第3話 普通の男子高校生、聖女を拾う…
「おいおい、マジかよ」
深夜。
周囲に、次郎以外の人影はいない。
有坂式次郎は顔をしかめながら、肩に背負った長方形の鞄を背負いなおす。四隅はステンレスで加工されている頑丈な鞄だ。中に入っているのは、次郎が昔から愛用しているバイト道具だ。
『九七式・有坂歩兵狙撃銃』
第二次世界大戦のときに製造された国産のスナイパーライフルだ。有効射程距離は1500m。使用銃弾は6.65×51㎜の国産弾。給弾方式はボルトアクション式。銃全長がおよそ1.3メートルという途轍もなく長いライフルで、振り回すだけでも十分に武器となる。高い精度を保持していることが特徴で、狭い都内では、およそ見える全てのものが射程圏内だ。今夜も、このバイト道具で仕事をしてきたばかりであった。
もちろん、現在の日本では。
銃の所持は違法であり、発砲も重罪である。
だが、そんな法律なんて。
この街ではあまり意味がない。
世間の常識など、非常識の日々が覆い隠してしまう。銃の所持くらいで騒いでいたら、この陣凱町では生きてはいけない。
ここは、そういう街なのだ。
「……くそ、勘弁してくれ。冗談にしてはタチが悪いだろう」
じわり、と脂汗を夏の生温い風がなでる。
明日は夏休みの最終日だ。学生にとって、残された最後の猶予期間。もし二学期の初日からサボろうものなら、担任教師はともかく、保健室の養護教諭は激怒するだろう。あの外見年齢が中学生にしか見えない養護教師は、本気で怒ると手に負えない。ちょっと外見のことをからかっただけなのに。「せんせー、貧乳ですねー」とか、「身長150cmないですよねー。ちっちゃ」とか、「合法ロリとか、俺マジでせんせーに惚れますわ!」とか。そんなことを言った奴らは。翌日、病院の集中治療室で目を覚ました。……この街では、教師ですらマトモではない。
そういった黒い噂が絶えないほど、悪名高い都内の高校。……『陣凱高校』に通いながら、平穏無事で過ごしている次郎であっても。これは逃げ出したくなる事態であった。
「すー、すー」
次郎の顔は、苦虫を噛んだような表情になる。
倒れている少女からは、規則正しい寝息が聞こえてきた。
眠っているだけというのに、どこか気品のようなものを漂わせている。
……可愛い女の子だった。
長い蜂蜜色の髪、透き通るような肌。
幼さを残す可愛らしい顔。
体は小さい。胸も小さい。
抱きかかえたら、すっぽりと腕の中に納まってしまうだろう。
服装は、まるでパーティー会場から逃げ出してきたかのような、お淑やかなドレス姿だ。肌の露出は抑えられているのに、それがかえって少女の美貌を引き立てている。秘匿された少女の妖艶さというべきか。そこに隠された美しい身体を想像せずにはいられない。
間違いなく、次郎がこれまでに出会ってきた同年代の少女たちの中でも、断トツで可愛い少女であった。
ただし、……『場所』が悪い!
どうして。
どこからどう見ても、ワケありの少女が!
自分のアパートの《《玄関の前》》で倒れているんだ!?
これじゃあ、見て見ぬフリもできないだろうが。彼女を介抱しないと部屋にも入れないのか。こんな頭がおかしい奴らしかいない街で、夜道で眠っている女の子を放置するなど、誰であってもできるはずがないのに。
「すー、すー。むにゃむにゃ」
次郎が頭を悩ませている。
そんな状況でも、少女は気持ちよさそうに眠っていた。次郎の眉間にしわが増える。
「……」
相手は文句なしに絶世の美少女だ。
このまま見て見ぬフリをするのは、さすがに目覚めが悪い。確実に犯罪に巻き込まれるだろう。
……やれやれ。
面倒だか仕方ないか。
「よいしょ、よいしょ」
次郎は少女を抱きかかえる。
その手つきは、花の蕾を扱うように優しかった。
腕の中に、すっぽりと納まる幼い少女。
彼女の寝顔は、まさに天使のようだ。
甘い香りが、次郎の鼻をくすぐる。
そして―
「おりゃ」
そのまま、次郎はアパートのゴミの集積所に歩いていくと。
迷うことなく、燃えるゴミの山へと。
少女を《《投げ捨てた》》−
ぴぎゃっ!?
ちいさな悲鳴がゴミの山に消えていく。ぼすんっ、どさどさ。その衝撃で、積みあがっていたゴミ袋が崩れ落ちていく。少女の姿は燃えるゴミに埋まってしまい、ほとんど見えなくなってしまった。ゴミの隙間から見える片足が、わずかに痙攣している。
「ふーっ、明日が燃えるゴミの日でよかったぜ。朝には、清掃員が拾ってくれるだろうよ」
ハハハ、とわざとらしい笑い声を上げながら、次郎はその場を離れていく。次郎は少女のことを助けようなど、微塵も考えていなかった。
ここは陣凱町。
仁義なき荒れた街だ。
面倒事などゴメンである。
まして、間違っても恋物語が始まってしまいそうな展開など、心の底から求めていない。そんなものは生ごみと一緒に焼却されてしまえばいいんだ。
「あー、なんかすっきりしたぜ。これで今日も熟睡できるな」
次郎は運命的な出会いを。
完全に、なかったことにした。
……行き倒れの美少女なんていなかった。
……うん、それでいい。
そう自分を納得させて、アパートの部屋に帰宅した。
玄関の鍵を念入りにかけて。
普段はかけない錆びたドアチェーンまでかける。
外から見られないようにカーテンもきっちり閉めると、バイト道具の入った鞄をベッドの下に隠す。そして、古ぼけて勝手に鍵が閉まってしまうトイレの鍵をドライバーで開けて、風呂入って、寝た。意識を手放すころには、ゴミの山に捨ててきた少女のことなど、綺麗さっぱりに忘れていた。
……そして、翌日。
夏休みの最後の日。
次郎はベッドで目を覚ました。
そこで、ようやく。
いつもはない違和感を感じ取っていた。
柔らかい。
そして生暖かい。
甘い香りがどこからか漂っている。
さぁ~、と背筋を凍らせた。
頭の中で、緊急時のアラームが鳴り続けている。
「すー、すー。むにゃむにゃ」
昨夜、ゴミの山に捨ててきたはずの少女が、目の前で気持ちよさそうに眠っていた−