Order:36
木々が燃える。屋敷が燃える。その煙が入り混じった夜気を掻き分けて、俺は走る。
目の前に悠然と佇むエーレクライト。その正体不明の甲冑の側面に回り込むように。
『まだ抗うか。しかし、その意気込みは買おう』
嘲笑混じりの甲冑の声が響く。
……諦めない。
ここに賭ける!
渾身の力を振り絞った最後の攻撃だ。弾道が曲げられてしまうなら、曲げようのないゼロ距離射撃で……!
俺は走りながら、タクティカルベストからスタングレネードを取り出した。
ピンを抜き、甲冑へ投擲。
合わせて牽制射撃。
やはり弾道が曲がってしまう。
しかしその瞬間、スタングレネードが炸裂した。
広がる閃光と爆音。
屋外では効果は薄いが、注意を逸らすくらいはっ!
爆発と同時に屋根に手を付き急角度で方向転換した俺は、甲冑に向かって全力で駆けた。そしてそのまま、グレネードの爆発の残滓に突っ込む。
ここっ!
目の前に立つ甲冑の腹に、銃口を突き付ける。
そしてトリガーを引こうとした瞬間。
華美な装飾が施された籠手がすっと持ち上がり、無造作に俺の首を掴んだ。
「ぐ、かはっ」
強烈な握力に、絞り出された空気が喉から漏れる。
い、息がっ……。
首を絞められたまま、俺は軽々と持ち上げられてしまう。足が宙に浮く。
ライフルを取り落としてしまう。
俺は両手で甲冑の手を引き剥がそうと試みるが、しかし冷たい金属に覆われたその手はピクリとも動かなかった。
くっ……。
意識が朦朧とし始める。
俺は、全力を振り絞ってキッと甲冑を睨み付けた。
くっ!
……屈さない。
こんな魔術師に、負けてなるものか!
『その目……』
足を振り上げて、ぼそりと何かを呟く甲冑を蹴り付けた。
「う、ううう……」
無意識に漏れ出すうめき声。
「ああああああ!」
俺の口から悲鳴が溢れ出る。
それを聞いた途端、不意に甲冑の手が緩んだ。
突然解放された俺は、よろけながら数歩後退る。そしてそのままその場に膝を突いた。
「かはっ、けほっ、けほっ、けほっ……」
激しくせき込みながらも、俺はベストからナイフを引き抜いた。そして、俺を解放したままの姿勢で固まっている甲冑を睨み付け、ナイフを構えた。
『……私も甘いものだ』
甲冑が忌々しげに呟いた。
ゆっくりとした動作で俺を掴んでいた手を下ろす甲冑。
『その顔で私を見るな、人形め』
低く無感情な声でそう吐き捨てた甲冑が、動けない俺に手をかざした。
俺は歯を食いしばる。
鈍い痛みに支配された俺は、どう回避したら良いのか頭は働かず、どう逃げるにしても体は動いてくれなかった。
離れるのだ、ウィル!
刹那。
声が響いた。
俺の頭の中に。
はっと我に返る。
その瞬間。
俺はよろけるように屋根を転がって、甲冑から離れた。
その俺と甲冑の間に、小さな青の光が舞い降りる。
ひらひらと舞うそれは、優雅に滑空する小鳥のように空中を走ると、甲冑に向かう。
まるで、意思を持っているかのように。
『これは!』
甲冑が狼狽えたような声を上げる。初めて聞いた余裕のない声だった。
『この魔術は、あの女……!』
身構える甲冑に、青い光が衝突する。
あくまでもふわりと。青い羽が舞い降りるように。
しかしその瞬間。
青の光が爆裂した。
『がはっ!』
甲冑がたたらを踏む。
その爆発は小さかったが、青の光の小さな塊は次々に中空に姿を現すと、あくまでも優雅に漂いながら甲冑へと舞い落ちる。
連続する爆発。
甲冑は飛び退り回避しようとするが、青の光たちはその後を追尾して行く。
やがて舞い落ちる青の小さな光は、無数の光の奔流となって甲冑を撃ち据えた。
もはや回避など出来ない。
周りの屋根ごと、青の光が生み出す爆光が全てを呑み込んでしまった。
圧倒的蹂躙。
先ほどまで俺が手も足も出なかった甲冑型エーレクライトが、なすすべもなく爆光の中に呑み込まれていく。
俺は、ただその光景に見入る事しか出来なかった。
そして。
無数に漂う青の光点を周囲に滞空させた黒マントが、ゆっくりと上空から舞い降りて来た。夜空と混然一体となった黒マントがいつ頭上に現れたのか、俺には分からなかった。
たんっと屋根の上に降り立ったのは、黒マントに尖り帽子を被った筒のようなシルエット。
俺も良く知っている後ろ姿。
「アオイ……」
その名を口にした途端、俺は足から力が抜けてしまった。ペタリとその場にへたり込んでしまう。
「清浄なる青、天の調べ、封絶、瑠璃の絶唱」
アオイの凛とした詠唱が響く。
最後の成句に合わせて、アオイの周囲に滞空していた青の光が一斉に甲冑を包む爆光に殺到する。
さらに膨れ上がる爆発。
甲冑が立っていた周囲の屋根が、盛大に吹き飛んだ。
吹き上がる青の爆炎。
俺はとっさに身を伏せる。爆風が吹き荒れ、激しく俺の髪を揺らした。
「ううう……、アオイ」
キンっとする耳を押さえながら、俺は顔を上げた。
青の爆発を見届け、爆風に黒マントを揺らしながら踵を返したアオイが、ゆっくりと俺に向かって歩いて来る。
「アオイ、どうして……」
左腕を押さえながら立ち上がった俺は、ポツリとそう呟いていた。
アオイの目は尖り帽子の鍔に隠れて見えなかった。ただきつく引き結んだ桜色の唇だけが見えていた。
「……アオイ?」
俺はナイフを鞘に収めながら、帽子の下のアオイの顔を覗き込もうとする。
その瞬間。
ぶわっと黒のマントが広がった。
アオイ、マントの下は制服姿なんだ。
ふとそう思った瞬間。
頭を叩かれる。
ごちっと。
アオイの小さな拳で。
……痛くはなかった。
「……あれほど危ない事をしてはいけないと言ったのに」
低く呟いたアオイが、上目遣いに俺を睨んだ。その黒目がちな大きな目には、微かに涙が溜まっていた。
「アオイ……?」
いつもクールで泰然としているアオイが、まるで小さな女の子みたいに涙を浮かべているという状況に、俺は言いようのない居心地の悪さを覚えてしまう。
言い換えれば、罪悪感とも言えるものだ。
俺が言い訳しようと再び口を開こうとした瞬間。
ガバッとアオイが抱き付いて来た。
シャンプーの香りのする艶やかな黒髪が、俺の顔を撫でる。
「すまなかった。ウィルの事はずっと感知しているつもりだった。いざとなったら転移で駆けつけるつもりだった。しかし、不甲斐ない姉は動揺してしまったのだ」
感知?
俺はアオイの拘束から逃れようとする。しかし、アオイは離してくれなかった。
「ア、アオイ。大丈夫だから……」
「すまない、ウィル。感知頼りでは、転移に誤差が出た。駆けつけるのが遅くなってしまった」
……だから空から降って来たのか。
更に強まるアオイの包容。
痛い。
ちょっと、痛い。
色々と怪我してるから、痛い……。
「すまない、エオリア。私がもっとしっかりしていれば……」
「アオイ?」
俺はその知らない名前にドキリとする。
前にもどこかでその名前を……。
「ウィル。あまり心配を掛けないで欲しい」
しかし次の瞬間には俺を俺の名前で呼んだアオイは、体を離すと真正面から俺を睨んだ。
うっ……。
俺は思わず目を逸らす。
まるで姉貴に怒られている時の子供の頃の自分の様で、俺は苦笑を浮かべてしまった。
「……笑い事ではないのだぞ」
更にアオイに睨まれてしまう。
『まったく』
その時、不意に背後から低い声が響いた。忌々しげに歪んだ声だった。
『人形遊びとは、悪趣味が過ぎるぞ、レディ・ヘクセ』
俺たちの背後。一段高くなった屋根の上に、ごとりと重々しい足音が響いた。
はっとしてそちらを向いた俺とアオイを見下ろすように、そこには、あの甲冑が立っていた。
『我がエーレクライトの守りを全て吹き飛ばすとは……。この魔女め』
憎々しげに吐き捨てる甲冑。その鋭い面防が俺たちを睥睨する。
……あれだけの魔術攻撃を受けて無事なのか。
うっと顔を歪める俺とは対照的に、アオイが冷ややかな目で甲冑を見やる。
「無礼だな。誇りある貴族ならば、まずその暑苦しい面防を上げ、己が名をさらせ」
『我がエーレクライトこそ我が姿だ』
アオイの目がすっと細まった。
「……騎士団め」
アオイが無感情に呟く。
アオイと甲冑が睨み合う。
緊迫した空気が高まる。
俺はそっと周囲を見回し、先程取り落としたライフルの位置を確認した。
『ふん。エーレルトの人形の性能、確かめさせてもらうつもりだったが、貴様に介入されては意味がないな』
一触即発の空気から一歩引くように、甲冑が声を上げた。
その声は変わらず余裕ぶってはいた。しかし甲冑の装甲面は、先程のアオイの攻撃によりあちこちがすすけてしまっていた。もしかしたら甲冑の中身にもダメージがあるのかもしれない。
甲冑が遠くを見回すように周囲に首を巡らせた。
『まぁいい。所期の目的は果たした。今日はこの辺りでおいとまするとしよう』
甲冑がニヤリと笑ったような気がした。
奴は何を確かめたかったのだろうか。
所期の目的?
周囲の森では、まだ戦闘が続いている。恐らくは、ディンドルフ男爵とも。
急に集結し始めた魔術師たち。
そして突如現れた甲冑。
……恐らくは騎士団の魔術師。その介入だろう。
この状況と、その目的。
もしかしたら、奴らがこの状況を意図的に作り出したというのだろうか?
「お仲間は助けなくて良いのかな?」
『構わないさ。男爵には、我らの標となっていただこう』
アオイと甲冑の会話を聞きながら、俺はじっと考える。
俺は甲冑を見る。
その時。
甲冑と目が合った気がした。じっとこちらを見ていた面防の向こうの目と。
『……さらばだ、エーレルト』
甲冑が俺を見てそう呟いた。多分、アオイではなく俺を見て……。
次の瞬間。
まるで陽炎のように甲冑の姿が霞む。そして不意に、俺たちの前からその姿が掻き消えてしまった。
転移術式を使用したのだ。
行ってしまったのか……。
いや。
行ってくれたと言うべきか。
「はあっ……」
俺はそっと俯く。そして、体中に溜まった緊張を吐き出すように、大きく息を吐いていた。
「さぁウィル。屋敷に帰ろう。レーミアが温かいスープを用意して待っていてくれる」
戦闘の黒煙を巻き上げて吹き抜ける風に黒のマントをなびかせながら、アオイが俺に向き直った。
む。
帰るだなんて、とんでもない!
俺はアオイを見てブンブンと頭を振った。
「まだ戦闘は続いている。ディンドルフ男爵だって捕らえていない。ロラックや負傷者の救援だって……」
俺はぎゅっと眉をひそめてアオイの目を見た。
「アオイに頼むのは筋違いだとは思う。でも、頼む。部隊の救援に協力してくれないか?」
遠く銃声が響いていた。夜の森に広がる炎も見て取れる。
アオイは、しかし俺の問いには答えず目を逸らすと、未だに戦いが続く森を見た。
冷ややかな魔女の目で。
「ウィル。申し訳ないが、私はこの戦闘に介入しない」
アオイがぎろりと目を動かして俺を捉えた。
「それでは、犠牲者がっ!」
俺はずいっとアオイに詰め寄る。
「魔術で悲しむ者を見たくない。その為に私は活動して来た」
しかしアオイはあくまでも冷静に、静かな声で言葉を紡ぐ。
「誰かが悲しむのは私も望むところではない。しかし、軍警にしろあの魔術師たちにしろ、戦いたがる者たちを止めることなど、私には出来ない」
ドキリとした。
首元にナイフを押し当てられたような感覚に、胸の奥がすうっと冷たくなる。
俺は思わず、一歩後退さってしまった。
……アオイの言う通りだ。
魔術テロという非道な手段を用いる魔術犯罪者や騎士団。
テロを受けて反魔術師に傾く世論を利用し、一気に攻勢をかけた軍警。
どちらも己が大義名分の為に戦いを挑んだ。その戦いの為に傷付き倒れても、それは自業自得というものだろう。
俺はしゅんと肩を落とした。
少し前なら、魔術師など悪人だと切って捨てていただろう。その悪人と戦うのは、当たり前の事なのだと。
しかし今は、不思議とアオイの言葉に納得している自分がいた。
ディンドルフ男爵の娘さんの制服が、頭を過る。
「……勝手な事を言って悪かった」
俺はアオイに少しだけ頭を下げる。そしてとぼとぼと歩くと、ボロボロになった屋根の上に転がるブルパップライフルを拾い上げた。
そのままライフルをダラリと片手で下げながら屋根の端に進む。そんな俺を、マントを夜風に揺らしたアオイがじっと見ていた。
アオイに頼む事は出来なくても、それでも俺は俺の責任を果たさなければならない。
俺は軍警の隊員だし、今はΩ分隊の一員なのだ。作戦が継続している限りは仲間を援護して戦わなくては……。
それに、あの甲冑の言葉。気になることもあった。
「ウィル」
アオイが呼び掛けて来るが、俺はそちらを一瞥するだけで応えない。俺にも逃げられない戦いがある。
「ウィル。家に帰ろう」
優しいアオイの声。
しかし俺は頭を振る。
甲冑とアオイの魔術で破壊された大穴から、俺は屋敷の中を覗き込んだ。取りあえず隊のみんなと合流しなければ……。
しかし爆撃を受けた跡のように半壊状態になった屋敷には、下の階に下りられる様な場所はなかった。ただ奈落の底に続いているかのような破孔が、黒々と口を開けているだけだった。
俺は屋根の縁に手を突いて下りられないかどうか辺りを探ってみる。
……う。
屋根に上がった時は、甲冑の転移術式で跳んだんだったっけ。
俺はしばらく下を見つめる。
そしておずおずと後ろを振り返った。
「あの、アオイ」
アオイが無言でこちらを見返して来る。
「その、下りられない。頼む、下まで運んで欲しい……」
ちらちらと窺うようにアオイを見る。
尖り帽子の下、一瞬アオイが目を丸くする。そして少しの間を置いて、アオイはふわりと微笑んだ。
「まったくウィルは……。姉に頼ってばかりではいけないぞ」
口ではそう文句を言いながらも、マントをひるがえしてアオイが駆け寄って来た。
……屋根を下りる前にもう一度ぎゅむっと抱き締められてしまったのは、しょうがないことだと諦める事にした。
アオイの術式でふわりと屋敷前の庭園に降り立った俺は、素早くライフルを構えて辺りを警戒する。
慣性制御の術式のおかげで、4階建ての屋敷の屋上から飛び降りたにも関わらず何の衝撃もなく着地出来た。さらに、アオイの治癒術式のおかげで、あれだけボロボロだった俺の体も完治状態だった。
この治癒術式は、何度受けても慣れない。傷か一瞬で治るなんて、信じられなかった。
アオイ曰わく、俺とアオイの間柄だからこそ、ここまで術式の効きが良いという事のようだが……。
警戒しながらも歩調を早める俺と、その後を悠然と付いて来るアオイ。
軍警を援護する事は拒否されたが、付いては来てくれるみたいだ。
「そんなに慌てると転ぶぞ、ウィル」
背後からアオイの声が聞こえて来る。
「隊がディンドルフ男爵のエーレクライトと交戦中なんだ。早く援護しないと」
吹き飛んだ屋敷の破片だろうか、大きな木材が突き刺さる生け垣の脇を、俺は足早に通過する。
「あちらは恐らく大丈夫だろう。エーレクライトは両刃の刃だ。無敵ではない」
俺は歩みを緩める。そして眉をひそめてアオイを見ると、その言葉の続きを促した。
「エーレクライトには様々な機能があるが、それを行使するためには燃料、つまり装着者の魔素が必要になる。魔素を大量消費しての戦闘など、軍警部隊相手にそう続けられる訳がないだろう?」
つまらなさそうに説明してくれるアオイ。
つまりは、重装甲のお陰で燃費が悪いということか。
しかし、もしそれでディンドルフ男爵を倒してしまったのなら……。
もしかしたら、それはそれであの甲冑の思う壺なのではないかという気がしてしょうがなかった。
……いずれにしても、油断出来る状況ではない。
「了解だ。アオイ」
俺はアオイに頷き掛けると、改めて屋敷の正面玄関へ急いだ。
数段のステップの先にあるディンドルフ男爵邸の巨大な玄関扉は、部隊突入のためか、内部での戦闘のせいか、片側が脱落し倒れてしまっていた。
エントランスホール内部からは何も聞こえない。
俺は無事な方の扉に背を預け、中を窺う。
アオイは少し離れた場所からこちらを見ていた。
広いエントランスホールの中は、散々たる有り様だった。
家具や調度品など内装は完膚なきまでに破壊されてしまっている。攻撃魔術のせいか、あちこちが焼け焦げ、一部には未だ炎が残っていた。
そして倒れ伏す軍警隊員たち。
Ε分隊と俺たちΩ分隊の本隊、総勢20名弱がいた筈なのに、今この地獄のようなホールに立っているのは僅か5人だった。
そのうち2人は、倒れた仲間たちの確認に回っていた。うめき声も聞こえる。完全に手遅れという訳ではないようだった。
そして残りの3人は、ホールの中央にいた。倒れた大きな何かを見下ろすように集まり、立っている。
「ブフナー隊長!」
俺はその中に分隊長の姿を認めると、ローファーで瓦礫を踏みしめながら、エントランスホールの中に入った。
「ウィルちゃん!無事だったのか!」
防弾ヘルメットを脱ぎ去り、煤で汚れた顔に驚きの表情を浮かべたブフナー分隊長が振り返る。
振り返った分隊長の向こう。みんなが取り囲んでいたものがちらりと見えた。
それは、煤け、歪んだ奇怪な甲冑だった。
ディンドルフ男爵のエーレクライトだ。
……倒したのだ。
「新手のエーレクライトはどうした? ロラックたちは?」
俺は分隊長の前に立つ。そして眉をひそめながら、疲労が浮かんだその顔を見上げた。
「エーレクライトは撤退しました。でもロラックたちは……」
未だに安否は不明である。
「そうか……」
顔を曇らせる分隊長から、俺は倒れた手長の甲冑に目を移した。
形状こそ歪かもしれないが、かつては宝物として扱われて来たであろう鎧。しかし今、その鎧は無惨にも破壊されてしまっていた。
全身に銃撃の痕が穿たれ、兜は脱落してしまっている。
そしてその内部から、豊かな髭を蓄えた壮年の男の顔が覗いていた。
これがディンドルフ男爵……。
どこに傷口があるのかもわからない程血で汚れた顔と虚ろな目。一瞬手遅れかと思ってしまったが、俺が傍らに膝を突くとその眼球だけがぎょろりと動き、俺を捉えた。
生きている!
間に合った!
「アオイ、治癒を! 頼む!」
俺はがばっと屋敷の入り口を振り返る。
「ウィルちゃん、何を?」
「わっ、何だ、お前は!」
訝しむブフナー分隊長たちと、すっと屋敷に入って来た尖り帽子黒マントのアオイに驚いた隊員が、同時に声を上げた。
「ウィル。何だと言うのだ……」
周囲の隊員たちから突き刺さる敵意にも似た警戒の視線を受け流し、アオイがしゃがむ俺を見下ろした。
「ディンドルフ男爵を死なせてはいけない。いけないと思うんだ」
俺はアオイを見上げる。そして集まって来た隊員たちを見回した。
「あの甲冑は言っていた。騎士団は、男爵を道標にすると。それは多分、男爵が軍警に倒されるっていう構図が、奴ら、騎士団に取って望ましい事なんじゃないかって思うんだ」
今回の作戦。
途中から流れが変わったように思えた。
急に魔術犯罪者たちの動きに統率が見えたり、このディンドルフ男爵邸が主戦場になったり。
そしてあの甲冑。
俺など相手にせずにディンドルフ男爵を援護していれば、壊滅していたのは軍警の方だったと思う。
しかし奴は、男爵を援護せずに引いた。
つまり男爵は、対軍警のスケープゴートにされたのだと思えた。
そこに、どんな目的があるのかは今はまだわからない。
しかし、奴らの思い通りにはなりたくなかった。
俺は立ち上がる。
ぱんぱんとスカートを叩く。いつの間にかタイツに穴が開いてしまっていた。
遠く、ヘリの音が響いている。
騎士団。
魔術師。
エーレクライト。
……そして、人形。
「しょうがない子だ、ウィルは。姉使いが荒いのだから」
そう呟きながらしゃがみ込むアオイの横顔を、俺はそっと盗み見た。
夜はまだ半ばであり、朝は遠い。
それは、今の俺を取り巻く状況と同じように思えた。
俺は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「分隊長。被害確認をしましょう。外の隊も気になるし、ロラックたちの救援も考えなくては」
俺はブフナー分隊長を見た。
「ああ。軍警からは応援が来るって……」
取りあえず今は、難しい事は考えないことにした。
今日の所は、この悲惨な夜を乗り越え、まずは朝を目指す。
他の事は、それから考えよう。
そう思った。
ご一読、ありがとうございました!




