第三話 前篇
ねぇ、まだ父さん達帰って来ないの?
「はい、お坊ちゃん。後数カ月程かかるとご連絡が入りました」
……そう。
いつもと変わらない風景が窓の外を走っていくのを見ながら、僕はそっけなくそう答えた。……そんな答え、言われなくても分かっていたから。父さんも母さんも、仕事が忙しくて世界中を飛び回ってるんだもの。そうそう、会えるはずがないよね。
外の風景はどんどん変わっていく。街の中から、民家が少ない方へと。めまぐるしく動きながらも、それは結局いつも見ている光景だった。
広い車の中、僕に仕える老執事と二人きり。一応、仕切りの向こうの運転席には運転手もいるけど、彼は運転に夢中だ。前、僕が乗っているときに大きく車を揺らして以来、少し神経質なくらいになっている。あの時執事が何かを言っていたのが原因なんじゃないかな。
この執事も、僕のために色々やってくれている。嫌なことはやらなくていいと言ってくれるし、いつでも僕を守ってくれている。それでも僕はこの執事と二人きりでいるのが嫌だった。
……はぁ。
「お坊ちゃん、どうかなさいましたか?」
僕が思わずため息をつくと、執事はすぐに反応してくれた。その瞳は確かに僕の事を心配してくれている。それが僕の気持ちをさらに重くさせた。
ううん。なんでも――うわっ!!
「お坊ちゃん!?」
僕が首を横に振ろうとした瞬間、車が急ブレーキをかけて止まってしまった。この車は無駄に広く、前後に長い。僕は思わず転げそうになったけど、執事がすぐに受けとめてくれたので何とか転ばずに済んだ。
「何事だ! 前に言っただろう、お坊ちゃんに怪我でもあったらお前の家族は――」
「い、いえ、しかし前に人が倒れていたもので……!」
人が?!
「あ! お坊ちゃん!」
僕は止めてくる執事を無視して、内心ドキドキしながら外に飛び出してみた。でも、この位置からじゃよく前は見えない。
足元は舗装された道路。周りは深い森の中。普段降りない場所で降りたと言うだけで、僕の好奇心がむくむくと膨れ上がるのを感じた。嬉しくなって、ついつい顔もにやけてしまう。
そのまま、僕は車の前の方へと向かって行った。うちの車を止めたというのなら、もしかしたら誘拐犯とか、強盗とかそういう人たちなのかもしれない。――それならそれで、面白いんじゃないかと思う。
ちょっぴりの恐怖と、いっぱいの好奇心。それを心の中に宿して、僕は車の前を覗き込んだ。
最初に見えたのは、使い古したスニーカーと、ボロボロのジーンズを履いた細い脚。徐々に上に向かって目線をずらしていくと、同じく細い腰、キュッとしまったお腹、膨らんだ胸何かが見えてきた。それらを包んでいたのは、これまたボロボロのTシャツ。うちではまず見ないような服装だった。
うわぁ……。
そして一番上まで目線を上げて、僕は思わず息をもらしてしまった。そこに見えたのは――綺麗な顔をした、お姉さんだった。髪の毛はぼさぼさ。うちのメイドだったらすぐに辞めさせられちゃいそうなその髪は、そんな状態なのに何処か輝いていたように見えた。
そんなお姉さんが、泥まみれの恰好でうちの車の前に倒れている。僕の心臓はドキドキしっぱなしだった。
「うう……」
わ、しゃべった!?
「お坊ちゃん、下がってください! 危ないですぞ!」
あまりにも凄い格好だからもしかして死んじゃってるんじゃないかとも思ったけど、どうもしっかり生きているようだった。先回りして僕をお姉さんに近付けまいとしている執事の横をすり抜けて、僕はそのお姉さんの顔を覗き込む。
その……お姉さん、此処は僕のうちの敷地だよ? 何処から来たの?
「お坊ちゃん! いい加減離れてください! この少女も、何の目的か分かったものじゃ――」
もう、執事は少し黙っててよ! こんなに弱ってる人が、何かできると思う?
「いえ、しかし……私は、お坊ちゃんの事を考えて――」
「うう……そ、そこの……」
僕達の声を聞いたのか、お姉さんが呻きながら目を開けた。何所か焦点の合っていないその目は、必死で僕達に……というか、誰でもいいから助けを求めているようだった。
お姉さん!? 大丈夫!?
「……ああ、……なんとか……その、すまねぇんだが……」
お姉さんが必死に口を動かしている。声にも力がない。僕はその細々とつむがれる言葉を聞きとろうと、さらにお姉さんに近づいた。
息がかかりそうな距離。何処か、ふわりとした甘い香りが漂っている気がする。何故かドキドキしてしまうようなその位置で、僕はこのお姉さんの最後の言葉を聞いた。
「腹……減ったぁ……」
くきゅるぅぅぅ、と誰かのお腹の音が鳴る。その音を最後に、お姉さんははうっと呻いて動かなくなってしまった。呆気にとられた僕の横から、執事が冷静にお姉さんの脈を調べていく。
「……行き倒れですな。存外脈はしっかりしてますし、食事さえあれば元気になるかと」
……ねえ。お願いがあるんだけど。
「お坊ちゃん……申し訳ございませんが、素性の知れない方を当家に招き入れるのは――」
大丈夫だよ! このお姉さん、多分悪い人じゃないって!
「いえしかし、当家は格調高く、それに傷をつけるわけには」
いいから! お願い!
僕はこのお姉さんの事が気になってしょうがなかった。こんな時代に、何でわざわざこんなところで行き倒れているのか。その理由を聞きたい。そのためにも、僕はこのお姉さんをうちに入れてあげたかった。
困った顔で見下ろしてくる執事の目をじっと見つめる。僕は絶対に意見を曲げない、認めてくれなきゃここに残るぞ、という意志を込めて。
「……はぁ。分かりました。連絡をして、食事の準備をさせましょう。ああ、先に入浴してもらった方がよさそうですな。このまま当家の食卓につかせるのは、さすがに難しいですから」
数分間そうやって執事を睨んでいたら、ようやく執事も認めてくれた。そのまま携帯を取り出し、テキパキと指示を飛ばしている。こうなったらもう安心だ。
僕達のやり取りが聞こえていたわけではないだろうが、さっきまで苦しげに呻いていたお姉さんは、今は何処か安らかな顔をしていた。まるで、ただ眠っているだけのように見える。
「さてお嬢さん。申し訳ありませんが、せめてお名前だけでもお伺いできますかな?」
執事がお姉さんに近づき、体を起して頬をたたく。しばらくそうされていたお姉さんは、少しだけ目を開けて執事の質問に答えた。
「俺は……小町。遍槙、小町……」
「遍槙小町殿ですな。はて……何処かで耳にしたような……歳をとると物忘れが酷くて」
そんなことはもういいでしょ! ほら、早く小町を車に乗せてよ!
「おっと、そうでしたな。では、失礼して……」
何やら思い出そうとしていたた執事を急かして、お姉さん――小町を車に乗せる。遍槙小町。それが、僕の『いつも』じゃなかった日。小町との、出会い。
これから何が起こるんだろう。
僕は小町の寝顔を見ながら、自分が物語の主人公になったことを喜んだ。
ねぇ、おいしい?
「ああ、今まで食ったもので一番うめぇな! あ、これお代り!」
そう言って、小町は新しい皿を持って来てもらう。たぶん、これも十分と立たずに無くなるんだろうね。
僕は小町の食事を観察し続ける。思った以上に小町は豪快で、面白い人だった。
あれから。
家に帰ってきた僕たちは、うちのメイドたちに迎えられた。あれよあれよという間に、彼女達はそのまま小町を運んで消えていく。もちろん、小町は眠ったままだった。
僕はその光景を眺めながら、一人先に食堂へと向かった。まだ夕飯には早いけど、そこにはいつも新鮮なフルーツが置いてある。それを少し食べながら、僕は小町が来るのを今か今かと待ち続けた。
「おいおい、本当にこんな服しかないのかよ? ったく、こんなの着るの何年振りだよ……ん? おお、俺を助けてくれたのはお前だってな。いまいち覚えてないけど、助かったよ」
しばらくして食堂に現れた小町は、見間違えるくらいに綺麗になっていた。
ぼさぼさだった髪はしっかりと洗って梳かされ、後ろの方で纏められている。泥まみれだった体の方も、そう言った汚れはすべて洗い流されているようだった。服装も、あのボロボロの服ではない。誰の物かは分からないけど、黒いロングドレスを着ていた。体にピタッとフィットしているそれは、小町に凄くよく似合っていた。
僕が思わず見とれていると、近づいてきた小町が顔を覗き込んできた。その吸い込まれそうに黒い瞳に、ドキリとする。
「ありがとうな。山越えしようと思ったんだけどよ、途中で食いもんが尽きたんだ。クマもイノシシも、タヌキすら出てこないからどうしようかと思ってたら……パタリ、とな。でもま、……やっぱり、そう言うことか」
? ……小町、なにがそう言うこと、なの?
「いや、気にするな。それで? お前、名前は?」
小町の問いかけに、僕は自分の名前を教える。緊張しすぎたせいで途中何回か噛んでしまった。
「へぇ……ま、これも“縁”だな。とにかく、よろしくな! ってわけで、飯だ飯! 俺は果物だけじゃ足りんぞ!」
勢いよく椅子に座る小町。その振る舞いに優雅さのかけらも感じられなかったけど、どちらかと言えば僕は小町のそうした態度の方が嬉しかった。家の堅苦しい食事なんかより、ずっと楽しい。
――そうして小町の食事が始まった。
次から次へと運ばれる料理に、次から次へと消えていく料理。小町はその細い体の何処に入っていくかわからないほど、凄い勢いで食べていた。その様子に僕は思わず目を丸くする。まるで、ライオンとかトラみたいな肉食動物の食事を見ている気分だった。
恐らくシェフが三日ほど煮込んでいただろう絶品のスープは、ものの五秒で飲みつくされた。丹念に焼きうまみを閉じ込めただろうローストビーフも、数枚まとめて小町の口の中へ。パンなんて、水と一緒に飲み込まれて行った。
多分、うちのシェフがこの光景を見たら卒倒するかもしれない。
それほどに小町の食事は凄いものだった。僕は小町にいろいろと質問したかったのだけれども、何を言っても「ふがふが」としか返って来ないから仕方ない。
僕は自分の目の前にあるブドウをつまみながら、小町の食事が終わるのを待った。……この後の僕の夕飯、残ってるのかな?
――小町が満足したのは、それからさらに一時間後の事だった。
「ふぅ。いやー、食べた食べた。これだけ食べたのは何ヶ月ぶりだろうな!」
うん。いや、小町が満足したならいいんだけど……。
最後の方はシェフが音を上げたのか、あからさまに雑になっていた料理をも食べつくした小町はようやく食後のティータイムに入った。どこかからすすり泣く声が聞こえる気がする。
「あちち……と、改めて礼を言わないとな。ありがとう、本当に助かった。俺は遍槙小町。わけあって旅してるんだ」
旅!? 小町、旅人なの!?
「おう、そんな格好いいもんじゃないけどな」
猫舌なのか、紅茶を一口飲んだ小町はお茶を冷ましながらそう言った。顔が少し赤い。照れているのかもしれない。さっきまでの食事風景は何処へやら。格好だけなら、小町は何処かのお嬢様のようだった。
だからこそ、僕は不思議に思う。なんでこんな人が、旅なんてやっているんだろう。
「俺の先祖にな。かなーり厄介な女がいやがって……あろうことか、自分の娘に嫉妬して呪いをかけやがったんだ。で、それを解くために、な」
呪い!? 小町、呪われてるの!? 凄い!
「……いや、呪われているのを褒められるってのは正直困るんだが……まあ、そんな事情なんだ。俺は直接本人をぶん殴るのが手っ取り早いと思ってるんだが、どうにも見当たらなくてなぁ」
冷ました紅茶を一口飲む小町。その光景に、僕は思わず息をのんだ。ドレスに身を包んだ小町がそれをやると、一枚の絵画のようにきまっていたからだ。
僕は慌てて首を振ると、会話を再開する。小町は特にあやしんだ様子を見せなかった。
本人って……ご先祖様なんでしょ? まだ生きてるの?
「さてな。でも死んだとも思えないし。ってか、死んでも生きてるだろうけど」
? どういうこと?
「俺にもよくわからないさ。ただ、そうだろうと思うだけで。どっちにしろ、それで解けると決まったわけでもないからまずは試しって感じだな」
小町自身、微妙な顔をして僕を見ていた。どうやら本当に自分でもよくわかっていないらしい。それでも小町は、自分の考えに自信を持っているようだった。
……呪いって、本当にあるんだね……。僕、話には聞いていたけど本当に呪われたって人を見るのは初めてだよ。
「数が少ないってわけじゃないんだけどな。ただ気づかなかったり、呪いそのものが弱くて何の効果もなかったり。うちみたいに、何代も縛り続けるのはそうそうないかもな」
ふーん。ねぇ小町。小町は何歳から旅してるの?
小町の口ぶりから、長い間その人を探しているのは分かる。でも、小町もそんなに歳をとっているわけでもない。……多分、高校生くらいだと思う。それなら、いくつの時から旅をしているのだろう。
「ああ、小学校卒業してからすぐだな。最初の方はそれこそ大変だったけど、慣れれば楽なもんだ。……たまーに、飢えかけてるけどな」
そういってかんらかんらと笑う小町。それはまるで物語の中の豪傑のようで、すっごく女の子らしくない笑い方だけど……むしろそれが、小町っぽい。つられて、僕も笑ってしまった。
呪われてしまい、旅をするお姫様。どんな困難にも負けず、姫を守りながら旅を続ける騎士。その二つが、この小町という人の中で同居しているよに僕は感じた。
小町は凄いね! それじゃあ、今の僕と同じくらいの歳で、旅を始めたなんて!
「よせよ、照れるぜ」
小町が赤く染めた頬を指でかいていた。その姿に、僕は未来の自分を重ねる。――いつか、こんな人になりたい。
ねえ小町! 今は無理だけど、僕もいつかは旅に出たいんだ!
「な、お坊ちゃん!?」
僕はその言葉を口にする。後ろで今までじっと控えていた執事が騒いだけど、僕は気にしないふりをした。
僕は旅に出たい。この小さな家から出て、もっと大きな世界を自分の足で見て回りたい。それが、ずっと僕の胸の中に会った想い。男っぽい小町なら、きっとこの気持ちを理解してくれる。
そう思って口にした僕だったけど、この言葉を聞いた小町は、予想に反してあまりいい顔をしていなかった。何故か、歓迎してくれていないようである。
小町……僕が旅に出るの、ダメかな?
「……いや、俺ならむしろその考えに大賛成だ。『男子たるもの、己の脚で立つべし』が俺の認めるいい男の条件の一つだしな」
なら、何でそんな顔してるの?
僕は少し泣きそうだった。小町が僕を認めてくれない。それだけで、妙に胸が苦しくなる。そんなよくわからない感情が、僕の胸で静かに燃えていた。
「……なあ、お前どうして旅に出たいんだ?」
小町が辺りを見渡しながら問う。大きな食堂。たくさんのメイド。後ろに控えている執事。そうしたものを一つ一つ見ながら、小町は僕に改めて問いかけた。
「これだけの人が支えてくれているのに、出ていく意味があるのか? 出ていきたいなら、何で出ていきたいんだ?」
小町が真剣な瞳で僕を見ている。その瞳に気押されて涙が出そうだったけど、僕はそれを必死で押しとどめる。今ここで泣いたら、きっと小町に笑われてしまう。それだけは嫌だった。
「……確かに家は大きいかもしれない。庭も大きいし、敷地も広くて道に迷いそうなくらいだよ。メイドさんもいっぱいいるし、執事だっている。でも、それは僕が手に入れた物じゃないんだ。僕の父さん達が手にしたものを、与えてくれているだけ。僕が何かをしたわけじゃない。僕は、一人で生きられる男になりたいんだ」
「お坊ちゃん……そんなことを……」
とつとつと、僕は言葉を口にしていく。言葉の端々に思いが詰まって、うまくしゃべれない。僕の言葉に執事は驚き、小町はただ黙ってそれを聞いていたが……最後まで聞くと、小町はニカッと唇を上げて笑った。
「まぁ、そういう気持ちはわかるぞ。男たるもの、でっかくあるべきだからな」
ぽんぽんと、頭の上に小町の手が置かれる。撫でられるのは子どもみたいで嫌だったが、小町がやると不思議と気持ちよかった。小町の温かさが、手のひらを通して伝わってくる。
「そういう気持ちが本当なら、きっといつか旅に出れるさ。ただその気が無くなったらダメだけどな」
「な! 勝手なことを言わないでください! お坊ちゃんには当家の――」
「生憎、俺は家だ家だと縛られるのが嫌いでな。そう言われるとついこいつを応援したくなる。でも、ま――」
僕の位置からじゃ、小町の顔は見えても執事の顔は見えない。ただ、頭の上で執事と小町の視線が交差していたような気がした。そのまま、数瞬。折れたのは、執事の方だった。
「――っく! しかし私はお坊ちゃんがこの家を出ていくのは反対ですからな!」
「だから、そんなもん本人次第だって。それに今すぐってわけでもないんだし。気長に見てればいいだろ」
小町の手が離れていく。ちょっとだけ名残惜しかったけど、小町にそんな顔を見られたくない。僕は急いで目を拭いて、小町の顔を見た。
……ねえ小町。さっき、『男子たるもの、己の脚で立つべし』が小町の認めるいい男の条件だって言ってたよね。それじゃあ僕もそうなったら、小町にいい男だって思われるのかな?
「いや、それだけじゃ駄目だな。俺の条件はかなり厳しいんだぜ?」
小町は自分の『いい男の条件』を指折り数えていく。片手の指を使い切り、もう片方。そこからさらに戻ってきて、ようやく止まった。……全部で、十八個。
……うわぁ、結構条件多いね。でも、それをクリアすれば小町にいい男って思われるんだよね。……大丈夫! 僕、絶対にその条件クリアするよ! だから小町、しばらくここにいてね!
僕は笑顔でそう宣言した。小町がいる間にに認めさせてみせるっていう、夢ができた。
「ん、いてもいいなら、しばらくはいてやるよ。ただし、俺は気紛れだからな。気が向いたら出ていくかもしれないぞ?」
だったら、すぐにでも認めさせてあげるよ!
「ハハ、言ったな!」
ハハハ、と僕と小町は笑いあう。心なしか、メイドたちも笑っているようだった。いつもはそれを叱っている僕の執事も、呆れた表情をしながら、それでもどこか楽しそうな表情をしていた。
「お坊ちゃん、そろそろ入浴の時間でございます」
僕と小町が談笑していると、それを黙って聞いていた執事が時計を見ながら僕に声をかけてきた。確かに、気がつけばもうそんな時間。いつもであれば、入浴している時間である。
僕は名残惜しみながらも頷き、席を立った。
ごめん、小町。お風呂入ってくるから、ゆっくりしてて。
「お? 風呂か……よし、俺が背中流してやるよ」
そう言って席を立つ小町。その姿は威風堂々としていて、男前で格好良く……ううん。ちょっと待って。
こ、小町……? 僕はお風呂に入るんだけど……?
「おう、だから分かってるって。ほら、さっさと行くぞ」
焦る僕の背中をたたく小町。どう見ても、一緒に入る気満々だった。
僕ももう小学五年生。いくらなんでも、女の人と一緒にお風呂に入るのは恥ずかしい。顔を真っ赤にして否定しても、小町は気にしたそぶりを見せなかった。
「おいおい、おまえまだ子どもだろうが。気にすんなよ」
こ、小町はさっき入ったばっかりでしょ!? また入るの!?
「はは、知らないのか? 女の子は綺麗好きなんだぜ!」
小町が僕の首根っこを掴んで離してくれない。必死に逃げようとしてるのだけど、小町、見た目の割に力が強くて全然逃げられない。
周りのメイド達はきゃあきゃあ言ってるし、執事も頭を下げたまま動こうとしない。今僕は、学校で習った『四面楚歌』という言葉の意味を理解した。
そのままずるずると僕を引きずったままお風呂場へと向かう小町。結局僕はなすすべもなく、そのまま浴室へと連れて行かれてしまった。
こ、小町、服は自分で脱ぐから!
「お、ようやく観念したみたいだな。……っく、この服脱ぐのが面倒くさいな。メイドさんの一人くらい来てもらえばよかった。悪いんだけど、これ下げてくれないか?」
こ、これ? この背中のファスナー?
「おう、それそれ。……ありがとな」
小町……その、背中、綺麗だね!?
「はは、ありがとよ。結構俺も背中には自信があるんだぜ? 何せ背筋で卵割れるからな!」
いや、それって自慢すること……? 確かにすごいけど……。っていうか小町、タオルくらいまいてよ!
「馬鹿言え、風呂にタオルを入れるのは邪道だろ。お前も無し無し」
ちょ、小町ダメ――っ!
「ふぅ。やっぱり風呂は気持ちいいなー。旅暮らしだとほとんど風呂なんて入れないからな。冬場でも沸かしたお湯で体拭くくらいしかできないし。温泉が湧いてたらかなりラッキーだな」
……うん。
「おいおい、せっかく人が旅暮らしの心得を話してやってるんだ。しっかりこっち向いて聞けよ」
……うん。
「それでよし! 後はアレだな、何と言っても食いもんだ。最低限イノシシくらいは仕留められないときついぞ? 俺も最初の頃は『縁切』片手に山の中をさまよったもんさ。ウサギも仕留められなくてなー。二ヶ月くらいはさ迷ってたぞ」
……それは大変だったね。
「ああ。あれはきつかった。それでな、あとは……」
小町、背中流すの上手だね。
「そうか? 久しぶりだから何とも言えないんだが」
うん、気持ちいよ。小町って、実は人の背中流し慣れてる?
「……まあ、昔、な」
……小町? まさか……人には言えないこと――
「いや、むかーし兄貴の背中を流してたのを思い出してな。……今にして思えば、相当な黒歴史だな……」
……あ、そう。小町、お兄さんがいたんだね。
「ああ、何とも言えない兄貴がな。所でさっきは何を言いかけてたんだ?」
いや、前にうちのメイドさんがそんな話をしててね。女の人が背中を流すとか何とか。
「へぇ。変わった仕事だな。ま、そんなのどうでもいいさ。ほら、交代交代。今度はお前が俺の背中流せよな」
はいはい。
「何だ、もう顔赤くしないのか?」
もう慣れたよ……。
「ほら、ちゃんと頭拭けよ」
わぷっ!? こ、小町、僕自分でできるって!
「それはそれ、これはこれだ。お前は行動全部がどうも上品すぎるぞ。一人で生きたいってんなら、もっとワイルドに行けよ」
分かった、分かったから!
「そうそう、そうやって拭けばいいんだよ。しっかり髪も乾かせよ、風邪ひくから」
分かってるよ、僕だってもう子どもじゃないんだから。
「いや、まだ子どもだろ」
……あんまり見ないで!
そんなこんなで。
お風呂から上がった僕たちは、再び食堂に来ていた。今度は僕の夕食。シェフがどれだけ頑張ったのか、僕の前には立派な料理が並んでいた。ついでに、小町の前にも。僕はともかく、小町はまた食べようっていうのだからすごい。お風呂の中で言ってた、食べられるときに食べとけって言うのはまさにこの事を言うんだろう。
「なあ、お前、両親はどうした? 別にいないってわけじゃないんだろ?」
小町が肉を切りながらそう聞いてくる。その言葉は鈴の音が鳴るように軽やかに、僕の耳へと響いていった。普通だったら聞きづらい質問だろうに、小町は全く悪びれた様子もない。その姿に、むしろ感心してしまった。
小町……聞きにくい事もズバッと聞くんだね。
「まぁな。一応気を遣うこともあるけど、お前の場合そんなもんじゃなさそうだし」
「お坊ちゃんの御両親、つまり旦那さまと奥様は、今お仕事にて海外へと赴かれております」
僕の代わりに執事が答える。その言葉に、小町は妙に納得したように頷いた。
「なるほどな。道理で甘えっ子だと思った。……だから俺に引っかかったんだな」
甘えっ子って酷いな。僕は大抵の事を自分でできるよ?
「そこら辺が甘いって言うんだよ。子どもは子どもらしく、大人に頼ってればいいんだ。それが出来るうちはな」
小町が僕を優しげな瞳で見つめている。その瞳は子どもを見る目だったけど、不思議と温かい気持ちになれる瞳だった。……まるで、僕が小さい頃に父さんに連れられて行った美術館に収められていた一枚の絵画。そこに描かれていた、天使のような温もりがあった。
「……小町が僕の母さんだったらいいのに」
「…………っ!」
僕がぽつりと言葉をもらす。その言葉は確かに僕の本心から出た言葉だった。それが、小町の耳に届いた途端……小町の目が冷たくなった。
空気がピリピリする。小町はどうも本気で怒っているようだった。その目に、僕はまるで心臓が握られているみたいな気分になる。うまく、呼吸ができなかった。
「……おい。お前が俺を慕うのはいい。お前に助けてもらったことも感謝している。好かれるのも、悪い気はしない。でもな。まるで自分の母親がいらないような事を言うんじゃねぇよ」
小町の声は、静かに、ただ静かに。その声は凄く澄んでいたけど、それが僕の心を不安にさせた。台風の前の静けさ。その言葉が、僕の頭の中にふっと浮かんできた。
「……悪い、言いすぎたな。俺はお前のお袋さんを知るわけじゃないし、こんなこと言う資格がないのも分かってるんだが……少し、過敏になりすぎた」
そう言って水を飲む小町。そのまま一息すると、その場のピリピリとした空気も和らいでいった。メイド達も執事も、そして僕も。皆が皆ほっとしている。小町はそんな僕達の様子を見て恥ずかしそうに頭をかいていた。
「悪い悪い。ちょっと熱が入りすぎた。……ごちそうさま、少し頭冷やしてくるよ。お前はきちんと残さず食べるんだぞ」
きっちり自分の席の食べ物を食べていた小町。そのまま席を立って、執事と二言三言言葉を交わす。話が終わると、メイドの一人を連れて部屋から出ていった。
僕はすぐにその後を追いたかったけど、小町に残さず食べろと言われたら無視するわけにもいかない。僕は嫌いな野菜のサラダを目の前にして、ゆっくりとフォークを動かしていった。
小町、此処にいたんだね。
「おう、ようやく食い終わったのか。邪魔してるぞ」
僕なりに急いで全部食事を終えた後、僕は小町を探しに書斎に来ていた。傍には、小町が連れて行ったメイドも控えている。本に埋もれたその場所で、小町は床に座って本を読んでいた。
夕飯を食べ終えた僕がすぐに小町の居場所を執事に聞いてみると、この書斎に向かったという話だった。小町が本を読みたいと言うので、見張りとしてメイドをつけた状態ならいいでしょう、と許可したらしい。
基本、この家の管理については執事にまかされている。最初は小町を警戒していた彼だが、どうも小町を見ているうちに大丈夫だと判断したようだ。さっき話した時も、口では文句を言いながらも、顔は少し笑っていた。
……小町って、意外に読書家なんだね。
僕がここに来るまでのちょっとの間に、小町の周りにはうず高く本が積まれていた。中には外国語の難しい物もある。何となく小町は本とか読みそうになかったから、この光景はかなり意外だった。
「失礼な奴だな。俺は結構本が好きなんだぞ? 昔は小説も書いたことがあったしな」
小町が……小説?
ぐるぐる眼鏡をかけ、半纏に身を包んだ小町が机の上で必死に鉛筆を動かし、カリカリと小説を書いている。ちなみに、内容は純愛もの。
そんな光景を思わず想像して、僕は吹きだしてしまった。似たような事を思ったのか、メイドも同じような顔をしている。小町はそんな僕達を見ても怒ることなく、むしろ先生にいたずらする寸前のクラスメイトのような顔をしていた。
「まあな。自分でも柄じゃないって思ってすぐ辞めたよ。一応、賞も貰えそうになったんだけどな」
賞? 学校の読書感想文とか?
その小町の顔に気づかず、未だに笑い続ける僕ら。その様子を見ていた小町はにやりと微笑んで、たった一言を呟いた。
「いや、芥川賞」
……その瞬間、僕とメイドの笑い声が止まる。小町はやっぱりしてやったり、という顔でこちらを見ていた。僕は聞き間違いかと思って、恐る恐る聞き返す。
……芥川賞? 芥川賞ってアレだよね、よくわからないけど、凄い小説の賞。小町が?
「おう。っていっても事情があってもらえなかったけどな。俺としては、そんだけの評価がされたこと自体驚きだったし。誰かが見てくれただけで満足だったよ」
賞自体は興味なかった、という小町。その顔は本当に未練も何も思っていないようだった。多分何人もの人が願っているであろう賞をもってして、特に興味ないと言いきった小町。……小町は思っていたよりも、ずっと凄い人らしい。
「凄いかどうかは自分じゃ分からないな。どうとも思わん。ただ一つ言えることは……そんな賞よりいい男の方が欲しかった、というとこだな」
小町の言葉に、僕たちはまた笑い始めた。小町もメイドも、皆笑っている。
だって、小町は本当にそう思っているから。小説の賞なんかよりも、運命の人との出会いの方がいいと。小町は、疑いもなくそう言っていた。
――その小町の生き方が凄く眩しいと思う。縛られることなく、ただ自由に生き続ける、その小町の在り方が。
「そうそう。さっき奥でこれを見つけたぞ」
――あ、これって……。
パサリ、と僕の前に差し出されたその本は、いつか見た本だった。僕は何も言わず、そのページをめくってみる。そこには、父さんと母さんと――僕が、笑顔で映っていた。
「悪いが見せてもらったぞ。すっげえ幸せそうな家族だな、お前ら。これも大切に保管されてたし……間違いなくお前は愛されてると思うよ」
小町が僕を見る目は優しい。その目に、記憶の中の母さんの目が重なる。――確かに、母さんはこうやって微笑んでくれていた。
「でも……それだったら、二人とももっと帰ってきてくれたっていいじゃん。もうずっと会ってないよ? クリスマスだって、僕の誕生日だって! いつも仕事だって言って!」
だから僕はその小町を否定する。その姿に母さんが映るから、僕はそれを否定する。
「それは俺じゃ分からないさ。俺はお前の両親じゃないからな。そのあたりは、お前が二人が帰って来たときにお前が自分で聞くことだ。でも、そうだな――」
そう言って、小町は僕の頭に手を置く。温かくて気持ちい、小町の手。その手に撫でられると、少しずつ僕の気持ちが落ち着いていった。
「――俺はお前の母親になれないけど、此処にいる間はお前の姉になってやるよ」
小町が僕を抱きしめる。小町の体はやわらかくて温かい。小町の体から、いい香りがしている。それが懐かしくて、嬉しくて――僕は、知らないうちに涙を流していた。
その日。小町と出会ったその日。僕には、一人の姉ができた。
「一言で言えば、変態だな」
……へ? 小町のお兄さんが?
「おう。間違いなく、変態だ」
夜。今僕と小町は同じベットの上に寝そべっていた。僕一人では大きすぎるベッドも、小町と一緒に寝ると少し狭く感じる。
もちろん、僕は恥ずかしいからと一緒に寝ることを断ったんだけど、小町がそれをゆるさなかった。『子どもが遠慮するもんじゃない』って言って……いくら違うって言っても小町は聞いてくれなくて、結局押し切られてしまった。
そうなったら僕だって開き直る。仕方ないからあれこれと話をすることになった。今は、小町のお兄さんの話し。さっきお風呂場で聞いた小町のお兄さんの事を、もっと聞いてみたかったんだけど……。
「何せ妹のためとか言って熱湯に耐え、妹のためとか言って氷柱を砕き、妹のためとか言って滝壺に飛び込み、妹のためとか言って弁護士になった奴だからな。変態と言わずして何と言えってんだ」
お兄さんの話題になった途端、小町はさっきからこの調子だった。お兄さんの悪口――というか、愚痴のようなものを続けている。自分のお兄さんを「変態」といって譲らない小町の顔は真剣そのもの。間違いなく、お兄さんを変態だと思っている。――でも。
……へぇ。でもお兄さん、随分と小町想いだね。
「……まぁ、な。その点は認めてるけどよ」
ふぅん。
「な、何だよ」
いや、小町って、実はお兄さんの事大好きだよね。
――そう。さっきから確かに小町はお兄さんの事を悪く言ったりしているけど、所々でお兄さんの事を思い出して嬉しそうな、寂しそうな顔をしている。実際、僕にそうやって言われると顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
「――まぁ、兄貴のおかげで旅に出られるようになったし、感謝はしてる」
ぽつりと、僕に聞こえるか聞こえないくらいの声でそう呟く小町。その幸せそうな、悲しそうな小町の顔を見た瞬間、僕の心臓がトクンと音を立てたけど――すぐに収まった。
僕は一人っ子だから、小町の気持ちは分からない。でも、何となく小町をそのお兄さんにとられてしまうようで。
少し、嫌だった。
「そう言えばお前、学校はどうなんだよ? 楽しんでんのか?」
何、その会話に困った父さんみたいな話の切り出し方。小町が話題を変えたいのがばればれだよ?
「うっせ。俺はお前の姉貴だからな、気にするんだ」
……そっか、それじゃしょうがないね。うん。
確かに小町は話題を変えたかったんだと思う。でも、その目は至って本気に僕の話を聞こうとしていた。父さんみたいに、僕との会話が見つからずに出した話題ではない。
その小町の気持ちが嬉しくて、僕は父さんに話す以上の事を小町に伝えた。
えっとね、この前友達と遊んだ時の話なんだけど……。
「おお! お前、友達いたのか!」
って、ひどいな小町!? 僕の事、友達いないと思ってたの!?
「そりゃまあな。何となく、お前そういう“縁”が薄そうだからな……で、どんな奴なんだ?」
どんな奴って……どうして一人だけって限定されてるのさ。僕だって友達くらい、何人もいるよ。……出来たのは最近だけど。
僕がそうやって頬を膨らませると、小町は手のひらを顔の前で合わせて謝ってきた。片目をつぶって、頭を下げる。
「悪い悪い。ちょっと意外だったんでな。でもやっぱり最近までいなかったってことじゃねーか」
うん。この前教室で『一人で生きていけるようになりたい』って言ったら、じゃあ仲間にしてやるって。今日は皆用事があるからって遊ばないで帰って来たけど、いつもだったら放課後に皆で遊んでるんだ。
そのおかげで小町に会えたけどね、と僕は心の中で付け加える。帰り道はあんなにつまらなかったのに、小町に会ってから凄く楽しくなった。
そうやって僕は楽しく話していたのだけれど、ふと、妙に小町が静かなことに気がついた。何かを悩みながら、僕の事を見ている。その小町の態度に、僕は少し違和感を覚えた。
小町? どうかしたの?
「……なあ。そのダチって奴らは、本当にいい奴らなのか? しっかりと、お前の目から見て」
――うん。いつも僕と遊んでくれるし、僕が休んだ時に心配もしてくれてるよ。
「……そうか。なら、いいんだけどよ」
僕の答えに小町は何処か納得していないようだったけれども、その後は特に何も言わずに僕の話を聞いてくれた。母さん達に比べても、真面目に聞いてくれるし相槌もうってくれる。ただ、その顔が笑ってくれていないことが僕には気がかりだった。
「まぁなんだ、学校はそれなりに楽しんでるみたいだな。……んじゃ、そろそろ寝るか。明日も学校だろ?」
ええ、まだ早いよ。僕なら大丈夫、遅刻なんて絶対しないから。
「……? そうか、でも夜寝ないと朝起きられないだろ? だから寝るぞ」
大丈夫だって。だから、僕は『絶対に』遅刻しないんだから!
「……どういう意味だ?」
胸を張ってそう言った僕に、小町はいまいちピンとこないようだった。その姿が面白くて、僕は少し得意げになってしまう。
そう、僕は『絶対に』遅刻しない。と言うよりも、絶対に『遅刻も欠席も』しない。堂々とした僕の姿に何かを感じたのか、小町は怪しげな目線で僕を見つめていた。
「あのね、小町。僕は学校じゃちょっと『特別』なんだ。先生達が父さんの機嫌を取りたいらしくて、遅刻も欠席も無かったことになるんだ。だから、大丈夫。このまま小町と一緒にいても問題ないよ」
父さんの勧めで入学することになった私立の小学校。うちからだとだいぶ距離があったけど、車通学が認められたから問題はなかった。何でも、父さんが多めの献金をしたんだとか。
そう。今までに何度も遅刻もしたしずる休みもしたけど、家には確認の電話が来るくらいで何も問題はなかった。通信簿では遅刻、欠席がゼロになっている。それどころか、僕が思っている以上の成績すらついていた。
「へぇ……そいつはよかったな。でも、俺が言うのもなんだが、子どもは学校に行くもんだ。起きられなくて遅刻するのはある意味仕方ないが、起きるつもりがなくて遅刻するのは俺が許さん。だから、寝ろ」
……小町?
小町は不機嫌そう呟いて、反対側を向いてしまった。僕に背中を向けてしまったために顔は見えないが、どうも怒っているような気がする。
「俺はもう眠いから寝る。お前もさっさと寝ろ」
ちょ、ちょっと小町! 僕まだ話が……。
「いいから、さっさと寝ろ。姉貴の命令だぞ?」
もう小町に取りつくしまもない。そうやってまごまごしていたら、いつの間にやら小町から細い寝息が聞こえてきた。……もう、寝てしまっているらしい。
もう……まぁいいや。小町、お休み。
僕はそう呟き、タオルケットを小町と僕の体にかけた。だんだん秋の足音も近付いて生きている。寒くはないけど、暑くもない。
そうして、小町が僕の家に来た最初の夜が更けていった。
「おい、今日も『狩り』行くぞ!」
あの日から、小町がいる楽しい生活は続いている。
毎日のように一緒にお風呂に入ってくるし、僕が嫌いな野菜も無理やり食べさせてくる。夜一緒に寝てくるし、事あるごとに頭をたたいたり、撫でたり、抱きついたりしてくる。そんな毎日が、今は幸せで仕方なかった。
僕は、僕の事を心配してくれる小町が大好きだ。今は無理かもしれないけど、いつか小町が言っていた『男子たるもの、自分の足で立つべし』他の条件をクリアして――僕は、小町の横に立って旅に出るんだ。僕が、小町を守る騎士になる。
うん、いいよ『リーダー』!
こうして、学校にいる間も、今小町が何をしているか考えている。
小町は料理が好きだって言ってた。コックの手伝いでもしてるのかな?
小町は本を読むのが好きだって言ってた。また書斎にこもってるのかな?
小町は、歌を歌うのが好きだって言ってた。聞かせてもらった歌声は、今まで聞いたことがないくらい綺麗な声だった。
小町。僕の姉さん。僕の――お姫様。
「へへ、今日はどれくらいいけるかな」
「俺達にかかれば余裕さ!」
「それに、なんかあってもお前がいるからな!」
僕は仲間のその言葉に大きくうなずく。僕がいれば、どうにかなる。そう言って期待してもらうのは凄く気分が良かった。
小町が家で待ってるけど、こいつらと遊ぶのもやめられなかったし、やめるつもりもなかった。だって、こいつらも僕の事を見てくれている。僕の事を心配してくれる。僕が遅刻すれば声をかけてくれるし、僕が風邪をひいて休めば電話もくれる。
「おっし、んじゃ今日も『狩り』と行きますか!」
「「「おー!」」」
それに、こうして僕が一人でも生きていけるようにって、いろいろ教えてくれる。
大切な、仲間たちだった。
―――そして今日も、僕らは『狩り』に出掛ける。
(後篇に続く)
長くなったので前後篇です。