第三話 月明かりの街
砂埃舞う街をのろのろと這いずる路面電車に、ショウは立ったまま揺られている。この錆びた12メートルほどの鉄のゆりかごが、この国の人々という血液にとっての血管であり、心臓でもある。ショウの家は基地からこれに揺られて45分と少し歩いたところにある。ため息を4回はつけるほど退屈な時間だが、ショウは実は少し気に入っている時間でもある。朝も夜も違う顔を見せてくれるからだ。夜の街は静けさに満ちている。朝の喧騒は嘘のように、皆屋台での食事やまばらに設置された、今にも消えかけの電灯の下でタバコをふかし世間話などに興じている。正直、退廃的だとは思う。だが、そこに少しだけ点っている可能性の光を、どうにも捨てられない。少し遠くを見ていると、別の部隊の装甲車が出動するのが見えた。猛スピードで基地を出発し、ショウの乗る電車に邪魔だと言わんばかりに追い抜いていく。
「うおっ…」
電車が横に揺れる。ショウは少しよろめいた。こんな粗暴な集団の中におれはいるのかと内心ため息をついてしまった。だが、このタイミングで退勤できてるのは笑いが止まらない。あまりの嬉しさに顔を上げると、ちょうど霊峰と顔を合わせるタイミングだった。霊峰ロザリオ、この国の中心にあるいつも雲のかかる大山である。嫌いではない。ただ、ショウにとってはそれ以上でもそれ以下でもなく、ほど高い山だ。しかし、今日は少しだけ気持ちのいい山に見える。鼻に抜ける空気の量、取り込めている酸素の量がいつもの二倍以上になっている気がする。それくらい退勤というのは、気持ちがいい。
「次は、フェクダ、フェクダ」
車掌がそう告げたので、ショウは今日はここで降りることにした。
「フェクダ、フェクダです。」
からんと料金箱にこぎみよい音を立てて硬貨入った。それをしっかり確認して下車する。この駅はショウの家からの最寄りではない。最寄りは2つ先の駅だが、ショウはわざと降りた。趣味の時間だからだ。とっておいた配給の軍用チョコレートバーを取り出して、ビルとビルの間を歩き始める。それの包装をペリペリとあけ、歯を立てる。少し力を入れるとバキリと音を立てて、口の中に飛び込んでくる。正直、おいしくはない。硬い、甘くない、口溶けも舌触りも悪い。45点の味だ。だが、そんなチョコレートも月明かりと吹き抜ける風のなか食べれば65点ほどにはなる。街に響く家族の声や漏れ出る料理の匂い、酔っぱらいの大声まで全て含めて夜の街を歩いて味わうのがショウの趣味だ。何より金がかからないのが嬉しいポイントだ。何回歩いてもこの街は発見に満ちている。変わり続ける飲食店のテナントや変わらない老舗、電灯の全くない野良猫の国が支配している裏路地やなぜか電灯の集まる廃墟の一角。全部ここ最近見つけたものだ。歩いていると、案外すぐチョコレートバーは食べ終えてしまうし世界もよく見た自宅まわりの景色に切り替わっていく。今日も変わらず面白かった。
家にたどり着き少し古ぼけたドアノブを捻り、
「ただいま。」
といつもと変わらない声をかける。すると
「あら、おかえりショウ。遅かったわね。」
とリビングから同じく変わらぬ柔らかい声がした。母のものだ。
「うん、ちょっと歩いてた。」
真実をそのまま言うと母は少し驚いて心配の色が滲んだ。
「あらあんたいつまでそんな危ない趣味してんの?気をつけなさいよ治安良くないんだから」
怒ったような口調で少し癪に触る。だが、なぜだか強くいい返す気にはならず、
「わかってるよ。それなりに気は張ってるし。」
と少しかわして返すだけにとどめた。このままだとお説教が始まりそうなので流れを変えようと、母の話題に話をすり替える。
「それより母さんはどうなの。腰とか他にも。」
「まあ…そこそこよ。少なくともまだ歩けるし、自分のことは自分でできるわよ」
「そう?無理しないでよ。俺がいない時もあるんだから」
「…ありがとうね。ちょっとお茶でも飲む?入れるわよ。」
そう言ってよろよろと椅子から立ちあがろうとするので、
「あああんま動かないでよ母さん!おれがやるから!」
と強く言ってしまった。医者が言うには腰が悪く、骨も弱いらしい。母という生き物は息子の前では強くありたいものなのか、ショウの前ではいつも通り豪快に振る舞ってはいる。だがショウはそれが思いやりであり虚勢であると肌で感じていた。聞いたわけでも見たわけでもないが、わかるのだ。
「夕飯は?あんたなにも言ってなかったから作ってないわよ。」
「今日は食べてきちゃったからちょうどいいわ。シャワー浴びて寝るよ。」
「そう。じゃあ私は先寝るわ。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
宣言通りショウはシャワーを浴び、幅の狭い階段を静かに上った。そしてゆっくりと部屋に入りベットに飛び込む。今は誰も使っていない部屋の隣がショウの部屋だ。もともとは父の部屋だったが早くに事故で帰らぬ人になってしまった。そこから母はショウを1人で育て上げたというのだから、とんでもない超人だ。歳を重ねて自分で金を稼ぐたびにそう実感する。つくづく今母の生活費を自分が出せているというのは、幸福だとも思う。
普段なら寝てしまうが、今日はここからが本番だ。例のメモ。隊長に奪われる前になんとか残したあのメモである。少し埃を被り年季の入ったパソコンに電源をつける。世界が夜を迎えるとき、インターネットは夜明けを迎えるのだ。早速あらゆるサイトで検索をかける。ワードはもちろん、『今宵の月 小説』。1〜17件目。ここまでで探し始めから約一時間経過。同名のべつの小説の紹介と通販。18〜25件目またべつの『月明かりの夜』という小説の感想と通販。これも30分ほどかかった。次第に額に汗が滲む。そしてマウスとキーボードを操る手に力が入っていく。そこからも目新しいワードはない。頭が痛くなる。ふと時計を見ると夜中の2時半だ。もはや笑ってしまう。もう少しだけやろうとさまざまな検索ワードを試すも、積み上がるのはやくに立たない検索履歴の山のみ。モニタを見る目から涙が流れてきたのでもう寝ることにした。夜明けだなんて期待した自分が恨めしい。夜が明けても光が届かない場所には関係などなかった。拳を握りしめて枕を思わず力いっぱい殴った。ここまで一喜一憂するのはいつぶりだろうか。そう思ううちにまどろみの中に沈んでいった。
翌朝、目覚めは最悪だった。なんとか今日は休みなのでことなきを得ているが、出勤だったら消えたくなっているに違いない。洗面所に行き、まだ起きていない頭を冷水で叩き起こし、口の中もミントと歯ブラシのスイッチを入れる。
「おはよう母さん。」
「おはようショウ。朝ごはんできてるから食べちゃいなさい。」
眠い目を擦りながら見た景色を見て心が安らぐ。何万回と見たライ麦パン、スープ、牛乳、ジャムのセットである。アララギ一家はいつもこれだ。特別質の良いものを用いているわけではない。だが流れ込むスープの温かさやライ麦パンのほのかな酸味、ジャムとのコンビネーション、それらを牛乳で締める。この流れだけはどんなコース料理や高級料理も敵わない。最後の一口のスープを堪能しようかというタイミングで、来た。今一番来てほしくないもの、ショウがこの世で最も憎むもの、幾度となく聞いたあの振動音。休日にかかってくる上司からの電話だ。
「…消えたい」
思わず口からこぼれた。
「あんたどうしたの?!大丈夫?!と…とりあえず電話でなさいよ?!」
気は進まない。進まないどころか後退するほどだが、仕方なく電話にでる。
「もしもしショウか?」
『ほれみろ!やっぱりリョウゴ隊長だ!ああ憎らしい。』
そう声に出さないのが精一杯だった。
「はい…そうです…」
「休日に申し訳ない。だが、緊急だ。」
少し息を吸って間を置いてからリョウゴは告げる。
「出動命令だ。相手は、“一つ持ち”だ」
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