第1章 三毛猫と雷 -5-
着いたのは、ずば抜けてゴージャスな喫茶店だった。
校舎が豪奢であれば、その中の施設がどうかなど言うまでもないだろう。まして、既にソレスタルメイデンとしての給金をもらっている彼女が学食などというお得な場所を好んで利用するはずもない。
つい昨日オープンしたばかりなのかと見間違えそうな綺麗な店内に、柊哉は驚きと感嘆の声を上げる。安くともコーヒー一杯で三千円くらいは取られそうな雰囲気だった。
「……俺の財布の中は常に二千円以上は入ってないぞ」
「安いやつならそんなに高くないけど、まぁミー君の分はメイちゃんがおごるよ? だってミー君はわたしがしなきゃいけなかったはずのことを、代わりに頑張ってくれたんだもん」
笑顔でそんな風に言われて、柊哉は照れくささからその目を逸らした。そんな反応にメイがくすりと笑うのが聞こえて、もっと照れてしまう。
「でも、ミー君はここ来たことないの?」
「一か月でこの広い校内をくまなく探索してられるほど俺も暇じゃないんだよ」
「ふーん、そんなもんかにゃ。――って、あれ? 先客がいるね」
メイは頓狂な声を出した。
だがそれも同然だろう。いくら放課後でもこんなに高いカフェでのんびり出来る生徒は既に資格を持ち給金を得ている生徒ぐらいだが、そんな天才はそういない。
メイの視線の先を、柊哉も見る。
小柄な少女が座っていた。座っていて少し分かりづらいが、おそらく女子と言われても通用する程度には小柄な柊哉よりも頭一つ分くらい小さいだろう。
制服はメイのように着崩すことはなくきっちりと着ていて、髪はかなり色素が薄くうなじが見える程度の長さのポニーテールだ。何より、眼鏡をかけずに胸ポケットに差しているだけのこの姿は柊哉もよく見かけている。
「あぁ、シノちゃんだね」
そう言ってメイは彼女の傍に駆け寄り勝手に相席した。その間シノはちらりとこちらを見ただけで無反応、無表情を貫いていたが。
ちなみに、シノの正しい名前は分からない。自己紹介ではシノと苗字か名前かあだ名かも分からないような名前で自分を呼んでいたし、プライバシーの都合で今では生徒が出席簿を見ることも出来ないからだ。
それはさておくとして、メイはウェイトレスを呼んで勝手に柊哉の分までコーヒーを注文した。メイも柊哉もキャラメルマキアートだ。
「まぁ一言『どれにする?』とか訊いてほしかったけど、注文してくれてありがとな」
「どーいたしまして。ミー君も好きだよね、キャラメルマキアート」
男子としてここは『ブラックを』とか言いたいのだが、残念なことに柊哉の味覚は五十パーセント以上をミルクや砂糖などの不純物が占めていないコーヒーはただの苦い汁だと判断する。
「――で、勝手に相席してよかったのか?」
「構いませんが」
さっきの通信のときとまるで変わらず、無機質でともすれば冷たくも聞こえる返答だった。
だが、柊哉もひと月も一緒にいるクラスメートのこととなればだいたい分かる。彼女はいつもこの調子だ。
「ありがとな。あぁ、それとさっきも助けてくれてありがとう」
そういうわけで柊哉はシノの平坦な口調に気を悪くすることもなく、素直に感謝の言葉を繋げた。
「私は仕事をしただけですが。それに、助けられる仲間を助けないのは、ソレスタルメイデンと呼ばないと私は考えます」
はっきりと簡潔に答えるシノだが、そう容易く言える内容ではない。実力と実績を伴っていなければ、ただの戯言にすら映りかねないからだ。
「そういうことを真正面から言えるのは、ホントにカッコイイよ」
疑問符を浮かべたようにシノに首を傾げられたが、柊哉はあえてそれ以上補足しなかった。
「規則を破ってでも幼女を助けたあなたも評価されるべきだと思いますが」
すると、シノの方も返すように言葉をくれた。変わらない平坦な声ではあったが、シノも柊哉に少なくない称賛を贈ろうとしてくれているのが分かる。
「幼女って変態チックな響きだよね、ミー君」
「お前の感性が腐ってるだけだから黙ってろ」
柊哉はふざけたことを言うメイを脳天チョップで黙らせた。涙目になったメイが何かをその眼で訴えているが柊哉は当然のように無視する。
「――えっと誉められるほどじゃないだろ? 実際は何か出来たわけでもないし」
「そうですね。私の視界に収まる限りではあなたが助けに入らずともあの攻撃は逸れていましたし。本当に無駄だったと思います」
無言の間があった。
「……マジで?」
「嘘です。というか見えていません」
「…………、」
真面目な口調だから分かりづらいが、ひょっとしなくてもからかわれているらしかった。
「ほらほら。そんな捨てられた子猫のような目をしてないで、せっかくだし届いたばかりの甘いコーヒーでも飲みなよ」
柊哉はメイに勧められるままにコーヒーをすする。ほろ苦い香りとキャラメルの甘みが何とも言えない。ついこの間までは一杯百円のファストフード店のジュースで満足していた柊哉としては、これは自分のような平民が呑むには美味しすぎると感じている。シノにからかわれてほんの少し傷ついた心くらいは簡単に埋めてくれる味だ。
「ところで高倉柊哉」
「なに?」
甘いコーヒーに舌鼓を打ちながら、柊哉は聞き返した。
「失礼なこととは思うのですが、一つ尋ねていいでしょうか?」
「前置きは要らないぞ。っていうか、失礼の塊ことメイの傍にいるわけだし、そういうのには慣れてるから」
横で「失礼の塊ってどゆこと!?」とメイが傷付いたような声で訴えるのを柊哉がいつものごとくスルーしていると、シノは全く変わらない無表情でこんなことを言った。
「では遠慮なく。――あなたは、本当に男性ですか?」
「本当に失礼だったな!」
思わずコーヒーを吹き出してしまいそうになった。
ごほっごほっ、と咳き込んでいる柊哉の代わりに、メイが疑問を素直に投げかけた。
「えっと、シノちゃん? なんでそんなことを思ったの? そりゃミー君は男らしくなんか全然なくてイケメンじゃなくて男の娘って感じだけども、それを言うのは失礼なんだよ?」
「……お前の発言の方がな」
確かに柊哉の身長はあまり高くない。というか、男子の中ではかなり低い方だ。逆に声は低くはなく、少年と青年の間くらいの声で定着してしまっている。
だが、それでも生物学上はれっきとした男であるのに違いはない。
「私は外見の話をしているのではなく、適性に合った王族神器を扱えたことを言及しているつもりなのですが」
シノにそう補足されて、少し柊哉は納得した。
彼女の言う適性とは、王族神器にだけ限った話だ。
他の天装はX染色体に伴性遺伝する特殊な情報、つまりシミュレーテッドリアリティに繋げる最低限の情報を有していれば誰でも扱える。
だが、王族神器は人を選ぶ。
具体的な理論は未だに不明だが、遺伝情報の中に特定のパターンを有していなければ王族神器は扱えないらしい。
それも個々の王族神器によって必要なパターンはそれぞれ異なっている。
その為、メイは布都御魂を使わずに柊哉に預けた。あれはただあまりの貴重さと大切な思い出でもあるという理由からメイが肌身離さず持っているだけで、彼女には適性がない。
一般的に一人が持つ王族神器の適性は一種類、多くて三種ほどだ。王族神器が千五百基ほどしかないといわれているのだから、たまたま手にした王族神器が適性に合うなどにわかに信じられる確率ではない。
それが数少ない男性のソレスタルメイデンとなれば、その分母の桁が跳ね上がるだろう。
「けどまぁミー君は男の子だよ。なんならパンツごとズボン下ろそうか?」
「やったら本気でぶん殴るからな」
「大丈夫。わたしも脱ぐからおあいこだよ」
「どういう神経してればそんな発想になるのかは知らないけど、絶対にやるな」
柊哉の念押しにメイは可愛らしく顎に人差し指を当てて小首を傾げ、
「……『押すなよ押すなよ』的な?」
ガンッ、と柊哉は思い切り頭を殴ってやった。
「イッタイ! まだ何にもしてないのにミー君がぶった! ヒドイ!」
「手が滑っただけだ」
「小学生の言い訳!?」
メイのツッコミは置いておいて、柊哉はシノに説明する。
「えーっと、まず王族神器の適性は本当に偶然だ。前に触れる機会があって使えることは知ってたけどな。――で、俺が男に見えないっていうのも、まぁ、その、不本意ではあるが、間違いじゃないんだ。そういう病気、っていうのかな。症状は人それぞれで全然男っぽいヤツもいるんだけど」
「病気、ですか」
変わらずに無表情だが、柊哉には僅かに訝しんでいるような気がした。どう見ても柊哉は健康体だし、そうでなければ天佑高には入学できないからだろう。
「うん。クラインフェルター症候群っていうんだけど、簡単に言うと性染色体って男性ならXY、女性ならXXだろ? それが俺のはXXYになってる、っていう病気。人によっては不妊とか胸が発達しちゃうとかもあるらしいけど、背が伸びづらくて華奢になったり声変わりしなかったりとかするだけっていうのもあるらしいんだよ。まぁ、俺みたいに」
そう説明すると、シノは何か考えこんでいた。
「どうかしたか?」
「いえ。ただ、男性のソレスタルメイデンは、遺伝子の乗り換えでシミュレーテッドリアリティに繋ぐ情報を有する、ということですので、確か女性に比べると完全な状態とは言えない、と習った覚えがあるのですが」
「あぁ、確かそうだったな。細かい演算がかなり不得意なんだっけ」
それでも火力さえあればいい役回りはいくらでもあるし、壁役なんかには男性のソレスタルメイデンは非常に役に立つ。人数の少なさでそれを感じることはあっても、実力不足等で肩身が狭いということはない。
「もしかすると、あなたは完璧な形でその情報を有しているのですか?」
「そうだよ。だから鞘に入ったままでもあれが扱えたんだ」
「……それは、天才というものでは?」
「いや、努力で簡単に覆される程度のアドバンテージだよ。体格がいい、ってのと大差はないと思うけど」
実際にまだ彼はソレスタルメイデンではないというのを考えれば、メイやシノの方がよっぽど才能に恵まれていると言わざるを得ないだろう。
「ですが、それは珍しい病気なのでは?」
「そうでもないんじゃなかったかな。千人に一人とかでいるらしいし」
「天佑高校の入学時の定員は千名、内一割が男性ですので、単純に考えると十年に一人の逸材、ということになりますが」
シノの言いたいことは分かるが、それでも柊哉は自分をそのカテゴリに入れる気はなかった。
「別にそんな単純な計算でもないし、逸材ってほどでもないと思うけど……。まぁ、そういうわけで、俺はちゃんと男だ」
柊哉の説明でシノは一応納得したらしい。変わらない無表情だが、小さく頷いているからそういうことなのだろう。
「では、鹿島メイからの愛称の意図は?」
と言うとミー君という呼び名のことだろう。それについてはメイが説明してくれる。毎度他のクラスメートに対してもやっている定型文のようなものだ。
「あー、それはね。三毛猫ってソレスタルメイデンみたいに伴性遺伝する遺伝情報が要るからメスばっかりなんだけど、クラインフェルター症候群でまれにオスの三毛猫もいるんだよね。ってわけで、オスの三毛猫みたい、三毛猫、ミー君、という流れなの」
「俺は十数年ずっと嫌がってるんだけどな」
「でも最近は嫌がらないから、気に入ったんじゃないの?」
にひひ、とメイは意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「諦めただけだよ」
そんなことを言いながら柊哉は残った甘いコーヒーを飲み干す。それを待ってから、シノは頭を下げていた。
「わざわざご説明ありがとうございました。それと、失礼な言動とプライベートな事情を聞いてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、別に気にするなよ。ていうか、俺が気にしてないし」
「そうだよ、ミー君に頭を下げるのはもったいないよ」
「おい待て。どういうことだ」
柊哉の睨みをメイはわざとらしく口笛を吹いて受け流していた。さっきまでのスルーの連続に対するささやかな復讐のつもりらしい。
「――まーた、楽しそうにやってんな」
そんな中で唐突に、柊哉の後ろから男子の声がした。
警戒するでもなく、柊哉はちらりと振り返って軽く挨拶で返す。
「よ、貞一。結構いいタイミングだったな」
柊哉の視線の先にいるのはもう一人の幼なじみ、月山貞一だった。
長身でスタイルもいいのだが、顔立ちは割と平凡だった。それでも『どこにでもいそう』というよりは『親しみやすそう』と感じるのは、彼の心根から来るものだろう。
服装はかなり大雑把で、赤いTシャツの上に着ているカッターシャツはボタンを一つも止めずに羽織っただけ、暑いのかスラックスも七分くらいまで捲っている。そういうことも親しみやすさに関わっているのだろうか。
「そーか? もー少し両手に花の状況にしておいた方がいいかとも思ったんだが」
ちらりとメイを見て貞一は笑っていた。
「ダメだよ! ミー君の両手にはわたしという花でいっぱいなのさ!」
「意味が分からないこと叫んでんじゃない」
なぜか慌てているメイの頭を軽くはたいて鎮めて、柊哉はため息をついた。
「――で、頼みというのがあってだな」
「修理、だろ? ついてこい」
既に知っているようで、貞一はにやりと笑って後ろを親指で指示した。
昨日お知らせしたとおり、節分キャンペーンということにして本日より三日間、1日2話投稿となります。
次話の投稿時間は24時、日付が変わってすぐとなります。お間違えのないよう、お願いします。