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第2章 青天の霹靂 -4-


 それから早くも放課後となった。

 柊哉たちが親睦会の場所として選んだケーキ屋の店内には、喫茶店のようにケーキを食べるスペースがある。

 それなりの高級店である為、落ち着いた雰囲気の主婦の方たちが夕方のティータイムを有意義に過ごしているらしく、どことなく静かでシックな趣がある。


 それに混じって、多少その雰囲気を壊すように天佑高の生徒もちらほらいるのは、彼らは見習いでも多少の給金があるからだ。学校帰りの少しの贅沢というのは彼女たちには重要な時間だった。――ただ、そのシックな雰囲気を主にぶち壊しにしているのは、言うまでもなくメイたち四人だった。


「むふふ」


 幸せそうな顔でメイが食べているのは真っ白なクリームに飾られ季節を問わず大きなイチゴを冠する、シンプルながらも最も人気のあるショートケーキだ。


「いやぁ、ケーキはしあわせの味だねぇ」


 もふもふとケーキを頬張りながら、メイは本当に幸せそうな顔をしていた。おごらされている身の柊哉としても、ここまで幸せそうにされると文句を言う気が失せてしまう――などということがあるわけもなく、文句タラタラだったが。


「そうか。俺は貧乏の味がするよ」


 メイと貞一、シノに一個ずつおごった柊哉の財布の中からは紙幣どころか三桁の硬貨すら残っていなかった。今月のやりくりに中旬の今から頭を悩ませそうだ。

 持て余したように自分のテーブルを見れば、金も少ないのにちゃっかり自分の分としてザッハトルテを注文してしまったアホの顔が紅茶の水面に映っていた。

 そうしてため息をつく柊哉に、貞一も呆れたように言った。


「お前さ、そーいう不景気な話は今することじゃねーだろ。せっかく高いケーキなんだから味わえっての」


「ねぇ貞一。今のって景気とケーキをかけたギャグなの?」


 ケーキを食べながら、メイは「うーわー。寒いわー」とでも言いたげな目をしていて、久しぶりに柊哉ではなく自分に矛先が向いたからか、貞一はいらっとした顔をしていた。


「……柊哉、こーいうときのメイの扱い方を教えてくれ」


「全力で無視しとけ。ツッコんだらもっとかぶせてくる」


「ミー君、それはちょっとヒドイんじゃない!?」


 そんなメイは当然のように無視する柊哉だった。


「で、シノよ。何かしらリアクション取ってくれないかな?」


 せっかくケーキを奢ったのに、さっきからシノはずっと無言でシフォンケーキを口に運んでいるだけだ。


「美味しいですよ」


 そんな感想を全くの無表情でのたまった。


「そう感じないのは俺の気のせいなの?」


 その問いかけは、シノには聞かなかったことにされてしまった。思わずメイも貞一も吹きだしているが、シノは気にせず食べ進めていた。


 ――そんな甘い空気の中。


「――っ?」


 柊哉は何か鋭い気配を感じた。

 小さく、ほんの僅かな何か。まるで透明な池の中に一滴の墨汁を垂らすような、そんな些細な変化だ。

 少しタイミングがずれていれば簡単に見逃していたであろう、ほんの一欠片の敵意。

 だがそれは、確かにそこにあった。


「……何かおかしくないか――」


「鹿島メイ。構えて」


「分かってる」


 柊哉が尋ねる前に、シノは胸ポケットの眼鏡をかけてグングニルを握り、メイは柊哉に布都御魂を押し付けて立ち上がっていた。



「なるほど。急襲も無意味か。流石は少年たちだ。私が見込んだだけはある」



 声と共に、店のガラスが砕け散る。

 落ち着いた店内が、瞬く間に恐怖に染まる。


「やれやれ。まさか今日はこのような場所に寄り道しているとはな。おかげで探すのに手間取ってしまった」


 幸せだった日常を、砕いたガラスと共に踏み躙る声の主。

 低い、ハスキーな声。聞き覚えのある、そして出来るなら二度と聞きたくはなかった声だ。

 細かなガラスの破片がきらきらと蛍光灯の光を反射する中、その女は姿を現した。

 長い栗毛が印象的で、夕方から用もなくイブニングドレスを着た長身の女性。その手にあるのは黄金の柄をしたクレイモア――バルムンクだ。


「ファーフナー・クリームヒルト……ッ!?」


「ほう。私の名前を間違えないとは、それなりに印象は残っていたということか」


 にやりと笑うその姿を、柊哉が見間違えるわけがない。

 彼女に命を狙われていたのは、二十四時間も前のことではないのだ。


「どうした、驚くほどか?」


「……いや、来るとは思ってたよ」


 昨日の言葉通りなら、彼女がここに来ること自体は何らおかしなことではない。

 身構えようとした柊哉だったが、そこで体中の筋肉が凝り固まった。

 自分の握り締めた王族神器が。

 彼女の持つ銀に輝くその刃が。

 あの日の記憶を、無理やりこじ開ける。


「――っ」


 肺がろくに酸素を取り入れていないのか、息を吸うのもままならない。

 だがそんな柊哉を、ファーフナーは気にも留めない。


「君との戦いは楽しみにしていたのだが、残念だな。今日の私の仕事は君の相手ではないのだ」


 ファーフナーはそう言って柊哉から視線を逸らし、メイとシノを見据えた。


「今日の相手は、君たち二人だ」


 ――その言葉は、何故か柊哉の心臓を鷲掴みにした。


「私たち、二人ですか?」


 シノも違和感を抱かずにはいられなかったのだろう。

 ファーレンの目的は星の数ほどある。同じ派閥に属していても、個人によって違うことなどザラだ。

 ソレスタルメイデンに恨みがある者や天佑高生を憎む者も、確かにいる。

 だがそれは柊哉や貞一を見逃す理由にもならなければ、メイとシノを名指しで追う理由にもならない。


「決まっているだろう? 私の目的――マスターからの命令は、王族神器の奪取だからな」


 どくん、と心臓が鳴るのを感じた。

 王族神器の奪取。

 ファーフナーは確かにそう言った。

 確かに王族神器には価値がある。ソレスタルメイデンもファーレンも、どちらに属する誰しもが欲する、貴重なものだ。


 だが、それを力ずくで奪うという話はほとんど聞かない。

 なぜなら、そもそも奪うには矛盾があるのだ。

 王族神器を欲するということは、自身は通常の天装を使用するということだ。それで王族神器持ちを相手に戦うというのは、余程本人の力量が高くなくてはいけない。


 柊哉の知る限り、いや事実として、そんな矛盾を乗り越えて王族神器を欲するファーレンの派閥は一つしか存在しない。


「マスターってまさか……ッ!」


 メイが何かに気付いた様子で、だがそれ以上の言葉を続けられなかった。


「今日は全て名乗っていいらしいからな。――そうだよ、わたしの名はファーフナー・クリームヒルト、そして我がマスターの名は――……」


 にやりと、ファーフナーが嗤う。



「斉藤葵だ」



 ぐらり、と柊哉の視界が揺れた。

 確かに、ファーフナーは口にした。

 三年前のあのクリスマスの日に、柊哉から全てを奪い去った者の名を。


「斉藤葵、って言ったか……?」


 柊哉は何も考えずに一歩を踏み出していた。意味もなく力もないその足取りに、しかし何かが滾っていた。

 布都御魂を握る手に、行き場を失った力がこもる。


「言ったがそれがどうした? 斉藤葵が私たちのリーダー、それはただの事実だ」


 ファーフナーの言葉に、柊哉は全身の毛が逆立ったかのような感覚を覚えた。

 視界が急激に狭くなり、赤みが増す。


「……三年も、経ったっていうのに……ッ!」


 歯を食いしばる音が、柊哉の鼓膜を内側から震わせる。


「三年も経ったっていうのに、お前はまだ俺を苦しめたいのか……ッ!」


 こうしてまたその影をちらつかせて、メイとシノに襲いかかった。

 柊哉の父を殺し、柊哉の内側からも全てを奪ったくせに。

 また、彼女は柊哉から何かを奪おうというのか。


「――どうした少年?」


 ファーフナーの声がした。敵から心配されるほど、柊哉は取り乱していたのだろう。しかしそんなことを理解してもとても冷静にはなれそうになかった。

 だが、柊哉の怒りは爆発しない。

 手に握る布都御魂が、その怒りを呑み込むように恐怖を呼び起こす。燃えるような感情が、それを遥かに凌駕する冷たいものに封じこめられていく。


 だから、その怒号は柊哉のものではなかった。


「ふざけんじゃねーぞ!!」


 どこから取り出したのか、貞一は刀型の天装――千鳥を振りかざし、顔を怒りに歪めて吠えていた。


「何でまだ、柊哉を、俺たちを傷つけんだよ!」


 メイとシノの間をくぐりぬけ、そのままファーフナーに千鳥を叩きつける。

 だがまだアマチュアの貞一の斬撃はファーフナーの補助天装だけで防がれ、一滴の血も流すことは出来なかった。


「駄目です! 下がってください、月山貞一!」


 まだ店の中には客が残っている。

 他の天佑高生が状況を呑み込み始めて避難誘導を始めているようだが、そんな簡単に全員が避難できるわけではない。

 こんな状況での戦闘がどれほど危険か。それが分からない貞一ではないはずだ。

 それでも、彼は止まれない。


「メイ、シノ! 貞一を止めさせ――」


「それが出来たら苦労はしないんだよ……っ!」


「この状況は、私たちには不利すぎます」


 言われて、柊哉も気付く。

 ここは昨日の広場と違って狭い店内だ。メイの建御雷は近接戦闘型だが、その中でも速度の一点に特化している非常にアンバランスな王族神器だ。よってリニアの原理で浮遊、加速し立体的に圧倒的スピードで攻め立てるのが定石。ここまで狭い空間では、メイが自慢の速度に達する前に叩き落とされてしまう

 シノに至ってはほぼ論外だ。一キロ先を撃ち抜く弓も、ここまで接近戦を強いられると無意味。しかも回避されたときには被害が客に及んでしまうことを考えれば、迂闊に弦を引くことも出来ない。


「そんな……っ」


 だが貞一では、絶対にファーフナーには勝てない。

 それだけの力量差があることを、昨日柊哉は嫌というほど思い知らされている。


「目障りだぞ」


「うるせぇ! てめーは、ここでぶっ倒す! 葵のことは洗いざらい喋ってもらうぞ!」


 羽虫でも払うように、ファーフナーは素手で貞一の斬撃を弾いていた。

 しかし貞一も、一向に退きはしない。

 あまりに彼の攻撃が雑すぎて、メイたちが入る隙間すらない。


「待って、貞一! 一旦退いて!」


 だがメイの忠告など貞一の耳には入っていなかった。その顔から分かるのは、純粋な、それでいて、決してファーフナーに向けられてはいない怒りだった。


「これ以上、柊哉を傷つけんじゃねーよ!」


 飢えた獣のように、ただひたすらに咆哮を上げて斬りかかっていた。

 だがそれは、ファーフナーには決して届きはしない。


「目障りだと、言ったはずだぞ」


 ファーフナーの瞳に嫌な色が宿る。それは軽蔑にも似ていた。

 彼女の愛する戦闘を邪魔する弱者。

 それだけで、彼女が怒るには十分なのだろう。


「失せろ」


 一瞬だった。

 シノの叫ぶ声がした。

 目の前で、小さな身体が跳んだ。

 貞一の影とシノの影が重なった。

 鮮血が、散る。


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