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Hexe Complex  作者:
30/85

Order:30

 ヒュリツ先生の挨拶が終わると、俺は鞄を掴んで席を立った。ジゼルやアリシア達に挨拶すると、急いで教室を出る。ふわふわとスカートを膨らませながら階段を下り、そのまま髪を揺らして教室棟からも飛び出した。

 パタパタと足音を響かせて校門をくぐり学院の外に出ると、俺はキョロキョロと辺りを見回した。そして、正門から少し離れた所に止まっていたセダンを見つける。

 エーレルト家の車のように高級車ではない。同じ黒でも、一般的な大衆車だ。

 その車の脇に立ち、俺を待ち構えている人影が2つ。

 片方は長い黒髪を背中に流し、腕組みをしているアオイ。冬服の白いブレザー姿だ。そして、もう片方はパリッとしたパンツスーツ姿の小柄な女性。軍警オーリウェル支部の捜査官、アリスだ。

 アリスは何だか居心地悪そうにアオイを横目で窺っていた。そのアオイは、何時もの泰然とした様子のままだった。

 2人の間には、険悪とは言わないまでも居心地の悪そうな雰囲気が漂っていた。

「あ、遅くなって悪い、2人とも」

 俺が小さく手を上げながら駆け寄ると、同時にこちらを見た2人がぱっと顔を輝かせた。

 アリスはほっとしたような安堵の表情で。

 アオイは嬉しそうな笑顔で。

「遅いわ、ウィル」

「ホームルームが長引いて。悪い、アリス」

 俺はアリスに苦笑を返した。

 アリスも軍警の人間だ。アオイという貴族級魔術師と一緒に待たされて緊張したのだろう。

「さぁ行こう、ウィル。ふふ。ウィルの職場か。楽しみだな」

 笑顔で俺の頭を撫でに掛かるアオイ。俺はその手を素早く払いのけ、しかしうんと頷く。

 これから俺とアオイが向かうのは軍警オーリウェル支部。

 それも定期報告などで出頭する訳ではない。

 アオイと一緒に向かうのは、これも俺たちの捜査活動の一環だからだ。

 俺が後部ドアを開けて車に乗り込むと、アオイも付いて来た。

「やぁ、ウィルちゃん。制服姿も素敵だなぁ。良く似合っているよ、うんうん」

 運転席からバートレットが振り返る。タバコを咥え、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「バートレット、お疲れ様です。アオイ共々、今日はよろしくお願いします」

 俺はバートレットに軽く頭を下げ、隣のアオイにも目配せした。挨拶ぐらいしておいてもいいだろう。

「ご挨拶なら先程させていただいた」

 こちらの意図を読んだアオイが首を傾げて微笑む。

 む。

「なら車の中で待っていればいいのに」

 俺がそう突っ込んでみると、アオイが困った様に笑った。

「タバコの臭いは苦手でね」

 それを聞いた運転席のバートレットが、はははと声を上げて笑った。

「だから車内での喫煙は禁止だと言っているでしょう、イーサン」

 アリスが顔をしかめながら助手席に乗り込む。

「いやはや、手厳しいなぁ。まぁ、今日の所は我慢しますよ。何たって美少女3人とドライブだしなぁ?」

 冗談めかして笑いながら、煙草を携帯灰皿に押し込んだバートレットが車を発車させた。

 俺は少女じゃないけど……。

 加速度を感じさせない滑らかな動きで車は速度を上げていく。

 アオイがベッケラード伯爵から手に入れた禁呪研究者のリスト。そして呪具店で得た術式陣の触媒を大量購入した者の情報。

 俺たちの調査では、それらを結び付けることは出来なかった。

 しかし、道は閉ざされた訳ではない。

 ここで諦めることは、俺には出来なかった。

 熟考の結果。

 俺はアオイに、軍警のデータベースに当たってみてはどうかと提案してみた。

 まずアオイが手に入れたリスト。

 要注意指定の魔術師ならば、軍警の監視が付いている可能性がある。例え監視対象になっていなくても、動向調査などで最近の動きを把握出来るかもしれない。居場所がわかれば、個別に当たってみる事も可能だ。

 そして呪具店の情報。

 店主の老人に話を聞き、術式陣の触媒購入者の特徴や購入者台帳の名前は確認済みだ。

 果たしてこの者が何者なのか。

 もしかしたら、軍警のデータベースから何かわかるかもしれない。

 俺はその可能性を確かめる為に、それらの情報を軍警に持ち込んでみようとアオイに提案をしてみたのだ。

 しかし意外にも、アオイは直ぐには頷いてくれなかった。

 難しい顔をするアオイ。

 俺たちはしばらく睨み合い、根気よく説得して、最終的にはアオイが折れた。

「しかし、条件がある。ベッケラード伯のリストの確認照合は、ウィルの手でやって欲しい。有象無象の軍警などに、知られて良い情報ではない」

 アオイが刃のように鋭く光る目線で俺を射抜いた。

 それを聞いて俺はむうっと唸る。

 一緒にいて忘れそうになるが、魔術テロ阻止という共通の目的はあっても、本来アオイと軍警は対立関係にある。簡単に信じ合うのは難しいことなのだろう。

「条件がもう1つ」

 アオイが白く細い指をピンと立てた。

「情報の照合には私も立ち会う」

 リストは俺が扱う。アオイも立ち会う。

 それが俺たちが得た情報を軍警に持ち込む条件だった。

 早速それを、俺はバートレットに相談してみた。

 しかし、バートレットからも即答は得られなかった。

「情報管理は組織の要だからな。俺の一存じゃ決められん。部長に報告する」

 そう言ったバートレットの解答を待つこと2日。

 ヘルガ刑事部長から俺の携帯に直接連絡が来た。

「ウィル。最近色々動いているようね。バートレットから聞いているわ」

 ヘルガ部長の声は平板で冷ややかだった。

「あなた、いえ、エーレルト伯からの提案、受けましょう。ただし条件が2つ」

 俺は部長の迫力に呑まれて、電話口ではいと返すことしか出来なかった。

「1つはこちらのデータ開示は、やはりウィル、あなたのみに限定します。エーレルト伯の情報閲覧は認めません。2つ目は、伯爵とお話がしたいわ。私と会談していただけるよう伝えてくれないかしら?」

 軍警としてもアオイの情報には興味があったのだろう。

 こうして双方の意見をすり合わせた上で、アオイと俺はこうしてバートレットたちの車で軍警オーリウェル支部に向かう事になったのだ。

 俺は足を組み、車窓に目を向けているアオイをそっと見た。

 アオイは、軍警側の条件を聞いてからというもの、支部行きに妙に乗り気な様子だった。

「一度ウィルの上司にもきちんと挨拶しておかなければな」

 そう言ってからニヤリと笑った顔は、それまでの真剣な顔とは打って変わり、とても楽しそうだった。そして、あれは何かを企んでいる顔でもあった。

 ……俺にはわかる。

「ん? どうした、ウィル?」

 不意にアオイがこちらを見た。

 俺はさっと目を逸らした。

「な、何でもない……」

 ……今は軍警のデータベースから何か得られるよう集中しよう。

「ほほう」

 運転席から、ニタニタ笑いが聞こえてきた。

 顔を上げると、バックミラー越しにバートレットがじっとこちらを見ていた。

 何だか腹の立つ笑いだったので、俺はきっとその目を睨み返しておく。



 俺たちを乗せた車は、夕闇の中、軍警オーリウェル支部に到着した。

 すっと駐車場に入る黒のセダン。

 エンジンが止まり静寂が戻ると、俺たちは車を降りた。

 駐車場に降り立った俺は、んっと伸びをすると、ブルパップカービンの入ったバックをよいしょと背負い直した。

 最近は報告も電話ですませていたし、書類もアリスやバートレット経由で提出していたから、支部にやって来るのは久し振りの事だった。

 トレーニングや本格的な銃のメンテ、弾薬補給など支部に来なければいけない用事も沢山あったが、俺も忙しいのだ。

 平日は学校があるし……。

「じゃあ、エーレルトさんはこちらへ。刑事部長のところまで案内するわ」

 アリスがアオイの前に立った。

 俺とアオイは視線を交わす。

「じゃあ、アオイ。また後で。食堂で待っていてくれ」

「ああ。ウィル、よろしくな」

 俺の方はバートレットに案内され、刑事部の資料室に向かった。

 アリスとアオイの姿が見えなくなると、やはりニヤニヤしたバートレットが俺を見た。

「ウィルくん。あの伯爵さまと一緒に住んでいるんだよな」

「え? はい、そうですが……」

 何を今さら。

「ふふん、中身はノーマルだが、表面上は禁断の……。うむ、なかなか」

 髭のまばらに生えた顎を撫でながらニヤつくバートレット。俺は特に何もコメントせず、つっと視線を逸らした。

 アリスから事前に指導を受けている。バートレットのよく分からない発言は、取り敢えず放置しておくようにと。

 俺はバートレットを追い越し、さっさと軍警本部棟に入った。

 一応日勤組の終業時間は17時なので、庶務部や他の事務員なんかはもう帰宅する時間だろう。駐車場には車が少なかったので、多くがもう帰った後なのかもしれない。しかしそれでも、当直の作戦部員や残業中の捜査員など、まだ多くの職員が支部の中には残っていた。

 そんな軍警の中でも、特に刑事部は昼夜を問わず捜査活動が続いている部署だ。そのため、どんな時間でもバタバタとしている。現に今も忙しなく行き交う人で溢れていた。

 その中をバートレットの先導で、俺は資料室に向かう。

 バートレットは結構早足、いや、俺なんかより体格が良い分大股だった。気が付けば置いていかれそうになるので、俺はせかせかと早足で歩かなければならなかった。

 その上、先ほどから俺はどうも違和感を覚えていた。

 すれ違う職員たちが、やたらとジロジロ俺を見てくるのだ。

 アリスみたいな女捜査官は、いてもまだ少数だ。

 この刑事部フロアにいる職員たちは、大半が男性だった。

 その無数の視線が俺を捉える。胸とか足が見られているのが良くわかる。

 その遠慮のない視線に、俺はどうしていいのかわからず眉をひそめ、視線を泳がせていた。

 男ばかりの中で居心地が悪い。

 俺、何か変な格好をしているだろうか。

 俺はそっと自分の服装を見てみる。

 学院から直行して来たので、制服のままだ。

 レーミアに調整された短めのスカートの裾から、太ももを包むスパッツが見え隠れしている。

 聖フィーナ学院の制服は今週頭から冬服に移行したので、上は白のブレザーだ。夏服と同じように裾には黒いラインが入り、左腕には黒いラインの上にエーデルヴァイスを示す白い花の紋章があしらわれている。

 胸元には、胸のラインに沿って膨らむ赤のネクタイ。

 髪型は、自分で整えた。後ろ髪を捻ってバレッタで留めるスタイルだ。

 学校を出る前、ジゼルたちとトイレに行って身だしなみを整えておいたから大丈夫だと思うのだが……。

「バートレット主任、その子は……」

 ぽかんとした顔をした若い捜査官が話し掛けて来る。

「俺の娘だ。手、出すなよ」

「え!」

 固まるその若い捜査官に、俺はそっと頭を下げておく。

「違いますから。すみません」

 そしてにこりと微笑み掛けると、その捜査官は真っ赤になってしまった。

 ……バートレットの娘だと勘違いした事をそんなに恥じなくても。

 そうした好奇の視線に晒されながらも、俺は刑事部の資料室に到着した。

 ぎっしりと並ぶラックに無数の簿冊が並ぶ室内は、時間を経た紙の匂いが充満していた。その雰囲気は、どこか聖フィーナの図書館棟を思わせる。

 しかし、図書館のように様々な知識が秘められた華やかさのようなものは感じられず、ひたすら魔術犯罪の情報についての情報のみが押し込められた息苦しさがあった。

 資料室は入って左手が膨大なラック、右手に受付と机数個の事務スペースがあり、正面に透明な仕切りで区切られた電算室があった。

 世の中はパソコン全盛の時代。軍警のライブラリも電子化されているが、まだまだ多くは紙ベースだった。

「あー、残業させて悪い。予約していたバートレットとアーレンだ」

「はい、賜っておりますが、その子が?」

 バートレットと話していた資料係の男性職員がちらりとこちらを見た。

 そうか。勤務時間外に資料室を借りるのか。

 ここは、愛想良くしておかねば。

 俺は受付係に微笑みかけてそっと頭を下げた。

 眼鏡の職員はドギマギしたように視線を泳がせる。

 幾つかの事務的なやり取りの後、資料室使用の許可が下りた。

 俺は使用者名簿にサインして、電算室に向かう。

 バートレットは受付スペースの長椅子にどさりと腰掛け、ぐったりと背もたれにもたれ掛かっていた。

 居眠りでもするつもりだろうか。

 約束通りアオイの情報には触れないつもりのようだ。俺が終わるまであそこで待っているということなのだろう。

 よし……。

 何とか手掛かりになるものを得なければ。

 俺はぐっと拳に力を込める。

 ブレザーの内ポケットから手帳を取り出し、スカートを折って検索用端末の前に座る。そして俺は、勢い良くキーボードを叩き始めた。



 夜も遅くなり人気の無くなった廊下を、俺はコツコツと足音を響かせながら支部の食堂に向かって歩いていた。

 刑事部や作戦部にはまだ沢山人がいるが、食堂や政務部のある共有フロアには、さすがに残っている者もあまりいないようだった。

 俺はゆっくりとしたペースで歩きながら、先ほど終えたばかりの情報照合作業の結果を頭の中で整理していた。

 随分と時間が掛かってしまった。人手があれば良かったのだが、慣れない俺1人ではどうしても手間取ってしまったのだ。

 しかし、成果はあった。

 ベッケラード伯爵のリストの内2名が、ここ半年の内に複数回オーリウェルを訪れている事が判明した。その内1名は現在もオーリウェルに滞在中だ。この者に当たってみる価値は、十分にあるだろう。

 それに呪具店の老人から得た情報の方からも、該当すると思し魔術師を15名がピックアップすることが出来た。

 いずれも人相風体などアバウトな情報を元に、過去軍警が確保した魔術師の中から該当する可能性がありそうな者をピックアップしただけだ。

 確証は何もない。

 しかし可能性が少しでもあるのなら、どんなに小さな手がかりでも見逃してはいけないのだ。

 この小さな取っ掛かりの先に何があるのかはわからない。

 しかし、道筋が見えた。

 今は取り敢えず、あるかないかも知れない魔術テロの可能性を潰すために、この情報の1つ1つを確認していくしかないのだ。

 よしっ。

 俺は小さく拳を握り締め、頷く。

 少なくともやらなければいけない事が見つけられただけ、気持ちが少し軽くなったような気がした。

 その時。

「わぷっ」

 俯いて考え込んでいた俺は、不意に何かにぶつかってしまった。

 ぶつけてしまったおでこをさすりながら顔を上げると、いつの間にか目の前に大きな背中があった。

 それも1つではない。

 ……沢山、だ。

「おっ、すげぇ、こっちにも居たよ」

 その背中の持ち主が、ぬっと振り返った。

「何だ、何だ、何で女子高生がここにいるんだ、2人も」

「へへ、俺はこっちの子の方が好みだな」

「いや、あの食堂にいた黒髪の子の方がいいぞ」

 がやがや騒ぎ、ニヤニヤ顔を浮かべながら俺を取り囲む男たち。装備からして、訓練前か終わりの作戦部の分隊のようだった。

 知らない顔ばかりだ。

 鍛え上げられた屈強な男たちに囲まれると、凄まじい圧迫感を覚える。

 ……大きい。

 思わず俺は、半歩後退りしてしまった。

 これがお馴染みのΩ分隊の奴らなら、どうということもなかったのかもしれないが……。

「あの、通してもらえませんか?」

 何とか抗議してみるが、自分でもびっくりするほどか細い声になってしまった。

 隊員たちの威容に、無意識に萎縮してしまったのかもしれない……。

 少し前までは、俺もこんなゴツい男たちの側に混じっていたという事が信じられなかった。今はジゼルたちとワイワイやってる方が、何だか安心出来る気がした。

 俺はもう一度すみませんと頭を下げると、さっと男たちの間をすり抜けた。

「うひょ」

「可愛いなぁ」

「今度お茶しようねぇ」

 そんな言葉を投げかけてくる隊員たちに眉をひそめながら、俺は食堂に向かって早足に歩いた。

 食堂に飛び込む。

 うう……。

 思わず逃げ腰になってしまった。

 食堂は、もちろん既に営業時間外だった。

 調理場へのカウンターにはシャッターが下ろされ、照明も奥の方は消されてしまっている。ただ休憩スペースとして使うため、幾つかのテーブルの上だけ明かりが灯され、飲み物の自販機がブブブと低い稼働音を上げていた。

 キョロキョロと食堂内を見渡してみると、窓際の椅子に腰掛けている人影があった。

 長い黒髪を傾けながら足を組み、文庫本に目を落としているアオイだ。

 俺はほっと胸をなで下ろす。

 何故だろう。

 ふうっと安堵の吐いてしまっていた。

「アオイ!」

 そのままアオイに歩み寄ろうとして、俺ははっと立ち止まった。

 しまった。

 ……あんまりニコニコして駆け寄ると、また寂しかったのかとからかわれてしまう。

 俺はむうっと表情を引き締めた。

「アオイ」

「ウィルか。随分と時間がかかったな」

 俺に気が付いたアオイが、すっと本を閉じ立ち上がる。そして、こちらにやって来た。

「悪かったな。でも収穫はあった。早速明日から1人づつ確認していけると思う」

「ふむ、そうか」

 アオイが柔らかに微笑みながら頷いてくれた。

 その笑顔を見ていると、不思議な気分になってくる。

 落ち着くというか、なんというか……。

「では帰ろうか。アレクスとレーミアも心配しているだろう」

「うん。でも、また夜、部屋に行って良いか? 明日からの捜査方針を確認しておきたいんだ」

 俺はアオイと並んで歩き出した。

 今は余計な事を考えるのはやめよう。目の前の捜査に集中しなければ……。

 俺は、調べ上げた資料の入った鞄をぎゅっと抱き締めた。

 明日からは、きっとまた忙しくなる。



 久し振りに戻った軍警オーリウェル支部で手に入れた情報を元に、俺たちはその翌日から早速捜査を開始した。

 事前にヘルガ部長に捜査開始の報告をしておいたが、エーレルト伯爵に随行しなさいという命令以外は特に何の指示も受けなかった。

 ヘルガ部長、少し疲れたような声だったが……。

 もしかして、アオイとの会談で何かあったのだろうか。

 昨日のヘルガ部長との会談については、アオイに聞いても只のご挨拶だよと詳しく教えてくれないのだ。

 そんなアオイと俺は、いつもの様に学校が終わると、マーベリックの運転するエーレルト家の自家用車でオーリウェルの街の中心部へと向かった。

 今日はまず、伯爵から入手したリストの内、軍警のライブラリでオーリウェル滞在が確認出来た魔術師に会ってみるつもりだった。

 軍警が接触すれば警戒されるだろうが、土地の名士であり稀代の魔女と名高いアオイが訪ねて行けば、相手もきっと無碍にすることは出来ないだろう。

 夕暮れ時。

 家路を急ぐ車で溢れる街並みの中を、俺たちの車はノロノロと進んで行く。

 交差点では制服の警察官が交通整理に励んでいたが、鳴り響くクラクションに辟易とした顔をしていた。

 車列の側を走り抜けるトラムも、帰宅を急ぐ会社員や学生たちで一杯だった。

 歩道には、1日を終え、ほっとした顔で歩く人々。その間を走り抜ける子ども達は、一度家に帰ってから再び遊びに出て来たのだろうか。

 バーのオープンテラスでは、気の早い老人たちが杯を傾けながらカードに興じている。

 愛犬を散歩させるお婆さん。

 明かりの灯り始めた街灯。

 ゆっくりと車窓に流れていくそんな風景を、俺は窓に頭を預けながらそっと眺めていた。

 ふと焦点を変えると、微笑を浮かべた淡いピンクの髪の少女が、窓ガラスに映っていた。

「楽しそうだな、ウィル」

 隣のアオイがニコリとしながらこちらを見た。

「うん」

 俺もアオイの方を見た。

「俺は、夕方のこの時間が一番好きなんだ。何だかオーリウェルの街が一番賑やかに活気付いている気がして」

 昔からそうだった。

 ソフィアと遊びに出かけた時も、この時間になると高台から街を眺めていたものだ。

「なるほど。ウィルはこの街が好きなのだな」

 アオイが目を細め、柔らかく微笑んだ。

 俺はその笑顔にドキリとして、思わず目を逸らした。

 一瞬、姉貴に優しく褒めてもらった時のようなこそばゆさが、胸の中を駆け抜けたからだ。

「お、俺は別に……」

 照れ隠しにそう口走った瞬間。

 ズンっと。

 腹に響くような衝撃が車を揺らした。

 ……何だ。

 俺とアオイは同時に顔を曇らせる。そして、さっと視線を絡めた。

「お嬢さま方! あ、あれを!」

 その時、運転席のマーベリックが声を上げた。普段殆ど喋らないマーベリックが。

「何だ?」

 俺は前席に身を乗り出す。

 先ほどまでノロノロでも動いていた周囲の車が、完全に停車していた。

 全て。

 そして、車から下りた人たちが唖然とした表情で前方を見上げていた。

 俺は再びアオイと視線を合わせる。

 そしてそっと頷き合った。

 2人で車を下りる。

 爽やかな夕暮れの空気。

 夕食の良い香りが混じっていそうなその空気には、何かが焼け焦げる様な臭いが混じっていた。

 そして。

「なっ……!」

 俺は言葉を失う。

 頭の中が、真っ白になる。

 俺の見つめる先。

 周囲の人々が愕然として見つめる先。

 低層のビルや昔ながらの石造りの建物が並ぶオーリウェルの街並みの向こう。

 そこには、夕方の空を醜く塗り潰す黒煙が、凄まじい勢いで立ち登っていた。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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