キスするわよ!
事の顛末を聞いたカイは、肩を落とした。
「俺、そんなに魔力耐性が低いんだ」
「一応それでも強い方だと思うから、大丈夫!」
落ち込んでいたのでカイをそう言って励ますと、何故かカイは恨めしそうにアリアを見る。
慰めるつもりもあったのだが、これで少しくらいは自分の防御力程度上げると思っていたので周りに違和感を与えないように、アリアはそう言っておいたのだが。
なのに何故かカイはアリアを恨めしそうに見るのである。
それはもう、塵に積もった想いを踏みにじられたとでも言うかのよう。
そのあまりにもこう、情念がこもっているようだったのでアリアは少し引きながら、
「どうしたのよカイ」
「アリアは……アリアにとってはキスは、大した事がないものなのか?」
「どうしたのよ、急に」
「答えてくれ。それとも……今まで誰かとキスした経験があるのか? というか、実は現在進行形で……」
恋人がいるんじゃないのか? そう、カイは問いかけそうになって必死に口をつぐむ。
何でこんな事を聞いているんだ、俺は、と思いつつ、もしも、アリアに恋人がすでに出来ているんじゃないかとかそんな怖い想像が過ぎる。
今までにアリアからそんな色っぽいそんな話も聞いたことがない。
今までカイはアリアの側にいたけれど、そんな素振りは全然見えなかった。
まさか、カイが知らない内にそういった関係になった相手がいたのだろうか。
もう一度言うが、カイはアリアにそんな素振りを一度だって見たことがない。
それだけカイを騙せるぐらいアリアは、そんなおとなになってしまったのだろうか。
昔から腹黒い天真爛漫だったが、根は悪い人間ではなかったアリア。
そんな考えがカイの頭の中でぐるぐると周り、じわりと今まで抑えてきたものが体の中から溢れ出しかけてカイはそれに気付いて焦って必死で止める。
選ぶのはアリアの自由だ。
ただ単に自分はアリアに選ばられなかっただけだ。
けれど恋人がいるのかと聞かなければ、そんな事は知らなかったと誤魔化してアタックできるわけで、けれどカイは聞かずにいられなかった。
そんなカイの真剣な表情に、アリアは、カイは本当に分っていないわね、と思いながら、
「何言っているのよ、キスした経験なんてあるに決まっているでしょうが」
「あ、うん……そうか」
「子供の時、カイがお菓子をくれた時によくはっぺにキスしてあげたじゃない。いつもすごく嬉しそうにしていたじゃない」
「……あー、うん、そうか」
「しかも大きくなって来たらカイの方から逃げ出したくせに、今更何を言っているのよ」
「……あー、うん、そうだな、うん」
微妙な受け答えになってしまうのは、カイが考えていたキスとアリアが言っているキスの、絶大な誤解に関してである。
つまり唇と唇を重ねる恋人同士の甘いキスをカイは想像した。
その一方でアリアは子供同士のほっぺにするようなキスを想像したわけで……。
本当にどきどきして、この機会に本気で告白しようと思ったのだが……この状態だと、まずはお友達からになりそうだとカイは気づいた。
気づいて脱力した。
好感度をもっと上げないと成功率ガー……それで、どうやって女の子の好感度を上げるんだ? とカイは思った。
まずは恋愛ものの小説を読むべきか。
それともハーレムものを探して、どんな女からも持てるようなモテモテを目指してアリアにも強い魅力をこう、感じるように努力をすべきなのだろうか。
そんな斜め上の方向に悶々としているカイに気づかないアリアは、そこで、
「まったく……それで妖精の、ミルちゃんだったかしら」
「はい、そうです」
「とりあえず幾つか聞きたいことがあるのだけれど、まずは、ここにあの剣があった経緯から」
「あ、はーい。その剣は“××△□□○”って言う剣なんです」
「剣の名前が音にしか聞こえない、どうしようかしら」
おそらくはこの妖精さん達の方の言語なのだろう。
けれどアリア達と同じ言語を話しているのを見ると、今まで見た事はないが、何らかの魔法で言語を変換しているのだろうとアタリをつけて、そこでアリアは思う。
言語の翻訳がもしも魔法で可能なら、もしかして……。
そしてその推測を裏付けるように、シオリが、
「“惑う星を断ち切る剣”だと、言っています」
「シオリ? 今の言っている事が分るの?」
「うん、というよりも、言語としか私には聞こえない……」
困ったように呟くシオリ。
やはりシオリには分るらしい。
先ほどの書物を読み解いたように言語を訳してそのままの意味を汲み取れるならば、シオリはより正確にアリア達にその剣の本質を伝えることが出来る。
ただその本質は、シオリのもつ概念知識にある程度制限されてしまうが、少なくとも文明レベルでは遜色ない程度に一般的な教養をシオリは身につけている。
だからよりアリア達との齟齬が生じにくい状態なのだ。
そこでふわりとミルがシオリの元に飛んできて、
「うーん、もしや貴方は異世界からこちらに来ましたか?」
「! は、はい、そうです。もしかして異世界に関して何かご存知なんですか?」
「どちらか分れば、もしかしたならお手伝いできるかもー」
「チキュウです! そこの、ニホンという国で、私は生まれました!」
「チキュウ……ああ、“カガク”が発達した、魔法とはもっとも遠い異世界ですね。でも変ですね、一応、年々あの世界は遠ざかっているはずで……もしや、新しい説である、もっとも遠くなると、限りなく魔法に近くなるという反転の……」
「あの、新しい説うんぬんはいいので、私は元の世界に戻れるんでしょうか?」
「無理だと思う」
「え?」
「無理」
「……」
「……はうっ」
手を左右に振って、無理ときっぱりという妖精ミル。
それを聞いたシオリは、そのままくらりと倒れこむ。
よほどショックが大きかったらしいシオリをミトが支えて、嘆息した。
「もう少し言い方を考えた方が良いんじゃないか」
「いえ、だってそもそも偶然に異世界に飛び越える事自体が、確かに可能性はあるといえばありますけれど限りなくゼロに近いんです。それを元の世界に戻ろうなんて、座標測定やら異世界の時間の流れとかも含むと……」
「……だそうだが、アリアはどう思う?」
そこでミトがアリアに話を振る。
その時のアリアはいつもの明るい雰囲気とは違い、妙に真剣な表情をしていた。
そしてその問いかけは、ミトが分っていてアリアに問いかけているのだとアリアも分っている。と、
「シオリが異世界人である事が確実なら、やろうと思えばできるかも。ただ異世界に関する話、それもその、チキュウという場所の、ある時間の、ある場所となると……誤差を精度よくしないと、縮めないといけないから……ちょっと時間がかかっちゃうかも」
「どれくらいですか! アリアちゃん」
シオリがそこでばたりと起き上がりアリアに問いかける。
ミトが起き上がったシオリに、もうちょっと抱きとめていたかったなと残念そうな顔をしているが、シオリはそれどころではない。
そんな期待するような眼差しのシオリに、アリアがうーんと考えて、
「資料集めに一年として……途中の幾つかの道具を作って……プラス一年かな。遅くて」
「……遅くて?」
「……まずいかしら」
「いえ、意外に早いような気もして」
「ま、どの道誤差が出るからそちらの世界で、シオリが過去のシオリとばったり会う、という事もあるかも知れないけれど、多分大丈夫」
「やめてくださいよ、アリアちゃん。怖いですよ」
そう、ちょっと涙目なシオリだった。
そこで剣の妖精のミルが、アリア達に、
「異世界にいく事はそんなに簡単じゃないはずなんですが、むー」
「貴方の知識が全ての世界に関して網羅している、というわけではないでしょう?」
ミルが探るようにアリアを見る。
まるでアリアが一体どんな知識と“力”を持っているのかを探るように。
一瞬探査の魔法がミルから投げかけられたので、アリアは容赦なく叩き伏せる。
それにミルは目を丸くして唖然とした表情をして、
「まあいいです、それはおいおいで、えっと、この剣が“マ、惑う星を断ち切る剣”。簡単に説明をしますと、我々の世界の大人の事情でこちらにこの剣を持ってくることになったのですが、それはもうとっても強い剣なので、持つものを選ばせよう、という事で昔は爆弾が仕掛けられていました」
その説明にアリアが答える。
「それは日記で読んだわ」
「最後の管理人さんの日記ですね。一応恐ろしい敵がいたのですが、この世界の人にも協力してもらおうか、という話になっていたんです。初めは」
「そうなんだ。恐ろしい敵?」
「それはとても恐ろしい敵です。でですね、その敵がある時突然消滅してしまいまして、我々の世界も平和になったんです」
「うんうん、それで?」
「そうなってくると、争いのない平和な世界、人道的に、とかそういったものが出てきて……それで、爆弾が取り除かれる事になったんです。そしていつまでもここに人を置いていくと人件費がかさむので、この場所は破棄して、管理人は他の部署に回ってもらおうという事になって……時々どうなっているか定期点検があるだけとなっておりまして。お陰で私は一人寂しくずっとここにいたので、暇で暇で」
「そうなんだ。でもそんな強い武器、ここに置いておいて良いの?」
強い武器であれば、管理をしておいたほうが良いのだが……そこでふっとミルの顔に影がさす。
「実はこれ、あちらの世界では旧式中の旧式でして。もう今は使われていないというか、剣なんて時代遅れじゃね、という事に」
「剣が時代遅れ?」
「今の時代は、ミサイルですから」
「みさいる? よく分らないけれどそうなんだ。つまり、これをもって反抗しようとしても役に立たないと」
「そういうことですね。遠くからバーン、ですからね」
「ふーん、今一実感がわかないわね。……所でシオリ。何で顔が引きつっているの?」
何故か、唇の端が引きつっているシオリにアリアが問いかけると、
「いえ、夢がないなと。魔法のある世界なのに……」
「? そうなの?」
けれどシオリはどこかがっくりとしたように笑うだけでそれ以上答えなかった。
さて、そこまで話してから、ミルが、
「じゃあその力を今一気に見せ付けましょう! というわけで、ご主人様、その剣の力を軽く振るって見てください」
「あ、ああ、ご主人様か……うん、それもなかなか……」
「カイ、早く使ってよ」
「わ、分っているよ、少しくらい余韻に浸ってもいいだろう!」
「ご主人様」
とりあえずアリアは、カイに言ってみた。
どうもカイはこう言われるのが好きなようなのでしてみたのだが、カイは瞬時に赤くなり、ぎこちない仕草で、
「よし、こ、こうやって力をこめて、ふ、振るえばいいんだな?」
「そうでーす」
あせっているのが丸分りな、揺れる軌道でカイは剣を振るう。
剣圧のような何かが空へと放出していく。
そして耳を塞ぎたくなるような轟音と砂煙に皆が目を瞑る。
そしてその全てが収まり見えたその天井は……。
「空?」
青く白い雲が浮かぶ、鮮やかな蒼天だった。