第32話「こんなことなら、恋なんてするんじゃなかった」
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【8月31日 20時00分】
……自由になりたかった。
一日だけでいいから好きに生きる。
コンビニでアイスクリームを買ったり、自動販売機で炭酸飲料を飲んだり、美容室で嫌いなこの長い髪を切ったり、友達と映画館でつまらないB級映画を見たり、そんな普通の日常を。
夢みてた。
だから、満足。
これで満足したことにしよう。
窓の外で流れる高速道路の夜景を見ながら、モブ子こと。聖女シャルロット・ヨハネ・モブコール・ライトストーンは無表情を浮かべている。
彼女の隣には、神父服を着た外国の男。
金髪を短く刈り込んでいて、その表情には冷徹な笑みを浮かべている。胸元には蛇座のブローチをつけている。
「嗚呼、我らが聖女様。日本での一日は楽しんでいただけましたかな?」
「……」
教会が差し向けた暗殺者。
サーペント卿の問いに、聖女シャルルは黙ったままだった。そんな反応を意外に思ったのか、神父服の男が首を傾げる。
「おや? 聞こえませんでしたか? 楽しかったのか、と私は聞いたのですよ?」
男の問いに。
しかし、彼女は答えない。
感情の抜け落ちた瞳で、味気ない夜景を見ている。高速道路の案内板に『HANEDA-AirPorte』という文字が流れていく。
「……えぇ、とても。人生で最も楽しいひと時でした」
「それはよかった。我らが聖女様にとって、何よりも思い出になったことでしょう。きちんと胸の中に刻み込んでいてください」
神父服のサーペント卿は薄く笑ったまま、続ける。
「なにせ、《《あと半日の命》》ですから。最後までいい思い出に浸っていたいでしょう?」
悪意も。
狂気もない。
サーペント卿は何が楽しいかわからないが、上機嫌のまま彼女に告げる。
そして聖女であるモブ子も。
彼と同じように、薄く笑いながら答えた。
「えぇ、わかっています。私は明日、祖国に帰る途中で死ぬことになっている。もう何年も前から決まっていた。聖女としての務めです」
「ノンノンノン。何年も前からではありません。貴方が聖女となった時に決めたのです。我々、信徒としても。聖女様がお亡くなりになる日は、それはもう特別な日ですから」
予定の日取りが、一日ズレてしまったことは。
まぁ、この際。どうでもいいでしょう。
サーペント卿は上機嫌に話を続ける。
「嗚呼、明日から忙しくなりますね。国を挙げての葬儀。悲嘆にくれる国民たち。貴女様とのお別れを悲しんで、幾日も喪に服すことでしょう」
「……ぜんぶ、あんたらの都合じゃない」
「ん? なにかいいましたかな?」
彼女の独り言に、サーペント卿が訝しむ。
それに対して、聖女シャルルは。先ほどと同じ薄い笑みで答える。
「いいえ、なんでもありませんわ。全ては主の赴くままに」
「えぇ、それで結構です。間違っても、逃げだそうなどと考えないでくださいね。貴女様のことは、四肢を切り落としてでも連れてくるように、と命令されていますので。私の愛用のナイフを、貴女様のような下賤な血で汚したくない」
サーペント卿が神父服の前を開いて。
その中に収められている大振りのナイフを見せる。
大型の獣を解体するときに使うような、切れ味の良いハンティングナイフだった。人体など、骨ごと切り落とせるほどに。
「ンー、もうすぐ空港に到着しますね。邪魔が入らないように、プライベートジェットの発着口まで行ってください。……まぁ、貴女様などを助けようとする輩が、いるはずもないですがねぇ」
くくく、と笑いながら。
サーペント卿が聖女の頬を舐める。ねっとりと味見をするように。
モブ子は無表情だった。
全てを諦めたような虚無が、その瞳を支配している。
ただ、ひとすじ。
彼女の胸にある想いが。
とある男子高校生と重なって、諦めきれずに輝いている。
……ああ、こんなことなら。
……恋なんて、するんじゃなかったなぁ。




