第1章 三毛猫と雷 -6-
本日(?)2話目の投稿です
そんな感じで貞一に案内された先は、ただの空き教室だった。
廊下から見ても教室にクラスとかの札は掲げられていないし、中に誰かいる気配もない。――ただ一つ不思議なのは、この学校の窓ガラスは廊下側を含めて綺麗に澄んだものばかりなのに、ここだけ曇りガラスというところか。
「ただの空き教室だな」
「ただの、じゃねーよ。ここには天装の改造とか調整のための工具とか隠してあんだよ」
「学校にかよ」
柊哉の知識では、貞一は天装の調整屋を目指し勉強中だったはずだ。一体いつから実践まで行い始めたというのだろうか。
「当たり前だろ。顧客がこんなに集まる場所に店を開かないでどーするよ」
さりげなく聞き逃してはいけない言葉が混じっていた気がした。
顧客。
どう聞いても他の字が当てはまる気がしなかった。
「なぁ。天装の改造とか調整を商売にするのって免許が要るはずだよな。それもソレスタルメイデンの資格とは全く別の」
「そーだな。商業的な調整で準一級、改造までするなら一級CDS技師っつー特殊な免許が要るな」
「お前、持ってったっけ?」
「持ってたら工具を隠さねーだろ。てか、免許は中途半端にも十六歳未満は取れない決まりだぞ」
……何か成り立っているような成り立っていないような会話だ。
「てか。それ知ってるから俺のとこに来たんじゃねーのか?」
「俺はお前がその勉強中だっていうのは知っていたけど、実際に学校でやってるなんて知りもしなかったよ」
出来れば親友が犯罪者という事実は知りたくもなかったが。
柊哉はがっくりとうなだれながらも、背に腹は代えられないことに気付く。貞一の犯罪性はともかく、布都御魂を直さなければいけないのは確実なのだ。
「……まぁとりあえず追求はしない。けど、この教室鍵かかってるぞ?」
「鍵もなしに隠し場所になるかよ。あ、つってもこの鍵も俺の手製だから学校側からは開けられねーけど」
貞一はそう言いながら南京錠に何かのコードを挿し、ケータイと繋げた。
おかしな光景だ。
「……ねぇ貞一。これって南京錠だよね?」
メイも堪らず訊いてしまっていた。いや、それも当然だ。いくら年代が進もうと南京錠は南京錠だし、ケータイに繋がるコードが鍵に変形する、なんていう不可思議な技術もありはしない。
「見た目だけ、な。この南京錠の中身はデジタルの塊だ。ピッキングしよーという発想自体を間違えさせる素晴らしーアイディアだろ?」
貞一は自画自賛しながらケータイのテンキーを叩く。すると、ガチャリと音がした。なんとも不可思議極まりない画だが、たぶん鍵が開いたのだろう。
「ほら、入るぞ」
貞一は空き教室の引き戸を押した。……もう柊哉はツッコむ気にもならない。
柊哉たちの前に教室の中の光景が広がった。
いや、そこはもう教室ではなかった。
壁を覆い尽くすように銃や剣など色々な武器を立てかけられてあった。それもリボルバーからオートマチック、マシンガンにアンチマテリアルライフル、剣にいたっては日本刀からロングブレード、青龍刀にレイピア、バスタードソードまである。
これらが全て、シミュレーテッドリアリティから現実を改竄する装置、天装だ。
そして床にはドライバーやらピンセットやら、柊哉には何に使うのか分からないようなその他の工具が散らばっている。隠すと言っておきながら、まったく片づけされていない。
「――……お前、この学校を何だと思ってんだ」
「ソレスタルメイデンの養成の場だろ?」
「分かってるんならこれは何だ!」
「作業場だ、見ての通りの」
「分かってるんだよ、そんなことは! そういう話じゃなくて、こんだけ派手にあったらバレたら言い逃れできないだろ! 即刻退学させられるぞ!」
柊哉の説教というか真剣な忠告を、貞一は笑って聞き流していた。
「おいおい、バレることを恐れ、言い逃れできるよーにちまちま隠れるなんざ、下っ端のすることだぜ?」
「カッコいいようなセリフでごまかしてる場合か!」
柊哉が必死に怒鳴っているが、貞一は気にも留めない。というか、その必要性を既に排除した、という様子にも思えた。
「それに退学はねーよ。教師の天装の改造やら調整やらも無料で引き受けてっから。学長と教頭と三学年の全部の学年主任の分。あとめんどくさそーな体育教師とか生活指導の教師のヤツもやってるし、自分の学年の教科担任も全部やってるかな。最近は二年生の国語教師を狙ってる。もちろん、五十嵐先生も俺の大事な顧客だな」
「ば、買収かよ……」
「人聞きの悪いこと言うな。ギブアンドテイクだ」
入学してたったひと月の間に一体何をしているのかと問い詰めたいが、それは無駄だろう。貞一は悪びれる様子もなく、どころか慣れた雰囲気で粗雑に工具を押しのけて座る場所を作ったのだし。
「――てか、シノは驚かないんだな」
「えぇ。毎週足を運んでいますから」
さらりと犯罪の片棒を担いでいるような発言だった。
ちなみに天装の違法調整等はそれを行った者だけでなく、依頼した者にも罪が及ぶ。飲酒運転のような法律だ。
「……いいのか?」
メイと違いどこからどう見ても優等生そのものであるシノが、堂々とそんな発言をしたことは柊哉にとっても意外だった。
「私が調整に求めるのは結果だけですから。それに、あと数カ月で月山貞一は技師の免許が取得可能になる年齢です。そうなれば彼は間違いなく免許を取れることでしょう」
「そりゃまた凄い信頼っすね」
既に商売モードに入っているのか、貞一は若干砕けた敬語だった。
「ならば今から調整を頼もうと、結果的に彼が技師になるなら、時間の前後はあっても同じだと考えます。――それに優秀な技師を抱えるのは、ソレスタルメイデンとしては当然だと思いますが」
「お誉めにあずかり光栄ですね。――で、シノさんもついてきたってことは何か依頼でも?」
「『光后・グングニル』の調整を」
そう言ってシノは貞一にロングボウの天装を渡した。
形状としては競技のアーチェーリーなどに使うような弓にも似ていて近代的な雰囲気があるが、それよりもややメカニカルなイメージを感じる。
「まー、特に調整が必要って段階じゃねーはずですけどね」
「ですが、先程は貫通させるつもりが止められました」
先程、というのは柊哉を助けるために放ったあの矢だろう。
矢が弓なりではなく直線で進むという軌道など柊哉は初めて見たが、あれはまるで吸い込まれるようだった。
狙いは完璧だったというのに、どこまでの高みを目指しているのだろうか。
「……口を挟んで悪いんだけどさ」
「何でしょうか?」
「あれ、どこから射た?」
柊哉はとうとう堪え切れなくなって訊いてしまう。
するとシノは小首を傾げ、さも当然とでも言うように、
「この屋上からですが」
と、のたまった。
「それで動くファーフナーの肩を命中!?」
思わず声を荒げてしまった。
ここから駅までは平面で一キロほどある。もちろん、高低差を考えればそれ以上の距離があるし、無風などという物理のテストに出るようなありがたい状態でも決してない。
一キロ以上先で誤差すらなく的に命中。しかも、ライフルならまだしも弓だ。
王族神器は従来の兵器や武器どころか他の天装の領域からも逸脱した存在とはいえ、いくらなんでもそれは無茶苦茶すぎる。
「それはいつもの腕前でしょーけど。――威力が減衰した理由は柊哉が邪魔だったとかじゃねーんです?」
「……、」
シノは答えなかった。
正直、貞一の指摘は当然だろう。柊哉に右に避けるように指示してから射た際、僅かでも柊哉が避けきれないのではと頭に過れば手は緩む。
もっとも完全に命中して撃退にまで成功したのなら、許容範囲どころかそれでも神業の域に入るだろうが。
とは言っても言い訳はしたくないらしく、しかし調整の都合上は嘘を言うのもはばかられるようで、シノは黙秘を貫いていた。
「否定されると調整しないといけないんですけど、そーじゃねーみたいですし、とりあえず軽い点検だけにしておいていーですか?」
「構いません。お代は……、」
「結構ですよ。話聞いてる限り診るだけで済むんで。――それより、柊哉の方の依頼だな」
そう言って貞一は柊哉の方に手を伸ばした。
「どれだ? その補助天装か?」
「いや。メイの布都御魂の鞘だ」
柊哉は出来る限り見ないようにして、メイの左手を指した。
「さっきちょっと巻き込まれてな。んで、仕方なしに盾にしたら鞘に傷が入った」
「なるほど。まぁお代は今度なんかおごってくれればいい」
メイから布都御魂を受け取った貞一は気軽にそう言ってのけた。
「安すぎだろ。流石に相場を知らない俺でも気付くぞ」
「俺の商売のバイブルはブラックジャックだ。取れる奴からしか取らねー、てな。――それにこの程度なら日が暮れるまでには直せるだろーしな。金取るほどでもねーよ」
貞一は少し照れたように笑っていた。
「凄い自信だな。それ、王族神器なんだぞ?」
「まーな。でも、メイとかシノさんの王族神器の調整も格安でしてるし。たぶん免許あっても俺より上の調整屋はそうそういねーだろーな」
それからすぐに貞一は布都御魂を鞘から抜き、本体はそのままメイに返した。
「危ないなぁ。抜き身の刀なんか渡して。メイちゃんが怪我したらどうする気なのさ」
「天装の刃は、発動して金属が刃の部分に生み出されて初めて形成されるもんだろ。使わない限りただの鉄パイプと変わんねーよ。――あとお前が怪我したって知るか。何度修理代を踏み倒せば気が済むんだ。俺が違法で修理してるから訴えれねーと思って足元見やがって」
貞一は乱暴に答えつつその鞘を眺め、コツコツ指で叩いたり、小さい聴診器のようなものを当てたりし始めた。
「……それだけの腕があって、目指すのは技師じゃなくてソレスタルメイデンなのかよ?」
慣れた手つきだったから、思わずそう聞いてしまった。そんな柊哉の問いかけに、貞一は作業を進めたまま答える。
「両方に決まってんだろ。別に両立できねー仕事じゃねーんだしな。……それに俺から言わせれば、お前の方が『それだけの腕があって』って感じなんだけどな」
「……分かってんだろ。俺はまだ、なれないんだよ」
そう柊哉は呟いた。
拳に思わず力がこもってしまう。
「なりたくないだけ、だろ? それに今日だって、布都御魂を振るったんじゃねーのか?」
「違う」
噛みつくような言葉だった。
自分でもこんなに強い語気になるなんて思ってもみなかった。
「俺は結局、布都御魂を抜いてない。……いや、抜けなかった。抜いてもいい、抜くしかない場面で、それでも俺はそれを抜けなかった。だから俺はなれないんだよ」
どこかもう諦めてしまったように、柊哉は俯いていた。
「……じゃー、抜けるようになったらすぐになるのか?」
「……さぁな」
貞一の声はさっきとは打って変わって真面目だった。だがそれをごまかすように素っ気なく答えて、柊哉は立ち上がった。
「仕事の邪魔みたいだし帰るぞ、メイ。貞一も、あんまり遅くまでやるなよ」
「おう」
短く答える間も、貞一の真剣な眼差しは王族神器から逸れることはなかった。
随分と疲れた様子で柊哉は外へ出て、戸を閉めようとした。
「……柊哉」
しかしそこで貞一が呼び止めた。閉じかけた戸が止まる。
「お前、まだ刀が……――」
「何か言ったか?」
尻切れになった貞一の言葉を柊哉は聞き返した。
いや、本当は聞き返さずとも意味は通じている。だがそれでも聞き返した意味くらいは、貞一も察してくれた。
「いや、悪い。何でもねーよ」
貞一はそう言って、また布都御魂の鞘の点検に戻った。
柊哉は後ろ手でそっと戸を引いた。
扉に背を預け、息を吐く。
瞬間、前にいたメイの握る布都御魂が視界に入った。
刀。それも、王族神器だ。
いつもはバットケースに入れているが、それは柊哉が使う際に放電で弾いてしまっているせいで何にも覆われてない。その上、鞘まで貞一に預けている。
鞘から解き放たれたせいか、王族神器独特の威圧感が柊哉の全身を圧迫する。
唐突に思考が重くなる。
呼吸が早まり、視界が狭まり揺れる。
楽しく談笑していた今の風景が、まるで何十年も昔のことのように遠のいていく。
唾を呑み込もうとするが、もう乾ききっていて喉が鳴っただけだった。
気分が悪かった。吐き気すらする。
きっかけはファーフナーとの戦いだろう。いや、正確には布都御魂――王族神器を握ったことに違いない。
あの時は緊張とメイのハイテンションのおかげで保っていた何かが今頃になって崩れて、嫌な思考に取りつかれてしまう。
いくら拒んでも、もう抗えない。
頭にあの日の出来事がフラッシュバックする。
雪。
血。
刀。
炎。
四つのばらばらの映像が、柊哉の脳に突き刺さる。
「……ミー君、顔色悪いよ?」
そう言いながらメイはそっと布都御魂を自分の背に隠してくれた。柊哉がどうしてこんな様子なのかを、彼女は気付いてくれていた。
「ゴメン……ね」
柊哉よりも小さな身体で、それでも柊哉のことを守ろうとしてくれているのだ。
「――……大丈夫だよ」
メイの頭を撫でてごまかそうとするけれど、その指先が微かに震えていた。
全てが終わったその瞬間が、思い出したくもないのに、叩きつけるように頭に蘇る。