Order:14
電灯の淡い光が照らし出す廊下を、俺は走り抜ける。屋敷を襲う魔術攻撃の衝撃は、今も断続的に続いていた。
……火球による魔術攻撃。
エーレルト伯爵家に敵対する勢力による恫喝だ。
まずは、保護対象であるアオイの安否を確認しなければ。
俺はアオイの部屋がある3階に駆け上がりながら、腰の後ろのホルスターからハンドガンを抜き放った。
弾倉を少しだけ抜いて弾丸をチェックすると、カチャリと元に戻す。そしてスライドを引き、初弾を装填する。
ホルスターと一緒に装着していたマガジンポーチにも触れてチェック。確かに予備弾倉があることを確認した。
銃を片手にアオイの部屋にたどり着いた俺は、素早くノックすると返事も待たずに部屋の中に踏み込んだ。
「アオイ、無事か!」
灯りが点いていない薄暗い部屋の中を、裏庭から差し込む爆光がぼうっと照らし出す。火球の術式が着弾する度に膨れ上がる赤い光が、不気味に揺らめいていた。
昼間と同じ白い着物姿のアオイは、その窓際に立っていた。ガラスにそっと手を掛けて、裏庭をじっと見つめている。
アオイが振り返る。
彼女の白い顔に怯えはなかった。それどころか、緊張すら窺えない。
まるで精緻な人形のような無表情。
「ウィルか」
「アオイ、窓から離れるんだ。ここまで火球は届くかも知れない!」
俺はつかつかと窓際まで歩み寄ると、さっとカーテンを引いて目隠しをする。
襲撃犯のターゲットが何かは分からないが、伯爵家当主であるアオイの居場所は知られない方がいいだろう。
「大丈夫だよ、ウィル」
驚くほど落ち着いた様子のアオイ。魔術攻撃を受けているというのに……。
俺はとっさにアオイの手を取ると、部屋の中央のベッドまで引っ張って行く。そしてその肩に手を掛けて、ベッドに座らせた。
「油断してはダメだ。俺が様子を見て来るから、アオイはここでじっとしていろ。軍警に応援も要請するから、すぐに終わる。大丈夫だ」
吸い込まれそうなアオイの瞳を、正面から力を込めて覗き込んだ俺は、そっと頷いた。
俺は抜き身の銃のグリップを握り直すと、アオイの返事も待たず扉に向かおうとする。しかしその俺の腕を、かしっとアオイが掴んだ。
アオイの腕を取った時、細いなと思った。しかし、その小さいアオイの手でもしっかりと捕らえられてしまう俺の腕もまた、自分で驚いてしまう程に細い。
「ウィル。君は行かなくてもいい」
アオイが俺の腕を引く。
その力は、存外に強かった。
「何を言ってるんだ、アオイ。現に襲撃が発生した。アオイを守る。それが俺の任務だ。そのためには、奴らを制圧しなくては!」
アオイが襲われている。
魔術師によって。
ならば、戦わずしてどうする!
俺は戦わなくてはいけないんだ。
家族や、Λ分隊のみんなや、こんな姿になってしまった俺を支えてくれたみんなの為に!
「ウィル」
静かに俺の顔を見上げるアオイ。
ぐいっと腕を引かれた俺は、思わずアオイに顔を近付けてしまう。
「君はもう戦わなくて良いのだ。屋敷はアレクスが守ってくれる。君はもう、そんな危険に立ち向かわなくて良い」
アオイが俺の腕を握る手に力を込めた。
「君をこの屋敷に呼んだのは、あの廃工場で起こったような悲惨な戦いから遠ざける為なのだから」
間近にある黒い瞳。
アオイが静かに微笑み掛けて来る。
しかし俺は、その穏やかな顔を見て、かっと頭に血が上るのがわかった。
……何だ、それは。
戦いから遠ざける?
それでは……。
「……それでは意味がない。こんな姿になってまで生き残った意味がない。ないんだっ!」
俺の声がきんっと室内に響いた。
自分でも思ったより大きな声が出てしまった。
思わず怒鳴ってしまったような形になり、俺ははっと息を呑む。
アオイも、少し目を大きくして驚きの表情を浮かべていた。
一瞬力の弱まったアオイの手。それを振り払い、俺はアオイから身を離した。
「……様子を見て来るから、静かにしていて欲しい。俺が出たら、ちゃんと部屋の鍵を閉めるんだ」
俺は背を向けたままそう告げると、扉に手を掛けた。
アオイがどんな顔をしているのかは分からなかった。ムキになった自分が少し恥ずかしくて、アオイの方を見ることもできなかった。
扉を開く。
ちょうど廊下の先から、レーミアが走って来るところだった。
銀髪のメイド少女は、普段のメイド服に加えて鈍く光る金属の手甲をはめていた。まるで中世の騎士の甲冑のようだ。
「アーレンさま。ご無事ですか?」
相変わらず冷静なレーミア。
その手には何か長いものが握られている。
……剣か?
俺はこくりとレーミアに頷き掛けた。
「俺は下の様子を見て来る。レーミアはアオイについていてくれ」
銃を手に傍を通り過ぎようとした俺を、レーミアは不安そうな顔で見た。
「しかしアーレンさまは……」
……少し意外だった。
レーミアなら、何を差し置いてもアオイを守護すると思ったのだが。
「大丈夫」
俺はそっと頷いて、レーミアの肩を叩いた。
「ウィル」
改めて走り出そうとした俺を、部屋の中から顔を覗かせたアオイが呼び止める。
俺は少しだけ振り返って、アオイを見た。
「ウィル。その戦いが、戦うことが、君の成したかった事なのか?」
静かに、一言一言を噛み締めるよに投げ掛けられるアオイの問い。
俺は正面からアオイの顔を見る。
そして、力を込めて頷いた。
階段を飛ぶように降りて、1階の玄関ホールに降り立つ。
俺がたんっと着地すると同時に、裏庭の向こうから飛来した火球が、屋敷に迫る。
膝をついた姿勢のまま、俺は素早くハンドガンを構えた。
くっ、迎撃っ……!
しかし俺がトリガーを引こうとした瞬間、魔術で編まれた炎の塊は、まるで見えない壁に激突したかのように形を歪め、中空で爆散した。
何が……。
俺は銃を下ろして周囲を窺う。
またもや火球が飛来する。
やはりその火球も屋敷に炸裂する事はなく、直前で見えない壁に進路を阻まれて、近くの花壇に直撃した。
ずしんっと地響きがする。
火の玉が飛来するというのも現実離れした光景ではあるが、それが見えない壁に阻まれているという状況も十分に異様な光景だった。
……恐れていてもしょうがない。
俺はハンドガンを構えながら、そっとガラス戸を開けて裏庭に出た。
つんっと鼻を突く焦げ臭い匂い。
着弾した火球の残り火がブスブスと芝生を焦がし、花壇の草木を燃やしていた。屋敷の被害はまだ少ないが、美しく整えられていた裏庭の庭園は見るも無残な有様と化していた。
前方、その芝生の上に、背の高い後ろ姿が見えた。
アレクスさんだ。
俺は身を低くして前進すると、テラスから芝生へ降りる短い階段の縁に身を隠した。
「アーレンさま」
その俺に気が付いたアレクスさんが、こちらを一瞥した。
「危のう御座います。屋敷にお戻り下さいませ」
お食事の準備が出来ましたと告げるのと同じ調子で、アレクスさんが警告する。
「アレクスさんこそ、ここは……」
俺に任せてと言おうとした瞬間、新たな火球が飛来した。
夜の闇にぼうっと燃え上がる火の玉が猛スピードで飛来する様は、生き物として純然たる恐怖を呼び起こす。
炎が迫る不気味な音。
くっ……。
俺はきつく歯を噛み締めた。
その時。
アレクスさんがさっと両の手を前方にかざす。
「slullg wgeg arsse」
静かで低い詠唱。
3言成句の術式詠唱。アレクスさんの魔術だ……。
老執事が放った術式は、直ぐには何か分からなかった。詠唱を聞いた限り防御系の術式だが、かなりアレンジが加わっているようだ。
飛来する火球。
時間差で別の方向からもう一発。
しかしそれは、いずれもアレクスさんの直前で、見えない壁に阻まれた。
火球は空中で爆発するか、明後日の方向に逸れて行く。
汎用術式の火球程度ではびくともしない魔術防壁。
……凄い。
「アーレンさま。お屋敷へ」
あくまでも穏やかな調子で俺を見るアレクスさん。
考える。
……アレクスさんのこの守りがあるのならば。
「アレクスさん。軍警に応援を要請しました。30分で来る筈です。それまで保ちますか?」
先程3階から階段を下りながら、アリスに電話しておいた。当直の分隊が直ぐに来てくれる筈だ。
「ふむ。軍警ですか。こちらは問題ありませんが……」
よし。
ならば今のうちだ。
「では屋敷の防衛をお願いします。俺は襲撃犯を押さえます!」
俺はぎゅっとハンドガンを握り締めた。
アレクスさんが注意を引いてくれているうちに敵を確認、又は制圧出来れば、エーレルト伯爵家を襲う犯人を押さえられるかもしれない。
……そうすれば、アオイやレーミアたちを守れる!
火球が裏庭に着弾する。
地響きが体を揺らし、燃え上がる火柱が俺を照らした。
タイミングを見計らい……俺は物陰から走り出した。
「アーレンさま!」
初めてアレクスさんが焦ったような声を上げる。しかしそれも、火球が爆裂する轟音に飲み込まれてしまった。
走る。
ハンドガンを両手で握り締め、姿勢を低くしながら。
走る。
走る。
生け垣に身を隠し、裏庭を大きく右側に迂回しながら、俺の部屋から確認した火球術式の発射点に向かっていた。
夜の虫たちの声が鳴り響く森の中に飛び込み、一旦木の後ろに身を隠す。
はぁ、はぁ、はぁ。
体力は問題なくても、緊張のために息が荒くなってしまう。
……落ち着け。
訓練を思い出せ。
すうっと大きく息を吸い込み、俺は再び木の陰から飛び出した。
まばらな雑木林の中を駆け抜ける。
屋敷から確認した火球攻撃の数と、先程アレクスさんの防壁に着弾した2発の火球。
恐らく敵の数は2人だ。
俺が森の中を走り抜ける間も、紅蓮の炎が大気を切り裂く爆音がひっきりなしに続いていた。
……くっ。
理不尽な暴力に、じりじりと怒りが心を焦がす。
許してはいけない。
こんな事を、許してはいけない……!
暗闇に目を凝らしながら必死に走る俺が、ちょうど屋敷の真裏にあたる位置まで来た瞬間。
「lilvil fraou! くそ、なんで屋敷に当たらねぇんだよぉぉ!」
森の中に若い男の悪態が響いた。
……いた。
俺はとっさに木陰へ身を隠す。
「おら、文句言ってねぇで撃ちまくれよ!あの屋敷燃やしとかねぇと、リーダーにボコられんぞっ!」
少し離れた位置からもう1人の声がした。
やはり2人だ。
俺は木陰からさっと周囲を窺った。
他に人影はない。
2人。
このまま軍警の応援を待っていては、逃げられる可能性がある。
ならば今。
いけるか……。
いや。
アオイたちの生活を脅かす輩は、ここで断ち切っておかなければいけない。
守らなくては。
俺がっ。
すうっと大きく息を吸い込む。
そして俺は、木陰から身を踊らせた。
枯れ枝や下草が生い茂る森の中を無音で走る事は出来ない。
銃を構えながら低い姿勢で駆ける俺に、手前の男が気が付いた。
「な、何だ、お前!」
「軍警だっ!大人しくしろっ!」
精一杯声を低くして叫ぶが、森の中には少女の高い声が響くだけだ。
案の定、男は焦ったような顔から、にやりと下卑た笑みに変わった。
「なんだぁ?」
……もちろん俺も、警告が効くなんて思っていない。
トップスピードを維持したまま、俺は男の懐に飛び込んだ。
嘲笑を浮かべる男の眼前。
俺はさらに姿勢を低く、がくんと体を沈めた。
髪がふわりと浮き上がる。
「あ?」
間抜けな声が頭上から聞こえた。
瞬間。
俺は突撃の勢いをそのままに、無防備な男の鳩尾目掛けて体重を乗せた肘を打ち込んでいた。
「ぐぼっ!」
男の体がくの字に折れ曲がる。
腹を抱えて膝をつく男。
俺は肘打ちを放った反動を利用してくるりと身を翻す。サイドテールにした桜色の髪が、俺の動きを追って円弧を描く。
呻く男。
その首筋に、俺は振り上げた踵を叩き落とした。
「がっ」
柔らかい森の土に顔面をめり込ませ、男が動かなくなる。
「はっ」
俺は短く息を吐く。
次!
「お前っ、女っ、何しやがる!」
物音に気が付いたもう1人が俺を見た。
……懐に飛び込むには距離がある。
「おらっ、lilvil fraou!」
男が俺に掌を向ける。
火球の術式。
男の手の先に光が収束すると、それはみるみるうちに燃え上がる火の玉となった。
俺は銃を構える。
反射的に。
そこには迂遠な思考は存在しない。ただ訓練によって鍛えられた行動が、自動的に実行されるだけだ。
フロントサイトの向こうで膨れ上がる火球。
引き金を引く。
銃声。
俺の手の中の銃が跳ねる。
両手でしっかりとグリップをホールドしながら、火球の中心、術式の結節点に向かって俺は弾丸を放ち続ける。
乾いた銃声が続く。
アサルトカービンの高速弾でも、火球を打ち消すにはフルオート斉射が必要になる。火球という最もポピュラーな汎用術式でも、それを無効化するのは容易ではない。
火球が打ち出される。
全弾撃ち尽くしたハンドガンのスライドが後退したまま止まった。
空になった弾倉を落とす。
腰のポーチから新しい弾倉を取り出し、装填。
スライドを戻す。
狙う。
……トリガー!
銃声が響く。
その5発目。
「があっ!」
悲鳴が響く。
火球を貫いた弾丸が、その後ろにいる術者の腕をかすめた様だった。
「ああああっ、がはっっ!」
結節点を貫かれた火球が霧散する。同時に、若い魔術師は血が流れる腕を押さえて崩れる様に膝をついた。
「ち、血、血、血があっ!」
火球の残滓である舞い散る火の粉を突っ切って、素早く駆け寄った俺は、男に銃を突きつけた。
「抵抗するなっ。軍警だ」
一瞬の攻防でも、心臓が張り裂けんばかりに高鳴っていた。
「ひ、ひぃぃ……」
男は既に戦意を喪失しているようだった。
弾丸が掠めた腕から血を流し、その痛みで額に脂汗を浮かべている。この状態では、魔術の詠唱は不可能だろう。
はぁ、はぁ、はぁ。
……出来た。
俺にも魔術師と戦う事が出来た。
アオイたちを守る事が出来たのだ。
戦闘の高揚感とは違う別種の興奮が湧き上がって来る。
はぁ、はぁ、はぁ……。
俺は男に銃口を突き付けたまま少し後退する。
「ウィル!大丈夫か!」
銃口をゆっくりと下した俺の背後で突然、凜とした声が響いた。
少しだけ振り返る。
屋敷の方から小走りに駆け寄って来る人影が2つ。
1人はアンティークなランプを持ったメイドのレーミア。もう1人は、着物の上に黒い外套を羽織ったアオイだった。
俺は息を整えながらアオイたちを見る。
良かった。
みんな無事だ……。
もしかしたら俺は、少し微笑んでいたかもしれない。
心からの安堵で……。
「アオイ、無事で良かっ……」
アオイたちの方に歩み寄ろうとして、しかし俺はその場で凍り付いた。
アオイの背後。
俺たちから離れた屋敷の脇の森。キッチンの勝手口の方向に、ぼおっと炎が浮かび上がる。
火球……!
背筋に冷たいものが駆け抜ける。
……もう1人、いたんだ。
瞬間。
俺は走り出していた。
飛来する炎の塊。
「アオイ!」
俺はハンドガンを構え、発砲する。
走りながらの射撃は、しかし命中率が悪い。さらに焦りが、照準を惑わせる。
くっ!
アオイとレーミアが振り返る。
火球が目前に迫る。
ハンドガンの弾が切れる。
ううっ!
弾倉交換は間に合わない。
俺はアオイの前に身を踊らせた。
守る。
俺がっ!
灼熱の塊が迫る。
俺は手を広げる。
その瞬間。
俺の脇からすっと差し出される細い腕。
黒い外套から伸びたアオイの腕。
「結節、防壁」
短い詠唱。
それは、他の魔術師とは異なる響きを持った術式成句だった。
俺とレーミア、そしてアオイの前の空間が、びしっと音を立てる。
その硬化した空間に、火球が直撃した。
刹那。
火球は一瞬にして消滅する。
アレクスさんの防壁のように弾いたり逸らしたりしたわけではない。
消滅させたのだ。
夜の闇が戻って来る。
スライドが後退したままのハンドガンを手に、俺は火球が掻き消えた空間を呆然と見つめていた。
これがアオイの魔術。
稀代の魔女と謳われる彼女の力……。
レーミアが火球が放たれたと思われる森に向かって、一歩進み出た。その手にした剣を振り上げる。
ランプの光を受けて、刃が鈍く光っていた。
「下がりなさい、下郎!児戯が如きあなたの魔術では、エーレルト伯爵閣下には届きません!今なら後は追わないであげましょう!疾く去りなさい!」
その小さな体のどこから出ているのだろうと思うような大声で、レーミアが叫ぶ。その声は、虫の音が聞こえるだけの森の中に吸い込まれて行く。
反応はない。
しかし、次なる火球が放たれる気配もまた、感じられなかった。
……今度こそ、終わったのか。
俺は無意識にアオイを守るように広げていた腕を、ゆっくりと下ろした。
はぁー、はぁー……。
荒い息が口から漏れる。
……油断した。
敵が2人だと思いこんでいた俺のミス。
敵を制圧でき、任務を果たせたと思い込んで、警戒を解いてしまった俺のミス。
アオイが屋敷から出て来てしまったのを見つけた時点で、彼女に張り付き、屋敷に押し戻すべきだった……。
俺は一瞬目を瞑り、奥歯をぎりっと噛み締めた。
……ダメだ。こんなんじゃ、魔術師から人々を守り通すなんて出来ない。
俺は肩を落として振り返る。
「アオイ。危険だから、とにかく屋敷へ……」
その瞬間。
黒のマントを翼のように広げて、アオイが俺に抱き付いて来た。
アオイに抱き締められる。
甘い香りがふわりと漂い、彼女の柔らかな感触に包み込まれる。
俺は、一瞬何が起こったのかわからなかった。
「ア、アオイ?」
俺の肩に顔を埋める黒髪の少女。
動揺でその名を呼ぶ俺の声は、少し震えてしまった。
「ウィル」
俺を抱き締めたまま、アオイが囁く。
その声には、深い憂いが滲み出ていた。
「ウィル。お願いだ」
俺は混乱したまま、何も反応出来ない。
「戦う事が、君の生を賭してまで成さねばならないことだなどと、悲しい事は言わないで欲しい」
アオイが少しだけ体を離した。
俺の肩を掴んだまま、至近距離、真正面から俺を見据える。
「ウィル。簡単に己の身を差し出すような事はやめて欲しい。自分の身を大切にして欲しいんだ」
吸い込まれてしまいそうな黒い瞳。
少し悲しそうな黒い瞳。
それを前にして、俺の中に複雑な気持ちが湧き上がって来る。
アオイに心配されてしまった申し訳なさ。
何故そこまで俺を案じてくれるのかという疑問。
そして、出会ったばかりの魔術師に何が分かるのだという怒り。
家族を奪われた。
仲間を奪われた。
だからこそ、その悲しみを繰り返さないために、俺は戦うと決めた。
それの、何がいけないのか?
俺はアオイの腕を振り払う。
しかし、アオイは離してくれない。
「……アオイ」
「ウィル。戦いはいけない。無駄な血は流すべきではないんだ」
真っ直ぐな目だった。強い光が宿った目だ。
「……アオイ!」
「ウィル!魔術師も、軍警も、憎み合うだけではダメなんだ」
なんだ。
何故アオイは、こんなにも強い力で俺を捕えるんだ……!
この力は、俺にとっては未知の力だ。俺には縁のない種類の力だ……。
俺が気圧されてしまいそうになった瞬間。
ごほんっと、わざとらしい咳払いが響いた。
至近距離で向き合っていた俺とアオイは、同時にそちらを見た。
レーミアが、こちらに胡乱な目を向けていた。
その手にした剣の切っ先が、すっと俺に向けられる。ランプの光を受けた剣身が煌めく。
「……今すぐお嬢さまから離れなさい」
うううっと唸るレーミアの声。
俺とアオイはお互い顔を見合わせて、そっと身を離した。
レーミアがアオイに説教を始めた。
曰くお嬢さまは慎みを持ってとか、魔術の行使はまだダメだとか。
アオイは苦笑を浮かべ、ぶつぶつと注意を続けるレーミアをいなしていた。
そのアオイの横顔を、俺はそっと盗み見る。
アオイ・フォン・エーレルト。
彼女は、一体何者何だろう。
俺はそっと握り締めた手を胸に当てた。
そこにはまだ、アオイの温かさが残っているような気がした。
遠く、軍警の車両のサイレンが聞こえる。
久々の戦闘話。読んでいただき、ありがとうございました!




