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Hexe Complex  作者:
10/85

Order:10

 試着室の姿見の前に立つ俺は、真新しい黒のパンツスーツに真っ白なブラウスを身に付けていた。

 くるりと軽く回ってみる。

 ソフィアが結ってくれたサイドテールの髪が、ふわりと揺れる。

 変なところがないかチェックしてみるが、フォーマルウェア専門店の店員が見立ててくれたスーツだ。別段異常はない。

 ……一見して、着馴れていない感がありありと浮かんでしまっている点を除けば。

 随分と見慣れて来た自分の顔だが、大きな鏡の前で改めて全身を見てみると、少し気恥ずかしい。

 鏡からついっと顔を逸らし、俺は試着室から出た。

 外では紙袋を携えたアリスが待ち構えていた。ちなみにその紙袋には、今まで俺が着ていた服が入っている。

「うん。いい感じね」

 アリスが頷き、にこりと微笑む。そして、店員と支払いの話を始めた。部長に言われた通り経費で落とすから、領収書の作成やら何やら手続きがあるらしい。

 こちらもピカピカの真新しいパンプスを履いた俺は、何を手伝ったらいいのか分からなくてキョロキョロする。

「ウィルは先に戻っていて。イーサンが痺れを切らしているだろうから」

「了解」

 む。

 やむを得ないか。

 俺は頷いて、真新しいスーツを身に付けたまま衣料品店を出た。

 結局、本当にスーツを買う破目になってしまった。

 昨晩、新調する前に一応確認をと思い、ソフィアには声を掛けてみたのだ。教師という硬い仕事をしているのだから、スーツも沢山持っているに違いない。1着借りる事は出来ないか、と。

 初めは少し嬉しそうに、「いいわよ。でもサイズとか大丈夫かな?昔のがあったし……」とノリノリだったソフィア。

 しかし俺が、「まさか俺とソフィアが服の貸し借りをするとはな」と軽く笑うと、ソフィアは突然顔を真っ赤にして硬直してしまった。

「私の服をウィル……ウィルバートが」

 何やらぶつぶつ呟いた後、ソフィアは急に服は貸せないと言い出したのだ。

 無理強いは出来ない。

 結局、当初の予定通りスーツは新調する事になったのだ。

 良く分からないが、ソフィアにも都合というもがあるのだろう。

 店を出ると、今日も容赦のない夏の日差しが降り注いで来る。

 白い石が敷き詰められた石畳と古い石造りの街並みが、陽光に照らされて眩く輝いていた。緑鮮やかに生い茂った街路樹の葉が、さらさらと夏風に揺れる。

 もちろん暑いけれど、からっとしたその暑さは、俺には爽やかに感じられた。

 季節は夏期休暇の真っ最中。

 オーリウェルの街中を行き交う人々の中にも、観光客らしき人の姿も多い。俺のスーツを買うために訪れたこの新市街の一角は、オフィスだけでなくブランド店や大小様々な店が軒を連ねる繁華街なので、特に人も多いように思われた。

 そんな休暇を楽しむ人々を狙った犯罪者の取り締まりのためだろう。市警の制服警官の姿もちらほら見える。

 俺は人で賑わう歩道を横断して、車道脇に停車する黒塗りのセダンに歩み寄った。

 刑事部の公用車だ。

「わっ、と」

 車の横で、思わず俺はよろけてしまう。

 行き交う人々を躱して歩道を横切るのはなかなか大変で、ヒールのある靴というものにも馴れていなくて、石畳の凹凸に足を取られてしまったのだ。

 これからこの格好で任務に従事する事になるのだ。

 気合いを入れて、順応して行かなくては……。

「あ、あの……」

 ふうっと息を吐いていた俺の背後から、不意に声がした。

 顔を上げて振り返る。

「ロイド刑事?」

「久しぶりだね、ウィルちゃん」

 そこには、少年のように顔を輝かせて笑う栗毛の男性が立っていた。

 市警のロイド刑事だ。

 俺が無免許運転で市警の厄介になった時に対応してくれたあの若い刑事だ。

「いやー、こんなところで会うなんて奇遇だなぁ。はははっ」

 頭を掻きながら笑うロイド。

 その真意を探るべく、俺は上目遣いにじっと彼の目を見る。

 西ハウプト警察署を出る際、俺は魔術犯罪者相手に大立ち回りを演じてしまったのだ。もしかしたらその件で何かあるのか……。

 もし市警に睨まれたとするなら、それは不味い。

「はは、いや、そんなに見つめられると照れるな……」

 ごにょごにょと何か言っているロイドの周囲を、そっと窺う。

 彼の背後には、面白くなさそうに腕組みをしているメガネの男性がいた。魔術犯罪者を取り押さえた時にいた別の刑事だ。

「ウィルちゃん。あの時は大変だったけど、怪我はなかったかな?大丈夫だった?」

「は、はい。大丈夫です」

 ……そうか。俺が動いた時には、もうロイドは昏倒していたっけ。

「ロイド。もういいか。行くぞ」

 メガネの刑事がギロリとこちらを見た。

 本当に偶然出会っただけか?

 俺は緊張を解くように、小さく息を吐いた。

「い、今行きますから、先輩」

 ロイドがメガネの刑事を振り返り、また俺を見ると申し訳なさそうに顔をしかめた。

「ごめんね、ウィルちゃん。実は勤務中なんだ」

「そうですか。お疲れ様です」

 俺はきょとんとロイドを見返した。

 特に俺が謝られる事ではない。

「またお話しよう。ああ、あと、この辺りはスリとか置き引きが多いから、気をつけて。それと、あと……そうだ」

「ロイド」

 メガネの刑事が冷たい声を上げる。

「あと、ウィルちゃん。カッチリした服も似合ってるね!」

 言ってやったぜという風な爽やかな笑顔を浮かべたロイドが、俺に軽く手を上げて歩み去る。ロイドと連れ立って歩き始めたメガネの刑事が、去り際に俺を一瞥した。

「ウィル。どうしたの?」

 彼らと入れ替わるように、アリスが戻って来た。

「いや、何でもないですよ」

 俺は僅かに首を傾げる。

 恐らくは私服警戒中だったのだろう2人の刑事。

 魔術犯罪者を取り押さえた件でないのなら、何でわざわざ俺に話し掛けて来たのだろう?

 彼らが歩み去った方に視線を送り、俺はふっと息を吐いた。

 ……まぁ、いいか。

 俺は踵を返すと、車に乗り込む。



 助手席に煙草を咥えたバートレット、後部座席に俺、そしてアリスがハンドルを握るセダンは、走り始めて早々に渋滞に捕まった。

 自転車より遅い速度でとろとろと進む車を、観光客や先を急ぐビジネスマンを満載したトラムがスイスイと追い抜いて行く。

 中世から残る石造りの街並みが保存されたオーリウェル市内は風光明媚な景観を保持していたが、同時に石畳の街路は狭く入り組んでいて、自動車の通行を阻害するというような弊害もあった。

 俺たちが今走っている街の大通り、ジーグルーネ通りも、ここから2キロほど進んだ先に立つ旧王国期の凱旋門で急激に道幅が減少しているため、それが原因で必ず渋滞が発生するのだ。

「ふわぁぁっ」

 静かな車内に、バートレットの欠伸が響く。

「全く、買い物に手こずるから、昼時の渋滞に捕まるんだ。これだから女の買い物ってのは……」

 息を吐きながらバートレットが愚痴る。

 アリスがぎろりとそのバートレットを睨み付けた。

「女性の身支度にケチを付ける殿方は、器量を疑われますよ。ねぇ、ウィル?」

 バックミラー越しにアリスがこちらを見た。

 俺は、はぁと返すしかない。

 何しろ、俺も中身は男であるわけで……。

 もっとしゃんとしてくださいとか、ウィルが見ているんですからねなどとブーブー言い始めたアリスをよそに、窓を全開にしたバートレットが煙草に火を付けた。

 車外に向けて盛大に紫煙を吐き出す。

 リラックスした様子の2人だが、車が進むにつれて、俺はぎりぎりとお腹の痛くなるような緊張が高まって来るのを感じていた。

 俺たちはこれから、警護内容の打ち合わせと関係者の顔合わせのために、エーレルト伯爵家の人間と会う予定になっていた。

 伯爵の関係者ということは、魔術師である可能性が高い。

 ……油断出来る相手ではないはずだ。

 どんな事態にも対応出来るよう、備えておくに越したことはない。

 軽口を叩き合う前席をよそに、俺はもぞもぞと動いて真新しいジャケットを脱いだ。

 白のブラウスだけになると、隣に乗せていた鞄を開く。その中から、黒のショルダーホルスターを取り出した。

 胸を突き出しながら、うんしょうんしょとホルスターを身に付ける。ショルダータイプはあまり装備した事がないので、少し手間取ってしまった。

「なぁ、アリス」

「何ですか」

 これで大丈夫か……。

 ふと顔を上げた俺は、サイドミラー越しにこちらを見ているバートレットと目が合った。

「アリス。お前、多分負けてるな、ウィルに」

「……何がです?」

「胸」

 刹那。

 どかっと鈍い音が響いた。

 ノーモーションで繰り出されたアリスのパンチが、バートレットの横腹に突き刺さる。

「くくく、甘い甘い」

 突き刺さるかの様に見えたが、バートレットはその拳を受け止めていた。

「最っ低」

 吐き捨てるアリス。

 渋滞が、再びチョロチョロと動き出した。俺たちの車は、若干荒々しく動き出す。目の前に見えてきた壮麗な古の門を通過してしまえば、道路の流れも順調になる筈だ。

 俺はさらに鞄の中から黒いケースを取り出した。

 蓋を開けると、中からハンドガンが現れる。

 お馴染みの45口径ではなく、オットー軍曹に使用を勧められた9mmだ。

 弾倉も装填し、安全装置を確認してから、胸の脇のホルスターに収める。それに加え、弾倉が3本入るマガジンポーチを腰の後ろのベルトに装着する。

 対魔術戦となった時に必要になるのは、手数だ。

 魔術を構成する術式が強固であればあるほど、それを破壊するための弾丸が沢山必要になる。

 銃を装備し終えた俺は、その上から再びジャケットを羽織った。

 ……よし。

「でも、ヘルガ部長がいくら上からの命令でも、こんな得体のしれない任務にOKを出すなんて少し意外です」

 車は凱旋門を通過する。

 広がった道幅の左へと車線変更しながら、アリスが呟いた。

「まぁそりゃ、対象がエーレルト伯爵家だからな」

 灰皿で煙草をもみ消しながら、バートレットが応じた。

「どういう事ですか?」

 俺は少し身を乗り出してバートレットを見た。

「エーレルト伯爵家は、貴族派の一員だし、先代伯爵の時は上院に議席を持っていた名家だ。まぁ、不慮の事故で先代が死んでからは、表舞台から引っ込んでいるというのが現状であるわけだが……」

 バートレットが横目で俺を見る。

 その辺りの事情は、昨日もらった資料で読んだ。

「ところが、今代の女当主はまだ若いが、先代を凌ぐ相当な魔術師らしい。貴族共は、家格と魔術師としての技量で相手を計る。そういう意味じゃ、エーレルト伯爵家は貴族派でも、今を時めく注目株ってわけだ」

 ふんっと鼻を鳴らすバートレット。

 なるほど。

 将来の貴族派重鎮に、今のうちから接触しておくことはマイナスにはならないということか。

「向こうから招いてくれたんだ。近付いてじっくり観察出来るいい機会だと、あの部長なら考えているだろうな」

 俺は妖しい笑みを湛えるヘルガ部長の顔を思い出す。

「さすが部長ですよね」

 アリスが嬉しそうに頷いた。

「でも、エーレルト伯爵家って貴族派の中では穏健派らしいんですよね。案外騎士団あたりに狙われて、本当に身の危険を感じてたりして」

 ふふふっと笑うアリス。

「あれだな。穏健派だからこそ、あわよくばこちら側に取り込みたいとすら計画しているかも知れんな、あの女傑は」

 バートレットは面白そうだがと、笑う。

 女傑とはもちろんヘルガ部長だ。

 刑事部のトップは、部下からの信頼も厚いみたいだ。

「何にせよ」

 笑いながら、バートレットがすっと手を伸ばし、バックミラーを傾けた。

 鏡越しに俺と目が合う。

「魔術師だからと無闇に得物を向けあってドンパチするだけが、奴らとの戦いじゃないって事だ」

 バートレットの声は笑っていた。しかし、ミラーの向こうの目は笑っていなかった。

 ドキリとする。

 それは、実働任務一辺倒の作戦部を揶揄した言葉だったのか。

 その作戦部所属の俺に、刑事部のスタンスを教えてくれたのか。

 それとも、もしかしたら任務に逸る俺の胸中を見透かして……。

「なぁ、ウィル」

「は、はい?」

 今度は鏡越しにではなく、直にこちらを振り向いたバートレット。無精髭の生えた口元を歪めながら、悪戯っぽく笑う。

「ところで、さっきのはナンパかね?」

「なんぱ……?」

 俺はこくりと首を傾げる。髪がさらりと落ちた。

 ナンパなんてしていない、俺は。

「あー、そうなんだっ。服屋の前でウィルに声掛けてた背の高い人でしょ?」

 突然アリスも食い付いてくる。

 背の高い……。

 服屋……。

 ……おお。

「あればロイドっていう市警の刑事です」

「ほほう」

 俺の回答にバートレットが興味深そうな声を上げた。

「市警?市警にはあんな爽やかな人がいるんだ……」

 アリスがうっとりとした声を漏らした。

「軍警なんて、筋肉ゴリラとしなびたオジサンばかりだもんねぇ」

「えっと、ははは……」

 取りあえず俺は笑う。実は俺も、その一員であるわけなんだが……。

 どこで知り合ったのと、尚も執拗に尋ねて来るアリスに、観念した俺はふうっと溜め息を吐いた。

「……実はこの前、無免許運転で捕まってしまって」



 石畳の道を抜け、街の外縁に辿り着くと、整備された広いハイウェイが突然現れる。

 その高架の下をくぐり抜け、木々の疎らな林を通過し丘陵地を登ると、赤屋根の小さな民家が連なる伝統的な田舎の風景が広がり始める。

 車窓には、遠くまで麦畑が広がっていた。その中をオーリウェル市街地に向かって走る欧州大陸横断高速鉄道の長い長い車列。

 長閑な風景だ。

 オーリウェル市街から30分程度しか走っていないのに、まるで別世界のようだった。

 車はさらに主要道路を左折し、小さな集落の間を縫うように進んでいく。

 石造りの建物と木造の古い家屋が混在する狭い通り。家と家の間に渡された紐に洗濯物がはためき、少し先には教会の尖塔が見て取れた。

 再び始まった石畳の振動に、俺は少しお尻がこそばゆくなってふらふらと体を揺する。

 アリスが車のスピードを緩める。

「牛……」

 車窓を見た俺は、ぼそりと呟いた。

 車の横を、褐色の牛を連れた老人がゆっくりと通り過ぎて行く。そういえば、レインに押し付けられたぬいぐるみの中には、牛はいなかったなとぼんやり考える。

 自動車が走り回り、飛行機が飛び交い、ネットが世界を覆い尽くして、個人の携帯する端末であらゆる情報を瞬時に取り寄せられる時代。

 それでも都市部を少し離れたこんな場所には、昔と変わらない生活が息づいている。

 こういう場所に暮らす人たちは、純朴で自然を愛し、しかし保守的で超常的な力を畏怖している。

 貴族派の議員や旧貴族階級の魔術師が根強く力を維持しているのも、そうした人々を利用しているからだ。

 力による支配。

 俺はそれを、認めることは出来ない。

 車は集落を抜け、緩やかに丘を上りながら黒々とした深い森に差し掛かった。

 その森に突入する直前。

 俺たちの行く手に、突然巨大な壁と門扉が現れた。

 鷲や獅子が絡み合った複雑な紋章。綺麗に磨き上げられた格子。とても放置されているようには見えない立派な門だった。もしかすると、軍警オーリウェル支部の正門よりも大きいかもしれない。

 門扉は閉ざされていたが、道はその奥、森の中に続いている。

「この先がエーレルト伯爵の屋敷だな」

 バートレットが説明してくれるが、バートレット自身何だか信じられないというような口ぶりだった。

 確かに屋敷と言われても、実感なんて出来ない。

 何せ壁と門扉以外の建造物は、何も見えないのだから。

「……インターホンとか呼び鈴なんて、どこにあるんでしょうね」

 アリスがフロントガラスの向こうの門扉を見上げた。

「伯爵家から指定されたのはこの場所なんだがね。さて、どうしたものか」

 深くシートに座り込んだバートレットが、腕を組む。

 その時、不意に門扉が動き出した。

 バートレットが身を起こし、アリスがハンドルを握り直す。俺も思わず、前席のヘッドレストに手を掛けて身を乗り出した。

 門が開く。

 その向こう。

 鬱蒼と茂る森の中から、何かが近付いてきた。

 目を凝らす。

「馬……」

 俺は思わずそう呟いていた。

 やがて俺たちは、森の奥からやって来るのが馬に乗った人だということに気が付いた。

 石畳に蹄の音を響かせ、ゆっくりと近付いて来るのは白馬。それに跨っているのは、クラシカルな黒いエプロンドレスに身を包んだ少女だった。

 細い腕が手綱を握っている。

 色白の顔に明るいブルーの瞳。ヘッドレストを乗せたセミロングの髪は銀色。

 俺たちは車を降りる。

 その俺たちの前までやって来た馬上の少女は、ふわりとスカートを広げて馬から降り立った。軽快な身のこなしだった。

「軍警の皆様かと存じます。エーレルト伯爵家にようこそ。私は当家の使用人でございます」

 膝を折り優雅に挨拶する様は、まるで映画のワンシーンのようだった。

 馬から降りると、彼女が俺やアリスよりも小柄であることが分かった。歳も、随分と若そうだ。

 それに、使用人……。

 確かにどう見ても、彼女の恰好は貴族のお屋敷に使えるメイドのそれにしか見えなかった。

「軍警オーリウェル支部から参りました。身辺警護の件で」

 アリスが思い切って一歩前に出た。

「はい。承知しております。どうぞ。ご案内致します」

 メイドの少女はふわりと微笑むと、門の向こうを指し示した。

 ちらりと隣を窺うと、バートレットはそのメイドの動向をじっと注視している。

 俺は改めて気を引き締める。

 そうだ。相手が少女でも、時代錯誤なメイドでも、油断は出来ない。

 俺が視線を戻すと、ふとメイドの少女と目が合った。

 整ったその顔が、無表情のままじっと睨むような俺を見る。

 何だ……。

 刺すような視線に晒され、しかし俺もきっと彼女を見つめ返した。

「……それではご案内致します。先導致しますので、どうぞ付いて来て下さい」

 メイドの少女は不意に俺から視線を外すと、スカートを翻し、踵を返した。そして少女に比して明らかに巨大な白馬に手をかけると、ふわりと飛び乗った。馬に馴れている身のこなしだ。

 俺たちは車に戻り、駆け足で進み出した白馬の後を追い始める。

 門をくぐる。

 背後で金属の軋みを上げて、大きな門扉が閉まり始めた。

 左右を大木に囲まれた森の中を、騎乗したメイドの少女の背を見て低速で進む。

 空を覆った枝葉からこぼれ落ちた木漏れ日が、石畳の道の上にまだらの模様を描き出す。

 降りしきる蝉時雨。

 ホワイトノイズのように響くその音が、どこか非現実的な光景に拍車をかけているように思えた。 

 アリスもバートレットも、そして俺も沈黙したままだった。

 まるで次に起こる事態に対して、じっと身構えているように。

 やがて、目の前が開けて来る。

 木々に遮られていた陽光が、再び俺たちを包み込む。

 眩しくて、一瞬目を瞑ってしまった。

 そして、次に目を開いた瞬間。

 俺たちの目の前に広がっていたのは、芝生と生け垣の庭園に囲まれた巨大な屋敷だった。

 青い屋根と白い壁。彫刻が施された白亜の柱に、花が咲き乱れるバルコニー。オーリウェル旧市街のルヘルム宮殿にも負けない荘厳な建物だった。

 まるで騎士物語に出て来る王女さまのお城だ。

 ルヘルム宮殿は、今や純粋な観光地と化している。だから荘厳な佇まいも華美な装飾も、凄いなという感想だけで受け入れる事が出来る。しかし今俺の目の前にそびえる屋敷は、エーレルト伯爵という個人の住まいなのだ。

 これが貴族……。

 知識としては知っていても、やはり驚かずにはいられない。

 メイドの少女の白馬は、大きくカーブしながら屋敷の正面へと向かう道を進んでいく。

 この先に、稀代の魔女がいる。

 ……臆しては、いられない。

 俺は大きく息を吸い込み、そしてお腹に力を込める。

 よし。

 行くぞ……!

 いつの間にか10話です。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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