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第三話 後篇

 それは、小町と一緒に寝たある日の事。


 ねぇ小町?

「んあ? 何だ、早く寝ろよ。また明日遅刻するぞ」

 えへへ。もっと小町と話がしたいんだ。

「そうかよ。じゃ、俺は寝るな。おやすみ」

 ちょ、待ってよ小町! お話しようよ。

「やだ。俺は眠い。だから寝るんだ」

 ん~、じゃあ寝ながらでいいから聞いてよ!

「あ~、聞いてる聞いてる」

 んもう! ……ねぇ小町。

「……すぅ、すぅ」

 ……寝付きいいよね、小町って。まぁいいや。ねぇ小町。小町はまたいつか旅に出ちゃうんでしょ? そうなったら、僕も連れて行ってね。きっと、僕は小町と出会うために生きてきたんだ。小町と一緒に冒険して、小町と一緒に敵と闘って。小町の呪いを解いて。

 ……そしてきっと、小町と結婚するんだ。

 だから、いつか僕も連れて行ってね、小町。

 大好きだよ、小町。


「すぅ、すぅ……あぁ……わかっ……た…わ…かっ……た」


 寝返りを打ち、僕の方に顔を向ける小町。その形のいい唇が少しだけ動く。小町は寝言で僕の言葉に答えてくれていた。


 クス。約束だよ、小町。


 僕は小町の顔をじっと見つめる。きれいな顔。やさしかったり、厳しかったり。……天使みたいだったり。くるくると、変わっていく顔。




 ――僕は、その唇に顔を近づける。




「……おやすみ、小町」


 そして僕は眠りに着いた。




 はぁ、はぁ!


 走る、走る、走る。混雑している商店街の中を、人の間をすり抜けるように走っていく。何度も人にぶつかりそうになるし、実際にぶつかったりするけど、僕らはそれでも走り続けた。

 苦しい。息が切れる。喉が渇く。しゃべれない。

 ――それでも僕らは止まれない。


 はぁ、はぁ!

「おい、早くしろ!」

「やべぇ、まだ追ってくる!」

「ックソ、今日はしつこいな!」

はぁ、はぁ。


 仲間たちは僕より少し先を走っていた。人ごみの向こうに少しだけその姿が見える。まだ仲間たちがそこにいてくれることがありがたくもあり……同時に、自分が迷惑をかけているのだと思わされる。

 足が遅く、運動も得意ではない僕は、文字通り皆の足かせになっていた。


「おい、このままじゃ追いつかれるぞ!」

「……仕方ねぇ。アレやるぞ」

「マジか! いよいよアレやるのか!?」


 離れたところでリーダーが何か言っている。その声に合わせて、僕以外の仲間達が走りながら集まって行った。何かを話しているが、人の声が邪魔になって聞こえない。ただ、仲間達には二言三言で話が通じているようだった。もちろん、、最近仲間になった僕にはわけがわからない。

 アレって何?

 僕が必死に足を動かしながら疲れた頭で考えていると、いつの間にかリーダーが少しスピードを落として、僕に並走していた。顔は野球帽に隠れてよく見えない。


「いいか。これから、俺達は分散する。このまま固まってたら、みんな捕まっちまうからな」

 そう…だね。ぼ……くも、そう……思う。


 息も絶え絶えに、リーダーに同意する僕。その言葉に、リーダーは満足げだった。


「俺は向こうに。あいつらはあっちとこっちだ。お前は、このまままっすぐ走れ」


 リーダーは、走りながら腕をあっちこっちに向ける。そして最後に、僕の顔ちらっと見た後、前に視線を戻して、腕を走ってる道の先に向けた。


 ……? 僕……は、この……まま…まっすぐ?

「ああ、そうだ。俺達があいつらを引き付けるから、その間に逃げるんだ」


 ああ、そうか。僕は足が遅いから、皆が助けてくれるんだ。

 リーダーの話を理解し、こくこくと頷く僕。


 ありが……とう。持つべきものは友……達って、本、当だね……!


 僕はその友情に感謝し、リーダーに笑いかける。リーダーの顔は、見えないままだった。ただ、前を向いたまま力強く言う。


「わかったな? お前は俺達にとって重要な奴だからな。……必ず助かるんだ」

 うん……!


 僕はそのリーダーの笑顔を想像しながら、大きくうなずいた。


「……よし。…………行くぞ!!」


 リーダーの合図。僅かに背中が見えていた仲間達も、弾かれたように分かれて行く。リーダーもそれに合わせて人ごみの中に紛れて行った。

 ばらばらになって逃げていく仲間達。その姿に、後ろの追手が困惑しているような気がした。でも僕はそれを気にしている余裕なんてない。仲間達の期待に応えるためにも、一歩でも前に進まなきゃいけない。



 まっすぐ、まっすぐ。

 僕は、言われたとおりにまっすぐ走る。サラリーマンを避けて、子ども連れの女の人を避けて。ただまっすぐに走り続ける。それが、リーダーとの約束。


 まっすぐ。まっすぐ。

 足が痛い。もう疲れた。座りたい。ジュースが飲みたい。――そうやって、僕の足を邪魔する僕。それでも、僕はまっすぐ走った。それが、友達との約束。


 まっすぐ、まっすぐ!

 仲間がいる。仲間が助けてくれている。だから僕は捕まるはずがない。

 僕が捕まることは、ないんだ!


 景色が流れていく。道行く人たちが、全部後ろの方へと。仲間がいるだけで心強い。絶対に捕まらない、捕まるはずがない。今、僕には何でもできる気がした。小町にだって認めさせるくらい、僕は自信に満ち溢れていた。








 それなのに。


 それなのに、どうして。










「捕まえたぞ! この悪ガキが!」


 僕は、捕まっているのだろう?







「お坊ちゃん!」


 とあるスーパーの一番奥。その店の店長に連れられた僕の執事が顔色を変えて入ってきたのは、その部屋だった。いわゆる、店長の部屋。てっきり牢屋とかに連れて行かれるかと思ったけど、不思議なことに僕が連れて行かれたのはそこだった。

 うちにある物よりはずっと悪い、それでもそこそこの値段はするだろうソファに座らされて、目の前にお菓子とジュースを置かれる。もちろん、そんなにおいしくはない。そんな状態で、僕は待たされていた。


「お坊ちゃん、怪我はありませんか!?」


 執事は入ってくるなり、僕のもとへと詰め寄る。そのまま体中を調べ、怪我はおろか服のほつれすらないことを確認してから、ようやく落ち着いてくれた。

 そのまま店長の方に向き直り、懐から何かを取り出す。


「この度は、お坊ちゃんがご迷惑をおかけしたようで……」

「いえいえ。坊っちゃんがすることなら、仕方ないでしょう」


 その何かを見た瞬間、店長はとびっきりの笑顔で執事の手を握っていた。その手の隙間から、うっすらと何かが見える。

 それは、紙だった。好きな数字を書き込むことができる、紙。店長の顔がとびっきりの笑顔であることから、決して少なくない額が書かれているに違いない。それに対して僕達が鞄の中に入れたのは、お菓子やジュース、パン。例え全員分を合計したところで、きっとそれだけの値段にはいかないはず。


「……どうか、この事はくれぐれも……」

「わかってます、わかってます」


 ただ静かに頭を下げる執事と、大仰なそぶりで頭を下げる店長。その姿は酷く滑稽で――見にくいものだと思った。

 ――なんだ。やっぱり、これでいいのか。僕が何をしても、執事がこうしてどうにかしてくれる。そうでなくたって、父さんたちが怖いから、大人は何も言ってこない。世の中って、やっぱりそんなもんなんだね。

 それは、僕が昔から理解していたことだった。僕が悪いんじゃない。大人たちが、悪いんだ。……例え僕が何か悪いことをやっても、最後は必ず何とかなる。


「……おい」


 静かに、ただ静かに響いたその声に驚いて入口の方を見ると、そこには小町がたたずんでいた。いつもと違う動きやすい服装の小町。何所かを走ってきたのか顔を赤くして汗をかいている小町は、しかしすごく怖い顔で僕を睨みつけていた。


「…………」

 ど、どうしたの、……小町?


 小町は僕の質問に答えない。ただ静かに僕を見ている。

 しばらくそうしていただろうか。小町は苛立ちながらも店長たちの方を見ると、そちらへ向かって歩いて行った。

 店長も執事も突然の乱入者にやはり驚いていた。小町が一歩近づいていくたびに、その纏う雰囲気に気押されている。それをも無視して、小町は歩いていく。


そして。


「この度は、私の弟がご迷惑をおかけしました」


 小町は頭を下げる。膝をつき、手をつき、頭を床につけて。此処の床は絨毯が惹かれているわけじゃない、固くて痛いはずだ。それでも小町は、ただ静かに頭を下げていた。

 そのあまりにも美しい謝辞に、その場にいた全ての人が動きを止める。ただ、何も音がない空間がそこにはあった。


 ……こ、小町? 何をやってるの? この話はもういいんだよ?


 そう、この話はもう終わっている。僕は子どもだけど、父さんの取引を何度か見たことがあるんだから間違いない。うちの執事がこの店の店長の満足できる品を渡し、それで契約が成立したんだ。だから、もうこの話は終わっているはず。


「……うるせぇ。ガキは黙ってろ」


 ――っひ!?


 こちらに少しだけ顔を向けた小町。そこにいたのは確かに小町だった。なのに――冷たい。いつも小町から感じていたあの温かさがまるでなく、ただひたすらに冷たい風が、その瞳には吹き荒れていた。

 僕が黙ったのを確認すると、小町は顔をまた店長さんたちに向けて頭を下げる。


「私はこの子の本当の姉ではございません。この子の両親が不在の間、少しでも気が紛れればと、姉代わりをしているだけです。しかし――」


 小町が大きく息を吸う。その声は少しだけ震えていた。小町以外の誰もが息を止めている中、小町の独白が続く。


「――しかし、仮初なれど。私はこの子の姉でございます。この子が悪事を働いたなら、私も一緒に怒られます。一緒に償います。どうか、平にご容赦を……」


 その言葉は至って真剣で、小町が嘘をついていないことは誰が見ても明らかだった。小町は本気で僕を弟と言い、自分も悪いと言い、自分も償うと言っている。

 僕にはその光景が信じられなかった。

 小町は、いつだって偉そうにしていた。自分に自信があって、何をするときも胸を張っていた。こんな、小町が土下座をする所を見るなんて光景、僕には信じられなかった。


 小町! もうこの話は終わったって言ってるでしょ!? もういいんだよ!


「……ガキは黙ってろって言っただろ」


 そう言って。小町はゆっくりと立ち上がった。

 その表情はうかがえない。俯いたまま、ただ静かにたたずんでいる。その小町の動きに、言葉に、この部屋にいる誰もが息をのんで見つめていた。


「俺はな、確かに小学校を出てから一人で旅をしてきた。食うモノがなくて、そこら辺に落ちてるものを食った。魚を取った。イノシシを、クマを仕留めた時もあった。……そういえば、弁当をたかったこともあったっけか」


 少しだけ、昔を懐かしむように声の調子が柔らかくなる小町。ただ、それも一瞬の事だった。すぐに声から色が無くなり、淡々と続ける。


「何度も腹が減って死にそうになった。お前に助けられたくらいだしな。……それでも」


 そこで言葉を区切って、小町はゆっくり歩き出した。向かう先にいるのは、僕。

 ――僕の前に立った小町の顔は、泣きそうで、悲しそうで。とても、つらそうだった。


「それでも。……人から、店から。無理やり盗っていったこたぁなかった!!」


 ゴン!


「お坊ちゃん!?」

「あわわわわ」


 一瞬。ほんの一瞬、僕は自分の身に何が起こったかわからなかった。頭が、痛い。目の前にいる小町は右手を下ろした状態で立っている。その瞳が、僕を射抜く。……そうした状況から、ようやく僕は小町に殴られたことを理解した。

 執事と店長の慌てる声が聞こえる。しかし二人はその場から動こうとはしなかった。いや、近づけないんだと思う。それくらい、今の小町は怖かった。


「俺は遍槙小町。道に迷っても、道は外れねぇ! お前、言ったよな……一人で生きていけるようになりたいんだって。テメェの一人で生きるってのはそういうことか! 堅気から盗んで、それで腹満たして生きんのか!?」


 小町が僕を殴った。

 殴られた頭よりも、むしろその事実が僕の胸を痛める。小町の怒声が、僕の胸を貫く。その痛みから逃げたいのに、僕の足はすくんで動かなかった。

 小町の声は止まらない。


「俺はあくまでも仮初の姉貴だ。でもな、俺は誓っただろ。お前の姉貴になってやるって。弟がやったことは、それを止められなかったのは、姉である俺の責任だ! 家族の責任だ! 俺も精一杯謝ってやる! 俺が全力で叱ってやる! でも――金で解決することじゃねぇ!」

「「……っ!」」


 睨みつけられた執事と店長が息をのんで委縮している。小町はそれに何も言わず、また僕に向き直った。あの優しかった小町が。今は、その面影も無い。


「はっきり言ってやる――今のお前は、外道だ」

「……っ! うるさい!」


 僕はもう、苦しくて悲しかった。小町に、そんな風に言われたくなかった。――その気持ちが、胸をついてただ思いを吐き出させた。


 小町に何がわかるんだ! 父さんも母さんもいなくて、誰も僕を見てくれなくて。仲間だと思ってた奴らは僕を裏切って! ……小町にも怒られて!! 僕の気持ちなんて、誰も分かってくれてない!


 悔しかった、悲しかった。切なかった、痛かった。僕はまるで心をドロドロに溶かされた思いのまま、ただ泥をぶつけるように小町に言葉を投げつけた。

 小町は逃げない。どれだけ僕の言葉に意味がなくっても、避けようともしない。ただ真正面から、僕の目を見つめて受け止めていた。

 それが、一層僕の心をかき乱す。


「……仲間に関しては、お前が悪い。お前がそいつらの目を見て、しっかり考えて仲間にならなかった、お前が悪い」

「――っ! うるさいうるさいうるさい!! 小町なんて嫌いだ!」


 全力で叫んだ。嘘じゃない。僕は本当に小町が嫌いになった。 ……もう、小町も、他の誰の顔も、見たくない。 僕は、何処にも行くあてのない心を抱いたまま、駆けだした。

 ――もう、誰もいないところに行きたかった。






 走る、走る。僕は一人、道を走り続ける。

 今度は追手なんていない。誰も追いかけてこない。誰も……追いかけてきてくれない。

 分かってた。僕が友人だと思ってた人も。大人達の態度も。皆、僕のためだとかそういうための事じゃない。ただ自分の役に立つから、自分の迷惑になるからというだけで僕を見ていたんだ。僕が必要なわけじゃない。

 いつしか僕は森の中に入っていた。ここが何処なのか。僕のうちの敷地かもしれないし、もっと遠くの森なのかも知れない。小町だったら自分の位置が分かるのかもしれないけど、僕にはそんな技術はなかった。


 ホー。ホー。


 何かの生き物の声がする。空高く上った月が、今僕のいる辺りを少しだけ照らしていた。辺りはほとんど真っ暗で、何がいるのかもわからない。

 あれから、どれだけの時間が経ったのだろうか。僕は時計を持っていない。執事がいちいち時間を教えてくれていたから、今まで必要なかった。一日たったかもしれないし、二日たったかもしれない。そんなことすら、もう分からなくなっていた。

 食べ物は少しだけ、鞄の中にあった。僕達がスーパーから盗ってきたパンやお菓子、そしてジュース。結局、回収されずにそのまま持っていたもの。……何度か手をつけようかと思ったけど、食べる気がしなかった。


『堅気から盗んで、それで腹満たして生きんのか!?』


 そのパンを手にする度、頭の中の小町が叫ぶ。その表情が思い出される。それだけで、僕はこれを食べるわけにはいかない気になった。僕は悔しかった。あれだけ言われても、小町に何も言い返せなかった。

 僕だって……僕だって、これがいいことだなんて思っていなかった。でも、生き残るためには必要なことなんだって、何度もあいつ等に言われた。いつしかその気になってた。

 僕が一人で生きてくのは無理なの?

 心の中で呟く。もちろん、その言葉に応えてくれる人なんていない。……ただ、幻の小町が耳元で叫んでいる。


『親の金で生きてるだけじゃねぇか!』


 そんなこと、本当は僕だってわかってた。僕がやってきたことは、結局全部そうだった。車で登校するのだって、結局は父さんたちのお金。学校の準備を執事達にさせるのだって同じ。

 大人たちが僕の事をちゃんと見ないって言ってたって、内心その特別扱いが嬉しかった。僕が人と違うって事が、嬉しかった。だから、いっぱい遅刻もした。

 あいつ等の仲間になったときだって。あいつ等は、僕を財布と同じくらいの扱いしかしてこなかった。いざというときの、トカゲのしっぽくらいにしか考えていなかった。そんなことは、分かっていた。それでもお金を出してる間は、役に立ちそうな間は仲間にしてくれてた。


 分かってた。

 全部、僕が『それでいい』って決めてたんだ。

 僕は一人で生きたいと口で言って――結局、一人で生きることを諦めていたんだ。


 ぽたり、と地面にしずくが落ちる。気がつけば、僕は泣いていた。気がつくともう止まらない。とめどなく流れる涙が、僕の足元を濡らしていった。僕はどうして、そんなことから今まで目をそらしていたんだろう。もっと前から、目を向けていればよかったのに。

 ……小町だけが。

 本当は、小町だけが。僕の事を見て、僕の事を叱って。僕のために、謝ってくれていた。

 小町が嫌いになったなんて、嘘だ。僕は、自分の心にさえ嘘をついていたんだ。

 本当は、今だって小町が大好きだ。小町の歌声、小町の手のひら、小町の笑顔。その全てが懐かしい。……小町に、会いたい。


 ……♪………♪


 ふと、風に乗って何かが聞こえる。それは音楽。誰かの、歌。暗い闇の中、遠い森の向こうから、歌声が響いてくる。


 …………♪


 この歌は、確かに。


 ……♪……♪


 小町が歌っていたあの歌。この声は、小町の声。明るくて、優しくて。僕が、大好きな――。

 そう気づいた瞬間、僕の足は走り出した。


 ………♪…~~♪


 走る、走る。僕は一人、疲労も忘れて走り続ける。 歌が聞こえる方へ。小町がいる方へ。幻の小町が笑いかける。あのニカッと笑う男くさい笑い方で。

 空を照らしているのは月だけ。街灯すらない、暗い夜道。それでも僕は倒れることも無く走り続けた。僕は倒れない。小町が、手を取って走ってくれている気がした。。


 走る、走る。僕は走る。ただ、前へと向かって。小町に会いに!




「~~♪。………よう、弟」


 走り続けた僕の前が突然開けた。森の中でぽっかりと浮かび上がる、月夜のステージ。小町はその中心でただ一人、岩に腰かけて歌っていた。格好はうちで着ていた服じゃない。初めに出会ったときの、ボロボロの服装だった。

 そして、僕の姿を見た小町はニカッと笑った。その笑顔に、僕の胸が高鳴る。


 小町!! どうして……どうしてここに!?

「何となく、だな。お前と俺は“縁”があるから、少しだけ判るんだよ」


 小町が微笑む。天使のような、優しい微笑み。いつもと同じ、優しい小町の声。

 コロコロと変わるその表情は、確かに小町だった。


 小町! 小町! 本当に小町なんだね!

「ああ、俺が他の誰かに見えるか? 何だ、殴られてあんだけ泣いてたわりには、元気そうじゃねぇか」


 小町の言葉に僕は頷く。それはそうだろう、僕は今、小町に会えて本当に嬉しかった。もう、執事の事もあいつ等の事も、うちの事もどうでもいい。


 小町! ねぇ、僕を旅に連れてって!

「バカ言え。なんで俺がお前をつれていかなきゃならねぇんだ」

 約束したじゃん!? あの日の夜!

「……あんなもん、約束のうちに入るかよ。人の唇まで奪おうとしやがって。未遂だったからほっといたけど、万が一俺のファーストキスを奪いやがったら、十回は殺してたぞ」

 ずるいよ!

「寝込みを襲うほうがずるいと思うがな。このエロガキ。……ま、どっちにしろ俺はお前を連れてかない。俺は今夜、旅に出るんだ」


 僕が何を言っても、小町は首を縦に振ってくれない。ただ静かに、僕の事を見つめていた。その態度が悔しくて、僕は膝を地面につける。


 小町!

「あん?」


 手をつき、頭も地面につける。あの時小町が見せてくれた行動と全く同じ、ある意味小町仕込みの土下座。僕はそれをそっくりそのまま、誠心誠意心をこめて小町に対して行った。


「小町、お願いだ! 僕はもう町にはいられない、一人でも生きていけない! 小町、僕を連れて行って!」

「…………」


 僕の土下座を見ながら、小町はしばし無言だった。何かを確かめるような、悩むような目線が僕に向けられている気がする。

 ……どれだけの時間が経っただろう、そのまましばらく僕が固まっていると、呆れたように小町は言葉を発した。


「……へ。いい土下座するじゃねぇか。そうだな……なら、条件によってはいいぜ」

 ……本当!?


 僕は喜んで顔を上げ――次の瞬間、再び固まった。

 僕の目の前には、小町が立っている。それはいい。ただ、その小町の手にはさっきまでなかった物が握られていた。何所から取り出したのかわからない、白木の鞘に包まれた小さな刀。……たしか、合口っていうんだっけ。


「この合口は名前を『縁切』っていってな。昔々、俺の何代も前の『縁切弁天』の兄貴が、自分の妹を守るために鍛えたもんなんだ」


 僕は黙って小町の持つ『縁切』を見た。特に何の飾りも無い、白い鞘の合口。何の特徴もなさそうなそれは、ただ不思議な存在感が漂っているような気がした。

 小町がスラリと『縁切』を鞘から抜く。その刃が、月光を反射して光った。


「コイツでモノを切ると、その“縁”を切ることができる。簡単に言えば、もうそれに関わることがなくなるってとこだな。お前が家を出たい気持ちはよくわかった。なら――」


 そこで言葉を区切る。小町の瞳が、僕の心を射抜いた。


「――お前の家族は邪魔だ。此処でスッパリ“縁”を切ってもらおうか」


…………え?


「此処で俺か、家族か。そのどっちかを選びな」


 小町の目は真剣だった。その刀の効果も、言っている内容も全部本物。本気で、僕に小町か父さん母さんのどちらかを選ばせようとしていた。


 小町か? 父さん、母さんか?

 ……言われ、僕の頭には今日までの色々な出来事が思い出される。

 父さんと母さんと、一緒に海に行ったこと。父さんと母さんと、一緒に食事をしたこと。……父さんと、一緒に美術館に行ったこと。

 小町が来たこと。小町と一緒にお風呂に入ったこと。小町の歌を聞いたこと。小町と本の話をしたこと。……小町に、キスしようとしたこと。


 …………………………………………。


 思い浮かんだのは、父さん母さんとのセピア色の思い出と、小町と出会ってカラーな思い出。……それなら。


「それなら、僕は、小町を選ぶ」


 長い沈黙の後、僕はそう答えた。悩んだ時間は長かったけど、思ったよりもすんなりとその答えが出てきた気がする。ただ、僕の心がそう命じた。


「………いいんだな? “縁”を切ったら、もう二度と親に会えなくなるぞ?」


 まっすぐと、ただ僕の目を見つめる小町に、僕も逃げずにまっすぐと小町を見つめ返した。ゆっくりと、首を縦に振る。


「やれやれ、本気みたいだな。……分かった」


 小町はそう呟くと、『縁切』を天高く掲げた。その輝く刃が高く高く昇っていく。小町の頭上に輝くそれは、まるで月が二つになったみたいに見えた。強い光が、僕を照らす。


「何の因果か弁天の、呪い宿りしこの体。先祖の呪いを収めよと、渡されたのはこの『縁切』」


 小町の声が、朗々と森に響く。僕は、その小町の声が好きだった。その声を、ずっと聞いていたかった。……これからも、ずっと。


「誰が呼んだか、ついたあだ名が『縁切弁天』。今宵、その“縁”、断ち斬らせてもらいやす。…………行くぜ」


 シュパ!

 一直線に、月が僕に向かって降りてくる。その鋭い光に、僕は思わず目をつぶった。勢いよく振り下ろされた合口が生み出す風が、僕の頬を撫でる。僕の顔の寸前を、小町の手が通り過ぎていく。しかし、刀に切られた感覚はない。

 ………ただ、何かを失ったような喪失感だけが残った。


 ……カチン


「テメェの悪“縁”、確かに断ち切った。……終わりだ。目を開けていいぞ」



 『縁切』の鞘が鳴く音が聞こえた後、小町の鈴のような声が続いた。その言葉に、僕は恐る恐る目を開ける。小町は『縁切』を懐にしまっているところだった。


 ………小町! これで僕を連れて行ってくれるんだね!


 小町が僕の“縁”を切った。それは、小町が僕を連れて行ってくれることを認めたということ。それが嬉しくて、ついついはしゃいでしまう。僕は勢いよく小町に近づいて、その手を握ろうと――。


 ――握ろうと――――握れない?


「もう、俺に触れなくなってるだろ。当然だ、俺が切ったのは俺とお前の“縁”だからな」


小町は、何のためらいもなくまっすぐに僕の目を見て、そう言った。




 ………え?

「俺は確かにお前に俺か家族を選ばせた。選べとは言ったが、別に、お前が選ばなかった方を切るとは言ってないぞ。俺が切りたかったのは、俺とお前の“縁”だ」


 ただ淡々と、微笑んだまま続ける小町。その目はやっぱり嘘をついていない。ただ、真実だけを語っていた。


 な! どうして!

「お前みたいなガキ、連れて旅なんかできるかよ。走りゃすぐ疲れるようなやつなのに」

 そんな……。………! 小町!


 小町から、いや、小町と僕の間から、何か得体のしれない圧力のようなものを感じる。それは徐々に徐々に、突風という形で僕の体を後ろに押していった。


「そろそろ、効いてきたな。俺とお前の間にあった“縁”が無くなって、お互いが触れなくなるのが第一段階。風に吹き飛ばされて、無理やり引き離されるのが第二段階。そして二度と会えなくなるのが第三段階だ。ここで別れれば、後はすっきりさようならってわけだな」


 僕はもう立っていられなかった。手を地面につけ、必死に草や岩を掴んで飛ばされないようにするだけ。――草花が揺れていないところを見ると、この風は僕と小町にしか吹いていないようだった。


 ………小町!

「ほら、な。お前は『己の脚』で立ってない」


 見れば、小町は平然とその場に立っていた。髪が後ろに流されていることから、小町にも同じ風が吹いていることがわかる。それでも小町は、その両足で立っていた。


「俺の考えるいい男の絶対条件の一つ。『男子たるもの、己の脚で立つべし』。コレが出来ないんじゃ、いい男、とは言えないな。悪いが、此処までだ。お前と結婚なんざ、まっぴらごめんだね」

 小町……!

「それにな。俺は自分の周りを見ないやつも嫌いだ。ほら」


 小町は、威風堂々と立ちながら僕の後ろを指差した。そんな風に出来ない僕は、ただ必死に地面にしがみつきながらも、頑張って後ろに視線を向ける。そこに立っていたのは――


「――父さん、母さん!?」


 離れた森の中から現れたのは、だれあろう僕の父さんと母さん。二人してあと数カ月は帰って来ないはずなのに、何故かこの森の中に来ていた。いつも綺麗な服を着ている二人は、慣れない森の中を歩いたせいだろう、ボロボロの格好だった。

 そんな二人が、心配そうに誰かを――僕を探している。ついさっき、僕は二人との“縁”を切って小町を選んだというのに。


「二人に感謝しろよ? お前のお袋さんと親父さんは、お前がいなくなったって連絡を受けてから全てを投げ出して飛んできたんだ。おまけに自分の体も考えず、森の中に突撃。二次遭難を考えろってんだよな。お前との“縁”がなけりゃ、マジで死んでたぞ、あの二人。……そんな人たちとお前の良“縁”、切れるかよ」

 そんな……父さん、母さん……。


「まぁ、そういうわけで――」


 再び前を見ると、すごい突風の中小町がしっかりと土を踏んで僕の方に歩いて来るところだった。小町が一歩踏み出すごとに、風は強くなる。それでも小町は、ぶれることなく、僕のところまで歩いてきた。


「――悪いな。此処で姉弟ごっこは終わりだ。後は本物の家族で、な」


 いたずら小僧のような小町の顔が千佳ぢてくる。顔と顔がぶつかりそうになるその距離、甘い小町の香りが漂ってくるその距離。小町のその唇が僕の額に当たりそうになったけど――それは決して当たることはなかった。


「じゃあな……野菜も、ちゃんと食べるんだぞ」


 そう言って、小町は踵を返す。その後ろ姿がぼやけていく中で。

 僕は完全に吹き飛ばされた――――。











「父さん、母さん、ごめんなさい!!」


 あの後突風に吹き飛ばされた僕は、それに気づいた父さんと母さんに受け止められた。結局父さんと母さんは僕達の存在に気づかず、突然現れた僕に目をぱちくりとさせていたけど、僕が汚れた恰好だったことに気がつくと、泣きながら怒っていた。

 そんな二人に、僕は全力で謝る。もちろん、小町が教えていった土下座で、だ。二人はその僕の様子に困った顔をしていたがやがて笑って抱きしめてくれた。

 ――それからというもの、父さんと母さんは、ほぼ毎日家に帰ってくる。何でも、教育をもう一度やり直すんだってさ。……ちょっといい迷惑だよね。


 小町。

 今はどこにいるんだろう。北かな、南かな。呪いはもう解けたのかな……きっと解けてないんだろうね。

 小町。

 僕はもう、小町に会うことは出来ないんだろう。小町と僕の“縁”は、もう、ないのだから。それでも僕は覚えているよ。小町が歌った歌。小町が好きだった本。小町と一緒に寝たベッド。……それは、大切な、小町との思い出。


 小町。


「ありがとう」


 僕の言葉はただ風に乗って流れていく。願わくば、あの人の元へ届けと。

 じゃあね、僕の姉さん。僕のお姫様。僕の……初恋の人。






第三話 完


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