第45話「俺を殺すのに、お前ひとつの命で足りると思うなよ」
「おい、金髪野郎」
次郎がやる気にない目で言う。
「オールバックで誤魔化しているつもりかもしれんが。てめぇの毛根、だいぶ衰退しているぜ?」
眩しいから、そのハゲを隠せよ。
一度、負けた相手に対して。次郎は不遜な口調で言い放つ。
ぴくりっ、とサーペント卿が表情を硬くさせる。頬を痙攣させて、次郎のことを眼球を見開いて睨む。
明らかに、地雷を踏んでいた。
その様子に、もはや戦闘に関わる気のない天上天下唯は、笑い声を必死に堪える。
「……ン、ンン~。これはこれは。アジア人は毛髪のことにナイーブですね。自身もそのようになるのではないかと、潜在的な恐怖を感じているのでしょう。しかしながら、私は誇り高きアーリア人。そのような些末なこと、気にするわけが―」
「うるせぇな。てめぇの場合、潜在的どころか致命的だろうが。いいのか? このままだとハゲて死ぬぞ?」
動じない。
次郎は狙撃銃を持ったまま、大振りのナイフを手にする神父服の男と向き合う。
そして、その視線の先にいるサーペント卿は。額に青筋を立たせながら、必死に怒りを堪えようとしている。
「……ン、ン! ……まぁ、原始的な黄色いサルに何をいっても無駄でしょう」
自らの優位を捨てて、こうやってノコノコと出てくるなんて。まさに愚の骨頂。あのまま暗闇に隠れていたら、この私であっても苦戦したかもしれないのに。
暗殺者とは影のもの。
影から出てしまえば、それはタダの人。
そんなこともわからない黄色い猿に、何を言われても気になりませんよ。大仰に宣うサーペント卿を前にして、次郎はハナクソをほじる。
「うるせぇ。そのハゲ頭が反射して眩しかったんだ。よかったな、毛根が枯れていて。おかげで助かったんだぜ、この薄らハゲ」
はげ。
ハゲ。
禿げ。
次郎は明らかに煽るように、その単語を羅列していく。本来であれば、そんな幼稚な煽りに耳を傾けはしないだろう。
だが、次郎が相手にしているのは。
プライドが異様に高く。他国の人間を見下して。自分のことを絶対の強者と信じて疑わない、そんな男である。
故に、そのような戯言でも。
聞き流すことさえできない、侮辱となった。
「……ン、ング! ……くくく、ふはははっ」
それまで次郎の言葉を聞き流すことができず、必死に怒りに耐えていたサーペント卿が。
突然、その態度を変える。
肩の力を抜き、全身を脱力させて。腹の底から笑うように体を折って。その薄くなったオールバックを仰々しく片手で上げる。
そして、男は。
一言だけ言った。
「……殺す!」
サーペント卿が次郎のことを見下しながら睨む。
その形相、まさに蛇。
獲物を殺すと心に決めた、殺戮者の顔だった。
男の手に持っているナイフが、滑走路の照明に反射する。大振りのブッシュナイフだ。刃の中ほどから先端にかけて、幅広の刃になっている狩猟用のナイフ。その刃渡り、およそ人の腕ほどもある。もはや獣を狩るための道具ではなく、人を狩るための殺人道具であった。
「楽に死ねると思わないことですね! この腐れ日本人が!」
ヒュン、ヒュン。
サーペント卿が大振りのナイフを、まるでおもちゃのように手で弄ぶと。何の予備動作もなく突進してきた。
その動き、まさに蛇。
一直線でなく、右へ、左へ。
蛇行するように、動きの予測をさせない。
蛇は狩るものだ。
隠れ、不意を突き、そして弱者を飲み込む。
もはや人間の動きではない。男が地面を踏みしめるたびに、彼の姿は視界から消えて。残像なようなものだけが、尾を引いている。
そして、次郎との距離を詰めると。
完全なる死角を狙って、襲い掛かる。
「ンン〜ッ! まずは、その右腕を切り落とす!」
ひゅん、と。
空気を割く冷たい音と共に。
サーペント卿のブッシュナイフが振り下ろされる。背後をつかれた次郎には、反応することさえ許されない。
……そのはずだった。
「ぶぎゃっ!?」
悲鳴を上げたのは。
サーペント卿であった。
嬉々としてナイフを振り下ろした。
その顔に。まさしく完璧なタイミングで、次郎が狙撃銃のウッドストックを振り上げていた。完璧なカウンター。無防備だったサーペント卿は、まさか反撃されるとは思っておらず。
もろに顔面に、その一撃を食らう。
鼻の骨が折れて。
真っ赤な鼻血が、華を咲かす。
「……なぁ、ひとつ聞いてもいいか?」
カウンターを食らって、みっともなく地面に尻もちをついている神父服の男。そんな男に、有坂式次郎は口を開く。
「俺を殺すといったが、その意味がわかっているのか?」
「……ッ?」
サーペント卿が見上げる。
そして、戦慄する。
蛇の目が動揺している。
次郎が放つ空気に、震えあがっている。
「悪いが、俺は天上天下先輩ほど優しくはない。俺を殺すのに、お前ひとつの命で足りると思うなよ」
次郎が視線を鋭くさせる。
その瞳は。
化物を狩る、狩人の目をしていた―




