガネの刑事さんや連れらしき人の姿は見えなかった。
どうやら今晩の食事会は、ロイド刑事と1対1のようだ。
「ウィルちゃん、今日も素敵だね!」
赤い顔でニカッと笑うロイド刑事。
取り敢えず俺はお礼を言っておく。
何となく了承してしまったとはいえ、俺がロイド刑事との食事会に行こうと思ったのは、市警の刑事さんと話をしてみるのもいいかなと思ったからだ。
ディンドルフ男爵制圧戦以来、俺が風邪を引いていたのもあるけれど、どうも状況に手詰まり感があった。
色々あって、正直この先どう動いたらいいのかわからないと思う事があったのだ。
バートレットたちに相談しても良かったのだが、そこにロイド刑事からのお誘いが来た。市警といえども本職の刑事さんだ。そのお話を聞いてみるのも、何かの参考になるかもしれないと思ったのだ。
俺とロイド刑事は取り留めのない会話をしながら、予約してあるという店に向かった。
基本的にロイド刑事が話し続け、俺が愛想笑いを浮かべる。
しかし予約の店に向かう道すがら、ロイド刑事が学生時代は地元自転車チームの選手だった事がわかると、会話が弾んだ。
俺も自転車には乗っているし。
街灯が照らし出す石畳の道を、俺たちはゆっくりと歩いていく。祭の時期ということもあるのだろうが、下町の商店街はなかなか賑わっていた。
目的地の店は、てっきりロイド刑事行き着けのバーか何かだと思っていた。
しかしずいずいと進むロイド刑事について行った俺は、賑やかな通りから一歩入り込んだ静かな一角、古い螺旋階段を下った先にある半地下の可愛らしいお店に辿り着いた。
「わぁ……」
ベルをならしてお店に入ると、俺は思わず声を上げてしまう。
目の前には、オレンジ色の温かな光に包まれた居心地良さそうな空間が広がっていた。
ごく小さく押さえられた音楽の中、小さなテーブルに向かいあう男女の声がそっと響く。テーブルの数はそれ程多くないが、そのどれもが優雅に着飾った紳士淑女で埋まっていた。
俺とロイド刑事は、柔らかな笑みを浮かべた年配のウェイターに案内され、壁際の席に着いた。
わいわいがやがやの軍警の飲み会を想像していたので、こうした落ち着いた雰囲気に俺は圧倒されっぱなしだった。
背後でカランとベルが鳴る。新しい客が来たのだ。
どうやらなかなか繁盛しているみたいだった。
物珍しいのと同時に、俺は少し緊張してしまっていた。周囲を窺いながら、膝の上に置いた手をキュッと握り締めていた。
「ウィルちゃん。上着は脱がないの?」
ロイド刑事が気を遣い、上着を預かろうと手を差し出してくれた。
確かに店内は、ぽかぽかと暖かかった。
俺は上着を脱ごうとして、しかしはっとする。
ダメだ。
……今はホルスターにハンドガンを装備している。ロイド刑事に見られてはマズい。
俺は上着の前をぎゅっと合わせると、上目遣いにむうっとロイド刑事を見た。
「大丈夫です。私はこのままで」
途端にロイド刑事がぽうっと真っ赤になった。
「ロイドさん?」
「あ……。はは、あはは、そうだね。そんなに暑くないね」
ぶんぶんと手を振るロイド刑事。
ん?
俺は首を傾ける。
その時、背後のテーブルがガタリと鳴った。
少しだけ振り返ると、帽子を目深に被った女性2人組の客がいた。
金髪と黒髪……。
店内なのに、何故かサングラスを掛けている。
「ウィルちゃん、飲み物はどうするっ?」
ロイド刑事が慌てたようにメニューを差し出して来た。
俺は改めてロイド刑事に向き直る。
予め予約してあった様で、早速コース料理が順番に運ばれて来た。
料理を楽しみながら、ロイド刑事が色々と話をしてくれた。
俺は微笑みながら、相槌を打つ。
そのロイド刑事の話題が一段落した所で、俺はそっと仕事の話題を切り出してみた。
「ロイドさんは今、どんな捜査をしているんですか? 刑事さんって、大変ですよね」
「いやあ、そんなことないよ」
ロイド刑事は笑いながら、大げさに首を振った。
「今もスラムに入り浸っているだけだしさ」
スラム……。
俺はんっと小さく首を捻った。
そういえば以前、スラムで魔術犯罪者を追っていたバートレットが、ロイド刑事たちに会ったと言っていた。同じ対象、つまり以前軍警が確保した魔術犯罪者を追っているかもしれないと。
「ロイドさんたちが捜査しているのは、魔術犯罪者ですか? でもそれって、軍警がもう逮捕したんじゃ?」
俺はカボチャのポタージュにスプーンを差し入れながら首を傾げた。
パンを千切ろうとしていたロイド刑事が手を止めて、驚いたように目を丸くした。
「良く知っているね、ウィルちゃん」
む。
俺は目を逸らす。
「……兄から色々聞いてますから」
我ながら苦しい言い訳に、しかしロイド刑事はそうなんだと笑いながら聞き流してくれた。
「でも、軍警が捕まえた犯人について、まだ調べてるんですか?」
俺は、思い切ってさらに踏み込んだ質問をしてみた。
「うーん、そうだね」
ロイド刑事が声をひそめて顔を近付けて来る。
捜査関係の話は大っぴらにしづらいのだろう。
俺も身を乗り出した。
背後でガタリと音がした。またあの女性たちのテーブルだ。
「身柄は軍警が押さえたけど、奴らには窃盗や暴行なんかの他の容疑があるからね。その1つ1つを根気よく調べないといけないんだよ」
ロイド刑事が真面目な顔をしている。
それは、いつもの頼りないロイド刑事ではなかった。厳しい目をした、捜査官の顔つきだ。
「ほんの小さな手掛かりでも、丁寧に洗い出せば、新たな事が見えて来るかも知れないんだ。被害者の為には、どんな小さな事件も蔑ろには出来ない。無駄な捜査だったり、空振りすることもあるけど、でもそうした地道な捜査が大事なんだよ。地味だけど……」
……なるほど。
俺は眉をひそめて考え込む。
小さな手掛かりと根気良い地道な捜査か。
改めて言われてみると、今まで俺は、作戦部の制圧戦のように捜査活動においてもつい即効性ばかりを求めてしまっていたかもしれない。じっくりと腰を落ち着けて捜査に臨む姿勢。小さな手掛かりにもじっくりと取り組むその姿勢が、俺には欠けていたのかもしれない。
「……凄いですね、ロイドさん」
俺は純粋に賞賛の意を込めてロイド刑事を見た。
「え、いや、それほどでも。はははっ」
ロイド刑事が顔を赤くしながら微笑んだ。
「そうだ、ウィルちゃん。あの、良ければ、その、もっと君の事も聞かせてくれないか……」
ロイド刑事がさらに真剣顔でずいっと身を乗り出した瞬間。
ピピピと軽快な音を立てて携帯が鳴った。
ロイド刑事の携帯だ。
「うっ、ごめん……」
ロイド刑事ががくりと肩を震わせると、いそいそと席を立った。
「はい、はい、主任。えっ! これからですか! で、でも、今僕は凄い重大な状況で……。いや、言えないですよ。えっ! 主任、いや、今だけは……。これから現場というのは、あまりにも唐突では……。す、すみません……。」
忙しそうに電話しながら歩み去るロイド刑事。
その後ろ姿を見送りながら、俺は今までの魔術犯罪者に対する捜査について色々と考え込んでいた。
ロイド刑事の話で具体的に何をすればいいかと思い付いたわけではないけれど、少なくとも現状を手詰まりだと感じるのは、俺の早合点のように思えて来たのだ。
ロイド刑事はなかなか帰って来ないので、俺は貝柱入りクリームパスタをもぎゅもぎゅと頬張る。
胸の奥のもやもやが消えた訳ではない。消す方法を思いついた訳でもない。でもそれを消すために動き出す切っ掛けくらいは得られたような気がした。
明日、バートレットやアオイにも色々と相談してみよう。
読んでいただき、ありがとうございました!