第36話「…こんな場所で死にたくない。少女の願いと、ひとつの銃弾」
羽田空港のVIP専用の玄関。
航空職員たちに出迎えられて、サーペント卿は蛇のような目を細める。その後ろには、聖マリアナ福音教団の聖女こと。モブ子がいた。感情が欠落したような瞳で、空港職員たちにむけて渇いた笑みを浮かべる。
職員たちは何も知らない。本日、急用のため聖女様は祖国にお戻りになられる。そんな嘘のカバーストーリーを信じている。礼儀正しく、物腰がやわらかい。相手を蔑むこともなく、礼節をもって対応してくれる。
……ああ、やっぱり。
……この国は好きだなぁ。
「っ」
感情が顔に出そうになるのを必死にこらえて、聖女は専用玄関を潜っていく。彼女の後ろには、屈強な護衛たちが何人も控えていた。本物の戦場を経験した、元軍人の傭兵たち。
逃げ場などない。
これから自分は、墜落することが決まっている飛行機に乗せられて、その人生を終えるのだ。こんな下らない結末に、いったい何人の死人がでるのだろうか。そう思うと不憫でならない。
「ンン~。聖女様。どうぞ、振り返ってみてはいかがですかな? この国で出会った者たちに、思いを馳せるくらいの時間はありますよ?」
「いいえ、結構です」
聖女は毅然と言うと、そのまま専用の搭乗口へと歩いていく。
……思い出したくない。
……思い出すわけには、いかない。
だって、最高の一日だったから。漫画や雑誌でしか知らない世界に、こうやって触れることができるなんて。本当に夢のような時間だった。閉鎖された環境で育ち、接する人間さえ制限されて。それでも人の口は完全に閉ざすことなどできない。
自分の知らない世界の話を話してほしい。と、せびると。彼女の側近は決まってこう言っていた。『日本は良いところでした。礼儀正しく、丁寧で。漫画の世界がそのまま息づいているんです』彼女は嬉々として、その異国の文化について話してくれた。
漫画、アニメ、映画。その中に出てくる、ニンジャ、サムライ。そしてヒーローたち。彼らの話に夢中になっていく内に、自然とこう思うようになっていた。
……願わくば。
……最後の一日を、日本で生きてみたい。
生まれたときから、ずっと言われてきた。
聖女は、18歳に死ぬことは決まっていると。
そのことに疑問を感じたことはなかった。
そういうものだと理解してきた。
ならば、せめて最後の休日くらい。
自分の恋焦がれた場所に行ってみたい。
その結果。
彼女の胸中に疼くのは。
激しい後悔ばかりだった。
ああ、知らなければ。
こんなにも切ない気持ちにならずに済んだのかなぁ。
聖女は口を固く結んだまま、専用搭乗口へと歩いていく。従者がパスポートを提示して、簡単な手荷物検査を行う。
出国手続きが終わる。これで、もう自分はこの国に戻れない。後は、目の前に止まっている黒塗りのリムジンに乗って、小型ジェット機へと向かうだけだ。
車内でも、彼女は黙ったままだった。護衛と監視のために同乗しているサーペント卿も、上機嫌に鼻歌を歌っている。当然だ。この男は乗らないのだ。片道切符どころか、目的地に到着しないとわかっている飛行機に、誰が好きこのんで乗るものか。聖女は唇を噛みながら、自分の胸の中から溢れそうになる感情と戦っている。
そのため。
彼女も気がつかなかった。
「ンン~? おや、随分とへんぴな場所にジェット機を用意したものですね。空港の敷地ギリギリではありませんか」
え、と聖女が顔を上げる。
本当だった。
夜の滑走路を照らしているライトが、随分と遠くに見える。わずかにジェット機を照らしているライトも、発電機と一体化した移動式のものだ。他に見えるのは、飛行機を収納するための格納庫くらいだ。ぽっかりと入り口が開いていて、不気味な闇が広がっている。
「ンン~。まったく、日本などという田舎では、この程度の対応が限界といったところでしょうか。まったく仕方ありません。運転手よ。ジェット機の傍につけなさい。なるべく近くにですよ?」
……おかしい。
……何かが、おかしい。
聖女は黒塗りのリムジンから周囲を見渡す。
あたりは深夜の闇が広がっているだけ。このリムジンを護衛して、また逃げ出さないように護衛車が前後を走っているが、それ以外には人の気配すらしない。
「ンン~。ようやく到着です。お疲れさまでした、主に私が。こんな下らない仕事のために、はるばる極東の田舎に来たのです。誰か労ってもよろしいのに」
黒塗りのリムジンが止まり。
そのドアが開く。
そして、うんざりとした顔のサーペント卿がプライベートジェットを前にして立ち上がった。
その瞬間―
「ンンゥ?」
遠くの暗闇で、何かが一瞬光って。
夜の静寂を切り裂くように。
《《一発の銃弾》》が、飛んできた。
銃声すら置き去りにする弾丸は、そのままサーペント卿の頭部をへと突き進み。だが、その寸前。彼が振りかざしたナイフよって弾き落された。
ガキィン、と銃弾と鋼の刃が衝突した音だけが響く。人間を超越した反応速度であった。
「ンン~、どうやら。貴方様のような人間でも、奪い返しに来るナイトがいるようですねぇ」
人間の首すら切り落とせそうなナイフをおもちゃのように扱いながら。暗殺者のサーペント卿が蛇のように嗤う。
「えっ」
聖女が、……いやモブ子が信じられないといった顔になる。
まさか。
そんなはずはない。こんな地獄みたいな運命から助けてくれる人なんて。
まして、今日出会ったばかりで。
その出会いは最悪で、思い出しても些細な喧嘩ばっかりして、意地悪で、でも優しくて、ちゃんと見てくれて、いい匂いがして、思わず頼ってしまいそうな、そんな、そんな。
「そんな、こと。あるはずもないのに―」
口に出すのと、感情が零れるのは、ほぼ同時だった。
……助けて。
……誰か、助けて。
……こんな場所で死にたくない。
……誰か、誰か。
……誰か、助けてください。
……お願いします。
……次郎さん。
彼女が涙をこらえきれず、両手でその顔を覆うと。それを合図に、彼女を捕らえていた信者や護衛をひとりずつ。
闇夜からの狙撃によって、撃ち倒されていった―




