呪詛
娘が死んだ。
死因は一酸化炭素中毒。繁華街にあるゲームセンターの地下で、煙草の不始末により起こった火事に巻き込まれたのだそうだ。火の広がる勢いもすさまじかったそうだが、何よりプリクラを取るために撮影機に籠っていた娘の集団は、「既に手遅れ」という段階まで火事に気付けなかったと言う。
異変に気付いたであろうして、すぐに階段を昇る間もなく煙の吸いすぎで意識を失っていただろう。検死を担当したらしい男が、だから娘は苦しむ暇もなかったはずと、喜べばいいのか悲しめばいいのか分からないことを言ってきた。
至って常識人である夫が、そうですか、なら、まだ…と涙ながらに何度も頷いていたので、喜ぶのが筋なのだろうと思う。私も、言葉こそ出さなかったが、誠意を示すように何度も頭を下げた。
夫の涙は、それは凄まじい量であったが、決して娘が苦しまなかったゆえに流れたものではない。娘の訃報を聞いて、私より遅れること十分後に大慌てでやってきて、その時から既にあふれ出しそうだった涙腺が、私と共に娘の亡骸を見て、いよいよ決壊したのである。
私としてもかなり衝撃だった。無論、参った。娘の亡骸は、叶うならもう二目と見たくないほどにグロテスクな有様になっていたのである。
真っ黒こげともかなり違う、ところどころに生々しい傷があり、我が娘であることどころか、それが女性か否かまで言われなければ分からないのである。
悲しみとかよりも先に、焼死体というモノのインパクトに呑まれてしまって、私は咄嗟に息を止めて、青くなって目を背けた。そもそも娘の顔すら、まともに見るのは数年ぶりであろうに。
娘と家族の仲は悪かった。別に、どの家庭でもそんなものなのだろうと深刻視をしていなかったが、いざここまで涙が出ない、感傷的になれないとなると、自分は日々の娘との交流で、何か大事なものを落としてきたのではと不安になってくる。
反対に夫は、どれだけ娘に悪辣な態度を取られても、娘の反抗がどれだけ難癖じみていても、家族に対して真摯であった。
私がとうに諦めていた細かな娘の無作法を一々注意していたし、私が早くも娘本位に任せようとしていた進路なども非常に親身に考えていた。
それが娘にとってどうだったかは今となっては分からないが、夫は心から「家族を心の安らぎの場所」として考えていて、それを己のモチベーションにかえて日々を過ぎしているように見えた。立派である。
一方の私はというと、娘の顔を見て話をすることもなく、料理、洗濯、掃除をパートの合間に熟す日々を淡々と続けていた。
ゆとりはあったし、別段不満はなかったが、私は良い母ではないのだろうとぼんやり、それだけを思って毎日生きていた。良い母に憧れも無かったし、娘に愛想を良くしてもらいたいわけでもない。
この私の娘への無関心に関して、夫が気づいていたのかいなかったのかは分からないが、とにかく言及はなかった。日々の家事だけで私をえらく労わってくれたし、私へ感謝の素振りを見せない娘に怒る際も、あくまでこちらを巻き込まなかった。意見を求められることもなく、娘と話し合いの場を設けるわけでもなく、あくまで「母さんにも感謝しろ」と自分の主張をぶつけるだけだった。有難い反面、その私の介入しない説教がいよいよ私と娘の決定的な壁になり、今回のような薄情な結果に行きついたのだと思う。
私は、娘の死に目に涙の一つも流せず、ただ早くそのシーツをかけ直してくれとばかり思っていた。一方の夫は娘の雷に打たれて折れた木の枝のような手を取って、うずくまって、すすり泣いた。しばらくこうさせてくれとまで言った。私は、尊敬を少し通り越した。
娘は17の夏に死んでしまったわけであるが、12の春くらいまでは、まだ私とも頻繁に話してくれた。娘は日に日に、私に似た顔つきになってきて、それに従って私に対しても冷たくなってきた。周囲や夫が思春期という言葉で片づけてくれたので、私もそれに乗っ取ることにしたが、実を言うと、私も娘くらいの歳に、私の母に対して同じように冷たく当たっていたのである。原因はいろいろあったし、やっぱり何よりに思春期であったのだろうが、それ以上に大きな要因として、母と同じ場所、右の頬の真ん中に黒いホクロがあったことが何よりの何よりだった。
それはでかでか活き活きとしていて、大変目立った。母はそれを撫でるのが癖で、その撫での度に、連動して私のホクロが肥大化しているのではと思うほど、年々ホクロは巨大化した。そのホクロがひどくコンプレックスだった。容姿のみにとどまらず、あらゆる日常の不条理をこのホクロのせいにした。
そして、そのホクロはまだ少しも小さくならずに私の頬に残っているわけであるが、これが娘の頬にも生まれつき現れていて、これまた年々巨大さを増していた。私は、秘かに当時の自分と娘を重ねて、アイツも全てをホクロのせいにして、日々を悶々と生きていることだろうと考えていた。そして、それはつまり、私をひどく恨むことに等しいのだ。
娘と私に違いがったとすれば、今に至るまで始終陰気だった私と違って、娘は歳を重ねるほどに活発になっていったことである。娘がクラスメートと撮ったらしい写真を見たことがあるが、人形のような少女たちに紛れて、笑ってしまうほどの不細工がにやけた顔でピースをしていた。そこまで太っているわけではないのだが、それでも大きな顔に大きなホクロは土のついたジャガイモのようだったし、そのピースは形も歪で、悪気なく豚の蹄に見えてしまった。我が娘にまるで関心を持っていない身でありながら、私はその写真を破り捨てたくなるほど恥じた。
なぜ、娘はあんな連中に紛れているのだろう。きっと、いや確実に、つらいはずである。日々、耐え難いみじめを抱えて生きることになるだろう。私は、私かあるいはそれ以上に、華のない連中と毒にも薬にもならない日々を粛々と過ごしていたぞ。娘よ、あがくな。見栄を張るな。あるがままに生きろ。
写真を見てみじめな気分になると言えば、娘のSNSアカウントの写真もまた、同様に嫌気がさした。ホクロが映らないアングルに顔の角度を作って、ダメ押しとばかりに加工を仕立てていた。別人レベルに小顔になり、肌が白くなり、眼はパッチリしていたが、それでも地が悪いからか、まずます惨めに見えるだけだった。
娘と同じ制服を着た少女がスーパーで買い物をしているのを見かけたことがあるが、髪がさらさらしていて、化粧っ気の欠片も無かったがそれでも娘よりはるかに整って、何というか、それらしく見えた。どれだけ繕っても浮世絵チックな娘とは雲泥だ。
私のこの、実の娘に向けるべきでない、呆れや苛立ちは、繊細な時期だという彼女に届いていたのだろうか?今となっては分からない。ただ、私はどれだけ娘に悪いとか、生きている時代が違うとか真っ当な理由で以て、自分自身で娘をフォローしてやり、自分自身で己を律しているのだが、それでも娘の数々の努力は悪あがきにしか思えず、ひどく惨めに見えた。
娘に対してどれだけ無関心な私でも、この一点だけは何とかして救ってやりたかった。でも、やり方など分かるはずもなく、仮に分かっても実行できるだけの胆力があるわけでもなく、ただ私は気が付けば自分にも癖づきかけていたホクロをいじくる癖をせぬよう、必死に己を律するだけだった。
テレビなどで整形の話題が出るたびに、シールのようにべりっと忌まわしきホクロを剥がす妄想をしたが、剥がすのは決まって私で、剝がれるのは決まって娘のホクロだった。自分の顔など今更どうすることもない。ただ、娘の顔の、アレを剥がしさえすれば、それだけでどうにもならない全てが少しずつ前進して、つきものが落ちたように娘の全てが上手く行くように思えた。
それが最大の、私にとって最大の娘にしてやれる孝行にすら思えた。無論、整形の話題はおろか、こっそり整形費用やそれに関する情報を蓄えるなんて殊勝なことも一切行っていないわけなのだが、ただ、娘のホクロを剥がしてやりたい。それだけは切に願っていた。
整形に関して、どうやら娘も同じことを思っていたらしいと、遺品整理の際に判明した。数学のプリントの裏に、半分愚痴のようにそのことが綴られていた。愚痴と言っても、それはクレームくさくなく、むしろ悲観的で、健気な書き口だった。
己の生まれ持った境遇を嘆き、誰に見せるでもないはずなのに同情を媚うように自分を憐れんで見せていた。内容はもちろんホクロを取りたいのオンパレード。それを読んで、私は安堵のような、嘲笑のような、そんなよく分からない複雑な思いを抱えたが、何より終りの一文に驚いた。
整形をすれば、顔の形を変えてしまえば、お父さんが傷つくかもしれないと書かれていた。それは、無論己を健気にアピールするための媚びた技法に他ならない(少なくとも私にはそうとしか思えない)。のだが、それでもそこで夫の存在が出てくることが、私を驚かせた。
夫の真面目な愛は、思春期の娘にもしっかりと届いていたのかもしれない。そう思うと、夫が報われた気がして、何だか胸がすく思いだった。不甲斐ない、母親失格である私に変わって、あの娘の幸せは夫が補填してくれていたのだと、そう思った。
それに、娘が整形すれば、確かに父は悲しむことだろう。そのピュアでひたむきない親心が、ポーズめいているとはいえ、娘にこの文を書かせるに至ったのである。
娘の死とは言え、夫はそうそう長く仕事を休めなかった。反対に、私は親切を絵にかいたようなパート先の店長の計らいで、空虚かつ心の落ち着かない長い長い休みを頂戴できていた。その休みの半ばごろには、もう和室の一角に娘の仏壇が立っていたし、大抵の親族もそれを拝み終えていた。夫はそれでも、毎晩のように娘の遺影の前で泣き続けていたし、聞いているとこちらまで泣きたくなってくるほど事細かに娘との思い出を語り合っていた。
それを一身、聞かされている娘は(奇妙な言い方だが)随分若かった。未加工の写真でしかも正面を向いている笑顔のものとなると、ろくな写真が無かったのである。おそらく、中学くらいの彼女であろう。高校の時と違い、分相応で、私的にも有難かった。結局、仏壇の前でも泣くことは無かったが、ふっと写真の彼女のホクロを撫でていると、娘を労わっているようで、気分が落ち着いた。
「ごめんね」と言ってやると、涙は出なくても声が震えた。何に対しての謝罪かなど分からない。でも、死んだ娘の前で出る言葉が謝罪のみだなんて、やっぱり私は母親として不甲斐ないなと、ぼんやりと思って、またホクロを撫でる。そして、小さな声で謝る。私はこんな声を娘にかけていたのかと思いだす。これを暇なときに繰り返す。他にすることが無かったのもあるが、結局、仏壇の前にいる時間は夫より長くなっているかもしれない。
そんな休みも終わりに差し掛かって、急に警察から連絡がきた。娘が巻き込まれた火災の、あのゲームセンター跡から、娘の遺品が見つかったらしい。しかもそれは娘が死の直前に撮っていたプリクラのものだという。火災に気を取られた娘たちがマシーンから取り出せなかったばかりに、逆にこうして炎から守られたのだ。当然の流れとして、私が警察署まで取りに行くことになったが、私はどこか億劫だった。
その後ろ向きな気持ちは、同じように写真を取りに来たであろう他の子の遺族とすれ違ってより一層増した。その親は、わざわざ喪服を着て来ていたが、それでも美人だった。それだけでその娘が整った可愛らしい子であると分かるほどに、整っていた。
今更、私服すぎる自分の容姿と比べるつもりはないが、やはり娘は最後のその瞬間まであんなキラキラした子たちと遊んでいたのかと悲しくなった。せっかく中学の娘と交流して、ほぐれていたわだかまりがまた埃のように積もってきた。プリクラは、初老の刑事から何度も頭を下げつつ渡された。茶封筒に入っていた。私は、逃げるようにその場を出て、家に帰った。
プリクラは、ちゃんと遺族全員に行き渡っているのか不安になるほどたくさん入っていた。そのどれもで華やかな美少女たちが加工されつつ、ピースしたり、変顔をしたり青春らしさをエンジョイしていた。当たり前だが、その中には不細工な娘がいて、私は再びやりきれない思いを抱えた。
しかし、その中ほどの一枚で、急に娘が消えた。そのほか大勢の少女が朗らかに笑っている中で、娘がいない。席を外したのかと思ったが、先ほどまで娘がいた場所に、娘の代わりに黒い丸があった。娘の顔が、黒い丸で塗りつぶされていたのだ。私はそのことに気づくのに、少しの時間を要した。しかし、理解した瞬間にその写真の全貌が次々に、手に取るように、理解できた。これは、娘が塗りつぶしたのだ。
真っ黒な娘の顔の周囲には、ピンク色のペンで「ここまで大きくなりました」とか「加藤一族末代までの呪いじゃ~」だとかポップな文言が書かれていて、そのどれもが娘が書いた文字に間違いがなかった。あの健気風な文字と同じ、軽い字体だった。誰に頼まれもしていないのに、娘がこう細工したのだ。
美しい少女たちが笑っている。大いにウケている。あの黒い点が、うちの娘が笑わしているのだ。この場の空間を、うちの娘が握っているのだ。その身を、徹底的に陥れて。
私は、プリクラから目を離した。私はどうも独りでに和室まで足を運んでいたようで、目の前には娘の遺影があった。笑っていた。右の頬のホクロは大きく、活き活きしていた。「うわああ…」とうめき声の様な鳴き声のようなものが、私から漏れた。言わずにはいられなかった。「頑張ってるな。アンタ、頑張ってるな」と言わずにはいられなかった。
頑張ってるな。アンタ、ちゃんと頑張ってるな。がんばれよ。大丈夫だから。きっと上手く行くから。うまく生きていけるから。がんばれよ。がんばって。アンタは偉いから。ちゃんとできてるから。
私は、しきりに口を動かした。声は震えた。この場に何か、娘と同じ身長の何かが欲しかった。抱きしめてやりたかった。今なら抱きしめられると思った。ガンバレ、ガンバレと壊れたおもちゃのようにその言葉だけを重ねて、その時ハッと、娘がもう死んでいることを思い出した。遺影の娘と目が合って、私は、少しだけ泣いた。
読んで下さりありがとうございます。
次回更新は9/27を予定しています。
次回は掌編(今まで以上に短い作品)になる予定です。
そのためオマケとしてエッセイのようなコラムのようなものを同時に投稿します。
オマケは短編集の作品本数としてカウントしません。




