Order:29
取り留めのない会話に花を咲かせながら、ジゼルとエマが前を歩いていた。ふらふら歩き、くるくる回るジゼルの動きに合せてスカートが揺れている。
隣を歩くアリシアが英文レポートでは苦労しましたと溜め息混じりに話し掛けて来ると、俺は確かに難しかったと苦笑を返した。
いつの間にか一緒にいる事が多くなったイングリッドも含め、俺たちはゆっくりとしたペースで歩きながらソフィアが待っている音楽準備室に向かっていた。
時刻はお昼休み。
窓から差し込む柔らかな秋の日差しと、お昼休み独特のふっと緩んだ空気が俺たちを包み込んでいた。
芝生で話し込む生徒たち。
俺たちみたいにお喋りに興じるグループ。
食堂棟に向かう子たちも多く、逆に早くも食堂棟の方向から帰って来る生徒たちもいた。
俺たちも、いつもなら食堂でお昼にする。しかし今日は、どういう話からか、一度みんなでお弁当を持ち寄ろうということになっていた。そのため、それぞれみんな、小さなお弁当箱が入った可愛らしい包みを手にしていた。
場所が音楽準備室になったのは、この事を聞いたソフィアが、場所を提供してもいいと言ってくれたからだった。
「失礼しまーす!」
ジゼルが元気よく挨拶をして準備室の扉を開いた。
「来たわね。いらっしゃい」
ソフィアが微笑んで迎えてくれた。
ソフィアは俺と目を合わせると微かに頷く。
俺も微笑んで頷き返した。
みんなで協力して机を並べる。テーブルクロスまで持参していたジゼルが手早く簡易食卓を整えて、その間にエマが保温ポットのお茶の準備をしてくれた。
2人のこの手際の良さ、やはり現役メイドだけの事はある。
アリシアたちには出る幕はなく、もちろん俺もちょこんとお弁当箱を持って待っているしかなかった。
準備が整うと、早速お弁当箱を開いてランチタイムの始まりだ。
俺の隣にはアリシア、そしてこちらもお弁当持参のソフィアが座った。
「うわ、アリシアのお弁当、彩り鮮やかね」
ジゼルが身を乗り出すようにアリシアの手元を覗き込んだ。
「ふふ、ありがとうございます」
メイドさんに無理を言って作ってもらったというアリシアのお弁当は、カラフルな具材が並ぶ可愛らしいサンドイッチだった。
「ジゼルさんも美味しそうですね、マッシュポテト」
「あははは。あたしのは自作だから、味に自信は無いんだ。作りすぎたから旦那様の分も用意してあげたら、凄い喜んでたけど」
珍しく照れたように笑っているジゼル。
他のみんなも、どれも凝っていて内容もバラエティー豊かで、しかしびっくりする程小さなお弁当ばかりだった。
やはりジゼル、エマの使用人組は自分たちで、他のお嬢さまたちは、それぞれの使用人たちに用意してもらった物の様だった。
「ウィルのはライスボール。珍しいね」
ラミアがぼそりと呟いた。
「ホント。日本料理ですね。エーレルト家には日本人さんがいるんですか?」
エマが興味津々な視線を向けて来る。
ライスボール、俵型お握りにフォークを刺していた俺は、顔を上げてエマを見た。そしてははっと苦笑を浮かべる。
「これ、実はアオイが用意してくれたんだ」
「「えっ!」」
みんなの声が重なった。
みんなの視線が俺のお弁当に集中する。
「伯爵さまが!」
「何で!」
「あらあら」
隣でソフィアがガクガクと肩を揺らしていた。
「もちろん俺も手伝ったぞ」
アオイにばかり作らせたと思われるのは心外だったので、俺はむうっと口をすぼめる。
「これだけだけど……」
そして、弁当箱の隅っこの一部黒いスクランブルエッグをフォークで指し示した。
……アオイと話しながらキッチンに立っていたら、焦がしてしまったのだ。
「ウィル」
キャーキャーと騒ぎ出したみんなを余所に、隣のソフィアがぼそりと呟いた。
「何だ?」
俺が隣を見た瞬間。
凄まじい勢いで、巨大なフィッシュフライが俺のお弁当箱の上にやって来た。
「おわっ。ソフィ?」
「あげる。お裾分け」
言葉とは対象的にむすっとした表情のソフィア先生。
何だ、おっかないぞ……。
「ウィルさん! 私のお弁当もあげるから、その、エーレルトさまのライスボールを1つ貰えないかしら……?」
顔を赤らめてもじもじするイングリッド。眼鏡の向こうの瞳が微かに潤んでいるように見えた。
そんなイングリッドを茶化すジゼルに、周囲のみんなが笑い声を上げた。
俺も口元に手を当てて微笑む。
険しい顔をしていたソフィアも、微笑を浮かべながら柔らかな表情でみんなを見ていた。
結局俺たちは、みんなでそれぞれのお弁当をシェアする事になった。
アオイが日本料理に精通していたなんて初めて知ったが、みんなに大好評だった事は後から報告しておかなければと俺は密かに思った。
食後の時間、残された昼休みを、俺たちはそれぞれまったりと過ごしていた。
俺は椅子に深く腰掛け、エマの淹れてくれたお茶を飲んでいた。ティーカップを包み込んだ手から伝わって来るお茶の暖かさが心地よく、気を抜けば居眠りしてしまいそうだった。
「どうしたの、ウィル」
隣からそっと声が掛かる。
ソフィアが頬杖を突きながら俺を見ていた。
「お疲れみたいじゃない」
俺は一瞬きゅっと目を瞑ってからソフィアを見た。
「まぁな。最近忙しくてな、いろいろ」
俺とアオイの夜の調査は連日続いていた。
人形使いたちとの戦闘が発生した初日から今日まで既に一週間。
アオイの知り合いの貴族から、人形使いたちのようにアオイが過去に締め上げた不良たちまで、色々なもの達と接触してみているが、今のところめぼしい情報は無しだった。
しかし、初日の様な散発的な戦闘は続いていた。特に不良集団の若い魔術師たちは、唖然とするような短絡さで攻撃魔術を放って来るのだ。
激しいとは言わないが、こうも戦闘行動が続くと少し気疲れしてしまう。
今日の午前の数学も、半分寝ていたようなものだし……。
しかし。
この程度の苦労で魔術テロの予兆が把握出来たのなら、安いものだ。
俺はカップを握り締め、ふうっと息を吐く。
そして笑顔でソフィアを見た。
「俺は大丈夫だよ、ソフィ」
せっかく笑顔で安心させようとしたのに、しかしソフィアは恐ろしい顔で俺を見ていた。
「……エーレルトさんのお屋敷で何しているの、ウィル」
ぼそりと低く呟くソフィア。
……あれ。
「おーい、ウィル」
そこにジゼルの明るい声が響いた。
「な、何だっ」
良いタイミングだ。
俺はここぞとばかりにアリシアたちと雑談していたジゼルの方に体を向けた。
「今、お祭りの話してたんだ。秋祭り」
「秋巡りの収穫祭ですね。もう来週末からですからね」
ジゼルの言葉の後を引き継ぎ、アリシアが微笑んだ。
「私たち、みんなでお出かけしようと相談しているのですけど、ウィルもいかがです?」
手を合わせながら小首を傾げるアリシア。
秋巡りの収穫祭。
もうそんな季節か。
俺もオーリウェルの地元民だから、もちろん祭の事は良く知っている。
オーリウェルの秋巡りの収穫祭は、秋季に1ヶ月に渡って開催される大規模な祭りだった。特に祭り期間最後の一週間はパレードもあり、花火も上がる。街の外からの観光客も沢山やって来るのだ。
「いや、俺はアオイの護衛……」
言い掛けて、俺は台詞の途中で俺は考え込む。
祭りで人が大勢集まる時期。
騎士団が何かしらを仕掛けて来るには、うってつけだろう。しかし、祭りの時期は軍警だって市警だって最大限の警備体制を敷く。その中で魔術テロを仕掛けるのは難しいとも思う。
今までは、そう考えていた。
しかし、その前ならどうだろう。
例えば今。
祭りは控えていても、まだどこの機関も準備段階な今の時期なら……。
……やはり、疲れたと言っている場合じゃない。
アオイと一緒に、今俺たちに出来る事をしておかなければ……。
「じゃあ、エーレルトさまもお誘い出来ないかしら。ウィルと一緒にお祭りに行きたいから、先輩もいかがでしょうかって」
「あら、素敵ですね。エーレルトさまとは一度ゆっくりとお話したかったんです」
「エーレルトお姉さまとお祭りだなんて、エーデルヴァイスみんなの憧れの的」
再びきゃっきゃっと騒ぎ出したみんなを見ながら、俺はそっと胸に手を当てた。
目を伏せ、そっと息を吐く。
みんなで楽しく祭りに行けたら……。
アオイもレーミアも、そしてソフィアも。
みんなで楽しく祭りを過ごせたらいいのにな……。
それは、特別な事なんかじゃない筈だ。
俺はただ、当たり前の事を願っているだけなのに……。
何故か、嫌な予感をぬぐい去る事が出来なかった。
トクンと胸が鳴る。
「ウィル?」
ソフィアが心配そうに俺を見た。
俺は、取り扱えず微笑みながら、そっと頷く事しか出来なかった。
放課後になると、俺とアオイは日課となりつつある魔術テロの予兆を掴む為の調査に出発した。
しかし今日は、ここ連日の活動とは様子が違っていた。
いつもなら図書館棟の屋上からアオイの転移魔術で出発するのだが、今日は車だった。毎日送迎してくれる、エーレルト家の自家用車だ。
それに今日は、アオイもいつもの黒マントを身に付けていない。
どうしたんだと尋ねると、「今日は必要ないんだよ」とふっと笑われてしまった。もちろん俺の方は、非常時に備えて銃は持って来ているが。
俺たちを乗せた伯爵家の黒塗りのセダンは、学院を出ると一旦お屋敷に戻ってレーミアを送り届ける。そして再び出発すると、オーリウェルの外郭道を南に向かって走り出した。
高速道路のように広い道を軽快に走り抜け、車はオーリウェル隣接のグーデルガルド市に入る。
グーデルガルドもオーリウェル同様古い時代の遺構が沢山残る歴史と伝統の街だ。しかし、人口はあまり多くなく、現在では農業とオーリウェルのベッドタウンとしての役割が主な街だった。
そのグーデルガルドの郊外、緑に包まれた大きな屋敷の中に車は入って行った。
ここまでやって来ると、周りはすっかり暗くなり始めていた。生い茂る木々の間に規則正しく並ぶ街灯も、既に点灯し始めている。
屋敷の前に車が到着すると、燕尾服に身を包んだ男性が現れた。
アレクスさんみたいだ。きっとこの屋敷の執事さんなのだろう。
屋敷の作りや雰囲気がアオイの屋敷にとても似ていた。どこかの貴族の屋敷には違いないだろう。
俺はライフルの入った鞄をぎゅっと抱きしめる。しかし、それを見たアオイがふふっと微笑んだ。
「大丈夫さ、ウィル。ここは、私たちと古い馴染みのベッケラード伯爵殿のお屋敷だ」
そう言いながら車を降りるアオイ。俺もスポーツバックを抱えて車を降りた。
制服のスカートをパンパンして、ふうっと息を吐く。そして夜闇の中に建つ屋敷を見上げた。
「ウィル」
アオイが声を掛けて来る。その声は低く、いつもより神妙な様子だった。
「……ウィル。君は車で待機していて欲しい。ベッケラード伯爵には私が1人で会う」
車の屋根越しに俺を見据えるアオイ。
俺は眉をひそめる。
「俺はアオイの護衛だ。得体の知れない場所で離れる訳には……」
「ここは大丈夫だ。ベッケラード伯爵家は、遥か昔よりエーレルトの家と親交がある。現当主殿も我が先代と親友だった方だ。危険はない」
アオイが微笑むが、俺には納得出来なかった。調査の為の面会ならば、是非とも立ち会っておきたかったのだ。
「俺も行く」
「ウィル。言う事を聞きなさい」
むっと俺を睨むアオイ。
俺は一瞬気圧される。まるで姉貴に叱られていた子供時代に戻ったような気がしてしまった。
俺はアオイを睨み付けた。
……ここで実りのない会話を続けても意味はない。
アオイは押し黙る俺にふっと微笑みかけ、夜闇に溶ける黒髪を翻して伯爵邸の中に消えていった。
俺はその背中を睨み付ける。そしてアオイの姿が完全に見えなくなると、車に戻った。
いつも一緒にいるようにって言うくせに……。。
俺はセダンの後部座席で乱暴に座り直すと、バックからブルパップカービンを取り出した。
スパッツからむき出しの太ももにライフルのフレームが触れてひんやりするが、構わず俺は銃を膝の上に置いた。
何かあった時に即座に対応出来るためだ。
ふんっと息を吐く。
「ご機嫌斜めだな」
運転席からぼそりと声がした。
エーレルト家のお抱え運転手であるマーベリックが、バックミラー越しに俺を見ていた。
禿頭に口髭を生やした厳つい容姿は、どう見ても堅気には見えない。しかしその姿とは裏腹に、いつもソフトな運転で俺とアオイとレーミアを送迎してくれる人だ。
マーベリックはいつもは殆ど喋らない。
彼の声を聞いたのは初めて会った時以来ではないだろうか。
マーベリックが振り返ると、こちらにんっと大きな拳を差し出して来た。
「あめ玉だ」
俺が手を差し出すと、ポトリとピンクの包みが落ちてきた。
「ストロベリー?」
運転席を見ると、既にマーベリックは前を向いていた。
……何だか良くわからないが、俺はもらった飴を口に放り込む。
じわっと広がる甘い味は苺。
ぷくっとあめ玉で片頬を膨らませ、俺はじっとアオイを待つことにした。
車に戻って来たアオイの指示で、マーベリックの運転する車が再び走り出した。丁度俺の口の中で2個目のあめ玉が消えて無くなろうとしていた時だった。
今度は、レモン味だった。
「待たせて悪かったな、ウィル」
「……それで、成果はあったのか?」
俺は目だけで隣のアオイを見た。
「うむ。これだ」
アオイは満足そうに頷くと、複雑な紋様が入った封筒から一枚の便箋を取り出した。
街灯の灯りが照らす中、上質な紙面には十数人の名前が見て取れた。
「これは、禁呪を研究していると思われる魔術師達のリストだ。ベッケラード伯爵は交友関係が広くてな。思い当たる人物をリストアップしてもらったのだ」
俺は、はっとしてアオイの顔を見た。
「実は、ウィルのお弁当を作っている時に思い付いたのだ」
スカートから伸びた長い足を組み、首を傾げたアオイが俺を覗き込むように見た。
「私たちの調査は今まで、無数のお弁当箱から毒入りの1つを見つけ出すような作業だった」
毒入りとはつまり、巧妙に隠された魔術テロの事だ。
自爆術式陣か、狂化の術式か、その手段はわからない。だからこそ、その予兆を把握する事は困難だった。
「しかし逆に、そんな毒入りのお弁当を造り得る料理人から探した方が早いのではないか。私はそう思ったのだ」
なるほど。
つまり、まずは古の禁呪を紐解き、実行犯に供与する元凶。その魔術師の動向から把握して行く、ということか。
視点の変更だ。
「それに、お弁当には材料が必要だ。ウィルは梅干しと鮭、どちらのお握りが良かった?」
ふふっといたずらっぽく微笑むアオイ。
俺は昼間のお弁当を思い出す。
「ウメボシ、嫌いじゃない」
俺は短く答えた。
途端に、アオイが嬉しそうに微笑んだ。いつもと違う、少し子供っぽい顔だった。
「大規模な術式陣を構築するには、少なくとも何らかの触媒がいる。つまり材料だ。これから私たちは、その触媒を商っている者の所へ向かう」
禁呪を施すに必要な材料の線と、禁呪を提供しようとする魔術師。
なるほど、もしこの2つの線を結び付けられれば、魔術テロを計画している者たちに迫れるかもしれない。
俺はそっと頷いた。
ふむむ……。
「さすがアオイだな」
俺はコクリとアオイに頷き掛けた。
……本当に頼りになる。
胸の奥がうずうずして来るようだった。
このアプローチなら、本当に何か重要な情報を掴めるかもしれない。
「ふふっ。ウィルのお弁当のおかげだな」
コツっと肩をぶつけて来るアオイ。その長い黒髪が俺の肩に掛かった。
俺は少し恥ずかしくなって、アオイから目を逸らした。
……俺は、特に何もしていないのだから。
俺たちを乗せた車は、そのままオーリウェルに舞い戻る。
時刻はもう21時を回ろうとしていた。
郊外の住宅地はシンと静まり返り、早くも寝息を立てているようだった。
オーリウェルの人々の朝は早い。特に昔からのサイクルで生活する人たちにとって、こんな時間は既に真夜中に等しいのだろう。
しかし、バーで飲み明かす者、夜の街に繰り出す者、残業する会社人にとってはまだまだ宵の口と言える時間だ。
オーリウェル繁華街の真ん中を通り抜ける大通り、グロースシュトラーセに建ち並ぶ店々には、未だ煌々とした灯りがきらめき、多くの人たちで賑わっていた。
バーから聞こえて来る陽気な音楽。輝くような照明に彩られたショーウィンドウ。今日も無事1日を終えた人々の安堵の笑顔が、その前をゆったりと通過していく。
そんな夜を楽しむ大人たちを車窓の向こうに眺めながら、俺たちを乗せた車はグロースシュトラーセを右折し、細い裏通りを上って行った。
古い石畳が車を揺らし、路肩駐車の車の脇をすり抜けて、車は路地の奥へと進む。
こんな大きなセダンでこの道は大変だろう。マーベリックのドライブテクニックはたいしたものだと思う。俺ならもっとまごついてしまうだろう。
個人経営と思われる小さなバーの前を通り抜け、古い作りの民家の前で車は止まった。隣の建物に圧迫されるようにそっと建つ、間口の狭い建物だった。
周囲は、表の喧騒が嘘のように静まり返った場所だった。
アオイが車を降りる。
俺も素早く降りるが、今度は咎められなかった。
「アオイ、ここは?」
ふっと香る夜気とその冷たさに、俺は少しだけ身を震わせた。
スカートの下、剥き出しの足から冷気が這い上がってくるかのようだった。
「ここは、色々と魔術の研究に必要なものを用立ててくれる店だよ」
俺を一瞥したアオイが、古ぼけたアパートメントの入り口にしか見えないドアを押し開き、さっさと中に入ってしまった。
俺は慌ててその後を追いかける。
扉の向こうには玄関ホールか中庭があるものだと思っていたが、そこにはただ地下へ続く狭い階段がぽっかりと口を開けているだけだった。
アオイが階段を下りていく。俺もその後に続いた。
静かで狭い空間に、俺たちの足音が甲高く響く。
直ぐに、階段の先にぽっと明るい光が見えて来た。
そして俺とアオイは、並んでその店に足を踏み入れた。
狭い店内に所狭しとと並べられた品物。いや、転がされたと言うべきだろうか。
天井まで積み上がった本。埃を被ったそれは、果たして売り物なのだろうか。
あちこちに並ぶ大小様々な瓶には、カラフルな粉末やさまざな色の液体が満たされていた。
そのあまりの混沌ぶりに、俺は息を呑んでキョロキョロと周囲を見回してしまう。
「術式陣の触媒というのは一体何なんだ……?」
周囲の光景に圧倒されながら、俺は呆然とそうアオイに尋ねていた。
「そうだな。オーソドックスなのは水銀だな。あれで術式陣を描く。または銀砂を使ったりもする」
アオイが器用に店の奥に進んで行きながら、俺に解説してくれた。
俺も何とかその後をついて行く。
「わっ」
ライフルを収めたスポーツバックが、本の山にぶつかってしまった。バラバラと崩れ落ちてしまう古書。
俺はスカートを広げてしゃがみ込むと、慌てて本を拾い上げた。
「何だ、騒々しい」
俺が本を崩した音でこちらに気が付いたのか、様々な品物が雑多に並んだカウンターの向こうから、頭頂部が薄くなった老人が顔を上げた。
「久しぶりだな、店主」
アオイがその老人の前に立った。
一瞬アオイの顔を見て凍り付いた店主は、次の瞬間勢い良く立ち上がった。
「エーレルト伯爵閣下!」
狭い地下店舗に店主の大声が響き渡った。
……やはりここでもアオイは有名なのか。
「このような場所に御身自らお越しにならなくとも、必要なものあらば配達致しますのに」
今にも平伏しそうな店主の勢いに、本を拾う俺は微かに眉をひそめた。
祖父と孫娘のような店主とアオイ。しかし店主はアオイに恐縮仕切りだ。これが、貴族階級を尊ぶ人たちの当たり前の姿なのだろうか。
「もしくはあのアレクスめにお命じになれば良いのですよ」
「良いのだ、店主。実は、今日は尋ねたい事があってやって来た」
店主の畏まり様に苦笑を浮かべていたアオイが、一転鋭い目つきになる。
「ここ最近、術式陣の触媒を大量に発注した者はいないか?」
沈黙。
俺は本を拾い上げた姿勢のまま固まり、店主の次の言葉を待った。
「ご注文は受けましたが、それがいかがしましたでしょうか?」
俺は思わず立ち上がった。そして、アオイとさっと視線を交える。
「その者の名はわかるか?」
アオイがスカートのポケットから伯爵から貰ったリストを取り出すと、さっと店主の前に差し出した。
胸の鼓動がどんどん早くなる。
俺はきゅっと唇を引き結び、店主の答えを待った。
「うーん、そうですな。ここの名前には見覚えありませんな」
店主が無精髭の生えた顎に手をあて、唸った。
アオイはふっと息を吐く。
「そうか」
しかし俺は、ぐっと店主の立つカウンターに迫った。またバックが何かにぶつかるが、今はそれどころではない。
「店に来たものの特徴を教えて欲しい! どんな些細な事でも構わない。年齢、性別、何を言っていたとか、何でもいい!」
「ウィル……」
アオイが俺を見た。
店主も目を丸くしている。
もしかしたら全くの勘違いかもしれない。全然見当違いの事を調べているのかも。
それでも俺は、キッと店主を見つめる。
何かが起こる前に。誰かが犠牲になる前に。
そのために、ここで見つけた小さな手がかり。
俺にとっては、見過ごすことも諦めることも出来るはずがなかったのだ。
読んでいただき、ありがとうございました!




