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Hexe Complex  作者:
34/85

Order:34

 暮れ行くオーリウェルの街並みに、明かりが灯り始める。

 随分と日が落ちるのが早くなった。朝夕はめっきりと寒くなって、そろそろ冬物のコートが必要だなと思う。

 む。

 そういえば、俺には冬物の服がない。

 今度ソフィアに頼むか、はたまたアオイと一緒に買い物に行こうか。

 静かな住宅街の片隅。こぢんまりとした雑貨屋の店先で、俺は石壁にもたれ掛かりながらぼんやりと携帯をいじっていた。

 何故か周囲の視線を感じる。先ほどは見知らぬ男性に声を掛けられたし……。

 今の俺の服装は、紺色のブレザーに胸元には赤のリボン。チェックのスカート、それに黒いタイツ。着慣れた聖フィーナの制服ではないけれど、完全に女子学生の格好だった。

 どう見ても普通の筈なのに……。

 この衣装はみんな、Ω分隊の隊員たちとレインが用意してくれたものだった。何故こんな服を即座に用意できるのか疑問だったが……。

 それに、分隊のみんなに騒がれ、注目されながらこんな格好をするのは、凄く恥ずかしかったけれど……。

 これも任務なのだから、しょうがない。

 葉の落ちた物悲しげな街路樹が、夜風に微かに揺れていた。

 住宅街といっても大通りから少し入り込んだだけのこの場所は、家路を急ぐ人々や車が頻繁に行き交っていた。

 俺は、そんな人々を何となく眺める。

 そんな風を、装っていた。

 しかし、真に注目しているのは正面の石造りのアパートメント。その2階、右端の部屋だ。

 今は明かりが灯っている。その部屋の住人が帰宅したのを、先程俺が確認していた。

『作戦開始5分前』

『Ω6よりΩリーダー。刑事部の車両到着』

『Ωリーダー了解。総員。魔術師はどの方向に逃走するか想定出来ない。警戒を厳とせよ』

 髪に隠すように身に付けたヘッドセットから、対象のアパートメントを取り囲むように配置についている各隊員の了解の声が響いた。

「Ω12より各局。正面、捜査官の到着を確認」

 俺は髪に隠した通信機に、そっと目の前の状況を吹き込む。

 到着した車から、3人のスーツ姿の捜査官が現れた。彼らはそのまま俺が監視するアパートメントの中に入っていった。

 2階の部屋をチラリと見る。

 対象に動きは認められない。作戦が感知されたような様子はなかった。

 間もなく、軍警オーリウェル支部を挙げた魔術犯罪者に対する市内同時大規模取締作戦が開始される。かねてからの魔術犯罪者によるテロ活動、そしてオーリウェル中心部で発生した先日の魔術テロを受け、過激派と目される魔術師の一斉検挙が行われる事になっているのだ。

 俺がこんな格好で一般人を装い監視任務に付いているのも、検挙対象者の1人である魔術師の動向を見定めるためだった。

 もっとも、ただの監視なら普通の格好でいいのではと思ったが、この服装はブフナー分隊長以下の強い要望によるものだった。

 ……まったく。

 この服装では、銃の隠し場所に困るというのに……。

 愛用のブルパップライフルは、スポーツバッグに入れて足元に置いてある。まぁ、結局はいつも通りというわけだ。

 ……時間だ。

 市内に潜伏している魔術犯罪者に対して、刑事部の捜査官たちがアプローチを開始する時刻。

 俺たちのターゲットに対しても、捜査官たちが接触しているのが無線から聞こえた。

 対象が大人しく従えば、作戦は対象の護送へと移行するのだが……。

 俺はスポーツバッグを肩に掛けると、そのファスナーを開いた。

 中に入っているライフルのグリップをそっと握る。

 無線からは、怒鳴り合いなどの緊迫したやり取りが流れ始めた。

 ……やはり。

 そうすんなりと事態が進むとは、思わなかったが。

『Ωリーダーより各員。突入準備』

 やはり予想していたのだろう。ヘッドセットからブフナー分隊長の冷静な声が響く。

 瞬間。

 ドンっとお腹に来るような重い衝撃が、正面のアパートメントから響いて来た。

 俺はバッグからライフルを取り出す。そして通りの反対側、捜査官たちが乗ってきた車に向かって走り出した。

 いつの間にか通行人や通りを行き交う車の姿はなくなっていた。作戦開始と同時に、別のチームがこの一帯を封鎖しているのだ。

『Ω、ワグナー捜査官だっ。魔術攻撃を受けている。援護を!』

『Ω了解。チーム1突入!』

『了解!』

 近くの路地に身を隠していた黒尽くめの隊員4名が、アサルトカービンを構えながら古びた石造りのアパートメントに向かって行く。

 車の陰からブルパップライフルを構えて援護体勢をとる俺を、突入する隊員たちが一瞥した。

 俺はコクリと頷き、進めのハンドシグナルを送る。

 突入する隊員たち。

 直ぐに建物の中から銃声が聞こえてきた。

 同時に鈍い衝撃が繰り返す。まるで石造りの建物自体が振動している様だった。

『Ω12、行ったぞ!』

 無線から響く怒鳴り声。

「Ω12、了……」

 俺がそう答えようとした瞬間、アパートメントの2階の窓が吹き飛んだ。

 石畳の上に、ガラス片が散乱する。街灯の光を受けた粉々の窓ガラスが、キラキラと輝きながら舞っていた。

 その中を、男が飛び降りてくる。

 2階の窓から。

 長袖Tシャツにズボンというラフな格好だったが、その手足は淡い光に包まれていた。

 身体強化の術式だ。

「があああっ!」

 男は獣のような咆哮を上げ、四つん這いの姿勢で通りに降り立つ。

 俺は車の陰から体を出すと、男に向かって銃口を向けた。

「軍警だ! おとなしくろ!」

 精一杯低い声で叫ぶ。

 こちらを睨む男の顔が俺を見て一瞬緩む。しかしその目線が俺の銃を捉えると、男の顔が憤怒に染まった。

「大人しく……」

「Milldei hffmihg vivuu!」

 3言成句の高速詠唱!

 男が俺に向かってさっと手をかざした。

 ほとばしる光の筋。

 鞭のようにしなった3条の光。上方と左右から、弧を描いて俺の隠れる車に牙を剥く。

 俺はすかさずトリガーを引く。

 ライフルの反動がストックを通して肩を叩く。

 しかし、迎撃するには敵の手数が多すぎた。

 上方から迫る光鞭を撃墜した時点で、俺は迎撃を諦めて車の陰に身を隠した。

 金属を貫く甲高い音が響き、車体が揺れる。

 俺はすかさず車から飛び出すと、男に向かってトリガーを引いた。

 男が笑う。

 そして再び四肢に光をまとうと、ぴょんと横飛びした。

『Ω12! 援護に出るぞ!』

 ヘッドセットからの声と同時に、アパートメントの脇の路地から3人の隊員たちが飛び出して来る。

 裏手に回っていたロラックたちだ。

 火線が走る。

 ロラックたちと俺で十字砲火を仕掛ける。

 しかし、ぴょんぴょんと跳ねる男を捉える事が出来ない。

「カエルかっ!」

 俺は車に身を隠しながら弾倉を交換する。

 回避の合間に、隙をみては男が光の鞭の術式を唱える。

 縦横無尽に駆け回る光条が、建物の外壁をえぐってロラックたちを路地へと押し返し、俺が隠れる車のガラスを粉砕した。

 身体強化と光鞭の術式の連続使用。

 ……詠唱が早い!

 こいつはごろつき魔術師なんかじゃない。

 手練れだ。

 俺が再攻撃を仕掛けようとした瞬間。

 ブブッと無線にノイズが走った。

『Ω3よりΩ12』

 低い声が聞こえる。

『対象を車道側に跳躍させろ。こちらで仕留める』

 仲間ながらぞっとしてしまうような、冷たい平板な声だった。

「Ω12、了解」

 俺は応答してから、ふうっと息を整える。

 頭の中でこれから取る動きをシミュレートする。

 魔術師はロラックたちと交戦している。

 俺はその背後に回り込むように車の陰を移動し……。

 ふっ。

 浅い息。

 そして。

 ここっ!

 俺は一気に飛び出した。

 スカートを翻し、ライフルを構えた低い姿勢で。

 男がこちらに気が付く。

 俺は建物を背にするようにして走り込み、フルオート射撃を浴びせる。

 ロラックたちも俺に合わせて牽制射撃。

 たまらず男が大きく跳躍する。

 後方へ。

『ターゲットインレンジ』

『オープンファイア』

 同時にぼそりと聞こえた無線の声。

 瞬間。

 銃声が響く。

 一発。

 人気のない夜のオーリウェルに長く響く。

 ぱっと血が広がる。

 男の足から。

「がああああっ!」

 男が倒れる。

『ヒット』

 無感情な声。

 スナイパーの声だ。

 跳躍からの着地のタイミングを狙って狙撃された男は、血が溢れる足を押さえ、寒々とした石畳の上で激痛に悲鳴を上げていた。

 俺とロラックたちが即座に駆け寄る。そして男に向かって銃口を突き付けた。

「Ω12から各局。対象制圧。繰り返す。対象制圧」

 俺はヘッドセットに手をかけ、報告する。

 そして、ふうっと大きく息を吐いた。



 軍警所属の医務班と護送用のチームが到着すると、行き交う隊員たちと車両のパトランプのせいで、閑静な裏通りは騒然となっていた。

 先ほど俺たちが確保した男は、傷の手当てをされた後、オーリウェル支部に移送される事になっていた。

 俺は揃えた膝の上にライフルを乗せ、兵員輸送車のタラップに腰を掛けてその光景を見つめていた。

 戦闘中は気が付かなかったが、胸の鼓動が物凄い速さになっていた。シュリーマン中佐にいくら実戦経験豊富だと誉められても、やはり実戦の緊張感というものは慣れるものではなかった。

 こんな事ではいけないというのに……。

 俺は胸に手をあて、ふうっと大きく息を吐いた。

 男を乗せた護送車が走り出す。

 先ほど戦ったあの魔術師は、騎士団や貴族派の魔術師と魔術テロの実行犯グループとを繋ぐ役割をしていたと目されている男だった。かねてより刑事部が内定を進めていた対象だった。こいつ自身も、各地の魔術テロの容疑者と目されている人物だ。

 今回のエストヴァルト駅前の魔術テロでも、その関与が疑われている。よって、今作戦での確保対象となっていたのだった。

 ……魔術テロの容疑があるのなら、さっさと逮捕しておけば良かったのだ。そうすれば、今回のテロだって防げたかもしれない……。

 俺は拳をギュッと握る。

 目を伏せ、そっと頭を振る。

 ……こうだったら、ああであればと思うのは、意味が無いことだ。

 ……いけない。

『総員、指揮車に集合してくれ』

 無線からブフナー分隊長の声が聞こえる。

 俺立ち上がり、髪を掻き上げる。そしてスカートを揺らしながら、パタパタと分隊長たちが詰める黒塗りのバンに向かって駆け出した。

 それぞれ休憩していたΩ分隊の隊員たちが集まって来る。

 ロラックやスナイパーライフルを持ったΩ3とスポッター役のΩ4の姿もあった。

 皆一様に黒いタクティカルベストに防弾ヘルメットを装備していた。フェイスマスクを装着し、ギラギラとした目だけを覗かせている隊員もいた。

 その中で、ヒラヒラスカートと、聖フィーナよりは地味だとはいえ学生のブレザー姿の俺は明らかに浮いていた。

 ……知らない人が見たら、軍警部隊に紛れ込もうとしている一般人にしか見えないと思う。

「Ωの諸君、ご苦労だった」

 バンから出て来たブフナー分隊長が話し始める。しかし居並ぶ屈強な隊員の壁のせいで、小柄な俺は前が見えない。

「作戦全体の推移は極めて順調だ。確保対象についでは、我が分隊も含め、既に3つのポイントをクリアにした。ここと、ここと、ここだ」

 分隊長が何か説明しているが、やはり見えない。

 俺は隊員の列の後ろをうろうろと歩いてみたり、うんっと背伸びしてみるがダメだった。

「続いて、ポイントホテル、マイク、ノベンバーの制圧に移るが、ノベンバーは……」

「……何やってるんだよ、ウィル」

 もぞもぞ動いている俺に気が付いたロラックが、俺を前に通してくれた。

「おお、ありがと」

 俺はロラックに微笑み掛ける。何故かきょどきょどしたロラックが、さっと俺から目を逸らせてしまった。

 何だ、せっかく感謝したのに……。

「よって我が隊はこれより移動を開始する。想定される敵勢力は雑魚ばかりだと思うが、数には注意しろ」

「「了解!」」

 夜の街に、隊員たちの力強い声が響く。

 作戦はまだ終わりではない。検挙すべき魔術師は、まだまだいるのだから。

 ぽんっと誰かが俺の肩に手を置いた。反対の肩にも、誰かが手を置く。

「では総員、乗車。移動を開始する。油断するなよ!」

 分隊長の撃が飛ぶ。

「大丈夫ですよ、隊長!」

 誰かがそれに応えるように声を上げた。

「うちの隊には、幸運の女神さまがついていますからね!」

 別の誰かが、そうだ、そうだっと声を上げる。

「頼りにしてるぜ、Ω12!」

 古参の隊員がニカっと俺に微笑みかけて来た。

 気楽な笑い声が上がる。

 気が付けば、俺はニヤニヤ顔の周りの隊員たちから注目されていた。

 む。

 むむっ。

 みんなでからかって……。

 俺は必死に厳しい表情を維持して、周囲を見回した。

「が、頑張りましょう……」

 何とかそう言ってみるが、周囲はなおも何かを期待する目で俺を見ていた。

 うぐ……。

 俺は微笑んだ。

 取り敢えず、出来るだけにこやかに……。

「よっしゃ!」

「行くぜ!」

「よーし」

「ウィルちゃーん」

 どっと歓声が沸き起こり、やる気の声と共に移動準備を始めるΩ分隊の隊員たち。

 ……何だ。

 何だというんだ。

 俺は1人ぽかんとしてしまったが、はっとして自分も移動の準備を始めた。



 次の俺たちの目的地は、旧市街の古い住宅地だった。近年、昔から居住していた人々が年老い、人口が減っている地区だ。

 さらに、旧王国の時代から下層民の住宅地だったこの辺りは、通りも狭く建物同士も入り組んでいる。そのため、個人の土地や建物の権利が複雑に絡み合い、容易に再開発が出来ない地区となっていた。

 俺たちを乗せた輸送車は、そんな狭く細い通りに入り込む。スピードを落とし、ノロノロと複雑な路地を進んで行く。

 俺は輸送車の固い座席の上、体の大きな隊員たちに挟まれながら、抗議の声を上げていた。

「うぐっ、何で予備の服がないんだ?」

「だから、女の子に合うサイズなんて乗せてないって」

 正面に腰掛けたロラックが苦笑いを浮かべていた。

 俺は短めのスカートをパタパタさせる。

 ロラックがうっと唸って顔を背けた。

「でも、こんなんじゃ……」

 次の制圧任務がやりにくい。

 一般人に紛れての任務が終わったのだから、着替えておきたかったのだ。

「そんなにむくれるなよ、ウィルちゃん。それに、着替える場所だってないんだ」

 厳つい顔にスキンヘッドの隊員が笑った。

 ぐぬ。

 確かにそうだが……。

 微笑ましそうに笑う隊員たちを八つ当たりの意味も込めて睨みつけてやろうとした瞬間、無線が鳴った。

『こちら、ブフナー』

 指揮車に搭乗している分隊長だ。

『問題が発生した』

 その声に、輸送車内の空気が一瞬にして引き締まった。

『我々の次の目標だった魔術師集団が、急に動き出した。監視していた隊員が追跡しているが、状況が判明するまで一時待機だ』

「逃げたか」

 嘲るように誰かが口走った。

 ……もしくは、作戦の情報がもれたか、だ。

 既に優先順位の高い目標については、初撃で制圧を仕掛けている。今向かっているのは、二次目標。比較的優先順位の低いターゲットたちだった。

 既に大々的に一撃が加えられている以上、軍警が動いているという情報が広がるのは避けられないだろう。しかし、それにしても逃走開始が早すぎる気がするが……。

 ……何かあるか。

 車が停車した。

 そして、猛烈な勢いでバックし始めた。

「のわっ」

 考え込んでいた俺は、 思わず隣の隊員にしがみついてしまう。

「う、ウィルちゃん……」

「悪い」

 声を裏返らせるその隊員から身を離し、俺はもぞもぞと姿勢を正した。

『諸君。悪い知らせだ』

 四辻で荒っぽい方向転換をした輸送車が、エンジンを唸らせてスピードを上げる。

『こちらCP。ミルバーグだ』

 ヘッドセットから聞こえてくる声が、支部で部隊の指揮を執っているミルバーグ隊長に切り替わった。

『問題が発生した。本作戦の最大目標である貴族級魔術師、ディンドルフ男爵を押さえに向かったΕとγが、戦闘状況に陥った』

 みんなが息をひそめ、じっとミルバーグ隊長の声を聞き入る。

『詳しい状況は確認中ではあるが、そこに市内の魔術犯罪者集団が合流しつつあるようだ。敵増援により、戦闘は拡大し続けている。諸君には、その援護に向かってもらいたい』

 狭い車内で誰かが舌打ちをするのが聞こえた。

 俺たちの目標としていた奴らも移動しているという。もしかしたら、その男爵に合流しようとしているのか。

 敵の統制が取れ始めている? いや、情報が共有されつつあるというべきだろうか。

 それに加え、貴族級魔術師との戦闘……。

 今朝、心配そうに俺を送り出してくれたアオイの顔が脳裏を過った。

 もし敵が、アオイみたいに強大な力を持っていたら……。

 くっ。

 俺はきゅっと唇を噛み締めた。

『Ω分隊にはヘリを回す。至急、Ε、γを援護してくれ。以上だ』

 ミルバーグ隊長の声を聞きながら、俺は輸送車の小さな窓から夜空を見上げた。



 暗く沈むオーリウェル郊外の森。ポツポツと点在する幹線道路の街灯しか光源のない暗闇の中を、シャバルツフォーゲルの低いエンジン音が響き渡っていた。

 赤い非常灯だけが灯るヘリのキャビンで、俺も含めたΩ分隊の隊員たちはじっと息をひそめていた。

 今夜は曇っているのか、ミニガンを構えるドアガンナーの向こうに見える夜空には、月も、星さえも見る事は出来なかった。

 制服のブレザーの上に皆と同じタクティカルベストだけを装備した俺は、自然と強張ってしまう顔に何とか抵抗しようとぎゅっと唇を引き結び、前方のパイロット席へと目線を向けた。

 ブフナー分隊長の戦況説明や、時折無線から流れてくる戦闘中の隊の声を聞いていると、状況はさらに悪化しているらしい。

 俺たちΩ分隊を収容したヘリが目指しているのは、オーリウェル郊外に居を構えるディンドルフ男爵の屋敷だった。

 男爵は、騎士団の下部組織である政治団体、聖オーリウェル同盟の幹部であり、騎士団本体の幹部でもあると噂されている人物だった。

 軍警はオーリウェルで活動している過激派魔術犯罪者の黒幕こそが、このディンドルフ男爵だとみなし、捜査を続けて来た。

 しかし相手は政界にも力を持つ貴族である。

 男爵は今回の大規模取締作戦においても最大の標的でありながら、最も慎重な対応が求められる相手だった。現に刑事部も、男爵に対しては逮捕令状による強制執行ではなく、あくまでも任意の出頭を求めるというスタンスを取っている筈だった。

 ところが軍警と男爵側の睨み合いが続く状況に、突如現れた魔術師たちが介入し始めたらしい。そして、どうやらその魔術師たちというのが、俺たちや他の分隊が二次目標にしていた市内の一般的な魔術犯罪者の集団らしかった。

 奴らがどうして男爵と合流しつつあるのか、そんな混沌とした状況でどうやって戦端が開かれてしまったのかは現在の所は不明だった。

 しかし、魔術師共に担がれた形になった男爵も、応戦せざるを得なくなった軍警も含め、事態が急激に悪化しつつあるのは明白だった。

 こうなれば、一刻も速く現状の鎮圧が求められる。放っておけば、死傷者の数が増えるだけだ。

 そこで、俺たちのように市内で展開していた部隊にも援護命令が下ったのだ。

『到着まで1分!』

 ヘリの副操縦士がキャビンの俺たちを振り返る。

 アプローチコースを定めるように、ヘリが大きく左旋回した。

 吹き込んでくる空気に、ヘリの機械臭に加えて何かが焦げるような臭いが混じっている気がした。

 眼下に広がる夜の森。

 ヘリが機首を向けたその先が、赤々と燃え上がっていた。

 立ち上る黒煙が、夜をさらに黒く黒く塗り潰していた。しかしその森の中に佇むディンドルフ男爵の屋敷の大屋根は、はっきりと見る事が出来た。

 何故ならば、周囲の森から上がる火の手が。赤々と屋敷を照らし出していたからだ。

 あちこちに炎が見える。

 通過するヘリの足元に、横転して炎上する軍警のバンが見えた。

『そこのシャバルツフォーゲル! 機銃掃射をしてくれ!』

 爆音が響く。

『ぐっ、援護を!』

 下の森では、火球や氷の矢、雷撃の魔術があちこちで飛び交っていた。それに合わせて、軍警部隊の銃撃音が鳴り響く。

『フォーゲル2、了解だ。パッケージを下ろすまで待機してくれ』

『ぐっ、早く頼むぜ』

『俺たちは屋敷の裏庭に。Ω分隊、備えろ。屋敷を制圧し、目標を確保する』

『フォーゲル1、射撃位置についた。目標を指示せよ』

『γ2からCP! 北東の林に熱源! 車両だ。ああ、くそ! 火球を撃って来やがった!』

『CPよりΩリーダー。降下地点を報告せよ』

『こちらΩリーダー……!』

 錯綜する無線。

 炎に縁取られた眼下の光景。

 俺は、気付かないうちにガタガタと震えていた。

 意味がわからなかった。

 短い期間でも、きちんと立案された作戦だった筈だ。制圧時の個別の戦闘は想定されていても、こんな市街戦のような乱戦になることは、想定されていなかった筈だ。

 何かが、狂った。

 その何かとは何だ?

 ……しかし、今は行くしかない。

 行くしか、ないのだ。

 この事態を収めるためにも。

 俺はきゅっと唇を引き結ぶ。

 ついこの前。エストヴァルト駅前の惨状を見て、もう二度とこんな悲劇は見たくないと思ったばかりなのに。

 しかし今そこには、同じように凄惨な光景が広がっている。

 混乱と恐怖と、無力感。

 ……ダメだ。

 俺は小さく頭を振る。

 ここに来ること望んだのは、俺自身なのだ。

 俺は震える手に力を込めて恐怖を誤魔化した。

 俺に出来ること。

 そうだ。

 俺の役目を、果たさなければ……!

 俺は頭を上げ、キッと前を見る。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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