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第1章 三毛猫と雷 -3-


 ――柊哉の握る何かから放たれた衝撃が、いとも簡単に不可視の斬撃を相殺したのだ。


「少年、それは天装か……? 君は一体……」


 柊哉の握るそれは、深い夜を思わせる刀だった。

 鍔や柄巻きがなく黒い漆で塗られた、いわゆる白木拵の直刀だ。

 長さはだいたい八十五センチ――二尺八寸だろう。鞘と鯉口で十字になるように月のような金色のラインが入ったそれは、鞘に納まった今の状態でも十分な美しさを持っていた。


 銘を『雷帝(らいてい)布都御魂(フツノミタマ)』。建御雷と対を成す、王族神器の一つだ。

 それはただ鞘に納まったまま、バチバチと青白い閃光を迸らせている。

 柊哉はそれを抜いてすらいなかった。いや、正確には抜くことが出来なかった。それ以上の体勢に移ろうとすると、視界がちかちかと明滅してしまう。


「――いや、よそう。そういう無粋な真似は必要ないか」


 言葉を切ってファーフナーはバルムンクを握り直していた。

 子供のように、無邪気な笑みを浮かべて。


「既にモーションに入った攻撃に割って入るだけの反応速度、一足でこの距離を跳ぶ脚力、真正面から不可視の斬撃を受け止めるその胆力。どれも素晴らしいよ。少年こそが私が待ちわびた強者だな」


「何を言って――」


「戦いたい」


 一言。

 ファーフナーはそう言った。


「それが私のただ一つの欲求だ。より強い者と戦い勝利する。君は、私が認めた強者だ」


 彼女のその笑みが、柊哉の背筋を凍らせた。

 恐ろしいほどに、純粋なのだ。

 何にも汚れることがない。戦うという欲求だけがそこにあって、社会の規則や善悪といった当然のことさえ彼女の中には存在しないのだと思い知らされる。


「ただ願おう。その少年の力が、贋物ではないことを」


 ファーフナーの剣閃に合わせて、また不可視の斬撃が襲う。

 だがそれは鞘に納まったまま放たれる紫電に全て叩き折られた。

 柊哉は長い息を吐く。


「――風を操る天装っていうのは、見れば分かる」


 平静を装って、状況を分析して声に出す。 何もしていなければ彼女の握る刃にも自分の握る布都御魂にも、心を食われてしまいそうだった。


「っていうことは、塵とか小枝とかを風に乗せて飛ばしてるってところか。かなり指向性を高めた突風に乗せればそれでも立派な凶器になるから。でもその空気自体を放電で弾けば、何の意味もなくなる」


「なるほど。すぐに看破するのは素晴らしいが、一つ忘れていないか?」


 ファーフナーのバルムンクから、烈風が吹き荒れる。


「直接斬ることも、不可能ではないぞ?」


「――ッ」


 あまりの殺気に、刀を握る手が震えた。

 誰かを殺し、誰かが殺される。

 そんな現実を突き刺すような凶暴な気迫に、柊哉はどうにか耐えようとしていた。


「……抜かないのか?」


 ファーフナーの問いに、柊哉は答えられない。

 抜かなければいけない。出来なければ死ぬ。

 だが、どうしても抜けない。

 刀を引き抜こうとすると、指の力がなくなってしまう。

 鯉口を切ろうとすれば、胃が痙攣し始めたように吐き気が襲う。

 いやに冷たい汗が全身の汗腺から噴き出している。

 あの瞬間が、握った刀から流れこむように頭を掠める。


「抜刀術のつもりなら全力で迎え撃とう。もしそれがただの余裕ならばそれはそれで構わないが、私は手加減しないぞ」


 身体が動かない。それどころか意識さえ遠のいていく。

 この刀を握り続けることを、全身の全ての細胞が拒んでいるかのようだった。

 しかし逃げることは出来ない。

 メイはいま幼い子供を抱えている。柊哉がファーフナーの気を引いてさえいれば、メイは余波から子供を守ることに徹することが出来る。だがここで柊哉が逃げてしまえば、最低でもどちらかが死んでしまう。

 戦うことも、逃げることも許されない。

 その状況に押し潰されそうになった、そのときだった。


『聞こえますか、高倉柊哉』


 補助天装の思考通信に誰かが入ってきた。もちろん、メイではない。

 ボリュームは控えめで、平坦かつ無機質な声だった。それでいて滑舌はよく実に聞き取りやすい。砂糖をぶちまけたケーキのように甘ったるく、やかましいだけのメイとはまるで正反対だった。


『あなた方のいる広場には天窓があるはずです。その下に移動して、敵の迫る位置を正確に教えてください』


『シノ。助けてくれるのか?』


 柊哉も唇を動かさない思考だけの通信に応える。

 相手はシノ。天佑高校のクラスメートだ。しかもメイと同じく奇跡的な大天才で、既に資格を得ている。今季の一年生は化け物ばかりだ、と上級生に言われるほどだ。


『早く』


 柊哉の質問を完璧に無視して、シノは要求だけを突きつけた。


「どうした、少年。私との剣戟の間に考え事など、余裕のつもりか?」


 ファーフナーは少しいら立ちを声に乗せてバルムンクを構え直した。


「ならば、その余裕ごと叩き斬らせてもらおう」


 遠距離攻撃は意味を成さないと考えたのか、風を自分の背に叩きつけるようにして突進してきた。慌てて柊哉も右へと跳んで躱そうとするが、それでもギリギリで間に合わない。

 動体視力を向上させた柊哉ですらそれを完全に回避することは出来ず、とっさに防いだ布都御魂の鞘に僅かだが傷が入っていた。

 とは言え、それでもシノの指示通りに天窓の下まで飛び退くことには成功した。


『俺の右手方向。方角は……ちょうど南南西だ』


『あなたの姿を確認、同時に了解しました。では指示があるまで絶対に動かないでください。頭上のガラスには気を付けて』


 そこまで聞こえた時点で、既にファーフナーが直線的に柊哉に迫っていた。


「どうした少年! あまり無様に避けるなよ!」


『右後方へ避けてください』


 ファーフナーの攻撃には一切の注意を払うことなく、柊哉は指示通りに右後ろへと身を屈めるようにして避けた。

 それでもファーフナーの太刀筋が蛇のように緩やかに曲がり、柊哉を襲うその寸前。

 彼女が右肩に真横から衝撃を受けて、柊哉に攻撃することなく左へと吹き飛ばされていた。

 遅れて頭上からきらきらと砕けたガラスが降り注ぐが、その程度は補助天装の基本的な防御力の向上で防げる。


「何が……ッ!」


 ファーフナーがその右肩を見る。そこには金属の矢が深々と突き刺さっていた。


「シノの攻撃だよ。言っとくけど、あいつの視界にいる限りは絶対に避けられないぞ。まぁ、あいつがどこまで遠くから撃てるのかは俺も知らないんだけど」


 その言葉と同時、ファーフナーの左の大腿部を新たな金属矢が貫いた。

 D型というかなりの防御力を有した補助天装に護られていても血が噴き出している。だがファーフナーは痛みを堪えるよりも先に後方へと跳んで、天窓から見える範囲の外に出た。


「チッ。王族神器使いが三人……。既に深手を負ってしまっているし、これは退くしかないか」


 戦力差を見て、プライドよりも全体としての作戦実行を優先したらしい。ファーフナーは鞘にバルムンクを納めた。


「待ってよ。ソレスタルメイデンのメイちゃんがそう簡単に逃がすとでも? まだわたしとミー君を襲う理由も聞いてないのに」


「戦うことを諦めるわけでも、まして放棄するのでもない。近いうちに必ず挨拶に行く。私の目的はまだ何も果たせていないからな」


 ファーフナーはそう言って、鞘に納まったままのバルムンクを掲げた。


「それに逃げられるかどうかの心配はしていない。私の天装は、不本意だがそういう類にも長けている」


 突如として烈風が巻き起こり、視界が奪われる。


「次に会うときは、私が勝利を飾る」


 その言葉と共に風が止んだときには、もうファーフナーの姿はなかった。


『駅の外に高速で移動する人影を発見しましたが、地下鉄構内への再侵入を確認。追跡は不可能です。作戦を終了します』


 そこでシノからの補助天装の通信は切れた。


「ほーら、もう大丈夫だよー」


 柊哉が感心している間にも、メイは守っていた泣きじゃくる幼女をあやしていた。


「ここで待ってたら駅員さんが来るから、そしたらお母さん探してもらおうね」


 なだめつつ抱きかかえて、メイはとことこと柊哉の傍に寄ってきた。


「ところでね、ミー君」


「何だ? ――おっと、そのまえにこれは返しておかないとな」


 シノやメイのおかげで自分の握るこの刀からは注意が逸れていた。たがそれでもその刀を渡すことでようやく全身から噴き出た冷や汗が引いていく。


「いやぁ、返してもらうのは当然なんだけど。ミー君はソレスタルメイデンだっけ?」


「資格はないな」


 生憎だが柊哉はメイやシノとは違って天才の部類にはカテゴライズされていない。というより、そもそもそれが普通なのだ。


「でわでわ、メイちゃんには重要なお仕事が残されているのです」


 何やらメイは怪しげな笑みを浮かべて、スカートのポケットに手を入れた。


「何だよ」


 がしゃり。

 柊哉が問いかけたその瞬間に、布都御魂を渡して伸ばしていた手の方からそんな硬い音が聞こえた。


「え?」


 柊哉はそのおかしな金属音のした手首を見た。

 銀色に輝く金属製の輪っか二つが、かなり短い鎖で繋がっていた。

 間違いない。

 手錠だ。


「一般人の天装の使用は重大な法律違反だし、天佑高の生徒でも補助天装までは認められてるけど主力天装はねぇ……。まぁ状況が状況だったからお咎めはないだろうけど、そういうのはわたしの立場じゃ判断できないしさ。いや、メイちゃんの意志ではないですよ? これも規則なのですよ、一応。というわけで、もう一度学校に戻ろっか」


「笑顔で言うなよ……」


 微笑みかけるメイに、柊哉はただ嘆息するしかなかった。



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