第31話「襲撃。『…助けてほしい』と。それだけを言ってくれたら」」
それは。
ネットニュースやテレビに映っていたときと同じ笑みだった。穏やかで、静寂で、すべてを悟ったような。諦観の微笑み。
自分の感情を殺そうとしている。
次郎の嫌いな笑顔だ。
「いつから、気がついていた?」
「何がですか? 次郎さんとノラさんが、私を護衛していたこと? そんなの最初からですよ」
「最初から?」
「えぇ。次郎さんの部屋で目を覚ました時です。正直、不思議でした。どうして、私はまだ《《生きている》》のかって」
「生きている? それは、どういうことだ?」
次郎が率直に問いかけると。
意外と言わんばかりに、モブ子がきょとんとした顔になる。
「あれ? 次郎さんは知らないのですか? もう、ちゃんと教えてあげないとダメですよ。友達なんでしょう。雇い主の野良猫ノラちゃん?」
モブ子の視線が、ノラに向く。
そして、ノラは。
わざとらしく頭をかいた。
「にゃはは。バレちゃったか。……そうだね。次郎のことは、ボクが勝手に巻き込んだんだ。最初の計画にはなかったけど、ボクひとりでは手に負えそうになかったからね」
「私のことを監視していたんですか?」
「うん。キミが赤坂の迎賓館ホテルから逃げ出したときからね」
「私が、追手から逃げ切れたのも?」
「もちろん、ボクがこっそり手伝ったからさ。そうじゃないと、素人のお嬢様がプロの護衛から逃げれるわけがないじゃないか」
「酷い言い方ですね」
「甘ったれた女が大嫌いなんだよ。ボクはね」
「……聖マリアナ福音教団の聖女。その秘匿儀式も知っていますね?」
「もちろん」
ノラが感情のない視線で返す。
その眼圧に押されて、今度はモブ子が黙ってしまう。
……なぁ。
……頼むから。
「俺にもわかるように説明してくれないか? 何がなんだかわからん」
ぼふん、と不機嫌そうに。
次郎がイスの背もたれにもたれかかる。その子供のような態度に、モブ子は困ったような顔になって、ノラはおもしろそうに笑った。
「にゃはは。ごめんごめん。実は先日、国外逃亡する手助けをしてほしいって、匿名の連絡があって―」
ノラが順序だてて、わかりやすく説明しようとする。モブ子が何者なのか。どんな目的があるのか。そのことに、野良猫ソラがどうかかわっているのか。
だが、それらを。
次郎はすべて拒絶した。
「そんな話を聞きたいわけじゃねぇ」
「はい?」
ノラが困惑した声をあげる。
それでも、相変わらず瞳に感情はない。
モブ子も困惑している。
どうしてか不安そうな目を、次郎に向けている。
そして、次郎は。
不機嫌そうな声で言った。
バイト道具の入った鞄を、手元に寄せながら。
「俺が聞きたいのは。ここにいる『自分のことを聖女だと勘違いしている女の子』を、次にどこへ連れていけばいいのか、って話だよ」
「聖女だと勘違いって、その子は正真正銘の―」
そこまで言って、ノラは口を噤む。
そして、その感情のない瞳で次郎とモブ子のことをよく見る。次郎はいつもどおり太々しい態度だが。
モブ子は、よく見れば。
手が震えている。
精一杯に強がって見せている。
よく考えれば、この子は。次郎やノラとは異なり、普通の少女なのだ。生まれ育った環境が少しばかり特殊だといっても、この街の学校に通っている高校生のように、常識から踏み外れた存在ではない。
守らなくてはいけない。
この子を。
他でもない、自分たちが。
「……思ったより、敵の動きが早い。とりあえず、次郎はその子を連れて裏口から出て。表の敵は、ボクが引き受ける」
「ああ、そうだ。それが聞きたかった」
にやり、と次郎が笑う。
ノラも笑う。
あーあ。これで始業式始まってすぐに担任教師から説教が確定したな。
「で、その後は?」
「協力者がいるけど、まだ状況が整っていない。とりあえず陣凱高校に向かって。あそこは治外法権だ。敷地に入っちゃえば安全のはず」
「それはそうだが。まだ夏休みだぞ?」
大丈夫なのか、と次郎が問うが。
「たぶん、大丈夫だよ。学校心霊現象も学生なら見逃してくれるだろう」
「それもそうか」
次郎は納得して、何の前振りもなく立ち上がる。
そのままバイト道具の入った鞄を手に取ると、空いた手をモブ子に向かって差し出す。
モブ子は少し困惑したまま、しかしどこか期待した顔で、次郎のことを見上げている。
「正直、俺はお前が聖女なのか、とか興味はねぇ。ただし、お前がこの手を取ってくれるなら。俺は全力でお前のことを守ろう」
かぁ~、とモブ子の顔が赤くなる。
先ほどまであった、虚勢の笑みではない。
年頃の少女らしい反応だ。
「にゃは~。次郎、そうやってむやみやたら女の子の脳を焼かないほうがいいよ。キミは無自覚に女の子を恋に落とすんだから」
ノラのやっかみなど聞き流して。
次郎は彼女に手を差し出し続ける。
震える手。
期待と不安。
後悔と懺悔。
様々な感情が入り混じり、モブ子は震えたまま次郎の手を取れずにいた。
……ええい、面倒くさい。
唐突に、次郎はモブ子の手をつかんだ。
そして、そのままテーブル席から立ち上がらせると、強引に自分のもとへと引き寄せる。その小さな頭を、自分の胸元に抱きしめる。
「あ」
モブ子が小さな悲鳴を上げる。
恋する乙女の吐息は、次郎の胸もとに消えた。
「……俺たちは裏口から出る! 表は任せたぞ」
「にゃはは。もちろん!」
野良猫ノラも立ち上がり。
二人は背中合わせに歩いていく。
店の外が、にわかに騒がしくなる。
ノラが喫茶店の玄関を開ける。
それと同時に、表から悲鳴が上がる。
小さくはない爆発音と共に、見るからに怪しい黒服が喫茶店の窓ガラスに吹き飛ばされる。
「……頼むぜ、相棒」
次郎は小さく呟いて。
モブ子の手を引いて、裏口から店の外に出た。
そして、次の瞬間。
――意識が剥奪された。
「え」
体が、うごかない。
何がおこった?
全身の筋肉がちからを失い、指先に至る神経までもがマヒしている。奇襲。不意打ち。意識が泥沼に沈みそうになるのを、必死に抗いながら。視線だけでもモブ子へと向けようとする。
「……っ!?」
だが、そこにいたのは。
見たこともない、異国の神父服の男だった。
霞む視界で捉えたものは、胸元につけた蛇のブローチ。他人を見下して嗤う、こちらの神経を逆なでにするような苛立たしい笑みだった。
おかしいのが、その立ち姿だ。
どう見ても、その男の体は。路地にできた影から抜け出しているように見える。まるで蛇。暗闇から、ぬるっと出てきて獲物を食らう蛇のような不気味さがあった。
……ガキにできるのは、ここまでだよ。
意識が暗転する。
その瞬間まで見ていたのは。
必死に抗おうとするモブ子を、狡猾そうな男が連れ去っていくところだった。
……さん!? じろ、……さん!!
彼女の悲痛な声は。
どこまでも遠くから聞こえてきた―




